2009年4月14日火曜日

再び五十谷へ「登龍門才次郎」を訪ねる

 大日川の支流の堂川の奥にある五十谷に「登龍門才次郎」を訪ねたのは3月28日の土曜日、車で出かけたこともあって、お酒を口にすることはできなかった。付きだしに出される野菜の煮物や山菜の漬物、フキノトウの味噌などは、お茶で頂いてもよいが、できればお酒の菜として頂いた方が風情があるというもの、ぜひ次回は運転手付きで訪ねたいと念じていた。その機会は意外と早く訪れた。それが4月12日の日曜日、いろいろ行事のある4月、たまたまこの日だけが家内も私も行事なしの1日、ではと、同伴に蕎麦好きの女性を二人誘ったが、一人のみOKだった。
 家内の運転で明るい日差しの白山麓をのんびりドライブする。桜は山路ながら満開、菜の花もまだあちこちに咲いていて、黄蝶も舞っている長閑な春の鳥越の道を辿る。この前は道を間違えて遠回りしたが、この日はスムースに「登龍門才次郎」に着いた。家を出たのが午前10時、着いたのは11時10分前、例の春夏秋冬の臙脂色の暖簾の下辺りに主人の後藤秀憲さんが座っておいでた。挨拶をしていると2頭の犬が寄ってきた。今日は主人が居るのか吠えない。吠えなくても客が来たのを主人が知っているからと思っているからなのだろうか。犬の大きさは中位、静かでずんぐりした方が雄親の龍、精悍で前に来たときには吠えて来客の案内をしてくれたのが子の秀丸、親子でありながら性格がまるっきり違うと仰る。
 中へどうぞと言われて入る。入ってすぐに岩魚を3尾注文する。青森の馬刺しは今日はないとのことだ。土蔵の中では囲炉裏の縁に陣取る。付きだしに野菜の煮物、多種な山菜の塩漬け、それにシャク(やまにんじん)のしめものが出る。お酒の冷やをお願いする。ややあって、まん丸な萌黄色をした銚子に口切りにお酒が、ぐい飲みを2個、連れの彼女と私の分、家内は運転手だ。外は暖かいが、蔵の中はひんやりしている。何となく囲炉裏の側がよい。今日は外が暖かいので戸は二つとも開けっ放しにしてある。お酒は実に飲みやすいお酒、彼女もそうだと言う。やがて主人が岩魚を3尾串に刺したのを持ってきて、囲炉裏の炭火にかざして斜めに刺す。まだ生きていて鰓で呼吸をしている。家内も彼女も驚いている。奥さんがそばの注文を取りに来られ、私は「山菜そば」を貰ってみる。彼女たちは「ざるそば」にするという。連れの彼女は田舎暮らしでないのか、農作業や山作業に使う道具類が珍しいのだろう、しきりと家内に何に使うのかと尋ねている。家内の実家も昔は3町歩の自作農、昔を思い出すという。今では農家でも全く見られなくなったものが所狭しと並べられている。言われて気付いたのだが、蔵の柱にミツバツツジの大きな枝が孟宗竹の花生けに活けてある。薄桃色の花が今を盛りの満開、蔵の中に生気を吹き込んでいる感じだ。これでどれ位持ちますかと聞くと、優に1週間は持ちますとか。からくりは水だと仰る。水は山の湧き水、水道水では3日と持たないでしょうと。通常の生け花だと、此処では一月位持ちますよと、此処の水は何か特殊な成分でも入っているのだろうか。
 お酒の銘柄は何ですかと聞くと、主人は今のは白鶴だと、道理で飲みやすい。もう1本お願いする。すると奥さんではもう2合はなく、1合ちょっとありますが、全部で3合ということでと仰る。申し訳ない。20分ほどして、主人が岩魚の表裏を逆さにされる。目の色が白くなった時が返すタイミングらしい。そばが来た。「山菜そば」はぶっかけになっていて、上にはいろんな山菜と削り鰹節が載っている。今日は正午過ぎに10名の団体さんがおいでることになっているとか、どうりでそばを頼んでから出てくるまでの時間が、この前は30分以上はかかったのに、今日は半分くらいだったのは、団体さんを見越して多く打ってあったのではと思う。その後「ざる」が2枚来た。そばは生粉打ち、ただ今日のは一見素人切りと思われる不揃いなものが散見された。それも愛嬌か。
 11時半頃、二人連れが入ってきた。ここ五十谷の水が美味しくて汲みにきたのだと。どこにあるのかと聞くと、此処の下手200mばかりの処だと。この前も、今日も、道なりに通ってきたがついぞ見かけなかったが、どこなのだろう。とにかくこの水でご飯を炊くと素晴らしい味になるので、かかせなくて時々採りに来るとか、今日は20ℓのポリタンクを3個新調して、100ℓ汲んで帰るのだと。主人では、水は3箇所から出ていて、水は3つとも個性があって味が違うようだと。水の通り道が3つとも違うので、途中で溶かしてくる成分が異なるのだろうと。一度コーヒーを立てるのに3つの水を別々に用いてもらったところ、1番の水はコーヒーには向かないと言われたとか、2番と3番はOKだったという。面白いものだ。お二人を囲炉裏端に誘う。彼らは「おろしそば」を注文した。話を聞いていると、水を汲みにくる時々に此処へ寄られている様子、よく此処のことを知っておいでだ。「おろし」もそんなに時間をとらずに届いた。この前私はおろし汁にそばを潜らせていただいたが、彼らはぶっかけ、辛いのが得手でないのか、おろし汁を沢山残してしまった。
 岩魚をもう一度反しに来られる。お酒は無くなってしまった。囲炉裏の隅に網が置いてあって、上から吊るすようになっている。何に使うのかと尋ねると、お客さんがよく揚げを下の村で買ってきて、それをこの網に載せて焼くのだとか。飲み物でも食べ物でも持ち込んでいただいて結構ですと、なんとおおらかな。件の豆腐屋まで教えていただいた。正午近く、二人は帰っていった。漸く主人が横長の皿を持ってきて、焼き上がった岩魚を外す。飴色になっている。家内と彼女が岩魚を毟って食べようとすると、主人が頭から食べられますから、そのままかぶりついて下さいと。しぶしぶ言われたとおりにしているが、頭も骨も内臓も、何の抵抗もなく食べられる。家内と年に何回かは庄川へ鮎を食べに行くが、決まって頭は私が食べる破目になる。しぶしぶでも全部食べたのを見て、溜飲が下がった。主人に入ってもらって写真を撮る。それがきっかけかどうかは別として、次の団体さんが着くまでの30分ばかり、いろんな話を聞かせてもらった。
 主人がここ五十谷に来たのは15年前、あちこち廻っていて出合ったあの大杉のことが忘れられず、やっとこの地で再会したと。向かいの爺様に土蔵を譲って頂き、稲を作ろうと託された2町歩に無農薬無肥料でと挑戦した。ところがすき込んだしめかすが後で効いてきたため、他ではもう黄色くなっている稲が青々としていて、しかもイモチ病に罹り、無農薬どころではなくなった。農機具も新品のを揃えたが、1年で諦め、以後は蕎麦打ちに専念することに。今は下にある柳原町の農家が、この辺りの水田を一括経営管理しているとか。
 夏の海水浴の時期、ここの主人は越前海岸の鷹巣海水浴場で浜茶屋を経営しているという。以前は早起きしてその日の分のそばを打ち、3時間かけて浜茶屋に着き、済むとまた山へ帰ってきていたが、とても続けられず、主人が単身行くことにして、その間は才次郎は休みということにしたと。犬がいるので、二人とも空けるわけにはゆかないと。以前は二人とも居ないときは、1日分の餌を置いて出かけたが、犬の餌は烏が先に失敬してしまって、残りを犬が食べる破目になっていたとか。烏につつかれるのを嫌ってのことだったとか。烏はどこから来るのか、中々強かだ。
 ここの山中には、熊、カモシカ、猪、狐が出てくるという。雄親はおとなしくて家の近辺にしか居ないが、あの吠える子犬、といっても大きいが、この犬は熊にでも立ち向かっていって退散させるという。だから動物の心配は一切ないという。
 今は「生け」は岩魚だけだが、以前はスッポンも置いてあった。ある時大きなスッポンが大雨があったときに逃げ出した。丁度2年後、車を走らせていたところ、下の柳原町の鳥小屋のところにスッポンがいるのを見つけ、連れ戻した。この辺りは蛙など餌が多いので生き延びたのだろうと。2年間で3km強歩いたことになると。その後そのスッポンは鍋になり、その甲羅は蔵に陳列されてある。今はスッポン鍋(5人前)は2日前に予約してもらうことにして、金沢の業者に頼んで仕入れているという。以前は岐阜の宝川村から取り寄せていたというが、そこでは生きたスッポンの出荷は止めてしまったという。私も何回か寄ったことがある。
 そうこうするうちに12時半になり、予約の団体さんが着いたようだ。秀丸が元気に吠えている。
 帰り道、道筋の「相滝」と上吉野の「花川」へ。花川の箸置きのニリンソウが清楚だった。

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