2016年3月29日火曜日

「蕎麦やまぎし」白山市左礫町で再開

1.はじめに
 山岸さんは県を退職された後、独学で蕎麦打ちを会得され、8年前に金沢市此花町のビルの一角に、十割蕎麦を提供する11席の小さな店を持たれた。ところでこの店、金沢駅に近いこと、個性が光る名物蕎麦とあって、地元の客よりも、むしろ金沢に観光に来られた一見の客の方が多いようだった。しかも近頃は初めての方でも、スマホ片手に簡単に店の場所を当ててお出でになる。私は開店された時には所在が分からなくて往生したというのにである。そんな状況であったからして、随分と繁盛していた。営業は午前11時半から午後2時半まで、それも売り切れ次第終了であった。こんな状況だったにもかかわらず、山岸さんは期することがあって、昨年の12月31日午後8時30分をもって閉店してしまった。その後に頂いた案内では、実家のある旧鳥越村の白山市左礫 (ひだりつぶて) 町で、限界集落の創生に一役買いたくて、3月下旬を目処に「蕎麦やまぎし」を再開する予定なので、また宜しくとのことだった。

2.3月26日に再開した「蕎麦やまぎし」へ
 金沢から左礫までは凡そ34km、とすると野々市からは約30km、朝9時50分に家を出た。旧鶴来街道を南へ、月橋交差点から鶴来山手バイパスを経て国道157号線の白山町南交差点に出る。此処から国道を横切り、手取川に架かる鳥越大橋を渡り、県道44号線 (小松鳥越鶴来線) をひたすら南下する。旧鳥越村役場のあった別宮で国道360号線を横断し、更に南下すると、別宮から約4kmで左礫に到着する。ここは大日川右岸の河岸段丘にある町、見たところ平地はほとんどなくて、まさに山村そのものである。通りの右手にバス停があり、その向かいに、1字ずつ「蕎」「麦」「や」「ま」「ぎ」「し」と書かれた板片が民家の外壁に貼付けられていて、場所はすぐに分かった。ここまで家から40分ばかり、駐車場がないので案内を乞うて訊ねると、道路に寄せて駐車すればとのこと、道路脇に停めた。まだ時間があるので、村の中をブラつく。緩い斜面に民家が20軒ばかり、中には立派な構えの家も見受けられる。道で5人ばかりに出会った。訊くと数日前に山岸さんに呼ばれて蕎麦を振る舞われたとかだった。
山岸さんの家の前には開店祝いの大きな花輪が、玄関に入ると、左手に券売機、品数は金沢の時とほぼ同じだ。私は金沢の時は「田舎粗挽き」と財宝 (芋焼酎) 2杯が定番だったが、この日は車運転なので、挽きぐるみの「白」と殻つきの「田舎」の並盛り (普通) と新しくメニューに加わった「天ぷら」を 貰うことに。仏壇が置かれている部屋には、お祝いの胡蝶蘭の鉢や祝酒が沢山置かれていた。私も御祝儀を包んだ。入り口の板の間には薪ストーブが2基置かれ、4席と7席座れるテーブルが2脚、4畳の間には4人座れる座机、座敷には5人座れる座机が置かれ、既に2組4人が入っていた。
 中には山岸さんのほかに若い女性が1人と、地元の方と見受けられる婆さんが2人、初日とあってか段取りが上手く行かない。特に天ぷらは皆さんが注文するので、小さい鍋では極めて効率が悪く、しかも担当が婆さん一人とあって、5品 ( 茄子、さつま芋、南瓜、蕗の薹、椎茸 ) 付くのだが、一品づつ揚げたのを持って来られるので、誰に何を出したかこんがらかってしまう始末、慣れて軌道に乗るまでには当分時間がかかりそうだ。私は先に「白」を、そして「黒」の時に天ぷらをお願いしたが、これも思うようにはことが運ばなかった。同席の方達との会話では、ここ左礫に常住している人は10人ばかりとか、本当なのだろうか。一見とても限界集落には見えないのだが。
 山岸さんはこの生家で店を開くに当たって、無住だった家の改修はすべて本人が自身でなされたとかだった。おえの間の板張りも実にきれいな仕上がり、営業許可を得るには、最低限必要な環境は整えて置かねばならないはずだが、それにしても本当に器用な人だ。

3.メ モ
・お品書き:
〔そばは十割〕田舎、白、粗挽き、田舎太切り、白太切り。 普通盛り800 円、大盛り1000 円。
〔そばがき〕400 円。〔酒肴〕250 円。
〔飲み物〕日本酒 130ml 上 450 円、並 350 円。 焼酎 100ml 200 円。 ジュース 200 円。
     ビール  中びん 450 円、小びん 350 円。 ノンアルコール 250 円。
・所在地:〒 920ー2353 白山市左礫町 ニ 55番地。
・営業時間:午前11時から午後3時まで。
・定休日:水曜日、木曜日。
・営業形態:原則として前日までの予約制。予約なしの場合は蕎麦打ち時間 30 分待ち。
・電話、ファックス:076−254−2322
・携帯:080−8997−7714
・交通:ずっと以前には金沢から左礫まで路線バスが1日2本あったが、現在はない。
    現在は白山市のコミュニティバスが別宮や釜清水から午前2本 午後2本運行されている。

2016年3月20日日曜日

大白川の秘湯と能登島のそば(その2)

(承前)
3.3月13日 (日)・14日 (月) 平湯温泉・藤助の湯 ふじや
 午後2時過ぎにせせらぎ公園駐車場を後にする。国道 156 号線、通称白川街道をさらに南下し、バイパスを外れて旧道を平瀬に入ると、右手に目指す宿がある。チェックインの2時30分には少々早かったが宿に入る。3月とて、おえの間には赤い毛氈を敷いた雛壇が飾られている。土間にある大きな薪ストーブの辺りで茶菓の接待を受けた。その後、案内されたのは別館の別棟2階の野紺菊の間という和室、この宿は本館4室、別館10室のこじんまりとした宿である。部屋で少々寛いでから風呂へ、ここは源泉かけ流し、露天の湯の風情がよい。
 ここの湯は別名「大白川の湯」といい、源泉は庄川支流の大白川の上流12km にあり、そこから湯を引いている。この川の上流には白水の滝という名瀑があり、その上流に造られているダム湖の白水湖ができる以前には、谷間に大白川温泉という鄙びた宿があった。しかしダムが建設され、温泉は埋没してしまった。でもその後、ダム湖畔に別の泉源が見つかり、現在はこの93.2℃の源泉から平瀬の宿まで引湯している。泉質は含硫黄ーナトリウムー塩化物泉 (弱アルカリ性低張性高温泉) である。ゆっくり露天風呂にも入って後、部屋でワインを飲み、テレビで大相撲を観戦する。今日は春場所初日、この日は横綱二人に土がついた。それにしても幕内に石川出身の地元力士がいないのは寂しい限りだ。
 午後6時になり、指定された母屋にある炉のある食事処へ。お品書きを見ると、地元の材料ばかり、初めに「ふじやの花梨酒」で乾杯する。前菜は竹籠に入った大きな朴の葉の上に。蕗の薹、菜の花、山葵の葉、独活、浅葱、里芋、胡桃などが載っている。そしてその後順に十品が間を置いて出てきた。中でも飛騨牛の陶板焼きはボリューム満点で圧巻だったし、天子の塩焼きや、茶碗蒸しに添えられた桜の花弁も新鮮だった。酒は飛騨の生酒・古川の白真弓、十分堪能した。満腹になり、山菜の天ぷらとミニ釜で炊き上げられた飛騨コシヒカリと粟の御飯は海苔巻きにしてもらい、部屋に届けてもらった。
 翌朝起きて外を見ると、一面真っ白、粉雪が舞っている。朝風呂に行く。露天風呂に置いてあった菅笠を冠って湯に入った。粋な風情だ。泊まり客は3組だけのようだ。昨日は男風呂が混んでいたが、居合わせたのは外来の入浴客だったようだ。外気は冷たいが、湯に入っていると程よい心地である。ここには男女の風呂のほかに、家族用貸切りの半露天の風呂が2つあるとのことだった。
 今朝の食事は8時半にお願いしてあり、朝の NHK の BS での連続テレビ小説を観てから食事に出かけることができた。通常山の宿では BS が映らないことが多いのに、ここでは OK だったのは嬉しかった。朝も品数は 10 品ばかり、中でも朴葉焼きは素朴で飛騨らしかった。私は食事後、今一度小雪の舞う露天風呂で寛いだ。
 さて今日はこれからどうしようか。東へ行こうか、南へ行こうか、それとも北へ。私は思案がつかない時は賽を振るか、二者択一ならば鉛筆を転がすのだが。それでこの日は観光はともかく、昼は「そば」を食べようということになった。とすると、東なら高山か飛騨古川、南なら荘川か越前、北なら長駆して能登島の「槐」の提案、そうしたら難なく新しく出来た能越自動車道を通って七尾へ出ようということになった。
 
4.3月14日 (月) 能越自動車道を経由して能登島の「槐」へ
 10時過ぎに宿を出た。周りの山々は真っ白な綿帽子を冠ったような風情、幻想的でさえある。一旦南へ下がってからバイパスに出ることに。というのは以前に何回か利用した立派で大きな共同浴場を見るためで、在れば外来の客がわざわざ「ふじや」の湯に入りに来なくてもと思ったからである。すると今は大改装中、これで合点がいった。平瀬バイパスを北へ、そして白川街道へ、途中に帰雲城跡の標識、寄ろうかと思ったが家内に一蹴され諦める。もうこうなれば七尾へ一直線。白川郷 IC で東海北陸自動車道に入り、小矢部砺波 Jct から能越自動車道へ、途中高岡 IC 付近に料金所があり、200 円を支払う。IC を過ぎると2車線になり、高速道路から自動車専用道路となる。通行車両は多くなく、快適に北上する。富山と石川の県境にさしかかると、県境に真新しい木造の建物、停まって入るとそれは木の香がするトイレだった。ここは高台で海岸も近く富山湾を望め、左手の山並みは石動山に続いているという。現在はこの自動車道は七尾までで、その後は一旦一般道に下りた後、自動車道の和倉 IC を経由して能登島へ向かう。
 能登島向田にある生蕎麦「槐」には12時半に着いた。駐車場に車がないのでひょっとして休みかと心配したが、暖簾が下がっていた。座敷に入り、挽きぐるみと田舎の二色盛りと、更科のしょうが切を注文する。先客が1組いた。その後3組が入来。そばは十割の細打ち、この前に家内と訪れた時は、遅くて更科しか残っていなかったが、私はともかく、家内にとって此処のこのいわゆる「そば」は初めてなのだが、感想は上々とのことだった。また変わりそばも繊細な細打ちで、生姜の仄かな香りがした逸品だった。来た甲斐があったというものだ。
 辞して車で和倉 IC に着くと、金沢も輪島も珠洲も右折とある。標識にしたがって車を進める。すると、とある交差点で金沢は左、輪島・珠洲は右とあり、左へ進むと車は能登里山海道の徳田大津 Jct に出た。金沢から和倉へはこのルートを通るのが賢明だと、初めて気付いた。
 こうして2日間の旅は終わった。走行キロ数は 330 km だった。

2016年3月17日木曜日

大白川の秘湯と能登島のそば(その1)

1.はじめに
 唱和50年 (1965) に、当時の朝日旅行会 (現株式会社 朝日旅行) によって、(社) 日本秘湯を守る会が設立され、平成27年 (2015) 現在、31都道県に178軒の会員宿がある。そして3年間の間にこれらの宿の10軒に宿泊すると、訪れた宿の中から希望で選んだ1軒に、年末年始、ゴールデンウイーク、旧盆以外の日曜〜金曜に、1泊宿泊の招待をされるという仕掛けになっている。ただこれに該当する宿泊は、あくまでも個人で行った時のみであって、団体で行ったような場合には該当しない。探蕎会でも過去に3度ばかりこの会の宿に泊まったことがある。
スタンプ帳を見ると、平成25年 (2013) 4月に2巡目のラリーに入り、この3月で有効期限が切れることが判り、慌てて比較的近くにある岐阜県の平瀬温泉の「ふじや」に出かけた。これまで2巡目で訪れたのは、長野県の奥山田温泉3回、角間温泉、七味温泉、白骨温泉、中の湯温泉、小谷温泉に各1回、岐阜県の福地温泉に1回の計9回である。年別では、初年が5回と最も多く、2年目3回、3年目1回、そして今年1回で、計10回となる。

2.3月13日 (日) 一路白川郷へ
 朝9時半に家を出た。天気は良く、山側環状道路ー北陸自動車道ー東海北陸自動車道と継いで、白川郷 IC で下り、国道 156 号線を南下し、先ずは荻町の白川郷合掌造り集落へ寄る。世界文化遺産に指定され、国指定の重要伝統的建造物保存地区であることからして、平成26年 (2014) 4月以降は集落内に車を入れないとかで、村営せせらぎ公園駐車場へと誘導された。この有料駐車場は集落とは庄川を挟んだ対岸にあり、案内では大型バス38台と普通車188台が駐車可能とある。着いたのは11時過ぎだった。普通車のスペースは若干余裕があるものの、観光バススペースは残りが少ないようだった。そして駐車場に隣接した庄川左岸の堤防には、まだ雪が残っていた。でも対岸に見える集落の家々の屋根には雪は全くない。
 庄川に架かった「であい橋」を渡る。橋の幅が比較的狭いので、左側通行でお願いしますとある。見ると日本語ばかりでなく、英語、中国語、韓国語でも表示してある。確かに中国や台湾の人たちも多く見受けられ、皆さんスマホを持ち歩いている。橋を渡り、神社の脇を通って集落に入る。今日は日曜日のせいか、とにかく人が多い。村の中心を縦貫している旧国道156線の本通りを横切り、先ずは山手にある明善寺へ向かう。ここは岐阜県の重文とある。山手の東通りに沿って歩く。途中に手打ちそば処と書かれた幟が出ている店があり、沢山の人が並んでいた。中を窺うと、止まり木のみの小さな店だった。気が動いたが諦めて、更に進んでやはり岐阜県重文の長瀬家に入る。この家は白川郷最大級の5階建ての合掌造り家屋、五箇山の合掌造りの家には入ったことがあるが、白川郷では初めてだった。入館料は大人300円、1階には祝祭道具と代々漢方医の当主が使用していたという薬棚、中でも大きな仏壇と九段重ねの朱塗りの盃と片口には目を見張った。3階には生活用品等、4階には山仕事に使う道具や農機具などの展示、私たちが小さい頃に周りにあった品々の数々を懐かしく見ることが出来た。また屋根裏に結わえてある縄の色が真新しく、訊くと5年前に80年ぶりに屋根の葺き替えをしたとか。その模様は NHK で放映されたとか、そう言えば私も見た記憶がある。またこの前に此処を訪れた時は、丁度「結い」で茅葺きの屋根の葺き替えをしているのに遭遇したことを思い出した。
 昼も過ぎて、展望台へは上がらずに本通りへ戻り南下する。とにかく外国人観光客が多い。東洋人に混じってフランス人のご一行もいる。通りに面して「五平餅」「みたらしだんご」と書かれた看板が出ている店には人だかりがしていて、外国の方もいる。家内は食べたいと言って列についた。暫くして嬉々として団子を2本ゲットしてきた。私にも1本と差し出してくれたが、ノーサンキュウである。食べながらブラつき、やがて1軒の軽食堂に入った。ここも店内は客で溢れている。店前に置いてある順待ちのノートに記帳し、暫く待って案内され中へ入る。家内は山菜うどん、私は山菜そばを注文する。暫くして、空いた隣りのテーブルに、シンガポールかマレーシアからと思しき6人が掛けた。皆さんスマホを駆使している。見ればお品書きには英語でも名称と内容が記されている。店員は会話は無理だが、片言での品物の説明は OK のようだった。それにしてもこの店、40人は優に入ろうというのに、厨房には3人ばかり、品は何でも有りなこともあって、手がまわらないのか、私たちも注文してから届くまで30分以上も待たされた。隣のテーブルも注文はそれぞれが個々に別々、何でも有りにしては仕事は丁寧なように感じたが、いつ皆が食べ終わるのだろうか、人ごとながら気になった。
 再び本通りに出てブラつく。車が通らないので歩行者天国のような感じ。外国人がやけに多いように感じる。以前にも何回か訪れているが、こんなに多いのは初めてだ。橋を渡ってせせらぎ公園に戻り、堤防を歩き、県重文9棟があるという合掌造り民家園まで歩く。傍らにはそば道場もある。民家園に入ろうと思ったがかなり広大で、料金所の前で引き返した。そろそろ午後2時近く、駐車場への帰り際、「総合案内であいの館」に寄った。そこにはここ白川郷の各国語のパンフレットが置いてあった。日本語のほか、中国語、韓国語、タイ語、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語など、高山市内でも外国語パンフレットを見たことがあるが、こんなに多言語のにお目にかかったのは初めてだった。

2016年3月4日金曜日

久保さん夫妻とのみちのくへの蕎麦屋巡り(その4)

6.四度目のみちのく蕎麦ツアー 平成19年 (2007) 10月6日〜8日
このツアーに参加したのは、初回から連続参加の久保夫妻、小塩、松田と私と、3回目の石黒、2回目の越浦、和泉、松川に、初回の池端、和泉夫人、小山の総勢12人の諸氏である。
第1日 10月6日 (土)
 過去3回マイクロバスの運転を担当されてきた砂川さんが退会されてしまって、長距離のバス旅行が危ぶまれたが、ここに救世主の泉さんが登場された。感謝感激である。早朝白山市の「和泉」駐車場に集結し出発する。途中バスから立山から昇る朝日に遇う。今日最初に目指すのは上山市金瓶にある「想耕庵」、この地は旧金瓶村と言って、斎藤茂吉の故郷であり、斎藤茂吉記念館もあり、久保夫妻の思い入れも一入だったろう。昼に着いた。古い門構え、入ると庭は一面の野菜畑、母屋は元は豪商の離れだったとか、何とも野趣に富んだ店ではある。野菜天の材料は自家産、所で出された板そばには茹でむらがあり、久保さんの言では、まだ素人さんだねということだった。窓下には須川が流れ、外には粉雪と見紛う小虫の乱舞、実はそれは薄 (すすき) の穂絮だと主に教えてもらった。
 次いで近くにある「斎藤茂吉記念館」へ寄り、1時間ばかり見学した。その後には長駆北上して、今宵の宿がある尾花沢市の銀山温泉にある老舗旅館「古山閣」へ向かう。旅館街は銀山川に沿ってあり、上流には銀山跡、往時には加賀、能登、越中から多くの鉱夫が来て賑わったとか、この旅館の先祖も加賀の出身だという。また「能登屋」という大きな老舗旅館もある。ところで私たちが泊まったのは本館ではなくて、離れの蔵屋敷、それでお湯は歩いて5分の本館まで行かねばならないのが難儀だった。夕食後、銀山川の辺りで開かれていた花笠踊りのイベントを見に出かけた。
第2日 10月7日 (日)
 8時に宿を出て、今日は長駆南下して米沢市へ、そして前回も訪れた「蕎酔庵」へ。タイミングよく開店時間に入れた。蕎麦前の後、十割と二八を頂く。ところで新蕎麦だというのに久保さんは浮かない顔、主人の言では、使ったのは地元の極早生で、香りが今一とか、そのせいだった。この後近くにある「東光の酒蔵」を見学し、小野川温泉の「やな川旅館」へ向かった。若衆はサイクリングを楽しむ。
第3日 10月8日 (月・祝)
 8時過ぎに宿を出て、大峠トンネルを抜けて福島へ、道の駅で「くらはく」(喜多方蔵のまちづくり博覧会)があると知り、喜多方市の「喜多方蔵の里」へ、この日は無料とかで、いろんな蔵を見学できた。また久保夫人の案内で、古い茅葺きの曲がり家にも案内して頂けた。そして今日のお目当ては、会津若松市にある超人気店の「桐屋夢見亭」、地酒と「飯豊権現蕎麦」でこの度の探蕎の旅を締めた。

6.五度目のみちのく蕎麦ツアー 平成21年 (2009) 10月23日〜25日
 ツアー前に発起人でもあった波田野会長と松原顧問を亡くしての旅。参加したのは、初回から連続参加の久保夫妻、小塩、松田と私と、寺田新会長と和泉夫妻の8名である。これまでの最少行となった。
第1日 10月23日 (金)
 参加者8人とて、久保さんと和泉さん運転の車2台で出かける。早朝に金沢を発ち、「しらかた隠れそば屋の里」の「酒・そば工房 さんご」へ着いたのはお昼過ぎ、関所のような大きな門を車で潜る。蕎麦前は「笑酒招福」なるオリジナル酒、そばは生粉打ちの「もりそば」、久保さんの評は良かった。それで何故「さんご」なのかを訊ねると、珊瑚ではなく、先祖の三五郎さん由来だった。辞して米沢市の高畠ワイナリーに立ち寄り、その後以前宿泊した白布温泉の更に奥にある天元台下の標高1120mにある新高湯温泉の奥白布「吾妻屋旅館」に入る。露天風呂の滝見の湯や大岩の湯など、秀逸だった。ところで当初は久保さんの奥さんが熱望されていた姥湯温泉の桝形屋は申込み時にはもう満室、急遽前田事務局長の機転で新高湯温泉に変更になったとのことだったが、でも素晴らしい宿だった。
第2日 10月24日 (土)
 朝一旦白布温泉まで下り、白布峠を越えて裏磐梯の桧原湖に出る。山々一帯は紅黄葉、満喫した。更に南下して磐梯町へ、この日のお目当ては「ラ・ネージュ (ゆき)」という白いペンション風のレストラン。場所は町の中心部、時は11時少し前、まだ人影がなく、近くの資料館へ出かける。しかし開店前10分に戻るともう長蛇の列、でもどうやら定員すれすれながら全員入ることができた。私は「かけそば」を貰ったが、コシもしっかりした細打ち、よくぞ選んで頂けたという店だった。今宵の宿は一度は行きたいと思っていた檜枝岐村の尾瀬檜枝岐温泉、福島県のど真ん中から南西の端まで車を走らせた。でも着いた檜枝岐村の雰囲気は鄙びた雰囲気ではなく、一見温泉街と見紛う雰囲気、本当に驚いた。宿の「旅館ひのえまた」は5階建てのビルだった。夕食は「裁ちそば」付きの「山人料理」、舞茸の骨酒?まで飲んで、山間の酒と食を堪能した。
第3日 10月25日 (日)
 早朝村内を散策する。中心部を外れればまだまだ鄙びている。今日の目的地は新潟県の小千谷市、一旦北上して只見町の田子倉ダム湖へ出て、そこから六十里越を越えて新潟県魚沼市へ、車窓に越後三山を見る。昼少し前に「わたや」平沢店に着いた。ここは「へぎそば」オンリーの店。つなぎに海藻の「ふのり」を使った独特のツルリとした食感、それが「へぎ」という折敷に入って出てくる。一度は味わっておきたいそばだ。

 こうして久保さん先導の5回に及ぶ「みちのく蕎麦行」は終焉した。楽しい旅と食、まことにありがとうございました。

2016年3月2日水曜日

久保さん夫妻とのみちのくへの蕎麦屋巡り(その3)

4.再度のみちのく蕎麦ツアー 平成15年 (2003) 5月30日〜6月1日
 このツアーに参加されたのは、第1回に参加した久保夫妻,小塩、砂川、波田野会長、前田、松田と私に、新たに石黒、和泉、永坂、野村、平澤、米田の諸氏が加わった14名である。
第1日 5月30日 (金)
 砂川さん運転のマイクロバスで金沢を早朝に発ち、昼には鶴岡市の「寝覚屋半兵衛」に着いた。ここは「むぎきり」と「そば」のみの店、欲張ってその合い盛りを頂く。この店明治6年の創業、現当主は5代目、屋号は「目が覚めるような美味しさ」からとか、また下半分は初代の名とか、そばは歯ごたえ十分だった。次いで羽黒町にある出羽三山神社に参拝した。三山とはs、羽黒山、月山、湯殿山のこと、雪形の残る月山がきれいだった。それから朝日村にある湯殿山注連寺へ、この寺の本堂には恵眼院鉄門上人の即身仏がガラスケースの中に安置されていた。初めての拝見、ここに至る迄には凄まじい修行と年月が必須とか、久保さんでは山形には八体あるという。この後天童市の宿舎「滝の湯ホテル」へ。この日の夕は丁度祝賀会があり、女将とは会えなかったが(翌朝ご対面) 、3年ぶりに天童蕎麦道楽衆とは懇談できた。
第2日 5月31日 (土)
 平澤会員は山形の出身とかで、案内されて山形市の山寺立石寺へ行く。頂上まではかなりの標高差、でも私、野村、石黒の順に登拝、往復した。その後北上し、大石田町の「手打大石田そばきよ」へ行く。ここは「板そば」と「かいもず (そばがき) 」のみ、酒は十四代、漬物はお代わり自由、何とも嬉しい店だった。次いで南下して東根市に至り、東根小学校の校庭にある国指定特別天然記念物の大欅を見る。樹齢1500年、幹回り13m とか、畏敬の念で仰いだ。そして平澤会員推奨の寿屋で名物漬物を土産に買い、その後は佐藤錦などのさくらんぼ園を見ながら南下し、上山市の「原口そばや」へ。古い茅葺きの民家、創業は大正3年、現在は3代目、「もり」と「そばがき」のみというこだわり、その味の深さは、壁に多く貼られた色紙を見ても頷けた。今宵の宿は最上川上流の大樽川沿いにある標高 850 m の秘湯、米沢市白布温泉の「中屋別館不動閣」である。ここでは王将戦や本因坊戦が行われたという由緒ある宿である。
第3日 6月1日(日)
 近くにある白布大滝を見て、バスで峠を越えて裏磐梯へ、更に3年前に寄った山都町宮古の「なかじま」へ。途中、村松友視氏命名の「夢見水」を口に含む。そして再びあの「水そば」に邂逅したが、以前食した時より細めで腰が柔らかく、前の面影はなかった。訊けば都会の女子衆の要望に応じてこのような「そば」にしたとか。時の流れなのであろうか。残念だ。

5.三度目のみちのく蕎麦ツアー 平成16年 (2004) 9月18〜20日
 このツアーに参加したのは、第1回に参加した久保夫妻、小塩、砂川、前田、松田と私に、2回目参加の石黒、野村、新たに寺田、中岸夫妻、松川の諸氏が加わった13名。
第1日 9月18日(土)
 三連休を利用した今回の旅、砂川さん運転で早朝に金沢を発ち、昼には山形の白鷹町の「千利庵」に着いた。久保さんでは白鷹町は近年「隠れそば屋の里〕として知られるようになった由、ここの「しらたかそば」は十割の白い細打ち、良品だった。前庭には三椏 (みつまた)、初めて見た。天気が良く、1日前倒しして蔵王の御釜へ向かう。蔵王連峰刈田岳下にある火口湖は青く澄んでいた。この前訪れた時は濃霧だったが、今度もやがて霧に閉ざされてしまった。バスで麓にある、とはいっても標高 900 m にある蔵王温泉の「深山荘高見屋旅館」に入る。享保元年 (1716) 開業という老舗旅館、この温泉、玉川温泉に次ぐ強酸性の温泉とかだった。
第2日 9月19日(日)
 この日の本命は初回にも訪れた「あらきそば」、途中前回にも寄った東根市の大欅を見た後、村山市へ向かう。着いたのは 11 時 15 分前、この到着時間が絶妙だった。すんなり入れたものの、開店の 11 時には満席になった。しかも外には客が次々と、僥倖だった。注文は「身欠き鰊の味噌煮」と「うす毛利」、そばは太く荒々しく野性的、しかも量が多い。終えて白鷹町の鮎祭り会場へ寄るが、最上川に架かる簗場には落ち鮎の姿はなく、面々は誰も大振りな鮎の焼物には手を出さなかった。次いで久保さんも初めてという上山市の「村尾」へ。出されて食した白いそばは味なくまずかった。久保さんの論評では論外とのことだった。そして今宵の宿は昨年と同じく米沢市白布温泉の「中屋別館不動閣」。今年は昨年と異なり満館、しかも一月先までもとか。
第3日 9月20日(月・祝)
 早朝、大樽川に懸かる白布大滝へ。急な径は金漆 (こしあぶら) の喬木林の間を縫うようについている。この木は笹野一刀彫の鷹ポッポの材と聴いた。宿を出てバスで一旦峠まで往き、引き返して高台から最上川源流の赤滝・黒滝を遠望した後、再び白布温泉へ。そして再度白布大滝を見る。それから米沢市郊外にある笹野観音堂 (長命山幸徳寺) 別名アジサイ寺へ行く。さらに上杉家歴代藩主の墓所がある上杉氏廟所を訪ねた。そしていよいよ今日の本命の「蕎酔庵」へ。久保さんでは以前は米沢市内にあったそうだが、今は郊外の田園地帯、ミゾソバが溝に咲き誇る、日射しが眩い場所にある。ここは一茶庵系、十一、次いで十割をもらう。清々しい逸品に感激する。満足し蕎酔庵を後にした。そして締めは「そば」ならぬ「吉亭」の「ステーキ」、ワインと極薄のレアとミディアム、よくぞその極めつけの技に感心した。