2011年8月3日水曜日

大杉谷の蕎麦

 表記表題の初出は「探蕎」会報第30号(平成17年7月10日発行)の蕎麦屋情報一筆で、大杉谷へ出かけたのは、平成17年(2005)5月28日である。  「晋亮の呟き」に再録する。

 とある春の一日、前の週には雨で登り損ねた大日山へ出かけた。あの日はヤマケイ紹介の蟹ノ目山(ガンノメヤマ)へ行くという前田組長を無理やり大日山へ転向させたまではよかったが、登山口へ行くと生憎のザーザー降り、結局天気でこっちが折れてしまい再転向、結果として前田組の方が初志貫徹ということに相成った。6日置いた土曜日、前田組は日本百名山の越前荒島岳へ、夕方用事のある小生は大杉谷、鈴ヶ岳経由で大日山を目指すことにする。久し振りの大杉谷、とは言っても大杉谷はれっきとした小松市内、車は立派な車道を進む。ふと左手に、「そば」の看板が、近頃流行りの「ついで蕎麦」だろうと思いながらも、縁があれば帰りにでも寄ろうと思い先を急ぐ。道はやがて杉林の林道となり、初めは舗装だったが、やがて車1台が精一杯の細々とした山道に、対向車が来たらどれ位バックしなければと思うと気が滅入る。しかし、朝早いせいもあってか、どうやら登山口に辿り着けた。既に先着2名、そして後着1名。聞けばこの3名、還暦間近の退職組の面々。この年になって、山にはまってしまったと。毎週土曜の遍歴とか、恐れ入った。
 小生これまでに3回の大日山行は、すべて山中温泉の奥の真砂(まなご)から、大杉谷からは初、一度訪れたいと思っていた。山道は先ずまずの整備、大杉兜が見える頃、白山も遠望でき、鈴ヶ岳の頂を経て大日山に至る。尾根筋は春の山花が一杯。前田組長推奨のデジカメの威力に感謝しながらの満足山行となった。雪田跡のサンカヨウの群落、カタコガ原のカタクリの大群落、灌木のタムシバ、ミツバツツジ、ムシカリ、それにホンシャクナゲ、林床にはミヤマカタバミ、トクワカソウ、オオバキスミレ、エイザンスミレ等々の群生。出作り小屋下の湿原には植栽したと思われる水芭蕉田もある。往復5時間のところ6時間半もかけてゆっくり逍遥し、山を下りた。
 再び大杉谷の舗装道に戻って、件のそば屋を探すがなかなか見つからない。諦めかけた頃に、漸く小さな貼り紙を見つけた。入り口には「ゆるぎ荘」とある。はて、宿屋だったか。この田舎にと思う。中は薄暗い。人夫らしき2人が酒を飲み談笑している。親爺が相手をしているところを見ると、常連らしい。特にわしには挨拶はない。カウンターを占拠されているので、止む無く奥の炭火が燃え盛っている大火鉢の一角に陣取る。先ずビールを所望。品書きには川魚の焼き物とあるから頼むと、1時間はかかると。これから川へ獲りに行くのか、これには参った。つまみはと聞くと、何とかすると。やゝあってセンナが出てきた。
 やおら喉が潤ったところで、1日20食とかいう十割り蕎麦を所望すると、これは未だあるという。添いのバアさんが奥で何かガサゴソしている。やがて、深い大きめのドンブリに、かなり多めの細めの平打ちのソバが大杉谷の清流に浸かって、水蕎麦の風情で出てきた。ドンブリには緑の枝葉が。これは何じゃ。そりゃ大杉のお茶じゃと。親爺さんは相変わらず例の二人連れと相手。バアさんはわしと相手。お茶葉を食べるようにとうながされ、茶葉をそぞろに噛む。そばは正に水そば。で、蕎麦は先ずまず。つゆはついているが、無しでも可だった。水が美味しいからと言われ、多少濁っていたが呑まされてしまった。蕎麦の御代は壱千円也。今まで経験したことのない蕎麦だった。
 「ゆるぎ荘」は動山(ゆるぎさん)由来かと聞くと、そうだと、裏山だと。このとき小生はまだ登ってはいなかったが、話には聞いていた。また山へ来た時には寄ると言って辞した。二人連れは既に帰り、親爺は外で仕事をしていた。帰りに顔を合わしたら「有り難う」と言ってくれた。

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