表記標題の初出は「探蕎」会報第19号(平成14年11月5日発行)で、訪問したのは平成14年(2002)9月23日である。 「晋亮の呟き」に転載する。
小学館から「サライ」という半月刊誌が出ている。かなり有名なので、諸兄姉もご存知かと思う。その編集の面々が別途に「ショトルシリーズ」を編んでいるが、その近刊に「真打ち登場!霧下蕎麦」がある。これには霧下蕎麦を標榜する11軒が、各店4頁の割で紹介されている。ところが表題の『信州霧下そば庵』はトップでしかも倍の8頁、これは恐らく、女主人の若月一子さんがまだ庵を開く前、「サライ」の発刊当時から1年間にわたって、黒姫山麓の農事暦を連載してきた労に報いたものだろう。この連載もまとめて上梓されているが、これによれば、農家ではそばを打つこと自体、ごくありふれた日常茶飯事なのだということである。
9月下旬の連休、家内と秋の志賀高原を堪能しての帰路、霧下の庵をぜひ訪ねたくて信濃町ICで高速道を下り、JR黒姫駅の近くとかで、とにかく駅へ向かった、というより、向かおうとした。ところが折からの霧雨、山は見えず、感ナビは全く機能せず、完全に方角音痴となる。道はT字路に突き当たり、ままよと右へ曲がったのが運の尽き、後で気が付けば逆だった。しかし暫らく走っていると、黒姫駅左折との小さな案内板が見えた。でもそれに安堵したのも束の間、今度は細く曲がりくねった道に、またも辿り着けるのかという不安が過ぎる。10分は走ったろうか、こんなに遠いはずがないと思いながら、なおも進む。でも看板に偽りなく、やっと木の間越しに架線が見えてきた。近かったのに、ぐるっと大きく遠回りしたようだ。どうやら無事に駅裏に着いた。
駅前は工事中とかで、駐車もままならぬ状況、数階建ての「信濃屋」が見えるが、目指す庵は何処か。止むなく家内を目指す庵の在り処を訊きに派遣する。待つこと暫し、一枚の案内図を持って帰って来た。曰く、庵への道筋は極めて複雑なので、経路を間違えないように、また目指す場所では庵を見逃さないように、と念を押されたとか。此処まで来てこの苦労、本当に参った。細い砂利道を右折左折、ゆっくりなので、空き地に車を寄せ、後続の数台の車をやり過ごす。と、神仏の御加護か、右方向、細い路地奥に、「若月」とある。とうとう到着した。駐車場には1台の駐車スペースのみ空いていた。ラッキー。やり過ごした車達は坂を下って行ったが、やがて間違いに気付き引返して来たものの満車、間一髪であった。
場所は住宅地の外れ、隣には狭い畑もあって、黒い実と白い花を付けた蕎麦が植わっている。葱もある。折からの霧雨、寒い。駐車場は12台分、でも15台いる。7台は長野ナンバーだが、あとは東京、埼玉、愛知、新潟、富山、石川。「サライ」の影響なのか。着時刻は午後1時、昼時なので、混んでいるのではと覚悟はしていたが案の定、玄関に1組、外に2組、小生が4組目、車に待機が3組、凄い。中は満席の様子、しかし動きは全く無い。20分しても誰も出てこない。寒さで震えているのに。
と、隣の「手打ちそば工房若月」から、写真で見覚えのある女主人が、箱に山盛りにした「そば」を抱えて足早に庵に入るのを目にした。それにしても無神経・無造作な「そば」の扱い、全く動きが無かったのは、肝心要の「そば」が無かったせいだったのか。ふっと「売切れ次第閉店」とあったのを思い出したが、今日はドロナワ式で稼ぐ所存なのだろうか。でもやっと辿り着けて、どうやらありつけそうなのは有難い。40分ほど待った頃、3人の美女がお出ましになり、入れ代わりに玄関の3人組が招じ入れられる。ただ彼女達の会話に、「美味しかったわねぇ」の言葉がないのが何となく気になった。さらに10分、今度はぞろぞろと、やっと寒さから開放されて店内に入れた。胸が弾む。乞うご期待だ。
店は、土間と上がり框、土間には4人掛けの机4脚、畳み敷きにはアベック(2人)用と家族(4人)用の座机がそれぞれ3卓、肩寄せ合わないと座れない狭さである。座して見回して驚いたのは、満席の誰にも「そば」が届いていない。とすると、前から居る客は、中へ入ったものの、お預け状態だったということか、これは気の毒千万としか言いようがない。3人の若いお姉ちゃんが、ご注文は、と席を回り出した。「かけそば」というのがある。寒かったからこれを一杯貰おうか。それにしても蕎麦粉十割の生粉打ちの「かけ」とはどんな味なのか。「天ざる」も所望する。そして会長を思い出し「おろしそば」も。腹が空いていることもあり、三品とした。ややあって、胡瓜の漬物1皿とてんば漬け2皿が届く。早々と手が出てしまう。これは美味い。さすが名人だ。
お品書きを見ると、ざる800円、大ざる1200円、天ざる1500円、かけ800円、天かけ1200円、おろし1200円、ほかにお土産用凍りそば820円、酒は特吟松牡丹とある。立って釜場を覗く。女主人は天麩羅揚げに忙しい御様子。傍らには男と見紛う妙齢の細身の女人が、大きな鍋でそばを茹でている。隣にはちょろちょろと栓から水が出続けている。そしてやおら、どっさりの「そば」を隣の水受けへ、大丈夫なのかと他人事ながら心配になる。やがて次には大笊へ、かなりの量だ。一回一掴みで笊へ、大盛りもあるようだ。かれこれ10枚以上は出来たろう。ほかに「天かけ」もある。これで待ちぼうけの半数以上には行き渡りそうだ。何ともその豪快というか無造作というか、とにかく驚いた。
やがて先客から順に「ざる」が届く。更に一巡し、注文して半時間後、先ず「かけ」が届いた。大盛りだ。刻み葱が乗っかっている。善光寺の七味をかけ、口に運ぶ。柔らかい。やはり熱い「かけ」は無理なようだ。でも早く食べないとこの「かけ」、この先どうなるか心配だ。小生が1/3を食し、残りを家内に託する。次いで「天ざる」と「おろし」が一度に来た。二品とも量は完全に大盛り、これだと「大ざる」とは如何なる量なのだろうか、想像を絶する。「天ざる」のそばを一箸たぐる。香りがない、味わいも今一。時期が悪いのは承知だが、『汁(つゆ)を浸けずに食べているうちに笊が一枚終わる』との御託宣には、とても程遠く及ばない。汁をつける。重く、甘い。家内はもう「かけ」は要らないと小生に戻す始末。ではと「天ざる」をと勧めるが、野菜天のみ食し、そばの方は半分も進まない。そして「おろし」は遠慮すると。「おろし」は大きめの丼に大盛り、汁がかかっていて、たっぷりのおろしが天盛りされ、その頂点に細切りの海苔がこれまたたっぷり。鰹節はない。天盛りの周りには玉蜀黍の粒の天揚げが所狭しと散りばめられ、かくなる「おろし」に驚嘆する。そしてそぞろ口に運ぶ。暫時置いたためか、そばは甘い汁を含んで重い。おろしに辛味は全くない。大量に辟易しながら、極めて失礼だが無理矢理に、汁はなるべく遠慮して、そばを一所懸命かき込む。汁は後で蕎麦湯を加えてと思ったが、とても飲めなかった。すごく満腹になった。通常の倍位はあったのでは。お土産に「凍りそば」をと思っていたが、その元気は消失していた。
帰路、家内は胸焼けがひどいと消化薬を飲んでいる始末。そして「口直しに美味しいそばを食べたいね」と。正に同感。
閑話休題
本には、若月さんが消費する蕎麦粉は年間8トン、地元柏原で契約栽培しているとか。でも、もし挽きたてだとしたら、玄蕎麦が悪いとしか言いようがない。とすると、保管・保存に問題がありそうだ。とにかく今回は絶賛の店の紹介を鵜呑みにしてしまったが、もう一度新蕎麦にチャレンジしてみるか。信頼回復なるか。
案内には、信越本線黒姫駅から徒歩5分、上信越自動車道信濃町ICから車で5分とある。しかし、簡単に到達するのは至難だ。車の場合、特に駅からのアプローチは複雑で、むしろ国道18号線からの方が優しいかも知れない。近くには、以前、探蕎会で訪れた、小丸山公園の一茶記念館が程近い。付近で尋ねる時は、柏原小学校の北裏のと言ったほうが分かりやすいかも知れない。
隣にある「手打ちそば工房 若月」では、予約すれば、指導料・材料費・試食込み 2500円で、そば打ち体験ができるそうだ。
2011年7月22日金曜日
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