2011年9月1日木曜日

『ドンキホーテの弁解』を読んで

『ドンキホーテの弁解』 One Word Too Many Again 永坂鉃夫著 前田書店 1,000円 (2002)

 私のワープロには、永坂先生の随想のドンキホーテ・シリーズの第2作から第4作の、いわゆる読後感を記したものが残っている。その読後感を「晋亮の呟き」に再録しようと思ったのだが、何故か第1作の読後感が手元にない。そこで改めて第1作の『ドンキホーテの弁解』を読み返して、読後感を書こうと思う。先生からご恵送頂いて御礼申し上げなかったことはないと思うのだが、何せ手元に残っていないこともあって、緊急に対応しようとした。ただ発行から9年を経ていて、あの時の印象と現在の印象とでは読後感に差が生じていると思われるが、それは止むを得ないのではと思っている。
 以下の拙い読後感を、敬愛する永坂先生に捧げる。

1.羊歯への思い
 先生が羊歯に一時大変熱中され、採集に営林署の許可を貰われて国立公園内で採集されたとあるのは、単なる収集でなく、学問的な裏付けのある実績がないと許可されない筈です。私の叔父も羊歯ではないのですが、同様の採集許可を貰って白山での植物調査に当たったことがあり、私も同行したことがありますが、やはり半端ではありませんでした。先生は夢中になられていたとありますが、もう一端の羊歯の権威にまで昇華されていたように思えます。私も一時羊歯に興味を持ち標本作りに励みましたが、とても横綱と褌担ぎ程の差があるようです。私も日本シダの会が編纂した東大出版会発行の本を持っていますが、十分な活用をしたわけではありません。先生が長崎の鳴滝で見られた珍しい羊歯がヨーロッパではごくありふれた種類とのこと、先生の推理は的を射てるかも知れません。
 コケシノブは可愛い羊歯ですが、属名が Hymenophylum というのは、葉が一層で薄く、光を透過する様が、何とも初々しいからでしょうか。英名は filmy fern だそうです。あの浅い緑色はクジャクシダの淡い緑色に似てませんか。
 春には先生お手摘みのクサソテツの若芽のコゴミをお届け下さり有り難うございます。大事にもっぱら天ぷらにして食べるのですが、何か保存方法があるのでしょうか。昔は裏の背戸にも生えていましたが、環境の変化からか、なくなってしまいました。そういえば、コンテリクラマゴケ rainbow fern も消えました。食用羊歯では古くからゼンマイは保存食でしたが、近頃はワラビも塩蔵して保存できるようです。羊歯の虫食いは余り見ませんが、先生は噛まれて何か薬用成分がと仰っていますが、薬学分野では余り興味を示す人がいないのは残念で、案外と盲点なのかも知れません。昔一時城内移転した生薬学教室の裏手にコタニワタリが生えていましたが、あのクルッとしたオオタニワタリの新葉を食べられたとか、うまいんでしょうね。でも内地ではできない相談です。
 ヒカゲノカズラ、昔は詰め物によく使いましたが、あんなに沢山の量をどこから仕入れたのか不思議でした。山ではよく見かけますが、先生が言われるように、敷き詰めたように生えているのは見たことはありません。でも、あるところにはあるようですね。そしてあの黄色い花粉のような胞子、私たちも物理の実験で使いました。
 先生のお母さんの実家、昔は竹薮や雑木林が広がる田舎だったとか、あっという間に竹薮や雑木林がなくなり、田圃が埋め立てられ、殺風景な街並みに変わってしまったようですね。核家族化がそれを助長しているのでは。ところで私が住む野々市町で竹薮のあるのは小生宅のみになりました。まだホウチャクソウやアオマムシグサが健在です。シケチシダ、ベニシダ、ゼンマイ、チャセンシダもいます。でも消えた植物も沢山あります。本文に出てくるドンドロベはジャノヒゲのことじゃないでしょうかね。
2.世界の蕎麦
 確かに世界の蕎麦情報はかなり貧困で、産出量にしても蕎麦を輸出している国のデータしか出てきませんし、喫食状況にしても断片的な記載にしか接していません。先生が国内にある各国の大使館に質問状を出されたのは正に画期的なことですが、対応は実にお粗末ですね。おそらく温帯域であれば蕎麦は栽培されていると思われますが、マイナーな食物であれば、国としての把握がないことは十分考えられることです。食形態にしても、麺形態で食べるというのは恐らく少ないでしょうね。でも少なくとも蕎麦にまつわる言葉が現存していれば、蕎麦に野生はありませんから、栽培されていたということは十分考えられますね。一部でもその成果をお纏めになっては如何でしょうか。
 語源的には、蕎麦の実がブナの実と似ているとするのが学名以外にもあるとすると、少なくともその地域に居住する人は、ブナの実を知っていなければならないことになりますね。だからブナ林がない地域では、ブナに因んだ名称が出てこないのは当然とも言えます。「〇〇の小麦」という言い回しは、それを物語っていると言えそうですね。日本でも「くろむぎ」と呼ばれ、源順の『倭名類衆抄』十七巻には「久呂無木」との訓読がみられ、漢名の俗称「烏麦」にも通じると新島繁の「蕎麦の事典」にあります。
 一つ気になったことがあります。本文に、赤花、白花、黄花が互い違いに植えられていたりすると、眺めてどれほど美しい景色になるだろうとありますが、ダッタンそばは別として、白と赤は交配しますので、風媒花でもあり、一緒の作付けは多分出来ない相談と思います。
3.偉人の名前  
 先生の名前のテツヲのテツは金偏に矢と書く鉃ですが、この字は通常のパソコンでは出てこない字です。私のワープロでは合成できます。いま私の手元にある大修館の漢語新辞典という中辞典をを見ますと、金偏に矢と書く「鉃」は、漢音ではシ、呉音ではジ、ただ日本では鉄の俗字でテツとも読めるとあり、字義は、①やじり。とあります。一方「鉄」は、漢音ではテツ、呉音ではテチで、字義は、①てつ、くろがね。②武器、刃物。③かね、かなもの。④他の語の上につけて、堅い・強い・正しいなどの意を表す。とあり、旧字体は「 」、古字は金偏に夷である。このように前者は金+矢、後者は金+失で、元は金+夷であり、成因が違うようです。
 ポンペ先生については、広辞苑では、先生が間違いとされる Jonnkeer Johannes Lydius Catharinus Pompe van Meerdervoort とありました。戸籍は外国では全くないのでしょうか。それにしても、称号や洗礼名や出身地などが付いたものが本名となるのは、往々にしてあることなのでしょうか。でもポンペがあだ名でなく本名に落ち着いたようですね。あの作曲家のメンデルスゾーンも本名は実に長ったらしいものでした。
4.恩師の蔵書
 先生が恩師中の恩師と言われる高木健太郎先生、参議院議員で2期目の途中でお亡くなりになりましたね。献体法の制定に関わった方とありましたが、高木先生自身献体されたのではなかったでしょうか。私が知っているのはその程度ですが、研究者として教育者として、その発想が独創的なのは、高木先生の旺盛な好奇心のなせる業とか、弟子?達は戸惑うかも知れませんが、後になってみれば、それが大いなる財産になったことになるのでしょうね。門下生の方々は実に素晴らしい時空を持たれたものです。後に「やぶにらみの生理学」が出版されたのも、当然の帰結のような気がします。
 さて、高木先生が残された膨大な蔵書のこと、先生が最後の整理をなさったとのことでしたが、ケリはついたのでしょうか。というのも、私の叔父は経営工学の草分けで、大学教授をしていて、その木村ゼミからは大学教授や国会議員、大会社の経営者などを多く輩出していて、争議には70人ばかりが来てくれました。沢山の蔵書があり、私は在籍していた大学に引き取って頂けないかと掛け合い、その時は快諾を得たのですが、後で組織としては困難ということになり、結果的には大部分がゴミとして処分されました。没後では、蔵書の処理というのは大変だということが分かりました。本というゴミは、通常のゴミより費用がずっと割高だとか、けったいなことなのですが、門外漢には本当にゴミなんでしょうね。
 本の題名についた「やぶにらみ」という形容語、病名を表していないのは明白なのに、何をいちゃもんつけるのですかね。言葉そのものを抹殺するというのは正にファッショです。馬鹿の一つ覚えもいいとこです。でも病名は転換が多いですね。認知症という語を考えた人は自画自賛してるとのことですが、新しい差別語もどんどん作られているのに、これにもどんどん対応してほしいものです。先生の主張は的を射てます。「婦人」という語も差別語とか。ふざけています。
5.修道士カドフェル
 先生は表題が主人公で、シュルスバリの修道院を主な舞台としたミステリー・シリーズに取りつかれ、日本で評判になる前から愛読され、実物に接されていないにもかかわらず、登場する事物が頭の中でリアルに描写されるまでになられました。こうなると、機会あれば訪ねてみたいという気持ちが募るのも、自然の成行きなのでしょう。でも本当に実現されたのには脱帽です。それで空想の世界と現実の世界とは異なっていたとしても、先生は訪ねなかった方が良かったかも知れないと仰っていますが、それは結果であって、一度は訪れないと気が済まなかったでしょうね。それにしても、舞台となった町がダーウィンの生まれた町だったとは、先生ご存知だったのでしょうか。
6.木ときのこ
 この章を読むと、先生の博識と果てしない空想力に感心せずにはおれません。キノコはこちらでは通常コケと言ってますが、ミズゴケやスギゴケもコケです。ただコケ採りと言えば、対象はキノコです。私は採りに行く時は、必ず達人と行きます。採った茸も4割以上が毒か雑ですから、素人判断は禁物です。タマゴタケが味第一級とありますが、分かっていても採らないし食べないでしょう。それはベニテングタケが猛毒で、それに似ているからです。ムスカリンはその毒成分ですが、作用が拮抗するアトロピンはベラドンナや日本に自生するハシリドコロに含まれるアルカロイド、学生のときにはそのハシリドコロのノルヒヨスチアミンの精製に奮闘しました。しかし毒物を扱ったミステリーはあって当然でしょうし、現に事件としても起きてますね。
 毒々しい色をした生物には触手が延びないのは人間様だけではないのですね。しかし警戒色である一方で、誘因色でもあるのではないでしょうか。落葉樹の芽鱗のほんのりとした紅色に合目的的な意味があったとは初めて知りました。
 木に霊が宿るという念は私もそう思います。特に巨樹に出会うと、その樹には神が宿っているような気がします。巨樹の会には、発会したときの会長の里見先生とは懇意にして頂いていたこともあって、会員にはなっていますが、亡くなられてからは活動しない会員です。探蕎会でも寺田先生以下何人かが所属されているようです。今夏二度も国指定の特別天然記念物の石徹白の大杉への対面を逃してしまいましたが、せめて今年中には大杉だけにでも面会したいと願っています。仏師は樹の霊を信じ、そして魂を吹き込むと言いますが、敬虔になれば、万物に霊が宿ると思うようになるのではないでしょうか。
7.ドンキホーテの八つ当たり
 ①マスコミのお言葉:NHKが自局の番組のナレーターの話し方の暴走に物申せないとは、ならば話し方教室など止めてしまえと言いたいですね。しかし勇気ある先生の矛先をよくぞかわしましたね。  ②カタカナ語のアクセント:日本語のカナは便利で、どんな外国語もカナに変換できますが、どっこいアクセントは原語とは似ても似つかないものになっていますが、この矯正を教育の対象にするのは、難問ですね。  ③外国語の案内:交通法規ほか、規則が国によって違うことは、よく外国へ行かれる先生はよくご存知なのでしょうが、個人の判断で「良い」が「悪い」となると、頭が混乱します。金沢でも外国語の説明文や案内文があっても、採点が「可」ではね。  ④たらいまわし:役人というのはとかく責任の所在を曖昧にするのが本分、「たらいまわし」は日常茶飯事の常套手段です。役人は権力にはへいこらするが、一市民の申し出なぞ善処しますでお終いです。  ⑤マナーと国際語:「自分にされて嫌なことを他人にしない」というのは鉄則でしょうが、とかく外国語を喋られるようになると天狗になってしまい、私は偉いのだと勘違いし、とかくマナーは二の次になってしまう。  ⑥仕方がないは国を滅ぼす:老人や障害者に席を譲るのに出くわすと、何とも爽やかな気になる。でも中には老人優先席に座っていながら席を譲らない若者もいる。でもそれを注意するには大変な勇気が要る。  ⑦医の倫理:医の倫理などあってなきが如しでしょう。医師のあるべき姿が「安逸を思わず、名利を顧みず、唯己を捨て人を救わんことを希ふべし」だとしても、実践される方は少ないのではないでしょうか。

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