2013年6月22日土曜日

改装なった川金・鮎の庄へ香魚を求めて

 昨年10月8日に子持ち鮎を食べに川金・鮎の庄へ行った折、改築のため11月1日から翌年4月まで休業するとのことだった。改築前の席数は50ばかり、営業は午前11時からなのだが、土日は11時に行ったのでは既に満席で、最初にありつこうとすれば、10時には着いて事前登録しなければならなかった。土日祝日以外の平日ならば予約はできるが、これまで平日に出向いたことはない。庄川畔には今も数軒の鮎を食べさせる店があるが、この店ほど混み合っている店は他にはない。古くは石川県知事だった中西陽一さんが、よく車を飛ばして食べに行かれたことでも知られている。
 今年になって、そろそろ鮎も解禁(犀川は6月15日、庄川は6月22日)になるのにどうなっているのかなと思っていたところ、地元紙に6月1日に新装開店とあった。家内が6月12日(水)に休みがとれるとのことで、早速予約した。当日は天気もよく、家を9時に出て、額菩提樹苑にある三男の墓へ寄った後、山側環状道路、森本IC、北陸高速道、砺波ICを経て、富山県砺波市上中野の庄川畔にある川金・鮎の庄に向かった。10時半に着いた。11時からなので、川金のロビーで暫く寛いだ。改築された鮎の庄は改築前の倍くらいの大きさの平屋建て、以前と比べモダンな感じになった。時間になって促されて鮎の庄に向かう。以前は旅館に垂直に建物が延びていたが、新しい建物は平行になっている。
 案内されたのは窓側の6人テーブル、テーブルの真ん中に角形の灰床、以前のは囲炉裏部分が大きくて、皿を置くスペースが狭かったが、新しいのはテーブルも広く、椅子にも余裕がありゆったりしている。以前に比べて角形の灰床の面積は小さいが、でも6人が10本ずつ食べても、十分串を並べるスペースがあり、合理的な設計になっている。とにかくゆったりなのが良い。6人での相席でも十分余裕がある。前は10人席でも10人だと窮屈だったし、小上がりの6人卓も狭かった。職員の服装も、和装から洋装になった。
 注文は、取りあえず、鮎の塩焼き10本、鮎の造り1皿、うるか三種盛り1皿、飲み物は銀嶺立山の300mlとノンアルコールビールを1本お願いした。つまみには「ちょろぎ」が出た。〔注:チョロギというのは、中国原産のシソ科の多年草で、栽培されている。秋には淡紅色の唇形の花を穂状につける。この植物の根の先端には、連珠状の白い塊茎が付くので、これを掘り取り、梅酢で赤く染めて食用に供する。地方によっては、正月料理には黒豆との取り合わせにかかせないという〕。
 さて鮎だが、川金のパンフレットには次のように書かれている。「庄川で育まれた鮎は、天下一との誉れをいただいており、遠方からも多くのみなさまがお越しになります。釣りたてを炭火で焼き上げた味を、川金「鮎の庄」でご堪能ください」と。しかし私たちが寄ったのは6月12日、解禁は22日であるからして、鮎は天然ではなく養殖である。これは解禁後も同じで、鮎の庄では天然の鮎が出ることはなく、もし天然の鮎を食べたいのならば、川金で鮎料理を食べねばならない。改築後は見られなくなったが、以前は生け簀に沢山の鮎をストックしていて、しょっちゅう補給されていた。そして一度に何十尾もタモですくい、目にも止まらない速さで串に刺していた。今はそれが見られなくなった。ただ入り口近くで鮎を焼いていて、強火の遠火で円形に串を立て、焼いているのを見ることができる。1カ所でざっと30尾、これが3カ所あり、圧巻である。
 程なくして鮎の塩焼きが来た。大きさは15〜17cm位、養殖なので月を経てもそんなに大きくはならないが、もう少しは大きくなろうか。でも、小さくとも焼きたてを蓼酢で頂くのは至福の時である。もう一尾二口である。鮎の造りの鮎は塩焼きのよりは大きい。洗いにしてはなく、下ろしたまま、清々しい味がした。鮎のうるかは私の大好物、でも近頃は家内も味をしめて、三種盛りでも特に「子うるか」を独り占めにしてしまう。ただ「黒うるか」や「わたうるか」には手を出さないから救われる。ちなみに「うるか」というのは、鮎のはらわたや卵を塩漬けにした塩辛で、酒の肴としては中々珍味である。
 その後さらにもう10本所望、そして野菜の天ぷらと漬物盛り合わせ、それに飲み物、最後に家内はざるうどんを頼んでいた。これで十分に堪能した。でも見てると、大部分のお客さんは「鮎の膳」を注文のようで、後で清算したときに、20本も食べられたのですかとあきられたというから、私たちの方が変わっていたのかも知れない。でも満足した。

 以下に余分だが、新装なった「鮎の庄」を若干紹介しておく。
● 営業の案内
 旬彩いろり茶屋「鮎の庄」 〒939-1323 富山県砺波市上中野70 川金 庭園内
             電話 フリーダイヤル 0120-01-0257     代表 0763-82-0257
   営業時間  昼の部 11:00〜14:30  夜の部 17:00〜20:00
 定休日  4月〜10月は無休  11月〜3月は火曜日が定休日
 予 約  平日の昼・夜ともに可  土・日・祝日は夜のみ可  個室4室あり予約可
● 鮎御膳 2,000~3,000円 鮎料理 500-900円 鮎の塩焼き 380-650円 鮎の造り 800-1,000円
● 一品料理 500-700円 珍味うるか 100-600円 鮎雑炊 800円 麺類 750-800円 甘味物 300-700円
● 日本酒(4合)2,000-7,800円 ビール ノンアルコールビール ワイン 焼酎 チューハイ ほか  

2013年6月17日月曜日

会員そば打ちの集いで出されたサプリメント

 今では恒例となっている探蕎会の湯涌みどりの里でのそば打ちの集いは、平成15年に始まったのだから、もう数えて11回目になる。それまでは毎回場所を転々としていたから、世話は先ず場所選びから、世話する方々は大変だったろうと思う。それが現在の場所に定着したのは、世話人の塚野さんの尽力に負うところが多い。それに一昨年からはクイズまがいで、生粉打ち、九一、二八で打たれた「そば」を当てるという趣向も加わった。また当日のおしながきを見ると、そば以外に「つきだし」や「でざーと」と称して、会員の方々が腕を振るった品々が提供され、それが格好のお酒の友やお土産となっている。ところでこの趣向の傾向も年々内容が充実、いやエスカレートしているのではと思われ、これは素晴らしいことである。これが会員一人一品とまで義務化されると大変だが、そうでなくて任意でボランティア的であるのが素晴らしい。それにしても今年は昨年よりも品数が多くなったように感じた。それで厚かましくも遠慮しないで、一部の品を除いてはしっかり食し、堪能させて頂いた。以下に今年の会で出されたサプリメントについて、感謝をこめて列記してみたい。順不同である。

一、つきだし類
1.新田さん提供の品々
● 「かたはのお浸し」:「かたは」というのはご当地名で、和名はウワバミソウ、イラクサ科の植物である。やや湿気た山地に群生していて、茎は瑞々しい。東北では「みず」といい、茎が赤みがかっているものを「あかみず」、そうでないものを「あおみず」と呼んでいる。我が家の庭にも群生してはいるが、丈も低くこわそうで、食したことはない。本品のお浸しの作り方は不明だが、榎茸も入っていて、生姜と茗荷のトッピングで、仄かなうまみがお酒の友にはぴったりだった。
● 「ワラビの煮浸し」:言わずと知れた「わらび」、和名もワラビで、古くはウラボシ科だったが、現在はコバノイシカグマ科に分類されている。春に未だ丸まって開いていない拳状の若葉のついた葉柄を湯がいて食する。匍匐茎があるので、何度か収穫できる。この品は醤油に浸したものとか。色は黒紫色、姿はというと精悍な風貌、程よい歯触り、素人ではこうは作れまい。逸品だった。
● 「ゼンマイの煮物」:ゼンマイはゼンマイ科の多年生の羊歯で、春の山菜の代表でもある。春先、先ず胞子葉が、次いで栄養葉が出る。どちらも芽生えは綿毛で被われ、ゼンマイ状に巻いている。食用にするのは後者で、生食することはなく、一旦乾燥して揉んで保存できるようにしたものを煮たりして食する。出された「ぜんまい」は能登産とか、油揚げと竹輪、それと茸?とが入った煮物、おふくろの味というべきか。私の家の庭にも数十株のゼンマイが葉誇りしているが、ついぞ食べたことはない。
● 「コールラビの塩麹漬け、酢麹漬け」:コールラビとは何か。出品の新田さんに訊くと「のと野菜」だとのこと。後日、南栃市福光の道の駅で、この品の表示を見たが、残念ながらその品は売り切れていた。ただ説明の表示があり、それを書き写した。「コールラビとはドイツ語でキャベツカブという意味で、キャベツに似たやさしい甘味があります。茹でてサラダにしたり、スープや味噌汁などの汁物、煮込みなどにも合います」とあった。現物は見ていないが、アブラナ科の植物であることは間違いない。一見小蕪のようで、調理には皮を剥いてとある。出た品もそうして輪切りにしたものを漬け込んだもの、初めて口にしたが、新来の味だった。
● 「モミジガサの白和え」:モミジガサは山地の林下に生えるキク科の多年草である。食用にするのはその若芽で、キク科の植物の大半は若芽であれば食することができる。最も安直なのは天ぷらである。でもこの品はモミジガサを湯がいて、よく摺った白味噌と白胡麻とで和えてあった。見た目には、濃い緑と白のコントラストが素晴らしかった。
 出品された新田さんは岩手県遠野市の出身、何と言ったって東北は山菜の宝庫、しかもスナック遠野を経営されていて、料理の腕前も一流、毎回素晴らしい一品を提供して下さっている。
2.早川さん提供の品
● 「山椒の未熟実の入った縮緬雑魚」:縮緬雑魚はカタクチイワシなど、鰯の雑魚を煮干しにしたもので、しらす干しともいう。これに薄味を付け、灰汁抜きした山椒の緑色未熟実を混ぜてある。市販の山椒粉は、赤く熟した実の黒い種子を粉末にしたもの、未熟な実の方がミカン科特有の芳香を出す。昨年は実の数が多くて舌が麻痺する程だったが、今年は少なかった。因みにこのサンショウは雌雄異株、先生宅のは雌株で、小生の庭のは雄株の老木、でも庭のあちこちに幼木が育っているのはどうしてなのだろう。
3.松田さん姉上提供の品
● 「花豆の煮豆」:花豆とは、マメ科インゲン属のベニバナインゲンの成熟した種子のことで、大型の豆、大福豆や虎豆と共に高級煮豆の材料になるという。これら大型の豆類を上手に煮るのは難しく、その炊き方にはコツが要るという。提供された煮豆は煮崩れもなくて上等な出来だった。でも何故か私は口にしていない。
4.久保さん提供の品
● 「沢庵と大根の浅漬け」:沢庵も自家製なのだと思う。私の家でも母が存命中は家で沢庵を仕込んでいたが、今は大根の浅漬けでさえ漬け込むことは少ない。どちらもお酒の格好の友と言える。
5.池端さん提供の品
● 「帆立の貝柱の干物」:小粒なのがよく、じっくりお酒を頂く時には格好のつまみになる。

二、でざーと
1.久保さん提供の品
● 「そば掻きぜんざい」:小豆(あずき)の中では最も粒が大きい大納言小豆、それも毎年こだわって福井県大野市から引かれるとか。久保さんは探蕎の折りには、もしぜんざいがあれば必ずといっていいほど所望される善哉通である。この作品は奥様の作であろうが、作り方にも甘味にもきっとこだわりをもっておいでだと思う。事務局長の前田さんが終了までに間に合い、このそば掻きぜんざいを食されたと「日めくり日記」に記されていたが、絶賛されていた。私はこれを見て、ぜんざいはともかく、粗挽きの蕎麦掻きは食べたかったと思ったものだ。
2.石野さん提供の品
● 「そばクッキー」:石野さんは今回は欠席だった。いつもは「シフォンケーキ」を提供されるのだが、今回はお休み。代わりに「そばクッキー」が配られた。すでにパッケージされていて、乾燥剤も入れられていた。私は家に持って帰り、翌日にウィスキーの水割りと共に頂いたが、最高だった。甘味が程よく調和され、格好の摘まみとなった。
3.松田さん提供の品
● 「水無月(蕎麦粉入り)」:裏千家の宗匠さんである松田さんお手製のお菓子、これは6月に頂く定番の和菓子とか、知らなかった。横から見ると、下の方5分の4ばかりが白っぽい生地で、ここに蕎麦粉が入っているようだ。その上に甘く煮た小豆が乗っかっている。白い部分は氷室の氷を表し、小豆は悪魔祓いを意味するという。またこのお菓子は三角の形状をしているが、これも魔除けを意味し、このお菓子を頂くと、その年の後半の厄払いと夏の健康祈願となるという。有難く頂いた。それにしてもよくぞ作られたものだ。

2013年6月13日木曜日

二つの同窓会(高校と小・中校)

 昭和12年生まれの私たちは今年が数え77歳、いわゆる喜寿の祝いをする歳である。学年ではいわゆる遅生まれの昭和11年生まれの人(但し4月2日以降に生まれた人)と早生まれの人(但し4月1日までに生まれた人)とが混在しているが、近頃は満年齢で祝うこともあるというから、同一学年で祝いをしても特にクレームをつける人は少ない。しかし中には「喜寿祝」と銘打つことに異論を唱えて参加しない人もいる。でも高校の同期同窓会でも小学校・中学校の同期同窓会でも、参加した人は特にこだわってはいない。

(1)泉丘高校七期同窓会  平成25年5月30日(木)ー31日(金) 粟津温泉 のとや
 七期の同窓会は1年おき(2年に一度)に実施される。それはそうとして、何時も実施時期が決まるのが遅いきらいがある。実は小・中学校の同窓会の実施時期は前年にもう6月4日5日と決まっていたのに、高校の方が決まらずにヤキモキした。というのも野々市中学校から13名が泉丘高校に進学しているからで、現在地元に住んでいない人は、一旦帰るのか残るのか、若しくは片方のみに出るのかの選択を迫られることになる。高校の卒業生は当時11クラスあったから、卒業生はざっと440人、だから割合からすれば極少であるのだが。同窓会の世話をしている人に参加人数について訊いてみると、最も多かったのは還暦のときで約100名、後は大体70名前後で推移していたが、近頃は60名前後とのこと、今回は58名だった。会の冒頭でこの2年間で物故された人が読み上げられたが、何と20人もが亡くなっていたのには驚いた。参加者が少なくなった原因の一つには本人の体調不良も大きな原因となっていることが伺われた。でも参加した人達は皆さん意気軒昂で、宝生流の謡にも張りがあったし、校歌斉唱も迫力があった。その後は三次会までこなし、大いに盛り上がった。

(2)野々市小・中学校同窓会(子うし会)  平成25年6月4日(火)ー5日(水) 粟津温泉 法師
 子うし会は毎年集まっている。中学卒業時には53名いたが、これまで11名が亡くなり、3名が消息不明である。したがって同窓会の案内対象者は39名である。それで毎年少なくとも1泊はするが、すぐ解散というのは名残惜しいということもあって、大概物見遊山をオプションとして付けている。しかしそうなると、足腰の不自由な人、乗り物酔いをする人は参加しづらくなる。そこで今年は喜寿祝ということもあり、旅館1泊のみとした。その結果、いつもは多くて18名の参加なのだが、今年は22名と、56%の参加率だった。高校の同窓会はいつもこのスタイルなのだが、子うし会には元気な女子会員がいるので、このスタイルを続けるのは困難なようである、だから数え80歳の傘寿の祝には、またこのスタイルを継承するとしても、その間は旅行も取り入れた会にしなければならないと思う。ここ数年、宴会のスタイルはテーブルと椅子の形式、それだけ身体が不自由な人が多くなったということだ。いつもそうだが、この会では宴会が退けた後、皆さんが一部屋に集まって鴕弁るのが常であるが、これがまたお互いの親睦を深めるのに重要で欠かせない潤滑油となっている。これは出席した人達の9年間の絆の一層の強化ではないのか。お互いを呼び合うのに姓でなく名で言えるのも小学校や中学校に在学していた頃のノスタルジアか。でもそうだと、姓が結婚して変わっていようと、姓のことで頭を悩ますことはない。  

2013年6月3日月曜日

第50回25周年記念巨樹探訪会〔第2日〕

 5月19日(日)
5.鬼岳稲荷神社  福知山市大江町北原
 午前6時に市のマイクロバスで山へ向かう。この大江山一帯は京都府歴史的自然環境保全区域に指定されていて、ブナなどの落葉広葉樹やカシなどの常緑広葉樹の自然林が残っており、しかも北方性と南方性の植生が混在しているという。山はフジが花盛り、ヘアピンカーブもある舗装された山道をバスは上がって行く。15分は上ったろうか、林道の終点が鬼岳稲荷神社で、ここには展望台もあり、説明では、秋の早朝にはよく雲海が発生し、日の出の瞬間の「ご来光」は実に神秘的で荘厳とか。この日は雲海は眺められなかったものの、遠く若狭湾や青葉山を望めた。
 さて、配付の案内文では、終点より更に10分登れば展望台へ行けるとか、神社の手前に上り100mという表示のある山道があり、これがてっきり展望台への道と思い進むと、お稲荷さんの小さな祠で道は消えていた。これはお稲荷さんまでの小径であったようだ。戻って神社まで行くと、その奥に大江山登山道との標識があり、ここは八合目 (640m) で頂上 (833m) までは 1.2km とあった。しかしこれより先へは進まず、周囲を散策する。原生林の樹種は主にブナ、正に緑の真っただ中、空気が実においしい。会員の方々は実に熱心、またよく樹木の名をよく知っておいでだ。私が分かるのはブナくらい。これから教わらなければなるまい。約1時間滞在して宿舎へ戻り、朝食後 8:40 に出発する。

6.元伊勢内宮 皇大神社  福知山市大江町内宮
 宿舎から二瀬川沿いに府道9号を南下すると、15分ばかりで皇大神社下に着いた。ここから参道の石段を上る。途中に麻呂子親王御手植の杉の巨樹があり、その三本の内の一本と記されてある。もう少し上がると一本は切り株となっていた。更に上がって樹皮が付いたままの黒木の鳥居をくぐると、正面に神明造りの茅葺きの本殿がある。御祭神は皇祖天照皇大神である。そして向かって左側にはアメノウズメノミコトの母、右側にはアメノタジカラノオノミコトを祀る脇殿がある。そして本殿左手には御神木の「龍灯の杉」(幹周 700cm, 樹高 25m, 樹齢 2千年) があり、落雷と火災で樹は痛々しいが、枝葉には勢いが見られる。これらを囲んで全国の一之宮 84 社が脇宮として祀られており、石川県の加賀一之宮の白山神社、能登一之宮の気多神社の名も見られた。境内にはほかにスダジイ (幹周 426cm , 樹高 25m) やシラカシ (幹周 485cm , 樹高 18m) などの巨樹のほか、スギ、クスノキ、エノキの大樹が植わっている。
 その後、祢宜の方と観光協会の公園指導員の方から、この神社の来歴やこの地の植生の解説を受けた。それによると、人皇第10代崇神天皇39年に、皇大神を永遠に御遷座する場所を求めて倭 (やまと) より出て御遷幸の砌、この地に4年間御鎮座になり、その54年後、人皇第11代垂仁天皇26年に漸く伊勢の五十鈴川上の地にお鎮まりになったという。元伊勢内宮と言われる所以である。
 その後私たちは谷沿いに岩戸山 (日室ヶ岳 427m)遥拝処へ行く。夏至の日には、このピラミッド型の山頂に太陽が沈むという。更に進むと岩下に天岩戸神社が見える地点に、当初の予定ではここで戻る予定だったが、皆さん興味があって、崖を削って造られた急な石段を下りて二瀬川の川床まで下りてしまった。そこには天岩戸を想わせる巨岩が両岸に並び、天岩戸神社は左岸の丸い巨石の上に鎮座されている。そこへ参拝するには、鎖を頼りにしないと上れない。登れる人のみが上がって参拝した。なかなか神秘的な場所である。
 再び崖に刻まれた狭い径を車道へと戻り、帰りは元宮には戻らずに車道を歩いて神宮下の駐車場へ戻った.この頃になって雨が降ってきた。山腹にはヒメウツギの白い花、フジも咲いている。説明に出てきたジャケツイバラの黄色い花も見られた。

7.あしぎぬの大雲の里  福知山市大江町北有路
 11時に皇大神社の駐車場を出る。川沿いに下り、由良川と合流する地点にある表記の場所にあるレストランで昼食をとることに。だが着いた時間が早くて、先客があり、昼食場所は隣接する平野邸に変更になった。本来は入館料300円が必要なのだが、昼食場所ということで無料になった。お座敷二間に昼食弁当が並ぶ。庭を見ながらの贅沢な昼食、食事後管理人から説明を受けた。この地は古来から丹後と丹波を結ぶ交通の要となる地で、由良川水運の拠点として賑わったという。河口からこの北有路までは2km、高低差は6m、それで船は平底の高瀬舟、上流の綾部まで行けた。平野氏は楠正成の従臣の末裔で、江戸時代の初めに有路に住み、藩主牧野氏の御用達として活躍した。明治維新後も酒造業、養蚕にかかる繊維業に携わり、京都銀行の前身となる銀行を興し、地域の経済、文化に多大な貢献をした。この建物は平野家12代の吉左衛門により明治42年 (1909) に建てられたもので、現在は記念館として管理され、京都府有形文化財に指定されている。邸内は広く、階段が3カ所もあるのには驚く。襖も欄間も凝っていて、目を見張るものがある。また庭園も素晴らしくて、特に二階からの眺めが良く、道路を挟んで由良川も見える。庭の樹種はイヌマキが主で、枯山水もあり、間にツツジが植わっている。ただ手入れが十分行き届いていない感がする。12:20 に次の訪問地へ向かう。

8.「才ノ神」のフジ  京都府天然記念物  福知山市大江町南有路
 府道9号線を南下し、国道175号線に出て、由良川に架かる大雲橋を対岸に渡り、山道を走ると「才ノ神」のフジに達する。平野記念館から7分の距離である。
この藤は、以前は目通りの周囲は 7.9m 、2千年を超える欅の大木に絡まって、根元の幹が1mを超える6本の藤が立ち上がっていて、共に御神木として大切にされ、昭和9年 (1934) 5月には国の天然記念物に指定された。ところが幾度の落雷で欅の枝は折れ、樹幹は根元が空洞化し、倒れた樹幹の一部が藤を支える状態だったことから、昭和35年 (1960)1月には解除となった。そこで欅の枝の代わりに、鉄骨で藤を支えることになった。その後三度に及ぶ藤棚補強と拡張により、現在の姿になっている。フジは現在幹周り180cm 以上あり、以前の如く枝を張り、例年5月中旬に紫雲の花穂を垂らし、芳香を漂わせている。今年は先週の日曜日の5月12日に藤祭りが催されたという。でもまだフジの花穂は垂れていて、雨の中、芳しい香りを漂わせていた。
 高札に曰く。御神木に守られる祭神は、「八節比古命」「 八節比売命」「久名戸神 (別名 猿田彦命)」の三柱で、天孫降臨の道案内をした神々である。
 
 これで今回の巨樹探訪会の行事はすべて終了した。現地出発は 12:50、金沢帰着は 17:05 だった。 

第50回25周年記念巨樹探訪会〔第1日〕

 5月18日(土)
 今回の参加者は30名、29名は金沢駅西口の観光バス乗り場で、残り1名は北陸高速道の尼御前SAで合流する。バスは45人乗りのKSバス、初めてだが、このバスの運転手の運転は実に的確、しかも大変上手だったことを帰着して思った。出発は 7:30、金沢西ICから高速道に入る。天気が良く暑いくらい、加賀平野はほぼ田植えは終了している。白山が白く輝いている。越前平野に入ると今が田植えの真っ盛り、大麦もそろそろ麦秋、麦の作付けはかなり多く、加賀平野では見られない光景だ。南条SAで休憩、ここまで1時間半、休憩後出発、高速道を敦賀ICで下り、国道 27 号線を小浜市へと向かう。車内では源頼光による大江山の酒呑童子退治の冊子が回覧される。最初の目的地の若狭一之宮には、近くにある森林の水PR館 (道の駅) の駐車場を利用する。到着は 10:30 だった。

1.若狭彦神社  福井県小浜市龍前
 奈良時代の和銅7年 (714) に創建された「海彦・山彦」の神話で知られる海と山の神を祀る古社で、上社である若狭彦神社と、養老5年 (721) に上社から分祀された下社である若狭姫神社 (上社の北 2km、小浜市遠敷) がある。当初上社を若狭一之宮、下社を二之宮と呼んでいたが、現在は二社を併せて若狭一之宮と呼んでいる。元々は上社が神事の中心であったが、室町時代頃からは下社に移ってしまった。またお水送りの神事 (毎年3月2日に東大寺二月堂に香水を送る) も、別当寺であった若狭神宮寺 (遠敷川上流の上社より南へ約1kmにある. 小浜市神宮寺) に移った。上社には現在神職は常駐していない。
 道の駅から若狭彦神社まで徒歩で3分ばかり、鬱蒼とした杉が主体の社叢林が広がっている。入口の左にツバキの大樹、右にサカキの老樹、参道を進み二之鳥居をくぐると左に夫婦杉がある。タブノキ (別名イヌグス) やケヤキやスダジイの大樹も目立つ。ナギの高木もある。本殿前にもサカキが植えられていた。ヤブニッケイの成樹もある。辞して道の駅で早めの昼食をとる。PR館では「お水取り」の儀式の順序が絵で示されていた。
 上社を出て北へ向かい、下社の前を通り、国道 27 号線を西へ向かう。やがて前方に端正な三角形をした若狭富士の青葉山 (693m) が見えてきた。松尾寺はこの山の南西麓にある。

2.松尾寺 真言宗醍醐寺派 西国第二十九番札所  京都府舞鶴市松尾
 御本尊は馬頭観世音菩薩で秘仏となっている。開山は和銅元年 (708)、中国から渡来した威光上人が此処に草庵を結び、馬頭観音を安置したとされる。古寺であり国宝や重要文化財も多い。以前来た時は正面から入ったが、大型バスは通れないとかで、裏手から入ったが、練達の運転手だからこそ入れたという感じだった。境内に入ると、右手高みにお宮が祀られ、そして道を挟んで左手に大イチョウ (鳥羽天皇お手植えの銀杏、幹周 536cm、樹高 23m) とモミ (幹周 433cm、樹高 30m) の巨樹、右手にスギの巨樹 (幹周 618cm 、樹高 30m) が並ぶ。この前来た時は本堂まで上がらなかったこともあって、こんな巨樹や大樹、老樹があることには全く気付かなかった。本堂前にはイロハモミジの大樹もある。寺務所まで下りて御朱印を頂く。御朱印袋を見ると次の和歌がしたためられていた。
 「そのかみはいくよへむらむたよりおば ちとせもここにまつのおのてら」。
 午後1時近く、再び国道 27 号線に戻り、舞鶴西ICで舞鶴若狭自動車道に上がり、綾部JCTで京都縦貫自動車道に入り、宮津天橋立ICで下り、天の橋立へ向かう。

3.智恩寺 臨済宗妙心寺派  京都府宮津市文珠
 大同3年 (808) に平城天皇の勅願寺として創建され、日本三文殊の一つとして知られ、「切戸の文殊」「九世戸の文殊」「知恵の文殊」とも呼ばれている。この寺の本尊は文殊菩薩だが、この仏像は秘仏とされ、公開されていない。境内にある多宝塔は二重塔で、国の重要文化財に指定されている。境内に入ると、黒松の枝に沢山の小さな扇が吊るされているのが目に入る。ここのおみくじは変わっているとのことだが、どうもこれがそうであるらしい。とにかく夥しい数の扇である。ここでの探訪のお目当てはムクロジの大木だったが、代わりに見たのは霊木「文樹」であった。これは「もんじゅ」と読み、文殊に通う名称とか。高札にはタモ又はタブの木と称し、その樹液は霊気を発し、上質の線香作成に用いられるとあった。霊木には注連縄が巻いてあった。

4.天の橋立  日本三景・国の特別名勝・丹後天橋立大江山国定公園
 古代より名勝として知られ、小式部内侍が母 (和泉式部) を焦がれて詠んだ歌「大江山いくのの道の遠ければ まだふみもみず天の橋立」は百人一首にも収められている。ここは宮津湾と阿蘇海を東西に隔てる全長 2.6km の湾口砂州で、約5千本の松が生えているという。智恩寺のある陸地と砂州の間には「九世の戸」という島?があり、天の橋立へは、古くは渡し船で渡っていて、「九世の渡し」と言われていたが、後に小天橋 (回旋橋) と大天橋で結ばれ今日に至っている。私たちはここで約1時間ばかり、由緒ある松と黒松に寄生する寄生木を観察した。その後私は砂州の略3分の1の地点まで往復した。
 出会った命名松は次の通りである。南から北に向かって、小天橋を渡った所には「九世戸の松」(九世の戸にある松.傍らには特別名勝天橋立碑が立っている)。大天橋を渡った砂州の最も南には「知恵の松」(三人寄れば文殊の知恵というが,一つの根から三又になった松)。更に北へ、恩賜記念碑の近くには「雲井の松」(雲の合間に座るが如く聳え立つ松)。そして名勝天橋立の碑に近く「式部の松」(ほっそりした赤松の美しい姿から,和泉式部に例えられた松)。更に北へ進むと天橋立神社があり、皇太子殿下お手植えの松の記念碑の傍に「御手植の松」がある。これは大正5年 (1916) に昭和天皇が皇太子時代に御手植えされた松である。私が見たのはこの5本だが、更に北の船越までにはまだ10本の命名松がある。名称のみを挙げておく。南から順に、「千貫松」「阿蘇の松」「夫婦松」「羽衣の松」「雪舟の松」「なかよしの松 (2代目)」「小袖の松」「見返りの松」「双龍の松」「船越の松」。

 午後4時に智恩寺の駐車場を出て、府道9号を南下し峠越えして、福知山市大江町佛性寺にある宿舎の大江山グリーンロッジに入る。当初は私たちのみとのことだったが、入口の案内板には、石川巨樹の会のほかに、関西学院大学と同志社大学の名があった。ところで翌朝、私はアルコールの勢いもあって朝まで熟睡したが、大学生らは一晩中廊下で騒いでいたという、これには恐れ入った。人の迷惑を顧みない傍若無人ぶり、これが一流大学の学生の実態とすれば、何をか言わんやである。朝、廊下で寝ている女子学生がいた。