標題の初出は「探蕎」会報第24号(平成15年11月29日発行)で、行事があったのは平成15年(2003)10月17~19日で、標題はその3日目(10月19日)の印象記である。 「晋亮の呟き」に転載する。
出雲探蕎行の2日目の宿は、湯村温泉の「さんきん」、誰だってあそこのお湯だけは貶せまい。単純泉のようだというが、湯上りの後の身体の火照りは何故か、微量成分のせいなのだろうか。不参の永坂先生なら解けたろうが。その先生差し入れの「吉田蔵」、昨晩のダイエー=阪神戦をネタに傾けたものの、未だ半分は残っている。それが気になって3時半に起きた訳ではないが、闇に乗じて内湯に出向き、ゆっくり浸かる。独占。ただ掛け湯が何時までも水なのには参った。湯上りに「吉田蔵」、窓の外の屋根に置いておいた酒は、程よく冷えていて、美味い。
皆さんお目覚めの後は、昨晩の申し合せで、春来川の川辺にある足湯へ出向く。三々五々、「さんきん」と焼印の入った下駄でカランコロンと。着いた温泉橋の袂の「荒湯」は何と98℃とか、濛々たる湯煙、続く同じフロアに「中の湯」「上の湯」、そして一段下がった川段に「下の湯」、とても人間様が浸かれる湯温ではない。因みに、卵は順に、20分、15分、30分で茹だるとある。昨晩の小塩・砂川御両人お土産の温泉卵は「上」で完熟、恐らく察するに、「中」も完熟だろう。半熟希望なら、時間を半分に。ところで、本来の温泉卵生産用湯は「下」らしい。卵ケースが何十も入った箱を浸けるのを目撃しているからだ。察するに、この湯の温度は、黄身は固まるが、白身は固まらないように調整されているらしい。ところで、川には所々お湯が湧出しているようで、キケンと書いてある。しかし何と、丸々と太った錦鯉が悠然と泳いでいるし、目を凝らせば、ウグイも黒々と群れている。
川沿いの散歩道の土手には、有名人の手形のリリーフがかなりの数見受けられる。何方の趣向なのか。でもあまり繁々と見ている人はいない。小生もそれに倣う。ふと、対岸を見上げると、手招きする会長と局長が目に入る。『君、此処へ来たら、あれを見なきゃ』の御託宣、流れ上手の森下橋を渡ると、そこは猫の額ながら「夢千代公園」とあり、夢千代像がお立ち、そして何と、ピカピカの吉永小百合さんの手形、川辺の手形が錆で皆黒ずんでいたのとは全く対照的である。小生も倣って触る。冷たいが、彼女の手と思うと、奇妙な感慨が湧く。ホンマモノなら、こうはゆくまいに。これだとチュッも可能である。会長の御託宣に忠実に従っただけのことはあった。
清正公園の展望台へと気が動いたが、誰もそんな素振りはなく、やむなく諦めて帰宿。そして朝食、ここで「吉田蔵」が空いた。因みに最後の「止め」は会長様、目出度し。空の吉田蔵は、美形の女将が「お預かりします」とのことで託することになった。昨晩はついぞそのお姿を見かけなかったのに。
朝の出発は9時、目指すは出石、そば屋は2軒程度、と、久保ナビ社長からのお達し。何をせずとも事が順調に運ぶのは、この人に負うこと極めて大、感謝々々。支度をして玄関へと下りたが、面々の顔はなく、どうも小生が殿になったらしい。通りへ出ると、彼方に手招きする女性が見える。急ぐ。そこには件のマイクロバスがいて、皆さんは既に御着席、女性に礼を述べて、感謝の握手をした。他意はなかったのに、誰とはなしに、役得との声が。後で聞いたのでは、宿のお嬢さんだとか。そうか、「さんきん」は女将とお嬢で守っているようなものだと納得した。それにしてもこの宿で、木村伊兵衛ばりの写真を撮り逃がしたが、それは後の祭り。
定刻少し前に温泉町を離れ、R9を経て、出石町へ向かう。途中、村岡町の道の駅では、特産の大粒の黒豆を求める人もいた。2時間弱で着いた。バスが停められる西の丸駐車場に入る。いよいよ出石皿そばの探訪である。駐車場には町の図とそば屋の在り処を印した大看板がある。数えて53、これまでツアーで2回、探蕎会で1回、都合3回の印象は、皿そばというスタイルが珍しいのみで、そばが美味かったという印象は全く無い。こう書くと、御当地御家老末裔の岩先生からは、お小言を喰いそうだが。ともかく、余り期待は出来ないということだ。ただ、この空前のそばブーム、良心的に美味いそばを出す店が、ひょっとしてあるかも知れないという淡い期待感も心の隅にあるにはあった。しかし、現実には、実現可能なのか。
今日の先導は、そばには薀蓄の深いナビ社長と、感の良い局長の両御仁。曰く。一、華美な広告の店でないこと。一、団体様御入来の店でないこと。一、大駐車場から離れていること。一、本通りでなく枝道にあること。加えて、ロールでなく手打ち。目標は立派で素晴らしい。
一行は三々五々、辰鼓楼のある町の中心部へ向かう。先頭は既に視界になく、探索の様子。殿は会長と小生の師弟コンビ、秋の陽を浴びてそぞろ歩く。至福の一時である。と、ある街角で、何方かが手を振っている様子、察するにこの角を曲がるようにとの合図らしい。前回に寄った「古都」を過ぎ、歩を進める。三つ目の角を左へ、皿そば屋が軒を連ねる。しかし先導は目もくれなかったらしく、姿はない。更に右へ、狭い路地へ入る。目指すは、「そば庄」鉄砲店であった。
店に入る。御一行の皆さんは既に御着席済み。当初の5条件を満たしていると見た。と、玄関脇を見ると、片岡康雄著の「手打ちそばの技術」という御本を旗頭に、そば・うどんに関する柴田書店の書籍が鎮座しているではないか。相当研究熱心とみた。よくこの店を嗅ぎつけたものだと感心する。ここまでに随分と沢山のそば屋があったのに、よくぞ誘惑を断ったものだ。
店には、女性2人、男性1人、昼時とあって、客が次から次へと入って来る。賑やかな店はそれなりの理由があろうというものだ。そばは10人前頼まれたようだ。店の中をうろつく。新そばは9月14日からとあり、北海道旭川産。今日のは旭川産と出石産とのブレンド、つなぎは山芋、いろいろ工夫しているらしい。程なく薬味皿に刻み葱と下ろし生山葵、小鉢に栽培した山芋(金沢での長芋か、これも元はといえば自然薯)のとろろ、そして極小卵(特別に調達?)、蕎麦猪口にそばつゆ。ややあって、出石そばと銘の入った出石焼きの小皿に、中打ちの田舎そばが、一人5皿、典型的出石手打ち皿そばである。
一筋すする。まずまずの出来。出石の皿そばを見直した。開眼である。しかし、今もって市販の駄そばを小皿に盛って、出石の皿そばでございと称している店があることも事実である。蕎麦猪口につゆを入れ、そばを食する。程よい加減。あっという間に5皿は胃の腑へ。済んだ頃合いを見計らって、件の肥えた姐さんが、「お客さん、本当の皿そばの食べ方は、皿のそばにつゆをかけて、お好きな薬味を載せて食べるのですよ」ときた。ほぼ全員が食べ終わってからである。憎い。探蕎会とあっては、再度挑戦せざるを得なくなった。追加の一皿は、通ぶって食されたことは、言うまでもない。一枚130円也。
帰り際に、姐さんに「もう一軒行きたいのだが、何処か」、すると「その所処で聞かれた方がよいですよ」、「じゃ、この辺りでは」、「甚兵衛、永楽、吉村ですかね」。
店を出ると、すぐ近くに「永楽蕎麦」はあった。御紋は永楽通寶、全国新そば会員とある。いやにお高い感じ。好みじゃない。でも店内は満タンだ。会長の発案で、もう1軒行く前に、腹ごなしに、沢庵和尚ゆかりの宗鏡寺(すきょうじ)へ行くことに。天気は上々、汗ばむ。緩い坂を上り切った突き当りが、目指す沢庵寺。但し、寺内には入らず、事情あって、門から内を眺めるに止める。
さて、再び永楽の前、相変わらずの混雑、10人全員は入れない。一案あり、半分は此処「永楽」、他の半分は「よしむら」へ。運命の別れ道であった。
永楽へは、先ず社長夫妻、続いて宗匠と館長、次いで戸口にいた小生、5人は奥の小上がりの木彫りのある座机に案内される。小生小用の間に、15枚頼まれたらしい。狭苦しい感じ、やがて蕎麦猪口、箸、薬味、とろろ、卵が運ばれてきた。3人分しかない。おあ兄さんがきたので「5人なのですが」と言うと、その返事たるや「だったら、5人前頼んで下さい」と捨て台詞、二の句が出ない。唖然。ややあって、そば15皿、社長夫妻ペアと宗匠・館長ペア、小生シングルの3組、ペアには箸が1膳のみ、仲睦まじい光景が現出したが、それはここでは読者の想像にお任せしよう。実に、千載一遇の極めて貴重な体験だった。流石、出石唯一の「新そば会」の店だけのことはある。終わった頃合いにお茶がきた。「あれっ、5杯」と言ったら、持ってきた肥えた姐さん、「内緒です」と。心優しい人だ。
帰りがけに「よしむら」を覗く。よしむら組はもう退散したようだ。誰が何枚食べたかという番付が掛かっている。こちらも混んではいるが、若いお兄さんの立ち居振る舞いは、新そば会員の例の店とは、その雰囲気が比較にならない位明るい。局長の言では、よしむら組の待遇は、永楽組とは正反対だったとか。明暗を分けたとは、正にこのことだ。
出石を去るときが来た。もう15分で1時となる頃、出石を発った。福知山から舞鶴自動車道を小浜へ、敦賀から北陸自動車道を金沢へ、途中、尼御前で解団、丁度夕日が日本海に没した。楽しかった出雲探蕎の旅は幕を閉じた。
帰宅して、夕食にと家内と「敬蔵」へ出掛けた。主人は家内の従兄妹の娘の旦那とあって、私の大概の週参も大目に。この日の晩は、蕎麦前の加賀鳶を信楽の片口に2杯、つまみに旬菜盛り合わせと鴨葱、秋の香りがする。時間も遅く、客はまばら。玄蕎麦は今は北海道幌加内と石狩沼田の産とのこと、秋そばは丸岡を予定しているとか。新そばは打ちやすいので楽しみとも。敬蔵は生粉打ちにこだわっている。初めに細打ちの「もり」、次いで太打ちの「田舎」を食する。当初はどうなることかと心配していたが、大将の持ち前の若さと真面目さと研究熱心さとで随分と良くなった。少し落ち着いて余裕ができたら、他店へもと、良いことだ。更に今後の精進に期待したい。
閑話休題
その一 波田野会長御持参の純米大吟醸酒のこと。名は「梵」、産は越前鯖江、蔵元は万延元年創業。先生の誕生記念に贈られたという極秘伝醸造の限定酒。バスに乗り込んで間もなく、先生からお毒味にとお預かりした。吟醸香は仄か、濃厚だが、べとつかず、スッと口に入る。飲み心地が実に良い。こんな酒は呑んだことがない。長生きはするものだ。「ふじおか」の親父も、もしこの酒と出会っていたら、蕎麦前は鄙願でなかったかも知れない。もっとも石高も小さいはずだから、供給は無理かも。皆さんにも少しずつ召し上がってもらったが、小塩さんと小生はとくと堪能させて頂いた。バスが揺れた拍子に、雫が床に落ちた。乾くと、その照りたるや、実に見事だった。
その二 出石皿そば最古の店のこと。「そば庄」の姐さんの言では、「南枝」とかだった。
[後記]
「新そば会」は別名「有名そば老舗店の会」ともいい、全国に100店舗あり、季刊誌「新そば」を発行している。私たちが入った「永楽蕎麦」は平成17年(2005)までは新そば会員だったが、平成20年(2008)にはその店名はなく、替わって「さらそば 甚兵衛」と「出石皿そば そば庄 鉄砲店」が名を連ねている。しかし、その加除の詳細はは不明である。
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