2015年3月28日土曜日

金沢駅を彩る伝統工芸品の短冊プレート

 平成27年3月14日に北陸新幹線が開通し、金沢と東京が2時間半で結ばれることになった。3月20日に探蕎会の行事で押水今浜のそば屋へ行った帰り、午後7時からのアンサンブル金沢の定期演奏会まで空き時間があるので、新装なった金沢駅と新幹線を眺めることにした。開通前は金沢駅のコンコースにある大きな門型柱には覆いがしてあって、何か柱に地元作家の伝統的工芸品プレートが嵌め込まれるとの報道がされていたが、どんな作品が展示されるのか興味が持てた。開業された後、当然除幕されたのだろうが、あまり話題になっていないようで、訪れた時もこれらの柱に見入っている人はほとんどなく、私が回っていて一緒に見て話し合ったのは東京から来られたという御婦人一人だけだった。
 2列12対24本の柱は、1辺が1m ばかりあり、柱の上部に縦長の短冊形のプレートが嵌め込まれていて、その下部には秀作工芸の種類と作家、そして日本語、英語、中国語、台湾語、朝鮮 (韓国) 語で解説がなされている。以下に兼六園口 (旧東口) から入って左側 (南寄り) の12本の柱 (奇数番号) と、右側 (北寄り) の12本の柱 (偶数番号) について、順に工芸の種類と地元作家の氏名を紹介する。ただし短冊プレートには作品の名称は付けられていない。ただ駅の中心を飾る陶壁にはテーマが付いている。 

1.九谷焼 ( Kutani  Porcelain ) 日本芸術院会員 武腰 敏昭
2.木工芸 ( Wood  Work ) 重要無形文化財「木工芸」保持者 (人間国宝)灰外 達夫
3.輪島塗 ( Wajima  Urushi  Lacquer  Ware ) 重要無形文化財「沈金」保持者 (人間国宝)前 史雄
4.輪島塗 ( Wajima  Urushi  Lacquer  Ware ) 重要無形文化財「休漆」保持者 (人間国宝)小森 邦衛
5.九谷焼 ( Kutani  Porcelain ) 重要無形文化財「釉裏金彩」保持者 (人間国宝) 吉田 美統
6.金沢漆器 ( Kanazawa  Urushi  Laquer  Ware )「加賀蒔絵」
    重要無形文化財「蒔絵」保持者 (人間国宝)中野 孝一 
7.山中漆器 ( Yamanaka  Urushi  Lacquer  Ware )
    重要無形文化財「木工芸」保持者 (人間国宝)川北 良造
8.輪島塗 ( Wajima  Urushi  Lacquer  Ware )日本芸術院会員 三谷 吾一
9.九谷焼 ( Kutani  Porcelain )日展会員 山岸 大成
10.山中漆器 (Yamanaka  Urushi  Lacquer  Ware )日本工芸会正会員 中嶋 虎男
11.九谷焼 ( Kutani  Porcelain )日展会員 武腰 一憲
12.   珠洲焼 ( Suzu  Pottery )陶芸家 中山 達麿
13.輪島塗 (Wajima  Urushi  Lacquer  Ware )蒔絵作家 田崎 昭一郎
14.九谷焼 ( Kutani  Porcelain )「九谷赤絵細密画」 日本工芸会正会員 福島 武山
15.九谷焼 ( Kutani  Porcelain )「釉裏銀彩」日本工芸会正会員 中田 一於
16.金沢漆器 ( Kanazawa  Urushi  Lacquer  Ware )加賀蒔絵作家 清瀬 一光
17.九谷焼 ( Kutani  Porcelain )「彩磁彩」日展会員 三代  浅蔵 五十吉
18.九谷焼 ( Kutani  Porcelain )日本工芸会正会員 武腰 潤
19.山中漆器 ( Yamanaka  Urushi  Lacquer  Ware )日本工芸会正会員 水上 隆志
20.九谷焼 ( Kutani  Porcelain )日本工芸会正会員 四代 徳田 八十吉
21.茶の湯釜 ( Kanazawa  Tea  Ceremony  Kettle )茶の湯釜鋳物師 十四代 宮崎 寒雉
22.加賀象嵌 ( Kaga  Inlay )白銀師 加澤 美照
23.加賀象嵌 ( Kaga  Inlay )「平象嵌」 重要無形文化財「彫金」保持者 (人間国宝)中川 衛
24.銅鑼  ( Kanazawa  Bronze  Gong )重要無形文化財「銅鑼」保持者 (人間国宝)三代 魚住 為楽

 陶壁 「日月の煌き」( Glow  of  the  Sun  and  the  Moon )
    文化勲章受章者・文化功労者・日本芸術院会員 十代 大樋 長左衛門 (年朗)

2015年3月26日木曜日

平成27年3月の探蕎は「あい物」(その2)

(承前)
3.「あい物」探蕎本番
 3月16日の事務局からのメールでは、3月20日の「あい物」への参加者は13名で、次の方々 (敬称略) だった。池端、石黒、和泉 (2)、太田 (2)、奥平、木村、寺田、新田 (当日欠)、松川、松田、前田。会費は2500円 + お酒代。集合は午前11時現地集合との指示。ただ事務局からは3月19日にメールがあり、申込みは探蕎会ではなく、前田で予約してある旨の連絡があった。これからは会での予約はしない方が良いのではと思わされた連絡だった。
 探蕎の当日、私は和泉さんの車に便乗させていただくことにし、9時50分に家を出た。野々市から山側環状道路、次いで「のと里山海道」に入る。今浜インター近くまで来ると、自動車道からも「そば」と書かれた幟が何本も見え、これだと見落とさないが、この前はこれが見えなかったものだから、つい行き過ぎてしまった。時間は丁度1時間を要した。今日は天気も良く、蕎麦日和という言葉はないにしても、実に温かく過ごしよい日だ。
 11時近くになり店へ入る。私たちは奥の畳の間へ通される。2連の座卓に10人座れるようにセットしてあった。今日の参加者は12人、少々窮屈だが、全員入られるようにセットし直してもらう。今回はおまかせで2500円のコース、どんな品が出て来るのかの楽しみがある。飲物のお酒は久保田の千寿を冷やで頂くことに。
 テーブルには「そばのかりんとう」が出ていて、お茶が運ばれてきた。そして暫くして付き出しの胡瓜と人参の浅漬けが小皿に、そして1合が入る珠洲焼の黒い湯呑み型の片口に冷えた千寿と黒釉の盃が。このお酒は実に癖がなく飲みやすい酒だ。そして程なく珠洲焼の小鉢に山葵和えが、紐状の本体は一見イカと思いきや、これはホタテだとか、私には初めての見参だった。次いで角皿に大葉を敷き、その上に小分け包装の絹豆腐、包丁で斜に十字に切り、おろし生姜と葱のあしらい、この豆腐にはうま味が感じられた。そして焼き味噌、これはそば屋の定番、小振りなしゃもじにそば味噌、程よい味加減でお酒との相性は好い。そして脇役の天ぷら、南瓜の輪切り、海老、甘藷と大葉、州浜をかたどった皿に盛られ、抹茶塩が添えられている。先に訪れた時には蕗の薹が盛られていたが、今回はなかった。
 そして本命の「高遠そば」、角盆に珠洲焼と思しき黒縁の中皿に簀の子が敷かれ、その上にそばがやや多めに盛られている。そしてコップには辛味大根のおろし汁、それにそば汁とそば猪口と薬味。辛味大根のおろし汁はかなり辛いようで、中には残された方もおいでた。でもこの辛さが高遠そばの真骨頂なのだが。私はせっかくなので残りを頂戴した。そばも程よく美味しかった。
 一段落したところで、州浜をかたどった別の皿に「そば団子」が、1串3連の平たい団子に酢みそが付いていて、そばがきとは一風変わった趣きがある。このとき何故か女性限定としてピスタチオが出された。その意図は不明だ。終わりに近く、おカミさんから、宝達葛の「くず切り」はどうですかとの下問、2人で1つ頂くことにする。あちらでは気配りされ、朱の塗り鉢に半人前ずつ入ったのを供された。これが本物の宝達葛か、何とも淡く曇った透明感がなかなか上品で、見ていてもほれぼれする。微かな甘味が感じられる。
 こうして「あい物」への探蕎は幕を閉じた。帰りに玄関で集合写真を撮った。

〔閑話休題〕
1.参加した12人のうち、太田さん夫妻と奥平さんの3人が北陸新幹線に乗車されていた。その印象を伺うと、とにかく静かで、停まる時以外は全く振動を身体に感じないとのこと。したがって、発車の時もいつ動き出したかは分からず、これは走行中も同じだったという。それでコーヒーカップをテーブルに置いても、列車の振動やなにかで動くことは全くなくて、実に快適とのことだった。またトイレでも、横揺れが全く無いので、安心して用を足せたという。従来線では全く考えられないことだ。
2.会話のなかで、蕎麦「やまぎし」の話題が出て、津幡在住の太田さんから、山岸さん夫婦は実は恋愛結婚でしたとのこと、旦那さんが津幡に赴任された折に下宿した家の娘さんが奥さんとのこと。帰りに和泉さんを誘って「やまぎし」に寄ってお話を伺ったところ、正にそうであった。そして奥さんが言うには、実家と四十物さんとは親戚筋とのこと、正に赤い糸のつながりを感じた1日であった。

〔資 料〕
 店主:四十物 (あいもの) 一雄さん  創業:平成17年7月
 住所:〒 929ー1344 羽咋郡宝達志水町今浜北 15  ☎:0767ー28ー3653
 営業:平日 11:00〜16:00 頃  土・日・祝 11:00〜20:00  定休日:木曜日
 おしながき(抜粋) 単位:円
  冷たいそば:ざる(800)  高遠おろし(900)  天ざる(1000)  天ざるおろし(1500)  大盛 (400)
  ごはん・甘味:そばごはん(200)  くず切り(700)  そばがき(700)  そばだんご(250)
  酒肴:焼みそ(450)  天ぷら(600)  たこわさ(300)  にしんの甘露煮 (450)
  お酒:千寿 (800)  百寿 (500)  そば焼酎 (500)  ビール中 (600)
  ほかに、温かいそば、冷たいうどん、温かいうどん がある。そば・うどんは自家製。   

2015年3月25日水曜日

平成27年3月の探蕎は「あい物」(その1)

1.はじめに
 昨年暮れに行なわれた世話人会での行事予定では、3月は20日金曜日に能登押水にあるそば屋へということになっていた。ところで、1週間後に平成27年の探蕎会総会を控えた2月16日の事務局からのメールでのプログラムの案内原稿では、場所はまだ「未定」とあって少々心配だった。するとその日、事務局長の前田さんから電話があり、件のそば屋について世話人の塚野さんに尋ねたところ、のと里山海道の今浜インター近くにある「あい物」というそば屋とのこと、そこで予め訪れてみたいがどうかとの打診があった。訪ねるのは2月17日の火曜日、私はこの日午前10時以降ならフリーなので OK した。他の方にも打診されたらしいが、結果としては前田さんと私の二人だけで訪ねることになった。前田さんの車で出かける。

2.「あい物」偵察行
 場所は今浜インターのすぐ近くとのこと、しかも幟が出ているのですぐ分かるとのことであったが、あまりにもインターに近くて見落としたものだから、着くまでに随分あちこちうろつく羽目になり、「上杉」の前も通ったりした。でも昼近くにはどうやら着くことができた。
 店は大きな自宅の1階を改装した小綺麗な瀟酒な佇まいの構え、店に入る。中の三和土には、4人掛けの机が2脚、カウンターに椅子が5脚、都合13人が入れる。私たちが着いた後にも次々と客が訪れる。この店を知っている人は知っているのだなあと感心する。厨房には3人が、前田さんはご主人を見て、以前金沢市末町にあった「末野倉」においでた方ではないかと、訊ねたところ正にその通りだった。そこには10年おいでたとか。私が店名の「あい物」の由来を訊くと、前田さんは苗字だと、「四十物」と書いて「あいもの」と読むとか、そう言えばそのような苗字を聞いたことがある。ここで開店して10年になるという。
 注文は、前田さんは「高遠おろし」、私も追随する。お酒の欄を見ると、久保田の千寿と百寿が、千寿を注文、摘みには「天ぷら」と「そばみそ」を注文する。程なくお酒が、久しぶりの千寿、付き出しには胡瓜と人参の浅漬け。前田さんには申し訳なかった。天ぷらは海老と蕗の薹が各2、あと南瓜、甘藷と大葉。蕗の薹は近くで摘んできたものとか、菊の花弁状に開いて揚げてあったのは新鮮だった。抹茶塩で頂いた。そして「高遠おろし」、お盆に縁が黒っぽい中皿にやや多めに盛られた中細の二八のそば、コップには辛味大根のおろし汁、それにそば汁とそば猪口と薬味 (刻み葱と生山葵) 。そばは丸抜き、コシもあって、喉越しも上々、これだと皆さんにも十分喜んでもらえそうだ。前田さんの言だと器はみな珠洲焼なのではとのこと、なかなかシックでよくマッチしている。そうこうするうちにまた客が、するとご主人、「少し待って下さい、今すぐそばを打ちますから」と。そしてそばを打ち出したではないか。数人分なら15分もあれば、打って、切って、茹でて、冷水で締めて供せるのではと思う。正にそば職人の自負が伺える姿を見た。その後も客が、すると奥の部屋へどうぞとのこと。奥さんに訊くと、奥には10人入れる畳敷きの部屋があるとか、探蕎会でもし10人入ったら貸切りになるのではと危惧していたが、これだと安心だ。

2015年3月19日木曜日

1945年以降に庭から消えた植物のリスト

1.木 本
アオダモ・コバノトネリコ・アオタゴ(モクセイ科 トネリコ属)、イチジク・トウガキ(クワ科 イチジク属)、イブキジャコウソウ・イワジャコウソウ(シソ科 イブキジャコウソウ属)、ウンリュウヤナギ(ヤナギ科 ヤナギ属)、エノキ(ニレ科 エノキ属)、オニグルミ(クルミ科 クルミ属)、カキ(カキノキ科 カキノキ属)、カラスザンショウ(ミカン科 サンショウ属)、カンツバキ・シシガシラ〔園芸品種 コジシ〕(ツバキ科 ツバキ属)、キリ(ゴマノハグサ科 キリ属)、クリ(ブナ科 クリ属)、クロモジ(クスノキ科 クロモジ属)、サツキ・サツキツツジ〔八重の古木〕(ツツジ科 ツツジ属)、サワラ(ヒノキ科 ヒノキ属)、スモモ(バラ科 スモモ属)、セイヨウミザクラ〔外〕(バラ科 サクラ属)、タラノキ(ウコギ科 タラノキ属)、テッセン〔外〕(キンポウゲ科 センニンソウ属)、ナギイカダ〔外〕(ユリ科 ナギイカダ属)、ナツグミ(グミ科 グミ属)、ニワウメ・コウメ・リンショウバイ(バラ科 サクラ属)、ニワトコ・セッコクボク(スイカズラ科 ニワトコ属)、ニワフジ(マメ科 コマツナギ属)、ハウチワカエデ・メイゲツカエデ(カエデ科 カエデ属)、ハクモクレン・ハクレン(モクレン科 モクレン属)、ハナカイドウ・カイドウ(バラ科 リンゴ属)、ハナズオウ〔外〕(マメ科 ハナズオウ属)、ハンノキ(カバノキ科 ハンノキ属)、ヒノキ(ヒノキ科 ヒノキ属)、ビワ(バラ科 ビワ属)、ブドウ(ブドウ科 ブドウ属)、ポポー・ポポーノキ・アケビガキ〔外〕(バンレイシ科 ポポー属)、マダケ・ニガタケ(イネ科 マダケ属)、ムラサキシキブ・ミムラサキ・コメゴメ(クマツヅラ科 ムラサキシキブ属)、モクレン・シモクレン・モクレンゲ(モクレン科 モクレン属)、モチツツジ(ツツジ科 ツツジ属)、モモ(バラ科 モモ属)、ヤエヤマブキ(バラ科 ヤマブキ属)、ヤマトレンギョウ(モクセイ科 レンギョウ属)、レンゲツツジ(ツツジ科 ツツジ属)
以上  41種(28科 35属)

2.草 本
アカザ(アカザ科 アカザ属)、ウシハコベ(ナデシコ科 ハコベ属)、エゴマ〔外〕(シソ科 シソ属)、エビネ(ラン科 エビネ属)、エンレイソウ(ユリ科 エンレイソウ属)、オオケタデ〔外〕(タデ科 タデ属)、オオマツヨイグサ〔外〕(アカバナ科 マツヨイグサ属)、カタクリ(ユリ科 カタクリ属)、カラスウリ(ウリ科 カラスウリ属)、キキョウ(キキョウ科 キキョウ属)、キクイモ(キク科 ヒマワリ属)、キクバオウレン(キンポウゲ科 オウレン属)、キランソウ・ジゴクノカマノフタ(シソ科 キランソウ属)、ジュウニヒトエ(シソ科 キランソウ属)、シャガ(アヤメ科 アヤメ属)、シャクチリソバ・シュッコンソバ・ヒマラヤソバ〔外〕(タデ科 ソバ属)、シュウカイドウ〔外〕(シュウカイドウ科 シュウカイドウ属)、シュンラン・ホクロ(ラン科 シュンラン属)、ショウジョウバカマ(ユリ科 ショウジョウバカマ属)、シライトソウ(ユリ科 シライトソウ属)、スベリヒユ(スベリヒユ科 スベリヒユ属)、ツルボ(ユリ科 ツルボ属)、テッポウユリ(ユリ科 ユリ属)、トキンソウ(キク科 トキンソウ属)、フジバカマ(キク科 フジバカマ属)、ホオズキ(ナス科 ホオズキ属)、ミゾソバ・ウシノヒタイ(タデ科 タデ属)、ミヤコワスレ・ノシュンギク(キク科 ミヤマヨメナ属)、ムラサキサギゴケ(ゴマノハグサ科 サギゴケ属)、ヤエムグラ(アカネ科 ヤエムグラ属)、ヤマゴボウ(ヤマゴボウ科 ヤマゴボウ属)、ヨウシュチョウセンアサガオ(ナス科 チョウセンアサガオ属)、ヨメナ(キク科 ヨメナ属)
以上  33種(18科 31属)

3.羊 歯
イノモトソウ(イノモトソウ科 イノモトソウ属)、イワガネゼンマイ(ホウライシダ科 イワガネソウ属)、クサソテツ(イワデンダ科 クサソテツ属)、クジャクシダ(ホウライシダ科 ホウライシダ属)、コンテリクラマゴケ(イワヒバ科 クラマゴケ属)、シシガシラ(シシガシラ科 シシガシラ属)、ヤブソテツ(オシダ科 ヤブソテツ属)
以上  7種(6科 7属)

シンリョウのツブヤキ(13)庭から消えた植物

 私の家の敷地は南北に長い長方形で、母屋が真ん中にあり、その東側には南北に用水が流れている。この裏庭の南端は竹林、北端は築山になっていて、用水はここでは曲水になっている。そして他の裏庭には大木が鬱蒼と繁っていた。母屋の西側にある前庭は、一部は庭らしく造られてはいるものの、その他の部分にはいろんな木々が生えていた。終戦になって農地解放が行なわれ、400町歩あった田は1町歩になり、沢山の国債は紙切れになり、財産税を払わねばならないため、裏庭の大木を10本ばかり伐ってそれの足しにした。大木が無くなったことで、陽当たりが随分と良くなり、植生が大きく変わった。中でも築山に沢山植わっていた楓が、鉄砲虫の被害にあってほとんど枯死したし、数本あった梅の古木も枯れてなくなった。代わりに陽樹のタブノ木が元気が出て、築山全体を覆うほどになり、後年大きな枝を切り落とさねばならなくなった。また竹林は以前は真竹と孟宗竹が混在していて、程よく東南の一画に納まっていたものの、真竹に花が咲いて真竹が絶えてしまってからは、孟宗竹が勢いを増し、用水の東側一帯に広くはびこるようになり、出て来る筍を除去するのに苦慮しなければならなくなった。本当に予想もつかないとんでもない所にまで筍が顔を出すのには驚くほかない。
 大木を伐った後には陽当たりが良くなっていた庭も、幼樹が大きくなるにつれ、陽当たりがまた悪くなり、それでまた植生が変わっていった。また陽当たりが良かった頃、久吉叔父が植えた木々があったが、今日では大木に成長したメタセコイアが残っているに過ぎない。一方で庭には以前は昆虫も沢山棲息していて、オハグロトンボもいたし、ウマオイやクツワムシ、スズムシといった秋の虫も沢山いたが、今はコオロギや蝉が残っているのみである。代わって今は蚊の天国、樹木の剪定にあたっては、事前に蚊の駆除をするのに殺虫剤を庭師が撒くので、なおさら生態系が悪くなっている。また用水には、ずっと以前には小魚も沢山いて、カワセミなども飛来していたが、その後はどぶ川になり、ヘドロが溜まり、臭いもするようになった。でも下水道が普及するようになって、どうやら流れも幾分きれいになってきた。今でも庭には2カ所、用水沿いに野菜などを洗う場所が設えてあるが、勿論以前のように、そこを利用するような清流は望むべきもない。こうして幾多の変遷があり、庭の様相は造られて百年を経て、環境は随分と変貌した。したがってその間に植生も変わり、以前あった木々や草々でなくなったものも多い。そこで私は終戦以降の記憶を辿り、以前にはあったが、今は無くなってしまった植物、種子植物と羊歯植物について記すことにした。
 以下に記した植物は、種子植物は木本と草本に分けて、植物名は五十音順とし、種名・別名(科名 属名)の順に記した。また植物名の後に〔外〕と記した植物は、外国原産で、安土桃山時代 (1570年) 以降に日本に渡来したいわゆる帰化植物である。ただバラ科の中国原産の果実、例えば梅や桃や杏などは、もっと古い時代に渡来していることもあって、帰化植物としては扱っていない。(リスト別添)