2011年7月12日火曜日

東海・伊豆蕎麦銘店探訪 初日の巻

 表記標題の初出は「探蕎」会報第15号(平成13年12月6日発行)で、行事があったのは平成13年(2001)11月9~11日で、標題はその初日(11月9日)の印象記である。  「晋亮の呟き」に転載する。

1.はじめに
 いよいよ探訪の日、車に乗り込んでいそいそとしていると間もなく、「木村君、君今回の探訪記を書き給え」と師匠波田野会長の御託宣、暫らく楽をしていたものだから、そろそろかなと思っていたらやはり、覚悟はしていたものだから、すんなり引き受けてしまった。しかしささやかな抵抗、「初日は面倒見ましょう。しかし、二日目、三日目は何方かに・・」。会長も弟子可愛さに、じゃあと、二日目は太田宮司に、三日目は頼子お嬢に決まった。
 さて、書き始めて、案内には「銘店」とあったが、「名店」ではと辞書を繰ると、名店は有名な店とある、が銘店はない。ではと類語を見ると、銘木と名木があった。前者は形・木目・材質に趣のある木材、後者は由緒があって名高い木、優れた香木とある。となるとやはり案内の「銘店」が今回の探訪に相応しいか。
2.出 立
 霜月九日、明けやらぬ薄闇のなか、とある私設ではあるが準公設ともいえる無料駐車場に、会長以下総勢十五名の面々が集まり、賃貸し自動車に乗り込んだ。狂牛病のとばっちりで涙ながら不参の塚野名人と風邪で初参加は御夫人のみとなった和泉旦那が見送るなか、正六時に西金沢を出立した。運転は言わずもがな探蕎会専属のお抱え?とも言える名運転手の砂川旦那、お陰で残り十四名の面々は大船に乗ったようなもの、加えて人間ナビの久保旦那が水先案内とあっては、何の心配も要らず、久保・今村両会員差し入れの銘酒を飲みながらのほろ酔い道中となった。
3.島田の藪蕎麦「宮本」
 高速を北陸・名神・東名と乗り継ぎ、三時間足らずで吉田に至り、此処で下りる。北へ向かうと、程なく今日のお目当ての銘店「宮本」らしき「蕎麦商」の看板が左手前方に見えた。名はない。車通り激しき道路に自動車を止め、久保旦那が尋ねに入る。と、正に「宮本」そのものであった。正にナビ、車から降り、そぞろ店に入る。入ると左に曰く有りげな巨石、時に午前十一時八分、まだ他に客はいない。
 店は、上がりの間の四客三机、奥の間に四客二机、相席ならば二十名を擁することができる。所は静岡県島田市船木二五三の七、店の名は「藪蕎麦・宮本」、営業は午前十一時半から午後四時まで、売り切れ御免、予約不可とある。「そば」はすべて自家製粉、玄蕎麦は契約栽培、限定で手挽きも、「そばがき」は前日予約、等々。
 三々五々、奥の間に八名、上がりの間に七名が陣取る。残りは一机のみ。主人ならずとも占拠が気になる。座ると間もなく、細君と娘と思しき女人が、高さは二寸はあろうか、末広のお湯割が似合いの陶器の杯を配り、中は特製の水だと、在り来たりの店ならば蕎麦茶を供するのだがと思いながら口にする。何の変哲もない?と感じたのでは、浅学非才、味盲の誹りを受けよう、銘店とはかくあるべきなのか、先制強打を浴びる。さて、ともあれ、「そば」に先立ち、先ずは冷酒の「水酒」、それに酒の妻には何をと頭を寄せていると、細君曰く、『予約で聞いているのは「そば」だけですけど』、度肝を抜かれ、ではと「水酒」と「ざるそば」を所望する。程なくすっと「水酒」が塗りの一合枡に正一合、白い角の受け皿に鎮座して出される。天然塩と蕎麦味噌が酒の友、今時塩とは実に憎い。正にこれは美味しい水そのもの、あっと言う間に一合は消えた。もう一合は頼まねばなるまい、と思案していると、その時、奥の間から頼子お嬢が、続いて和泉夫人が、我が飲兵衛連の机に、合わせて二合も差し入れてくれたではないか、感謝感激。隣の机の連にも振る舞ったのは言うまでもない。
 ややあって「ざる」が出される。出てくるのは一度に三枚三人止まり、小振りの笊に細打ちのそばが貴重品のように、まるで河豚刺しか禿頭にある残り少ない頭髪のように載っている。汁は辛い。先ず数本をそのまま食する。芳しいそばの香りがする。もう一度そのまま、後は汁を極少々漬け、ずずっと一気に飲み込む。この時発するずずっは決して無作法ではなく、むしろそばを味わうに最も適った作法とか。細打ちのそばには薬味も邪味になるとか、となると、水そばが一番か、塚野流蕎麦道である。そばの腰も喉越しも申し分なく、絶品、心酔した。そう言えば、珠洲上戸の「さか本」を思い出した。
 一度に三枚、一枚目が皆に行き渡るのに十五分はかかろうか、もう一枚所望する。わざわざこのために朝飯を抜いてきた御仁もあり、気の毒としか言いようがない。一枚ではとても腹の足しには到底なり得ない。五枚は必要か、だが、一枚八百円、追加六百円、とすると三千二百円、とてもじゃないが二の足を踏まざるを得ない。汁は別。而して「ざる」は二枚、そして欠食の人を慮って、更に石臼手挽きの田舎そばを一枚と相成った。「田舎」は幾分太め、笊中央に盛られている。星が綺麗だ。量は「ざる」と同じ、大食漢なら二口か、誰言うともなく「たかうまそば」、正に言い得て妙、しかしうっまい。
 蕎麦湯が来る。盃に少々入れてみる。透明だ。聞けば、そんなにまだ茹でてないからとか、しかしややおいて次に出てきた蕎麦湯も濁っていない。何か訳有りげだ。
 肴も賞味と、「にしん棒」千五百円と「天ぬき」千六百円を各机に一品ずつ、季節ものの「合い焼き」千七百円を一品注文する。「にしん棒」はもちろん自家製、辛めの汁でことことと一週間炊いた飴色の逸品、上等の酒の妻、「天ぬき」は古伊万里風の染付け碗にぷりぷりの小海老のかき揚げ天麩羅が薄味の汁に浮いていて、汁が何とも旨い。「合い焼き」は食べそびれたが、脂がのっていて美味しかったろうなあ。
4.店主の宮本さんに聴く
 会長が例によって主人にお話を伺えませんかと細君に持ちかけたところ、けんもほろろに『うちの主人は話し下手で、人前ではとても話せません』とのこと、諦めていたところ、急転直下、『応じましょう』ということになった。総勢十五名、奥の間に集まり、代表質問は自然の成り行きで波田野会長がする。
「池の端の藪で修行なさったとか」。
『そうなんです、十年近く。それで池の端の藪の浜松支店を出さして貰ったのですが、台風で潰れ、それで故郷の島田へ帰り、そば一筋にやって参りました。初めは大変でした。漸くという感じです。もう二十年を超えました』。
「玄蕎麦はどちらのものを」。
『福島、それに四国の祖谷です』。
「最初に出てきた水は」。
『水道水をある仕掛けを使って濾過したものです。井戸が掘れないんです』。
「あの水酒の銘柄は何ですか」。
『県内のものです。水で薄めては居ません』。
「一盛り何瓦ですか」と前田事務局長の関連質問。
『特に。適当です』 はぐらかされてしまった。
 ややあってー
『実は来週か再来週、娘と母が金沢へ行くのですが、加賀料理と蕎麦の店を推薦してくれませんか』。
 そうか、合点がいった。我が意を得たりと、異口同音に推奨の店が飛び出る。
「それなら木倉町の五郎八」、「それより大工町のよし村」、「いや、並木町の魚常」。
 ただ何故か、蕎麦は草庵しか出なかったような気がする。
 御主人は磁器が好きで、中でも古伊万里に興味を持たれているとか、そう言えば、夥しい猪口の収集、それに出てきた碗を見ると頷ける。
 この間、客二組、そろそろ占拠を解かねば、・・・。
5.柿田川公園の湧き水
 辞して、高速で沼津へ、三島に入る。「究極のそば」なる看板が目に付く。
 柿田川の散策は雨になった。小生は初めて、再来の人の言では、湧水の量の減が目立つとか。誘われて散策に、土の路と木道と、途中に赤紫の釣り花を付けた釣船草と薄赤の集合花の溝蕎麦の群落を見る。昔の田舎を想い出す。紫の東国薊も散見された。
 ふと、湧水量の減は、もう何十年もの間、毎年々々、登山者の糞尿を富士の御山へぶちまけて来たので、目詰まりを起こしたせいなのではと思ったりする。その富士の伏流水とやらを口に含んでみる。冷たいともっとキリッとして美味しかろうにと思う。
6.新井(あらゐ)旅館
 銘店探訪初日の宿は、修善寺温泉の新井旅館、文化財の宿と銘打ってある。一棟を除く十五棟が登録文化財とか、恐れ入る。宇治平等院を模したという玄関を潜り、探蕎会一行は桂川の清流を導き入れたせせらぎを大きく跨ぐように架けられた、これも文化財の「渡りの橋」を渡って、寝所の総赤松造りの霞の棟に入る。文人墨客が逗留したという由緒ある部屋々々、心が静まる。窓下には桂川の流れ、瀬を流れ下る川音は、ゴウゴウと聞こえ、雨がザアザアと降っているようにも聴こえる。川に迫り出した以呂波楓の紅黄葉が綺麗だ。別天地。よくぞこんな素敵な宿を選定して頂いたものだ。深謝する。
 先ずは、この時間殿方が入れる天平大浴堂へ、大浴場ではなく大浴堂であるところが文化財の貫禄か。巨大な自然石を利した天平風の堂、直径が四十厘米もある檜の柱が十五本、これが堂を支えている。高い天井、天頂には湯気抜き、何とも不思議な気分である。天然の岩風呂。近代の設備は何も無い。洗い水は、木製の掛け湯桶で、お湯と水とを汲んで混ぜ、程よい温度にして用いるという、文明とは隔絶した世界。
 お湯はこのほかに野天風呂の「木漏れ日の湯」と「あやめの湯」、こちらは午後一時から夜中の十二時まで姫方、殿方は午前零時からとなる。野天は明朝にしよう。
 午後六時半、御夕宴会、席には今夕の献立書、晩秋の十一品が記されてある。曰く、先附に始まり、小菜、御碗、造里、焼物、煮物、油物、留肴、留椀、香物、水菓子。一品ずつ出る。酒は「富士の山」かと問えば、「天城山」だと、本醸造の熱燗。
7.おわりに
 今日は花金、お陰で満室、二人付く筈の仲居さんが一人で転手古舞い、わけても新人なのか捗が行かない。それでも招福の一時を過ごす。七代目若女将が挨拶に、多少の不都合は帳消しだ。宴は盛りを過ぎ、中締め。明日はこの旅館の文化財の案内を特別にお願いする。
 初日も終わりに近づき、漸く開放の時を迎える。明日も明後日も伸び伸びと振る舞えるぞ。至福の時を過ごせるぞ。開放感が漲る。でも、手放しで喜ぶわけにはゆくまい。帰ってからの作文がある。気懸かりだ。

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