2011年8月25日木曜日

人と微生物との関わり

 平成9年(1997)4月29日に金沢市で開催された石川県栄養士会の総会において、表記表題でもって特別講演を行なったが、以下はその時の講演要旨である。十数年を経て、若干違和感が無きにしも非ずだが、「晋亮の呟き」に再掲する。

 微生物というと、黴菌、伝染病、食中毒という悪いイメージを連想することが多い。事実、微生物の仕業と分かる以前にも、人類は天然痘、ペスト、コレラ等の伝染病に悩まされ、その原因が未知だっただけに、神がかりなものとして極度に恐れられてきた。食中毒にしても、これは有史以前からあったに違いなく、微生物によるものばかりではなく、経験的に、どういうものが食べられ、どういう状態が安全であるのか、またどういうものが有毒で、どういう状態になると食べられなくなるのかを、長い年月をかけて会得してきた。
 しかし一方で、これも微生物の仕業と分からなかったまでも、人はおろか猿までもが、酒を醸しだす技術を身に付けるようになったが、これは微生物の有用な利用の一方の旗頭として、我々人類にとってはなくてはならないものとなっている。
 ところで、微生物学という学問は、伝染病の原因究明という大義名分のもと、病原微生物学として発展してきた。しかし、人にとって病原微生物といった場合、この一群の微生物は、とりもなおさず人の体温、すなわち37℃近辺を最も至適温度として増殖できることが最大の条件であり、大部分の病原微生物はこの範疇に入っている。しかしながら、このようないわゆる中温菌といわれる一群の菌群は、全体の微生物からすれば極めて少ない一握りでしかなく、大部分の微生物は自然界に広く分布している。そしてその生息する場所は極めて多様で、地中深くにも、気温が高い乾燥した砂漠にも、一年中氷で覆われている南極大陸にも、90℃を超える非常に高温な温泉の中にも、水深1万mを超す海底にも微生物は生息している。そしてこの自然界には、我々が未だ知らない微生物が、かなりの数存在しているであろうことは、十分予想されることである。
 我々は微生物の洪水の中で生活をしていると言っても過言ではない。土の中、水の中、空気中等の環境、我々人体の表面、口、鼻、喉、消化管、生殖器等、外気と接しまたは通じている器官には、夥しい数の微生物が常在している。このような微生物の一群はノーマル・フローラ:正常細菌叢と呼ばれているが、平常は我々にとって不都合なことはほとんどなく、かえってこのようなフローラのない方の害の方が遥かに大きく、人の場合でも、大部分のノーマル・フローラは宿主である人と共存共栄、すなわち「共生」している。
 我々にとって、食品や食材の腐敗は好ましいことでないばかりか、病気の一因となる。しかし、これら自然界に無数に存在する微生物は、自然界にとってはなくてはならない存在である。物質の輪廻を考えてみると、植物は無機体から有機体を形成するが、有機体を無機体にすることは出来ない。また動物は人も含め、有機体を利用し、有機体を排泄している。すなわち、動物も植物も有機体から構成されているが、有機体を無機体にする能力を持ち合わせてはいない。ということは、もしこの世の中に微生物、とりわけ有機物を利用する細菌が存在しなかったら、有機体のみが蓄積されることになり、地球上は夥しい量の動植物の屍骸と糞尿とで覆い尽くされてしまうことになる。人がもし有機体を無機体にしなければならないとしたら、燃焼以外に方法は見当たらない。このように微生物の環境浄化力は人智を遥かに超えている。
 さて、我々の日常生活を見回してみても、微生物の恩恵に浴していることが如何に多いかに気付くはずである。発酵食品としての酒類(アルコール飲料)、味醂、食酢、大豆製品の味噌、醤油、納豆、水産加工品の鰹節、なれ寿し、くさや、塩辛、魚醤、乳製品としてのバター、チーズ、ヨーグルト、乳酸菌飲料、そのほかにも、パンや漬物、紅茶やウーロン茶等々、我々が口にするもので、微生物の恩恵に浴しているものは枚挙にいとまがない。また、酵素、ホルモン、ビタミン、抗生物質、ステロイドのほか、アルコール類、有機酸類、アミノ酸等も、その製造はまだまだ微生物に依存しているウェイトが高い。一方で、厄介ものの難分解性の合成洗剤、プラスチック、PCB,あるいはタンカーから流失した重油の後処理に、微生物による生分解が期待されていて、既に一部は実用化されている。このように、微生物は昼夜を分かたずに働き続けてくれ、もっと英知を傾ければ、我々人類はまだまだ微生物に頼れる部分が多くあるのではなかろうか。

 さて、抗生物質やワクチンの普及、栄養や環境の改善、衛生思想の敷衍等によって、人類は伝染病の恐怖から解放され、もはや伝染病は過去のこととして我々の脳裏から忘れ去られようとしている。確かに、恐れられた天然痘(痘瘡)は、1980年には地球上から根絶されてしまったし、日本でも、戦前は多かったコレラ、赤痢、腸チフス、パラチフス、発疹チフス、ジフテリア等の伝染病は、皆無かもしくは極端に減少してしまった。ところが一方で、日本では発生が見られなくなったトラホームは、中国や東南アジアでは未だ重要な疾患であり、これによる失明者もまだまだ数多い。また発展途上にある国々では、3人に1人は感染症で亡くなっていると言われており、WHOの統計でも、1995年の死亡者数は約1,700万人に達したと報じられている。
 現代医学は感染症の制圧に成功したかのような錯覚を感じさせていた時、突如として、先進国でも今まで経験したことがなかったような感染症が人類に襲いかかってきた。1981年に忽然として現れたエイズ:後天性免疫不全症候群を初めとして、新しい感染症が次々と現れてきた。日本でも1996年に大流行した腸管出血性大腸菌O157については未だ記憶に新しい。このように新しく我々の目の前に出現した感染症をエマージング・ディシーズ:新興感染症と呼んでいる。何故このような新しい感染症に我々は遭遇したのだろうか。一説に、20世紀後半の世界人口の急激な増加は、食料増産のために未開の土地を開かざるを得ない状況を作り出し、それに伴う環境破壊によって、これまで人類が知らなかった未知の新しい病原体と遭遇したと予測する人もいる。ともあれ致死性の高い新型の感染症が人類を苦しめることとなる。特にアフリカ奥地、アマゾン流域は、生態系が多様なことで知られているが、一方で病原体が潜む絶好の場所でもある。致死性の高いエボラ出血熱、マールブルグ病、ベネズエラ出血熱等しかりである。このほかにも、英国で起きた狂牛病、その病原体はプリオンと言われているが、クロイツフェルト。ヤコブ病との関連も取り沙汰されていて、牛から人への感染とも相まって、恐怖感が払拭されないでいる。これら新しい感染症は確たる治療法が確立されているわけではなく、またその感染のメカニズムも解明されていないのが現状である。
 さて一方で、古くて新しい感染症、リエマージング・ディシーズ:再興感染症も疎かにはできない。インフルエンザは毎年流行する身近なウイルス病であるが、その根絶は極めて困難である。人類にとって「最強最後の感染症」と言われる所以は、その変わり身の速さにある。変幻自在に変化し、免疫系の網を潜り抜け、生き残る逞しさには脱帽せざるを得ない。化学療法剤もワクチンも決め手を欠いている。また日本では制圧に成功したかのように見えた結核も、ここ数年は増加の傾向にある。WHO発表の1995年の感染症による死亡者1,700万人の内、結核による死亡者は約300万人と言われ、この数字は結核が世界的に大流行した1900年前後の年間推定死亡者数を大きく上回る史上最悪の数字と言われている。特に米国では、エイズ患者が結核を発病するケースが増えてきており、20~40歳台の患者の増加が問題視されている。1995年には、結核以外にも、世界中でコレラが前年の4倍を超える規模で流行した。新型のベンガル型コレラ菌O139によるものである。日本でもバリ島帰りのコレラ患者多発は未だ耳に新しい。
 そのほか、日本では、24時間風呂でのレジオネラ菌による感染、クリプトスポリジウム原虫による大量水系感染、サルモネラ・エンテリティジスによる食中毒の大量発生、MRSA(メシチリン耐性黄色ブドウ球菌)やVRE(バンコマイシン耐性腸球菌)等の薬剤多剤耐性菌やセラチア菌等のいわゆる日和見菌による院内感染等々、抗生物質の開発は限界に近いと言われているだけに、不測の事態を起こしかねない状況にある。
 地球温暖化も厄介である。病原体を運ぶ吸血昆虫が生息域を拡げ、熱帯域での風土病であったデング熱やマラリアや寄生虫病が、再び温帯域まで拡がってくる恐れもある。
 しかし一方で、ワクチンの適切な投与により、今後根絶が期待できる感染症も少なくない。ポリオは1961年の生ワクチン投与以降、日本では患者の発生はほぼ皆無に等しくなったことはまだ記憶に新しい。現在このポリオ根絶作戦は、中国や東南アジアで、日本が主導して展開中である。またMMRワクチンが普及するようになれば、麻疹(はしか)や風疹、ムンプス(おたふく風邪)」の発生を激減させることが出来ようし、B型肝炎や成人T細胞白血病も、適切な対応とワクチン投与により、将来はなくなるであろう。エイズやC型肝炎にしても、例え感染しても、ヘルペスウイルスグループ感染の例のように、発病を抑えることが可能になり、ウイルスと共存して生きていけるようになるであろう。トラホームやらいについては、治療法が確立されたこともあって、日本では、その予防法の必要性はなくなり、既に廃止された。
 これまで人類は英知でもって感染症に立ち向かい、困難を乗り越えてきた。これからも例え新型の感染症が出現したとしても、化学療法剤やワクチンを含む免疫学的、分子生物学的療法でもって、それを克服するに違いない。しかし、忘れてならないのは、病原体も生き物、人智をもってする数多くのバリアーを乗り越えて子孫を増やそうと策を弄するであろう。とすると、人と病原体との闘いは、長い目で見ると、どちらの勝利もない、いわばいたちごっこの、延々と際限なく続く、デスマッチと言えるかも知れない。

 ところで微生物工業は、従来の醗酵工業から脱皮して、新しい世代に入ってきた。醗酵工業では、培地中に微生物の代謝産物を蓄積させ、それを単離して利用するのが一般的な常法であり、その収量を上げるために、自然界で自然に起きる突然変異株(細胞分裂100万回~100億回に1回起きるといわれている)の中に、より優れた株がないかをチェックしてきた。しかし、この「啼くまで待とう」式では、極めて効率が悪いうえ、時間を要した。そこでより突然変異株を効率よく作り出すため、人為的に変異原を用いて誘導する方法が考案された。それには、X線、γ線、紫外線を照射する物理的な方法と、変異原物質を用いる化学的な方法とがあるが、これらの方法は「啼かせて見せよう」式とも言える。その後の解明により、これらの変異は、遺伝子の傷、複製の間違い、組み換えや再編成、動く遺伝子の介入によっていることが判明し、DNA上では、塩基や塩基群の添加、欠損、置換、重複、転座、逆位等がみられた。
 一方、細菌を用いた遺伝情報の伝達の研究から、細菌等の原核細胞には、体染色体のほかにプラスミドという伝達可能な遺伝子が存在すること、細菌ウイルスであるバクテリオファージの中には、その遺伝子を細菌の体染色体に取り込ませて組み換えを起こし、溶菌することなく細菌の増殖につれて増殖する溶原化現象を起こす株があることが分かり、プラスミドによる伝達(接合)やファージによる形質導入が可能になった。また、ある細菌から抽出したDNAを他の細菌に取り込ませる形質転換の方法も確立され、細菌間の遺伝情報の伝達に止まらず、外来遺伝子DNAを異種の細胞内に導入し、その形質を発現させるということが可能になった。
 更に、ある細胞から抽出したDNAから、目的とする遺伝情報のみを、制限酵素というハサミで切り取る技術が開発され、この情報を運び屋である自己増殖性のある小型DNAのベクター(プラスミドか溶原ウイルス)に、同じ制限酵素で開裂させた箇所にノリの役目をするDNAリガーゼを用いて結合させ、この両種の雑種である組み換えDNA分子を形質転換の技術を応用して宿主の細胞に移し込む、遺伝子組み換え技術が開発された。この宿主の遺伝子工場には、大腸菌、枯草菌、酵母等が好んで用いられ、ヒトの生理活性物質の多くがこの方法で作られ、利用されている。その他、細胞融合やベクターDNAのみを増幅させる方法も考案され、微量生産物質の大量生産も可能になった。

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