2011年8月2日火曜日

「そば」とアレルギー

 表記標題の初出は「探蕎」会報第29号(平成17年4月17日発行)で、この一文を作成したのは平成17年(2005)3月13日である。  「晋亮の呟き」に再録する。

 探蕎会に入っている人は、皆さん蕎麦好きで蕎麦愛好家、中には高じてそば屋を負かす腕前の人もいる。蕎麦好きが原則であるからには、そばを食べない会員はいないはずだ。ところで、そばアレルギーの方は、例え好きであっても、そばは食べられないはずで、食べないとすると、そのような方は、探蕎会とは全く縁がないということになる。ところが、昨年秋の山形蕎麦行に際して欠員ができて、何方か希望の方はいませんかと、事務局からお誘いがあり、お三方が会員外で同行されたが、そのうちのお一方は私がお誘いした方で、温泉と蕎麦が大好きという、この企画にはうってつけの方だった。松川さんといわれ、私が勤務する協会の役員である。時に、松川さんからいつ告白されたかは定かではないが、「実は私そばアレルギーなのです」と。では、何故蕎麦が好きなのかと聞いたところ、「蕎麦は好きだけど、黒姫近辺の蕎麦を食べると、蕁麻疹のように体が痒くなるので、北信濃産の蕎麦は避けている」とのこと。また「他の産地の蕎麦では、そんなことは起きない」とも。こんな奇特な人と出会ったのは初めて、大変興味深く、少し調べてみることにした。
 そばアレルギーといっても、症状は、激しいショックを起こして死亡することもあるアナフィラキシーから、発疹や口の痺れ程度まで、重いものから軽いものまで、千差万別であるらしい。ところで、食物アレルギーのうちで、よくある小麦、牛乳、鶏卵、海老・蟹に対するアレルギーは、長じて大人になると不感性になって、治ってしまうこともあるそうだが、ことそばアレルギーの場合は、死ぬまで治らないと言われている。しかも、食物アレルギーの中では、生死に関わるのは唯一「そば」のみとも。
 インターネットで「そばアレルギー」を検索すると、夥しい数の例が出てくる。身体に入るルートとしては、喫食(経口的)、吸入(経気道的)、接触(経皮的)が主なものであって、いずれのルートでも体内に入ればアレルゲンとして作用するようである。明らかに蕎麦や蕎麦粉が入っている食品の喫食では当然起きるとして、通常は全く入っていないと思われるような食品でも、添加されていたために起きた例も大変多い。例えば、お菓子、お好み焼き、春巻き、ギョーザ、グラタン、コロッケ、ソーセージ等々である。蕎麦もやし(蕎麦の若芽)、蕎麦花の蜂蜜、そば焼酎も該当するようだ。また、そば屋のうどん、そばを扱ううどん屋のうどんも、そばとうどんが、茹でや湯通しで同居したり、打ち台や打ち粉の共用で付着したりすれば、元凶となり得る。花が咲いている頃の蕎麦畑の傍やそば屋の前を通っても、喘息や蕁麻疹になる人もいるとか。中には長野へ行けないという人も。そして極め付きは、「蕎麦入り胡椒」の存在で、メーカーは一切増量剤として用いてはいないとはいうものの、症例があると言うことは、疑わしいと言わざるを得ない。挙句の果ては、それを用いたカレー、ソース、ドレッシング、たれで起きた例もあるとか。
 さて、本題に戻ろう。松川さんの症状は極めて軽い方に属していると言えるが、問題なのは、黒姫近辺の蕎麦でのみ起きるという点である。初めて聞いた時は、昨年中毒死の事故があったスギヒラタケのことがフッと頭を過ぎった。私も昔から上品な美味しさで重宝して食べていて、昨年も数回頂いて鍋にしたが、全く異常はなく、初めは狐につままれた感じがしたものだ。しかしマウスの実験で毒性が確認されたとの報道には驚いてしまった。原因物質は糖蛋白であろうと推定されていて、含有量には地域差があること、90℃の加熱では毒性は残るが、100℃に熱すると無毒化するという。このような地域差が蕎麦にもあるのだろうか。
 そこで、取り合えずそばアレルギーの原因物質に関する文献がないかと、永坂先生にお願いしたところ、程なく米田さんから一編の紹介があった。学会の英文抄録であったが、その概要は発表時にトピックス「そばアレルギーの原因物質を特定」として、平成14年(2002)9月に朝日新聞と読売新聞に掲載されたという。ここでは、国立成育医療センター研究所の田中和子さんが、太平洋アレルギー・免疫学会で発表された学会誌の英文抄録と所属研究所のホームページを参考に概要を紹介しようと思う。

[抄録標題]:ペプシン抵抗性の16kDaのソバ蛋白がそばアレルギー患者の即時型過敏症反応に関係している.
[背景]:蕎麦は多くの国々で健康食品として敷衍しているが、アジアを中心としてそばアレルギーが増加している。蕎麦はアナフィラキシー症状を惹き起こすことの多いアレルゲンとしてよく知られている(食物アレルギーの3%を占める)が、その重篤なアレルギー反応を起こす原因物質は未だ特定されてはいなかった。
[アレルゲンとなる原因物質]:田中らは、これまで蕎麦粉の中に存在する24kDa(キロダルトン)(注1)の大きさのソバ蛋白が主なアレルゲン(注2)物質であると報告してきた。事実、この物質はそばアレルギーの大部分の患者血清中に存在するIgE抗体(注3)とは結合することは確かめられている。その後の研究で、16kDaと19kDaのソバ蛋白も、アレルギー検査(RAST)(注4)で蕎麦に特有なIgE抗体を持ち(検査陽性)、かつ蕎麦を食べてアナフィラキシー(注5)を起こしたことのある人の血清と反応すること、しかし、このソバ蛋白は、アレルギー検査は陽性だが蕎麦を食べてもアナフィラキシー症状が出ない人の血清とは反応しないことが判明し、より特異性が高い活性物質と推定された。次に、これら3つのソバ蛋白を胃液中の酵素のペプシンで消化し、消化後にこれらソバ蛋白がソバIgE抗体とどう反応するかをみたところ、16kDaのソバ蛋白のみ未消化で結合することが確認されたが、他の2つは消化されて結合能は消滅することが判明した。
[結論]:そばアレルギーの中でも、アナフィラキシーを含む即時型過敏症反応を起こす患者の血清中には、胃液中の酵素で消化されにくい低分子量(16 kDa)のソバ蛋白に対するIgE抗体が存在する。この抗体は重篤な症状を示さないそばアレルギー患者の血清中には存在していない。しかるに、より大きくかつ胃液中の酵素で消化される 24kDa のソバ蛋白は、通常のそばアレルギー抗体検査ではその IgE抗体は検出されるものの、重篤な蕎麦による即時型過敏症反応とは無関係であることが判明した。ということは、蕎麦粉に含まれるソバ蛋白のうち、ペプシンで消化されない低分子量(16 kDa)のソバ蛋白のみが、アナフィラキシー症状を惹き起こす原因物質であると結論づけられた。ちなみに、16kDaと 24kDaのソバ蛋白のアミノ酸配列を比較したところ、全く類似性がなかった。
[展望]:今後、この成果を生かして、重篤な症状を伴うそばアレルギーであるかどうかを確実に診断する方法の開発が期待される。
(注1):キロダルトン=1,000ダルトンのことで、分子の質量単位。分子量と考えてよい。
(注2):アレルゲン=アレルギー(過敏症)を起こす物質(抗原)。
(注3):IgE抗体=免疫グロブリンEのこと。アトピー(Ⅰ型即時型過敏症反応を起こしやすい体質)患者のアレルゲンに対する特異的抗体(レアギン)で、即時型過敏症反応を惹起する機序の本体。
(注4):ラスト法=放射性アレルゲン吸着試験。血清中のⅠ型即時型過敏症の発症抗原に対する抗体の定性・定量を行なう。複数のアレルゲンを検索できる。ただこの方法は、吸入性アレルゲンについての信頼性は高いが、食物アレルギーについての診断的価値は低いとされている。
(注5):アナフィラキシー=Ⅰ型即時型過敏症。全身アナフィラキシーでは、ペニシリンショックのように激しい全身症状(呼吸困難・血圧低下による意識喪失・蕁麻疹)が現れ、時に死に至る。

 以上が、蕎麦で起きる激しいアナフィラキシーを起こす原因物質の概要であるが、ここではより軽いアレルギー症状に関係する物質については言及していない。蕎麦にも地域によってソバ蛋白の量の多寡に差が出ることは十分考えられるし、ある地域の蕎麦にのみ特有なソバ蛋白が存在することも考えられなくもない。イムノブロッティングの結果をみると、前述の3つのソバ蛋白のほかにも、いろんな大きさのソバ蛋白が存在していて、一部ペプシン抵抗性のソバ蛋白もある。これら全てのソバ蛋白がアレルギーに関係しているとは思えないが、人により、ソバ蛋白に対する IgE抗体の獲得に差が生じているとすれば、そばアレルギーの表現型に差が出てきても不思議ではない。

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