2011年10月26日水曜日

信州探蕎 「かじか亭」と「職人館」 (2)

● 二日目の探蕎は望月の「職人館」  (佐久市望月春日 3250-3) 電話0267-52-2010
 初日の宿の満山荘からの出しなに、草庵風の入り口で、宿の主人がカメラマンになってくれて、集合写真を撮ってもらう。また来ますと言って別れ、予定通り9時に出発する。取り敢えずは山を下りて、先ずは土産のリンゴを買うべくJA須高(須坂市と高山村合同のJA)管理の高山共選所へ寄る。地元高山産のいろんな品種のリンゴが格安の値で手に入る。私はリンゴワイン(発泡酒)を求めた。さて次は久保さんの所望で、昨晩の地酒「やまと」を求めて須坂市内を巡る。しかし地元のコンビニには置いてなく、それで蔵元へ、でもここには商品はなく、漸く探しあぐねて遠藤酒造直営の商店に辿り着けた。松川さんは以前来たことがあるとか。久保さん御執心の「やまと」という酒は、遠藤酒造の渓流純米吟醸の一商品、ラベルにはあの達磨大師が書いた?〇が書かれている。私も一本求め、更に今が旬の渓流ひやおろし純米酒も求めた。
 これで土産は一段落、後は第二の探蕎の地、佐久望月の里へ一直線。もう10時半は過ぎていた。須坂長野東ICから上信越道に上がり、佐久ICへと急ぐ。佐久ICで下りて、久保さんはナビに従って走行されたとか、松川さんはひたすら久保車の後を追う。どこをどう通ったかは全く不明、何か中仙道の望月の近くで正午近くだった。その後どうやら山に近い田中の道を走るようになり、どうもお目当ての蕎麦屋が近いと肌で感じられるようになった。そして間もなく手打ちそば家という「職人館」に到着した。もっと遅れると思いきや、僅か四半刻ばかりの延であった。
 この山近くの田園に囲まれて建つ古民家は、店主の北沢正和さんの祖父が暮らしていたという家屋、落ち着いた佇まいの建物である。入り口右手の梁には「職人館」の掲額、パンフレットによると、題字は信濃デッサン館の窪島誠一郎氏によるとあるが、この方が命名者でもある。あの戦没画学生慰霊美術館の「無言館」の館長でもある氏に、開店に際して店の名を依頼したところ、この名を頂いたとのこと、一風変わった癖のある店名という印象を受けていたが、これで納得がいく。
 入り口は障子戸、上には注連飾りがあり、真ん中には「笑門」の札が。中へ入る。既に何組かの客が来ている。右手の板の間に置かれた細長い分厚い一枚板の座机に案内される。10人は座れよう。注文はランチサービスの『そばと何かほしい膳』ということに。メニューの名前からしてオリジナル、遊び心が伝わってくるが、はたしてどんな料理が登場するのだろうか。暫らく間があって、先ずお通しに「村の豆」が出た。これには白色で粗い塩の「味の決め手塩」という名のフィりピン・ソハモセリナ産の塩と、茶色でやや粗い「銀葉藻と塩」という名で、塩は新潟・村上産というのが付いてきた。銀葉藻(ぎんばそう)というのは、褐藻類ホンダワラ科の海藻で、和名をアカモクといい、佐渡などでは刻んで湯通しして食べるようで、モズクに似ている。また乾燥したものは商品化されていて、出ている塩は粉末にした銀葉藻を塩と混ぜたものだろう。
 初めに「村のとうふ」が出る。地元御牧(みまき)村特産の丸大豆100%の豆腐、木綿豆腐位の堅さ、でもしっかりとした甘味と香りがする一品だ。次いで「季節の一品」、色鮮やかなサラダ、取り分けて食べる。トマト、キャベツ、パブリカ、リンゴ、レタス、ダイコン、ネギが、自家製の「天来醤油」で味付けされており、それにコスモスのピンクの花びらを散らしてあり、見た目には極彩色、実に楽しい盛り付けで面白い。花弁はもちろん食することができる。次に登場したのは「そばの実のリゾット」、丸抜きのそば粒の粥に、丸大豆、トマト、インゲン、カキが散らされている一品、これも取り分けて食べる。そろそろ「そば」かと思ったら、もう一皿「季節の野菜盛り」が出てきた。完熟した真っ赤なトマト、一人に丸ごと一個、包丁は入っている。それに食用ホオズキ、何とも言えない淡い甘さ、種はない。そして紫色の食用菊の花びら、それに香草のバジル、この皿はコース外のような気がする。そして次にお目当ての「十割そば」。丸皿に丸い竹簾を敷き、細打ちのそばがこんもりと盛られて出てきた。そばは近くの高原で昔から栽培されてきた村内産の玄そばを、石臼挽きした地粉100%の手打ちそばである。香りがあり、コシがあり、かつ喉越しが良い。正に絶品である。つゆは辛め、地元産の丸大豆を使った職人館オリジナルの「天来醤油」を用い、鰹節にもこだわり、化学調味料は一切使っていないという。そして最後には蕎麦湯が、大きな片口になみなみと、そばの茹で汁で、割ってもそのままでも美味しい。
 ここで出される食材は、すべて無農薬・有機栽培で栽培された旬のものばかり、しかもこの地域で採れたものを頂くという地産地消にこだわり、その日の料理も材料を見てから考えるという。扱う食材は、自然が既に料理してくれているから、そのまま皿に盛るだけで充分なのだが、少し手を加えると更に美味しくなるとも。彼の料理に対する考え方は、健康は良い食べ物を食することによって作り出されるという「食養」という信念に基づいているからだという。
 少し彼の言を引用しよう。「食養」のための食材は、(1)『身土不二』、(2)『一物全体食』、(3)『不飽常食』の三つに集約されるという。(1).人間も含めて地球上の生物は、土から育った植物を食べて生きているから、人間も動物も間接的には土を食べて生きていることになり、食養のためには、良い土壌に育った食材が必要である。野菜なら昔からの農法、無農薬・有機肥料で育てられた野菜本来の味を持つ食材、山菜のように自然に野山に自生している食材がそうである。(2).一つの生命がまるごと入っているもの、その全体を食べるのが健康のためには良い。穀物や蕎麦のように、土の中に種を蒔けば生命となるものが良い。牛などのように、まるごと食べられないものは除外される。(3).米などのように、毎日食べても飽きない食材をいう。
 次にお品書きを一部紹介するが、何ともユニークでオリジナリティーの高い、遊び心が伝わってくるメニューである。(  )内の数字は税抜きの価格である。
『山里の季節膳』:「炭にきけ膳」(4000)、「棟上げ膳」(5000)、「野にきけ膳」(6000)、「山にきけ膳」(7000)、「山里の恵み膳」(8000)。
『ランチサービス』:「そばと何かほしい膳」(2500)、「館主の野遊び膳」(3000)、「山里の彩り膳」(4000)。
『職人館の創作そば』:「そばの実と放し飼卵のリゾット風」(1500)、「山ぶどうドレッシングのそばサラダ」(1500)、「みまき豆腐の葛あんかけそば」(1500)、ほかに「岩魚そば」「どんぐりそば」。
『そば』:「職人そば」「みぞれそば」(850)、「十割石臼挽きそば」「山菜温そば」(1300)、「季節のかわりそば:更科かダッタン」(1500)。
『ちょっと一品』:「村の豆とうふ」(350)、「野菜・きのこのそば味噌炊き」(850)、「山野のお任せ盛り」(1500)。
『調味料・酒はオリジナル』:「味の決め手塩」「銀葉藻と塩」「天来味噌」「天来醤油」「職人館酒」「そば焼酎」ほか。

 「季節の野菜盛り」は盛り沢山で食べられないので持ち帰りたいと言ったところ、お持ち帰りはできませんとのこと、諦めていたところ、帰り際に清算をしているとき、新しい野菜をお持ち帰り下さいと頂戴した。何とも嬉しい心遣いだった。玄関で集合写真を撮るのに、館主にシャッターを切ってもらった。その後しばらく話していたら、ここで開業する前の6年間、金沢と鶴来で修行したとのこと、驚いた。此処へ来てもう二十余年というから、かれこれ30年位前のことになる。帰りに注連飾りの下でポーズしてもらった。
 遠いが、また訪れてみたい蕎麦の館である。

2011年10月25日火曜日

信州探蕎 「かじか亭」と「職人館」 (1)

 探蕎会の平成23年後期の探蕎第二弾は既に信州方面と決まっていて、宿も奥山田温泉の満山荘なのだが、肝心の探蕎の方は、副会長で信州には造詣の深い久保さんに一任ということになっていた。ところで何処になるかは興味深々だったが、出発当日、久保さんから、初日は富倉の「かじか亭」、二日目は望月の「職人館」と発表があった。私にとっては、いずれの蕎麦店も初めてだと思っていたら、職人館は一度伺っていた。記録を見ると、探蕎会が設立された平成11年(1999)の10月23~24日に、戸隠・別所温泉の旅として、戸隠の「大久保西茶屋」、更埴市の「つる忠」、それに望月町の「職人館」へ行ったという記録があり、そういえば別所温泉の柏屋別荘も戸隠も更埴も思い出したものの、望月へ行ったという記憶がどうも定かではない。何故かは不明である。それはともかく、今年の信州探蕎は10月10日(月曜で体育の日で休日)と翌11日の火曜日、総勢7名での出発となった。

● 初日の探蕎は富倉の「かじか亭」 (飯山市富倉1769) 電話0269-67―2500
 午前7時50分に予防医学協会の駐車場を予定を20分遅れて出発する。車は2台、久保車に4名、松川車に3名、近くの金沢西ICから北陸道に上がり、上越ICで下りて、国道18号線(北國街道)を南下し、新井市で左折して国道292号線(飯山街道)に入る。新潟と長野の県境の富倉峠を越え、飯山市富倉に至り、富倉中谷(ナカヤ)にある富倉ふるさとセンターの「かじか亭」に着いた。かじか亭は街道に面していて、前には広い駐車場がある。訊けば此処は小学校の跡地で、地元住民の共同出資でこのセンターをオープンしたとか、どうりで広いわけだ。車なら100台は停められよう。
 ここの開店は10時と早く、着いた時にはもう先客がいた。三和土(タタキ)にはテーブルが、小上がりには座机が、50人は入れよう。宿泊も可能とかである。小上がりに上がり、富倉名物のオヤマボクチをつなぎに使った地粉100%の富倉そばとこれも富倉名物の笹寿しがセットになっている「手打ちそば定食」を注文する。このセットは、この富倉出身で中野市で開業している「郷土(ゴウド)食堂」でも味わうことができる。この店の主人は、幻の富倉そばをこの富倉の地で30年前に始めて営業レベルにまで発展させ、その後平成2年(1990)に中野へ移っている。現在富倉の地には他に3軒が富倉そばを提供している。またオヤマボクチをつなぎにしたそばは、木曽福島のあの「時香忘(ジコボウ)」ほか数軒でも出している。
 蕎麦前にお酒を所望する。銘柄は不明だが地酒だろう。燗酒で小徳利で320円とか、何とも安い。ややあって注文のそば定食が届く。ざるそばは平打ちの十割、やや細切りで、コシは強いが喉越しは良い。おそらくこれはオヤマボクチのなせる業なのだろう。そして名物の笹寿しが2枚、鮮やかな緑色の笹の葉に酢めしが、その上に錦糸玉子、紅生姜、ゼンマイ、茸、クルミ、大根の味噌漬けが載っている。その昔、川中島の合戦に向かう上杉謙信勢に富倉の人達が提供した野戦食と伝えられていて、別名「謙信寿し」とも言われている。
 [蕎麦屋情報]営業:10~18時.11~3月は10~17時.席:50.定休日:火曜.

● 初日の宿は奥山田温泉の「満山荘」 (上高井郡高山村奥山田温泉) 電話026-242―2527
 富倉から飯山へ下り、中野を経由して小布施へ。この日は観光客でごった返す町を素通りして、松川渓谷沿いの道を上流へ、この渓谷には山田温泉、五色温泉、七味温泉があり、お湯が川に自噴しているとかで、魚は棲めないそうだ。七味温泉の分岐から山へ上る。奥山田温泉は山田牧場の一画、標高は1,500mを超え、更に進めば志賀高原に通じている。時に午後2時、一旦山田牧場まで行き、Uターンして満山荘へ、うっかり狭い砂利道へ誘導して松川さんに苦労をかけた。しかし牧場から来るとここが入り口のように見えて、後続の久保車も入り込んだとか、ほかにも数名、何か表示がほしいものだ。
 案内を乞うと、どうぞと言われロビーへ、寛いで主人が入れてくれた蕎麦茶を頂く。部屋は観山(ミヤマ)館2階の続きの3室、「鹿島槍」「五竜」「唐松」、いずれも後立山の山々の名前だ。既に布団が敷かれていて、私達3人は「唐松」に入る。この部屋は囲炉裏付きの和室である。
 お天気がよくて空気が澄んでいれば、窓から西に西穂高岳から小蓮華岳まで南北80kmに及ぶ北アルプスが一望できるはずなのだが、あいにくモヤっていて何も見えない。ただ近景の樹海は色づき始めていて、紅葉・黄葉が緑の針葉樹に混ざって彩を添えている。お神酒を入れて寛ぎ、解禁の午後3時になって風呂へ下りる。この時間帯、男性が入れるのは、宿の初代館主が作った岩風呂と露天風呂、内湯は熱いが外湯はまずまずの熱さ、これで展望がきけば最高なのだが。源泉の泉質は単純硫黄泉、源泉温度は96℃、全量かけ流しである。 このお湯は五色温泉と七味温泉の中間地点に300mボーリングして、それをここまで1650m押し上げているとか、窓の外には大きな茶色のタンクが見えている。パイプは厚さ30mmのビニール製とか、話すのは初代館主の堀江文四郎さん(84)である。これだけの高さを一気にポンプアップしているのは世界でも例を見ないと自慢されていた。温泉につぎ込んだ費用は延べ7億5千万円とも。談話室には自身で撮影された北アルプスの大パノラマ写真、実に見事である。氏は旧海軍士官だったとか、エピソードも多く、また話もバラエティーに富んでいる。数日前には転んで肋骨が折れているというのに、自分で車を運転して長野市にある日赤病院に通院しているとか。とかく話題の多い人だ。
 夕食は午後6時から Food 風土という食事処で、地元の山菜や野菜、所謂旬の食材をふんだんに使った創作料理が10種以上も提供される。何とも楽しい。この食事もリピーターになる一因とか、さもあろう。アルコールは秘湯ビールと地酒を3銘柄、大町の白馬錦、須坂のやまと、飯山の水尾一味を頂いた。至福の時を過ごした。食後はそれぞれに寛ぐ。私はテレビで「日本人イヌイット北極圏に生きる」という番組があり、釘付けになった。彼らは狩をするが、それが食の糧であり、そして毛皮は彼らに経済的価値を生み出してきた。猟の期間や捕獲頭数はともかく、以前は年間通じて氷原だった北極圏の海が、近年は温暖化で夏季には氷が解けて海になり、アザラシ猟も夏には舟でという始末。また自然保護団体の圧力もあって、毛皮の売買もままならなくなり、経済的にも大きな岐路に立たされている。日本人家族がいるアッパリアスの部落も、彼が移住してきた頃には94人いたのに今は51人とか、でも彼は猟の技術を息子にも覚えさせるのに懸命で、今でも永住を決意している。独り神の河を飲みながら、このドキュメント番組を観た。
 翌朝の朝食は午前8時、昨夜午後10時から朝食時までは入湯場所が男女逆になる。夜に風呂に入った人の言では、十五夜の月が煌々と輝いていて実に素晴らしかったとか。朝4時には起きていたのに、これはうっかりしていた。6時近くに昨日は女性用となっていた風呂に入る。一昨年4千万円をかけて改修したという風呂は実に素晴らしい。脱衣場も洗い場も贅が尽くされているという感じ、内湯は檜風呂、ゆったりとして大きい。また露天風呂は切り石で囲った長方形、湯温が適温で、これならいくらでも浸かっていられる。そして周りには回廊、石畳にはチェアも置いてあって、申し分のない風呂環境、正に秘湯である。これで遠望がきいて、パノラマ写真のような北アルプスを望見できれば、正に桃源郷だ。
 朝食は昨晩の食事処の同じ席で、食事はバイキング方式、でも個々の品がこの宿に相応しい品々、こうなるとあれもこれもと、どうしても余計に取ってしまう。久保さんからは職人館へは11時半に入りたいので、宿を午前9時に出立するということに。
 [温泉情報] 色:淡乳白色.泉質:単純硫黄泉.源泉温度:96℃.湧出量:40ℓ/分.pH7.8.

2011年10月13日木曜日

『ドンキホーテの誤解』を読んで

 『随想 ドンキホーテの誤解』  永坂鉃夫著  前田書店  1,500円  (2004)

 以前ご恵送いただいた『随想 ドンキホーテの誤解』の当時の読後感が手元に残っていて、読み返しますと、そこには、「大変面白く、先生の薫りが随所に匂う、素晴らしいエッセイ・主張・解説の数々、一気に読ませていただきました」とあります。この度もう一度通読させていただき、勝手な今なりの私のおもいも追記させていただきました。
1.「ドンキホーテの誤解」
 どなたかがドン・キホーテではないかとの御託宣は正しいに違いないことです。でも先生は敢えて中点のないドンキホーテとして本物と区別する事にしたとは、何という開き直り、正に返し技一本です。大変小気味よい仕業です。ところで先生は「あえて自著ではドン・キホテとせず」とありますが、そこはドンキホテとせず日本語通読のドンキホーテとされたところが先生らしいですね。おそらく大方の日本人は書きなさいと言うと、中点など付けずに書くのではないでしょうか。
 外国の人名・地名をカナ表記するのは大変です。中国のようにこう書くと決めて示せば別ですが、統一した表記は至難でしょう。
 マニフェストのこと、私も語源は英語で manifest とばかり思っていたのですが、実は英語でも語尾に o が付くとは驚きました。確かにマニフェストなどと言って国民を煙に巻いている感がします。 
 箸の握りでは、機能的な握りであれば、どんな握りでも原則OKなんでしょうね。
 さて、ダッタンソバの花の色のことですが、五弁花の花びらを比較しますと、ソバは大きくふっくらとしていて白色で、基部のみが淡緑色ですが、ダッタンのは小さくて細く、白色なのですが、基部からほぼ中央に沿って、ほぼ真ん中辺りまで淡緑色の部分があり、全体では淡緑白色に見えます。また花の付き方も、ソバは花が塊状に付き白色が強調されるのに対し、ダッタンは穂状に付くのと花が小さいのとで、花盛りでも淡緑白色はほとんど強調されません。それに早川先生の指摘にもありましたように、「ほう」のような小葉は淡緑色から花期には淡緑黄色になるので、眺めた場合はむしろこちらが強調されます。とは言っても、ダッタン蕎麦畑の花盛りの写真を見ると、葉の緑が最も強く、先端に点々と淡緑黄色と淡緑白色が伺えるという程度です。また葯の色はどちらも紅色なのですが、ダッタンの「おしべ」はソバよりも小さくて短く、紅色が目に入ることはありません。因みにソバは2倍体で虫媒か風媒、一方ダッタンは4倍体で自家受粉です。またダッタンの実には稜がなく小麦状です。
2.「粗忽者ドンキホーテ」
 大杯の酒、先生の場合は、仲人で飲み干してはいけない酒を自発的に飲み干されてしまって周りを驚かせてしまったようですが、小生の場合は、家での結婚式の最後に、大杯になみなみと注がれた酒を飲むように催促され、飲むには飲んだのですが、新婚初夜は大変でした。後で聞けば、宿へのハイヤーは途中でパンクしたけれど、縁起もあって交換もできずそのまま走り、宿には4時間遅れの到着、早速用意しますのでと言われたことまでは覚えているのですが、そのまま夕食も食べずに朝までソファーでぐっすりという始末、縁がなくてもそれまででした。
 また春山での遺体収容で、クレゾール石鹸液をコーヒーと間違えて飲んだ御仁もいました。
3.「わたくしの書評」
 シャンソン「リラの花咲く頃」の元歌か原詩がドイツ語とは全く知りませんでした。シャンソンでは冒頭の小節で lilas blanc となっていますが、それはそれでよいのですが、これがブタクサとなると、日本ではあの花粉症の元凶ですから、どうでしょうか。
 因みにライラック(リラ)には沢山の種類(種・亜種・変種・品種)がありますが、代表的な薄紫色の花を付けるのは、和名ではムラサキハシドイといい、北大の植物園には多くの株が収集されています。
 豚の饅頭、どなたの命名か知りませんが、現物を観察するとなるほどと納得です。
 仁木先生の「遊んで学べば一体どうなる」の言、実践するとどうなるんでしょうね。
4.「続・体温十二講」
 今回も「そうですか」「そうでしたか」に終始しましたが、お終いの体温調節に関する3講には興味がそそられました。中でも冬眠についての項で、高僧や修行を積んだ雲水やヨガの練達者が座禅や瞑想を行っている時には心拍数や呼吸数、代謝が落ちて、冬眠に似たような状態が具現されているとか。ときに真剣に訓練しなくても、機器を使うもよし、薬物を使うもよし、催眠術のような術を使うもよし、望むときに冬眠できるようになれば素晴らしいですね。先生が仰るように、この方面の研究も進展してほしいものです。
5.「My Dear 王木会」
 先生自身、この会の影響がすこぶる多大であったと述べておられますが、そうだと思います。毎年開くことだけでも大変でしょうに、会務報告あり、特別口演あり、分科会あり、出品あり、ツアーあり、すごい会ですね。でもそれには会をリードし、企画し、お世話する中核となる人がいないと持続させるのは至難でしょう。しかし読んでいて実に素晴らしい会、本当に羨ましい限りです。
6.「学会(界)の周辺」
 話す時間のこと、正にその通りですね。約束ごとを無視し、人の迷惑も顧みずに延々と話す御仁に出くわすと、無性に腹が立ちます。 
 イグノーベル賞のこと、日本人でも受賞されている方ありますね。それはそうと、賢いカラスは正に好適なターゲットだと思います。以前酸性雨の被害状況調査で、合金別にいろんな条件で年余にわたる調査を行なったのですが、なぜかカラスの糞害に悩まされました。その時は、ビニール被覆線を40cm位に切り乱立させることで解決できました。それはカラスが羽を広げた時に、針金が羽に当たることを極端に嫌うというヒントからでした。  またゴミ袋の場合、ずっと以前の真っ黒な袋では被害がなかったわけで、中が見えないと敵は素通りのようです。しかし、人間様も見えないわけで、中に何がということで透明な袋に変わった経緯があります。ところで磁石はそれなりに有効なのでしょうが、そこそこ強力でないと駄目なのではないでしょうか。いつか朝日新聞に、ヒトとカラスでは視覚に差があることと、中身が分からない限りつつかないというカラスの習性に目をつけ、黄色を強調する顔料を塗った半透明のゴミ袋を試作したそうです。この色の濃さと光の透過率を調整すると、カラスには見えないがヒトは見えるというゴミ袋ができ、それだと全く荒らされなかったとのことでした。
7.「性懲りもなくまたドンキホーテの八つ当たり」
 正に先生の言われる通りです。  その後「名古屋高速」は改善されたでしょうか。 
 ジパング倶楽部のこと、私は煩雑で辞めましたが、年寄りは「のぞみ」に乗るなとは、親切心なのでしょうかね。ただ代行については、ジパング倶楽部会員でないからか、全く支障がありません。 
 行田市教育委員会もとんでもない企画をしたものですね。悪い冗談だということ分からないのでしょうか。その後の消息知りたいものです。 
 会費制の謝恩会など、謝恩会じゃないでしょう。別名にすべきです。 
 減塩食の是非、沖縄では最長寿で摂取食塩量も多いとか、ただ天然塩でカリウムがふんだんに含まれているからOKなのでしょうか。最近得た知識では、食塩量を余り下げるとかえって腎機能によくないとか、どうなんでしょうか。
8.「手作りの本」
 小冊子ならいざ知らず、少なくとも本となると、相当な技術と何か道具が要るのではないでしょうか。あるいはちょっと技術見習いに弟子入りするとか。でも先生は独学とか。手作り本(Ⅳ)表紙と本にありますから、少なくとも4冊は作成されたようですね。本当に驚きました。所謂「凝り性」なのですね。

 いろいろと勉強させて頂き、有り難うございました。またいろいろ御教示下さい。

2011年10月4日火曜日

白山のコマクサ除去の受難ー掃討作戦開始ー

 平成23年(2011)9月28日付けの朝日新聞石川版に、「白山のコマクサ除去へ、『高山植物の女王』を外来種と断定」という見出しで、生田大介記者による記事が登載された。
 記事は次のようである。記事内容は「  」で示した。
 「ピンク色の可憐な花をつけ、『高山植物の女王』と呼ばれるコマクサを、白山から除去する作業が27日、環境省や県によって始まった。他の地域では盗掘が問題になる人気植物だが、白山にはもともと存在しない外来種で、生態系への影響が懸念されるためだ。」
 私がコマクサが除去されるかも知れないと初めて耳にしたのは、今年の8月21日の日曜日、南竜山荘の関係者からである。白山でのコマクサの生育地で、私が確認しているのは1箇所だけだが、それは見たところ明らかに植栽されたもので、私が知ってから10年位経過している。場所はコマクサにとっては好い?環境の礫地とは思うが、10年前と比較してもそんなに繁殖はしていない。ただ実生が幾株か見られるので、将来増えるのかなあとは思うものの、その速度は遅々としている。
 「白山国立公園では、1992年に山頂付近で初めてコマクサが確認され、当初から人為的に持ち込まれた可能性が指摘されていた。」
 私が白山にコマクサが生育していると知ったのは、平成12年(2000)7月19日付けの北國新聞の『北陸の自然発見』というシリーズで、宮誠而氏が前年の平成11年(1999)に撮影した『白山のコマクサと能登半島』という写真と、『人知れず咲いたコマクサ 魅惑のピンク がれ場に植えられ』というタイトルの一文である。そこには10株位の花を付けた株と、実生と思われる株も8株位写っている。撮影した日は台風一過で大気が澄み渡っていて、能登半島も遠望できたという。氏は順調に育っているコマクサを見た時、複雑な気持ちでしたと述懐している。そしてこれに関わった人は、コマクサの生育に精通していて、その場所がコマクサの生育に適した場所であることを見抜き植栽したのだろうと。そしてその場所は花壇でも造成するように石で囲ってあったと記している。私はその場所に遭遇したくて御前峰の西側で能登半島が見える場所にこだわり探したが、その場所は特定していない。しかし今年9月11日に、白山室堂に23年間勤務されていた鴛谷さんから直に伺った話だと、御前峰の東側だという。改めて宮誠而氏撮影の写真を見て、東面で能登半島が見えそうな場所となると特定できそうだ。でもそれは登山路からは入り込んだ場所だろう。ところで写真では慎ましく、高々20株程度が写っているに過ぎないが、朝日新聞の記事はこう続く。
 「その後、個体数は増え続け、2009~2010年度の調査では約5900株にも及んだ。」と。
 宮誠而氏の写真でも私が知っている場所でも、10年経過していたとしても、そんなに爆発的な増殖はしていないし、成長が旺盛な植物ではなく、根も地中深くに達することから、もしそんなに増えているとすれば、実生が育っているから、種子の散布による結果だろうか。しかしこのようにべらぼうな数の植栽は考えられず、この記事を見たとき、その数の多さに仰天した。早速今は石徹白に在住されている鴛谷さんに電話して伺ったところ、いやそれ位の株数はあるでしょうとのこと、どうしてそんなに増えたのですかと訊くと、種を蒔いたのでしょうと。ケシ科の植物の種子は細かく、卑近な例では芥子粒を思い浮かべて頂ければよい。鴛谷さんはその場所をご存知で、植栽は一部で、大部分は種子由来だろうと仰った。また種子散布があったのは、およそ20年位前のことだとも。
 「これを受け、環境省は学識者らによる対策検討会を設置、1973年頃に乗鞍岳のコマクサを持ち込み移植したという登山愛好家の証言が正しいことを確認した。DNA解析の結果、実際に白山と乗鞍岳などのコマクサの遺伝子も一致。一方、1822年以降の主要文献を調べた結果、自生していた記録はなかったことから、外来種と断定した。」
 1973年というと昭和48年、38年前、何方かは知らないが、植栽されたと自供されたのだろうか。私が知っている方は、もし存命ならば75か76歳、その方が20年位前に種子散布されたのだろうと鴛谷さんは話されていた。そしてその種子の採取場所は乗鞍岳だったとも。それにしても文献調査の最古が1822年というと江戸時代の文政5年、当時は何と称していたのだろうか。恐らく駒草と称してはいなかったのではないか。また当時の記載には草花の記載は極めて少なかったのではと思う。それにしても現行の国立公園法では、国立公園内での植物の採取は禁じているが、植栽してはいけないとの条文はなく、採取は法律に反しているのではと思うがどうなのだろう。また鴛谷さんでは、岐阜県内に成育しているものを石川県の職員が勝手に除去できるのかとも指摘されていた。この点について石川県自然保護センターへ問い合わせたところ、この事業(白山国立公園コマクサ対策事業)は環境省中部地方環境事務所の事業であって、事業遂行の最大の隘路は、地権者との調整だけで、県はこの決定の段階では関与していないとのことであった。この決定の発表は、中部地方環境事務所で9月26日に行なわれた。そこのHPには「白山では本来分布していなかったコマクサの種が持ち込まれ、一部が生育しているが、この外来種を除去するための白山国立公園コマクサ対策事業が実施されている。」とあった。
 「白山のコマクサの生育地点には他に8種類の在来植物が生えており、生育場所や養分などの面で悪影響を受けている可能性があるため、環境省が今後も影響を調査するという。」
 コマクサは礫地を好む、といっても礫地に直根を深く穿って生育する。だから他に8種類というのは何かは知らないが、それらの大部分は比較的根が浅く、コマクサと競合するとは考えにくい。しかも悪影響というのはどんなことを意味するのか。もっとも外来の植物の植栽を奨励するわけではないが、コマクサが可憐であり、かつ生育環境も厳しく、また生育場所が一般登山者の目に触れることが少ない場所ならば、現行法律に則って対処されるべきではないか。朝日新聞の記事に付載されている「白山国立公園に生育するコマクサ=環境省」の写真を見ると、宮誠而氏提供の過保護状態とは違って、のびのびと生育しているし、また1株に付いている花数も多く、逞しさが感じられる。掃討作戦が開始されたのが9月27日、恐らくその時期にはコマクサの種子は結実し、既に散布されてしまっているだろうから、根こそぎ絶やすためには、数年を要することになろう。白山自然保護センターの係員の話では、ここ10年ばかりで急に個体数が増え、それは種子散布もあるだろうが、それよりも株の分けつにより増えているとのことだった。
 「コマクサはケシ科の多年草で、国内では北海道と東北、中部などに分布している。」
 駒草は以前には腹痛に効く薬草として重宝され、乗鞍岳、御嶽山、燕岳、木曽駒ヶ岳ではほとんど採り尽くされてしまったという。でも木曽駒ヶ岳のほかは群生地として復活しているという。木曽駒ヶ岳では1960年以降、植栽による復旧に努めているという。
 現在の日本でのコマクサの群生地は、北海道では、知床半島、雌阿寒岳、大雪山系、東北では、岩手山、秋田駒ヶ岳、蔵王連峰、北アルプスでは、白馬岳、蓮華岳、燕岳、乗鞍岳、ほかには、草津白根山、八ヶ岳、御嶽山、このうち私が見ているのは北アルプスの4山で、白馬岳ではその北に位置する雪倉岳が圧巻である。
 古くは薬草として撮り尽くされた例もあることから、執念をもってすれば、絶滅させることは出来ようが、広い国立公園内のほんの狭い一画に生えるコマクサを除去するというのは、何ともしっくりこない。それよりオオバコこそ除去してほしいものだ。また外来種といえば他にもあるのに、そちらの対策はどうするのか、問題は残る。

 [平成23年(2011)9月27日付け北國新聞での記事] を以下に記す。
 『コマクサ除去開始 5900個体確認 白山の生態系回復 きょうから環境省』
 環境省中部地方環境事務所は27日から、白山国立公園の高山帯で生育範囲を広げているコマクサの除去作業に乗り出す。生態系の維持回復に向けて、効果的な除去手法の確立に向けた調査も行い、将来的にコマクサがない状態を目指す。
 コマクサはケシ科の多年草で、本州では岩手山や北アルプスなどに分布している。白山では1992年に生育が確認され、2009年度と昨年度の調査では、山頂部付近に約5900個体が確認された。人為的に持ち込まれたことがDNA解析で分かり、個体数も増加していることから、有識者を交えた検討会で、早急な対策が必要と判断された。
 地表から10~20cm下にある成長点の上部のみ除去することで枯死させ、土壌への影響を最小限にする。個体数が多い地点では開花が予想される大きな個体を取り除くなど継続的に作業を進める。 コマクサの持ち帰りは自然公園法で禁じられているが、除去は生態系維持回復事業として行われる。
 写真「白山国立公園に生育するコマクサ」は、環境省白山自然保護官事務所の提供。