表記標題の初出は「探蕎」会報第25号(平成16年4月18日発行)で、「たなか」へ出かけたのは平成15年(2003)11月23日である。 「晋亮の呟き」に転載する。
昭和40年頃、私が探蕎会会長の波田野先生に師事した前後、石川県衛生研究所に在籍していた縁で、国立公衆衛生院、国立予防衛生研究所、東京大学医科学研究所へ、延べ1年間ばかり研修に出された。その頃は足も健脚で、この間、休日には東京というか関東一円の山々へよく出かけた。と同時に、東京のそば屋を、山本嘉次郎の「東京食べある記」を手に、よく探訪した。「藪」「更科」「砂場」の系統のほかに、この系統によらない店もあって、その中に「田中屋」もあった。在所は練馬、今でこそ街中だが、東京でも未だ田舎の風情が残っていた。
昨年の暮れに、柴田書店から、新訂「名店案内・そば店100」が出され、見ると、以前の「田中屋」は主が代わって、「名月庵ねりま田中屋本店」となり、銀座と赤坂にも支店を出す大店となっている。読むと、創業は昭和31年。しかし、創始者の田中さんは、奥様の療養のため、店を平成8年に現オーナーの野口さんに譲り、廃業したと。でも何と言ったって、田中さんが偉かったのは、当時ほとんど機械打ちだったのに、手打ちを始めたことだろう。都心からも、客は来たようだ。ただ、当時私が寄ったのは、何も手打ちに惚れた訳でなくて、単にそば屋食べ歩きの一端で寄ったに過ぎない。
さて、本を捲ると、東京23区外に「たなか」西東京市というのが目に止まった。読むと、かの田中さんの店であるらしい。西部池袋線ひばりが丘駅南口から徒歩5分とある。この駅は、保谷市にある叔父の家を訪ねる時に下車する駅だ。
11月末のとある日の昼下がり、ひばりが丘駅に降り立った。連れは家内。「たなか」の地番は駅近くの1丁目15番9号、電柱の表示を見ながら歩く。途中に枝道はない。しかし、歩くにしたがって、14番に、そして13番に。狐につままれた感じ。ギブアップ。自転車の小父さんを止めてかくいう店はと聞くと、慣れた口調で、「先の十字路を左へ曲がって暫らく行くと、左に『この先行き止まり』という看板が出ているから、そこを左に、すると奥の突き当たり左にあります」と。やっと電柱に「たなか」という看板が。もう間違える心配はない。ほっとする。「来たぞ」という感じ。
樹々が多い住宅地、見れば、新そば色の洋館、外に燻し板の看板がなければ、全くもってそば屋とは判じ難い。玄関へ入ると、もう20足位、「どうぞ」の声で中に入る。足元はグレイの絨毯、二人掛けの机に案内される。もう満席に近い。お品書が出る。そばは、粗挽きそばの「せいろ」と「かけ」が共に500円、「そばがき」(手廻石臼挽)1,000円、そして無漂白の地粉使用の手打ちの釜揚げうどんが600円。そして野菜と生車海老の天ぷらが各600円、自家製玉子焼き(地卵使用)が600円、ほかに「そばぜんざい」600円、大納言のブランデー漬け400円、自家製シャーベット400円。それで、「せいろ」2枚、「そばがき」、野菜天と海老天を所望する。安いので、量が少ないのではと心配になり、お姐さんに「せいろ2枚では少ないですかね」と聞くと、「天麩羅がありますから、大丈夫ですよ」との返事。安心した。
程なく、長方形の赤い塗りのせいろに、薄緑色の中細のそば、普通のもりの量、蕎麦は茨城産の新蕎麦、丸抜きの石臼自家製粉で、打ちは外一とか。薬味は、刻み葱と辛味大根下ろし。つゆはもり用は濃く辛く、野菜天用は淡く甘い。海老は塩で召し上がって下さいと。
そばは、色といい、香りといい、粗挽きの感触といい、そして喉越しといい、申し分がない。さすがの家内も返す言葉がない様子。天ぷらがこれまた美味い。特に生け車海老の歯触り、拘りを感ずる。油は太白か。美味い。そして、そばがき。外が黒塗り、内が赤塗りの椀に、巾着に絞った大振りの蕎麦掻きが。薬味は、下ろし山葵。程よい大きさに取り分けて、つゆを浸けて食する。蕎麦の香りと味が口中に広がる。訪ねて良かった。周りはと見ると、皆さん玉子焼きをご注文、どうも目玉のようだ。ぜひにとは思ったが、外には沢山の方々が。また、次の機会にしよう。酒や茶やジュースを置かない理由が分かる。
外へ出る。天気は上々、汗ばむ陽気。待つ人も心得た様子。通りの袋小路には、次から次と、丁度昼時、席数は24と聞いたが。凄い人気だ。駅までに2組から「たなか」は何処ですかと尋ねられた。例の返事をしたのは、言うまでもない。
陽は高い。家内に「この近くに「ほしの」という生粉打ちの店が」と私、「そばばかりでお腹がふくれたら、今晩の横浜はどうなるの?」。ここは家内に従わねば。
営業時間:午前11時~午後4時。定休:月曜と第3月曜。駐車:1台のみ(要予約)
店内禁煙。生麺クール宅急便発送可能。電話:0424-24-1882 。
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