2018年5月13日日曜日

続・いしかわ・金沢「風と緑の楽都音楽祭」

(承前)
2.ウラディミール・アシュケナージ指揮/辻井伸行ピアノ/アンサンブル金沢
 アシュケナージと OEK のコンビの演奏はこれまでもかなりあり、私も何回か聴いている。今度も3公演あり、うち2公演は辻井伸行との共演が組まれていて、1日目と2日目にあり、私が聴いたのは2日目の公演である。このコンビは国内ばかりでなく、海外でも組まれていて、二人はその仕草を観ていると、親子のような雰囲気がある。今回このコンビでの2公演は最も人気があり、最も早くに完売になったと報道され、人気の凄さが感じられた。今回は初日にモーツアルトのピアノ協奏曲第 21 番ハ長調、2日目に同 26 番ニ長調「戴冠式」が演奏された。私が聴いたのは後者である。この日の私の席は3列 11 番、ピアニストの運指がしっかり見られる好位置だった。これまでこんな席に座って聴いたことはなく、実にラッキーだった。演奏時間は 30 分前後、私の素朴な疑問は、彼は全盲であるからして、最初の鍵盤へのタッチはどうするのかだった。一旦演奏が始まれば手と音の感覚で続けられるだろうけれど、最初はどう対処するのだろうか。するとピアノの演奏が始まる少し前に、彼はピアノの右端から大きく広げた右手で2度ばかり距離を測り、その後細かい修正で最初の1音を叩いていた。当てずっぽうではない緻密さを感じた。演奏が終わった後は正に万雷の拍手が続いたことは言うまでもない。そしてこの各公演は1時間きっかりで、次の公演までの時間が 30 分ということもあって、例えスタンディング・オベーションが起きてもアンコール演奏はしないのだが、応えて彼は私が聴いたことがないピアノソロを弾いた。翌日係員の方に訊ねると、カプースチンの練習曲とのことだった。
 一方アシュケナージ指揮による OEK の演奏は3回あり、初日に2回、私が聴いたのは3回目となった辻井伸行との協演に先立って演奏された交響曲第 36 番ハ長調「リンツ」である。4日で書かれたというこの曲、息の合った演奏は優雅さに満ちていた。
3.アグニエシュカ・ドウチマル指揮/アマデウス室内オーケストラ
 名前はよく聞くが、直接聴いたには初めてである。創設者で音楽監督のこの指揮者は女性で、小柄だが精力的、独特なオーラを発する人だ。少人数ながら、その演奏は世界中で公演されているだけあって、洗練されている。曲は初めにモーツアルトが 1772 年、16 歳で作曲したザルツブルグ・シンフォニーといわれるディヴェルティメント3曲の2番目の作品、今回の公演では3曲とも演奏された。10 分ばかりの短い曲だが、演奏は簡潔でリズム感があり感動した。次いで 19 歳の時に書いたヴァイオリン協奏曲第3番ト長調、ソリストは韓国生まれのシン・ヒョンス、美貌の持ち主、彼女の演奏には初めて接したが、素晴らしい演奏だった。そして最後はポーランド出身のキラールが作曲した「オラヴァ」という弦楽オーケストラのための作品、楽器を違えての簡潔なリズムの反復、ラヴェルのボレロを彷彿とさせる作品だが、優雅さより力強さと素朴さを、そして野趣みのある反復はアフリカの音楽を彷彿とさせた。そしてアンコールでは同じような曲名不詳の曲が終始ピチカートで演奏され、これも度肝を抜くアフリカを思わせる曲、凄い反響だった。
4.リッカルド・ミナーシ指揮/ザルツブルグ・モーツアルテウム管弦楽団
 管弦楽団は 1841 年創設とか、海外公演も多く、ザルツブルグ音楽祭の主役でもある。指揮者のリッカルド・ミナーシはこの楽団の首席指揮者であり、直に演奏を聴いたのは今回が初めてで、今回の音楽祭の最大の目玉だった。6公演あり、私は3回聴いた。ピアニストとしての共演者は、モーツアルト作曲のピアノ協奏曲第 20 番ニ短調をモナ・飛鳥と、同じく第 22 番変ホ長調を菊池洋子と、そして第 24 番ハ短調を田島睦子が行った。共演者の田島は地元だが、後の二人は国内外で活躍していて、モナ・飛鳥さんの演奏は初聴であった。オーケストラ演奏は、セレナード第 13 番ト長調「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」と交響曲第 38 番ニ長調「プラハ」、本場の味を味わえた。
5.ヘンリク・シェーファー指揮/オーケストラ・アンサンブル金沢
 OEKには現在正指揮者は不在で、この音楽祭では、アシュケナージ、天沼裕子、シェーファーが振った。曲目はシューベルトの交響曲第7番ロ短調「未完成」、この曲は2楽章のみなのに、終わって拍手したのは私のみ、暫くして指揮者が客席に向き直って初めて万雷の拍手となった。交響曲は4楽章と暗に認識されていたからだろうと思う。

いしかわ・金沢「風と緑の楽都音楽祭」

 オーケストラ・アンサンブル金沢 (OEK) の前音楽監督の井上道義氏が、10年前に、5月の3〜5日をメインに、通常の定期演奏会のほかに、金沢をメイン会場とする「ラ・フォル・ジュルネ金沢」なる音楽祭を、フランスでの金沢市の姉妹都市のナンシー市と提携して発足させた。毎年テーマを設定して、内外の多くのアーティストを呼び、田舎の都市としてはかなり反響を呼んだ催しとなった。しかしエージェントとの契約が一昨年終わったこともあって、独自の企画で音楽祭を継続しようという機運が高まり、昨年に表題の新生音楽祭が誕生した。一昨年まで9回続いた「ラ・フォル・ジュルネ金沢」は主に井上前音楽監督がリーダーとなって牽引してきたが、これからは独自で新生音楽祭を企画しようということになり、昨年から発足した。このような意見の相違もあってか、昨年の音楽祭には井上音楽監督は一切棒を振らなかったし、これが誘因だったかどうかは分からないが、彼は今年3月には OEK を去った。
 さて昨年はベートーベンを特集して、交響曲全9曲を演奏するなど、全 178 公演が挙行されたが、第2回となる今年は、モーツアルトをメインテーマに 177 公演が企画された。発表によると、来場者数は 112,960 人で、昨年の 111,840 人を上回ったとのことだった。会場は石川県立音楽堂のコンサートホール (1560 席)、邦楽ホール (720 席)、交流ホール、金沢市アートホール (304 席)、北國新聞赤羽ホール (504 席)をメインに開催され、オーケストラ8団体、指揮者9人、演奏者 50 人、その他8人が招聘された。
 この音楽祭の各有料公演には入場券を求める必要があるが、0EK の会員には予め公演の2ヵ月前に先行予約の特権があり、予約できるシステムになっている。しかしこの予約では座席を指定することは出来ず、自動抽選となる。だからもし席を選ぶのであれば、先行予約後の残り席の中から、一般発売後に指定して購入する必要がある。私は1日3公演、3日で9公演を先行予約した。
 私が聴いた公演は次のようであった。オーケストラと指揮者は、ザルツブルグ・モーツアルテウム管弦楽団 (リッカルド・ミナーシ指揮 ) の3公演、アマデウス室内オーケストラ (創設者のアグニエシュカ・ドウチマル指揮) 1公演、紀尾井ホール室内管弦楽団 (広上淳一指揮)2公演、オーケストラ・アンサンブル金沢 (OEK)(ウラディミール・アシュケナージ、ヘンリク・シェーファー、ライナー・キュッヒルが指揮)が3公演の計9公演。演奏者は、ヴァイオリンは、ライナー・キュッヒル2公演、シン・ヒョンス1公演、坂口晶優 (地元金沢辰巳丘高校講師)1公演、ハープ (吉野直子) とフルート (高木優子) のデュオ1公演、ピアノはペーター・レーゼル1公演、モナ・飛鳥 1公演、辻井伸行 1公演、菊池洋子 1公演、田島睦子 (石川出身) 1公演、声楽は山口安紀子、鳥木弥生 (石川出身)と高橋洋介とでの1公演である。
 以下に私が聴いた公演で印象深かったものを記してみる。
1.ライナー・キュッヒル弾き振りの2公演
 この人はウィーン・フィルのコンサートマスターを 45 年も勤めた大御所、OEK とも何回か共演しており、私も聴いたことがある。とにかくヴァイオリンでのリードもさることながら、その音の色調や力強さと繊細さは抜きん出ていて、モーツアルト作曲のヴァイオリン協奏曲第5番イ長調「トルコ風」では、OEK がバックアップして素晴らしい雰囲気を醸し出していた。正に乾坤一擲の演奏だった。またOEK の弦楽アンサンブルとの共演では、モーツアルトの弦楽四重奏ともいえる3曲のディベルティメントの中では最も有名なニ長調が演奏されたが、その音色は実に際立って光っていた。次いで弦楽四重奏用に編曲された「アダージョとフーガ  ハ短調」が演奏された。次にモーツアルトを離れて、レハールの「メリー・ウィドウ」より「行こうマキシムへ」と有名な「ヴィリアの唄」、そしてシュトラウス2世の「南国のバラ」と「美しく青きドナウ」が演奏されたが、よく敷衍されて誰でも知っている曲だが、キュッヒルのリードで、管弦楽での演奏とは一味違った新鮮味が感じられ、聴衆を魅了した。

2018年5月7日月曜日

トロッコ電車での新緑の黒部峡谷

 横浜に住む長男が4月28日に帰郷して5月5日まで滞在した。帰郷した折の常として、1日は何処かへ出かけるのが常態化している。それで今年は「のとじま水族館」が大水槽をリニューアルしたとかで出かけようかと算段していたが、本人は黒部峡谷へ行きたいということで出かけることにした。行けるのは5月1日のみとか、私も万障繰り合わせて同行することにした。天気は上々、翌2日からは天気は下り坂という。
 家を朝7時に出た。白山 IC で北陸自動車道に入り、有磯海 SA で食事し、その後黒部 IC で下り、県道を宇奈月温泉へ向かう。天気は晴れ、暖かい日射しが注ぐ絶好の行楽日和だ。街に入り、富山地方鉄道の宇奈月温泉駅を過ぎると、黒部峡谷鉄道の宇奈月駅が見えてくる。係員の指示に従い、駅前近くの有料駐車場に車を停める。乗用車の利用料金は 900 円、約 350 台停められるという。駅で切符を求めると、今日は鐘釣までしか行かないとか、料金は 1,410 円、終点の欅平までは5月5日に開業の予定とか、やむを得まい。それにしても駅構内にはマスコットキャラクターの2体はともかく、正装した面々が大勢いて、聞けば今日は開通を祝ってのセレモニーが駅ホームで行われるとか。来賓の中には、富山出身の女優の室生滋さんも居て出席されるという。鉄道は4月20日に宇奈月〜笹平間が開通してはいたが、晴れのセレモニーとしては5月1日が相応しいのだろう。
 10時10分頃にセレモニー出席者が会場の駅ホームへと移動、その後暫くして改札が始まった。黒部峡谷鉄道会社の社長と宇奈月駅の駅長、続いて地元宇奈月温泉観光協会の会長、来賓の黒部市の市長らが挨拶、最後に室井滋さんの挨拶があり、セレモニーは終了した。沢山の観光客もこの珍しくも出くわしたセレモニーに聴き入っていた。
 出発は 10:44 、私達が乗った客車は有蓋でオープン型の普通客車、1〜7号車があり、私達が乗ったのは7号車、ほかに通常の客車タイプのリラックス客車 (窓付き) が6輛連結されている。天気が良くて
峡谷を満喫するにはトロッコタイプの通常客車が相応しいと思う。後での説明で分かったことだが、牽引する電気機関車は ED 型2輛、1台で客車7輛を引くことができるとかで、機関車2輛での重連だった。今日の終点の鐘釣までは約1時間、私にとっては久しぶりの乗車だった。
 駅を出発して間もなく、この鉄道のシンボルにもなっている深紅の鉄橋の新山彦橋を渡る。乗っている客からよりも、旧鉄橋の山彦橋からの眺めが秀逸だ。山々は新緑一色、電車は橋を渡って黒部川右岸を進む。左手には平行して冬季歩道が見え隠れしている。そして眼下には黒部の流れ、電車は徐々に標高を上げ、柳橋、森石を通過して黒薙に至る。ここまで25分。この駅から20分歩いたところにある黒薙温泉はこの峡谷最古の温泉で、下流にある宇奈月温泉の源泉ともなっている。
 黒薙川に架かる後曵橋を渡り、再び本流右岸を進む。出し平ダムはコバルト色に染まって見え、対岸には新緑の出し六峯が見える。笹平、出平、猫又を過ぎ、本流に架かる鐘釣橋を渡ると鐘釣駅だ。ここまで約1時間の乗車、復路の電車出発まで45分間あり、駅周辺をブラつく。駅の山手には黒部川の氾濫を防ぎ、洪水から守るために安置されたという鐘釣三尊像が祀られている (片道1分)。またホームの上流側の階段を川に向かって下りると、黒部万年雪展望台があり、ここからは対岸の百貫山に積もった雪が百貫谷の谷筋に落ちて堆積し、夏でも溶けずに残る黒部万年雪を本流対岸に見ることができる展望台 (片道3分) がある。またここからは下流にある鐘釣美山荘と上流にある鐘釣温泉旅館を見渡せる。また更に上流には片道15分で本流の露天風呂のある河原に降り立つこともできる。時間が来て、私達はここから宇奈月に引き返した。往きにも帰りにも随所で案内があったが、アナウンスしていたのは室井さんとのことだった。5日には終点欅平まで全線開通するという。資料を見ると、標高は宇奈月 224m、鐘釣 443m、欅平 599m 、距離は宇奈月から鐘釣までが 14.3 km、欅平まで 20.1 km 、所要時間は終点までは約 80 分とある。
 振り返って、私がこのトロッコ電車を多用したのは約60年前、まだ大学生の頃、欅平から祖母谷温泉を経由しての白馬岳への登下行や、欅平から業務用エレベーターで 400 m 上り、更に高熱隧道を抜けて阿曽原温泉に至り、ここを拠点にして黒部川本流の下廊下を探訪したり、裏劔の遊んだことを思い出す。現在は阿曽原温泉へは山道を歩いてしか行けず、片道6時間を要する1日コースとなっている。当時はまだ黒部ダムはなく、上廊下入り口の平の渡しまで川筋を遡行することができた。また私達が便乗していたトロッコは関西電力の専用鉄道、無蓋で正にトロッコそのもの、安全保障のない営業形態だった。今は正に至れり尽くせり、隔世の感がある。現在は正に観光スポットそのものだ。

2018年4月5日木曜日

「やまぎし」営業時間短縮で再開

 「やまぎし」は1月と2月は冬季休業しますと年賀状にあったが、予定どおり3月には2日 (金) から再開していた。電話でやっていますと聞いて伺ったのが9日の金曜日、この日は主人の山岸さんとも談笑でき、美味しいそばを頂き満足した。ところでその一週後に出かけた家内の従姉妹からは、当分休業という張り紙が玄関に出してあったと言うではないか。それでその2日後に私も訪れそれを確認した。そこには当分の間とあった。
 4月3日、私の車のハイラックスサーフの定期点検でトヨタ野々市店を訪れた。勤務していた頃は最低1日12㌔は走っていたものだが、辞めてからは乗る頻度は少なくなり、それで前回の点検ではバッテリーを交換する羽目になり、担当の方からは、少なくとも1日8㌔は走って下さいと言われたが、なかなか実行できていない。今回も一応良好ですが、走っていないので容量が下がっていますので、これは走らないとカバーできませんから、ぜひ走って下さいと言われた。頃は丁度お花見時、今夕は見頃の兼六園へ花見にでもと家内と話していたが、車を少し走らせなさいと言われた手前、これも見頃の鶴来の樹木公園にでも行ってみようかと家内に話したところ、じゃ「やまぎし」のある左礫までドライブしようかと提案され行くことに。野々市からは片道30㌔、往復60㌔だ。
 出かけたのは10時過ぎ、はじめに古い御札を納めに白山さんへ寄る。ここまでの沿線にある桜は今が盛りの満開、山の中腹にも桜が、でもあれは自生の山桜ではなく、植栽されたソメイヨシノなのだろう。お参りした後、樹木公園の桜を左手に見ながら、鳥越大橋を渡って上流へ。谷間に広がる田圃では粗起こしも始まっている。旧鳥越村の役場があった別宮を過ぎて山間に入ると、道端や田圃にはまだ残雪が、この辺りではまだ早春の装いだ。そして左礫の「やまぎし」に着いた。すると車が3台、てっきりまだ休業中だとばかり思っていたのに、玄関の戸が開いているではないか。これには驚いてしまった。駐車場に車を停め、中へ入ると、元気な様子の山岸さんと奥さん、中には末の妹さんも、いつものフルメンバーだ。山岸さんはいつもの飄々とした感じ、奥さんもお元気な様子、あの当分の休業は何だったのだろうと訝った。ただ玄関の張り紙には、これまでは午前11時から午後3時までだったのに、営業時間は都合で午後2時までにしますとあった。
 問わず語りに話されたのは、あの想像を絶する大雪に孤軍奮闘され、その過労からきた心不全で私が入院する羽目になりましたと話された。私達平地でもあの大雪にはしっぺこいて往生したのに、あの山奥では想像に絶するものだったろう。それも山岸さん独りで、始めは除雪機が有効だったが、雪の量が多くなり、終いには人力のみ、これには本当に参ったと話されていた。私達が再開後にお寄りしたのは3月9日、あの日お会いした様子では何時もと変わらず飄々としておいでた感じだったが、でもその2日後には体重がいつもは59㌔なのに65㌔にまでになり、その上浮腫と不眠もあり、これは入院しなければと思い、当分の間休業しますという張り紙を出し、その後夜道を自分で運転されて白山市の松任石川中央病院へ行かれたという。誰しも救急車対応と考えられるのに、あの時間、あの山奥まで来て貰うには遠慮があったという。全く常人の仕業ではない。そして3週間入院され、3月末日に退院されたという。それで早速4月1日の日曜日から再開されたが、当分の間は体調のことも考え、営業時間を1
時間短縮したとのことだった。でも退院後初日の4月1日には40人を超す客があり、追い打ちをしなければならなかったと話されていたが、今後とも身体には十分気を配ってほしいと思わずにはいられなかった。
 山岸さんは、「木村さんが見えた2日後に入院し、退院して2日後に店に見えたのは、何か因縁めいていますね」と話された。無理なさらずに、健康に留意され、これからも美味しい蕎麦を提供していただきたいと心から願わずにはいられなかった。午後1時近くになって「やまぎし」を辞したが、店を出て間もなく、昼食は午後1時にこの「やまぎし」でと語っておいでる、当世マタギの H さんの車とすれ違った。

2018年3月28日水曜日

探蕎会の存続を巡っての会の結論

 昨年 (2017) 12月に行われた世話人会 ( 会長、事務局長、世話人8人中7人出席)で、前田事務局長から、会員の高齢化で行事の遂行が難しくなったので、会を解散してはどうかとの提案があった。振り返って、会の行事としての大きな柱は、丸岡の海道さんの好意に甘えて、春と秋に丸岡蕎麦道場にお邪魔したことであった。春は山菜、秋は新そばを堪能させて頂いたが、やがて秋のみとなり、それも海道さんの体調のこともあり、一昨年からは中止になった。またもう一つの柱だった塚野世話人が主宰されてきた湯涌みどりの里での会員そば打ちも、諸般の事情で平成30年からは実施されないことになった。また年2回、春と秋に実施してきた県外への蕎麦探蕎行も、以前はマイクロバスをチャーターして会員の方が運転して出かけていたが、運転する方の高齢化とも相まって、自家用車で出かけるようになり、すると人数も制限され、また回数も1回のことが多くなった。また会員に OEK (オーケストラアンサンブル金沢 ) の第2ヴァイオリン首席奏者の江原さんがおいでたこともあり毎年新春コンサートを開催してきたし、その後に企画された会員の方々による講話も大きな目玉だった。でもこれらの催しも平成30年の総会では行わないこととし、総会では世話人会で了承を得た「会の解散」を主たる議題として、会員の皆さんのご理解を得るべく努力することになった。私もこれら諸般の事情と、事務局にはこれまで行事の企画・立案・交渉・会員への案内・事業の遂行のほか、会報「探蕎」の原稿募集・レイアウト・印刷・校正・発行・発送など、すべておんぶにだっこで、随分と過重な負担をおかけしてきたこともあり、前田さんからの提案に異を唱えることは憚れた。
 さて、平成30年の探蕎会総会は、3月25日の日曜日、午前 11 時〜午後2時に、ANA ホリデイ・イン・金沢スカイ 10 階の「白山」で開催された。冒頭寺田会長から、会の大きな柱だった丸岡蕎麦道場への訪問と湯涌みどりの里での会員そば打ちが廃止になったこと、会員の高齢化に伴い県外への探蕎行も低調になったこと等もあって、世話人会では会を解散してはどうかと提案があったこと、それで今後の探蕎会の存続について、会員の皆さんから忌憚のない意見を出して頂きたいと挨拶があった。また続いて行われた前田事務局長からの平成29年の行事報告と決算報告の際にも、重ねてこの会を解散したい旨の発言があった。しかしここですぐその賛否を問うことは憚られ、会食が始まった後で、先ずは出席の方全員から「探蕎会の存続について」のご意見を伺いましょうということになった。この日の出席者は21名、うち世話人は9人だった。
 それで松川さんと私とで、会食の合間に出席者全員からご意見をお伺いした。世話人の方は経緯をよくご存じなこともあって、解散もやむを得ないとのことだったが、それ以外の方々は、この会には愛着があること、行事がなくなっても1年に一度は同窓会的な雰囲気でよいから集まったらどうかとの意見が多く、とてもここで採決をとることは憚れた。一方で多くの会員の方々からは、行事の折に「探蕎」への原稿書きを指名で依頼されるのが苦痛でトラウマだったとの声も聞かれた。それもあって寺田会長の閉会の挨拶では、探蕎会の存続については、年に一度は皆さんとお会いし、お酒でも酌み交わし、旧交を温めましょうという集まりの会にしませんかということになった。
 また今回の総会のパンフレットの中開きに、寺田会長が纏められた「探蕎会の足取り」が掲載されていた。平成10年から29年までの会の行事を俯瞰することができる素晴らしい資料で、これは出席した会員の皆さんにはすこぶる好評だった。以前に参加したことのある行事が何時だったのかが一目で分かるという代物で、出席した行事に思いを馳せ、思い出しては話題に花が咲いた。
 振り返って、我が師の波田野先生 (初代探蕎会会長、故人) から「蕎麦の会をつくりたいがどうかね」と電話を受けた時、それは素晴らしいことですねと返事したことを思い出す。先生は金沢大学を辞されて福井県衛生研究所へ赴任されて「蕎麦」に目覚められ、職務上出張で行かれた全国各地で蕎麦を食され、「無責任番付」なるものを作成されていた。そして辞されて間もなく5人の発起人と相まって「探蕎会」を発足させた。その後先生から入会のお誘いがあり入会した。振り返ってこの20年、発起人でもあった前田さんと塚野さんには大変ご尽力頂いた。心から感謝したい。それで会の機関誌「探蕎」も64号で最後となるようだ。

2018年3月22日木曜日

「やまぎし」は当分の間休業との知らせ

 「やまぎし」は1月と2月は冬季休業しますとあったが、今冬は大雪だったこともあって、3月に果たして開業できるかと訝っていたが、3月9日 (金) に電話したところ、3月2日からやっていますという山岸さんからの返事で早速出かけた。道路は完全に除雪されていますと言われたとおり、左礫までの道路は道端には半端でない雪の壁はあるものの、すいすいと店まで着けた。この日は山岸さんと末の妹さん (金沢市田上在住) の二人のみ、いつもは奥さん (金沢市大額在住) もお出でて3人体制なのだが、まだ始まったばかりでそんなに急がしくないからおいでないのだと思ったりしていた。そんな思い入れもあって、私は特段山岸さんには「今日は奥さんはおいでにならないのですか」とは訊かなかった。でも私がいつも御入来の H さんのお話を聞いていた間、家内は妹さんと談笑していたが、その会話の中で、奥さんは一寸身体の具合が良くないので今日はお休みと伺ったと家内から聞いた。それで私も家内もいつもお元気な奥さんのこと、今はインフルエンザも流行していることだし、それで大事をとっておいでるのだろうと思っていた。
 私達が「やまぎし」へ訪れた1週間後、家内の従姉妹から「やまぎし」へ行きたいと連絡が入った。行くルートや電話番号などのほか、食べるなら「黒」を頼みなさいとか、一つ手前の部落の渡津の「蛍の里」でとれた蛍米のおにぎりを賞味しなさいとか、天ぷらも美味しいとか、いろいろアドバイスをしていたようだ。行くのは翌土曜日の3月17日とかだった。当日従姉妹達はカーナビで左礫を目指したが、一つ手前の渡津でナビに不具合が起き、ここを左礫と思い違いし探したが見当たらず、家内の携帯に電話があったという。家内は一つ手前の部落ではないかと思い指示したらしいが、その後ナビが復旧して無事「やまぎし」に着けたようだった。ところが「やまぎし」の玄関に「当分の間休業します」という貼り紙がしてあったと連絡が入った。
 大きな紙に書いてあったというから、私はその文面に何か手掛かりになる理由でも書いてあるのではと思い、直接目で確かめたくなり、3日後の20日の火曜日に「やまぎし」へ向かった。前に行った時はまだ1m もの雪があったが、10日ばかりの間に随分と少なくなっていた。着いたのは正午過ぎ、玄関には次のような文言の紙が貼られていた。
「御案内/大変ご迷惑をお掛けしますが 当分の間 休業させて 頂きます/どうぞよろしくお願い致します/店主」
 これを見て、私も家内も、9日に寄った時に奥さんがおいでにならなかったこと、当分の間ということは、奥さんの看病をしなければならなくなったのではと思いを馳せた。お聞きする手だてはあるけれども、家内では当分はしない方が良いのではということで、それはしないことにした。
 午後1時近くになり、従姉妹達はこの前ここ「やまぎし」で蕎麦を食べられなかったので、出会 (旧鳥越村) にある道の駅「一向一揆の里」の食彩館「せせらぎ」で鳥越そばを食べたというのを思い出し、まだ一度も食べていないので寄ろうかと提案した。すると家内は道の駅「瀬女」にある「山猫」へ行こうという。昨年は4度ばかり訪れたが、いつも時間がお昼時ということもあって、1〜2時間待ちという盛況ぶり、今日なら平日でもあり何とかありつけるのではとの期待を込めて向かった。別宮から釜清水、木滑を経由して瀬戸へ、でも平日なのに道の駅には車が多い。「山猫」の前に車を停め、いざ店へ、でも閉まっていた。よく見ると、小さく火曜日と水曜日は定休日ですと書いてあった。
 家へ向かう道すがら、途中の吉野の「花川」は家内はパスをするというし、また鶴来の「草庵」は女将さんがいるかどうか分からないからとパス、とどのつまり新神田の「亀平」に落ち着いた。午後2時近かった。店は私達を入れて5組、繁盛している。私達はいつものように立山の冷酒に、つまみに「そばみそ」「てんぷら」「だしまきたまご」を、そして〆には「十割そば」を頂いた。営業時間の午後3時前に店を辞した。今日は大相撲春場所10日目、いつものようにお酒を飲みながら、テレビで鑑賞することに。「遠藤」や「輝」らの郷土力士の活躍に力が入る。
 どうか早く本復されて元気になられ、再び「やまぎし」でお会いしたいものだ。 

2018年3月14日水曜日

冬眠明けの「やまぎし」を訪ねる

 今年の山岸さんからの年賀状には、「1月と2月は冬眠休業します」とあった。奥深い山奥のこと、さもありなんと思ったものだ。しかし山岸さんの家がある左礫のさらに奥5km の阿手にあった鳥越大日スキー場には以前よく通ったものだが、雪道だったものの車で十分行けたものだ。とすれば、今はスキー場こそないものの、左礫の上流には阿手を含め3部落あることから、積雪期とは言え、少なくとも道路の除雪はされているのではと思う。でも冬眠というからには、1月2月は交通の便はやはり悪いのだろうと思ったりした。
 ところで今年は半世紀ぶりともいえる大雪に見舞われ、立春寒波の折には、金沢でも一時積雪は87 cm にもなり、街中の融雪装置がない道路では除雪もままならず大変だったようだ。そして幹線道路も大渋滞、鉄道も在来線は運休で大混乱、ここ数年は暖冬で気が緩んでいただけに本当に往生した。それにしても北陸新幹線は平常通り運転していたのは驚きだった。我が家でも除雪というか、車2台のスペースの確保に連日汗を流したものだ。庭にはその時の雪の名残がまだ残っているものの、その残雪も3月半ばには無くなるだろう。
 こんな大雪だったものだから、山はもっと大変だったろうし、「やまぎし」も休業は1月と2月だけと言われていたが、ひょっとしてまだ開業は無理なのではなかろうかと勝手に憶測したりしていた。定休日は水曜と木曜なので、3月の第2週の9日に、やっているとすれば営業しているはずの 11 時に、念のため電話してみた。すると3月2日からやっていますととのこと。道路には雪もなく、来られるのには全く心配はありませんとのこと、それではと早々に家内と訪れることにした。
 道路に雪はないとのことだったが、念のため私の四駆のハイラックスサーフで出かけることに。私が住む野々市周辺には全く雪はなく、でも鶴来辺りまで来ると、路肩には雪が残ったりしている。道が大日川に沿って上流へ向かうと、道路には雪がないものの、周辺にはまだ雪が残っていて、別宮を過ぎると残雪の量も次第に多くなり、左礫辺りでは道路にこそ雪はないが、道端の雪の壁は優に1m は超えて
いる。後で聞いたところでは、降雪時には午前1回、午後1回除雪車が入ったので、車の運転には支障がなかったとのことだった。でも枝道は除雪されていなくて、山岸さんのところも玄関先は除雪されていたものの、奥まった駐車場は1m余の雪で埋まったいた。家から1時間ばかり、12時半には「やまぎし」に着いた。車が2台停まっていた。
 この日は山岸さんと末の妹さんの二人、お客は3人、今日は焼酎 (財宝) がないのでお酒にして下さい
とのこと、手取川を2杯貰うことに。そばは家内は「黒」の普通盛り、私は「田舎粗挽き」の普通盛り、そして「天ぷら」を2人前、酒以外はいつものコースだ。この時期天ぷらの具材は少なく、ありきたりのかきあげだったが、これはこの時期致し方のないことだ。ところで今日の蕎麦は加賀市宮地の産とか、「やまぎし」では北海道産も扱うが、宮地の方が味も香りも良いとか、家内は久々に美味しいそばを味わったと感激していた。私はいつものように岩塩をまぶし、酒を飲んだ。至福の時間だ。先客が帰り、久々に山岸さんと談笑した。窓が雪で埋まっていたが、つい3日前にやっと窓から空が見えるようになったとか。でもまだ雪は深い。
 午後1時過ぎになり、これまでも何度かこの時間帯に出会ったことのある N さんが御入来になった。マタギまがいの彼氏は大概ここ「やまぎし」で昼食をとるのが常らしい。まだこの辺りは一面雪だが、1カ所だけ雪が早くなくなる場所があり、今日はそこでフキノトウを採ってきたという。そこのフキノトウは他所と違って苦みが少なくて上品な味がするとか。そして彼が注文したのは「黒」の大盛りに特大の「蛍米のおにぎり」と「天ぷら」、すごい健啖家だ。昨年母親を亡くしてからはフリーで、今は四季を通じて山に入り、山菜採りばかりでなく、時に猪も捌くという。山には送電線の巡視路や植林の作業路を利用しているという。また山歩きは鞍掛山をホームグランドにしているようだし、スキーも大変上手だとか。また左礫の裏手の大日川と手取川の分水嶺である白抜山から鷲走ヶ岳にかけての山はホームグランドのようなもので、よく入るという。さらに驚いたことに、クロダイがある時期ある時刻にある気水域に上がることを知っていて、獲りに行くとか。活き絞めの技術も持っているとか。いろいろ面白い話を伺った。この間、家内は末の妹さんと談笑していた。
 午後2時に「やまぎし」を辞して、初めて別宮から軽海を経由して家に帰った。