2013年2月22日金曜日

白川義員作品集「永遠の日本」 

 小学館から創業90周年を記念して頭書の写真集が出版された。私に小学館から案内があったのは昨年11月の末である。白川氏は日本大学芸術学部写真学科を卒業後、放送関係に従事していたが、その後中日新聞社の特派員として8ヵ月間で世界35カ国を撮影取材した。その途次、スイスでマッターホルンの朝焼けに出くわして大きな衝撃を受け、その感銘は彼をして「地球再発見」に駆り立て、帰国後はフリーのカメラマンとなって地球を再認識しようと決心した。そしてその最初の写真集「アルプス」が1969年に出版された。
 そして翌年にはヒマラヤに挑戦する。しかし過酷な環境での撮影取材は彼の身体を蝕み、片肺を失うことになる。しかし1971年には地球再発見シリーズ第2作の「ヒマラヤ」が上梓された。私が彼の写真集に接したのは、この時である。初めて受けた印象は、そこに描き出された写真は、迫力はさることながら、赤、紫、青、金に彩られた世界、率直なところ、フィルターを透した世界なのではと思った。もっともそれは後で大いなる錯覚であったことが明白となった。彼は昼の太陽の光を好まず、朝と夕の長波長の光を好み、その一瞬を写し撮っていたのだった。これには頭が下がり、私の浅学菲才を恥じた。私自身山へ入り、ご来光に輝く峰や朝焼けや夕焼けに染まる頂を知っているにも拘らずにである。朝金色に輝き、夕真っ赤に染まり、そして紫にさらに青暗くなる一瞬、対峙していると荘厳な畏れが自然と沸き上がってくる。彼はその一瞬々々を写し撮っていたのだった。 
 その後彼は4〜5年に一作上梓しており、第3作の「アメリカ大陸」は1975年に、第4作の「聖書の世界」は、1979年に「新約聖書の世界」を、翌1980年には「旧約聖書の世界」を出版している。この時以来このシリーズは「地球再発見による人間性回復」シリーズとなった。その後も1984年に「中国大陸」、1985年に「神々の原風景」、1986〜87年に「仏教伝来」、1994年には2シーズン330日の撮影行の成果である「南極大陸」を上梓した。
 還暦を過ぎた1996年には次の企画「世界百名山」を立ち上げ、翌1997年から2000年にかけて撮影を行なった。この間ヒマラヤではセスナ機が乱気流に巻き込まれ、頸椎と腰椎を折るという大怪我をしたものの、手術の成功とリハビリにより、九死に一生を得て半年後には現場復帰した。この写真集は2000年から2001年にかけて、3巻に分けて発刊された。そして翌2002年からは「世界百名瀑」の撮影に取り組み、2007年に72歳でこの写真集を上梓した。これまで10作の豪華写真集のうち、第2、5、6、8、9作は購入したものの、この10作目には圧倒されながらも、手元に置くことに躊躇し、購入しなかった。
 その後彼は長年心に温めてきた日本の原風景を撮り下ろそうと、「永遠の日本」というテーマに取りかかった。2008年月、73歳のことである。爾来2012年までの足掛け5年、その成果は2012年11月に同名の作品集として発刊された。彼は日本各地に日本の原風景を求めて足を運び、ある日のある一瞬の自然が見せる輝きを収めるため、季節や時間を変え、何度も同じ場所へ訪れたという。陸上からは勿論、船で海上へ出ての撮影、はたまたセスナ機やヘリコプターからの空撮など、あらゆる可能性を求めてシャッターを切り続けた。この5年間に撮影したポイントは46,600地点、取材費は4億円にも及んだという。この作品集には、その中から厳選された402作品が収録されている。これらの作品には別冊で、撮影した日時や地点が具体的に明記されており、誰でも白川氏が撮影したポイントに立って、同じ時期の同じ日時に立てば、同じ風景と感動を味わうことができるとしている。素晴らしいことだ。そして彼の写真には人工物が全く感じられない真の日本の原風景が現出している。
 閑話休題
 さて、この本の案内が来た時、正直言って税込み10万円もするので、前回の「世界百名瀑」同様、割愛しようと思っていた。ところが正月、たまたまNHKで石坂浩二がナレーターとなって放送された「永遠の日本〜白川義員・日本人の魂を育てた風景を撮る〜」を見た。これを見た瞬間、全身にビビッとくるものがあり、咄嗟に求めてしまった。全一巻が数日後に届いたが、その重たいこと、10kgはあろうか。初版本には、著者自筆のサインと落款が押されており、落款には「眼界 永遠之日本 白川義員」とある。眼界とは、目に見える限り、考えの及ぶ範囲。物事を考え、判断する見識の意であるという。彼は撮影に当たっては、自身を縄文の時代に置き、縄文人の目で自然を直視し、自然は崇高で偉大で荘厳であると感じ、縄文人が抱いたであろう壮絶で深遠な畏れを体験し、それを凝縮している。大事な宝となる作品集である。英語でのタイトルは「ETERNAL JAPAN」である。これまで彼の作品は、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、デンマーク語としても出版されているが、この作品集も必ずや世界へ向けて発信されることは間違いない。

2013年2月2日土曜日

正月に巡った蕎麦屋

 平成25年(2013)正月に訪れた蕎麦屋を思い出してしたためてみた。
● 龜屋 かほく市白尾
 正月6日の日曜日、今年初めて家内と額菩提樹苑にある三男の墓参りに出かけ、その足で龜屋へ向かった。以前はともかく、今では家内も私もこの店には惚れ込んでいて、年に数回は出かけている。山側環状道路を通れば、自宅からでも30分ばかりで行くことができる。龜屋には11時頃に着いた。本来なら開店は11時30分である。いつも一番先に店に入ると、右手奥の小上がりの座敷テーブルに案内されるが、6人座れるテーブルに2人というのは気がひけ、その日もそば好きの女性を誘ったが、生憎と日曜勤務とかで2人で訪れた。15分位前に店主とばったり、中へ招き入れられた。そしてかの場所へ案内された。もし混んできたら一向に相席はかまわないのだが、これまで相席を頼まれたことはない。
 店主の西川幸一さんはまだ60代とか、店内には山の写真が沢山飾ってあるが、全て山へ行かれて撮ったのだという。オオサクラソウは白山でもある場所にしか生育していないのだが、その場所は知っておいでだった。店は長男の克幸さんが仕切っておいでる。店主が注文をとりに、お酒は私はここではもっぱら「立山」の冷酒、大概3合は頂戴する。家内は車の運転もありノンアルコールビール。酒肴には、そば焼き味噌、だし巻きたまご、板わさ、鴨焼き、にしん煮を、そばは家内は「天せいろ」、私は後で「おろしそば」を貰う。そばは4種類、十割の「田舎」、二八の「せいろ」、更科の「白雪」、それと「変わりそば」、この日は「柚子切り」だった。この4つから3つを選べる「三色せいろ」もある。天ぷらには季節の野菜と大きな海老がつく。1時間半余り、十分堪能した。聞けば次男さんは金沢の新神田で開業されたとか、いずれ案内差し上げますと言われた。
●  香り蕎麦  亀平(きへい) 金沢市新神田二丁目
 1月10日に案内を頂いたので、14日の成人の日に、女性一人を誘って出かけた。新神田の陸橋を渡って最初の交差点を右に曲がるとすぐ左手にある。昨年10月に開店したとか、探蕎会の世話人会で塚野さんから聞いた。営業は午前11時半から午後3時のみ、夜は白尾の方に帰るとか、今は店主の幸平さんと女の方と二人で切り盛りされている。お酒は日榮、酒肴はまだ数は少ない。そば焼き味噌、玉子巻き、揚げ出し、板わさを貰う。鴨南蛮や天せいろもあるので、抜きで頂こうかなと思ったが、今回は止めにした。2合ばかり頂いて、「二色せいろ」を頂く。これは「せいろ」と「粗挽き」の二色盛りで、十割は極細打ち、これは凄い。聞けば釜が小さいからとか。せいろは少し硬かった。これからの店だ。  
● 草庵 白山市鶴来日吉町
 1月20日の日曜に、やはり墓参りを済ませて鶴来へ向かった。最後に寄ったのは、囲炉裏端で1日10食限定の十割蕎麦を貰った時、べちゃっとしていて大変不味く、それ以来行っていなかった。この日は10時半に着いた。今年は息子の博英さんから年賀状が来ていた。この前の十割は親父さんでなく息子さんが打ったのだとあの時聞いたが、もう代替わりして任されているのだろうか。開店まで1時間ばかり、案内を乞うと奥さんが出て来られ、随分久しぶりですねと言われる。囲炉裏が無くなって2年になるとのこと、すると3年近く訪ねていないことに、随分のご無沙汰だった。今日は11時半からですので、白山さんにでもお参りされてきてはと、こんな早い時間、まだ客は誰も来ていない。
 5分前になって店へ、お客さんが集まってきている。丁度11時に中へ、座敷へ上がる。ここの酒肴はハイレベルで品数も多く、中でも鰊煮は右に出る店がないほどの逸品である。ほかに、板わさ、野菜天、鴨焼きをもらう。酒は八海山を延べ3合、大きな片口に入って出た。器も中々凝っている。そばは家内は「おろしなめこ」、私は蕎麦前を終えて「おろし」、この日十割は割愛したが、もう今では立派な打ちをしているのではと思う。
● 敬蔵 野々市市本町一丁目
 昨年11月に15日からは新そばを提供でき、12月には極上の猪肉を使った「猪鍋会席」を始めますとの案内を頂いた。猪は捕獲後しっかり血抜きしてあり、特有の臭みはないとか。ところが24日にお願いしたところ、猪が手に入らないとかで、その日は「そばづくし」で済ませた。1月半ばに電話があり、手に入ったとのこと、27日に出かけた。二人前が基本、家内は食べないと言うので、家内の姪を誘った。献立は、「前菜五点盛」「猪肉三種葱間串」「猪肉と黄芯白菜の蒸し鍋」「猪汁そば」「季節のデザート」、酒は菊姫と常きげん、家内は「そばづくし」。猪肉は臭みなく、特に串はバラ、ロース、赤肉とも大変旨かった。また猪汁そばは鴨汁そばの鴨を猪に置き換えた逸品。ただ蒸し鍋は今一だった。お陰でお酒がすすんで、二人で8合消費した。会席は一人3,500円、でも価値はあった。ちなみに敬蔵のそばは自家製粉ですべて十割、酒肴では鴨ロースが秀逸である。
● 蕎麦やまぎし 金沢市此花町
 求めて寄ることはないが、県立音楽堂に用事がある時は大概寄ることにしている。そばはすべて自家製粉の十割そば、私が頂くのは粗挽き粒が入っている極太打ち、これに岩塩を振り、財宝という芋焼酎で頂く。蕎麦と焼酎2合で1,100円。ほかに白と田舎がある。