2013年11月5日火曜日

ゼレン会 in 松島(その2)

第2日 10月15日(月) 松島ー遠刈田ー蔵王ー山形ー仙台市秋保温泉「ホテルニュー水戸屋」
 午前8時に宿を出て、小型バスで遠刈田温泉(蔵王町)にある「みやぎ蔵王こけし館」に向かう。ここには東北地方各地の系統のコケシの名のある職人の作品が系統別に整理して陳列されていて、居ながらにしてその全容を知ることができる。円筒形の胴の形やそこに描彩される模様や、丸い頭の形や面相にはそれぞれ特徴があり、飽きずに眺めた。次いで蔵王エコーラインを通り蔵王へと向かう。過去には有料道路だったそうだが、現在は無料とか、見える山々には雲がかかっているが、はたして蔵王のシンボルでもある御釜のエメラルドグリーンを観ることができるのかと不安がよぎる。見えなければ来た甲斐がないというもの、天候が気になる。これまで3度来て晴れだったのは1回のみ、一度は雨とガスの中、刈田岳 (1670m) から熊野岳 (1841m)、地蔵山 (1736m) まで縦走したこともある。中腹では紅葉が始まっていて、標高が上がるにつれて色づきが綺麗になる。刈田峠からは有料道路の蔵王ハイラインに入り刈田岳に向かう。ここではウラジロナナカマドの葉はもう散っていて、赤い実が残っているのみ、ガスが去来し寒い。バスを降り、御釜へ歩を進める。尾根へ出ると、時折雲の切れ間から御釜が見えている。御釜の色は天候によっても変化し、晴天ならばコバルトブルーだが、今日は淡いエメラルドグリーン、でも初めてのお人にとっては見えていて良かった.
 バスに戻り、蔵王エコーラインを西へ向かって下り、山形県上山 (かみのやま)市へと向かう。ほぼ1時間の山下りで、目的地の上山市にある山形県観光物産館に着く。ここで昼食をとり、土産を買う。私も幹事に勧められた乾燥トマトを求めた。再び車で、ここへは蔵王の南側から入ったが、帰りは北側に回り、山形上山 IC から山形自動車道に上がり、東北自動車道の宮城仙台 IC で下り仙台へ、ここまでは周りが本当の田舎風景だったのに、トンネルを2つ抜けた途端に仙台のど真ん中に躍り出た。これには皆さん驚かれるというが、本当に度肝を抜かれた。仙台駅でこの日のうちに九州へ帰られるMさんを下ろし、青葉城址へ向かう。ここは伊達政宗の居城跡、徳川家康に恭順の意を示すために天守閣を置かなかったとか。天守台からは仙台市を俯瞰でき、その先には太平洋までをも見渡せる。城跡には伊達正宗の騎馬像が立つ。山を下りて、今宵の宿の秋保 (あきう) 温泉へ向かう。市の中心部から、車で30分ばかり、名取川に沿って温泉街がある。私は秋保大滝を見たいと添乗の S さん話したところ、温泉から更に奥へ車で10分もかかるとか、これでは断念せざるを得ない。宿のホテルニュー水戸屋は温泉街の丁度真ん中辺り、道を挟んだ向かい側には伊達家縁の伝承千年の宿佐助がある。ここの温泉の泉質は、ナトリウム・カルシウムー塩化物泉、いわゆる低張性中性温泉で、遥か古墳時代に開湯されたとか、「名取の御湯」として有馬、道後とともに「日本の三御湯」として湯治場としても知られ、伊達藩の御殿湯でもあったという。宿に着き、早速温泉に入る。ここには薬師の湯と称する大きな浴場が3つあり、それぞれに趣きが異なり、「水心殿」「月宮殿」「梅の粧」といい、男女入替制になっている。それぞれに庭園露天風呂がいくつか付属していて、広く退屈しない。
 夕食は小宴会場で、東北の素材をふんだんに盛り込んだ旬の料理の数々、十分に堪能できた。外は雨になってきた。台風26号が接近しているという。明日は風雨が強まるとか。面々の半数はゴルフ、半数は中尊寺という予定だが、先ずゴルフは無理とのこと、ゴルフ組も中尊寺組へ合流することに。私は別途今晩は家内の姉夫婦と会いに東京に行くことに、天気予報が気がかりだが、食後は囲碁をしながら、観戦しながら、焼酎を飲みながら、駄弁って日が変わるまで歓談した。雨は降ってはいるが、風は強くない。

第3日 10月16日(水) 秋保温泉ー仙台駅ー東京
 翌朝のテレビ放送では、台風の接近で仙台空港を発着する空の便は勿論のこと、東北新幹線も仙台駅以南は始発から運転を見合わすという。このような状況の中で、中尊寺行きも中止になった。明日は回復するとのことで、もし明日行くとすればもう1泊する必要があるが、幹事では早めに申し込まないと部屋が取れないおそれもあるとか、私は宿のマイクロバスが午前に2便出るが、その最初の便で仙台駅に行くのに予約しておいた。仙台駅に着いて改札で訊くと、ダイヤの見通しは全く立っていないという。私の乗る新幹線は午後1時半過ぎだったので、取りあえず時間つぶしに市内観光循環バスの「るーぷる仙台」に乗って市内を小観光することにする。途中で下車して施設や観光地を見て回れる1日乗車券は 600 円だが、下りなければ 250 円とか、私は乗りっぱなしの後者を選んだ。1周1時間15分、バスは何ともレトロ調なバス、一番前に乗って観光を楽しんだ。天候は小雨、風はない。
 コースは、(1) 仙台駅前、(2) 青葉通り一番町、(3) 晩翠草堂前、(4) 瑞鳳殿前、(5) 博物館・国際センター前、(6) 仙台城跡、(7) 青葉山植物園ゲート前、(8) 理学部自然史標本館前、(9) 二高・宮城県美術館前、(10) 交通公園・三居沢水力発電所前、(11) 大崎八幡宮前、(12) 二高・宮城県美術館前、(13) メディアテーク前、(14) 定禅寺通り市役所前、(15) 地下鉄広瀬通駅、(1) 仙台駅前 となっている。乗って驚いたのは、運転手の方のおしゃべりの仕方が、観光バスのガイドに負けないくらい素晴らしいガイドをしてくれたことで、場所の説明ばかりでなく、故事来歴や催し物にも言及され、実に楽しい小観光であった。市内を蛇行している広瀬川を6回も渡り、その度に橋にまつわる話が出るし、また東北大学工学部の構内を通った時などには、東北大学の先生方の沢山の業績を述べてくれるなど、実に感心した。また東北大学植物園にはツキノワグマがいて、ここを通る工学部への近道は閉鎖になっているとか、とかく話題がつきず、あっというまの 75 分だった。この種の循環バスには、松本市や金沢市で乗ったことがあるが、説明が全くなく、これでは路線バスと何ら変わらず、とても循環観光バスとは言えない。
 駅へ戻ると、午後1時頃から新幹線が動き出すらしいとのこと、でも私の乗る指定列車は運休とある。駅員に訊くと、払い戻すか、でなければ「みどりの窓口」で新たにキップを求めてくださいとのこと、窓口へ行くと正に長蛇の列、窓口にたどり着くのに1時間以上も要した。とんだハプニングだった。でもどうやら午後2時過ぎの新幹線に乗ることができ、危機を脱した。
 東京への土産は、仙台土産定番の『牛タン」と「笹かま」にした。 

2013年11月2日土曜日

ゼレン会 in 仙台(その1)

 ゼレン会というのは、昭和34年3月に金沢大学薬学部を卒業した同窓生の会の名称で、原子番号 34 のセレンに因んで名付けられた。しかし何故「セ」が「ゼ」になっているかというと、当時はまだドイツ語読みが多かったこともあって、Selen をゼレンと呼んだことによる。同窓会は当初は10年おきだったのが5年になり、60歳になって皆さん定年になってからは2年おきに開かれるようになった。しかしゴルフ好きの連中は毎年集まってコンペを開いていたらしくて、それを皆が知ったのが7年前、以降は毎年の開催になって今に続いている。ただ東北大震災が起きた平成23年の仙台での開催は中止となった。
 振り返ってみて、私たちが入学したのは昭和30年4月、40名が薬学部に入学した。ところで当時は教養課程が1年半、ここでは所定の単位は勿論、必須の教科をクリアしないと専門課程に進学できず、中でも難関は物理で、40名中7名が落とされ、ビーコンはしないとのことだったが、交渉で一度だけということで再試験されたものの、クリアしたのは1名のみ、こんなに留年したのは前代未聞、この年だけだったようだ。専門課程では何人かの留年組も合流し、学年は全部で38人、でも1名が病死、2名が長期病欠、卒業したのは35名だった。あれから54年、卒業後さらに7人が他界し、現在の同窓生は28名である。今回の出席者は夫婦1組を入れて15名で、ほぼ半数が参加したことになる。
 今回の同窓会は仙台市在住のO君が世話し、会は1泊なのだが、翌日開催のゴルフ組はもう1泊するので、それに会わせて私たちももう1泊することにした。ここ数年、出席者は10名前後で、欠席理由の多くは体調の不調によるもの、また配偶者やお姑さんの介護、中にはまだ現役で活躍されていて参加できない人もいる。これまでずっと出て来られなかった人で、久しぶりに参加された方にはその重圧から解放された方もおいでるし、またこれまで毎回参加されていたのに、急な体調不調で参加できなくなった人もいる。こうした方々の安否を知りたいのだが、今回もそうだが、そんな情報はなかなか入って来ない。気がかりなことではある。
 今回の会のスケジュールは、初日の10月14日(月)に宿泊先の「ホテル松島大観荘」に午後2時過ぎに集合し、遊覧船で松島湾内島巡り観光、その後五大堂と瑞巌寺に拝観して宿泊。2日目は貸切りバスで蔵王観光、その後山形市で昼食、仙台市へ戻り仙台城址を散策し、秋保温泉の「ホテルニュー水戸屋」で宿泊する。3日目はゴルフ組と平泉寺観光組とに分かれ、終了後帰郷する、という予定だ。

第1日 10月14日(月)   宮城県松島町(松島湾内巡り、五大堂、瑞巌寺)「ホテル松島大観荘」宿泊
 金沢駅を 7:10 に発ち、越後湯沢、大宮を経由して仙台へ、そして仙石線で松島海岸駅へ、ここで同窓生6名が一緒になった。1年ぶりとて話に花が咲く。ここには宿泊先の大観荘のシャトルバスが迎えに来るはずなのだが、交通渋滞とかで20分も待たされた。バスはかなりの勾配の坂道を上り、ホテルに着いた。この山に建っているのはこのホテルのみ、風光明媚な松島湾をこのホテルだけが一望できる特権を与えられている。やがて航空機で来仙した人達も合流し、先ずは松島湾内島巡りへと出かけることに。O 幹事昵懇の宮城観光センター社長の S さんが自ら案内をかって出られ、機知とウイットに富んだ語り口に、都合1日半を全く退屈せずに過ごすことができ、実に楽しい会となった。
 私たちの乗った小型バスは、一般の方達が乗船する場所でなく、別の場所へ、何とそれは中型の高速遊覧船一隻をチャーターしての湾内遊覧、すなわち大名遊覧だった。船名はマリンスター、遊覧時間は1時間半、湾外にまで出ての遊覧、過去2回来ているが、外洋まで出たのは初めてだった。昨年3月の東北大震災では、湾内 260 余ある島々が波消しブロックのような働きをして、松島海岸での潮位の上昇は僅かに1m だったとか。でも湾内の幾つかの島は崩れたり欠けたり、津波の影響が窺い知れた。遊覧後、船を下りてからは、妙齢の案内嬢に導かれて、先ずは五大堂へ、方角に合わせて干支が彫ってあることを初めて知った。平日だが相変わらず多くの客で賑わっていた。次いで瑞巌寺へ。参道の両脇には杉林があるが、かなり伐られている。その理由は地下にあるとのこと、この土地の下には岩盤があり、根が充分張れず、成長が止まり、枯死するのだそうだ。特に山門に向かって左側の杉の木はほとんど枯死し伐採されていた。その対策として、木をある程度の高さで伐り、その切り口の部分を雨水が入らないように覆いがしてあったが、何とも痛ましかった。寺は今修復中で中には入れないが、この寺は伊達家の菩提寺であるほかに、伊達家の隠し城の機能も持っているとか、これには驚いた。
 夕食の宴はお座敷で、宴たけなわの折にはカラオケも飛び出し賑わった。中で秀逸だったのは、唯一夫婦で参加した N 君の奥さんが正式な日本舞踊を舞われたことで、周到にも着る着物、扇子などの小物、さらに音曲の装置までも持参され、正式な踊りを披露されたのには度肝を抜かれた。その後皆さんの近況報告もあり、お開き前には「名無し草」を皆で2回も高吟した。