2017年12月12日火曜日

戌年に因んだ頭に「イヌ」の名の付く植物(2)

(承前)
 ところで、頭に「イヌ」の付く植物は沢山ありますが、でも「イヌ」の意味は「犬」ではなく、「よく似てはいるが、実は違っている」とか「ホンモノではなく、実は役に立たない」ということを示す接頭語として使われているようです。次に先に掲げた文献から、イヌが頭に付く植物を「草本」「木本」「羊歯」の順に植物の名称(50音順)と科名を羅列してみました。

[ 草本 ]  *印は帰化植物 
 イヌアワ(イネ科)、イヌイ(イグサ科)、*イヌカキネガラシ(アブラナ科)、
*イヌカミツレ(キク科)、イヌカモジグサ(イネ科)、*イヌガラシ(アブラナ科)、
*イヌキクイモ(キク科)、*イヌクグ(カヤツリグサ科)、イヌクログアイ(カヤツリグサ科)、
 イヌグンバイナズナ(アブラナ科)、イヌコウジュ(シソ科)、*イヌハコベ(ナデシコ科)、
 イヌゴマ(シソ科)、*イヌコモチナデシコ(ナデシコ科)、*イヌシバ(イネ科)、
 イヌショウマ(キンポウゲ科)、イヌシロネ(シソ科)、イヌスミレ(スミレ科)、
 イヌセンブリ(リンドウ科)、*イヌタデ(タデ科)、イヌタヌキモ(タヌキモ科)、
 イヌトウキ(セリ科)、イヌドウナ(キク科)、イヌトウバナ(シソ科)、
 イヌナズナ(アブラナ科)、イヌニガクサ(シソ科)、*イヌナギナタガヤ(イネ科)、
 イヌヌマトラノオ(サクラソウ科)、イヌノグサ(カヤツリグサ科)、イヌハギ(マメ科)、
 イヌハコネトリカブト(キンポウゲ科)、*イヌハッカ(シソ科)、イヌビエ(イネ科)、
 イヌビユ(ヒユ科)、*イヌヒメコズチ(シソ科)、*イヌヒメシロビユ(ヒユ科)、
*イヌヒレアザミ(キク科)、*イヌホオキギ(アカザ科)、イヌホオズキ(ナス科)、
 イヌミゾハコベ(ミゾハコベ科)、イヌムギ(イネ科)、*イヌムギモドキ(イネ科)、
 イヌムラサキ(ムラサキ科)、イヌヤマハッカ(シソ科)、*イヌヤマモモソウ(アカバナ科)、
*イヌヨメナ(キク科)、イヌヨモギ(キク科)。栽培種にイヌサフラン(ユリ科)。          以上 48種。 

[ 木本 ] 
 イヌウメモドキ(モチノキ科)、イヌエンジュ(マメ科)、イヌガシ(クスノキ科)、
 イヌガマズミ(スイカズラ科)、イヌガヤ(イヌガヤ科)、イヌガンピ(ジンチョウゲ科)、
 イヌグス=タブノキ(クスノキ科)、イヌゴシュユ(ミカン科)、イヌコリヤナギ(ヤナギ科)、
 イヌザクラ(バラ科)、イヌザンショウ(ミカン科)、イヌシデ(カバノキ科)、
 イヌシュロチク(ヤシ科)、イヌツゲ(モチノキ科)、イヌツルウメモドキ(ニシキギ科)、
 イヌニオイバラ(バラ科)、イヌニンドウ(スイカズラ科)、イヌビワ(クワ科)、
 イヌブシ(カバノキ科)、イヌブナ(ブナ科)、イヌマキ=クサマキ(マキ科)、
 イヌマルバヤナギ(ヤナギ科)、イヌムラサキシキブ(クマツヅラ科)、イヌリンゴ(バラ科)。
   以上 24種。

[ 羊歯 ]
 イヌイワガネソウ(ホウレイシダ科)、イヌカタヒバ(イワヒバ科)、
 イヌガンソク(イワデンダ科)、イヌケホシダ(ヒメシダ科)、イヌシダ(コバノイシカグマ科)、
 イヌチャセンシダ(チャセンシダ科)、イヌドクサ(トクサ科)、イヌナチクジャク(オシダ科)、
 イヌワラビ(イワデンダ科)。  以上 9種。 

2017年12月11日月曜日

戌年に因んだ頭に「イヌ」の名が付く植物(1)

 来年は戌年なので、頭に「イヌ」の名が付く植物を検索しました。参考にした図書は次の通りです。
  A. 日本の野生植物(草本) Ⅰ〜Ⅲ 平凡社 (1982)
       B. 日本の野生植物(木本) Ⅰ〜Ⅱ  平凡社 (1989)
       C. 日本の帰化植物         平凡社    (2003)
    D.    山渓カラー名鑑 日本の野草   山と渓谷社   (1993)
       E.    山渓カラー名鑑 日本の樹木  山と渓谷社    (2011)
       F. 写真でわかるシダ図鑑     トンボ出版     (2008)

 接頭語に「イヌ」の名が付く植物はかなりありますが、動物の「犬」に因んだ植物は少なく、私が知っているのは「イヌノフグリ」とその仲間のみでした。イヌノフグリは日本在来の草で、漢字では「犬の陰嚢」と書き、それはこの草の実の形が、小さいながらも犬の陰嚢そっくりなことに由来しています。この草は道端や空き地などによく匍匐して生えていて、春には径4mm 位の紅紫條のある淡紅紫色の小花を沢山付けます。この仲間でほかによく目にするのが「オオイヌノフグリ」と「タチイヌノフグリ」です。2種とも明治初期にヨーロッパから渡来した植物で、今では日本全国に広く分布し、同じく道端や空き地によく見られます。中でも西アジア原産で明治初期に渡来したといわれる「オオイヌノフグリ」は欧州では Bird's  eye と呼ばれ、春には濃い紫條のある径7〜10 mm の青紫 (藍・瑠璃) 色の可憐な美しい花を咲かせ、なかなか美しく、今では雑草のように言われますが、匍匐して一面に咲くと中々壮観です。そしてその果実がなんとも犬の睾丸にそっくりなので笑えます。本当に野に咲く春の使者という感じのする草で、誰しも一度は目にしておいでで、ご存じの筈です。一方「タチイヌニフグリ」はこちらも帰化植物で、全国に広く分布していますが、前2者とは異なり、匍匐せずに立ち上がっています。花は淡紫色で、径は2mm と小さく、目立ちません。田畑や道端では余り目にしませんが、私の家の庭には散見できます。
 以上は通常の植物図鑑にも搭載されているイヌフグリの仲間ですが、平凡社刊の日本の野生植物の草本編によりますと、これらの外に何れもヨーロッパ原産であるコゴメイヌフグリ (花は白色、径は5mm)、ツタノハイヌフグリ (花は淡青紫色、径は4mm)、アレチノイヌフグリ (花は濃青紫色、径は5mm) が掲載されています。これらイヌフグリの仲間はいずれも分類上はゴマノハグサ科に属している草本です。
 その外に動物の犬に因んだ名をもつ草木を調べたところ、「イヌノヒゲ」「イヌノヒゲモドキ」「イヌノハナヒゲ」という植物がありました。前二者は和名で「犬の髭」「犬の髭もどき」、後者は「犬の鼻髭」で、その花の形状が犬の髭や鼻髭に似ていることから付けられたようです。前二者は分類上はホシクサ科、後者はカヤツリグサ科で、三者とも在来種のようですが、私は見た記憶はありません。


2017年12月7日木曜日

同窓会・同志会・同門会・同好会を振返る(2)

5.金沢大学薬学同窓会
 会則を見ると、会員は金沢大学薬学類、創薬科学類と旧薬学部およびその前身校の現・旧教職員、学生並びに卒業生、大学院生並びに修了生ほか、入会を希望する者とある。名簿には草創期の加賀藩卯辰山養生所舍蜜局 (慶応3・1867) の卒業生から現在までの卒業生が収載されている。でも現在この同窓会の大きな母体となっている組織は、旧金沢医科大学附属薬学専門部 (薬専) と金沢大学薬学部の卒業生である。ところで金沢大学薬学同窓会総会は毎年5月の第3土曜日に金沢市で開催されることになっていて、今年は5月20日に 150 年記念式典を兼ねて第54回総会が開催された。
 地域同窓会:石川 → 北陸薬学同窓会
 現在地域同窓会は全国に15あり、石川県でも県内に在住する同窓生が中心となって、毎年1回同窓会を10月に開催してきた。これまで石川県在住の会員のみの同窓会を14回、また富山・福井と合同の同窓会を5回行ってきたが、来年以降は名称を北陸薬学同窓会として北陸3県在住の同窓生で開催することになった。状況を見ると、地域同窓会の活動は必ずしも一律でなく、都会では活発だが、地方ではそうとは限らないようだ。

6.金沢大学医学部十全同窓会
 会則を見ると、会員は特別会員、通常会員、準会員とからなり、特別会員は医学部や附属病院等に勤務した講師以上の教職員、通常会員 (Ⅰ) は、現医学部医学科、大学院医学系研究科及び旧制医科大学出身者、通常会員 (Ⅱ) は他学部もしくは他校の出身者で学位を授与された者となっている。私は昭和50年2月に学位を授与され、以降十全同窓会の会員になっている。ただ通常総会には出席したことがない。
 金沢大学医学部微生物学教室同門会
 この会は微生物学教室に過去もしくは現在在職の教職員と、初代教授の谷先生以降、この教室で学位を授けられた方々とで構成されている。現在名簿に登載されている会員は78名と特別会員が2名、また物故者が104名おいでる。私は2代目教授の西田先生の折に、波田野助教授の下にウイルス研修の教えを乞い、後に先生が癌研究施設 (後にがん研究所) に移られてからは、そこで論文を仕上げた。ところで私が微生物学教室に1年半専修生として在籍したこともあって、学位を授与された折に微生物学教室同門会の端に加えられ今日に至っている。これまで2度同門会の幹事を仰せつかったことがある。この会は3代目教授の中村先生までは毎年開催されていたが、4代目の清水教授の時には一時中断された。しかし5代目藤永教授が就任されて再び復活し現在に至っている。藤永先生は女性だが、同門会の開催には前向きで、同門会誌「楷樹」も創刊された。会は今は毎年開催されている。今年は11月11日に金沢市内のホテルで開催された。

7.金沢大学学友会
 この会は平成23年 (2011) に設立された。構成員は個人会員と団体会員とからなり、個人会員は金沢大学の卒業生及び修了生と教職員であった者、また団体会員は基幹同窓会 (金沢大学及び前身校及び付属校の同窓会) のほか、準団体会員として卒業生で組織する様々な同窓会や団体も加入することができるとなっている。従って私の場合、卒業生としての個人会員のほか、私が所属する金沢大学薬学同窓会や金沢大学医学部十全同窓会は団体会員に、私が関わる金沢大学山岳会は準団体会員になっている。この会の総会は毎年秋に行われる金大祭に合わせて行われる金沢大学ホームカミングデイの際に開かれている。現在の会長は前金沢市長だった山出保氏 (法文学部卒) である。
 第11回金沢大学ホームカミングデイと第7回学友会役員総会
 今年は第54回金大祭に合わせて10月28日に金沢大学角間キャンパス自然科学本館で開催された。この会に案内を受けるのは、76歳以上の卒業生と卒業後50年、45年、40年、30年、20年、10年を経過した方々で、私は現在80歳なので、毎年案内があり、毎年参加している。内容はキャンパスの見学会、歓迎式典、特別講演、役員総会、懇親交流会である。式典の始めに金沢大学校歌(室生犀星作詞、信時 潔作曲) を斉唱するのが習わしとなっているが、なかなか素晴らしい歌で感激する。その後学長や会長の挨拶、大学の現況や留学体験の報告等があった。しかし毎年参加者はそんなに多くはなく、今年は3百名ばかりだった。
 付.金沢大学山岳会
 私が金沢大学に昭和30年に入学した頃には「山の会」というのがあり入会した。その後山岳部に昇格させ、かなり先鋭的な登山も行うようになり、ヒマラヤのハッチンダールキッシュ峰遠征の折の壮行会には当時の金子金大学長も来賓として参加して頂いた。でもその後アンデスやヒマラヤ、冬の北アルプスや白山での遭難もあり、女性も入部できたワンダーフォーゲル部に人気が集中、4K の山岳部は人気がなく、平成17年卒の薬学生を最後に廃部となった。山岳部がある時は山岳部 OB 会だったが、部が消滅して以降は山岳会と称している。現在は北陸、関東、中京、関西の4支部持ち回りで毎年会を開いている。今年は創部60周年記念総会を石川で開いた。現在生存会員は102名である。

2017年12月6日水曜日

同窓会・同志会・同門会・同好会を振返る(1)  

1.野々市町立野々市小学校と野々市町立野々市中学校の卒業生の会
 私達は昭和17年4月に野々市町立国民学校に入学、終戦後は町立小学校になり、義務教育で全員が野々市中学校に入学、昭和27年3月に卒業した。両方合わせた延べ人数は、男28名、女26名、計54名である。現在物故者は男12名、女5名、その外住所不詳の人が男に3名いる。従って連絡可能な同窓生は男13名、女21名の計34名である。まだ野々市町が合併する前のこととて、1学年1クラスだった。私達が卒業した小・中学校は、今は跡地に碑が建っているのみである。中学校卒業後は十年おきに町の公民館で皆が集まっていたが、還暦を期に毎年集うことにし、同窓会の名を「子うし会」とし、加賀温泉での1泊と3泊4日の旅行を交互に行なうことにし、20年間続けてきたが、昨年皆さん数え80歳になったことから、野々市町照臺寺での物故者法要と加賀山代温泉での傘寿の祝いを行ったのを最後に全員での同窓会を終いにし、後は隔年での有志での旅行をすることにした。因みに会での最後の旅行は長崎の五島列島だった。

2.石川県立金沢泉丘 (いずみがおか) 高等学校第7期同窓会
 私達が昭和27年4月に入学した頃は今と違って小学区制で、高校には普通科のほか、商業科や家庭科も併設されていた。泉丘高校には、金沢市では野田中、泉中、高岡中の木倉町以南在住者のみしか入学できなかった。一方野々市中卒業生は、泉丘高のほか、松任高、鶴来高にも進学でき、大部分は泉丘高へ進学した。工業高校は別枠だった。翻って、野々市中学校では戦後間もないこともあり、英語の先生がいなくて、英語の授業は常に自習、ということもあって入学試験は英語と職業の選択、私は農業を選択した。そのお陰で入学してからは英語の授業について行くのが大変だった。こうして私は昭和30年3月に高校を卒業した。同期生は448人、現在物故者は百名を超えている。そしていつの頃からか各クラスの世話人の尽力で、泉丘第7期同窓会が毎年加賀温泉で開催されるようになった。しかし昨年粟津温泉「のとや」での傘寿の宴を最後に全体の同窓会は終了ということになった。ただ有志で泉丘第七期仲良し会と称して今後も存続することになっている。
「耳順会」と「湧泉会」
 前者は平成14年に M 君が20年ぶりに台湾から郷里へ帰るのを期に有志15名ばかりで結成した。以後毎年4回、3ヵ月毎に酒を酌み交わして旧交を温めてきた。しかし三月に一度では旧交を温められないとの意見が出て、5年前から毎月第3土曜日の午前11時半に金沢のとあるホテルで昼食を兼ねて集まることにし、こちらの名称は「湧泉会」とした。そしてこの12月でくすしくも、耳順会も湧泉会も60回を迎えることになる。後者は全くの井戸端会議、でもいつも午後4時頃まで談論風発、実に不思議な会だ。現在毎回集まるのは7名ばかり、来年からは湧泉会一本として月1回昼の開催、ただ6月と12月は夜の開催とすることにした。

3.一泉同窓会(旧制金沢第一中学校と新制金沢泉丘高等学校の合同同総会)
 何時頃からこの合同同窓会が始まったのかは私は知らないが、私はかなり前から毎年出席している。期日は毎年10月15日と決まっていて、今年は創立124年記念と銘打って、金沢駅前のホテルで開催された。毎年参加者は1200人前後あり、大変盛況である。今では旧制金沢一中卒業の方々の参加は20名前後と少ないが、皆さん矍鑠としておいでだ。そして会の終わりには旧制金沢一中の校歌と泉丘高校の校歌を皆で斉唱するが、この瞬間には素晴らしい一体感を感じる。この同窓会には政財界のお歴々も沢山出席されているが、テーブルは卒業年毎、この空間では肩書きなしの先輩後輩の集まりとなる。
「野々市一泉同窓会」
 全国各地に一泉同窓会の支部が設立されるようになり、関東や関西には大きな組織もある一方で、近年石川県内の市町にも支部が設けられている。私が住む野々市市にも組織ができ、毎年ではないが同窓会が開催されている。今年は市内で6月に開催された。

4.国立金沢大学薬学部第7期卒業同期生会(ゼレン会)
 私達は昭和30年4月に入学し、34年3月に卒業した。入学定員は40名、在学中に1人が亡くなり、また教養課程から専門課程へ進学する際に、必須科目の物理で6名が単位を取れず、必死の願いでビーコンが許可になったが、クリアできたのは1名のみだった。また6期生から2名が加わり、同期で卒業したのは36名だった。卒業年が34年だったので、元素番号34のセレンに因み、ドイツ語読みで「ゼレン会」とした。卒業後は5年おきに同窓会を開いていたが、還暦の頃からは、1年おきに金沢で、そうでない年は他の地区に在住している方が主宰することで今日に至っている。これまで7名が他界している。ところで現在地元金沢に在住しているのは3名のみだ。今年は地元の世話で5月に芦原温泉で、来年は関西在住の方々の世話で琵琶湖畔で開催することになっている。