2018年11月15日木曜日

新シーズン第3回目の OEK 定期公演は圧巻だった(1)

 2018 年9月に始まった OEK (オーケストラ・アンサンブル金沢 ) の新シーズンの演奏会も、11 月に入ってシーズン第3回目の第 408 回定期公演フィルハーモニー  シリーズが 11 月1日に石川県立音楽堂コンサートホールで開かれた。OEK が本拠地の金沢で定期公演するのは、年間でフィルハーモニー・シリーズが8回、マイスター・シリーズが5回の計13回で、ほかにファンタスティック・オーケストラコンサート (以前は定期公演にカウントされていたが、現在はカウントされていない)が3回ある。さて、今回の OEK 設立30年のこのシーズン第3回目の定期公演のキャッチフレーズは、「 OEK と日本が誇る世界の マサアキ・スズキと OEK の至福の化学反応」とある。しかし私は不覚にもこの著名な指揮者の名は知らず、ましてや聴いたこともない。でもこの驚くべきキャッチフレーズを見て、これまで接したことのない新しい感覚での演奏や演出が見られるのではないかと心待ちにし、期待もした。
 第 408 回定期公演の概略は、指揮:鈴木雅明、ソプラノ:リディア・トイシャー、テノール:櫻田 亮、合唱:RIAS 室内合唱団、コンサートマスター:アビゲイル・ヤング ( OEK 第1コンサートマスター)という触れ込み。演奏曲目は、クラウス/教会のためのシンフォニア、モーツアルト/交響曲第40番ト短調、メンデルスゾーン/キリスト、同/詩編42番「鹿が谷の水を慕いあえぐように」の4曲。これらの曲目では、モーツアルトの交響曲第40番以外は聴いたことがあるかも知れないが記憶にはなく、しかも声楽曲とあっては尚更だ。また指揮者の鈴木雅明という方も私には未知の方であり、どんな演奏が聴けるのか、実は聴くまでは楽しみと不安が入り交じった感情だった。
 指揮者の鈴木さんのプロフィールはというと、現在東京藝術大学の名誉教授であり、イェール大学やシンガポール大学でも客員教授をされているという。そしてバッハ・コレギウム・ジャパンの創設者であり、バッハ演奏の第一人者としても名声を博されているとのこと、また近年はバロック・アンサンブルとの共演も多いという。だからかその功績もあって、ドイツ連邦共和国からは功労勲章を授与されているし、ドイツ・ライプツイッヒ市より「バッハ・メダル」、ロンドン王立音楽院からもバッハ賞を受賞されているという。また日本でも紫綬褒章を受賞されている。そして母校の東京藝術大学に古楽科を新設されたとも。でも私にとっては初めて接する方だった。
 プログラム
1.クラウス:教会のためのシンフォニア ニ長調 VB 146
 クラウスはドイツで生まれ、スウェーデンで活躍した宮廷作曲家とある。生年はモーツアルトと同じ1756 年、没年はモーツアルトの1年後の 1792 年、モーツアルトと同じく早世だったという。作風も当時の作風もあってか、聴くと聴いたことがあるような旋律があるのに気付く。「スウェーデンのモーツアルト〕と言われる所以に納得できる。生前にイタリア、フランス、オーストリアを巡る旅に出た折に、ウイーンでモーツアルトの知遇を得たという。この曲は 1789 年の作曲で、ストックホルムの聖ニコライ教会で行われたスウェーデン議会の開会式で初演されたという。曲は2部構成で、モーツアルトの交響曲を思わせるような穏やかで心が和む曲だった。鈴木さんの指揮はというと、穏やかながら、両手上半身をフルに使われての指揮、静かな曲だが、それにしても驚きの指揮だった。

2018年9月27日木曜日

OEK (2018 - 2019) 定期公演始まる (2)

「新年度初めての定期公演」
 設立 30 周年を迎えたシーズンの皮切りの第 406 回定期公演が石川県立音楽堂コンサートホールで 2018 年9月 20 日に開催された。指揮は新しく常任客演指揮者になった川瀬賢太郎、ピアノは小山美稚恵、コンサートマスターはアビゲイル・ヤングだった。川瀬賢太郎は弱冠 34 歳ながら、神奈川フィルの常任指揮者、名古屋フィルの指揮者、八王子ユースオーケストラの音楽監督をしている。これまでも何回か OEK を指揮していて、その端正な指揮ぶりには定評がある。小山美稚恵は日本を代表するピアニスト、チャイコフスキー国際コンクールやショパン国際コンクールに入賞された実績を持つ重鎮、久しぶりにお目にかかったが、オバサンになられた。昨年度はこれまでの功績で紫綬褒章を授与されている。アビゲイル・ヤングはもう随分前から OEK の第一コンサートマスターをされていて、定期公演の半分以上はコンサートマスターを務めておられ、ソロ奏者としても素晴らしい技巧をお持ちで、これまで何回も超技巧の難曲を聴かせて頂いた。
 さて今年度初回の定期公演は、ハイドン、モーツアルト、ベートーベンの3曲、どなたの選曲かは知らないが、共通しているのは、この3人の天才が同時期に生存していたということである。ハイドンは 1732 - 1809 、モーツアルトは 1756 - 1791 、ベートーベンは 1770 - 1827 、そうすると、ベートーベンが生まれた 1770 年からモーツアルトが没した 1791 年の 21 年間は、3人が共存していたことになる。演奏されたハイドンの交響曲第90番は 1778 年の作品、モーツアルトのピアノ協奏曲第20番は 1785 年の作品、ただベートーベンの交響曲第5番はモーツアルトの没後の 1808 年に出来上がった作品である。
1.ハイドン:交響曲第90番ハ長調  Hob. 1− 90
 ハイドンの「パリ交響曲」群の続編の2曲中の1曲、初めて聴く曲だった。ところでこの曲の第4楽章、弦・管・打が大音響であたかも曲が終わったかのような印象、当然大きな拍手、ところが指揮者は暫くしてやんわり拍手を制して再び演奏を続行、そして再び全曲が終わったような演奏、今度こそ終いと当然大きな拍手が、ところが再び指揮者が間をおいて拍手を制して再度演奏を続行、そして三度目の大団円が本当の終いだった。この曲も一度でも聴いていればこんな失態をやらかす羽目にはならなかったと思うが、何ともハイドンらしい茶目っ気のある曲だった。よく引き合いに出されるのは、ウェーバーのピアノ曲の「舞踏への勧誘」である。
2.モーツアルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K. 466
 モーツアルトには短調の曲は少なく、41番まである交響曲ではト短調の第 25 番と第 40 番の2曲のみ、また27番まであるピアノ協奏曲でも、このニ短調の第 20 番と ハ短調の第 24 番のみと少ない。さて演奏は、ベテランのピアニストと新進気鋭のコンダクターの取り合わせ、カデンツァの部分もかなりあり、指揮には随分気を遣っている様子が伺えた。しかし終わってみれば、実に晴々とした二人の表情が実に印象的だった。ひょっとして初めてのコラボだったのでは。鳴り止まぬ拍手に応えて弾かれたアンコール曲は、バッハ作曲平均律クラヴィア曲集第1部「 24 の前奏曲とフーガ」から第1番ハ長調、4分弱の曲、丁寧な弾き方だった。
3.ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 作品67「運命」
 言わずと知れたあの冒頭のタタタ・ターンというリズムのある曲、作曲者のベートーベンが「運命が扉を叩く音」と語った音は、曲は知らなくても誰もが知っていよう。熱演だった。アンコール曲はシューベルト作曲「ロザムンデ」から間奏曲第3番変ロ長調、この曲もよく知られている曲だ。
 終わって指揮者の川瀬さんから挨拶があった。このシーズン何度か棒を振られるだろうが、新進気鋭の俊英の川瀬賢太郎さんに今後も期待したい。

OEK (2018-2019) 定期公演始まる (1)

「これまでの30年とこれから」
 本年9月から、新しく OEK (オーケストラ・アンサンブル金沢 ) の芸術監督に就任したマルク・ミンコフスキの下での 2018-2019 定期公演が始まった。ところで、振り返って OEK が設立されたのは昭和63
年 (1988)、日本での著名な指揮者の岩城宏之さんが、彼が少年の頃、金沢第一中学校で学んだ縁もあって、当時石川県知事だった中西陽一さんに掛け合ってこの構想を持ちかけ、そして外国人も入れた40人からなる日本最初のプロの室内オーケストラが設立された。その後演奏の拠点となる石川県音楽堂もでき、内外での演奏活動も盛んになった。また設立時からコンポーザー・イン・レジデンス制度を取り入れ、主に国内の作曲家に作曲を委嘱し、その作品を初演してきた。岩城さんは私は初演魔だと言われていたことを思い出す。そしてこれら委嘱作品を CD 化し、一方で邦楽とのコラボを試みるなど、斬新な試みもなされてきた。しかし病魔には勝てず、他界された。現在は OEK の永久名誉音楽監督としてその名を残しておいでる。ほぼ20年の在任だった。
 岩城さんの没後、次期音楽監督に招聘されたのは、当時京都市交響楽団の指揮者をされていた井上道義さんで、着任されたのは平成 19 年 (2007) 、以後 10 年にわたって音楽監督を務められた。聴き慣れた曲よりはむしろそうでない曲を選ばれ、時に取っ付きにくい感じもしたものだ。斬新な企画として5月の連休にテーマを選んで、内外の音楽家や音楽集団を呼び寄せ、「ラ・フォル・ジュルネ」という企画を始めたのも井上さんだった。しかしその後平成 29 年 (2017) には5月の連休での企画が井上音楽監督の意に沿わない「風と緑の楽都音楽祭」となったこともあって、平成 30 年 (2018) 年3月には OEK を去られた。最後の定期演奏会でのお別れのメッセージが印象的だった。
 そして同年9月にこれまでの音楽監督ではなく、新しく芸術監督に就任されたのが、それまで OEK のプリンシパル・ゲスト・コンダクターだったマルク・ミンコフスキ氏で、現在はフランス国立ボルドー歌劇場総監督兼音楽監督に就任されており、OEK 初の外国人芸術監督を兼務される。これまで私は彼の指揮を2回聴いていて、最初は今年 (2018) 2月 26 日に県立音楽堂で開催された マルク・ミンコフスキ指揮のレ・ミュジシャン・デュ・ルーブル金沢公演、よく知られたメンデルスゾーンの名曲、序曲「フィンガルの洞窟」、交響曲第3番イ短調「スコットランド」と同第4番「イタリア」イ長調、この3曲を繊細で優美な響きで会場を魅了した。二度目は OEK の第 405 回定期公演でのドビュッシーの歌劇「ペリアスとメリザンド」、スクリーン映像を駆使した斬新な演出のオペラ公演、観ていて聴いていて度肝を抜かれた。ところで平成 30 年に就任され、次に定期公演で指揮をされるのは来年 (2019) 7月の第 417 定期公演、少し間が空き過ぎて寂しい気がする。
 本年9月に新体制が発足し、OEK のスタッフの変更があった。芸術監督:マルク・ミンコフスキ   (新)、首席客演指揮者:ユベール・スダーン(新)、常任客演指揮者:川瀬賢太郎(新)、指揮者:
田中祐子(新)、専任指揮者:鈴木織衛、コンポーザー・オブ・ザ・イヤー:池辺晋一郎 (2017-18)、狭間美帆 (2018-19) 、顧問:木村かをり、池辺晋一郎、永久名誉音楽監督:岩城宏之、名誉アドヴァイザー:前田利祐、桂冠指揮者:井上道義(新)、名誉アーティスティック・アドヴァイザー:ギュンター・ピヒラー、第1コンサートマスター:サイモン・ブレンディス、アビゲイル・ヤング、客員コンサートマスター:水谷 晃(新)、コンサートマスター:松井 直、名誉楽団員:ルドヴィード・カンタ
(新)。

2018年8月8日水曜日

OEK の新芸術監督にマルク・ミンコフスキ氏就任(2)

(承前)
 彼が OEK のプリンシパル・ゲスト・コンダクターに就任してシューマンの交響曲全曲を聴かせてくれたが、その次に選んだプログラムは、ロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師」の2幕もの、オペラ劇場での演出ならばさほど苦労することはないだろうが、限られた狭い空間での演出には苦労が伴う。しかも原語 (イタリー語 ) での進行、しかし両袖には日本語訳がテロップで流れるので、話してる意味は即十分に理解できた。この時の歌劇スタイルは演奏会形式というとか、演出はイヴァン・アレクサンダーによるもので、オーケストラの前後左右を有効に使っての進行だった。主役4人は来日したメンバー、脇役3人は留学経験のある日本の現役オペラ歌手、そしてこのコンサートのために結成された東京芸術大学卒業生を中心とした金沢ロッシーニ特別合唱団が脇を固めた。これまで何回かミニオペラが上演されたが、芝居形式で、何となくチャチな感じを受けたものだが、限られた空間を上手に使いこなすと、観客にも感動を与えるものだ。
 さてこの7月 30 日には、9月に OEK の芸術監督に就任するミンコフスキさんの指揮で、ボルドー国立歌劇場と県立音楽堂の共同制作になるドビュッシー作曲の唯一の歌劇である「ペレアスとメリザンド」が上演された。原作はモーリス・メーテルリンクである。5幕 15 場の構成、1月にフランス国立ボルドー歌劇場で上演されたばかり、そして金沢ではボルドーでの公演と同じステージ・オペラ形式での上演だという。これまで経験したことのない上演形式とて、特に照明や映像には工夫が見られ、舞台の前後に設けられた特大の紗の2枚のスクリーンには、波立つ海や薄暗い洞窟、眩い星空、そして星の光の流れなどが映し出され、このような新感覚の演出には度肝を抜かれた。この後東京公演が8月1日に東京オペラシティーコンサートホールで行われたが、東京でのスタイルはセミ・ステージ形式で行われたという。素晴らしい演出に感動した。
 舞台は OEK のメンバーを取り囲むように設置され、前後左右、そしてパイプオルガンが設置されている中二階も有効に使っての演出、そのほか衣装や照明、映像など、これらはすべてボルドー歌劇場から来日したスタッフによって設備調整が行われたという。この音楽堂でのこのような企画での演出には初めて遭遇した。そして舞台には、ペレアス役でテノールのスタニスラス・ドウ・バルベラックさん、メリザンド役でソプラノのキアラ・スケラートさんのほか、来日した5名の出演者が素晴らしい歌声を響かせた。また演出のほか、衣装、照明、映像、舞台を手がける 11 名も来日スタッフだった。あの紗のスクリーンに映し出された幻想的な映像は、全く新しい感覚での手法で、大道具を用いずとも、歌劇の上演は可能ということを示したもので、いやが上にも観客を虜にした。
 終幕、殺されたペレアスの死を悼んで床に伏しているメリザンドが息を引き取り、第5幕が終わると、暫くの沈黙の後、「ブラボー」の声とともに、会場からは沸き立つような拍手が鳴り響いた。カーテンコールでは、指揮者のミンコフスキさんや素晴らしい歌声を披露してくれた6人の出演者に万雷の拍手、何度もステージに出て来られてこれに応えられていた。また合唱・助演したドビュッシー特別合唱団の方々、そしてオーケストラ・アンサンブル金沢のメンバーにも惜しみない拍手が送られた。素晴らしかった。
 ミンコフスキさんの次の金沢での公演は、来年の7月6日の第 417 回定期公演までなく、プログラムは現在調整中だという。終わった後での挨拶を英語で述べられ、本来フランス人は頑にフランス語で話すのが常と思っていただけに驚いた。OEK の芸術監督に就任されたといっても、1年近くの空白、でも今後ボルドーと金沢の強力な架け橋になりたいとも述べられ、なるべく早い時期に OEK のボルドー公演を実現させたいとも語った。希望をもって OEK の更なる飛躍を期待したい。

OEKの新芸術監督にマルク・ミンコフスキ氏就任(1)

 2018 年7月 30 日の OEK (オーケストラ・アンサンブル金沢)の第 405 回定期公演に、9月から OEK の次期芸術監督に就任する世界的指揮者のマルク・ミンコフスキ氏が指揮して、クロード・ドビュッシー作曲の歌劇「ペレアスとメリザンド」が石川県立音楽堂コンサートホールで上演された。これまでもこの会場で数回オペラが上演されたが、今回は次期芸術監督に就任するとあってか、観ていても指揮者の素晴らしいまでの意欲が感じられ、期待以上の充実感と満足感で酔いしれた。私はこれまでミンコフスキ氏の指揮の演奏を過去4回聴いているが、今回の演奏ではこれまでにない新しい切り口での、またこれまで接したことのない新しい感覚での演奏や演出を見せてくれたような気がする。
 私がマルク・ミンコフスキ氏の名を知ったのは 2012 年の7月である。初来日は 2009 年 11 月で、この時は自ら創設した「ルーブル宮音楽隊」を率いて来日し、この時は音楽雑誌での来日海外オーケストラの第1位に輝き、日本音楽界の話題をさらったという。そして次に来日したのが 2012 年7月、この時日本国内のオーケストラとの初共演が OEK とだった。私が初に聴いたのはこの時で、第 325 回定期公演でだった。その時の演奏曲目は「20 世紀前半フランス・プログラム」と銘打たれ、曲目はヴァイルの交響曲第2番、プーランクの2台のピアノのための協奏曲ニ短調、ラヴェルのマ・メール・ロア ( バレー版 )の3曲、正にテーマ通りの本場の音楽に酔いしれたものだ。そして翌 2013 年2月には再びレ・ミュジシャン・デュ・ルーブル・グルノーブルを率いて来日し、金沢での第 332 回定期公演では、シューベルトの交響曲第7番 (旧8) 番ロ短調 D.759「未完成」とモーツアルトのミサ曲ハ短調 KV427 が演奏された。二人の天才のいずれも未完の作品、いろんな方がその経緯について述べられているが、それはともかく、今は現在あるがままを素直に聴き入れて下されば、それで十分ですとのことだった。
 2014 年9月 10 日の第 354 回定期公演、この時の演奏曲目は、フォーレの「ペレアスとメリザンド」組曲、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調 ( ピアノ 辻井伸行 )、同じく「亡き王女のためのパヴァーヌ」、ビゼーの交響曲ハ長調、というフランスの作曲家の音楽だった。これはミンコフスキ氏がこの年の9月から OEK のプリンシパル・ゲスト・コンダクターに就任することもあっての定期公演だったが、残念なことに急病で来日できず、代わって指揮をしたのは、フランス国立ロワール管弦楽団音楽監督のパスカル・ロフェだった。この方は欧州の名だたる管弦楽団の客演指揮を定期的に数多くされており、NHK 交響楽団にも定期的に客演指揮されているとかで、この時は東京と高崎でもツアーが行われたという。
 次にミンコフスキ氏がタクトを振ったのは 2015 年 12 月 10 日 ( 第1夜 ) と翌 11 日 ( 第2夜 ) での第 370 回定期公演、シューマンの交響曲全4曲の演奏、この年の9月にミンコフスキ氏は国立ボルドー歌劇場総支配人兼芸術監督に就任している。演奏曲目は、初日が交響曲第1番変ロ長調「春」作品 38 と交響曲第2番ハ長調 作品61 、2日目は交響曲第3番変ホ長調「ライン」作品 97 と交響曲第4番ニ短調 作品 120 。第1番と第3番は比較的よく聴く曲だが、第2番と第4番は余り聴くことはない。この作品番号は出版順で、実際作曲された年を辿ると、1、4、2、3だという。そしてこれら交響曲を書くきっかけになったのは、シューベルトの交響曲第8番の楽譜を目にし、その演奏をメンデルスゾーンに依頼し、それを聴いて希望に燃えたからだったという。そして最初に第1番を完成させ、初演をメンデルスゾーン指揮のライプチッヒゲヴァントハウス管弦楽団にお願いしたという。春の喜びを表した素晴らしい曲だ。2夜連続での演奏、凄い意欲を感じずにはおられなかったのを覚えている。

2018年7月25日水曜日

沓掛温泉「満山荘」(その3)

 7月13日 朝6時に起き、もう一方の、昨晩は女湯の表示になっていた内湯と露天風呂の方に入る。湯温はもう一方のと同じく、内湯は40℃、露天風呂は36℃前後に設定されている。いずれも掛け流し、眼下に青木の田園風景を眺めながら、至福の時を過ごす。ほかに客がいたら、こうはゆくまい。実に僥倖だった。
 朝食は8時ー9時、いつもだとバイキング形式なのだが、今朝は私達のみなので、朝食はご飯とお汁、それにメインディッシュに6品と果物、ゆっくり食した。外のテラスには母猫と3匹の子猫、静かに朝食を頂く。終わって部屋で寛ぐ。チェックアウトは11時なので、私は同じフロアにあるラウンジへ行き、堀江文四郎さんが山田牧場から撮影した北アルプスのパノラマ写真1組2双2面を見に行き、山名の記録と地図での確認を行い記録した。それを文末に記載した。
 満山荘を10時に辞した。予定では国道 143 号線 (松本街道) を西に進み、松本から安曇野へ北進し、この前と同じく池田町にある「安曇野翁」へ行くことにする。ここは二八ながら妥協のない美味しさには定評があり、家内もここは OK だった。ところで前回は国道から折れて麻績 (おみ) IC へ出る予定だったが、分岐を見逃して直進し、青木峠を越えて松本に出た。この日はこのルートを通る予定だったが、この日は松本へは麻績村を経由して下さいとの表示、仕方なく県道 12 号線を北上して修那羅峠を越えることに。この道はこの前に通ろうとした道だ。山越えしてから国道 403 号線、国道 19 号線を経由して安曇野へ、更に県道 19 号線を北上し、標識を右折して小高い山を上がると程なく「安曇野翁」に着く。時間は11 時半、この時間に客は1組だけだった。窓側のテーブルに座る。この前に来た時には開店20年とのことだったから、今年は22年ということになる。晴れていると常念や後立山の山並みがきれいなのだが、生憎の曇り空、店内には晴れたときの写真が飾ってあるが、迫力が違う。私は鴨せいろ、家内はざるそば、二八だが絶品だ。程なく6組がご入来、店の雰囲気も明るくて気持ちがいい。親父さんに挨拶して辞した。
 国道 148 号線 (糸魚川街道) の道の駅「白馬」で小憩し、ここで運転を家内と交代、帰宅したのは午後3時、走行キロ数は585 km だった。

〔付〕堀江文四郎さん総合制作のパノラマ写真2面  (1面の大きさは 180cm × 40cm × 2双)
「山田牧場 (1550m) よりの日本アルプス連峰 (北ア) の全山の霊峰 80km」の山名の表記
 左(南)より右(北)へ、番号 (便宜上) と山名・地名と標高 (m)
(1) 前穂高岳 (3090)、 (2) 奥穂高岳 (3190)、 (3) 常念岳 (2857) 、(4) 涸沢岳 (3110)、(5) 北穂高岳 (3106)、
(6) 横通岳 (2767)、(7) 東天井岳 (2814)、(8) 槍ヶ岳 (3180)、(9) 有明山 (2286)、(10) 大天井岳 (2922)、
(11) 燕岳 (2763)、(12) 三俣蓮華岳 (2841)、(13) 鷲羽岳 (2974)、(14) 餓鬼岳 (2647)、(15) 野口五郎岳 (2927)、(16) 三ツ岳 (2845)、(17) 烏帽子岳 (2628)、(18) 南沢岳 (2625)、(19) 不動岳 (2601)、(20) 舩窪岳
(2459)、(21) 北葛岳 (2551)、(22) 蓮華岳 (2799)、(23) 針ノ木岳 (2821)、(24) 赤沢岳 (2678)、(25) 鳴沢岳
(2641)、(26) 岩小屋沢岳 (2630)、(27) 爺ヶ岳 (2670)、(28) 立山雄山 (3003)、(29) 立山大汝山 (3015)、
(30) 立山別山 (2880)、(31) 善光寺平 (長野市街)、(32) 鹿島槍ヶ岳 (2889)、(33) 劔岳 (2999)、(34) 五龍岳
(2814)、(35) 遠見尾根、(36) 唐松岳 (2696)、(37) 白馬八方尾根、(38) 不帰ノ險、(39) 天狗の大下り、
(40) 天狗ノ頭 (2812)、(41) 白馬鑓ヶ岳 (2903)、(42) 白馬杓子岳 (2812)、(43) 白馬大雪渓、(44) 白馬岳
(2932)、(45) 小蓮華山 (2769)、(46) 白馬乗鞍岳 (2469)、(47) 飯縄山 (1917)、(48) 戸隠山 (1904),
(49) 高妻山 (2353)、(50) 黒姫山 (2053)。
 

2018年7月24日火曜日

沓掛温泉「満山荘」(その2)

 上田の街を出て松本街道 (国道 143 号線) を西へ、青木村役場の交差点を左折し、県道 12 号線を南下すると、左に沓掛温泉が見えてくる。IC から約 30 分で着くとある。時間は午後3時近く、チェックインは午後3時と思い暫く待っていると、どうぞと主人が言う。2年ぶりだ。今日は私達1組のみとか、初めての経験だ。記帳して部屋に案内される。部屋は2階の 303 号室、愛称は大天井、トイレ付きのゆったりとした部屋だ。同じ並びには、トイレなしの 301 号室 (薬師) と 302 号室 (烏帽子) がある。愛称はすべて日本アルプスの山の名である。この宿には和室が 13 あり、トイレ付き6、トイレなし7で、定員は 30 名とのことだ。
 今日は私達1組だけなので、お風呂の入り口には男湯と女湯の標示がしてありますが、どちらでもお好きなようにお入り下さいとか。私達は初めに、新装なった男湯表示の内湯と野天風呂に入ることにした。内湯は 40 ℃前後に、外湯は 36 ℃前後に調整されていて、両方とも源泉かけ流しである。外の野天風呂は新しく設えたもので、明るく林の中の佇まい、森林浴を兼ねた快適な浴槽だった。外にはねむの木が数本あり、桃色の花が満開、眼下には青木の里が見えている。体温前後の湯加減とあって、正に案内状とおりだった。
 夕食は午後6時半、それまで大相撲の名古屋場所の取組みを見て時間を過ごす。長野県出身の御嶽海は全勝、大変な人気だ。石川県出身の遠藤は勝ち、輝は負けた。夕食の時間になり、地下1階の食事処の Food 風土へ行く。食事は私達だけ。テーブルには既に食前酒や前菜、スープや牛乳豆腐が置かれている。主人が注文してあった地元の赤ワインを開けてくれる。外はまだ明るい。外の庭に子猫が3匹と母猫、子猫ははしゃいで跳び回ったり、乳をねだったり、前の満山荘のテラスにはよく狸の番いが現れていたが、中々ユーモラスだったことを思い出す。ここの料理は正に独創的で和洋折衷、でもどちらかというと洋風で、その献立は毎日書いて客に示しておいでだ。料理は奥さんの明子さんが担当、献立表の筆書きは旦那の担当のようだ。食べる前には旦那から料理の説明がある。これは嬉しい。凡そ1時間ばかりかけて食事を済ます。昼の蕎麦がまだお腹に残っているような感じで、本当に満腹になった。献立は次のようだった。
 〔信州沓掛 夏の献立〕
「食前酒」 枸杞酒
「生湯葉」 クコ柚子胡椒
「信州サーモンのコンフィー」 塩糀 蕨ヤングリーフ シーサラダ
「地物野菜他とピクルスなど」 ビーツとパプリカのソース オニオンバルサミユ酢醤油ジュレ
「牛乳豆富」 柚子味噌
「十六穀米スープ」 ドライベジタブル
「夏の天麩羅」 ステックブロッコリー 竹の子 まこも筍 万願寺甘唐 信州林檎 抹茶塩
「チーズの茶碗蒸し」 トマト ねぎ
「牛ヒレと冬瓜のお吸い物」 独活人参 ディル
「大岩魚春菊ジュノバ風」 長芋椎茸ミニキャロット ハチク・カシューナッツ味噌
            紫芋ソースパブリカパウダー
「野沢菜茶漬け」
「白桃ソルベ」 さくらんぼ マンゴーヨーグルトソース
  平成三十年七月十二日  料理 明子 印