2009年4月22日水曜日

大学卒業後50年の同窓会を京都で


 私は金沢大学薬学部に昭和30年4月に入学し、昭和34年3月に卒業した。入学したときには学友は41名(男30女11)いたが、一般教養課程1年半後の専門課程への進級に際して、教養の物理学の単位を落としたために進級できずに留年した級友が6人(男5女1)出た。実際には7人が60点未満で再試験を受けたが、再試をクリアできたのはたった1人(男)だけという厳しさ、薬学部40人学級で大量6人の留年生が出たのは我々の年次だけだった。ということでクラスは35名となり、上のクラスから病欠で留年していた人1人を加え、昭和31年10月に専門課程に進級できたのは36名(男26女10)であった。当時の薬学部では理科は生物と化学が必須だったこともあって、高校で物理を選択しなかった人もいたのに、教養の物理の担当教官は新進気鋭の若い先生なこともあって、のっけから数学が中心の授業だったため、ついてゆけない人が多かった。この先生は次年度には別の大学へ移られたようで、次年度のクラスは全員が教養の物理をクリアできた。
 さて、私たちが卒業したのは昭和34年、卒業時の同窓会に「ゼレン会」という名を誰が付けたか定かではないが、我々のクラス員の単数もしくは複数のメンバーが決めたのは間違いない。ところで私は卒業式には出たものの、その前の1ヵ月半は胃潰瘍・十二指腸潰瘍で吐血し、大学附属病院に入院していて、卒業前の卒論発表や卒業旅行等のセレモニーの数々には一切出られなかった。今でこそ潰瘍での切除手術は滅多にないが、当時は今日の胃がんのように、切除するのが当然だった。当時私の主治医は医学会総会か何かで半月ばかり病院を留守にされ、その間にかなり回復したものだから、腹切り猶予となり、命拾いした経緯がある。ということで昭和34年卒の同窓会の会名のいわれを全く知らずに今日まできた。ところでゼレンの名の元は元素記号だったということを、今回の同窓会に出席して初めて知った。元素番号34の酸素族の元素は、英語読みではセレンもしくはセレニウム、ゼレンはそのドイツ語読みである。元素記号はSeで、名前の由来はギリシャ語の月を意味するseleneに因るという。命名当時は今より50年も前のこと、今でこそ光電管や整流器に多用され、人体にとっても必須の元素だが、当時はそれほど利用価値が高いとはされていなかったのではなかろうか。
 これまでゼレン会は1年おきに開催されていて、昨年は金沢での開催、今年は開催の年ではないのだが、卒後50年の節目ということでの臨時開催ということになった。関西在住の連中の世話ということで、京都での開催となった。日は4月19日と20日の日曜と月曜、宿は京都市役所の南に位置する「三木半」という旅館。ゼレン子はこれまでに6名(男5女1)が他界しているので、現員は30名〔男21女9)で、年齢は72~75歳、そのうち出席したのは14名(男11女3)、会員夫人が2名あり、総員16名であった。ちなみに昨年金沢で開催したときの参加者は18名である。今年の欠席者は16名(男10女6)で、音信のない方が10名(男5女5)いたが、これまでの経緯も含めて想定すると、病気で参加できない方が11名〔男8女3)、自称多忙で参加できない方が5名〔男2女3)ということに。このうち病気で今後とも恐らく同窓会には出席困難と思われる方が7名(男5女2)いて、病気とは歩行困難、半身不随、がん転移、重度の肺疾患などで、このうちの2名は卒後50年間一度も参加していない。また多忙の理由としては、未だ現役でしかも経営者だからということで、会社経営1名〔女)、児童施設経営1名(女)、医院経営パートナー1名(女)、薬局経営1名(男)、調剤薬局責任者1名(男)となっている。現役ということでは、私も毎日勤務の雇われ現役である。
 病気については、この歳になれば大なり小なり持病があるのが当然だろうし、私なども10位の病名を背負っている。多いのは糖尿病、高血圧、白内障などの壮老年に多い病気、次いで道路や階段でのつまずきや転倒での骨折、それに椎間板ヘルニア、男性では前立腺肥大と前立腺がん、また少数ではあるが、心疾患、脳疾患、腎疾患の方もいる。ただ認知症の方は今のところおいでない。また逆にほとんど持病がなく、まことに元気で過ごしておいでる方が6人(男3女3)いるが、実に羨ましい限りだ。
  ゼレン子の方々の現在の住所分布をみると、東北では宮城に1名、関東では東京4名、埼玉3名、群馬と神奈川に各1名、中部では石川4名、富山3名、新潟と福井が各2名、長野と岐阜が各1名、近畿は大阪と兵庫が各2名、三重と和歌山が各1名、九州の佐賀に1名となっていて、ゼレン子は全国に散らばっている。北海道と中国・四国にはいない。
 私達は薬学部を卒業後に薬剤師免許を資格試験後に取得するが、果たして有効に活用されているかどうかをみてみた。これまでに薬剤師免許を有効に活用して、薬局経営や調剤等を行ってきた人は16人(男10人女6人)と半数で、現在もなお継続して携わっておいでる人がパートも含めて6人(男4女2)いる。また製薬会社(研究所、工場、営業)に勤務していた人が8人いるが、この人達はすべて男性である。また研究分野や教育分野に進まれて学位を取得した人が3人(男)いる。
 趣味の面をみてみると、ゴルフを時々する人は10人(男9女1)いて、同窓の仲間内では毎年コンペをやっているとのことだ。中には2桁台の人もいるらしい。彼らは単なる趣味ではなく、プロパで活躍し、営業の有力な武器として腕を上げた人達だ。また囲碁を本格的に楽しんでいる人が7人(男6女1)いて、皆さん初段前後の腕前だという。聞くとほぼ毎日、碁会所や老人ホームへ日参、中には有段者に教えを乞うている人もいるとか。この人達は当然勤務はしていなくてサンデー毎日、今は趣味として高度な囲碁を楽しんでいる。老いて益々盛んの感がある。ところで、将棋と向き合っている人は何故かいない。
 また今でも体力に応じた山歩きを楽しんでいる人も8人〔男5女3)いる。私もその一人だ。私が学生のとき、金沢大学山岳部に所属して活動していた以外に、薬専時代から細々と続いていた薬学部山岳部にも梃入れして同級の7人(全員男性)を引きずり込んで、春山、夏山、秋山とかなり大きな山行も手掛けた。私が在籍している間、1年下と2年下の連中も勧誘し活動した。夏山では、朝日岳から針ノ木岳までや立山から槍ヶ岳までの縦走、白山山系では残雪期に白山から大門山までの縦走、春・秋の中宮・大フクベ山経由での大笠山や笈ヶ岳、中宮道から白山へ登り、岩間道を下るなど、私は本部山岳部の活動以外にも薬学部にもかなりの力を割いた。ところで同級の旧部員のうち3人はもう山へは行けなくなっている。かえって在学中は山とは全く縁がなかった方で、卒業してから山に目覚めて山へ出かけるようになった方が何人かいる。女性に多く、例の山で出くわす中高年のおばさん連である。
 さて、現在30人いるゼレン子は全員結婚しているが、現時点で配偶者を病気や事故で亡くされた方が5人(男2女3)いる。病没が多いが、中には外国での交通事故で配偶者を亡くされた方もいる。このうち男性の方は2人とも再婚されているが、女性の方は再婚されてはいない。ところでその他の方々は仲睦まじいらしくお二人とも健在で、離婚された方はいない。
 以上のことは主催者の資料のほか、これまでの書簡からうかがい知ることができた資料及び昨年度まで私がクラスの連絡員をしていたことにより知り得た資料等を基に作成したものである。
 今年のゼレン会は、初日は午後4時に集合し、旅館「三木半」での宴会と駄弁り、翌日は貸切りバスでの京都周遊、年配のガイドさんの案内で、午前8時40分から午後4時40分まで、二条城、金閣寺、龍安寺、大徳寺、京都御所、清水寺を巡った。その後京都駅で解散となり、来年の再開を誓った。次回は来年、長野・松本在住のゼレン子の担当での開催となる。ゴルフをする面々はもう1泊して明日のコンペに臨む。

0 件のコメント:

コメントを投稿