2017年5月28日日曜日

初めての「いしかわ動物園」

 当初、長男との恐竜博物館と越前海岸へのドライブを5月8日に予定していたが、それを5日に実行してしまったので、8日に空きができた。どうも5日に私が地元にある「いしかわ動物園」に行ったことがないと話していたらしくて、この日動物園へ行かないかと打診があった。委託してあった田植えも終わっていたので、一緒に出かけることにした。

「いしかわ動物園」 石川県能美市徳山町 600
 長男が帰郷したのは5月3日、出入り1週間で9日に帰浜するという。8日の9時過ぎに家を出た。通称加賀産業開発道路の県道22号線を旧辰口町へ向かう。辰口温泉 への分岐を過ぎると、左手に大きく動物園入り口の案内板、この道路はよく利用していて、この看板はよく目にしてはいるが、この動物園前の交差点を今まで左折したことはない。
 交差点から動物園入り口まではかなりの距離があるようで、一般道から取付け道路へ入ってからもかなり距離があるように感じた。後で気付いたのだが、目的の駐車場へは動物園をぐるっと一周していたようだった。場所は小高い丘にあり、行き着いたのは9番目の P9 という最も奥まった所にある駐車場、数百台は駐車できようか、でも平日のこの日は車は十数台しか停まっていない。一角に階段があり、下の方には正面ゲートが見えている。チケットを求めて中に入る。
 入ると正面に「アシカ・アザラシたちのうみ」というプール付きのステージがあり、ここにはアシカ、ゴマフアザラシ、バイカルアザラシがいる。面積は広いが、ここには各1頭のみ、このスペースからすると、この2〜3倍の頭数がいないと、あまりに閑散としていて、歯が抜けているような感じだった。
 左手にあるスロープをぐるりと回って上ると、次は「サルたちの森」という大きなケージの前に出る。ここには、リスザル、ワオキツネザル、ブラッザモンキー、テナガザルの4種の猿たちが同居している。中には遊具がいろいろあり、気侭に楽しんでいる。はしゃいでブランコなどで戯れていたのはテナガザルで、よくぞ器用にと思って眺めていたが、しかしあの旭川市の旭山動物園の迫力からすれば、数も規模もこじんまりしている。
 道路を挟んだ向かい側には、「小動物プロムナード」というコンクリートの建物があり、ここには、レッサーパンダ、ケープハイラックス、マーラがいた。いずれの動物も愛嬌があり、心が和む。
 次いで「イヌワシの谷」というケージ、イヌワシはじっとしていた。イヌワシは飛翔していてこそ壮観なのだが。でもこのケージの中では飛ぶことはままならない。
 少し歩くと「ネコたちの谷」という一画がある。トラ、ライオン、ヒョウのほかにユキヒョウがいた。ユキヒョウは灰白色の地に黒班の体毛と太い尾、テレビでは何度かお目にかかっているが、実物を見たのは初めてだった。ヒマラヤに住むのだが、夏はオープンでの暑さには大丈夫なのだろうかと思ったりする。
 次いで「オーストラリアの平原」という一画、ここにはカンガルー、ワラビーとエミューが。エミューはダチョウの仲間の鳥、この鳥は私にとって初のお目見えだった。
「郷土の水辺」という一画には、こちらでは激減したトミヨやホクリクサンショウウオがいた。
「南米の森」のケージには、ワタボウシタマリン、ナマケモノ、そして嘴が巨大なオノオオハシがいた。この鳥は初見だった。ナマケモノもなかなか愉快な動物だ。
 次いで寄った「ふれあいひろば」では、丁度お昼時ということもあって、マゼランペンギンに餌の鰺を与えているところだった。30羽近くいる個体を給餌員は覚えていて、なるべく満遍なく与えるのだとか。でも時に餌を池に投げ入れると我先に取り合うが、その動きは水中では実に俊敏、くわえるとすぐに飲み込んでしまう。でないと横取りされてしまう。しばし見とれていたが、動きは陸の上と水中とでは全く別の様相、楽しめた給餌時間だった。
 私達もレストランで食事をした後は、「水鳥たちの池」へ、ここには番いのオシドリもいた。
「カメたちの広場」には、ゾウガメがいた。大きい。初めて見た。
「メダカたちの池」には、メダカのほかにイトヨもいた。絶滅が危惧されている種だ。
「バードストリート」には、インドクジャクの雄がいたが、羽はたたんでいた。別のケージには、オオタカやシロフクロウもいたが、もう少しケージが広ければよいのにと思った。
 休憩所を過ぎると、奥にトキの繁殖施設がある。現在は20羽近くいるとかだが、ここは立入禁止区域、一般の人は新たに作られた「トキ里山館」へと案内される。ここはフリースペースでかなり広く、この動物園の目玉として設えられた。上部は網で覆われていて、池の向こう側にはトキの巣が高みにあり、ここにペアがいるのが見えている。一羽がしゃがんでいて、一見卵を温めているように見える。ぐるりと回ると、巣の近くまで行くことができるが、できればトキが優雅に飛翔しているのを見たいものだ。今後に期待したい。
 その後は動物園の定番であるキリンやシマウマなどがいる「アフリカの草原」、インドゾウがいる「ゾウの丘」、老齢のカバのデカが死んでコビトカバが代わりに入った「カバの池」、さらに「チンパンジーの丘」と「オランウータンの森」などを巡った。
 そして最後は中央にある大きな池に周りの草原にある「ツルたちの水辺」、ここにはタンチョウ、マナズル、コウノトリがいるとか。私達が行った時、丁度給餌員が餌の魚を与えているところだった。私達が見たのは、ペアのタンチョウとコウノトリ、餌の捕り方を見ていると、優雅で大きなタンチョウが一番威張っているように見えた。   こうして一巡りを終えた。

閑話休題
 後日知ったことだが、私達が見たトキのペアは、公開されて初めて1個の卵を生み、抱いていたのは偽卵だが、本物のは人工孵化器で誕生させ、その後雛を巣に戻したという。今後が楽しみだ。 

2017年5月27日土曜日

5月連休の福井県立恐竜博物館

 横浜に居る長男が帰省した時には、大概私達夫婦と一緒に車でドライブするというのが常で、いつもは長男がコースを設定してくるのだが、今回はこちらで企画してほしいという。それで私が選定したのが、これまで一度は行きたいと思っていた福井県勝山市にある福井県立恐竜博物館である。その後は越前海岸でもドライブすればよいのではと思った。

「福井県立恐竜博物館」 福井県勝山市村岡町寺尾 51-11
 出かけたのは5連休真ん中の5月5日、朝8時半に家を出た。国道159号線を南下し、白峰から谷峠を越えて勝山へ、道中まだ残雪が見られ、山肌には山桜が咲いていた。峠を越えると、残雪の大日岳が眩しい。長い坂を下って勝山の町並みが見える辺りを右に折れる。ところがこの交差点、勝山方面からの車は数珠つなぎ、改めて人気の施設なのだと実感させられた。そして取り付け道路に入ると完全にのろのろ運転状態、時間は9時10分、開園は9時だろう (実はこの日は8時30分)と思われるが、さてここから駐車場入り口までどれ位距離があるのか見当がつかない。ともかく近くにある駐車場は既に満杯だ。そして30分ばかりして漸く駐車場入り口へ、あとでパンフレットを見ると、乗用車1500台、大型バス10台のスペースがあるという。とのかく休日の混雑は想像を絶する混雑ぶりだ。
 車から下りて本館へ向かう。途中化石を発掘体験できるコーナーの脇を通ったが、1日4回体験できるこの作業は全て満員とのこと、絶大な人気があるらしい。暫く歩いて、銀色のドームのある本館へ向かう。沢山の人がひしめいている。エントランスホールから中へ。
 石川県にも、手取層とか桑島層とかいう化石が出る先駆となった命名地層があり、その桑島地内には「白山恐竜パーク白峰」という施設がある。でも命名の発端となったこの地域は、国立公園内ということもあって発掘はできず、偶然に公園外の勝山地内の同じ地層から恐竜化石が出たこともあって、今ではこの地が本命となっている。
 先ずは本館1階の「恐竜の世界ゾーン」へ。館内には所狭しと並んだ恐竜の全身骨格、圧倒されてしまう。白峰の施設と比べると、学術的な分類がしてあり、しかも実際に発掘された化石が9割以上の骨格標本も9体、中にはアメリカで発掘され、この施設でクリーニングして組み立てられた標本も展示されていて、とにかく規模も学術的価値も数段高い。私が小さな時に恐竜に興味を持った時には、恐竜の分け方は草食竜、肉食竜、翼竜とか位だったが、ここでは恐竜は大きく竜盤目と鳥盤目に、前者はさらに竜脚形亜目と獣脚亜目に、後者はさらに鳥脚亜目、周飾頭亜目、装盾亜目に分けて展示され、しかも学名まで記されている。さらに驚いたことは、子供たちがそれを当然の如く口にしていたことだった。ジオラマ「中国四川省の恐竜たち」のコーナーは、動きのある恐竜に出会えるコーナーだった。
 次いで同じフロアの「地球の科学ゾーン」へ。ここでは「水と地球」「火と地球」をテーマに、陸や海の堆積物、年代別の化石、隕石、いろんな鉱物、岩石、地層の展示がされていた。また外周には福井県勝山市で発見された5種の化石標本6体、コシサウルス、フクイベナートル、フクイティタン、フクイサウルス、フクイラプトルが、またほかに「手取層群の恐竜」「日本の恐竜」「アジアの恐竜」のコーナーもあった。
 次いで1階の外周のスロープを1階のゾーンを俯瞰しながら上がり、2階の「生命の歴史ゾーン」へ向かう。ここでは生命の誕生から人類までの進化に触れることができる。まず古生代のコーナーでのテーマは、「生命の誕生」「脊椎動物の出現」「陸上への進出」「大森林が育んだ動物たち」、次いで中生代では、「中生代の海」「海と空の爬虫類」、そして古い順に、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の「恐竜時代の森」の再現、そして新生代のコーナーでは、「花咲く植物と哺乳類の繁栄」「哺乳類時代の海」「哺乳類時代の陸」、そして最後は「自然の中の人類」で締めくくられている。各コーナーには、展示などを説明するビデオライブラリーやコンピューターで情報を閲覧できるネットライブラリーがあり、多くの人が利用していた。でも見ていて真に熱心なのは子供たちだった。また3階には映画館やライブラリー、ミュージアムショップ、レストランなどがある。こうしてざっと2時間ばかり、一通り見て回ったが、今度来た時には、もっとゆっくり時間に余裕を持って、じっくり観察したいものだと思った。やはり休日は混むとかで、平日に訪れたい。
 ここの開館時間は午前9時〜午後5時、休館は第2・第4水曜日と12月29日〜1月2日、幼時と70歳以上は無料だそうだ。
「付記」 年間入場者数は、福井は100万人、白峰は2万人と大きな差がある。

「越前海岸」をドライブ
 恐竜博物館を出たのは正午少し前、帰りの駐車場から国道への交差点までもかなり混んでいた。しかも国道へ出てからも入る車は延々と続いていて、この人達は夕方までに入れるのだろうかと訝ったほどだ。私達は福井北 IC から 高速道に入り、武生 IC で下り、越前陶芸村の脇を通り、越前海岸へ出た。途中の山越えで、昼食に季節限定の「竹の子定食」を食した。その後、道の駅「越前」へ寄り道し、後はひたすら海岸線の国道305号線を北上し、越前岬の水仙の里公園を経て、東尋坊へ、休日ということもあって、ここも人でごった返していた。こうしてデューティーだった長男とのドライブは終わった。

2017年5月2日火曜日

春の「やまぎし」

 家内は中の湯温泉の宿で、妙齢の女性に「やまぎし」の田舎粗挽きを吹聴していたが、実は家内はこれまでまだ食したことはなく、それで一度ぜひ食べたいという。それで4月29日の祝日に出かけることにした。10時半には開いているので、1時間前の9時半に家を出た。良く晴れていて暖かい。道が空いていたせいもあって、40分ばかりで着いた。すると家の道路脇には数台の乗用車、もうお客がと訝って中へ入ると、それは山岸さんの関係の方のものだった。駐車場に車を停めて玄関に入ると、もう少しお待ち下さいとのこと、早くてまだ券売機も作動していなかった。中で休ませてもらうことにして家に入ると、中はすっかり模様替えされていた。訊くとここでコンサートを開くことになり改装したとかだった。畳敷きの二間は板張りに、新しく白木の2脚の座机、外のベランダにも1脚のテーブルと2脚の椅子、板張りも座机も山岸さんの自作、素晴らしく器用だ。これでざっと33人は入れよう。
 券売機が稼働し、「田舎粗挽き」「天ぷら」「礫焼き」を各2人前、飲み物は家内はノンアルコール、私はいつもの財宝(薩摩芋焼酎)を2杯頂くことに。今日はいつもの常任3人に妹さんの娘さんが助っ人。今日は天気が良いので外で食事されたらと言われ、簀の子のベランダ(もちろん手製)へ。辺りには山吹が咲き、キケマンが咲き乱れ、向かいに見える鷲走ヶ岳へと続く山並みの中腹には、ところどころ白い芽吹きのように見えているのはスダジイの花だろうか。この場所で食するのは初めてだ。まだ早くて「そば」は出来ないが、飲み物が先に届いた。山の清涼な空気を吸っての一服は実に清々しい。そしてややあって「田舎粗挽き」の登場、私は蕎麦汁をつけて食べることもさることながら、淡桃色をした岩塩をまぶしても食べ、家内にも推奨した。家内は一口食べて、ほかの「田舎」や「白」にはない独特の味わいに感動したという。それに野外にも似た場の雰囲気が、さらにより感動を高めたような気がする。天ぷらも美味しかった。地元の十種の野菜にタラの芽とコシアブラ、量は少しづつだったが、美味しく満喫した。
 食事が終わりに近くなって、一人の御仁が来られ、簀の子に直に座られ、お酒を飲みながら共に談笑した。山岸さんの友人とか。コシアブラは大木になると木の芽が採りにくくなるので、ある高さで伐った方がよく、それでこの時期山に来ているとか。いつか探蕎会で東北の白布温泉へ行った時に見たコシアブラの喬木を思い起こした。水と縁が深いとも話された。またここから見上げる山にも時々出かけるとか、昔植林に際して開いた山道があり、鷲走ヶ岳へと続く尾根に登ることができるとも。お陰で楽しい時間を過ごすことができた。
 今年の4月18日付けの北國新聞の「白山百人百様」という欄にそば職人「山岸 隆」さんの紹介があった。繁盛していた金沢駅近くで8年間開いていた店を閉めて、故郷の白山市左礫の生家で開業した経緯が書かれていた。これまで私は書かなかったが、山岸さんは元石川県警察本部刑事部長だったと記されていた。左礫での開業は2016年3月である。

2017年5月1日月曜日

春の中の湯温泉と上高地

 叔父の他界で延期になっていた中の湯温泉行きを、初七日の法要を終えた4月20日にすることにした。東海北陸自動車道を飛騨清見 IC で下り、中部縦貫自動車道を通り高山市へ、青空に真っ白な雪を纏った乗鞍岳が素敵だった。時間が早かったので、先ずは飛騨一ノ宮にある国指定天然記念物の臥龍桜を見に行くことに。ナビに従って行くが分かりにくく、後で分かったことだが、高山本線の飛騨一宮駅のすぐ側だった。見頃は25日とか、でも咲き始めていた。幹の形が龍が地を這っているような姿をしていることから名付けられたそうだが、台風で損傷し、現在は枝の一部は地中に潜っている。種類はエドヒガン、樹齢は千百年とか、満開だとさぞ壮観だろう。茶屋で手打ちという笊蕎麦を食べた。まずまずなのに安堵した。
 再び高山市内に戻り、国道158号線、次いで安房トンネルを通って中の湯へ、温泉宿は峠への8号カーブの手前左の台地に建っている。まだ雪は多い。チェックイン前だったがロビーで寛ぐ。秘湯温泉ビールが美味しい。窓の外には真っ白な明神岳と前穂高岳、それに近くには霞沢岳、近くの林にはカラが飛び回っている。重装備した登山者が宿の傍らを通りラッセル跡を辿り焼岳へ向かうのが見える。今冬は雪が多く、落雪で壊れた露天風呂を囲む塀を修繕していた。チェックインの際に、明朝上高地へ行かれますかと。開山祭前なのにと訝ると、OK だという。この日の宿泊者は私達2人と、ほかに外国の方2人と女性1人、昨晩は11組だったとか、私達も何度か泊まっているが、いつもほぼ満員だったので、こんなに少ないのは正直初めてだった。
 翌朝の出発は8時半、5人とも上高地へ、バスターミナルで下りた。外国の方はここで0時半に宿の車が迎えに来て、松本駅まで送ってもらうという。昼食は宿で蕎麦を出せますということで、予めお願いしておいた。上高地はバス道路以外はまだ一面の雪景色、でもターミナルには観光バスが何台も、そして何故かその多くが外国人、異郷の地へ来たような錯覚を覚える始末だ。風はまだ冷たい。この時期、まだこのバスターミナルと河童橋の間のみしか散策できない。橋の袂にある35 (トロワ・サーンク) という喫茶店に入り紅茶とコーヒーを飲み、外の風景を観て楽しむ。1時間ばかり居て、10時半発の定期バスで中の湯へ、そしてここから宿の迎えの車で宿へ、もう一人の女性も一緒だった。彼女も蕎麦好きとか、昼は一緒に宿で「ざるそば」を食し談笑した。彼女は世界のあちこちへ旅行しているというスーパーウーマン。金沢にも魅力があるとかで、家内はコンタクトできるように、メールアドレスの交換をしていた。その折に家内は「やまぎし」を吹聴していた。彼女はぜひ行きたいという。それで中でも家内はまだ一度も食べていない「田舎粗挽き」が特に素晴らしいと推奨していた。