2011年7月25日月曜日

「蔵」では昔ながらの土蔵の中で手打ちそばと地酒を出す

 表記標題の初出は「探蕎」会報第21号(平成15年5月17日発行)で、訪問したのは平成15年(2003)2月6日である。  「晋亮の呟き」に転載する。

 2月初旬、宇都宮市で開催された予防医学技術研究集会に出席したのを機に、6年前に一度訪れたことがある「蔵」を再度探訪した。前には「この近くにそば屋は」と訊いて訪れたような気がするが、仔細は忘却した。ただ土蔵の中で、加賀の地酒の「菊姫」と「天狗舞」に出会い、「どうしてこんなところに加賀の酒が」と質した記憶がある。主曰く「諸国を巡って出会った美味い酒じゃから」。感動した。酒を飲んだせいか、肝心の手打ちそばの味はとんと覚えがない。「あの店はまだ健在か」と地元栃木の若衆に聞くが、「知らぬ」と言う。観光パンフにも記載がない。諦めかけた頃、「木村さん、ありました」と、電話帳には載っていたのでした。所番地は、泉町7-13。
 懇親会が終わった午後8時過ぎ、蕎麦には興味がないという連れと別れ、夜の泉町のメイン通りを西に向かって歩く。やがて夜目にもそれと分かる土蔵と「蔵」なる小さな灯が見えた。中に入る。客は居ない。「終わったのか」と聞くと、「終わったものもある」という返事。親爺の顔は見えず、声のみ。婆さまが仕切っている。以前と変わっていない雰囲気だが、入口右手のカウンターには、以前はなかった宇都宮の地酒、「四季桜」の四斗樽の薦かぶりがドンと鎮座していた。冷蔵庫はと見ると、加賀の地酒はなく、「八海山」「久保田」「〆張鶴」「王紋」の吟醸酒が並んでいた。頑丈な古びた机に向かって座る。先ずはと、樽酒を所望する。婆さまは受け皿にも溢れるばかりに注いだ杉の一合枡と摘まみの粗塩を入れた小皿を角盆に載せ、「どうぞ」ときた。今時、粗塩で枡酒を飲めるとは、長生きはするものだ。早速、枡の角に粗塩を載せ、一口、タイムスリップ、江戸時代の風情である。美味い。再所望し、次いで「そば」にする。十割は売り切れてなく、二八のみ、蕎麦は栃木の益子の某氏の生産とか、勿論、自家石臼挽き、「もり」を二枚頼んだ。
 そば湯も頂いて、大団円に近くなった頃、四人組とペアが御入来、見れば四人組は東京のご同業の元締め、「まあ、そんなに急がずとも」と言われ、座り直して、また枡酒。対手に合わせて付き合いしたところ、気付けば5回も所望していた。思うに、四人組の中の紅一点の妙齢の美女に当てられてしまったようだ。彼らも彼女も、やはり枡酒と「もり」、ピッタリなので、完全に意気投合してしまった。出て、三々五々、夜の冷気を浴び、宿へ戻った。余韻が心地よい。

 ところで、店を出るときに気付いたことだが、「蔵」は「栃木のうまい蕎麦を食べる会」の協賛店とあった。これは一体どんな会なのか。後日貰ったパンフレットには、曰く、黒枠で『栃木のうまい蕎麦を食べる会では県内の蕎麦愛好者並びに愛好会はもとより行政を含めた蕎麦のネットワークづくりによる地域振興を目指しています』とあった。大上段で、どうもスッキリしない。行政がかんだ会の協賛店など無用なのに。

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