2016年10月27日木曜日

「蕎味 櫂」(続き)

(承前)
 そして本命の「そば」、円いざるに盛られた手挽きの細打ちのそば、量は少なめ、汁は若干濃いめで辛口の印象を受けた。しかし今少し小腹を満たしたくなり「辛味大根おろしそば」を所望した。暫し待って、淡い空色の鉢に入ったそばには、辛味大根のおろしと巾広の削り鰹と刻み葱が載っている。汁は辛口、越前そばの流儀である。
 最後にデザート、塗った木皿に白い磁器、中に小豆、ヨーグルト、桃、蜜柑、黒く塗られた木の匙で頂く。何とも贅沢な「そば遊膳」のコースだった。
 終わって主人の田尻さんと暫し懇談した。田尻さんは宮城・仙台の出身、東京立川にある蕎麦懐石の名店「無庵」で20年研鑽を積まれた由、おカミさんが金沢出身とかで、ここ金沢東山で昨年夏に暖簾を揚げられたとか。この町家は十年ばかり空き家になっていたという。ここは茶屋街からは少し離れた静かな場所、ゆったりとした趣きある空間で、美しい器に盛られた品とあしらいに加え、江戸仕込みの蕎麦を手繰り、美味いお酒を堪能するのも一興だろう。
 メモ: 住所 金沢市東山1丁目23−10   電話 (076)252−8008
     営業時間/(昼)12:00〜14:00 (夜)17:30〜20:00(要予約)
     休日/日曜と第1月曜
     席数/10席  駐車場/なし

(閑話休題)
〔その1〕 卯蕎 金沢市子来町
 前田藩は金沢城の鬼門の方位にあたる山 (卯辰山) の鬼門封じに宝泉寺を建てた。それはそうとして、この寺の裏手にある五本松からは金沢の市街が一望に見渡せ、かつて芥川龍之介が室生犀星の招きで金沢を訪れた折に此処に立ち寄り、金沢随一の絶景と称賛したそうである。ところで件の卯蕎なる蕎麦屋はこの並びにあり、部屋からは兼六園や金沢城を望むことができるという。ということで一度場所を確かめに出かけたいと思っていた。幸いなことに、蕎味櫂を出て北方向を見ると、「卯蕎まで5分」という案内が電柱に表示されていた。有志5人で出かける。矢印が示す道は大変急な坂道、息が切れる。すると程なく右手に宝泉寺、そして裏手へ回ると一軒家があり、それが件の蕎麦屋であった。でも暖簾は出ておらず、閉まっていた。どうも昼の営業のみらしい。前を通り五本松へ。すると南西に展望が開けて、金沢の市街を一望できる。私は初めてこの景を目にした。
〔その2〕 高野山真言宗 長谷山 観音院 金沢市東山1丁目
 道路に出てこれから帰ろうかというときに、とある女性に会い、近くの観音院で秘仏の御開帳がされているので寄られたらとの声かけに応じて行くことに。坂を下って行くと程なく着いた。観音町もここに由来するのだろうか。御本尊は十一面観世音菩薩、一千二百年の歴史をほこるという。パンフレットを見ると、ここは北陸三十三観音霊場14番札所・金沢三十三観音霊場25番札所で、前田利常が境内伽藍を整備し、前田家の祈祷所となり、大和、鎌倉と並び、加賀の長谷観音として多くの信仰を集めたとある。しかし明治になって廃仏毀釈が行なわれ、本堂、三重之塔ほか数々の施設が壊され、そして現在の形になったとか。往時の境内は随分と広いものだったようだ。お参りし、御朱印を頂いた。
〔その3〕 浅野川右岸を歩く
 観音院で解散し、私は叔父が住まいする田上新町まで歩くことに。すると西田さんが、私の住まいも田上新町なので一緒に歩こうと仰る。そして浅野川沿いに行こうとも。私は町中を通らねばと思っていたので、これは渡りに舟だった。先ずは山を下って天神橋へ。終戦直後、ここまで下肥を取りに来たことを思い出した。西田さんの案内で右岸沿いの道を上流に向かって歩く。聞けばこの道は田上まで連なっているという。進行方向は南東、上流には加賀富士と言われる大門山、それに続く犀川源流の見越山、高三郎山、奈良岳、それに大笠山がずっと見えている。素晴らしい散歩道を紹介して頂いた。常磐橋、鈴見橋、若松橋、旭橋、下田上橋を経て田上新町へ。喋りながらの楽しい散策、感謝々々だった。 

「蕎味 櫂」

 本年8月に行なった探蕎会の世話人会で、平成28年10月の会の行事は、前田事務局長の発議で、10月24日 (月) に、金沢市東山茶屋街の一角にある蕎麦屋「蕎味 櫂」へ行くことに決まった。この店、前田さんによると、1年前に開店した由、そして本年7月からは、昼は3500円、夜は7000円のコース料理のみで、そばは単品のみでは注文できないとのことだった。また席数は10席のみと狭く、予約が賢明とかだった。
 その後、前田さんのブログの「めくれない日めくり日記」9月6日の記載を見ると、予め世話人の塚野さんと2人で下見をしたとあった。席数は4人掛け2脚と2人掛け1脚のみで、すぐに満席になったとのことだった。そしてその日は店内にジャズが流れ、雰囲気は殊の外良かったと記述されていた。
 しかし会の行事とはいえ、この店の収容人員は10名ということ、また今まで全く知らなかった店ということもあって、漏れ聞いた希望者だけで定員に達してしまったらしい。それでこの日参加した諸氏は、寺田会長のほかには、50音順に、池端、奥平、木村、西田、新田、前田、松井、松川、松田の諸氏であった。
 集合は10月24日 (月) の正午に、金沢市東山茶屋街の一角にある蕎麦屋「蕎味 櫂」、でも私はすんなりその店に辿り着けるかどうかは不安だった。前田さんに訊くと、茶屋街の突き当たりを右に曲がると件の店があるとか、場所は大体見当はついたが自信はなく、30分程前に東山茶屋街に着くようにした。しかし簡単には見つからず、そうこうするうちに参加されるメンバーと顔が会い、件の店の前に全員が集合できた。建物は中三階の町家、その昔は茶屋だった風情の家で、小さく「蕎味 櫂」と書かれた標識がそれと分かる印なのだが、暖簾が出ていないと、つい見逃してしまいそうだ。そして正午になり暖簾が出され、私たちは三々五々店内に入った。この日はテーブルを全部寄せて、10人が座れるように設えてあり、外履きのまま格子戸を開け店内に入った。そして足元には鉢に野花が生けてある。この1階は、おそらく外履きのまま入れるように改装したのだろう。通りに面した側には、町家によく見かけられる「きむすこ」がはめ込まれている。そして入り口右手の棚には、趣味の蕎麦猪口などのコレクションが飾られている。
 この日のコースは「そば遊膳」のコースである。取り敢えずはお酒、個々ではなく4合瓶で頂くことに。先ずは地元石川・白山の「吉田蔵」、都合で飲めない2人を除く8人で頂く。大変口当たりが良く、さながら美味しいお水という感じ。ラベルを見ると、山廃純米無濾過原酒とある。どうも冷酒用に設えたもので、度数は13度と控えめ、道理ですいすい飲めるわけだ。凌ぎの水も添えられていて嬉しい。
 はじめにモダンな中鉢にすり下ろした「とろろ」に「いくら」、それに下ろし山葵。一口ですすれそうな分量、でもそうはゆくまい。お酒がなくなって、次いで宮城の「伯楽星」、これは純米吟醸酒、少し重いが美味しいお酒だ。度数は16度とある。
 次いでお刺身、素朴な素焼き風の中皿に三種盛り、鰺、あら、ばい貝の刺身に、下ろし生姜と山葵、あしらいにツルムラサキ、これは私の家の庭にも生えている。同行の新田さんはスナックを経営されていることもあって、食材には詳しく、「あら」は正式にはクエという大型の魚だと話されていた。食べながらこんな知識を得られるのも楽しい。
 次にお椀もの、鴨のつみれとそばがきに原木ナメコ、汁が張られ、あしらいに苺と若芽が添えられている。お酒の凌ぎにはもってこいだ。そして3本目のお酒は石川・輪島、奥能登の白菊の純米酒の「寧音」、度数は13度、穏やかなスッキリしたお酒だ。
 次いで天ぷら、金襴手の円い中皿に紙を敷き、海老、唐辛子、甘藷、蓮根、椎茸の天ぷらが形よく並べられて出された。でも今一盛り付けに工夫があれば最高なのにと思った。       (続く)

2016年10月4日火曜日

中の湯温泉と上高地(その2)

(3)中の湯温泉旅館 長野県松本市安曇中の湯 4467
 この旅館は以前は梓川沿いにあったが、安房トンネル工事のため閉鎖し、完成後現在の海抜 1500 m のこの地で平成10年に再開した経緯がある。昨日着いた時には少々駐車場に余裕もあったが、夕方近くには満車の状態、ここに泊まって焼岳 (2455 m) へ登る客が多いからだ。部屋は穂高 205 号室で、家内では前の時と同じ部屋とか、窓からは北に前穂高岳 (3090 m) と明神岳 (2931 m)、近くには霞沢岳 (2646 m) が見えている。でもやがて雲に覆われて見えなくなった。寛いだ後、露天風呂で身体を休める。好きな宿だ。
 翌日の朝は、入替えになった露天風呂に入る。上がって午前7時に食事。。山へ行く人達はもうとっくに食事を済ませ、宿から出て行ったようだ。私たちの予定は、食事後、8時30分発の宿のマイクロバスで上高地へ行くことに。もっと早くに出た人達もいる。以前来た時は、何度も河童橋近くの上高地バスターミナルまで送って頂いたが、今日は手前の大正池までしか送れませんとのこと、そんなふうになったのだと思っていたが、後で判ったことだが、2016 年の観光バス乗入れ規制で年に7回、土日のマイクロバスと観光バスの上高地への乗入れが出来ない日があり、9月24日 (土) と25日 (日) がその日に該当していたのだった。年間を通じて、自家用車 (自動二輪を含む) は釜トンネルを通行できないので、平湯か沢渡の駐車場に車を停めて、シャトルバスもしくはタクシーで入山することになる。私たちが行った日は、たまたまその乗入れ規制の日だった。
(4)上高地 長野県松本市上高地
 中の湯温泉旅館を8時30分に出発するマイクロバスには2組5人のみ、申し訳ない感じだ。車は九十九折れになった国道 158 号線を1号カーブまで 250 m 下り、中の湯の釜トンネルゲートへ、そこでチェックの後トンネルへ、隧道の内壁はずっと以前には岩でゴツゴツしていたが、今はきれいに仕上げられている。ただきつい勾配はそのまま、かなり急である。2km 近いトンネルを抜けると、今度は真新しいトンネルが、訊くと今年7月に竣工開通したとか、名称は「上高地トンネル」、長さは1km ばかりだろうか。この公園内では、道路は中々拡幅できないこともあって、車両数を減らさないと渋滞は解消できないが、トンネル開通で少なくともこの区間の通行がスムースになったことは歓迎すべきだろう。
 そして太兵衛平のバス停を過ぎると、次が大正池のバス停、送迎の車はここまでだ。下りて大正池へ向かう。私は何度も上高地へ入ってはいるが、大正池の辺りに佇むのは初めてだ。この池は大正4年 (1915) の焼岳の大噴火で梓川が堰止められて出来た池、以前は林立していた枯れ木はもう数える位になっている。曇り空が次第に明るくなり、焼岳もくっきりとその姿を見せてくれるようになった。池にもその姿を写している。沢山の人が来ている。今日はここから河童橋までそぞろ歩くことにする。陽が射してきて、上着を着ていると汗ばんでくる。20 分ばかり歩くと田代池への分岐に出た。
 すぐ近くにある田代池へ、ここは以前は池だったらしいが、今は大部分が土砂の堆積で湿原化している。暫し佇んだ後、元の分岐まで戻り、梓川コースへ。川辺へ出る小径があるが、家内ではこの径はどん詰まりで川縁沿いには歩けないとか、それでそのまま上流へと歩を進めることにする。すると程なく田代橋に出た。ここで梓川を渡る。中州を挟んで穂高橋があり、川の右岸へ渡る。5分ばかり上流へ歩を進めると、左手に上高地温泉ホテルがある。以前ここで大学の同窓会をしたことを思い出した。さらに5分ばかり歩くと、ウェストン園地に出た。この園地の山手の崖には、明治時代に日本アルプスを世界に紹介した、あのイギリス人のウォルター・ウェストン卿のレリーフが嵌まっている。実物を拝見するのはこれが初めてで、とても感激した。毎年6月初旬にはここでウェストン祭が開催されている。そしてさらに歩を進めていると、数頭の日本猿に出くわした。全く人を恐れない様子、餌を絶対やらないで下さいとのことだったが、餌をやると人に危害を加えるようになる恐れがあるという。何とも大胆不敵で、もし増えるとすると問題が起きそうだ。15 分ばかり歩くと、左手にホテルや山荘やロッジが連なる所となり、やがて河童橋の袂に着いた。手前の河原には沢山の人がいる。私たちも下りてみた。流れる水は澄んでいて透明、底までくっきり見える。空も青く澄んでいて、正面の岳沢の奥には奥穂高岳、吊り尾根、前穂高岳が、あの上高地での一級の穂高連峰の風景が展開している。秋も深まると、上高地には多いカラマツ (落葉松) が一斉に黄色く色づき、また別の素晴らしい景観を醸し出してくれる。そんな秋の上高地にも家内を案内したいと思った。
 10 時を過ぎ、バスターミナルへ戻る。旅館の指示では、ここからは沢渡へ行く路線バスに乗り、中の湯で下り、すぐ近くにある中の湯温泉の連絡所へ行き、そこから旅館へ連絡して貰えば迎えに行きますという。暫くして迎えのマイクロバスが来て、駐車場へ戻った。歩くとすると1時間以上かかるという。サービスとはいえ大変助かる。
 帰りは国道 158 号線を1号カーブまで下りて右折し、有料の安房トンネルへ、ほぼ3 km はあろうか、抜けると平湯、帰りはここから新平湯、神岡を通る国道 471 号線を北上して国道41号線へ。途中富山県へ入っての最初の道の駅「細入」で小休止、魅せられて立派な子持ち鮎を食べ、そしてビールで喉を潤した。充実した2日間だった。

2016年10月3日月曜日

中の湯温泉と上高地(その1)

9月24日(土)
 中の湯温泉から来訪の案内があったのは6月中旬、これまで数回訪れており、それで9月24日宿泊で返事を出しておいた。来館された折には、飛騨牛のステーキを用意しますという。またそこへ泊まると、翌朝に上高地まで送って貰えるという恩典もある。
 この日は9時過ぎに家を出た。白山 IC から北陸道へ、さらに東海北陸道を辿り、飛騨清見 IC で下り、中部自動車縦貫道を高山で下り、国道41号線を南下し、取り敢えずは市の南端にある高山陣屋を目指す。家内のお目当ては、陣屋の真ん前にあったユニークな小間物屋?、でもその店は名の聞こえた人の名を冠したラーメン屋に変身していた。高山は何度も来ているのでパスし、私は高山から東へ延びる国道158号線の途中に記載のある「森の水族館」というのに興味が魅かれ行くことに。早速ナビで検索するが、岐阜県にある水族館は1カ所のみ、それは飛騨ではなかった。でも地図には載っているのだからと、注意して車を走らせると、「森の水族館」という小さな看板が左手に出ていた。小八賀川に架かる橋を渡り、県道を西へ、そして2km ばかり走ると、お目当ての施設が見えた。
(1)民芸ミュージアム匠の館・森の水族館  高山市丹生川町根方 532
 丹生川町は町村合併前は、岐阜県大野郡丹生川村で、以前にはこの村にある朴の木平スキー場へ何度も通ったし、乗鞍スカイラインのバスターミナルもこの地内にある。スキー場は秋にはコスモス園になる。また飛騨大鍾乳洞も標高 900 m の国道沿いにある。
 さて目指すは森の水族館だったが、着いたのは「匠の館」、よく見ると、小さく「森の水族館」の文字、どうも水族館の方は付属施設のようだった。でも来たのだからと入館料を払って館の中に入る。どっしりとした名工が建てたという田上家の農家住宅、玄関の右手には馬小屋、入り口の一番良い場所に馬を飼っておくとか、今いるのは小柄な木曽馬、いろんな芸もし、その度に褒美の餌を貰っている。観光客にも慣れていて可愛い。館はかなり大きい。座敷も幾間もある。庄屋だったのだろうか。二階は以前は蚕を飼っていたというスペース、今はそこにいろんなものが展示されている。中でもこの家からは日展会友の画家を輩出していて、その方の絵画も多く飾られていた。1階に戻って、受付をしている老婆と暫し話し込む。その折に、玄関に置いてある新鮮な野菜に話が及び、家内は興味を示して、一通り全部を買った。新鮮で安く、実にツヤツヤとしていて、こんなきれいな野菜はなかなか巷では見られない。
 次いで「森の水族館」へ。館右手の潜り戸を抜けて露地に入る。戸は必ず閉めて下さいと。でもその意味はすぐに分かった。中に一羽のアヒルが居て、私たちが中へ入った時は池に居たが、入ると池から上がって来て、猛然と私のズボンに噛み付いてきた。どうしてよいか分からず、家内に母屋へ聞きに行ってもらうと、エサの催促とのことだった。一瓶百円とかという餌、中はトウモロコシ、蓋を空けるや否や跳びかかってきた。驚いて瓶を落とすと、瓶の中も、溢れた実もきれいに食べた。そしてその後お目当ての水族館へ。とはいっても、水槽は4つのみ、谷川のきれいな水が絶えず供給されている。入り口にドクターフィッシュ、次いでチョウザメ、そして圧巻はイトウ、1 m はあろうか、そしてイワナの群れ、老婆は日本で一番小さな水族館だという。尤もだ。母屋に戻り、野菜を頂いて辞する。帰りに老婆と家内との記念写真を撮った。後日送ることに。帰りには進行方向に行きなさいと。あの細い道をまた戻らねばならないのかと心配していたが、助かった。
(2)平湯大滝(日本の滝100選) 高山市奥飛騨温泉郷平湯768−47
 森の水族館を出たのは午後1時半、国道158号線を東へ、飛騨大鍾乳洞への分岐を過ぎて更に高度を上げ、朴の木平を過ぎる。以前にこのスキー場へ来るには平湯峠 (1684 m) を越えて来たものだが、その後平湯トンネルが出来て便利になった。トンネルを抜けてループ橋を降下すると平湯に出る。まだ時刻は午後2時、ここには平湯大滝という名爆があり、私はここへは何度も来ているのに、その全貌は見たことがなく、見に行くことにした。
 平湯スキー場の脇を車で行くと、平湯大滝公園の駐車場に着く。ここでの駐車料金は環境整備協力費という名目で500円。ここから滝までは歩いて15分ばかりとか、かなり沢山の車が停まっている。10分程歩くと滝が見えてきた。さらに歩くとその全貌が、日本の滝百選にも選ばれているだけあって、高さといい、水量といい、それだけの価値はある。この滝は乗鞍岳中腹の標高 1500 m の大滝川にかかる落差64m の直瀑で、大水量が巨大な断崖を一気に落ちていて、谷全体にその水音が轟いている。何とも豪快な滝だ。日本アルプスを世界に紹介した W. ウェストン卿もこの滝を絶賛したとある。
 午後2時半近くになり、一旦平湯に戻り、中の湯温泉へは安房峠越えの国道158号線を辿ることにする。安房峠道路入り口を通り過ぎて、温泉街の途中から山へ向かう。新トンネルが開通するまでは、この山越えが松本と高山を結ぶ唯一のルートだった。その頃に通ったことがあるが、特に大型トラックや大型バスの通行があると、大変渋滞したものだ。でも今は静かな峠越え、安房平を過ぎ、安房峠 (1790 m) を越え、下から数えて7番目の7号カーブを過ぎると、右手に今宵の宿の中の湯温泉旅館が見えて来る。