2018年8月8日水曜日

OEK の新芸術監督にマルク・ミンコフスキ氏就任(2)

(承前)
 彼が OEK のプリンシパル・ゲスト・コンダクターに就任してシューマンの交響曲全曲を聴かせてくれたが、その次に選んだプログラムは、ロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師」の2幕もの、オペラ劇場での演出ならばさほど苦労することはないだろうが、限られた狭い空間での演出には苦労が伴う。しかも原語 (イタリー語 ) での進行、しかし両袖には日本語訳がテロップで流れるので、話してる意味は即十分に理解できた。この時の歌劇スタイルは演奏会形式というとか、演出はイヴァン・アレクサンダーによるもので、オーケストラの前後左右を有効に使っての進行だった。主役4人は来日したメンバー、脇役3人は留学経験のある日本の現役オペラ歌手、そしてこのコンサートのために結成された東京芸術大学卒業生を中心とした金沢ロッシーニ特別合唱団が脇を固めた。これまで何回かミニオペラが上演されたが、芝居形式で、何となくチャチな感じを受けたものだが、限られた空間を上手に使いこなすと、観客にも感動を与えるものだ。
 さてこの7月 30 日には、9月に OEK の芸術監督に就任するミンコフスキさんの指揮で、ボルドー国立歌劇場と県立音楽堂の共同制作になるドビュッシー作曲の唯一の歌劇である「ペレアスとメリザンド」が上演された。原作はモーリス・メーテルリンクである。5幕 15 場の構成、1月にフランス国立ボルドー歌劇場で上演されたばかり、そして金沢ではボルドーでの公演と同じステージ・オペラ形式での上演だという。これまで経験したことのない上演形式とて、特に照明や映像には工夫が見られ、舞台の前後に設けられた特大の紗の2枚のスクリーンには、波立つ海や薄暗い洞窟、眩い星空、そして星の光の流れなどが映し出され、このような新感覚の演出には度肝を抜かれた。この後東京公演が8月1日に東京オペラシティーコンサートホールで行われたが、東京でのスタイルはセミ・ステージ形式で行われたという。素晴らしい演出に感動した。
 舞台は OEK のメンバーを取り囲むように設置され、前後左右、そしてパイプオルガンが設置されている中二階も有効に使っての演出、そのほか衣装や照明、映像など、これらはすべてボルドー歌劇場から来日したスタッフによって設備調整が行われたという。この音楽堂でのこのような企画での演出には初めて遭遇した。そして舞台には、ペレアス役でテノールのスタニスラス・ドウ・バルベラックさん、メリザンド役でソプラノのキアラ・スケラートさんのほか、来日した5名の出演者が素晴らしい歌声を響かせた。また演出のほか、衣装、照明、映像、舞台を手がける 11 名も来日スタッフだった。あの紗のスクリーンに映し出された幻想的な映像は、全く新しい感覚での手法で、大道具を用いずとも、歌劇の上演は可能ということを示したもので、いやが上にも観客を虜にした。
 終幕、殺されたペレアスの死を悼んで床に伏しているメリザンドが息を引き取り、第5幕が終わると、暫くの沈黙の後、「ブラボー」の声とともに、会場からは沸き立つような拍手が鳴り響いた。カーテンコールでは、指揮者のミンコフスキさんや素晴らしい歌声を披露してくれた6人の出演者に万雷の拍手、何度もステージに出て来られてこれに応えられていた。また合唱・助演したドビュッシー特別合唱団の方々、そしてオーケストラ・アンサンブル金沢のメンバーにも惜しみない拍手が送られた。素晴らしかった。
 ミンコフスキさんの次の金沢での公演は、来年の7月6日の第 417 回定期公演までなく、プログラムは現在調整中だという。終わった後での挨拶を英語で述べられ、本来フランス人は頑にフランス語で話すのが常と思っていただけに驚いた。OEK の芸術監督に就任されたといっても、1年近くの空白、でも今後ボルドーと金沢の強力な架け橋になりたいとも述べられ、なるべく早い時期に OEK のボルドー公演を実現させたいとも語った。希望をもって OEK の更なる飛躍を期待したい。

OEKの新芸術監督にマルク・ミンコフスキ氏就任(1)

 2018 年7月 30 日の OEK (オーケストラ・アンサンブル金沢)の第 405 回定期公演に、9月から OEK の次期芸術監督に就任する世界的指揮者のマルク・ミンコフスキ氏が指揮して、クロード・ドビュッシー作曲の歌劇「ペレアスとメリザンド」が石川県立音楽堂コンサートホールで上演された。これまでもこの会場で数回オペラが上演されたが、今回は次期芸術監督に就任するとあってか、観ていても指揮者の素晴らしいまでの意欲が感じられ、期待以上の充実感と満足感で酔いしれた。私はこれまでミンコフスキ氏の指揮の演奏を過去4回聴いているが、今回の演奏ではこれまでにない新しい切り口での、またこれまで接したことのない新しい感覚での演奏や演出を見せてくれたような気がする。
 私がマルク・ミンコフスキ氏の名を知ったのは 2012 年の7月である。初来日は 2009 年 11 月で、この時は自ら創設した「ルーブル宮音楽隊」を率いて来日し、この時は音楽雑誌での来日海外オーケストラの第1位に輝き、日本音楽界の話題をさらったという。そして次に来日したのが 2012 年7月、この時日本国内のオーケストラとの初共演が OEK とだった。私が初に聴いたのはこの時で、第 325 回定期公演でだった。その時の演奏曲目は「20 世紀前半フランス・プログラム」と銘打たれ、曲目はヴァイルの交響曲第2番、プーランクの2台のピアノのための協奏曲ニ短調、ラヴェルのマ・メール・ロア ( バレー版 )の3曲、正にテーマ通りの本場の音楽に酔いしれたものだ。そして翌 2013 年2月には再びレ・ミュジシャン・デュ・ルーブル・グルノーブルを率いて来日し、金沢での第 332 回定期公演では、シューベルトの交響曲第7番 (旧8) 番ロ短調 D.759「未完成」とモーツアルトのミサ曲ハ短調 KV427 が演奏された。二人の天才のいずれも未完の作品、いろんな方がその経緯について述べられているが、それはともかく、今は現在あるがままを素直に聴き入れて下されば、それで十分ですとのことだった。
 2014 年9月 10 日の第 354 回定期公演、この時の演奏曲目は、フォーレの「ペレアスとメリザンド」組曲、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調 ( ピアノ 辻井伸行 )、同じく「亡き王女のためのパヴァーヌ」、ビゼーの交響曲ハ長調、というフランスの作曲家の音楽だった。これはミンコフスキ氏がこの年の9月から OEK のプリンシパル・ゲスト・コンダクターに就任することもあっての定期公演だったが、残念なことに急病で来日できず、代わって指揮をしたのは、フランス国立ロワール管弦楽団音楽監督のパスカル・ロフェだった。この方は欧州の名だたる管弦楽団の客演指揮を定期的に数多くされており、NHK 交響楽団にも定期的に客演指揮されているとかで、この時は東京と高崎でもツアーが行われたという。
 次にミンコフスキ氏がタクトを振ったのは 2015 年 12 月 10 日 ( 第1夜 ) と翌 11 日 ( 第2夜 ) での第 370 回定期公演、シューマンの交響曲全4曲の演奏、この年の9月にミンコフスキ氏は国立ボルドー歌劇場総支配人兼芸術監督に就任している。演奏曲目は、初日が交響曲第1番変ロ長調「春」作品 38 と交響曲第2番ハ長調 作品61 、2日目は交響曲第3番変ホ長調「ライン」作品 97 と交響曲第4番ニ短調 作品 120 。第1番と第3番は比較的よく聴く曲だが、第2番と第4番は余り聴くことはない。この作品番号は出版順で、実際作曲された年を辿ると、1、4、2、3だという。そしてこれら交響曲を書くきっかけになったのは、シューベルトの交響曲第8番の楽譜を目にし、その演奏をメンデルスゾーンに依頼し、それを聴いて希望に燃えたからだったという。そして最初に第1番を完成させ、初演をメンデルスゾーン指揮のライプチッヒゲヴァントハウス管弦楽団にお願いしたという。春の喜びを表した素晴らしい曲だ。2夜連続での演奏、凄い意欲を感じずにはおられなかったのを覚えている。