2014年4月26日土曜日

蕎麦「ふじおか」への再訪

 今年の探蕎会の5月の行事は長野の飯綱高原にある「ふじおか」を訪問するということだったが、事務局の前田さんから詳しい日時の案内があったのは3月18日、メールの発信時刻は12:09だった。内容は4月20日の日曜日に松井・前田両氏の運転で出かけること、定員は限定10名なので残りは先着8名とのことであった。私がそのメールを見て参加表明の返事をメールでしたのは翌19日の10:54、OK の返事があったのは同日の11:46、そして定員に達しましたとメールがあったのが13:01、私の参加は間一髪だった。事務局から発信があってやがて1日が経過していて、今回はてっきり駄目だと諦めていたのに、何とも僥倖だった。
 当日の天候は曇りで所により小雨ということだったが、何とか持ちそうな空模様。古巣の石川県予防医学協会の駐車場に集まり、予定の午前8時に出発する。先導は松井車、近くにある長野カントリークラブをナビに登録しての走行とのこと、途中2カ所でトイレ休憩し、目的地周辺に着いたのは11時少し前だった。ここからは前田車がスマホか何かで場所を確認して先導してくれて、無事「ふじおか」に着けた。私ではどうもすんなり着けないのが何とも不安だ。それはこの周辺一帯が国立公園内の別荘地であって、同じような建物が散在していて目印となるものがない上、通常のナビでは店の場所を特定出来ず、それで大変難儀することになる。場所は飯綱高原の西端に位置し、信越五山の飯縄山の南麓にあたる。ロッジ風の店の前からは北に飯縄山を仰ぐことが出来る。
 11:30きっかりに入り口のドアが開いて招じ入れられる。靴を脱いで中へ、床はきれいに磨かれた板張り、部屋には薪ストーブが燃えている。部屋は木の木目をそのまま生かした明るく開放的な空間、ベーゼンドルファーのグランドピアノが入口近くに、そして CD プレーヤーも、でも音楽はかけられていない。部屋には4人掛けのテーブルが3脚、6人掛けのテーブルが1脚、私たちは6人と4人に分かれて座る。今日は我々のほかに客は1組3人のみだった。今では完全予約制なので、ずっと以前のように予約不可ではないので、時間的には余裕がある。それでも11時30分には入って下さいとのこと、しかしうろうろして探す時間も考慮すると、多少の時間的余裕は欲しい。
 初めに「そば茶」が出た。以前は客の招じ入れは2巡のこともあったが、今は1回のみなので、ゆったりした気持ちで待てる。ややあって、奥さんが注文を聞きにおいでる。皆さん「せいろそば」と「お酒」を所望される。「せいろそば」には、ふじおか特製の「季節の野菜料理」と「蕎麦の実雑炊」、それに「野菜の漬物」が付いている。また「お酒」は越後大吟醸の「鄙願」のみ、これは店主推奨のそばに最も相応しいお酒である。車運転の二人は注文されず、当初は私も飲まないでおこうと思っていたが、同席の久保さんからは1合位ならいいでしょうと勧誘され、誘惑に負けて私も頂戴することにした。
 アルコール (エチルアルコール) は肝臓で解毒されるが、これにはアルコールをアセトアルデヒドに酸化する酵素と、さらに酢酸にまで酸化する酵素という2つの酵素の関与が必要で,一つが欠けていてもアルコールの分解解毒は完全に進行しない。そして私のうろ覚えでは、1時間に肝臓で解毒されるアルコールの量は7と記憶している。しかしその単位は g なのか ml なのか定かではないが、もし1合飲んだとすると、お酒のアルコール含量を15%とすると、アルコール量は27ml となるから、1合飲酒後、約4時間経過すればアルコールは分解解毒される計算になる。隣の久保さんは、私の肝臓は優秀で、この時間よりもっと速く分解されるようで、飲酒後でもある時間を経過すると、検問でもアルコールが検出されたことがないと仰る。
 暫し待って、初めに「季節の野菜料理」が出た。中鉢に4人分の山菜のお浸しと白和えが入っている。柔らかな旬の山菜の若芽、ノカンゾウ、カタクリ、コゴミ (クサソテツ) 、アマドコロなど、そして竹の子も入っている。緑が実に鮮やかだ。小皿に取り分けて食する。そして冷水に冷やされた「鄙願」が届く。前田・松井の両氏は達観されていて、黙々と山菜を口に運ばれているが、やはりお酒があってこそ野菜料理も引き立って来ようというものだ。次いで土鍋に「蕎麦の実の粥」が、これにはウドとコシアブラがあしらいに散らせれている。木酌で鉢に取り分けて食する。これもやはり上等な酒の当てとなる。
 次いで本命の「せいろそば」が届く。せいろは杉材で長方形の浅い枠型に作られていて、薄く漆が掛けられているという。以前の白木のせいろは京都の道具屋の中川清司氏に頼んで作ってもらったそうだが、当時の氏はまだ一介の職人だったという。でも前のが傷んで新調した時には、氏は既に重要無形文化財保持者 (人間国宝) になられていたとか。氏の手になるせいろは素朴だが気品のある実に素晴らしい器だ。竹簀が敷かれた上に細打ちの十割蕎麦がこんもりと載っている。せいろもさることながら、そばも実に美しい佇まいだ。そして鮫皮で下ろされた鮮やかな薄緑色の生山葵が猪口にたっぷりと盛られて付いて来た。そばには微かな鶯色があるようにも見え、手繰ると仄かな蕎麦の香りがする。そば猪口は地元信濃町の陶芸家の山中恵介氏の作とか、白地に藍色の文様が描かれていて、これにも主人のこだわりの良さが現れている。汁は濃くなく、むしろ薄めだ。私は癖でそばは3分の1位しか浸けないが、薄くてもこれで十分満足出来る。人間国宝の作のせいろで、それに相応しいそばを食べられるなんて、こんな冥加なことはない。喉越しは二八が最も良いというが、この十割の細打ちの何と喉越しの良いことか。そばにはうるさい家内だが、ぜひ賞味させてやりたいものだ。
 細打ちのそばがせいろからなくなる頃、蕎麦湯が届いた。ここの蕎麦湯は、蕎麦粉をお湯で溶いてポタージュスープのようにしたもので、近頃ではあちこちでこのようなタイプの蕎麦湯が出されるが、これはここ「ふじおか」で考案され、ここで初めて出されたと聞いている。本当にクリーミーで滑らか、濃くもなく薄くもなく、抜群の濃さ加減、初めはそのままで頂き、次いで少々の蕎麦汁を加えて飲んだ。幸せさが身体に漲る。
 そばを食した後に「野菜の漬物」が出た。胡瓜、菊芋、人参、赤大根、セロリ、豆などの浅漬け、野沢菜、そしてミニトマト、大鉢に彩りよく盛られていて、眺めているだけで随分と楽しくなる.本当はこれをつまにして一献やりたいところだが、ここは我慢のしどころだ。しかしもう1合所望の人が現れた。そこで厨房にお願いに行ったところ、実はもう手元にお酒はありませんとのこと、私にとっては救済だった。近頃はあまりお酒を飲む人は少なく、この日も1升しかストックがなかったのではないか、これから探蕎会の方がおいでる時には、不自由しないように用意しておきますとは奥さんの言だった。隣のグループはビールも頼んでおいでだったが,蕎麦前や漬物の当てにビールというのは経験がないだけに何とも言えないが、あまり合いそうな気がしない。
 終わって、「そばがき」を頼むことに。中には「そばぜんざい」を所望する人も、また両方をお願いする人もいた。暫く待って「そばがき」が届いた。すり鉢を模した鉢に、赤子の肌を連想する肌理の細かな滑らかな小判状の形をした饅頭を思わせる品が、頂点には下ろした生山葵の一摑みがちょこんと鎮座している。別の猪口には濃口醤油が添えられているが、でもそのまま食した方が本当の蕎麦の味を堪能出来て美味いようだ。それにしても何ときれいに仕上げてあるのだろう。実にほれぼれする。仲佐の「そばがき」の味も姿も素晴らしいと思ったが、こちらは正に芸術品だ。食べるのが惜しい。
 さて、私は「そばぜんざい」なるものを一度も食したことはないが、おそらく「ふじおか」の品はやはり逸品なのだろうと想像する。聞けば、ぜんざいは丹波大納言と和三盆で作られる自家製餡がベースとか、おそらく上品な薄味の程よい甘味が口中に広がる一品なのでは。甘党にとっては絶対見逃せない代物なのではなかろうかと思う。
 終わって精算の時に、家内を同道したいのですが、どうしたらと訊いたが、どうも確たる手だてはないようだった。ここは国立公園内なので、やたら看板の設置はご法度なのだとか。ただ全体の看板は2カ所にありますとも。ただ目印らしきものとしては、飯縄山登山口の看板の横を北上し、数個目の交差点で右後に曲がる道があるので、それを直進すると着くとのことだった。外へ出て、店に上がる階段のところで、奥さんにも入ってもらって写真を撮った。その後主人も出ておいでて、暫くの間、奥さんともども談笑した。2年前もそうだったが、こんな気さくな方だったとは。前の黒姫の店では到底及びもつかないことだった。別れ際に、奥さんと両手で握手した。柔らかく温かな手だった。
〔付記〕松井さんの言では、インターネットでの日本全国人気蕎麦店投票での第1位は「ふじおか」、第2位は丹波篠山の「ろあん松田」とのこと、彼は2店とも出かけている。私は5回と2回出かけた。

2014年4月3日木曜日

シンリョウのツブヤキ(4)

 4月に入って、日に日に温かさが増し、陽が照っている所にいると、暑いと感じたりする昨今、桜の開花が聞かれるようになった。家には,以前は大きな桜の木が2本あったが、枯れてしまって今はなく、家で花見はできない。4月1日、何となく陽気に誘われ、庭を回り、この時期どんな花が咲いているかをメモってみた。ランダムである。木本では、ツバキ、ヒサカキ、アオキ、アンズ、ウメ、シナレンギョウ、ヒイラギナンテン、トサミズキが咲いていて、杏、梅、支那連翹、土佐水木は満開、椿は次々と咲いている。その他の木も満開なのだが、花は余り目立たない。ただヒサカキだけは腐敗臭がするので、すぐに咲いていると分かる。 
 次に露地に咲いている草本についても記載した。このうち、いわゆる帰化植物には、植物名の後に    (外) を付した。ここでいう帰化植物とは、清水健美編の「日本の帰化植物」に収載されている植物で、その定義としては、(1) 人間の活動によって、(2) 外国から日本に持ち込まれ、(3) 日本で野生化した植物で、この本では、安土桃山時代以降に渡来した植物を対象にしている。また園芸栽培植物で露地に繁茂している草本には (栽) を付した。以下ランダムに記載する。ヒメリュウキンカ (外) 、ダッチアイリス (栽) 、フキ、アメリカスミレサイシン (外) 、ヒメオドリコソウ (外) 、ミスミソウ・ユキワリソウ、スイセン、タネツケバナ、カンスゲ。この内、ヒメリュウキンカの鮮やかな黄色とダッチアイリスの薄紫色はよく目立つ。後者は3月中頃から咲き始めていて、花期はもう終わりである。
● トサミズキ(マンサク科 トサミズキ属)
 40年以上も前に、植木市で買ってきて植えたもので、花が愛らしい。高知県に自生するのでこの名前なのだが、家の裏庭では株立ちして繁っている。植木屋さんには雑木と目に映るのか、黙っていると刈り込んでしまう。すると翌年は花が咲かない。3月中頃、まだ葉が出る前に、淡黄色の花苞ができ、やがて穂状の花序を垂らし、淡黄色の花を7〜8個付ける。昨年は難にあって花が見られなかったが、今年はかなり花が付いた。これと近縁のヒュウガミズキが庭に植わっているのを時折見かけるが、こちらは日本海側の石川・福井にも分布している。黄色の穂状花序に花は1〜3個しか付かないので、前者との違いは明瞭である。
● ヒメリュウキンカ(キンポウゲ科 キンポウゲ属)
 在来種のリュウキンカ (リュウキンカ属) とは外観が極めて似ているが、別属である。原産地は北アメリカで、野生化したものは、日本では1997年に初めて山形県で発見された。第二次大戦後に観賞用に鉢植え栽培されたものが野生化したものだが、その繁殖力には目を見張るものがある。夏から冬にかけては地上部は枯れ、雪解けとともに芽吹き、中型の黄色い花を咲かせる。少し乾燥した土地でも繁茂している。他方、リュウキンカは山地の沼地や湿地に自生していて、よく山ではミズバショウと混生している。白山では南竜ヶ馬場から別山へ行く途中、一旦赤谷に下りるが、そこにはリュウキンカが群生している。また白峰から鳴谷山や砂御前山へ登る途中、この2峰を繋ぐ尾根へ上がる手前の鎧壁との間の湿地には、ミズバショウとリュウキンカが一面に群生している。
● ミスミソウ/ユキワリソウ(キンポウゲ科 ミスモソウ属)
 石川県では輪島市門前町の猿山岬近くの山林での群生地が有名である。和名の由来は、葉の形の三角 (みすみ) に由来する。この別品種に、スハマソウやオオミスミソウがある。雪が残っている頃に咲き出すので、雪割草ともいう。花弁のように見えるのは蕚片で、花の色は白色や淡紫色である。5年位前に、能登の時国家で求めたももので、毎年花を付ける。