● まえがき
探蕎会の素地ができたのは、平成10年(1998)1月に、波田野先生宅で持たれた会合で、この寄り合いには、松原、北島、植松、塚野、前田の諸氏が参加したとある。そして3月8日には「末野倉」で探蕎会の第1回の行事としての発会式が行なわれ、会長波田野、副会長松原、他の4氏は世話人ということで会が発足した。この平成10年には12月の総会までに12回の行事が持たれ、このうちの4回をそば農園での種蒔き、除草・土寄せ、収穫、そば打ちに当てている。私が誘われて初めて会の行事に参加したのがこの種蒔きの時で、この年の第5回目の行事の時だった。
その当時はまだ会報はなく、行事の経緯や成行きは、会長指名の方が、後日A4もしくはB5のレポート用紙に感想を交えてレポートし、そのコピーが会員に配布されていた。会報が創刊されたのは翌年の平成11年(1999)12月であるからして、平成10年と11年の行事記録はこのようなレポート様式で報告されており、公式には現存していない。
ところで、そば農園での農事作業は計4回で、会の行事では、第5回、第6回、第7回、第9回がこれに該当する。この作業が行なわれた「そば農園」の場所は、長野県東筑摩郡朝日村大字古見の「もえぎ野」にある。以下に4回にわたり実施された農事作業の実施日、作業ツアー名、参加者(入会順)、指名報告者を掲げる。またツアー時に寄った蕎麦屋も記載した。
(1) 7月26日 そば農園種蒔きツアー(波田野、松原、北島、前田、木村、越浦、前田さんの娘さん)、
レポーター:北島健次、「もえぎ野」(朝日村)・「信州家」(松本)。
(2) 8月23日 そば農園除草・土寄せツアー(波田野、北島、塚野、前田、木村)、
レポーター:木村晋亮、「ふじおか」(黒姫)・「ひらく」(穂高)。
(3) 10月9日 そば農園収穫ツアー(波田野、北島、塚野、前田、木村)、
レポーター:塚野八平、「もとき」(松本)・「浅田」(松本)。
(4) 11月21日~22日 そば農園収穫そば打ち体験ツアー(波田野、松原、北島、塚野、木村、越浦)、
レポーター:松原 敏、「浅田」(松本)・「もえぎ野」(朝日村)。宿泊:「ホテル花月」(松本)。
以上が概略で、表記表題の初出は、平成10年(1998)8月23日に行なわれたそば農園第二次農事作業と探訪した蕎麦屋のレポートである。 「晋亮の呟き」に再録する。
● レポート
今日一日、晴れが保証のの8月23日(日)の朝、小生は今日の農事作業である草取り・土寄せに必要な鎌、鍬、長靴等を用意し、波多野会長の命により、先生宅へ午前8時にお寄りする。奥様お手注ぎのお茶を頂くも間もなく、出発の案内。出ればMr前田のOdyssey号には既にMr北島が鎮座されており、我々も乗り込む。道案内を自認する波田野会長は助手席に陣取る。その後、鈴見台で今一人の参加者Mr塚野を同道し、金沢を後にする。この日の作業が如何ばかりなのか全く見当が付かないが、各々方は各自それなりに周到な準備を怠りなくされているようにお見受けした。
金沢東ICへ入ったのが8時半、前回が5時なのに比べると一寸遅い感じだ。富山へ入ると、同乗の鮎釣師は、河川の水量、濁りを見極めんと鋭い眼差し、門外漢の小生には友釣りの醍醐味も分からず、ただ食するのみだが、でも素晴らしいレクチャーをして貰った。
Mr前田の運転は極めて快調、先ずは今日の第一のお目当て、黒姫山麓の「ふじおか」へ向かう。妙高高原スキー場への通い慣れたR18を一路南下、会長の名指示で信濃町野尻山桑へ達する。辺りにはペンションが乱立、このような所に名店があるのかと訝る。杉野沢への道を右折して間もなく、Mr塚野が「あった」と喜びの声、直進すれば妙高へ行ってしまうところだったが、寸でのところでうまく解決した。まだ11時、11時半が開店だが行こうと杉木立の林の中の一本道を辿る。幽山深谷とは異とするが、開けた明るい所からいきなり暗い所へだと、何となくそう感じても不思議ではない。道端にはノアザミの赤、ツユクサの青、ミズギボウシの紫が美しい。下り坂を400mばかり、左手に一見山小屋風の建物が見え、そこが「ふじおか」だった。誰かが言う。初めてお妾さんの家へ通う時のときめくあの気持ちだとか。経験はないが、このときめきがそうなのだろうか。
着くと、既に5台の乗用車、長岡が2台、富山、大阪、長野が各1台、空き地に駐車している。そして石川、30分前だが、待つ甲斐があると納得する。受付入店もやはり11時半、小生は信濃Breweryまでの山中を徘徊する。時間になり漸く開店。辛抱強く待った蕎気の男女が次々と中に消える。我々も後に続く。定員20名は既に了承済み、ぎりぎり何とかなるさは、極めて甘い観測だった。6組目の私達は、主人から午後1時半にお越し下さいとの丁重なお断り、本当に前の組とは真にタッチの差であっただけに、泣き言の一つも出ようというものだ。こうなっては2時間待ってもありつくぞと衆意一決する。たかが「そば」を食うのに2時間待ちとは、蕎変じて狂となる。その執念たるやである。それではと、北信濃の地ビールを製造している信濃町野尻上山桑にある信濃Breweryへと向かう。田中の畦道をそぞろ歩く。湿地にはガマの群生、太い茶色の穂が素晴らしい。また畦にはコウヤワラビが一面に、若々しい浅緑、清々しい。
着くとやはり他県ナンバーの車がやたらと多い。中へ入ると、4種の地ビール、Shinano, Mountain, Dragon の各エールと、Kurohime stout、思い思いに2杯位ずつ胃の腑へ流し込む。小生の飲み比べた印象では、芳醇な香りと適度な苦味の Dragon が良かった。この地ビールは全国へ宅配できるとか、一度ご賞味を。
再びぶらぶら、林へ入る。途中熟れたブルーベリーを少々口に含む。甘い。「そば」にありつけるまでにはまだ1時間余り。折りよく一茶記念館の標識が、聞けば車で10分とか。Mr前田は車を回してくれた。信濃町柏原にある記念館はそこそこの人出、こざっぱりした感じ。併設の民族資料館には思い出の農機具の数々、懐かしい。2時間の余得。感謝々々。
今度こそはご対面できると思うと心がときめく。取って返して蕎麦処へ。空き地には湘南ナンバーの車もある。午後1時半きっかり、我々5人が最初に入る。中は6人掛けと4人掛けのテーブルが各2脚、それで計20人、但し原則として相席はないとのこと、頑固そのものである。また10歳以下のお子様お断りもしかりである。紹介書には甘皮を残した蕎麦の実を挽いたという、微かに緑を宿すかに思える「せいろ」と「そばがき」が載せてある。「せいろ」5枚と越後大吟醸の「鄙願」を3本所望する。待つこと暫し、2時近くに、酒と蕎麦実・野山の幸が入った5人分の突き出し?がドンと出た。本番前にはかくあるのか、雑味払いか、酒は美味しい。ただ全くクセがない。吟醸香が極めて薄い。これで徳利1本1100円は高いのでは、一致した意見だった。また待つこと暫し、佐々木小次郎の胸中を察する。しかし終にご対面。甘皮を付けたまま挽いた蕎麦粉100%の「せいろ」、姿・形は本とそっくりである。そっと数本口に含む。微かな蕎麦の香り、久方振りに出会った名品。生山葵を含めた旨い淡味のつゆが花を添える。再び「せいろ」3枚と「そばがき」2鉢を追加する。待つこと暫し、「そばがき」が現れた。讃岐彫り様の木皿に、搗き立ての柔らかい餅と見紛う、ブナの新緑を思い起こさせる淡い若草色の「そばがき」が鎮座している。こんな印象はこの62年間にはない。絶品としか他に言いようが無い。「せいろ」よりも蕎麦の香りが良い。と同時にどうしてこんなに均一で滑らかなのか。粉に秘密があるのか、或いは掻き方によるのか、いずれにせよ大収穫であった。本日も振られた11時半と1時半の2回のみ。1日多くて40人。再び挑戦するとすれば、平日か。2,3回振られた人もいるとか、今日はもうお終いですとの声に去る組もあった。
余韻を後に、本日の主行事の蕎麦の草取り土寄せに朝日村へ向かう。信濃町ICから塩尻北ICへ高速道を辿り、1時間半後の4時半きっかりに朝日村古見のもえぎ野に着いた。途中に見えた農園の蕎麦は花盛り。私達のは畝や条の不揃いがあり、種蒔きの濃淡があり、どうなっているかとあれこれ心配したが、どうもそれは一見おいそ目には全く分からず、胸をなで下ろした。それで勇んで農場へ。道端に車を停め、身繕いして農園に入る。農園には我々以外には人影はなく、頃合いとすれば、日中よりはましである。さてと、手入れが終わった先人のをと見ると、かなり人為的倒伏が目立つ。蕎麦は肥料を施したせいもあって、思ったより大きく、しかもはちこっている。丈は50~60cmはあろうか、しかも茎はスカンポのように太く、けれど中空な茎は簡単に折れてしまう。本来ならば草丈30cm位の頃に土寄せしなければならないのに、蕎麦のはちこりで蕎麦が畝の両端からはみ出ていて、草取りが出来ず、草取りは省けたものの、土寄せ自体は難行を極めた。蕎麦の間に潜るので、新たな蕎麦の倒伏は先人の比ではなく、これでは収穫は半減するのではないかとさえ思え、いっそのことしないほうが良いのではという率直な意見が続出し、完全な土寄せは極めて困難との見通しから、作業を中断した。行なった部分的な惨状は会長が自ら記録に留めることにする。作業すること40分余り、滞在1時間で切り上げ、次の目的地の穂高町「上条」へ向かうことに。
運転は大吟醸を召したMr前田に代わってMr塚野が、車では前回小生の不覚で迷い込んだ立派な尻切れ農道の話が一頻り、しかし今回Mr塚野も危うく前車の轍を踏んで、あの袋小路の農道へ迷い込みそうになった。表示板が曖昧過ぎる。高速道を塩尻北ICから豊科ICへ、夕暮れの安曇野を北へ向かう。常念岳が残照に浮かぶ黄昏、会長の先導でご推薦の「上条」に着いた。この建物の外観は洋館、幟がなければ全く蕎麦屋には見えない。案内では8時までのはず、でも灯は落ちており、振られてしまった。
急遽、代役は同じ穂高町の「ひらく」、かの「ふじおか」と同じ紹介書に載っている銘店である。そして閉店間際?に到着。時刻は午後6時40分、早速「特製ざる」3枚、「そばがき」2鉢、つまみに花山葵、酒は冷燗の白馬錦を所望する。「ざる」は細打ち、「そばがき」は田舎風で量は豊か、つまみはセンナの醤油漬し、酒はいわゆる爽やかな本醸造、かれこれ40分ばかり居たろうか、7時半前には帰路についた。安房峠経由で金沢へ、Mr前田の滑らかな流れるような運転で夜をひた走り、11時に帰沢した。走行600kmに及んだ1日もどうやら無事終了した。
2011年8月17日水曜日
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