2012年12月6日木曜日

三人のピアニスト

 9月から11月にかけて、3人のピアニストの演奏を聴いた。3人とは、ハオチェン・チャン、クリスチャン・ツィメルマン、そして室井摩耶子である。本当はもう一人、辻井伸行の1都1府25県にわたる日本ツアーが、12月10日に金沢であるのだが、先行予約で大方無くなってしまっていて、9月15日午前10時の残りチケット発売では、アッという間に完売となってしまった。それも私の前の人まででお終い、とても残念だった。

1.ハオチェン・チャン Haochen  Zhang     2012. 10. 08
 名前からするとヴェトナム辺りの出身かと思っていたら、生まれは上海とかである。15歳までは中国で、以降はアメリカで研鑽を積んでいる。そして2009年6月、第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで史上最年少の19歳で金賞を受賞した。この時辻井伸行と同時優勝だったという。辻井の優勝は日本では大きく報じられたが、2人優勝だったとは知らなかった。彼は現在22歳、まだあどけなさが残っている。県立音楽堂での演奏曲目はラヴェルのピアノ協奏曲ト長調で、オーケストラは高関健指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢であった。曲は通常の急ー緩ー急の3楽章形式、ところが第3楽章へ入ると途端にジャズの手法が入った激しい演奏、ピアノの演奏がオーケストラを牽引しリードしているような弾き方、度肝を抜かれた。辻井と同時優勝したというが、演奏スタイルは全く違っている。辻井の音楽には情緒を見て取れるが、チャンの演奏は緻密で激しい。双璧かも知れない。20分強の演奏だったが、拍手が鳴り止まなかった。凄い演奏だった.
2.クリスチャン・ツィメルマン Krystiann  Zimerman     2012. 11. 24
 スイス、ニューヨーク、東京を拠点に活躍していた彼は、アメリカの自宅を放火で失ってからは、ヨーロッパとアジアに活動を集中しているという。ポーランド生まれの彼は6歳ですでに頭角を現し、コンサートでは聴衆に熱狂的な感動を与えたという。7歳でパリに渡り、ヤシンスキーに師事し、15歳からはコンクールに出場するようになり、1975年にはショパン国際ピアノコンクールで史上最年少の18歳で優勝し、一躍世界に知られるようになった。彼は生まれ故郷であるポーランド生まれのショパンやシマノフスキー、若くして渡仏したこともあってドビュッシーにも傾倒していて、今回の日本公演では、ドビュッシー、シマノフスキー、ショパン、ブラームスのピアノ曲が選択されている。特にドビュッシー生誕150年、また前奏曲集第2巻の完成から100年、また彼は今月にはドビュッシーが亡くなった年齢に達するということで、一際思い入れがあったようだ。
 演奏会当日、私の席の隣に、高校後輩で現在(財)石川県音楽文化振興事業団の専務理事をしている山腰茂樹君がいて、いろんな話をしていた中で、ツィメルマンは自分所有のピアノを持ち歩いてコンサートに臨んでいるとか。今回は関東、関西、北陸の12箇所で1ヵ月にわたる演奏旅行、私はホロヴィッツが持ち歩くのは聞いたことがあるが、これには驚いた。日本にはピアノを3台保有しているとか。彼が言うにはほかにはワイゼンベルクもそうだそうで、現在世界ではこの3人のみとか。当日の演奏曲は、ドビュッシーの「版画」の3曲、前奏曲集第1集の12曲から6曲、シマノフスキーの9つの前奏曲から3曲、それにブラームスのピアノソナタ第2番嬰ヘ短調だった。横長の譜面を見ての演奏だったが、冷徹で緻密、だが磨き抜かれた技と音色は聴衆を魅了した。終わっても拍手が鳴り止まず、何度も挨拶に出られた。本当に去りがたい余韻が漂った演奏だった。あのピアノの音色はスタインウェイではなくベーゼンドルファーだったのだろうか。
3.室井摩耶子 Mayako  Muroi     2012.11.26
 大正10年(1921)生まれの91歳のピアニスト、現オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督の井上道義氏が幼少の頃(6〜9歳)のピアノの師でもあったとのこと。二人のトークで、彼女が急にベルリン音楽大学に留学することになり、替わりに師となった方の指導が気に入らなくて、ピアノが嫌いになったと氏は述懐していた。トークでは彼女は井上さんを「みちよし君」と呼んでいた。曲は始めにシューベルトのピアノ連弾曲の幻想曲ヘ短調作品103より第1楽章を二人の連弾で、再びトークの後、ハイドンのピアノ・ソナタ第49番変ホ長調作品66が演奏された。91歳でまだ現役、彼女の円熟した正確なタッチの演奏は、満席の聴衆に感銘を与えた。井上音楽監督もステージの袖でじっと聴いておられた。アンコールにはシューマンのトロイメライが演奏された。生涯現役を地で行く演奏、老いても元気、県立音楽堂のランチタイムコンサートでこんなに満席になったのは、これが初めてではと井上音楽監督が話していた。因みに彼女は1964年にドイツで出版の『世界150人のピアニスト』として紹介されたという。