2011年8月4日木曜日

今秋の探蕎会蕎麦花茶会の集いは戸室山麓に近い山間の喬屋にて

 表記表題の初出は「探蕎」会報第32号(平成17年12月27日発行)で、行事があったのは平成17年(2005)10月29日である。  「晋亮の呟き」に再録する。

 探蕎会が行なう蕎麦花茶会はこれが4回目、ひょっとして以後は毎年催されることになりそうだ。とはいっても、これは会員の中に松田宗和先生という裏千家の茶匠がおいでるからこそで、とても素人集団では取り仕切れる類のものではない。もっとも茶道に無頓着な小生でも、見てると、当日出席された会員諸氏の4割近くの方は、少なくともお茶会でお茶を頂く作法を心得ていらっしゃると見た。どうも、懐紙と黒文字は必携のようだ。お茶席の後の飲み会で、「加賀に居て、お茶を頂く作法とお能くらいは知っておかないと」と越中の女人から喝破されたのには参ってしまった。さらに重ねて、「お茶会での無作法は、失礼にあたるのですよ」とも。何とも穴に入りたい心境になってしまう羽目に。必要最小限の作法は、来年の茶会までには身に付けるよう、努力せんならんとも。そうだ、探蕎会事務局あたりで、会員用に『茶道作法』「探蕎会茶会でこれだけは守ってほしい心得」という副題を付したマニュアルを作成しては頂けないものだろうか。かくいう小生、石川県職員の時、研修で丸1日かけてお茶の心得・作法を伝授されたが、通り一遍とて、全く身に付かなかった。ただその時「お茶の作法には、全く無駄がなく、且つ合理的な所作である」と言われたことだけが、今でも脳に刻み込まれている。
 今年の会場は、当初の行事予定では10月19日の水曜日に、第2回と第3回の会場となった旧鶴来町の「草庵」とのことだった。でも、お茶会で30人も集うには幾分狭い嫌いもなくはなく、誰が最初に邂逅したのか、それで今回の会場の「喬屋」に白羽の矢が立った。7月半ば、前田局長と小生とが検分と交渉を兼ねて出かけ、日は二転三転したが、結果として10月29日の土曜日に決まった。ただ、これだけ時期が遅くなると、恐らくは会長から蕎麦花の提供を委嘱されているだろう早川先生にはご迷惑なのではなかろうかと、ふっと先生の顔が浮かんだ。
 今年はどうしたことか、週末になると天気がよくない。勤め人の小生にとっては、土・日は山へ行くかきいれ日なのに、何ともやりきれない。案の定この日も雨。和装の方々は大変だ。中でも女性の方はどうされるんだろう。道行ぐらいではどうにもならない雨、大型のマントかポンチョをスッポリ纏えば濡れずに済むのではと思ったりする。まことに恨めしい雨御である。
 お茶会は午後2時の開席、1時半の集合。会場の「喬屋」は金沢市俵町、バスの便はあるものの、2時間に1本という山間の地、自家用車という手はあるものの、お酒が出るとあっては、「飲んだら乗るな」との鉄則もあることから、事務局には山へ向かうバスの時刻を予め皆さんにお知らせしてはと提案してたのに、その返事はない。局長には何か思案があるのだろうと思っていたところ、迎えに上がるとのこと。これにはたまげた。ただし10時に。前田局長の迎えは4回に及ぶという。何と献身的な。現地参集が当たり前なのにと思うと、彼の人となりに只々感謝々々。初回は野村会員同道のお道具運び、2度目は山から下りて野々市で小生を、返して野町で寺田先生を、そして清川町で松田宗匠を迎えに上がり、再び山へ。雨の中、再度、再々度と迎えが続けられた。本当にお疲れ様でした。
 局長の言では、今日は送迎の任に当たるので、お酒は口にしないとか。何と殊勝な、事務局長の鑑とも思える言。ところが、集合時間近く、漸く4巡目が済み、安堵の顔を見せる局長に労いの言葉をかけたところ、「帰りの送りはカアちゃんにまかせて、酒を飲むことにした」と。突然の変心。原因は何と平澤会員提供の「十四代」に目が眩み、白旗の由。でも良かった。飲みたいのに飲めない彼を前にしては、小生ならずとも気が滅入る。
 筑後20年の欅造りの建物の1階は田の字型、奥の2間がお茶会の席、襖を外し、床の間には掛け軸を、床には三彩(白・紅・黄)の蕎麦花、その前にはお手前をする風炉が設えられ、上手に藍色の毛氈と下手にはコの字に緋色の毛氈が敷かれ、お茶席が完成した。手前左手の1間は控えの間、右の1間はお水屋、皆さん甲斐々々しい。用意は整った。>
 会員諸氏が席に着かれたところで、波田野会長からご挨拶。お茶会は定時を少し回って、松田宗匠の口上があり始まった。お手前は塚野会員の御愛娘、お運びは袴姿の野村会員とお美しい着物姿の米田会員、正に絵になる。正客は波田野会長、次席は越浦副会長、次いで岩先生、寺田先生、そして着物姿の永坂先生、早川先生と続く。後は会員諸氏適宜。広いのでゆったりしている。菓子が運ばれる。懐紙と黒文字は持ってない人もあろうかと、松田宗匠が受付を申し出られた寺田先生に託されたお陰で、正座した会員諸氏の前には、必携の品がチャンと揃っている。皆さんお菓子を取り分けられ、賞味される。
 やおら、時を見計らって、一服目が正客へ。間を置いて、水屋からもお二人によって順次お茶が運ばれてくる。お茶会半ばには、この後出し物を提供される予定の斉藤社中の方々が、そして終りに近く塚野会員が止めに入られた。父には娘さんがお茶をお運びされる。感激の一瞬、誰となくフラッシュが焚かれる。かくしてお茶会は賑々しく、ちょっぴり厳かにお開きとなった。それにしても、広いということは良いことだ。初回の宗匠の清遊庵での会では膝をくっつけ合って座ったし、次回の草庵では2回に分けて行なったし、次々回の草庵では出し物もあって立礼だったことを思うと、場所の不便さを差し引けば、今回の会場は文句の言いようがなかった。ただ、お道具はできるだけ簡略にされたとは仰るものの、運び込みし、セットして、本番を取り仕切り、片付けして、持ち帰らねばならず、大変な労力だ。
 次に、斉藤社中の出し物、お二方による三弦と篠笛の調べに歌澤、そして斉藤会員による書のコラボレーション、15分の時間一杯で諸氏を堪能させた。心憎い限り、プロのなせる仕業だ。書は傍らに陣取った会長の申し出に応じて、「探蕎」と筆太に揮毫され、そして落款。ここで会長からさらに「そば三彩の宴にて」の署名の希望、再び筆を取り申し出に応じられる。場所が場所なら畳大の紙に極々太の筆でとも。そう言えば、そのパフォーマンスに以前お目に掛かったことがある。
 諸氏の協力のお陰で片付けが終わり、飲みの会に移る。テーブルの配置では議論百出、船頭多くしての例えの典型、終いは喬屋の女将の言で漸く決着。お茶会の2室と控えの間が使われることに。右奥の重厚な黒塗りの台は会長以下4人の長老、永坂・早川両先生は左奥のテーブル、松原顧問は奥さん共々右中のテーブル、後は三々五々、ただ何故か右手前のテーブルは女性のみになった。酒解禁となった局長と「十四代」提供の平澤会員、塚野・宮川両会員と小生は、目論見もあって左手前のテーブルに、遅れて入って来られた松田宗匠は永坂席、野村会員は松原席、斉藤社中の人達は控えの間のテーブルに。
 会長の乾杯の挨拶で会が始まった。料理は田舎仕立てで量はたっぷり、酒は局長仕込みの「鄙願」が6升と「十四代」が4合、徳利はなく、1升瓶からの直注ぎ、2本では行き渡らず4本に、漸く行き渡ったようだった。「十四代」は当初左手前のテーブルで処理する予定だったけれども、仏心が出て、局長は長老席と野村会員へ。さすが、私欲に駆られないところが良い。塚野会員も運転を断念しての参画、お陰で小生も心置きなく飲むことができた。ありがたい。
 やおら、控えの間では、お琴が設えられ、斉藤女史はヴァイオリンを手に登場。先の歌澤の折に、歌澤の文句が書かれた紙の裏に、文部省唱歌「もみじ」と「四季の歌」の歌詞が書いてあり、皆さんこれを歌って下さいと。初めの予定に入っていたのかどうかは怪しげだが、ともかくも斉藤女史のパフォーマンスにまんまと乗っけられてしまった.勢いとは恐ろしいもので、会員の歳も考慮し、皆さんが歌えるように選曲をしたとあって、大合唱となってしまった。何ということか、アンコールをという声まで。全く驚いた。それに応えて、譜面はないけれどと1曲あったが、何だったかは記憶が定かではない。ただテキサス在住の伊藤さんの娘さんの寺田さんがケンタッキーに住んでいたことに共鳴された永坂先生が、彼女との短い英語でのやりとりの後、洲歌の「ケンタッキーのわが家」を原語(英語)で歌い出された。しかし、歌ったのは随分昔のこととあって、途中までとなってしまった。かく言う小生もできると思いきや、やはり脱落してしまった。時間を忘れての宴、楽しい一時だった。
 それにしてもメインの「そば」は、付け足しになってしまった感を拭えない。痺れを切らした会長の発声で、漸くメインであるべき「そば」が出てきた。1日25食しか打たないという主人に聞くと、1週間分を打った位疲れたとか。でも酒飲みの身に、「そば」は格好の滋養で、私は2枚も頂いてしまった。しかし、会長の最初の1枚の提供から、殿の小生の2枚目まで、随分と時間がかかった。お開きの予定は午後4時半だったが、全部片付けが終わったのが6時半、最後に私たちが辞したのは8時過ぎ、長い人は12時間のご苦労であった。
 喬屋での蕎麦花茶会は、来年に向けて、いろんな課題を提供してくれた会だったと思う。最後に、茶会を主宰された松田宗匠と会員の送迎に多大なお骨折りを頂いた前田事務局長と御奥方に深甚なる謝意を表したい。

● お料理メモ
 ・五種盛り(銀杏酒粕漬.鰊煮.丸干し烏賊.生姜佃煮.茗荷酢漬)
 ・茸三種盛り(しめじ佃煮.ならたけ佃煮.ますたけ味噌漬)
 ・煮豚.煮玉子.レタス添え  ・小芋煮.柚子添え  ・胡麻豆腐.下ろし生姜添え
 ・小松菜.しめじ.薄揚げの和え物  ・蕪.胡瓜.人参の漬物  ・奈良漬
● 斉藤社中の皆さん(敬称略)
 ・斉藤千佳子:書(斉藤千霞)と ヴァイオリン演奏
 ・伊藤美智子:歌澤(歌澤芝駒恵)と 三弦、箏演奏(伊藤美智恵)
 ・水谷美代子:篠笛演奏(藤舎秀代)
 ・寺田 淳子:箏演奏 [テキサスから]
 ・S.ルース: [ニューヨークから]

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