2009年4月11日土曜日

若年性アルツハイマー病とともに生きる(1.26)

 表題は元東京大学大学院医学系研究科国際地域保健学教授(2006年3月退官)であり、脳神経外科医でもあった若井晋氏とノンフィクションライターの最相葉月氏との対談記録のタイトルで、出典は週刊医学界新聞第2814号(2009.1.19)である。この中で氏は自身が若年性アルツハイマー病であることを打ち明け、診断から病気を受け入れるまでの苦痛や、告白に至るまでの経緯を語られている。氏は医師と患者両方の立場から、奥さんの克子夫人も交え、現代のアルツハイマー病にどう対応すべきかを語られている。
 氏自身が「何かおかしい」という感覚を持たれたのは、現役で国際地域保健の関わりで中米ニカラグアに頻繁に行かれ、発展途上国の医療に積極的に携わられていた2003年のことである。でも本人はこれはニカラグア詣での疲れ位にしか感じとっていなかったという。ところがその後少しずつではあるが、身近ないろんなことが出来なくなってきたことに気付く。その中の一つに「漢字が書けない」ということがあったという。しかし情報の交換はメールやパソコンでのやりとりがメインであったため、仕事には全く支障がなかったし、しかも依頼された講演もすべて普段どおりにこなせたという。氏の長男も次男も医師なこともあって、二人とも「どうもおかしい」と感じ、ぜひ病院で視てもらうようにと母親に進言したものの、氏は一蹴して受け入れられなかったと。そこで奥さんは何とか受診させようと思い、以後氏がいつもと違うなと思ったような事柄があった際には、こと細かにそれを書き記すようにしたという。
 氏はとりわけ方向感覚が鋭く、車の運転も得意で、しかも何事もテキパキとこなす性格の人だったという。ところが2004年頃から、よく知っているはずの場所へ行き着くことができなかったり、車の運転が危なっかしくなったり、自動券売機でスムーズに切符を買えなかったり、銀行のATMでお金を下ろせなかったり、注意が散漫になったり、突然ハッと止まって「この次どうするんだっけ」とか、これまでなかったびっくりするようなことが次々に起きるようになったという。その後ある時、氏は奥さんに「僕はアルツハイマーではなかろうか」と突然言われたとか。奥さんはそうでないかと思ってはいたものの、とても口が裂けても相槌を打てなかったと、そして出た言葉は「加齢のせいではないの」と。そしたら氏は「きみはアルツハイマーがどんなものか知らないから、そんなに軽々しく言う」と怒られたという。氏は脳神経外科医でもあり、内々自分がアルツハイマー病であることを感じ取っていたのではないかと夫人は語られる。
 漸く説得に応じて受診されたのが2005年の12月、この年もニカラグアへ頻繁に出かけておいでで、体調不良なのはそのせいだと思っていたと。でもその病院の先生は診察はしてくれたものの、遠慮からか氏がアルツハイマー病かどうかは言ってくれず、別の病院を紹介してくれたという。氏は立腹され、氏の先輩でアルツハイマーの研究をしておいでる先生に相談したところ、自分は臨床医でないからと東京都老人総合研究所を紹介してくれ、当時の日本にはまだ3台しかなかったPETで検査したところ、間違いなくアルツハイマー病だと診断された。しかし氏は納得せず、画像を見て「なぜ僕がアルツハイマーなのだ」「海馬に異常が見られないのに、どうして」と何度も言われたとか。とにかく最初は「どうして自分がこんな病気になったのか」と、中々事実を受け入れられなかったという。そんなこんなの心痛で身体の衰弱がひどくなり、2006年2月には診断が確定したこともあり、氏は3月に東大を退官された。それから本人がこの事実を容認されるまで、さらに実に2年を要したと婦人が述懐されている。
 そこで先輩の勧めもあり、2年間は沖縄の病院で療養することにし、この間は院内での診療にも携わった。その後体調も回復し、帰京した年の4月には、日本キリスト教医科連盟JCMAの機関紙である「医学と福音」に、自身がアルツハイマー病であることをカミングアウトすることを決断された。この間、病気の進行のせいか、昔はガッツがあって働き過ぎだと言われる氏だったのに、病気が意欲を奪うのか、やる気がなくなったようになったとは奥さんの言である。ひょっとして「認識のかたち」が変わってしまったのではないかとも。それは例えば、洗濯物を取り込むのは大丈夫なのに、干すのはうまく出来ず、斜めになったり、ずれたり、とにかく真っ直ぐに干せないということがあり、これは空間認識に問題があるに違いないと思ったという。
 この時期、勧めもあって薬物治療を開始された。しかし病気の最初のサインがあってからもう5年を経過していたことになる。氏の言では、現在日本で唯一のアルツハイマー型認知症治療の保険適用薬である「アリセプト」と抗うつ薬と、海外の新しいアルツハイマー治療薬を内服しているとのこと、この保険適用外の新薬は日本ではまだ治験中なので個人輸入して服用しているとか。奥さんでは、薬物治療によって病気の進行に遅れが生じているような印象を受けるとも言われ、今のところ日常の生活に何ら支障はないとのことだ。
その後、氏と夫人は同じ若年性アルツハイマー病の家族会へ入り、同じ立場の方の話を聞くにつれ、皆さん同じような苦労をされているんだなあと、ホッとしたとも。とにかく氏も奥さんも初めての経験、もし同病の方々との接触がなく今まで通りだとしたら、きっと二人の間では波風が立っただろうと。しかし会に入っていろんなアドバイスを受けてからは、一緒に暮らすに当たって、「これは言っていけない」「これはしてはいけない」ことが分かってきたと奥さんが言われる。とかくこれまでは、「どうしてそんなことをするの」「ダメじゃない」「違うでしょ」と否定的な言葉が多かったけれど、考えてみれば夫は病気の身、今まで通りではいけないと思うようになったと。アルツハイマー病の家族会には、夫婦が一緒に暮らすのに「ダメ三原則」というのがあって、それは「怒らない」「ダメと言わない」「押し付けない」の三つ、これを実践することによって、主人も以前は短気ですぐに怒ったのに、本当に怒らなくなりましたとは奥さんの言である。
 公表の後、「読んで衝撃を受けました」という便りが沢山寄せられたとか。奥さんでは夫が脳神経外科医で、しかも本人がこのような病気になるということは極めて稀なことだと思われることから、今後ともクリスチャンとしての行き方を示したいとも。最後に氏は、とにかく「何かおかしい」というようなサインがあったら、躊躇せずきちんとした医師にかかって、本当にアルツハイマー病なのかどうか、そうならばそれをハッキリ受け止めて対応すべきだと。発見が早ければ早いほど早く対処できるとも。ああだこうだと悩んでいると、その間に日が経ってしまって、どうしようもなくなることもあるとも。そして医師には、専門とする医師の数は限られているので、一般医の方こそもっとアルツハイマー病のことを勉強されて、「何かおかしい」という最初の徴候をキチッと見極めてほしいとも。
 アルツハイマー病の原因は不明であるが、放置すれば病状が進行し、高度な認知症症状になる。ただ早期に治療に入れば、症状の進行を遅らせることは可能で、薬剤としてはアセチルコリン分解酵素阻害薬である「塩酸ドネペジル(商品名アリセプト)」が認可され使用されている。ただ、効くタイプと効かないタイプがあるという。ほかに日本ではまだ使用が許可されていないが治験中の「塩酸メマンチン(商品名エビクサ)」がある。これらはいずれも軽度及び中等度のアルツハイマー型痴呆における痴呆症状の進行を抑制するもので、病態そのものを改善するものではない。とはいっても、進行が止められれば、天寿を全うするまで病気との共存が可能である。
 表題の「ともに生きる」というのは、生物学でいう「共生」ではなく、むしろその実態は「寄生」もしくは「偏共生」である。例えばヘルペスグループに属するウイルスに人は就学前にほぼ全員が感染の洗礼を受けるが、感染後は死ぬまで体内のどこかに潜んでいる。これなど完全な「偏共生」である。しかし免疫能力が低下してくると「寄生」状態になり、発病することになる。したがって、「がん」にしろ「エイズ」にしろ、完全に駆逐できなくて残存していても、共に共存可能な方途があれば、それも治療の一つのあり方となろう。アルツハイマー病でも早期に発見でき、治療によって進行を食い止められれば、決して怖い存在ではなくなる。

0 件のコメント:

コメントを投稿