2011年7月14日木曜日

平成14年度越前そば第二次探訪行

 表記標題の初出は「探蕎」会報第19号(平成14年11月5日)で、行事があったのは平成14年9月27日である。  「晋亮の呟き」に転載する。

 越前そば探訪第二次行は第一次行の2週後の9月27日の金曜日。当初の事務局からの案内では、「森六」と「うるし屋」だったが、当日会長からの御言葉では、一に「丸岡蕎麦道場」、二に「宿布屋」、三に「モリグチ」の予定とか、思うに、一は会長の独断、三は久保世話人の御推奨とみた。午前10時近く、当会お馴染みとなった某駐車場に集合し出発する。総勢8名、うち会長以下3名は第一次行にも参加している。6名は相川社長と前田事務局長の車に分乗、相川車を先導に、新神田経由野田専光寺線回りでゆっくり金沢西ICへ向かう。曇り後雨の予報だが、何だか持ちそうな気もする。高速道に入り、時速100kmで南下、女形谷PAで休憩、此処で私に印象記執筆の御下命、丸岡ICは程近い。高速道を下りて暫らく、前田車がポリスに誘導された。はて、でも秋の交通安全運動期間のキャンペーンと分かって一安心。霞保育園の園児と保母さんからワッペンと芳香剤を貰い、相好が崩れる。曰く「よそ見しないで運転してね」と。程なく海道電機店に、そして兄貴さんに先導されて道場に着いた。
1.丸岡蕎麦愛好会・丸岡蕎麦道場
 道場は坂井郡丸岡町長畝の海道清次さん宅の倉庫にある。立派な墨蹟の道場の看板が鎮座する。今は百俵とも思しき米袋が積み上げられ、見回すと、延し台十数組、捏ね鉢、駒板、蕎麦包丁、生舟、大きな電動石臼、電動おろし器、大鍋、強力バーナー等々、さすが道場と感心する。釜の傍にはパイプから清水が迸り出ている。冷たく美味しい。訊けば、近くを流れる竹田川の伏流水を井戸からポンプアップしているとか。勿体ない限り。羨ましい。そして左中奥には、こめぐらマルチストッカーと読める大きなプレハブの低温貯蔵庫が2機、温度11~13℃、右奥には、10人は掛けられるような大きな白木のテーブルがある賞味室、至れり尽くせりである。室の右手上方には、福井県知事認定そば匠第20号の認定額、福井県では現在36名を数えるとか。今日は愛好会の会長の海道さんの生粉打ちと、明日予選出場の佐藤さんの外一が用意されているとか、それぞれ今朝9時挽きのそば粉1.5kg、楽しみの始まりである。愛好会は現在28名、今日は会長さん以下5名の方の世話になる。
 少々時間があるとかで、蕎麦畑を見に行く。海道さんの蕎麦畑は10町歩とか、四方に白い蕎麦そば蕎麦の花が一面に広がっている。見事としか言いようがない。蕎麦自体も立派で、丈も揃っている。鳥越の三つ屋野など全く目じゃない。桁が違うという感じ。風がそよと吹いた。と、えも言われぬ匂いが、馬糞かな、鶏糞かな、愛好会の方が言われたことは本当だった。初体験。
 海道さんは専業農家、作付けは20町歩、半分の10町歩を交互に、稲は春に植えて秋に収穫、秋には麦を蒔き翌夏に収穫、麦の後にはお盆過ぎに蕎麦を蒔き晩秋に収穫、翌春には再び稲をという1.5毛作を実践される勤勉篤農の人、凄いバイタリティーを感じる。
 帰倉すると、延しも上がりの工程、角出しも終わり、畳み込まれ、切りに入る。リズミカルに駒板と包丁が動く。堂に入っている。そばの束が桐と思しき生舟にきれいに並べられて、打ちは終わった。傍らで大根のおろし汁が瞬時に作られる。
 やがて、沸騰した大鍋に、そばが捌かれて入れられる。茹では2分弱とか、上げられ、傍らの豊富な冷水で〆られる。出来上がり。四立てを見届けて、奥の部屋で待機する。
 茗荷と舞茸の天揚げが出る。この時期、山菜・木の芽がないとの断り付き、浅葱の輪切り、竹田の豆腐も出た。始めに生粉打ちの「おろし」、仄かな香りと適度な歯ごたえ、堪能し、もう一皿所望する。会長持参の松江の特別純米酒「李白蛾眉山」が実に合う。差し入れに越後の「雪中梅」本醸造も出た。至福の時が過ぎる。暫らくして蕎麦と豆乳のムースが出るという。何とも器用な面々である。汁も自家製とか。好みは各個人それぞれとか、さもあろう。
 次いで外一が出た。喉越しはこちらの方がずっと良い。伺えば、催しなどでは二八が最も人気があるとか、十割に拘ることはないのかも知れない。また二皿頂戴した。見れば局長も同病のようだ。曰く、他処は止めにして、此処で打ち止めにしては。丸岡では、そば屋が育たない訳が分かろうというものだ。でも、後の二軒を割愛するという訳にはゆくまいて。他の面々は適度に調整されている様子、涙ぐましい努力と言うべきか。
 しかし、この端境期に、この味。通常の貯蔵では、夏を越すと間違いなく味が変わってしまうのに、此処では温度のみでなく、湿度管理もされている。昔はよく乾燥して貯蔵したらしいが、今は半乾きの状態がベストとか。波田野会長が今年の収穫の段取りはと、含みを込めてやんわりと海道会長にお尋ね。お答え、始まりは11月3日、終りは20日頃、初賞味は11月6日頃、蕎麦の実がこぼれる前に刈り取るのが原則だが、近頃はもう少し早めにという要望が多いとか、その方が香りが良いそうである。何とかして、再びこの道場を訪れ、「新そば」を賞味できないものか。
 終りに近く、両会長じっ懇の内科医の福岡先生が見えられた。先生はオーバーワーク気味の海道会長の健康管理医でもある。大のそば好き、そば談義に花が咲いた。先生は午後の診察があるとかで先に帰られた。我々も感謝々々で道場を辞した。
2.一乗滝
 高速で丸岡から福井へ、下りて朝倉遺跡へと向かう。道すがら、彼岸花ともいう真っ赤な曼珠沙華が実に印象的だった。遺跡を通り過ぎ、一乗滝へ着く。縁有りげな佐々木小次郎の像、滝には注連縄、ただ滝口が放水口のようで、風情は今一。寺田・橋場・木村の3人が滝口を実状視察、すると案の定、右岸の岩に導水路が穿たれていた。自然の方がどれだけか良いのに。
3.「宿布屋」
 返して、旧知の「宿布屋」に至る。チャボが沢山いる。雄が多い。鶏の習性からして、共存しているのが不思議だ。入ると、右手に「当店はおろしそば一本」とある。500円。土間と上がり框、机が三つ、田舎丸出しの素朴さ、でもそれが此処の魅力でもある。暫しの後に「おろしそば」が運ばれる。黒い平打ちの田舎そばに辛味大根のおろしと葱、新そば入荷とあったが、北海道産なのだろうか。汁が掛かっていて香りは判じ難いが、味からはどうもそうらしい。でもこの固さと歯ごたえには、好き嫌いがありそうだ。
4.「モリグチ」
 有料の永平寺道路で山越えして、大野往還を「モリグチ」へ。クリーム色の瀟洒な洋館、しかし定休日で扉は閉まっていた。看板にはソバの字はなく、扉に小さく品書きが、憎い。またの来館をということか。
5.平泉寺・白山神社
 往還を更に東へ、勝山城を過ぎ、平泉寺に至る。往時は六千坊もあったとか、白山越前禅定道の登拝口である。禅定道は他に加賀と美濃があるが、現在石川県側から最もよく登られている登路は、越前禅定道の 越前平泉寺ー三頭山ー小原峠ー加賀市の瀬ー白山 の後半部なのである。腹ごなしと称し、大杉が林立する参道を平泉寺拝殿、更に白山神社本社へと至る。戻って、小生を除く七人衆は名物のソフトクリームに舌鼓。実に満足そう。
6.「勝山食堂」
 三軒目は前田局長の推薦で「勝山食堂」となり、往還を勝山市内まで戻る。時に午後5時、中に入る。堂内は広くない。机が4脚、さすが食堂とあって、何でも有り、「おろしそば」を所望する。そばに先立ち、福井県産の蕎麦で醸した蕎麦焼酎「越前おろしそば職人」のそば湯割を頂く。身体中に浸み渡る。程なくそばが来る。そばは二八か、そば皿に盛られ、上には葱と鰹節、別におろし汁、典型的な優等生スタイル。見た目にも実に清々しく正に最後の〆に相応しい。これにて今日の打ち止め。素晴らしい一日であった。闇の中、谷峠を越える。漸く雨がポツリと来た。

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