2017年10月13日金曜日

やまぎし/くろゆり荘/ミントレイノ

1.蕎麦やまぎし(白山市 左礫) ☎  076-254-2322
 10月10日の火曜日、久しく龜屋に行っていないので出かけようと家内と前日に話していた。この日私は朝9時に鍼灸を済ませ、石川トヨタで車検の代金の支払いを済ませ、これからいざ龜屋へ向かおうとし、念のために電話をしたところ、今日は休みとのこと、確かめてよかった。それでは左礫にでも行こうということになった。いつものごとく別宮から道の駅/一向一揆に寄り道して野菜物を求め、「やまぎし」に着いたのは丁度開店時間の11時半、でも駐車場にはもう3台もの車が停まっていた。山岸さんではこの日早い人は10時にもうおいでたとか、休日でもないのにこの賑わいなのに驚いた.いつもの如く私は「粗挽き」と天ぷらと財宝2杯、家内は「黒」と天ぷらとノンアルコール、私はこの前会った御仁の勧めもあって「粗挽き」は釜揚げにした。しかし今回食した粗挽きの釜揚げは焼酎のお供にはあまり向いていなかった。ここの極太の粗挽きにはやはり岩塩をお供に、3種の薬味 (辛味大根、葱、生山葵) で楽しむのが最高だと思った。帰り際に例の御仁が御入来、ここで食事してこれから鞍掛山へ出かけるという。全くもってタフな人だ。辞して車の運転を家内に任せ、店から久しぶりに大日ダムまで足を延ばした。そしてそこから尾小屋経由で帰宅しようと思ったら、尾小屋へは抜けられませんとの立て札、それで仕方なくバックして左礫から別宮に戻り、折角ここまで来たので釜清水から白山下に出て、そこから瀬戸野にある道の駅/瀬女とそば屋「山猫」に寄ることにした。ところが生憎と山猫は第2火曜日が定休日、でも偶然奥さんに会え挨拶できた。

2.深山湯治の湯  白山中宮温泉  くろゆり荘(白山市 中宮) ☎  076-256-7955
 天気も良く、折角瀬女まで来たので、中宮温泉近くにある白山自然保護センターの中宮展示館まで足を延ばすことにした。ここには白山の自然に関する資料が数多く収納されており、その内容は年々充実されている。ここは冬季は閉鎖される。近くに「くろゆり荘」があり、時間も早いので温泉にでも入って行こうと思い、歩いて行けるかと訊くと、スーパー林道は車の往き来が激しいので、行くなら車の方が良いと言われた。林道 (現在の呼称は白山白川郷ホワイトロード) の料金所手前を右折し、高みに中宮温泉の「にしやま旅館」が見えてくる辺りを右に折れると、すぐに目指す「くろゆり荘」がある。ここは以前は公営の保養施設で、私も何回か利用したことがあるが、その当時は入浴と休憩のみだったような気がする。でも現在は民営になっていて宿泊もできるという。ここのオーナーの方は、加賀禅定道や中宮道の整備とか、禅定道の奥長倉山にある奥長倉避難小屋の管理をボランティアでやっておいでると聞いている。訪れたのは午後3時過ぎ、お客は誰もいないようだった。案内を乞うて入浴したい旨告げると、午後4時までならと言われ、もしゆっくりでしたら「にしやま旅館」で入浴して下さいとのこと。入浴料金は大人550円、タオルも200円で頂いて浴室へ。以前と比べ浴室からの眺めはグンとワイドで、非常に明るい感じになった。お湯は掛け流しだが、篔から湯船に入らずに外に流れっぱなしになっている。後で聞いたところ、源泉の温度が65℃と高く、ぬるいようだったら源泉を湯船に導けばとのことだった。ゆっくり浸かって、湯上がりに生ビールを頂き、いろいろお話を伺った。ここの営業は雪が降ると休業に、それで大概11月中頃までの営業とか、今月も来月も土 日 祝日は全6室とも満室とか、それで家内の希望もあり、祝前日の11月2日に宿泊予約をした。楽しみだ。

3.ハーブの里・響きの森 ミントレイノ(白山市 女原) ☎  076-256-7660
 中宮からの帰り道に、泉丘高校第7期の有志の会の湧泉会で、永井君 (旧姓徳久・通称トクさん) が、オルゴールを聴きながら体調を整えられるという施設「ミントレイノ」を皆に吹聴していたのを思い出し、そこへ一寸立ち寄ってみようということになった。以前は「ハーブの里」として公営で開放されていたので、何度か寄ったことがあるが、今は民営になりオルゴールセラピーを 標榜している施設とか。
トクさん自身、身内の人と一緒に何度か出向き好評を得ているとか。要は身体の不調が改善されるのだという。彼はもう9回も出かけているとか。時刻はもう午後4時半、丁度営業時間 (9:30ー16:30) ぎりぎりだったが、説明を聴きたいというと応じて頂けた。永井さんはよくお出でますし、紹介で村田さんもお出でましたとのこと。2階へ案内された。この施設でのメインはオルゴールセラピー、私達は椅子に腰掛け、小さなオルゴールの上に足を乗せ、説明を聴いた。この室にあるオルゴールは人の耳には聴こえない 20万〜30万ヘルツの高周波を出し、それが脳幹や神経系や体温調節をする視床下部の血流をよくして、心身を正常にするとか。説明された人は、あるとき母親が年老いてボケ、時に嫌悪な状況になった時に、偶然家にあった大きなオルゴールを鳴らして聴いてもらった時に、母の顔の表情がすごく穏やかになったことにヒントを得て、これを皆さんの役に立てようと考え、営業を終えると聞いたこのハーブの里の土地と建物を取得し、皆さんに体験して貰っているとのことだった。それで平日は 11時 〜 12時半にオルゴールセラピー体験会 (予約が必要 ) があるとのこと、それで早速家内共々 10 月 16 日に体験してみることにした。今は特別企画とかで料金は1人 1800 円とか、定員は6名である。30 分ばかり居て辞した。帰りに常設展示販売されていたチベット絨毯やハーブクッキーを買い求めた。

2017年10月5日木曜日

日曜日の「やまぎし」は超満員

 10月1日の日曜日のお昼近く、テレビを観ていた私に家内が、「行かないの」、「何処へ」、「あなた、朝起きがけに やまぎし へ行こうと言ってたじゃない」、「えっ、俺そんなこと言ったかなあ」、「言ったわよ」、「そうか、でもわしゃ全然覚えておらんけど」、「だから、私今化粧して用意してるのに。私はよく外へ出るので、あなたに悪いと思っているから、無理を聞いてあげなきゃと思ったからよ。それにしてはいつまでもテレビを観てるから、どうしたのって思って言ったのよ」と。「じゃ、行こうか」。
 私のこの頃の日曜日の日課は、朝7時からは NHK のニュースと百景、8時からは MRO テレビのサンデーモーニング、10時からは檀蜜さんが出てれば続けてサンデージャポン、正午からは NHK のニュースとのど自慢、午後1時からは石川テレビの 開運!なんでも鑑定団 という次第。この日私が家内に声をかけられたのは、サンデージャポンが終わる寸前。「やまぎし」はもう開店しているけれど、でも昼時を外せば大丈夫だろうから、「じゃ、今から用意するから」と言って私も用意して一緒に出かけることに。家を出たのは正午を少し回っていた時刻だった。
 いつものように鶴来の山手バイパスを通って行く。ふっとこの間「草庵」へ行った時は月曜日だったけど混んでいたが、今日の日曜日はどうだろうと店の前を通ってみた。ところがさすが日曜日の昼時とあって、20台は停められるという広い駐車場は満タン、すごい混みように度肝を抜かれた。今時の草庵は、一品はともかく、そばは今一の感じがするのに、草庵という名前が人を引き寄せつけるのだろうか。何ともすごい光景だった。
 裏へ回って、朝日小学校の前から再びバイパスへ。白山さんは今日は一日参りなのだろう、駐車場は一杯だった。先へ進むと左手に林業試験場の樹木公園、この敷地に植わっている桂の並木はもうまっ黄色に色付いていた。国道を横切り、鳥越大橋を渡り、ひたすら国道44号線を大日川沿いに南下、途中上野辺りからは白山が望めた。元鳥越村役場があった別宮に着いたのは午後1時少し前、「やまぎし」にはもう少し時間をずらして行くことにして、寄り道して道の駅「一向一揆の里」に寄ることに。ここには地元の農産物が比較的豊富で安くて、「やまぎし」への行き帰りにはよく寄っている。この日も多くの人で賑わっていた。家内が言うには、この賑わいの元は、附属する評判の「鳥越そば」にあるという。地元で採れた玄そば6割につなぎに丸いもを使ったそばとか、乾麺も売っていた。
 道の駅から別宮に戻り、右折して更に県道を南下する。対向車も少なく、すんなり左礫に着いた。時間は午後1時半、もうお客さんも少なくてすんなり入れようと思って前まで来ると、県道沿いの左側にはびっしりの車の列、私も県道に車を停め、店へ。ところが入り口には「打ったそばはなくなりましたので、またのお越しを」と。いつもは開店前に訪れることが多く、こんな目にあったのは初めて、家内は「じゃ、烏骨鶏の卵だけ貰ってくる」といって玄関に入って聞いたが、ないとのことだった。それで仕方なく家内が、「折角来たのだから、挨拶だけしてきたら」と私に言うので玄関に入ると、卵が見つかったというので4個 (1個 250 円 ) 頂いた。その時「あら、木村さん」と奥さんの声、それに呼応して山岸さんが、「もう少し待ってもらえば何とかしますよ」との返事、九死に一生の思いで中に入った。そろそろ波が引く時間帯だが、まだ中で待っている客もいた。すごい人気だ。
 入り口近くの大きなテーブルに、以前会った御仁がいて手招きされた。彼はほぼ毎日ここへ寄るという。今日も山歩きをしてきたとか、もう木通 (あけび) はお終いだとか。彼は名古屋の出身、あちらにいる時は南アルプスはほぼ全域歩いたとか、出来るだけ身軽にするため、雨具やツェルトの代わりに大きなビニール袋を何枚も持って歩いたとか、まるでまたぎだ。私も大学の山岳部に入りたての頃、やはり親父がまたぎの男が入部してきて、どんなに雨が降っていようと火を焚く術を持っていたのに驚かされたが、そんな感じだった。
 私は「田舎粗挽き」と天ぷらと財宝 (焼酎) 2杯といつもの通り、家内は「白」と天ぷらとノンアルコール、でも「白」はなく「黒」に。この日は山岸さん夫婦、弟さん夫婦、妹さんとフルメンバー。そして天ぷらにはこれまで入っていなかった海老が。件の彼氏が言うには、粗挽きは釜揚げも美味しいですよと。今度試してみよう。家内は白より黒の方が味があるとご託宣。今日はそれぞれ60人前ずつ打ったとかだったが、完売とかだった。今日もありつけて良かった。

2017年9月29日金曜日

9月下旬に訪れた蕎麦屋3軒

1.そば処 敬蔵 (野々市 市本町)
 9月初旬に、敬蔵から創作メニュー「こんな蕎麦 打ってみた」という案内が届いた。春にも同種の案内が届き、二度出かけた。主人の目新しい意欲的な創作には意気込みが感じられ、いわゆる差別化を意識したものだ。今回は第六弾と第七弾の案内、この目玉作品の案内にはハーフサイズの試食券が付与されている。先の案内の折には家内と出かけたが、その折に私が敬蔵さんに何か一言話したらしく、今回は貴方一人でどうぞとなった。家から敬蔵さんまでは至近の距離、歩いて出かけた。今回の目玉は「細打十割  北海道沼田産 新そば」で、9月初旬に出回り始める「夏そば」の新そばとかだった。出かけたのは秋分の日のお昼過ぎ、独りなのでカウンターに座る積もりなので、慌てる必要はなかったからだ。店に着くとお客はいなくて、主人からは2人掛けのテーブルへどうぞと言われたが、いつものようにカウンターに座った。初めに試食の新そばと焼酎の蕎麦湯割を頂く。新そばは爽やかな味だった。ご主人に「沼田って北海道の何処にあるのですか」と何気なく訊ねたところ「さあ どこなのですかね」との返事、一寸気抜けした。帰って調べたら、留萌の東隣りの町だった。その後定番の「鴨せいろ」(敬蔵での表記は「鴨汁そば」) と加賀鳶のあらばしりを貰った。この蕎麦は昨秋の福井大野産、ここ敬蔵の鴨は定評がある。終わりに近く、5組のお客が入ってきた。テーブルに座らなくて良かったと思ったものだ。ところでお酒は甘くてそばには不向きだった。
2.蕎麦処 草庵 (白山市 鶴来日吉町)
 何となくドライブを兼ねてそばをと思い、一度は通ってみたかった犀鶴林道と草庵を組み合わせ、家内に相談した。したのは24日、家内から「相撲の千秋楽だけど、いいの」と言われ、じゃ明日にということに。家内はいつ頃からか、草庵へはよく訪れていたのに、ある時期から敬遠するようになっていたので、諾の返事がもらえるかどうか心配だったが、今回は OK の返事だった。 25日の朝10時に家を出た。林道走破に2時間、鶴来には正午頃に着く予定で車を走らせた。金沢市熊走から林道へ。この林道は早川先生のロードトレイニングコースでもある。国見山から水葉山を過ぎる辺りからは金沢市街を俯瞰できる。下って内川へ、そしてさらに上流へ、すると旧内川村の小中学校の跡地に、林道はここから内川を渡り獅子吼高原へと上がるのだが、ここに通行禁止の標示。昨日までは OK だったのに残念至極、仕方なく戻り、内川沿いに金沢へ、そして草庵へ。平日の午後1時頃だったのに、駐車場は混み合い、店も混んでいた。平日なのにこの混みよう、驚いた。三和土の相席の大きなテーブルに案内された。注文は家内が「せいろ」、私は「鴨せいろ」、お酒は八海山、つまみは野菜天。十割もあるが一日十食のみ、「せいろ」は外一とか。そばはまずまず、でもここの鴨肉のプリプリとした食感は絶品だと思う。鴨のつみれも旨い。女将さんが見えないので訊ねると、今日はお休みの日とか。後で家内にお目当ては女将さんだったのではと言われた。
3.香り蕎麦 亀平 (金沢市 新神田)
 27日は探蕎会の9月例会で「亀平」へ。10名限定だったこともあって、募集後すぐに定員に達したとのことだった。昼の営業時間は11時半から15時まで、集合は午後2時、私が着いたのは2時少し前、既に前田車が着いていて、玄関に会長と女性2人、一緒に中へ入る。他に客はいなかった。その後塚野車の3人、最後に磯貝車の2人、これで10人全員が揃った。テーブル2脚に4人ずつ、私と磯貝氏はカウンターに。そばも一品もすべて店主の幸平さん一人で捌くので、先ず私が先鞭を付けて注文、品は焼き味噌とだし巻き玉子と銀嶺立山の冷酒、それに締めに鴨せいろを注文した。一人で10名もの注文をすべてこなすにはかなりの時間を要する。でも順次注文に応じられている様子。当初会では10月には東北へ探蕎の予定、その際90歳の会長は1015段ある山寺 (立石寺) の奥の院まで上がりたいとのご託宣、超元気なのに驚く。以前探蕎会で訪れた時には私も含め3人しか完登できなかったのにである。でも今月衆議院の解散があり、運転手をかって出られている議員の磯貝さんは超多忙で、もし出かけるとすれば11月以降となろう。ところで見ていると、野菜天を注文されている方が多く、私も後で手取川と野菜天を追注した。美味しく飲みかつ食べたが、皆さんはどうだったのだろうか。お開きになり、皆さん来店のグループ毎に店を後にされた。という私は家内が迎えに来てくれると思い込んでいたが、家内は連絡があるものと家で待機していたとのこと、その間店主の好意で店内に、雨も降ってきた。親父さんお元気ですねと話すと、今68歳、以前からみると随分老けましたと。でも白尾の店には親父さんが自ら写された高山の花や鳥や獣の写真が沢山飾ってあり、今でもよく山へ行かれているとか。羨ましい限りだ。

2017年9月19日火曜日

家内と巡った信州探蕎再訪(その2)

(承前)
9月14日(木) 曇り
 今日は晴れを期待していたが曇り空、朝湯を頂き、部屋で寛ぐ。朝食は7時半、定刻にセットされる。朝食は「夏の薬膳五色ごはん」、昨晩とは別の仲居さんが膳を運んで来られた。赤、黄、緑、白、黒の器に10品の料理、かなり細かな細工を施されているものもある。中でも「黒米のお粥」というのは初めてだった。またおひつのご飯は米粒が一つ一つ立っていたのには驚いた。これは蒸したのだろうか。何とも豪華な色鮮やかな朝食だった。そして仲居さんに後で北向観音へ行くと言うと、長野市にある善光寺と向き合うように本堂が北に向いていること、善光寺は来世の利益、北向観音は現世の利益をもたらすとされ、両方に参拝しないと片参りになる等々、いろいろ説明をして頂いた。
 朝食を終えて、北向観音へ向かう。此処は宿のすぐ近くにある。境内にある御手水は温かい温泉のお湯、こんなのは珍しい。本堂で御朱印をお願いし、参拝する。名の知れた有名な女優が志納した幔幕が掛かっている。回廊を巡り、境内奥にある芭蕉や牧水の歌碑を愛で、「愛染かつら」の名がある桂の古木に想いを馳せる。私は数回来ているが、家内は初めてだという。
 9時近く、女将さんに送られ、宿を後にする。初めに前山寺へ行く。別所温泉駅から県道別所丸子線をひたすら東へ走る。右には鋸の刃のような稜線を持つ独鈷山が見えている。暫く走ると、やがて右に前山寺入り口の表示、右に折れ、山の中腹を目指す。程なく駐車場に着いた。ここは弘法大師が開いたと伝えられる真言宗智山派の独股山前山寺、入山料を払い境内に入る。左手には萱葺きの間口十間もの本堂、そして高みには重文の三重塔が見えている。以前来た時は、山道を少し登って上から塔を俯瞰できたが、今は立入禁止になっていた。周りには桜や藤が沢山植わっている。花時は綺麗だろう。入山時に帰りに寄って下さいと言われた休憩所に寄る。ここには野菜や鉢物が販売されている。販売している方の言では、私が朝取りした無農薬の野菜とか、それだからかどれも瑞々しく、その上安い。家内はあれこれ求めていた。そして黄色の花が咲くとかいうホトトギスも求めた。これも功徳か。
 再び県道に戻り更に東へ、そして松本への標識がある交差点を右に、方角を南にとり、有料の平井寺トンネル (210円) を抜けると、道は独鈷山の南側を走る国道 254 号線に出る。ここから方角は西へ、鹿教湯温泉を過ぎ、三才山トンネル (510円) 、さらに松本トンネル (200円) を過ぎると松本平に出る。ここから国道 19 号線を北上し、塔の原交差点を左折し、犀川を渡って県道 51 号線 (安曇野アートライン) へ、暫く走ると右手に標識があり、右折して山道を少し走ると目指す「安曇野 翁」に着いた。時刻は丁度開店の 11 時だった。
 「安曇野 翁 」  北安曇郡池田町中鵜 3056ー5      ☎  0261-62-1017
 この日は木曜日なのにもう乗用車が4台、真っ先に店に入る。でも先客が1組いた。先客の隣のテーブルへ案内される。ここは、ざるそば (白) 、田舎そば (黒) 、おろしそば、鴨せいろの4つのみ、お酒は大雪渓のみ、あとはビール2種とノンアルコールのみ、シンプルそのものだ。いつもならお酒を頂くのだが、今日はこの後道の駅白馬までは私が運転をするので、この場では飲まないことに。そこで、家内はざるそば、私は鴨せいろを頂く。今日は生憎の曇り空で、後立山の山並みは見えていない。しかし店内は明るく、未だ木の香が残っていそうな佇まいのテーブル席と座敷、ここでは相席はなく、空いていないと後のお客さんは外でお待ちをとのこと。ここの主人はかのそば打ち名人の高橋邦宏さんの一番弟子、素晴らしいそばを出してくれる。さて、家内の評価は。一箸手繰って発した言葉は「素晴らしい」の一言、二八ながらこれこそ「そば」だと絶賛、蕎麦汁も繊細でそばの旨味を引き立たせている。実に満足したと。喜んでもらって本当に良かった。客が次から次へと訪れる。帰りに奥さんと思しき女の方
に、ここへ来られてもう 15 年位経ちますかとお訊きしたら、20 年になりますと言われた。帰り際、ご主人の若月さんと目が合い会釈した。
 山を下り、県道 51 号線の安曇野アートラインを北上し大町へ、大町からは通称糸魚川街道といわれる国道 148 号線をひたすら北上、仁科三湖を過ぎ道の駅白馬へ。私はここで地酒を仕入れ、後の運転は家内に任せる。こうして信州蕎麦行を無事終えた。

2017年9月18日月曜日

家内と巡った信州探蕎再訪(その1)

 6月下旬に出かけた信州への探蕎行の話を家で話したところ、家内はいつもの秘湯巡りよりも、この探蕎のコースで行きたいとのことで、早速に別所温泉の七草の湯へ9月13日に泊まる予約をした。早々に申し込んだのは、先の探蕎行で前田さんから聞いた早割ドリンク付きの特典を当て込んだためである。コースは、初日は上田市にある「おお西」、翌日は池田町にある「安曇野 翁」と、会で巡ったコースを踏襲することに。
 
9月13日(水) 曇り
 家を8時半に出る。給油所でガソリンを満タンにする。80ℓで640kmばかり、途中で20ℓを追加給油しよう。白山 IC で北陸道へ、有磯海 SA で休憩、さらに上信越道の妙高 SA で休憩し、上田菅平 IC で高速道を下りる。時刻は午後1時、目指す「おお西」は午後2時で終いという。行き先をカーナビで電話番号を入力したが、登録されていないとのこと、少々焦った。お陰で上田駅前まで一巡する羽目に、でもどうやら店がある柳通りに出た。それでとある空き地に車を停め、店へ向かうと、店の裏手の空き地に主人がおいでた。それで別の空き地に車を停めたというと、構わないとかでそのままにして店へ入った。
 店はかつて商家だったという古めかしい建物、かなり広い座敷と土間、でも薄暗い。私達は土間のテーブルに陣取る.先客がいた。どこか遠所からの客のようだった。私達は主人の大西さんの代名詞でもある「発芽そば切り」と野菜天を注文する。ほどなく届く。そばは大きな蓋付きの朱塗りのお椀に入っている。これはそばが乾かないようにするためだとか、でも水切りが十分でない感じだ。さて家内の評価はどうだろうか、答えを待つ。私はまあまあだと思ったが、彼女の評価は、そばも天ぷらも亀平
( 私達がよく行く金沢のそば屋 ) にはとても及ばないとのこと。それに伝票を持っておいでたおかみさんの格好がまさしく普段着のまま、キリッとした雰囲気が全くなく、これも減点要因となったようだ。2時近くにもう1組が迷ったとか言いながら入ってきた。でも2時過ぎに来られた客は入らずに帰っていった。
 店を出て、車はひたすら西へ、正面に見える夫神岳の麓にある別所温泉を目指す。今宵の宿の「七草の湯」には3時少し前に着いた。もう部屋へ入れますとのことで、案内されて5階の部屋へ、そして暫し寛ぐ。テーブルの上には、お菓子や乾き物6種、佃煮7種、仲居さんからいろいろ説明を聴く。夕食を6時半、朝食は7時半にお願いする。窓下には安楽寺の山門が見え、東方には塩田平が広がり、遠くには菅平高原から浅間山へ続く山並みが見えている。暫く休憩してから安楽寺へ出かけることに。
 宿の前にある山門を潜り、石畳の参道を進む。この寺は、当初北向観音堂をお護りする別所三楽寺 ( 長楽・安楽・常楽 ) の一つとして建立されたが、その後曹洞宗に改宗されている。境内の入り口からは165段の急な石段を上がると寺務所に出る。御朱印をお願いした後、拝観料を納め、さらに64段もの石段を上がり、国宝の八角三重塔を拝観する。一見四重に見えるが、一番下段のは庇とかである。屋根は4年前に全部葺き替えたとか。その際に行われた C14 の年代測定で、この塔は鎌倉時代末期に建立されたことが判明したという。
 次に別所三楽寺の本坊である常楽寺へ向かう。因みにもう一寺の長楽寺は現存していない。安楽寺で常楽寺への近道を教わり出かける。10分ばかりで着いた。この寺は天台宗で、北向観音をお護りする本坊だとか、でも人影はない。入山料を払い、御朱印を頂き (但し無人 )、境内を見回る。茅葺きの本堂の前には、御船の松という由緒ある船の形をした黒松が植わっている。またここには重文の石造多宝塔が裏山にあるとかだが、敬遠した。
 宿へ戻る。北向観音へは明朝お参りすることに。温泉に浸かった後、取りあえず部屋の冷蔵庫にあるビールの大瓶 (この前の訪問の折に2本常備してあることを確認 ) 1本で喉を潤す。摘みは佃煮や乾き物、テレビで相撲を見ながら寛ぐ。その後家内も湯から上がってきてさらに1本、今夕の夕食は部屋食とか、定時に夕食となる。係の仲居さんは小柄な若くて綺麗な方、20代前半かと思いきや32歳で2人のお母さんとか、驚いた。女将さんも挨拶に来られ、前田さんや松川さんの名前を口にされて驚いてしまった。サービスのドリンクは地元の赤ワインのフルボトル、大きなワイングラスも付いてきた。品数は12品、持ってきて頂いた折ごとに一々説明をされる。途中でワインがなくなり、中ジョッキを2つ追加する。当初は何か料理を追加する予定でいたが、頼まなくてよかった。品数も量も多くて満腹になってしまった。片付けてもらって、床を敷いてもらう。窓の外を見ると、散りばめたように明かりが点々とする塩田平、そして空には下弦の月、幻想的な眺めだった。

2017年9月7日木曜日

香りそば 亀平(私が最もよく訪れるそば屋)

 8月のとある日、会の事務局の前田さんから、9月の探蕎行は塚野さんの世話で亀平へ行くことになったと電話があった。その後メールで催行人員は10名に限定したいとのこと、早速申し込んでおいた。狭い店なので、大勢の訪問は憚れることもあっての処置だったのだろう。ところで訪問の日時は9月27日の午後2時とかだった。
 さて、亀平の店主の西川幸平さんが、かほく市白尾にある実家のそば屋「龜屋」から独立して、金沢市に店を持ったのはかれこれ5年位前のことだったろうか。龜屋の親父さんの西川幸一さんから、次男が金沢で店を持ちますのでまた贔屓にしてやって下さいと言われた。それで早速新神田にある「龜平」を訪れた。ところが肝腎のそばがずるずるで、これじゃとてもお客さんには満足して頂けないのではと親父さんに話した。そんなこともあって私達は以後この店へ訪れることはなかった。ところが1年位経ったある日、そば好きな友人から、金沢にこじんまりとしたおいしいそば屋さんがあると言われた。訊くとそれがあの龜平、半信半疑で再び家内と訪れた。するとその時の印象では、そばはしゃきっとしていて喉越しもよく、以前食したそばとは雲泥の差、風の噂では塚野さんのなみなみならぬ尽力があったとか。以後私達夫婦が1年を通じて最もよく訪れる店となった。美味しくて、気楽で、車で10分も走れば行ける気軽さ、本当に捨てがたい存在になった。
 9月に入って、5日の日に何となく行きたくなり出かけた。三男の墓参りを済ませ、いつものように、開店の11時半前に店に着き待った。暖簾と幟が出されると開店の合図、店に入る。定位置は左手奥の4人掛けのテーブル、混み合ってくれば相席となるが、大概昼一番だと満席になることはなく、ここで1時間ばかり、お酒を飲み、摘みを頂き、そしておいしいそばを食べて帰るのが常である。私はお酒を飲むということもあって、独りで出かけるのは憚れるので、家内同伴が原則である。この日は、一品に、焼き味噌、野菜天ぷら盛り合わせ(ピーマン、人参、さつま芋、茗荷、しめじ、金時草)、焼き鳥、お酒は冷酒立山と手取川、そばは家内が二色せいろ(せいろと粗挽き)、私は鴨せいろ、ゆっくり飲みかつ食べ、堪能した。
 店主との会話で、27日に塚野さんから10名ばかり午後2時に訪れますと連絡がありましたとのこと、私も同席しますと話した。本当に気取らない素晴らしい店だ。本家の龜屋さんには年に数回しか訪れることはが出来ないが、ここにはちょいちょい楽しく気軽に訪ねられる。

「香り蕎麦 亀平」の資料
・住 所  金沢市新神田2丁目 12−2   電話 076−292−1156
・営 業  11:30〜15:00  17:30〜20:00(金・土のみ)
・定休日  月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)
・席 数  かうんター 5席、 テーブル 12席
・駐 車  5 台
◯ お品書き(価格は単位円)
・冷たい蕎麦:せいろ (875)   粗挽き/十割 (980)   二色せいろ/せいろと粗挽き (1100)
  おろしそば (980)  かき揚げせいろ (1420)  穴子せいろ (1650)  鴨せいろ/温出汁 (1600)
      天二色せいろ/野菜の天ぷらと二色せいろ (1560)
・温かい蕎麦:かけそば (875)  かき揚げ天そば (1420)  鴨南蛮 (1800)
・大盛り:せいろ (270)  粗挽き・二色せいろ (300)
・夏期限定/トマトそば=フレッシュトマトの自家製和風ソース (1180)
・かき揚げ丼セット/せいろ or かけそば かき揚げ丼 (1500)
・ご飯物:とろろご飯 (320) かき揚げ天丼 (790)  穴子天丼 (990)
・一 品:漬け物(270)  焼き味噌 (860)  野菜の天ぷら盛り合わせ (740)  穴子天ぷら (790)
  だし巻き玉子 (650)  蕎麦屋の焼き鳥 (860)  鴨焼き (1340)
・焼酎/ロック・水割り・蕎麦湯割:天山戸隠 (蕎麦焼酎) (460)  ちょんがりぶし (麦焼酎) (430)
・ビール:キリンハートランド (中瓶) (550)  サッポロエビス (小瓶) (450)
・日本酒:手取川 (1合) (460)  立山 (1合) (430)  銀嶺立山 (冷酒) (300ml) (820)
  加賀鳶 (1合) (580)  満壽泉 (1合) (620)    

2017年7月10日月曜日

石川県人名事典現代編での吾が母の記述

 表記の本は平成3年 (1991) に発刊され、以後平成28年 (2016) 発行の最終卷 (十二) まで、ざっと2千3百名もの方々の追悼文が載せられている本である。対象となった人は、石川県に在住・出身・縁のある方が主で、執筆する方は、身内であったり、師弟や友人であったりと様々で、とにかく故人への想いが自由に語られている。大体一巻あたり2百人弱の人が対象になっていて、これまで2年ばかりで一巻が完成されている勘定になる。編者は片桐慶子さん、発行所は石川出版社 (石川県白山市白山町) である。
 私の母は平成15年 (2003) 2月8日に90歳で亡くなった。ところである日、この本の編者である片桐さんから執筆の依頼があった。何方から耳にされたかは知らず、大それたこととお断りしたのだが、何度かの要請があって後、執筆を承諾することにした。そして私が書いた文は、2005年3月に発行された九巻に掲載された。先日久しぶりにこの本に遭遇した折に、「晋亮の呟き」に再掲したくなり、書き写した。

「木村 好子」(きむら よしこ)
・「誕 生」 明治45年 (1912) 3月17日
 父 細野生二 と母 しづ の四女として 北海道空知郡奈井江町に生まれる。
・「生い立ち」
 母の父 生二は 金沢の旧家 細野家の次男として生まれた。上の兄 申三は後に燕台と号し、書画骨董に造詣が深く、北大路魯山人の後援者でもあった。下の妹の玉は、後に野々市の木村家へ嫁いだ。申三は漢学者だった父 當徹から厳しく教育されたが、生二は奔放で、自ら高嶋嘉右衛門の門を叩いた。兄弟子は師匠を次いだ高嶋呑象である。その後生二は北海道空知郡砂川と奈井江に跨がる四百町もの高嶋農場の管理を委ねられ、特に灌漑には心血を注ぎ、その完遂の借金のため何度も差し押さえにあったと母は述懐していた。それだけに人望は高かった。母の兄弟は9人、上に姉3人、下に弟1人と妹4人、父親は大変厳しく、一方母親はすごく優しかったという。子供らは皆高等教育を受け、母も札幌高女を卒業した。その後暫く教職に就いたが、素晴らしい先生だったらしく、亡くなるまで毎年賀状が何通も教え子から届いていた。その後母は叔母の木村 玉からの縁談の申し入れに、他の姉妹が断るなか、父親の故郷に嫁いでくれと懇願され、身の回り品のみ持ち、野々市の木村家へ嫁いだ。だから私の父 仁吉と母 好子は従兄妹の間柄である。
・「その後と想い出」
 結婚当時、父は第九師団の主計少尉であった。父は大変優しく、沢山の姉弟妹から離れ、ましてや風俗・習慣の違う地で、まるで姐やのようだと話す母を労り支えてくれた。そして間もなく長男の私が誕生した。しかし父は支那事変勃発で出征、母は私を頼りに、父には毎日私の大きくなる様を一部始終手紙で送り続けた。その手紙は今も私の手元にある。父はその後徐州作戦で迫撃砲弾を肩に受け大怪我をしたが、父らしく気丈にも傷痍軍人になるのを拒んだ。母は終戦後の苦しい時期、父の軍人恩給が三月足りなくて支給されないのをボヤいていたが、私は父、父たりと思う。父の戦場での終始は、日野葦平の「麦と兵隊」に詳しい。そして終戦、父は公職追放、家は大地主だったが農地解放でたったの一町、それに財産税の追い打ち、父や祖父が嘆いてばかりだったのに、母は気丈に家を支えた。器用で頑張り屋、木村家にはなくてはならない人になった。慣れない初めての田圃仕事も、昔の小作人達が意地悪し、今に音を上げるぞと言うのを聞き、何糞と踏ん張ったという。見よう見まねで、藁で蓑、筵、俵、草履何でも作った。そして現金収入を得るために織物工場に就職、真面目で器用で利発で頑張り屋で世話好きの母は、程なく女子工員の頭になった。定年後も請われて舎監として、沢山いた東北・北海道出身の若い女子工員達の面倒を見た。退職後は友達と日本津々浦々を旅行して楽しんだ。記録はアルバムに残されている。振り返って、私は弟妹の誰よりも母に心配をかけた。大病もし、指を落とし大出血で死ぬ体験もし、山から7日も帰還が遅れもした。でもその折々、母の愛に救われた。私が学位と厚生大臣賞を貰った時に見せてくれた母の素晴らしい笑顔と額縁は、私の大事な宝である。母との八十年余の悲喜交々の思い出が走馬燈のように過ぎる。
・「死 去」 平成15年 (2003) 2月8日  逝年 90歳
・「葬 儀」 平成15年 (2003) 2月10日  金沢市松島町 シティホール玉泉院
・「法 名」 清光院順譽浄教妙好大姉
・「菩提寺」 浄土宗知恩院派 法船寺(金沢市中央通町 旧宝船町)
・「喪 主」 木村 晋亮(のぶあき)(長男)  当時(財)石川県予防医学協会 勤務

(閑話休題)
 この石川県人名事典現代編には、他界された石川県に関係する多くの方々が登場する。
 私の恩師である波田野基一先生は平成20年 (2008) 8月21日に彼岸に発たれた。先生への追悼文は、畏敬する永坂鉄夫先生が石川県人名事典現代編十一に書いておられる。