2010年7月27日火曜日

講演会「厳冬期白山ワンディ山行」

 標記の講演会が深田久弥山の文化館の主催で、7月25日(日)に加賀市大聖寺京町にある大聖寺地区会館で午後1時半から3時まで開催された。講師は言わずと知れた早川康浩氏である。私がこの講演会があるのを知ったのは、氏のHPのブログの「山と医療の本音トーク」の副題がある「YASUHIROの独り言」を見てである。二度案内があり、二度目は講演3日前の7月22日にあった。主催者の言では、6年ぶり二度目ということで、二度目は早川氏が初めてとのことであった。深田久弥山の文化館では、毎月1回、月末の日曜日に講師を招いてレクチャーを行っていて、40人ばかりの人が集まるとのことだが、今回招いた早川さんの場合、とても山の文化館では収容しきれないと判断して、近くにある大聖寺地区会館での開催となったとのことであった。
 氏は昭和34年(1959)生まれの50歳、群馬大学医学部を卒業後、金沢大学医学部第1内科に入局し、厚生連高岡病院、富山県立中央病院勤務を経て、1995年には済生会金沢病院に就職、その後2000年4月には、内科・胃腸科・肛門科を標榜する「はやかわクリニック」を金沢市寺中町に開業、特に消化器内視鏡学会指導医として、年間6,000件を超える内視鏡検査を実施しており、中でも大腸カメラは年間2,700件と北陸でもトップクラスである。
 氏と山とのかかわりは、富山の病院へ行ってからで、特に剱岳に惚れて、剱岳を中心に単独速攻の登山を行ってきた。山に登り出したのは32歳だったという。以後開業するまでの8年間の間に、深田久弥日本百名山も踏破した。また山スキーは、富山にいた頃、立山にあった文部省の登山研修所に医師としてかかわった折に、勧められて始めた由、35歳のときだったという。現在は開業しているので、休診日の日曜・祭日と水曜日を中心に、山へは日帰りの速攻登山、特に11月から5月にかけては、北アルプスや白山を中心に、スキーを駆使してのワンディ山行を行っている。まだ明るいうちに帰着することを大原則としていることもあって、出発は真夜中の0時であることも多く、とても常人ではおよびがつかない。
 氏は冒頭に、深田久弥は青年よアドベンチャラスであれと言っているが、私にとって山スキーは人生をかけたパフォーマンスであり、オリジナリティを追求しながら、これからも楽しみたいと言う。油断できない趣味であるが、この素晴らしい世界を多くの人達に伝えることができたら、それは本望だと。この日は、氏のHPを見て、遠く埼玉からも、また中京の愛知、岐阜、三重、それに地元の石川、富山、福井から、約150人が集まった。氏のHPは恐らく全国で見られていて、1999年1月23日に開設されて以来、既に320万回ものアクセスがなされている。
 講演会の表題は「厳冬期白山ワンディ山行」となっているが、いくつかの山スキー行についての紹介があった。パソコンを使っての映写具一式を持参されての講演であった。用意された枚数は135枚とのことであった。

1.厳冬期ワンディ白山(単独)(2010.2.24)
 白峰ゲート(緑の村)を0:11に出発、ここから別当出合までが核心部分で、特に急な崖の中腹に付けられた径は、デブリがあると片斜面になっていて、この部分の通過にはアイゼンが必携で、特に夜間では非常に緊張したと。このような箇所は何箇所もあり、気を抜けなかったが、5時間かかって出合に着けた。ここから砂防新道にルートをとるが、難関は吊り橋で、冬期は幅10cmの一本橋、凍結していて非常に緊張したという。渡った後は夏道をカットして一面の雪原をシールを付けて登る。甚之助小屋は雪で埋まっていて場所は不明、ここからは真っ直ぐに直登して弥陀ヶ原に至る。真っ白い台地、風が強く、室堂から山頂へはアイゼンを付けて登る。御前峰(2702m)には10:44に着いた。10時間半を要した。下りは山頂からスキーで、黒ボコ岩から観光新道寄りの白い大斜面を別当出合まで滑り込む。後は白山公園線を白峰まで、下りは山頂から4時間半を要して、15:29に着いた。白峰からは往復50kmである。
 このルートのスナップでは、2007.1.21に深沢名人と二人で行った時のものも公開された。この時は白峰ゲートを0:01に出発、同じルートで山頂には11:10に着き、下りも同ルートで4時間かけ、白峰に15:28に着いている。この日は天気も良く、スナップも多い。

2.厳冬期大笠山ワンディ登山(3人パーティ)(2010.2.7)
 この時は深沢名人と、メールでぜひ参加したいという福井の方と3人でクルーを組んだ。夏道ルートとは全く別の、早川氏が地図を見ながら独自に考えたルートの大笠山主稜線東尾根を辿るもので、境川ダムの堰堤を渡って対岸の尾根に取り付く。この日の天候は雪、国道156号線の広場に車を止め、3:00に出発、境川ダムまで4.5kmをラッセル、この日は雪が多いので、スキーとシールと靴とで10kgにもなるスーパーファットのポンツーンを使用した。主稜線東尾根は雪で視界不良であったが、専らGPSを使用して氏がリードして尾根を辿った。核心部分は1470mのピークで、右は崖、左は谷で、緊張したという。稜線を忠実に辿ったためアップダウンがあり、その点ではかなり時間と体力をロスした。しかし大笠山(1821m)には8時間かけて11:09に着いた。しかし帰路につく頃には天候が回復し、快適な4時間弱のダウンで、15:30に帰着した。このルートからの登行も冬期ワンディ登山も初記録だと思われる。スナップは晴れた帰路に写されたものである。

3.近年の山スキー道具
 山スキーではどれだけ軽量化できるかが、安全な滑りをするための重要なポイントとなる。値段が高くても良い品を使うことが大事である。山スキーは命がけ、万が一の時の費用の方がはるかに高くつく。お金で少しでも安全性が買えるのであれば、これほど安いものはないと考える。特に半永久的に使えるものは、高くても良いものを買うことが肝要です。命は一つしかありません。
 厳冬期、雪が深い時には、スキーの幅が160mmと広いスーパーファットのポンツーンが有用です。これは先端が反っていて、深雪でも先端が沈まない利点がある。またビンディングも軽くて丈夫なTLTがベストで、今これに匹敵するものはない。難点はこれに付くクトーがなかったが、現在はあり、無敵です。靴はガルモントメガライトが秀逸で、よりライトなタイプもある。ストックはブラックダイヤモンドの2段式で、ワンタッチレバー、回転式は凍結すると使用不能になる。またストックのうち1本もしくは両方をピック付きのウィペットセルファレストにしておくと、ピッケルの携行が不要になる。私は片方のみですが、名人は両方です。

4.今シーズンの山スキー行から:馬場島から大窓周回(深沢名人と)(2010.5.3)
 馬場島を2:00に発ち、立山川を遡行し、室堂乗越(6:25)から剱御前(8:00)へ、剣沢を下り、近藤岩(8:55)から北俣をつめて池ノ平(10:31)へ、ここから小黒部谷を大窓出合まで500m下り、大窓まで700m上り返す(12:48)。大窓には巨大な雪庇が張り出していて、崩壊しないことを祈った。大窓からは白萩川へ下ったが、タカノスワリのゴルジュは雪で埋まっていて、高巻きは免れた。馬場島には13時間弱後の14:48に着いた。

5.昨シーズンの山スキー行から:新穂高から水晶岳ワンディ(深沢名人と)(2009.4.29)
 新穂高を0:00に発つ。大ノマ乗越(4:23)から双六岳(6:59)を経て、三俣山荘(7:57)へ。山荘から岩苔乗越まで下り(9:04)、水晶小屋へ登り上げる(10:27)。ここからは稜線をアイゼン着用で水晶岳(2986m)に至る(11:31)。距離は11.5km、所要時間は11時間30分だった。頂上には30分滞在して、帰りは頂上から直接岩苔乗越まで滑り込み(12:59)、三俣山荘へ登り返し(13:40)、三俣蓮華岳(15:00)を経由し、大ノマ乗越(17:19)から新穂高に帰着した(18:54)。下りには7時間を要した。

6.その他の山スキー行のスナップ
 ・天狗原山(2197m)(長野) 小谷温泉から往復
 ・四ツ岳(2774m)(岐阜) 平湯温泉から往復
 ・大門山(1572m)(石川/富山) 五箇山西赤尾から往復
 ・御前岳(1826m)(岐阜) 月ヶ瀬下小鳥ダムから往復
 ・横前倉岳(1907m)(長野) 北小谷来馬温泉から往復

 
 大窓周回以外の山スキー行では、氏のグループ以外には全く人影がなく、白い処女地にシュプールを描く醍醐味は麻薬的な魅力がある。主催した人からは、これを見て憧れて雪山へスキーに出かけることは避けて下さいと言っていたが、それは確かで、卓越した技術と強靭な体力と冷静な判断力を持った人のみが味わえる世界である。ここではスキーの機動性が遺憾なく発揮されている。、

2010年7月23日金曜日

二年振りに白山へコマクサを見に行く

 白山にコマクサが植わっていることを知ったのは10年前のことである。北國新聞に「北陸の自然発見」というシリーズがあって、これを加賀市在住の写真家、宮 誠而さんが担当していて、その第28回のテーマが「白山の高山植物」だった。そしてその表題は「人知れず咲いたコマクサ」、副題は「魅惑のピンク、がれ場に植えられ」だった。新聞は平成12年7月19日付発行で、写真では、遠くに能登半島が望める礫地にコマクサが十数株植わっていて、半数の株が花を付けている。宮さんはコマクサを目的として登山したわけではなく、高山植物を撮る目的で入山されていて、コマクサに遭遇したのは前年の3回目の登山の折だったという。丁度台風一過で能登半島が遠望できる程の澄みきった晴れの日だったとか。そして能登半島が望める地点で撮影していたときに、偶然にも足元に植わっているコマクサに出会ったという。写真で見たところ、実生もあるらしいから、植栽されたのは更に5年以上も前のことだったのではなかろうか。
 コマクサは他の植物が育たないような過酷な礫地に生育することで知られる。その秘密は根にある。栽培品はどうか知らないが、自生のコマクサは細い根が地中深くにまで入り込んでいて、地上部を養っているという。地上部は冬には枯れ、種子は親株の近くで芽吹くことになる。したがって、実生は親株から遠く離れた場所で芽吹くことはない。この写真でも親株の周辺に実生と思われる株が生えているのが伺える。見ると、コマクサは数株植栽されたらしく、その周りにはあたかもコマクサをガードするように手頃な岩を環状に巡らせてある。宮さんはこの場所が何処なのかは記していない。ただ遠くには能登半島を望める場所とあるから、感じでは御前峰のどこか一角だろうということになろうか。私も興味があって、一度は見たいものだが、まだその場所には遭遇してはいない。
 こういう火成岩の礫地は、白山は火山であるからして、あちこちに存在する。コマクサの生育環境を熟知していないと植栽できないのは当然で、私なら何処に植栽するかと逆推して選んだのが大汝峰の頂上一帯の礫地である。私が見つけたのは6箇所、1箇所に3株ばかり、周りを拳大の岩を積んで囲ってあった。初めての遭遇は5年前のことである 。しかしこの植栽されたコマクサは、私が雪倉岳や蓮華岳や燕岳で見た群生地のコマクサ比較すると、何とも貧弱で弱々しい。でも年月を経れば、逞しさが身についてくるのではないかと思い、以来毎年訪ね、観察することにしている。
 ところで白山のコマクサのことを神戸に住む畏友に話したところ、私も見たという。何処かと聞いたところ、後日地図にその場所を示して送ってくれた。場所は室堂から御前峰への登拝路から千蛇ヶ池へ行く径の左手、径からは少し離れているとか。目印は黒い岩だという。何度か注意して探して見たが、一帯は草が生い茂っている場所でもあり、開けた礫地は見えず、コマクサの植生地としては適していないような気がしてならない。
 ところで昨年は梅雨の明けるのが不明瞭なこともあって、コマクサの花期に合わせての登山はできなくて、ご対面は叶わなかった。それにひきかえ今年は7月15日には梅雨が明け、今年は是が非でもと、21日の水曜日に年休をとっての白山行となった。午前4時に家を出て、別当出合の駐車場には5時過ぎに着き、体力のことを考えて砂防新道を上ることに。昨年からみると更に足に衰えを感ずる。砂防新道に新しく作られた径は上部が特に急で、供用するに当たっては上り専用となっている。一方で、従来の別当の七曲りは下り専用となって供用されることに。下りの疲れた足には、極度に急な新道は危険が孕んでいる。ところで私はゆっくりのマイペース、若者にも女の子にも径を譲るのがしょっちゅう、情けないことになったものだ。中飯場近くで径を譲った妙齢の女の子はチタンの軽ピッケルを持っていたので印象に残ったが、飄々とした足取り、幽霊がフワフワと歩いているようで、見とれてしまった。この日の登山者は二百人台だろうか。ゆっくりゆっくりで室堂まで4時間もかかってしまった。
 食事を済ませてから、お池巡りコースを逆に辿り千蛇ヶ池に出て、そこから大汝峰に向かうことにする。大汝峰には下から見ると5人ばかりが取り付いている。岩場には赤ペンキでと登路が示されていて、初めての人でも大概上り下りすることができる。正午近く、ガスが湧いてきて視界は効かない。大汝神社にお参りしてからコマクサの植栽されている場所へ行く。前に見た一昨年には6箇所あったが、それが何故か4箇所になっていた。根の張り具合からすれば、岩の囲いが自然の力で無くなっても、根があれば株は残っていそうなものだが、それがなくなっている。またそれぞれのサークルでは、これまではそれまでに植栽された3株に加えて実生もあり、繁殖しているという印象を強くしてきたが、今年はというと、1株を除いて花の数も少なく、かつ株も小さくなっている印象が強い。このことは、礫地なら何処でもということではなく、相応しい場所とそうでない場所があるのではと思いたくなる。観察し終わって立っていると、件のあの軽ピッケルを持った彼女がいるではないか。彼女に今朝会いましたねと言ったが、そうでしたかという返事。私はどうしてピッケルを持参して登るのかと思っていたと言うと、本当はヒルバオへ行きたかったのだけど、途中で引き返してきましたとのこと、あの雪渓は急で、もしお花松原まで行こうとすると、ピッケルは当然必携、安全を期すならアイゼンも要るだろう。彼女の颯爽と、しかも飄々とした歩き振りを再び垣間見ることに。彼女には4箇所のうち最も花数が多く堂々としている1株のコマクサを紹介することにした。びっくりしたような様子、白馬岳や燕岳で見たことがあるけれど、まさか白山で見られるなんてと興奮気味だった。携帯電話で何枚か撮って、誰かに転送しようとしたけれど、圏外とのことでそれは叶わなかったが、喜んでいた。そして有難うと言って飄々として去っていった。
 ガスが巻く大汝峰を後にする。先に出かけた彼女が急崖を下りてゆく姿が見えた。しかしこの後目を凝らしたが彼女は私の視界からは消えてしまった。峰を下りて私は翠ヶ池に回り、紺屋ヶ池からガラ場を御前峰へと向かう。宮さんが写した場所はこの辺りと見当をつけて探したが、今回も場所を特定することはできなかった。午後2時近くとて、山頂にいるのは十人ばかり、今から上がってくる人達は今晩宿泊の人達だろう。家内に携帯電話で連絡しようとするが、圏外でダメだった。室堂から電話することにしよう。一度は必ず電話するようにとうるさい催促なので、とにかく一度は連絡しなければ。家内と二人で山へ行っていた頃が懐かしいが、近頃は家内は歩いた後に身体が浮くとかで、それ以降は一緒に山へは登っていない。それもあってか尚更心配になるらしい。ここは彼女の意も酌まねば。
 室堂から家内の勤務する病院に電話したのが午後2時半少し前、以前は下りは2時間もあれば十分下山できたが、今は無理だろう。交通規制がある日は、最終バスの発車は午後5時、一度逃したことがあるが、今日は車を乗り入れているのでその心配はないが、膝と大腿の衰えは上りにも下りにも影響している。下りには連れになった二組の夫婦と共に下る。元気なときには考えられなかったことだ。一つには何かアクシデントがあった時などに、誰かそばにいるのとそうでないのとでは安心感が違う。この日は団体の大部隊が5組も上がってくるのに遭遇した。2組は高校生、他の組はメインがおばちゃん連、平日でも空いているとは限らないのが今の白山の現状なのか。
 下りは砂防新道を下ったのに2時間半もかかってしまった。今日の予定では観光新道を花を愛でながら下る積もりでいたが、惰弱にも砂防にしてしまった。冷たい水もあり、暑い日にはうってつけと思ったからだ。歳が歳だけに、家内の心配も酌んでやらねばと思う昨今となった。でもまだ、気が向いたらブラッと山に出かけたいという気持ちはまだ失せてはいないのは取り柄だ。

2010年7月20日火曜日

山野草の宿「二人静」の植物126種

 標高860米の山野草の宿「二人静」には探蕎会で2002年秋に訪れている。その折、山野草の宿と冠名しているのだから、何か山野草のリストはないのかと尋ねたが、どうもないらしい。そこで翌朝、宿の右手の急な崖にある山野草園へ上がると、野草の名を付した立て札があったので、その名をメモした。しかし、中には判読できないものとか、帰宅して図鑑等で調べても一致する植物がないもの等があり、最終的には114種をリストアップした。今夏再び「二人静」に投宿したが、山野草園は草丈が背丈位に繁っていたことと、以前は崖には細いが歩ける径がついていたが、今回はその踏み跡も定かではなく、崖には踏み込めなかった。今回も植物リストについて尋ねたが、やはりないとのこと、でもホームページには47種の花の名が掲載されている。そこで従前のリストから2種を除き、14種を加えた126種について、種名に科名と属名を付した。
 以下には、双子葉植物合弁花類、離弁花類、単子葉植物、羊歯植物の順に、科名と属名を五十音順に配列した。種名の後の( )内には花の色を書いた。但しこの花というのは必ずしも花弁とは限らず、ガクとかホウとか、目に映ずる色と考えて頂いた方がよい。また種名が:で連なっているのは、一方が別名であることを示す。

双子葉植物合弁花類
・アカネ科 〔ヤエムグラ属〕キヌタソウ(白)
・イチヤクソウ科 〔イチヤクソウ属〕ベニバナイチヤクソウ(紅)
・イワウメ科 〔イワウチワ属〕トクワカソウ(淡紅) 〔イワカガミ属〕イワカガミ(淡紅)
・イワタバコ科 〔イワタバコ属〕イワタバコ(淡紫)
・キキョウ科 〔ツリガネニンジン属〕イワシャジン(紫) 〔ツルニンジン属〕ツルニンジン:ジイソブ(淡緑) 〔ホタルブクロ属〕シロバナホタルブクロ(白)ホタルブクロ(赤紫) 〔ミゾカクシ属〕サワギキョウ(濃紫)
・キク科 〔フキ属〕フキ(白) 〔ヤブレガサ属〕ヤブレガサ(白) 〔ヤマハハコ属〕ヤマハハコ(白)
・キョウチクトウ科 〔チョウジソウ属〕チョウジソウ(淡青紫)
・ゴマノハグサ科 〔クワガタソウ属〕ヒメトラノオ(青紫)
・サクラソウ科 〔オカトラノオ属〕オカトラノオ(白)
・シソ科 〔ジャコウソウ属〕ジャコウソウ(淡紅紫)
・スイカズラ科 〔ツクバネウツギ属〕ベニバナノツクバネウツギ(紅)
・ツツジ科 〔スノキ属〕コケモモ(淡紅)
・ナス科 〔ホオズキ属〕ホオズキ(淡黄白)
・マツムシソウ科 〔マツムシソウ属〕マツムシソウ(淡紫)
・ムラサキ科 〔ワスレナグサ属〕ワスレナグサ(淡青紫)
・ヤブコウジ科 〔ヤブコウジ属〕マンリョウ(白)ヤブコウジ:ジュウリョウ(白)
・リンドウ科 〔ツルリンドウ属〕ツルリンドウ(淡紫) 〔リンドウ属〕エゾリンドウ(青紫)ハルリンドウ(青紫)リンドウ(青紫)

双子葉植物離弁花類
・アカバナ科 〔アカバナ属〕ヤナギラン(赤紫) 〔マツヨイグサ属〕マツヨイグサ(黄)
・ウコギ科 〔トチバニンジン属〕トチバニンジン:チクセツニンジン(黄緑)
・ウマノスズクサ科 〔ウスバサイシン属〕ウスバサイシン(暗紫) 〔カンアオイ属〕カンアオイ(暗紫)
・カタバミ科 〔カタバミ属〕ミヤマカタバミ(白)
・キンポウゲ科 〔イチリンソウ属〕シュウメイギク:キセンギク(紅紫)ニリンソウ(白) 〔オキナグサ属〕オキナグサ(暗赤紫) 〔オダマキ属〕オダマキ(青紫)ヤマオダマキ(褐紫) 〔カラマツソウ属〕カラマツソウ(白) 〔シラネアオイ属〕シラネアオイ(淡紅紫) 〔センニンソウ属〕ハンショウヅル(紅紫) 〔トリカブト属〕ヤマトリカブト(青紫) 〔フクジュソウ属〕フクジュソウ(黄) 〔リュウキンカ属〕リュウキンカ(黄) 〔レンゲショウマ属〕レンゲショウマ(淡紫)
・ケシ科 〔オサバグサ属〕オサバグサ(白) 〔キケマン属〕ミヤマキケマン(黄)ムラサキケマン:ヤブケマン(紅紫) 〔コマクサ属〕ケマンソウ:タイツリソウ(淡紅)
・シュウカイドウ科 〔シュウカイドウ属〕シュウカイドウ:ヨウラクソウ(淡紅)
・センリョウ科 〔チャラン属〕ヒトリシズカ(白)フタリシズカ(白)
・ツリフネソウ科 〔ツリフネソウ属〕キツリフネ(黄)
・ドクダミ科 〔ドクダミ属〕フイリドクダミ(白)
・ナデシコ科 〔センノウ属〕フシグロセンノウ(朱赤)マツモトセンノウ(深紅) 〔ナデシコ属〕カワラナデシコ:ナデシコ:ヤマトナデシコ(淡紅) 〔ハコベ属〕ハコベ(白)
・バラ科 〔キジムシロ属〕キンロバイ(黄) 〔シモツケソウ属〕キョウカノコ(淡紅紫)シモツケソウ:クサシモツケ(淡紅) 〔ダイコンソウ属〕ダイコンソウ(黄)チングルマ(白) 〔ヤマブキ属〕ヤマブキ(黄) 〔ワレモコウ属〕カライトソウ(赤紫)
・ベンケイソウ科 〔ベンケイソウ属〕イワベンケイ(黄) 〔マンネングサ属〕キリンソウ(黄)ツルマンネングサ(黄)
・ボタン科 〔ボタン属〕ヤマシャクヤク(白)
・マタタビ科 〔マタタビ属〕サルナシ:コクワ:シラクチヅル(白)
・ミズキ科 〔ミズキ属〕サンシュユ(黄)ヤマボウシ(白)
・ミソハギ科 〔ミソハギ属〕ミソハギ(紅紫)
・メギ科 〔イカリソウ属〕イカリソウ(赤紫) 〔サンカヨウ属〕サンカヨウ(白) 〔タツタソウ属〕タツタソウ:イトマキグサ(淡紫) 〔ルイヨウボタン属〕ルイヨウボタン(緑黄)
・ユキノシタ科 〔チダケサシ属〕トリアシショウマ(白) 〔ベルゲニア属〕ヒマラヤユキノシタ(淡紅) 〔ヤグルマソウ属〕ヤグルマソウ(緑白) 〔ヤワタソウ属〕ワタナベソウ(黄白) 〔ユキノシタ属〕ユキノシタ(白)

単子葉植物
・アヤメ科 〔アヤメ属〕アヤメ(紫)シャガ(白紫)ヒメシャガ(淡紫) 〔クロコスミア属〕ヒメヒオウギズイセン:モントブレチア(橙黄)
・サトイモ科 〔ザゼンソウ属〕ザゼンソウ:ダルマソウ(暗紫) 〔テンナンショウ属〕ウラシマソウ(黒紫)オオマムシグサ(濃紫)ヒロハテンナンショウ(緑)マムシグサ(緑) 〔ハンゲ属〕カラスビシャク:ハンゲ(緑) 〔ミズバショウ属〕ミズバショウ(白)
・ツユクサ科 〔ツユクサ属〕ツユクサ(青) 〔ムラサキツユクサ属〕ムラサキツユクサ(紫)
・ユリ科 〔アマドコロ属〕アマドコロ(白緑)ヒメイズイ(白緑) 〔エンレイソウ属〕エンレイソウ(暗褐)ミヤマエンレイソウ:シロバナエンレイソウ(白) 〔カタクリ属〕カタクリ(紅紫)キバナカタクリ(黄白) 〔キチジョウソウ属」キチジョウソウ(淡紅紫) 〔ギボウシ属〕オオバギボウシ(淡紫)コバギボウシ(淡紫) 〔キンコウカ属〕キンコウカ(黄) 〔ショウジョウバカマ属〕ショウジョウバカマ(紅) 〔チゴユリ属〕チゴユリ(白)ホウチャクソウ(白緑) 〔ツバメオモト属〕ツバメオモト(白) 〔ホトトギス属〕タマガワホトトギス(黄)ホトトギス(淡紅紫)ヤマホトトギス(白) 〔ユキザサ属〕ユキザサ(白) 〔ユリ属〕ササユリ(淡紅) 〔ワスレグサ属〕ニッコウキスゲ:ザンテイカ(橙黄)ヒメカンゾウ(橙黄)
・ラン科 〔エビネ属〕エビネ(淡褐)キエビネ(黄)ナツエビネ(淡紅紫) 〔シラン属〕シラン(紅紫) 〔ハクサンチドリ属〕ウチョウラン(紅紫)

羊歯植物
・イワヒバ科 〔イワヒバ属〕イワヒバ
・ゼンマイ科 〔ゼンマイ属〕ヤシャゼンマイ
・トクサ科 〔トクサ属〕トクサ
・ハナヤスリ科 〔ハナワラビ属〕フユノハナワラビ



 

2010年7月13日火曜日

小布施で出会った発芽そば

 三男誠孝の満中陰の法事が終わったら、骨休みを兼ねて二人でゆっくりどこかの温泉にでも入りに行こうと家内と話していて、こんな夫婦二人だけの旅というのは新婚旅行以来ということに気付く。折角だから泊まりは2泊として、日月火とすることに。ところで場所を何処にしようかということになり、そういえば家内の姪がよく旅行をするので何処か好いところを推薦して貰えないかと相談したら、「岩の湯」が実に素晴らしかったという。では其処を先ず第一候補にしようということに。その湯は信州なので、もう一軒も信州にすることにして、それは私の希望で、いつか探蕎会で行ったことのある「二人静」にした。後者はインターネット申込みで7月4日の晩に、前者は電話申込みで翌5日の晩に泊まることに。
 月曜に泊まった仙仁温泉の「岩の湯」は北信の須坂市にあり、市内から菅平高原へと続く国道406号線沿いにある。温泉の紹介は別の機会にすることにして、翌日の火曜日には小布施の街をぶらつくことにして、宿の方に小布施でどこか蕎麦屋を紹介してくれませんかと頼んだところ、四軒ばかり地図を付けて紹介してくれた。小布施では「せきざわ」にはこれまで3回も訪れているので、家内はそれ以外のところにしようと言う。街中は駐車も大変だろうからと、国道406号線沿いの店の「鼎」という店を訪れることにした。通りから1本入った処だが比較的分かりやすい店だった。駐車場に車を止めて店へ行くと、都合により臨時休業とか、じゃ次の候補の「おぶせ」にする。この店は宿で100円引きの券をくれた店だが、地図はあるものの、街中で何となく分かりづらい。しかしぐるぐる回っている間に、目印の小布施ミュージアムに出た。車を止めて、いざとなれば入館しようと、そこの駐車場に止める。駐車場には先に1台が止まっていた。さて、これからどうしたものか。地図ではこの建物の北側に隣接するとある。
 うろうろしていると、中年の小母さんが現れ、「おぶせ」という蕎麦屋さんへ寄って下さいと勧誘された。実はそこへ行きたいのだがと言うと、この小径を下って行って左へ行くと案内板があるので、それに従って行くと見えて来ますとのこと、ところが分かりづらい。小径を辿っているともう一組のカップルがいて、何故か迷っている様子でうろうろしている。私は左へ上る小径があったのでそこを曲がるのじゃないかと思ったが、家内は猪突猛進の勢いでどんどん下がって行く。しかしこの小径はミュージアムに続く建物のところで切れてしまっている。しかしここから下の方を見ると、前方に蕎麦屋の看板が見えた。もうこうなれば見つかったも同然、草原を横断して、下の道に飛び下りた。それにしても何と分かりにくいことか。
 店の名は「手打百芸 おぶせ」、手打百芸は何かで見たことがある。看板が出ていなければ、ありふれた普通の町屋である。途中でうろうろして迷っていた一組も、目的はこの店だったらしく無事御到着になった。店に入ると2組5人がいた。土間に4人掛けテーブルが4脚、座敷にはやはり4人が座れる座机が6脚、つくばいの水音が響く落着いた店である。
 店主がお出でて、メニューの説明をされる。一番のお薦めのそばは、「御前二色そば」だと仰る。これは「発芽そば切り」と「更科そば」の盛合わせだとのこと、せっかくのお薦めなのでそれを頂くことに。店主は脱サラだとか、上田市の「おお西」の大西利光さんに師事して修行し、ここで6年前に開店したとのこと、それで初めての人にはぜひ「発芽そば」を食べてほしいとのことだった。発芽そばを見せていただく。丸抜きの蕎麦を暫く水に浸し、その後ざるに上げてならし、半日ばかり寝かすと発芽するが、この状態の蕎麦粒を石臼で搗いて餅状態にして、これに同量の石臼挽きの蕎麦粉を加えて捏ね、伸して、切るとか。一通り話を聞いた頃、10人ばかりの地元の人達が入ってきた。もっとも昼時でもあり、独りの方も2組ばかり。この店で出すそばは全部十割とのことだった。店が忙しくなって御主人一人で大丈夫なのかと思っていたら、駐車場でそばの割引券を配っていた例の小母さんが現れた。勧誘していたのは主人の相方で、客引きのためだったのか。
 始めに、突き出しとして大根の塩漬けとそのチップの揚げ物が出た。塩漬けはともかく、揚げ物とは驚いた。酒の肴には良いかも知れないが、運転がある。次いでそば汁と薬味、薬味は葱と山葵、程なくして注文の品が届いた。長方形の黒塗りのせいろに二盛り、更科の方は真っ白の細打ち、一方の発芽そばはというと淡い黄土色に淡い緑色がかった色の細打ちである。先ず発芽そばを手繰ると、箸にぬめりを感じる。普通はこのぬめりを洗いとって冷水で締めるのだが、どうもこれが発芽そばの特徴らしい。口にすると餅のようなもつもつ感、しかも普通のそばより甘味を感ずる。甘味は発芽期に発生する糖化酵素による甘味だとか。以前探蕎会で福井で発芽そばを食したことがあったが、あの時は特別に意識しなかったが、今回はその違いをはっきり意識できた。ただ切りが丁寧でないのが気になった。御前の方は心持ち発芽より細め、性質上どうしても水を含みやすく、からみやすいが、まずまずの出来、それにしても通常はつなぎが入るのに、この店のは更科の生粉打ちというから恐れ入った。しかも水捏ねだとか。技術がいるそうだ。とにかくこの二色盛りは貴重な体験となった。これで切りがきっちり揃っていたら申し分ないのだが、その分未完成の部分が残っている印象を受けた。
 玄蕎麦は信州八ヶ岳産と信濃町産とのことだが、これはどうも製粉工場で石臼挽きした粉を仕入れているような雰囲気、ただ「田舎そば」は店で手挽きした粗挽き粉をブレンドしているようだし、「挽きぐるみ」と「発芽そば切り」には、やはり丸抜きを手挽きしたものをブレンドしているような口ぶりだった。

 注1.〔発芽そば〕 丸抜きの蕎麦の粒を水に入れ、発芽促進のため夏期は30分、冬期は2時間置く。水を吸った蕎麦粒を水から上げ、笊に均一な厚みになるように敷き詰め、発芽するまで25~28℃に、夏期なら9時間、冬期なら12時間寝かせる。こうして芽が0.5~1mmにまで成長したら全体を石臼で搗くか、フードプロセッサーで餅状にする。これに元と同重量の丸抜きを石臼で挽いた蕎麦粉を加えて捏ね、その後伸して切る。(この部分が大西利光師匠考案の手打法の伝授によるらしい)。発芽期に発生する糖化酵素による甘味の増加、餅のような食感、独特のぬめりで、従来のそばの概念とは異なるものである。新芽の誕生によって、もともと蕎麦に含まれている優れた成分の増加があり、またブロックされていて使えなかった成分や新しい成分が利用できるという。その点このそばは素晴らしい健康食だといえる。なお、『発芽そば切り』は特許及び商標登録出願中だという。
 注2.〔手打百芸 おぶせ〕でのお品書き(抜粋)
〔店主お薦めそば〕
・発芽そば切りー1370円
・御前二色そばー1700円(発芽そば切りと更科そばの盛り合わせ)
〔も り〕 更科、挽きぐるみ、田舎 ー 各890円
〔お薦めのもり〕 (大盛りは全品400円加算)
・三種そばー1450円(更科、挽きぐるみ、田舎の三種類)
・二色そばー1450円(更科、四季そばの盛り合わせ)
・四季そばー1260円(この時期は「梅切り」)
・鴨南もりー1850円
〔そば団子/そばがき〕 - 各525円
・発芽そば団子(醤油と砂糖をからませています)
・発芽そばがき(わさび醤油で召し上がっていただきます)
・揚げそばがき(汁仕立てで召し上がっていただきます)
・焼きそばがき(くるみ味噌で召し上がっていただきます)
〔そば雑炊〕 - 840円  きのこ入り発芽そば雑炊
ほかに、〔あつもの〕 〔ひやもの〕 〔つまみ〕 〔のみもの〕
 注3.〔店舗データ〕 店名、住所、電話、営業時間、定休日
「手打百芸 おぶせ」 小布施町中央627-15、 ℡026-247-2847、 11-15 17-20、 木曜
 注4.〔長野県内の系列店〕 「手打百芸 おお西本店」(上田市中央) 「手打百芸 おお西別所支店」(上田市別所温泉) 「手打百芸 奈賀井」(上田市西内)
 
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2010年7月7日水曜日

マチャ(三男誠孝)が夢見た幻の新会社

 誠孝の通夜での挨拶か、あるいは通夜の振る舞いの時かは定かではないが、フリークスの福岡社長が、誠孝から新しい会社を立ち上げたいという相談を受けたという話を聞いた。社長は独立してやるのは大変だろうから、じゃフリークスの中で新しい事業として始めたらどうかということで話がまとまったとかであった。誠孝の新会社構想では、誠孝が社長になり、妻千晶が役員になり、社長が亡くなったら妻が社長になり、そうすれば生活設計も家計も何とかなるだろうという思惑もあってのことだったのだろう。これまで誠孝の給与は人への投資に使い、いわゆる貯金はしていないとのことだった。誠孝が目指していた構想というのは何だったのだろうか。ここに誠孝が入院していたときに見せてくれた構想のメモがある。
 フリークスは福岡社長が起こした会社、平成15年には株式会社となり、誠孝が参画した頃からは店舗数も飛躍的に伸びた。しかし平成17年以降になると直営店の新規開店はなく、新規フランチャイズ加盟店が1店のみという状況、このネットカフェ業界を全国的な視野でみても、進出競争は一段落しつつある状況だという。このような状況の下、経営に参画していて誠孝が考えたことは、無駄を省いて経費を削減することによって、利益の積み増しを図ろうとしたことは想像に難くない。
 先ず初めに手掛けたのは直営店15店舗での経費削減への取組み、どんな手立てを使い、どう対応したのかは定かではないが、あちこちにある個々の店舗での個々の対応を、フリークスが提携している企業に一本化することで経費削減を図ったのではないかと思われる。当然省エネにも取り組んだであろう。こうして経費削減プロジェクトを立ち上げ、取り組んで1ヵ月余りの削減活動の結果、年に換算して5千万円を削減できたとか、この金額は従前の必要経費の3割に相当するという。それもサービスを落とさないでの削減、金額や割合からして余程の無駄がない限り難しいと思うが、それが出来たらしい。しかしこれは現場に足を運んでのチェックがないと、とても書類の提出だけでは無理だろうし、加えて卓越したコンサルティング能力がないと出来るものではない。誠孝が入院しているときにチラッと「マチャにそれを見極める能力があるとして、そのノウハウを受け継いでくれる後継者はいるのか」と聞いたが、「そんな人は今のところいない」とのこと、とするとアシスタントになる人は別として、フリークスでこの仕事をやるとすれば、誠孝しかいないのではと思った。
 年換算削減成功額5,000万円の内訳は、最も大きいのは人件費で2,500万円(50%)、以下ゲーム・DVDソフト600万円(12%)、ネット回線500万円(10%)、家賃400万円(8%)、食材400万円(8%)、動画配信200万円(4%)、コミック・雑誌150万円(3%)、光熱水費100万円(2%)、有料放送70万円(1.4%)、運送会社40万円(0.8%)、携帯電話40万円(0.8%)となっている。(これらは公開資料である) 
 誠孝はこれら自社直営店での成績を基に、新たに始めようとする経費削減の事業は、社長の慰留もあり、フリークスの事業として行うことにしたようだ。早速数社と接触し、経費削減のためのコンサルティングを始めた企業もあったようだ。ここにメモがあり、相手側のクライアント企業との間に契約を締結する場合の約束が書かれている。(1)相手方には情報を開示していただくことが必要なので、秘密保持のための契約を結ぶ。(2)どういう経費項目を削減したいのかを確認する。そしてその項目に関係する取引先、取引上の問題点を明らかにする。(3)業務委託が締結したら削減可能な項目から経費削減交渉に入る。その際必要なデータは提供して頂く。(4)交渉結果については、その都度報告する。(5)完全成功報酬なので、削減できない場合は一切報酬はもらわない。
 しかし誠孝の病状が進行してからは現場へ足を運ぶことが出来なくなり、この事業はまだ緒についたばかりであり、フリークス内にも確たるこのコンサルティング事業を行う部門が確立されていなかったこともあって、計画は中断されることになる。私は誠孝に挫折感はなかったのかと思ったりもするが、少なくとも私には亡くなるまでそのことについて口にすることは一切なかった。