2018年5月24日木曜日

雪解け時の豪壮な称名滝を訪ねる

 5月 15 日付けの朝日新聞の北陸見聞録という企画欄に、「落差日本一  迫力に圧倒」という見出しで称名滝 (富山・立山町) が紹介されていた。この滝は国の名勝・天然記念物に指定されていて、落差約 350 m は日本一を誇っているとある。しかも今は雪解け時で水量も多く、この時期と大雨の翌日にしか見られないという、落差では称名滝を上回るハンノキ滝も見られると記事にあった。そして一文の中に、「かつて浄土宗の開祖・法然上人が訪れられた際、滝の轟音が南無阿弥陀仏と聞こえたことが、名前の由来という」とも。この北陸の地に法然上人が来られたとは初めて知ったが、真偽の程はともかく、私の家が浄土宗なこともあり、大変興味がそそられ、ふと滝を見たくなった。私は大日岳への往き帰りにはこの滝のすぐ傍を通るので、何回か春にも夏にも秋にも訪れているが、ここ暫くは行っていない。そんなこともあって家内を誘ったところ、じゃ行こうかということになった。
 もう午前 10 時を過ぎていたが、早速身支度をして出かける。天候は晴れ、申し分ない。白山 IC から北陸自動車道を立山 IC まで往き、下りて立山道路を南下する。横江辺りで常願寺川の右岸に出て、川沿いに東進する。右手の対岸に立山山麓スキー場が見え、程なく富山地方鉄道立山駅と広い駐車場、そして立山黒部アルペンルートの入口の立山ケーブルの駅も見えてくる。道路はここから支流の称名川の右岸に付けられた称名道路を進む。立山有料道路との分岐を過ぎ、さらに上流へと向かうとゲートがあり、やがて称名平駐車場に達する。ゲートには駐車料 200 円とあったが、この日はフリーだった。ただ開門時間は午後7時〜午後6時とあった。
 車を下りて右岸を滝の傍まで続く舗装された遊歩道を歩く。滝見台まで約 1.2 km、高低差は約 100 mばかり。少し汗ばむ位の暑さ、対岸の称名川左岸には、美女平まで突き上げる高さ約 500 m もの黒っぽい断崖の「悪城の壁」が連なっている。道端にはニリンソウが咲き乱れている。ここは標高 1000 m ばかり、ほかにはキケマンも咲いていた。舗装路の坂道は歩き辛い。行く手にはまだ称名滝は見えないが、その右手にある落差は 500 m と称名滝よりも落差のあるハンノキ滝とその右手に五月雨のようなソーメン滝が見えている。この二つの滝は雪解けのこの時期と大雨の翌日などにしか見られず、かたや称名滝は年中見られ、水量も多い。道端にはまだ雪が残っている箇所もある。
 30分近く歩き、展望台 (観瀑台) へと称名川を渡ると、左手に称名滝の全貌が見えてくる。この時季の水量はべらぼうに多く、水は轟音を発して滝壺に落ち込んでいる。表示板の説明に拠ると、第1段は 40 m、第2段は 58 m、第3段は 96 m、第4段は 126 m、これが連続して一条の滝となり、最上部の渓流落差 30 m を含め、全落差は 350 m だという。また滝壺は直径約 60 m、水深 6 m とかである。流れ落ちる水量は毎秒 0.5 t 〜 2 t だが、融雪期や豪雨時には毎秒 100 t にも達するとある。水音は凄い。この融雪の時期、水量はかなり多く圧倒される。展望台から滝まで約 100 m 、飛沫がミストとなって飛び散っている。歩いていると暑かったのに、ここでは谷にまだ残雪があり、肌寒ささえ感じた。とにかく滝は豪壮で迫力がある。昭和 48 年に「国指定名勝天然記念物」に、平成2年には「日本の滝 100 選」に選定されたとあった。今の時期は、左側の称名滝と右側のハンノキ滝とは V 字形になって見え、流れ落ちる水は同じ滝壺に落ち込んでいる。30 分ばかりいて展望台から離れた。谷を渡る手前の左岸に「八郎坂」という石碑があった。古くは立山登山するには、この坂を登って弥陀ヶ原へ出て弘法平から室堂平へと歩を進めたものだが、私は通ったことはない。でもこの時期はまだ残雪も多くて通行禁止になっていた。谷を渡り、称名平駐車場に戻る。帰り道でも多くの人達とすれ違った。
 午後1時近くになり、「レストハウス称名」で昼食をとった。店内は 120 席ばかりあるというが、入っている人は少なく、車で来た大部分の人は昼食持参なのだろうか。滝の付近でもそんな人達を見かけたが、これでは商売になるのだろうかと心配になった。私達はラーメンを注文した。モニターでは立山の紹介をしていて、それを見ているだけでも勉強になるし、楽しい。ラーメンはイカ墨が入っているのか、汁は黒かった。味はまずまず。その後何組か入って来たが、氷水やソフトクリームを注文する人が多かった。それにしてももう少し利用してあげねばと思った。辞して帰路についた。
〔閑話休題〕 帰路の高速道路の不動寺 PA 近くで追い越しをした際に、富山県警の覆面パトカーから速度違反の通告を受けた。この石川と富山の県境区間は最高速度 80 km なのだが、私の車は 104 km 出ていた。この先 200 m 過ぎると制限速度は解除になりますから、そこからは 100 km 走行して下さいと言われた。

2018年5月13日日曜日

続・いしかわ・金沢「風と緑の楽都音楽祭」

(承前)
2.ウラディミール・アシュケナージ指揮/辻井伸行ピアノ/アンサンブル金沢
 アシュケナージと OEK のコンビの演奏はこれまでもかなりあり、私も何回か聴いている。今度も3公演あり、うち2公演は辻井伸行との共演が組まれていて、1日目と2日目にあり、私が聴いたのは2日目の公演である。このコンビは国内ばかりでなく、海外でも組まれていて、二人はその仕草を観ていると、親子のような雰囲気がある。今回このコンビでの2公演は最も人気があり、最も早くに完売になったと報道され、人気の凄さが感じられた。今回は初日にモーツアルトのピアノ協奏曲第 21 番ハ長調、2日目に同 26 番ニ長調「戴冠式」が演奏された。私が聴いたのは後者である。この日の私の席は3列 11 番、ピアニストの運指がしっかり見られる好位置だった。これまでこんな席に座って聴いたことはなく、実にラッキーだった。演奏時間は 30 分前後、私の素朴な疑問は、彼は全盲であるからして、最初の鍵盤へのタッチはどうするのかだった。一旦演奏が始まれば手と音の感覚で続けられるだろうけれど、最初はどう対処するのだろうか。するとピアノの演奏が始まる少し前に、彼はピアノの右端から大きく広げた右手で2度ばかり距離を測り、その後細かい修正で最初の1音を叩いていた。当てずっぽうではない緻密さを感じた。演奏が終わった後は正に万雷の拍手が続いたことは言うまでもない。そしてこの各公演は1時間きっかりで、次の公演までの時間が 30 分ということもあって、例えスタンディング・オベーションが起きてもアンコール演奏はしないのだが、応えて彼は私が聴いたことがないピアノソロを弾いた。翌日係員の方に訊ねると、カプースチンの練習曲とのことだった。
 一方アシュケナージ指揮による OEK の演奏は3回あり、初日に2回、私が聴いたのは3回目となった辻井伸行との協演に先立って演奏された交響曲第 36 番ハ長調「リンツ」である。4日で書かれたというこの曲、息の合った演奏は優雅さに満ちていた。
3.アグニエシュカ・ドウチマル指揮/アマデウス室内オーケストラ
 名前はよく聞くが、直接聴いたには初めてである。創設者で音楽監督のこの指揮者は女性で、小柄だが精力的、独特なオーラを発する人だ。少人数ながら、その演奏は世界中で公演されているだけあって、洗練されている。曲は初めにモーツアルトが 1772 年、16 歳で作曲したザルツブルグ・シンフォニーといわれるディヴェルティメント3曲の2番目の作品、今回の公演では3曲とも演奏された。10 分ばかりの短い曲だが、演奏は簡潔でリズム感があり感動した。次いで 19 歳の時に書いたヴァイオリン協奏曲第3番ト長調、ソリストは韓国生まれのシン・ヒョンス、美貌の持ち主、彼女の演奏には初めて接したが、素晴らしい演奏だった。そして最後はポーランド出身のキラールが作曲した「オラヴァ」という弦楽オーケストラのための作品、楽器を違えての簡潔なリズムの反復、ラヴェルのボレロを彷彿とさせる作品だが、優雅さより力強さと素朴さを、そして野趣みのある反復はアフリカの音楽を彷彿とさせた。そしてアンコールでは同じような曲名不詳の曲が終始ピチカートで演奏され、これも度肝を抜くアフリカを思わせる曲、凄い反響だった。
4.リッカルド・ミナーシ指揮/ザルツブルグ・モーツアルテウム管弦楽団
 管弦楽団は 1841 年創設とか、海外公演も多く、ザルツブルグ音楽祭の主役でもある。指揮者のリッカルド・ミナーシはこの楽団の首席指揮者であり、直に演奏を聴いたのは今回が初めてで、今回の音楽祭の最大の目玉だった。6公演あり、私は3回聴いた。ピアニストとしての共演者は、モーツアルト作曲のピアノ協奏曲第 20 番ニ短調をモナ・飛鳥と、同じく第 22 番変ホ長調を菊池洋子と、そして第 24 番ハ短調を田島睦子が行った。共演者の田島は地元だが、後の二人は国内外で活躍していて、モナ・飛鳥さんの演奏は初聴であった。オーケストラ演奏は、セレナード第 13 番ト長調「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」と交響曲第 38 番ニ長調「プラハ」、本場の味を味わえた。
5.ヘンリク・シェーファー指揮/オーケストラ・アンサンブル金沢
 OEKには現在正指揮者は不在で、この音楽祭では、アシュケナージ、天沼裕子、シェーファーが振った。曲目はシューベルトの交響曲第7番ロ短調「未完成」、この曲は2楽章のみなのに、終わって拍手したのは私のみ、暫くして指揮者が客席に向き直って初めて万雷の拍手となった。交響曲は4楽章と暗に認識されていたからだろうと思う。

いしかわ・金沢「風と緑の楽都音楽祭」

 オーケストラ・アンサンブル金沢 (OEK) の前音楽監督の井上道義氏が、10年前に、5月の3〜5日をメインに、通常の定期演奏会のほかに、金沢をメイン会場とする「ラ・フォル・ジュルネ金沢」なる音楽祭を、フランスでの金沢市の姉妹都市のナンシー市と提携して発足させた。毎年テーマを設定して、内外の多くのアーティストを呼び、田舎の都市としてはかなり反響を呼んだ催しとなった。しかしエージェントとの契約が一昨年終わったこともあって、独自の企画で音楽祭を継続しようという機運が高まり、昨年に表題の新生音楽祭が誕生した。一昨年まで9回続いた「ラ・フォル・ジュルネ金沢」は主に井上前音楽監督がリーダーとなって牽引してきたが、これからは独自で新生音楽祭を企画しようということになり、昨年から発足した。このような意見の相違もあってか、昨年の音楽祭には井上音楽監督は一切棒を振らなかったし、これが誘因だったかどうかは分からないが、彼は今年3月には OEK を去った。
 さて昨年はベートーベンを特集して、交響曲全9曲を演奏するなど、全 178 公演が挙行されたが、第2回となる今年は、モーツアルトをメインテーマに 177 公演が企画された。発表によると、来場者数は 112,960 人で、昨年の 111,840 人を上回ったとのことだった。会場は石川県立音楽堂のコンサートホール (1560 席)、邦楽ホール (720 席)、交流ホール、金沢市アートホール (304 席)、北國新聞赤羽ホール (504 席)をメインに開催され、オーケストラ8団体、指揮者9人、演奏者 50 人、その他8人が招聘された。
 この音楽祭の各有料公演には入場券を求める必要があるが、0EK の会員には予め公演の2ヵ月前に先行予約の特権があり、予約できるシステムになっている。しかしこの予約では座席を指定することは出来ず、自動抽選となる。だからもし席を選ぶのであれば、先行予約後の残り席の中から、一般発売後に指定して購入する必要がある。私は1日3公演、3日で9公演を先行予約した。
 私が聴いた公演は次のようであった。オーケストラと指揮者は、ザルツブルグ・モーツアルテウム管弦楽団 (リッカルド・ミナーシ指揮 ) の3公演、アマデウス室内オーケストラ (創設者のアグニエシュカ・ドウチマル指揮) 1公演、紀尾井ホール室内管弦楽団 (広上淳一指揮)2公演、オーケストラ・アンサンブル金沢 (OEK)(ウラディミール・アシュケナージ、ヘンリク・シェーファー、ライナー・キュッヒルが指揮)が3公演の計9公演。演奏者は、ヴァイオリンは、ライナー・キュッヒル2公演、シン・ヒョンス1公演、坂口晶優 (地元金沢辰巳丘高校講師)1公演、ハープ (吉野直子) とフルート (高木優子) のデュオ1公演、ピアノはペーター・レーゼル1公演、モナ・飛鳥 1公演、辻井伸行 1公演、菊池洋子 1公演、田島睦子 (石川出身) 1公演、声楽は山口安紀子、鳥木弥生 (石川出身)と高橋洋介とでの1公演である。
 以下に私が聴いた公演で印象深かったものを記してみる。
1.ライナー・キュッヒル弾き振りの2公演
 この人はウィーン・フィルのコンサートマスターを 45 年も勤めた大御所、OEK とも何回か共演しており、私も聴いたことがある。とにかくヴァイオリンでのリードもさることながら、その音の色調や力強さと繊細さは抜きん出ていて、モーツアルト作曲のヴァイオリン協奏曲第5番イ長調「トルコ風」では、OEK がバックアップして素晴らしい雰囲気を醸し出していた。正に乾坤一擲の演奏だった。またOEK の弦楽アンサンブルとの共演では、モーツアルトの弦楽四重奏ともいえる3曲のディベルティメントの中では最も有名なニ長調が演奏されたが、その音色は実に際立って光っていた。次いで弦楽四重奏用に編曲された「アダージョとフーガ  ハ短調」が演奏された。次にモーツアルトを離れて、レハールの「メリー・ウィドウ」より「行こうマキシムへ」と有名な「ヴィリアの唄」、そしてシュトラウス2世の「南国のバラ」と「美しく青きドナウ」が演奏されたが、よく敷衍されて誰でも知っている曲だが、キュッヒルのリードで、管弦楽での演奏とは一味違った新鮮味が感じられ、聴衆を魅了した。

2018年5月7日月曜日

トロッコ電車での新緑の黒部峡谷

 横浜に住む長男が4月28日に帰郷して5月5日まで滞在した。帰郷した折の常として、1日は何処かへ出かけるのが常態化している。それで今年は「のとじま水族館」が大水槽をリニューアルしたとかで出かけようかと算段していたが、本人は黒部峡谷へ行きたいということで出かけることにした。行けるのは5月1日のみとか、私も万障繰り合わせて同行することにした。天気は上々、翌2日からは天気は下り坂という。
 家を朝7時に出た。白山 IC で北陸自動車道に入り、有磯海 SA で食事し、その後黒部 IC で下り、県道を宇奈月温泉へ向かう。天気は晴れ、暖かい日射しが注ぐ絶好の行楽日和だ。街に入り、富山地方鉄道の宇奈月温泉駅を過ぎると、黒部峡谷鉄道の宇奈月駅が見えてくる。係員の指示に従い、駅前近くの有料駐車場に車を停める。乗用車の利用料金は 900 円、約 350 台停められるという。駅で切符を求めると、今日は鐘釣までしか行かないとか、料金は 1,410 円、終点の欅平までは5月5日に開業の予定とか、やむを得まい。それにしても駅構内にはマスコットキャラクターの2体はともかく、正装した面々が大勢いて、聞けば今日は開通を祝ってのセレモニーが駅ホームで行われるとか。来賓の中には、富山出身の女優の室生滋さんも居て出席されるという。鉄道は4月20日に宇奈月〜笹平間が開通してはいたが、晴れのセレモニーとしては5月1日が相応しいのだろう。
 10時10分頃にセレモニー出席者が会場の駅ホームへと移動、その後暫くして改札が始まった。黒部峡谷鉄道会社の社長と宇奈月駅の駅長、続いて地元宇奈月温泉観光協会の会長、来賓の黒部市の市長らが挨拶、最後に室井滋さんの挨拶があり、セレモニーは終了した。沢山の観光客もこの珍しくも出くわしたセレモニーに聴き入っていた。
 出発は 10:44 、私達が乗った客車は有蓋でオープン型の普通客車、1〜7号車があり、私達が乗ったのは7号車、ほかに通常の客車タイプのリラックス客車 (窓付き) が6輛連結されている。天気が良くて
峡谷を満喫するにはトロッコタイプの通常客車が相応しいと思う。後での説明で分かったことだが、牽引する電気機関車は ED 型2輛、1台で客車7輛を引くことができるとかで、機関車2輛での重連だった。今日の終点の鐘釣までは約1時間、私にとっては久しぶりの乗車だった。
 駅を出発して間もなく、この鉄道のシンボルにもなっている深紅の鉄橋の新山彦橋を渡る。乗っている客からよりも、旧鉄橋の山彦橋からの眺めが秀逸だ。山々は新緑一色、電車は橋を渡って黒部川右岸を進む。左手には平行して冬季歩道が見え隠れしている。そして眼下には黒部の流れ、電車は徐々に標高を上げ、柳橋、森石を通過して黒薙に至る。ここまで25分。この駅から20分歩いたところにある黒薙温泉はこの峡谷最古の温泉で、下流にある宇奈月温泉の源泉ともなっている。
 黒薙川に架かる後曵橋を渡り、再び本流右岸を進む。出し平ダムはコバルト色に染まって見え、対岸には新緑の出し六峯が見える。笹平、出平、猫又を過ぎ、本流に架かる鐘釣橋を渡ると鐘釣駅だ。ここまで約1時間の乗車、復路の電車出発まで45分間あり、駅周辺をブラつく。駅の山手には黒部川の氾濫を防ぎ、洪水から守るために安置されたという鐘釣三尊像が祀られている (片道1分)。またホームの上流側の階段を川に向かって下りると、黒部万年雪展望台があり、ここからは対岸の百貫山に積もった雪が百貫谷の谷筋に落ちて堆積し、夏でも溶けずに残る黒部万年雪を本流対岸に見ることができる展望台 (片道3分) がある。またここからは下流にある鐘釣美山荘と上流にある鐘釣温泉旅館を見渡せる。また更に上流には片道15分で本流の露天風呂のある河原に降り立つこともできる。時間が来て、私達はここから宇奈月に引き返した。往きにも帰りにも随所で案内があったが、アナウンスしていたのは室井さんとのことだった。5日には終点欅平まで全線開通するという。資料を見ると、標高は宇奈月 224m、鐘釣 443m、欅平 599m 、距離は宇奈月から鐘釣までが 14.3 km、欅平まで 20.1 km 、所要時間は終点までは約 80 分とある。
 振り返って、私がこのトロッコ電車を多用したのは約60年前、まだ大学生の頃、欅平から祖母谷温泉を経由しての白馬岳への登下行や、欅平から業務用エレベーターで 400 m 上り、更に高熱隧道を抜けて阿曽原温泉に至り、ここを拠点にして黒部川本流の下廊下を探訪したり、裏劔の遊んだことを思い出す。現在は阿曽原温泉へは山道を歩いてしか行けず、片道6時間を要する1日コースとなっている。当時はまだ黒部ダムはなく、上廊下入り口の平の渡しまで川筋を遡行することができた。また私達が便乗していたトロッコは関西電力の専用鉄道、無蓋で正にトロッコそのもの、安全保障のない営業形態だった。今は正に至れり尽くせり、隔世の感がある。現在は正に観光スポットそのものだ。