2009年9月29日火曜日

西本智美とロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

 西本智美がロンドンのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(RPO)の日本ツアーの指揮者として来日するということで、今度こそはどうしても聴きたいと願っていた。というのも過去に2回、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)を振る予定だったのに、2回とも体調不調とかでドタキャンになった経緯があるからで、今度こそはと意気込んだわけである。この度の日本ツアーは東北から九州にかけての12公演、プログラムの目玉はマーラーの交響曲第5番、ベートーベンの交響曲第7番、それにフレディ・ケンプとのモーツアルトのピアノ協奏曲第20番の共演で、金沢では9月24日に石川県立音楽堂で催された。曲目は始めにモーツアルトの歌劇「後宮からの逃走」序曲、次いでピアノ協奏曲第20番、休憩を挟んでマーラーの交響曲第5番が演奏された。
 ロイヤル・フィルはロンドンが誇る名門5大オーケストラの一つとはいっても、中では最も新しく、第二次世界大戦後の1946年の創設である。既に当時はロンドン交響楽団(1904年創設)を始めとして、BBC交響楽団(1930年創設)、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(1932年創設)とロイヤル・フィル創設前年の1945年に結成されたフィルハーモニア管弦楽団があった。ロイヤル・フィルの創設者はトーマス・ビーチャム、彼はロンドン・フィルを自前で創設したが、その後自主運営団体に移行したために、再び自分の楽団としてロイヤル・フィルを立ち上げた。結成に際しては優秀な楽団員が集められ、4大オーケストラに匹敵する楽団が出来上がった。名称の「ロイヤル」については問題も提起されたが、英国女王から公式に使用が認められ、今日に至っている。
 創設者ビーチャムの死後は自主運営団体となり、以後音楽監督には、ルドルフ・ケンペ、アンタル・ドラティ、アンドレ・プレヴィン、ウラディミール・アシュケナージなど錚々たる顔ぶれが着任し牽引されてきた。その後1996年にイタリアの若いダニエレ・ガッティが音楽監督に就任して、フレッシュな空気の吹込みが図られ、更なる向上が期待されたのに、2008年にはフランス国立管弦楽団の音楽監督に就任したためポストを離れたが、ロイヤル・フィルは彼に桂冠指揮者の称号を与えた。現在は芸術監督兼首席指揮者にはシャルル・デュトワが就任、首席客演指揮者にはピンカス・ズッカーマンが加わっている。そしてこの楽団の特徴として、共演する指揮者やアーティストがバラエティーに富んでいるということが挙げられるとされ、こうした方針が今度の日本ツアーに西本智美を抜擢して指揮者にしたのではという一面がある。またマーラーはロイヤル・フィルでは特によく取り上げている曲目であるという。一方、純粋なクラシックばかりでなく、ライトクラシックやミュージカル・ナンバーの演奏でも定評があるというから、既存の有名オーケストラとは一線を画しているという感がある。オーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督だった岩城宏之氏がポピュラーを取り入れた構想も、案外ロイヤル・フィルの柔軟性や順応性にヒントを得て手を染めた可能性がある。また国内や海外の演奏旅行が多い点の類似もロイヤル・フィルに習ったのではないかと思ったりもする。
 さて、西本智美についてだが、彼女は大阪音楽大学では作曲を専攻していて、指揮は留学したロシアのサンクトペテルブルグ音楽院で学んでいる。従って活躍の舞台は始めは主としてロシアであり、比較的小さな交響楽団や歌劇場の首席指揮者や客演指揮者を歴任している。当時その活躍ぶりが日本でも報道され、女性指揮者として驚きの目で見られたものだ。その後彼女はロシアから東欧、中欧、西欧と活動の拠点を移動しながら、今年はロンドンへ拠点を移そうとしていた矢先、ロイヤル・フィルとの出会いがあり、日本ツアーでの共演が実現したという。まさに僥倖というべきか。またロイヤル・フィルにとっては一つの賭けだったのではなかったかと思う。彼女の信条としては、活動は一か所に固執するのではなく、あちこちに拠点を置いて活動したいという希望があり、日本ツアー以降はバルト三国で、次いではアメリカに渡って活動し、再びヨーロッパに帰るのが目標という。これは彼女の言葉を借りるならば、拠点を移すのではなく、拠点を広げるということだそうで、活動範囲を広げるということになるのだそうだ。でも一面からすれば「渡り鳥」の感がないでもない。もっともまだお若いからそんな冒険もよいのかも知れないが、いつまでもというのには疑問を感じる。
 女の指揮者としては、ピアニストでもあるウラディミール・アシュケナージを一番に思い出すが、彼女はある時期ロイヤル・フィルでも音楽監督兼首席指揮者として席を置いていた。また今でもピアノ奏者としても活躍している。またオーケストラ・アンサンブル金沢の初代指揮者として登場した天沼裕子も今は東欧の歌劇場で活躍しているが、岩城さんがヨーロッパのどこかの指揮者コンクールで優勝した彼女を迎えたものの、彼女の思想は楽団員には受け入れられず、結局彼女は去ることになった。またブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した松尾葉子は今どこで振っているのだろうか。このコンクールは若手指揮者の登竜門としてはつとに有名で広く知られていて、過去には小沢征爾を始めとして、佐渡裕、下野竜也らが優勝しているが、その活躍ぶりは周知のとおりであり、下野竜也は過去2回来沢しているが、指揮者からはオーラが発しているのが感じられ、聴衆が圧倒されるような凄さだったことを思い出す。女性の指揮者にはほかにもおいでるのだろうけど、思い出せない。
 さて、演奏会の当日は、いつものオーケストラ・アンサンブル金沢の定期公演とは違った雰囲気を感じた。この日は北國新聞社の主催であったせいなのかも知れない。音楽堂の主催でないこともあって、音楽堂のチケット売り場での座席の割り当ては少なく、私の席は2階の正面の5列目であった。演奏会当日の入りは8割程度、何故か2階側面では空席が目立った。ロイヤル・フィルは4管編成、室内楽団のオーケストラ・アンサンブル金沢のざっと倍の規模、でもこれは有名交響楽団の普通の編成である。曲目の前半はモーツアルトの「後宮からの逃走」序曲とピアノ協奏曲第20番、パンフレットでは、指揮者は第1曲からは「復讐せず許す」というテーマを読み取れ、第2曲については「こみ上げてくるパッション=情熱/受難の音楽」と受け止められると述べている。しかし凡庸な小生にはそんな大それた奥深さに至るまでもなく、楽しく大編成のオーケストラの音楽を聴かせてもらった。でも、モーツアルトの音楽ならば、大編成よりはむしろ2管編成の方がじっくりと味わえるのではと思った次第である。ピアノ独奏者のフレディ・ケンプにしても、特に素晴らしかったという印象は少なく、8歳から共演しているというから身内のようなもの、今一感動は少なかった。
 後半はテーマのマーラーの交響曲第5番、ロイヤル・フィルが最も得意とするレパートリーの一つでもあることから大いに期待した。しかし指揮者のむしろ単調に思える指揮ぶりを見ていると、指揮者の崇高な想いが楽団員に本当に伝わっているのだろうかという疑問が起きた。ということは、どちらかと言えば、あのロイヤル・フィルがあってこその指揮者西本智美だったのではなかったろうかと。マーラーの音楽は内に秘めたいろいろな想いが表現されていて、聴く人にも自問させるような感慨を与えるものだが、その点では実に素晴らしかったと思う。第1楽章の葬送行進曲を聴いただけで身震いを感じ、フォルティッシモからピアニッシモまでの荘重で優美な旋律の演奏が繰り広げられ、人間の感情のあらゆる表情を醸し出した演奏だった。もしこれがすべて指揮者西本智美の意図したものだとすると、曲もさることながら、彼女の意図が十分伝わっての演奏ということになるが、この曲はロイヤル・フィルの十八番なだけに、あの指揮ぶりからは、むしろ助けられたのではないかと穿った見方をしている。ともあれ、素晴らしかったことには変わりはなく、第5楽章までの70分は長くは感じられなかった。颯爽?と久しぶりに登場した憧れの西本智美にではなく、むしろ渾身の演奏でマーラーを聴かせてくれたロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の面々に感謝して拍手した次第である。

2009年9月15日火曜日

美濃探蕎ー胡蝶庵仙波〔岐阜市)と萬屋町助六(関市)

 平成21年度探蕎会後半の行事は8月上旬の世話人会で大筋が決まり、9月は例年ならば近隣の県のそば屋巡りなのだが、今年は岐阜の胡蝶庵への日帰りということになった。それで胡蝶庵へ行くなら「蕎麦三昧」に挑戦したいと願ったが、胡蝶庵では部屋でしか蕎麦三昧は食べられず、しかも4人限定の2部屋のみ、入ってもし蕎麦三昧にありつけても8人が限度ということになる。事務局で予約すると、1日4名様とか、前田さんの計らいで11日と12日に分けて行くことになった。私は和泉さん夫妻、松川さんと4人で後半の12日の訪問となった。和泉さんの車で、私が野々市で、松川さんが予防医学協会で乗り込み出発、この日だけが生憎の雨模様、6時少し前に金沢西ICから高速道に入る。ETCのトラブルで若干時間を浪費したものの、後は順調、ひるが野PAで休憩し、東海北陸道の関ICで下りる。時刻は8時半、少し早すぎた。 
 ICを下りると、やたら沢山車が止まっている。何とこれがギャラリーの車、知らなかったが、今日は関IC近くにある関CC東コースで全日本女子プロゴルフ選手権大会の3日目とのこと、道理で混んでいるわけだ。車にはナビがなく、大雑把な地図と道路標識を頼りにやっと目印の忠節橋に辿り着いた。ここまで来ればしめたもの、どうやら目的地に着けた。着時間予定を10時半としたが、1時間以上早く着いてしまった。駐車場の一番奥に止めようとしたら、ご主人の仙波さんが出てきて、この場所以外に止めて下さいと言われる。時間つぶしに大通りまで出て、とある喫茶店に入り、時間をかせぐ。11時少し前に胡蝶庵へ戻る。丁度この時間に合わせるように車が2台、岐阜ナンバーだ。ここは10歳以下のお客様は入店不可とある。
 11時丁度に木戸の戸が開けられ、中に入る。予約の方ですねと言われ、奥の一間に通される。手前の部屋には地元の二人が、後でもう一人来た。着座すると直ぐに、末広の赤土色の美濃焼きの茶碗に蕎麦茶がたっぷり出されっる。品書きの蕎麦前はと見ると、特別本醸造の樽酒の片口が630円、房島屋の純米吟醸の片口が840円とある。ほかに達磨正宗の古酒があったが、これは敬遠した。吟醸の「ひやおろし」はと聞くとないとのこと、初めに本醸造の樽酒を頼む。片口は蔓がついた内面金色の陶器のつくり、杯は腰高の磁器、先ずは乾杯する。
 初めに「蕎麦寿し」が出る。細打ちのそばと椎茸、ほうれん草、紅生姜を色に、きっちりと綺麗に巻き上げ、4切れが黒い釉薬を施した厚手の皿に端正に盛られて出てくる。繊細さを感ずる。実に見事である。蕎麦前を純米吟醸にする。酒を替えると、杯も替わる。次いで「吸い物」、黒塗りの椀に松茸の切り身と三つ葉を浮かしたすまし汁、程よいしのぎとなっている。次に「そばがき」、粗挽きの蕎麦粉をしっかりかき込んであって、洗練された荒々しさを感ずる。汁と海塩が付いていて、どちらでもと言われる。蕎麦は酒のツマにはならないと言うが、そばがきで飲むのも一興、純米吟醸を追加する。次いで「卵巻き」が、大振りに切ったのが4切れ、出汁を含んだ焼き目のない巻き、若干緩い感じが、ツマに辛味大根のおろし。そして最後は「天ぷら」、志野の皿に赤い線が踊り、懐紙には車海老と獅子唐が盛られ、それにレモンの串切り、もう一本シメに本醸造の樽酒を貰う。
 最後に「ざるそば」が出た。そばは高杯の使い込まれた笊に盛られている。この手挽き生粉打ちの細打ちは、正に芸術品である。この端境期にあってのこのそば、繊細で瑞々しく、ホシが今にも蠢きそうなそばである。葱も山葵も要らない素晴らしいそばだ。蕎麦湯は別に誂えたもの、程よい濃さがよい。中座して厠へ行くと、玄関の待ち場所には沢山の人が待っている。もう一枚「おろしそば」とのことだったが、長居は失礼だろうと腰を上げることにした。
 品書きは次のようである。[冷]ざる蕎麦945円、とろろざる蕎麦1155円、天ぷらざる蕎麦1575円、おろし蕎麦1155円、[温]かけ蕎麦945円、とろろ蕎麦1155円、天ぷら蕎麦1575円、鴨南ばん1680円、[他」蕎麦三昧3675円、蕎麦寿司945円、そばがき1050円、三種肴1050円、かも汁1050円、卵巻き945円、焼き鴨840円、天ぷら630円、胡麻豆腐525円。
 胡蝶庵でもう一杯を止めたので、もう1軒行くことに、店は「ダンチュウ」という雑誌に出ていた関市本町8丁目交差点のすぐ近くにある「そばきり萬屋町助六」である。今の主人は二代目、先代のときは町の「めん処」として、丼もそば・うどんも中華そばも、そして出前もやっていた。ところが先代が亡くなって店を継いでからは大改革をしたという。出前をなくし、中華そばを止め、うどんを止め、手打ちそば一本にしたという。以前の常連客は去ってしまったが、新しく石臼挽き自家製粉を始め、3年を経て新しいリピーターが付くようになったという。助六のそばはつなぎを入れているが、巾広の「円空鉈切りそば」が名物、これと美濃の酒とはウマが合うという。一度挑戦したいものだ。さて、目指す「助六」は見つかったものの、午後1時頃とて、店の中には立って待つ人もいるという程の満員、駐車場も満杯、雨降りでもあり、またの機会ということにして残念ながら引き返すことに。店の造りは前のままとて、一見何でもありのありふれた食堂という印象、でも中身は中々のものらしい。再見だ。 

2009年9月9日水曜日

「歩く」と「登る」の違いー72歳の白山登山

 私は血糖値が極めて高かった(HbA1cが8%台)こともあり、医師と管理栄養士とから栄養指導と運動療法の指導を受けた。もう2年くらい前になるだろうか。栄養指導では、特にお酒が槍玉に挙がり、晩酌4合を半量の2合に妥協させられた。通常の食事では特に指摘はなかった。ところで運動については、少し歩いて下さいということで、当初は家から半径2kmの地点までの往復を企て、雨が降っていなければ朝食前に歩くことにした。そうこうするうちに、半径2km以内にある白地図の道はすべて赤線が引かれてしまった。昼が短い季節では午前4時や5時台はまだ暗いので、自動車が通る道を歩くときは自己防衛で蛍光ジャケットを着用した。1年ほど経っての検査ではHbA1cの値も6%台になり、さすが効果があったようだった。そこで以後も続けることにしたが、歩くのは夜でも明るいルートを1本選んで歩くことにした。ただ私の住んでいる野々市町は高低差が4mしかない平らな町、そこが金沢市と違うところで、効果的な歩きを実施するには不適である。それで今は金沢市窪町の満願寺山の麓まで往復5.8kmのコースを毎朝歩くことにしている。ただ高低差が25mと少ないのが難点である。歩く時間は約1時間、しかしマンネリになったせいか、それとももう限界なのか、HbA1cが5%台になることはない。またこの歩きは血糖値対策もさることながら、少しは山へ登る足しにでもならないかとの目論見もあるのだが、今回の白山登山で、メタボ対策にはなっても登山対策にはならないということが分かった。ここでは足の鍛錬の成果を試したものの、成果がなかった白山登山での顛末について記す。
 今年はまだ一度も白山へ行ってなく、せめて年に一度はと少し焦り気味に。9月5日の土曜日にと思っていたが、天気がスッキリせず、では日曜日と思ったらOEK(オーケストラアンサンブル金沢)の今シーズン初の定期演奏会、それじゃ休んで月曜日にでも。休暇の連絡は、東京に滞在の家内にしてもらうことにしての白山行きとなった。装備は山ヤとして恥ずかしくない必要最低限のものを持つことに、重量は7kg程度。家を出たのは5時10分前、別当出合の駐車場まで1時間10分、朝の車の駐車状況は、市ノ瀬50台位、別当出合100台位だった。もっともこの中には日曜午後の規制解除後に入った車もあろうし、またこの後に入ってくる車もあろうが、私が着いた頃はそのような状況で、まさに今から登ろうとしているのが数組いた。中に小学生らしい女の子を同伴している親子がいたが、学校を休んでの登山なのだろうか。
 駐車場から出会いのセンターまでは10分50mの上りである。センターには数人いたが、大半は出かけたようだった。中年の白山初めての男性、格好からして登山素人の人、指導員から観光新道からの上りは下山路にした方がと言われていた。歩き始めは私と一緒、私は歩きに自信がないことから、彼にお先にどうぞと言ったが、後でいいと言うことで私が先に、私はマイペースでゆっくり休まずに、彼氏は休んだ分だけ送れた。中飯場までの間にランニングスタイルの若者2人が駆け抜けていったし、また仲良し三人娘にもお先にと越された。私は糖尿病性神経障害ということもあって、足の裏が痺れているような感じがあり、今一登山靴と山道との間にフィット感がない。従って足元をしっかり見て歩かないとという前田さんの言を思い出しながら歩く。遅くても安全第一だと心して歩く。三人娘は中飯場にいたが、私が着くや手を振って出立していった。中飯場から別当覗の間で、立派な髭を蓄えた軍人なら大将格の御仁を越したが、話を聞くと、土曜に来たけれど天気が悪かったので今日また登るのだと。軍服のような出で立ち、私は72歳だというともっと上だと、恐れ入った。新しい迂回路に入ってダブルストックを持った長身の若者に道を譲る。朝8時、天気はよく晴れていて、陽が当たると暑いくらいだ。そろそろ迂回路の出口という処でかの三人娘に会った。座り込んでおにぎりをパクついていた。もう少しで小屋なのにと言うと、お腹が空いたからと言う。若くて元気でも空腹じゃシャリバテもしよう。お先にと言って先へ進む。もう甚之助小屋に近いという場所で、お相撲さん似の人が下りて来た。室堂を一番先に出たのだろうか、ゆっくりゆっくり下っていった。この日下る人に会った第一号だった。
 小屋で少憩の後、水平道(展望)分岐へ、これまでなら20分で着くのに30分もかかる。今日は晴れていて眺望がきく。砂防新道へ。二の坂を登ると、三の坂に点々と先行者が連なって見え、先頭は坂の頂に達している。十二曲りの急登でも、つづら折れの坂には点々と登山者が、ここでも私より年輩の紳士に出会った。ゆっくりと私と大体同じペース、でも延命水を汲んでゆくとかでリュックを下ろされた。坂上から下を見ると、お姉さんが一人速いピッチで登ってくるのが見えた。坂の上の方に来て、時々立ち止まる。これで私も安心して立ち止まれるというもの、どうやら私の方が先に黒ボコ岩に逃げ込めた。ここでは十数人がたむろしていて、写真を撮りあっている。お母さん三人組の一人が元気がない。見ると何が入っているのかザックがすごく膨らんでいる。肝っ玉母さんのような方が持ってみて、こんなに重けりゃバテルわよと、私がそれを背負ってあげると。エライ。弥陀ヶ原の木道を歩いて五葉坂下に着いたら、あの肝っ玉母さんは、ここまで来たら室堂に着いたも同然よと言う。私など、これからもう一本100mの登りがと思うのだが、大したものだ。この坂は後輩が春にホワイトアウトで遭難死した場所でもあり、何となく今は通行禁止の水屋尻の径の方が好きだ。もう坂の頂に近いところで、夫婦のご婦人の方がうずくまっていた。もう1分も歩けば室堂が見えますよと言うと、少し元気が出たようだった。その時外国の元気な坊や達が十人ばかり、3人の大人に引率されて下りてきた。皆コンニチワと挨拶をして下っていった。清々しい。そしてどうやら室堂に着いた。 
 室堂センターには登山者はまばら、前の広場にもそんなに多くはいない。50人ばかりか、もっとも御前峰への登路には点々と登山者が見える。ここまで休みを入れて3時間46分、以前なら3時間だったのにと、この歳ではもうこれより速いペースは考えられない。休みは合計して18分、差し引いても3時間半だ。衰えは歴然、当初は大汝峰へも回る予定だったが、今日は御前峰だけにしておこうと、自信の無さが顔を出す。食事をして御前へ向かう。登り始めて気が付いたのだが、標高2000mまでは雲の海、それが徐々に上がってくる。頂上に着く頃にはその雲海の高さは2300mの高さに、別山も頂上が見えるのみの有様、東の方の北アルプスも同様で、山の頂のみが遠望できるのみ、奥の宮に着いてお参りをする。下の室堂平にある奥宮の社務所には、お宮は8月31日で閉めましたと張り紙してあったが、例年ならば賽銭箱は置いてあるのに、今年は取り外してあって、お賽銭は上げられず終いになった。登山者がある間は、置いておけばよいのに、大汝峰と別山にもお宮があるが、そこも撤去したのだろうか。昨年は白山比め神社の千五百年祭があって、白山奥宮の社務所は7月末で神官が居なくなったが、頂上奥宮には賽銭箱は置いてあった。昨年秋、室堂閉鎖後の10月18日に平瀬から登った際、頂上奥宮にお参りしたところ、賽銭を入れるとチャリンともいわないので見ると、賽銭箱は満杯になった状態、そこで白山比め神社に電話して、忙しいのは分かるが、せめて室堂閉鎖のときに白山観光協会の職員にでもお願いして、お賽銭を下ろせなかったのですかと言ったら、えらく恐縮していたが、その後どう処置されたのだろうか。それにしても、神官が山を下りると、賽銭箱も外すとは如何なものか。因みに白山観光協会は白山比め神社内にある外郭団体なのだが。
 頂には50人ばかり、若い男女が多く、皆さん眺望を楽しんでおいでる。私も大汝へ行かないと決めて、ゆっくり30分ばかり滞在した。下りもゆっくり下る。時々足がもつれる感じもするので尚更だ。中に二人走って下る人が、径を譲るとスミマセンと言って駆け下りていった。若いときは競い合ったこともあるが、とても今は出来ない。下りに22分も要した。以前より5~7分余計にかかっている。上りだけでなく下りでも歳を感ずる。
 下山するには少々早いが、午後1時前に室堂を発つ。五葉坂でまた一人サポートタイツを着けた走り組が、坂は石組みなので、駆け下りるとまではゆかないが、かなりのスピードで下りていった。弥陀ヶ原の木道は駆け足で、近頃はこの種のトレイルランナーが増えてきたようだ。エコーラインからのんびり下る。下るにつれてガスの中に入る。水平道から砂防新道との三叉路へ、この辺りから上りの人が目立つようになる。大きな荷物の人は、南竜のテント場だろう。夫婦や恋人同士の数組に会う。南竜小屋は外側が大分傷んでいたが、見ると足場が組まれていて、修復しているようだ。荷の少ない人は小屋泊まりなのだろう。明日の天気予報は曇りか霧だった。甚之助小屋に着いたのが午後2時近く、ここでも何十人もの登山者がいた。今からだと泊まり、南竜にしろ室堂にしろゆっくり時間がある。でも驚いたことに別当の七曲りで若い女性一人が登ってくるのに出会った。時刻は午後3時、荷はほとんど持っていないものの、小屋へは日没寸前になるだろう。ベテランなのかも知れない。こうして今年初の白山行は終った。下りはエコー経由で2時間38分を要した。72歳ではこんなものか。

2009年9月1日火曜日

東北の秘湯:八幡平周辺の温泉

 八幡平は深田久弥日本百名山に入っていて、秋田と岩手に跨っている。標高は1613mで、頂上らしきものはなく、山頂と思しき場所に展望台が建てられている。ここには「八幡平頂上」というバス停や見返峠駐車場があり、標高は1541mで、岩手・秋田の県境、八幡平アスピーテラインと八幡平樹海ラインの交差点でもある。ここから八幡平の山頂までは1.3kmの距離である。一帯はなだらかな高原状で、地塘が散在している。この地域一帯は、昭和31年に八幡平、秋田駒ヶ岳(二百名山)、岩手山(百名山)の特別区域を含む八幡平地域が、十和田国立公園に追加指定され、十和田八幡平国立公園となった。またこの八幡平一帯には多くの温泉が点在していて、新玉川温泉への湯治の際には探訪することにしている。マイカーでなく路線バスを利用するので、1日に1湯しか巡れないから1年に1湯、3年かけてようやく3湯をゲットした。いずれも秘湯というのに相応しい温泉で、みな個性があって面白い。
1.後生掛(ごしょがけ)温泉 (秋田県鹿角市八幡平熊沢国有林内後生掛)                                
 後生掛温泉の場所は、玉川温泉との間にある焼山を挟んで丁度反対側に位置している。玉川温泉からは向かいの焼山へ登り、毛せん峠を経て行く登山道があり、歩いて5時間ほどで着ける。路線バスだと、焼山を大きく迂回して行くことになる。新玉川温泉からは八幡平頂上行きのバスに乗り、八幡平アスピーテラインのバス停「後生掛温泉」で降り、300mばかりの緩い坂道を下ると温泉宿に達する。右手に大きな湯治棟、左手に旅館棟がある。ここは標高1000mばかり、ここからは奥へ後生掛自然研究路という約2km/約40分のコースが延びていて、いろんな火山現象を見ることができるので、巡るとよい。
 舗装された道を暫く歩くと、右手川原に大きな熱湯が噴出している場所があって、「オナメ(妾)」だという。またその隣りには激しく水蒸気が噴出している「モトメ(本妻)」という場所があり、この温泉の名称の謂われとなっている。さらに進むと「紺屋地獄」があり、煮えたぎった黒青色の泥湯が溜まっている池が、そして次には「小坊主地獄」と呼ばれる、泥湯が泡立つ「マッドポッド」の光景が見られる。そして更に進むと、およそ1haはあるという大湯沼が現れ、展望台まで登るとこの沼の全貌を見ることができる。ここで左折して沢に沿った道を行くと、「中坊主地獄」と呼ばれる強酸性の湯が湧き出ている場所がある。さらに進むと、「泥火山」といって、水分を多量に含む粘土が火山が噴火しているように噴き上がっている泥池に達する。そして噴気孔、正に火山活動を間近に見ることができるコースである。途中の売店で、ここでしかないという黒いゆで卵を求めたが、後で宿へ帰ってから開けて見ると、色はかなり薄れていて、何か狐にばかされたような感じがした。
 入湯料400円を払って湯屋に入る。ここのお湯は、正に今見てきた泥湯そのもの、大きな箱型に入った泥湯に身を沈めると、何とも奇妙な感じである。泥は極めて肌理が細かく、身にまつわりついてくる。泥湯は裏の泥湯池から引いてくるとか、出るときはなるべく泥を落として上がって下さいとある。箱から出て、残りの泥を滝湯で流してから大浴場に入る。女性は美容のため、顔を含め体全体に塗布するとか。またここにはオンドル棟もあって、年中地熱で床が温まっていて、リウマチや神経痛の湯治に使われているという。
 湯から上がって食事をして、帰りのバスの時間を見計らって温泉を出る。バス停までは300mばかりの上り、急ぐと息が切れる。バス停に着くと、左手に大沼が見え、湖畔に大沼温泉が、ここにもバス停がある。また目を右に転ずると、八幡平温泉が見える。
2.蒸(ふけ)ノ湯温泉 (秋田県鹿角市八幡平熊沢国有林内蒸ノ湯)
 後生掛温泉から八幡平頂上へ向かって、バスでアスピーテラインを標高で200mばかり登ったところに「大深温泉」のバス停があるが、そこから急な枝道をおよそ100mばかりクネクネと下ると、そこに「ふけの湯」のバス停がある。途中にスキーのリフトがあったが、今は使われていない。以前にはもっと高いところまでリフトが延びていて、蒸ノ湯まで滑り込んだというが、今はリフトは残骸となっている。バス停からさらに徒歩で下ると蒸ノ湯がある。木造の校舎のような建物で、玄関を入ると正面に「ふけの湯神社」が鎮座していて、左右に大きな一対の「金勢(精)さま」があり、その間には沢山の金勢さまが所狭しと並べられている。何でも此処の湯は「子宝の湯」として知られていて、子宝が授かった湯治客がお礼に金勢さまを奉納するのだとか。建物の中にも内湯があるが、はるか向こうに湯煙が上がっている大きな露天風呂が見えていて、そこへ入ることに。入湯料500円を払い、荷物を預け、露天風呂へ向かう。大きなヒバの浴槽が2つ、聞くと、元はこの場所に建物があったが、土砂崩れで倒壊し、建物は現在地に移したが、浴槽はそのままにして露天風呂として使っているとかである。浴槽の周りにはスノコが敷かれていて、湯から上がったらそこで寛ぐこともでき、ここでビールを飲んだら最高だろうなと話す。でも本館とはかなり離れていて、それは叶わない。湯量は大変多く、掛け流しである。ここは標高1100m、見上げると、一帯はブナやダケカンバの緑一色、何でもマイナスイオンの含有量が日本で最大とか、ともかく実に素晴らしい環境である。お湯は淡い乳白色をしていて、目にも優しい。上がって本館に戻り、食堂で地ビールと地酒を飲み、山菜そばを食べる。
 ここは「日本秘湯を守る会」の一員。営業は4月中旬から11月上旬まで、冬季は休業となる。
3.藤七温泉「彩雲荘」 (岩手県八幡平市松尾寄木北の又)
 バス停「八幡平頂上」にある八幡平パークサービスセンターから南に目を向けると、下に藤七温泉「彩雲荘」の赤い屋根が見える。いつかは一度行きたいと思っていた温泉だ。この日は新玉川温泉からバスで終点の八幡平頂上まで上り、頂上のバス停まで藤七温泉のマイクロバスで迎えに来てくれるように予めお願いしておいた。昨年は都合で送迎して貰えず、行けなかった。もっとも車道を歩いても約2kmと150mばかりの下りだが、帰りはその逆で大変である。藤七温泉からは、天気が好ければ、岩手山や秋田駒ケ岳、それに八幡平の南半分を独り占めしたように眺めることができる。何でも東北では最も高所にある温泉とか、標高は1400mである。従って営業は4月末日から10月末日までで、冬季は休業である。
 宿は二階建ての木造、冬は雪に閉じ込められる山の宿とて、立派なものではない。しかし、ここの露天風呂は実に素晴らしい。混浴の露天風呂は5箇所、それに女性用が1箇所、本館には内湯に続く外湯が男女各1つ、私達は玄関右手の露天風呂群へ出かける。日帰り入湯は600円、木戸を通って脱衣場から露天風呂へ、一番目の露天風呂には夫婦の先客がいた。乳白色のお湯は湯温を調節してある。暫く間があってから、ご婦人が一番上の露天風呂に行ってごらんなさいと。何でもその風呂では湯床からブクブクと気泡が出ていて、ジャグジーみたいな感じで気持ちがいいですよと教えてくれた。早速50mばかり先にある風呂へ坂を登っていく。その露天風呂はそんなに大きくはないが、入ると底からそんなに激しくはないものの、しょっちゅう気泡がそこここから出ている。こんな経験は初めてだ。どうもこの一番上の露天風呂のみが特に激しいらしい。一番高みにあるので、露天風呂全体を見下ろすことができ、実によい眺めである。順に下の風呂へと入りながら下る。風呂の泉質は少しずつ違うような印象を受ける。一番下の右手に簾で囲って大きく「女」と書かれた女性専用の露天風呂がある。上がって昼食にする。食事はバイキング、そばも出た。客は20人ばかり、今日は天気がよくなく、ガスがかかっている。少憩の後、マイクロバスで八幡平頂上のバス停まで送ってもらう。天気が良かったら最高だったろうに。聞けば、この湯も「日本秘湯を守る会」のメンバーだった。

 以下に、温泉巡りをした三湯の[泉質]と[適応症]を挙げる。
1.後生掛温泉。[泉質]酸性単純硫黄泉。[適応症]神経痛、リウマチ、喘息、冷え性、婦人病、血行障害など。[泉温]94℃。
2.蒸ノ湯温泉。[泉質]単純酸性泉・低張性酸性高温泉。[適応症]神経痛、リウマチ、婦人病など。「子宝の湯」として知られる。[泉温]96~98℃。
3.藤七温泉。[泉質]単純硫黄泉。[適応症]神経痛、慢性消化器病、糖尿病、皮膚病、動脈硬化症、婦人病、冷え性など。[泉温]91℃。