2016年10月27日木曜日

「蕎味 櫂」

 本年8月に行なった探蕎会の世話人会で、平成28年10月の会の行事は、前田事務局長の発議で、10月24日 (月) に、金沢市東山茶屋街の一角にある蕎麦屋「蕎味 櫂」へ行くことに決まった。この店、前田さんによると、1年前に開店した由、そして本年7月からは、昼は3500円、夜は7000円のコース料理のみで、そばは単品のみでは注文できないとのことだった。また席数は10席のみと狭く、予約が賢明とかだった。
 その後、前田さんのブログの「めくれない日めくり日記」9月6日の記載を見ると、予め世話人の塚野さんと2人で下見をしたとあった。席数は4人掛け2脚と2人掛け1脚のみで、すぐに満席になったとのことだった。そしてその日は店内にジャズが流れ、雰囲気は殊の外良かったと記述されていた。
 しかし会の行事とはいえ、この店の収容人員は10名ということ、また今まで全く知らなかった店ということもあって、漏れ聞いた希望者だけで定員に達してしまったらしい。それでこの日参加した諸氏は、寺田会長のほかには、50音順に、池端、奥平、木村、西田、新田、前田、松井、松川、松田の諸氏であった。
 集合は10月24日 (月) の正午に、金沢市東山茶屋街の一角にある蕎麦屋「蕎味 櫂」、でも私はすんなりその店に辿り着けるかどうかは不安だった。前田さんに訊くと、茶屋街の突き当たりを右に曲がると件の店があるとか、場所は大体見当はついたが自信はなく、30分程前に東山茶屋街に着くようにした。しかし簡単には見つからず、そうこうするうちに参加されるメンバーと顔が会い、件の店の前に全員が集合できた。建物は中三階の町家、その昔は茶屋だった風情の家で、小さく「蕎味 櫂」と書かれた標識がそれと分かる印なのだが、暖簾が出ていないと、つい見逃してしまいそうだ。そして正午になり暖簾が出され、私たちは三々五々店内に入った。この日はテーブルを全部寄せて、10人が座れるように設えてあり、外履きのまま格子戸を開け店内に入った。そして足元には鉢に野花が生けてある。この1階は、おそらく外履きのまま入れるように改装したのだろう。通りに面した側には、町家によく見かけられる「きむすこ」がはめ込まれている。そして入り口右手の棚には、趣味の蕎麦猪口などのコレクションが飾られている。
 この日のコースは「そば遊膳」のコースである。取り敢えずはお酒、個々ではなく4合瓶で頂くことに。先ずは地元石川・白山の「吉田蔵」、都合で飲めない2人を除く8人で頂く。大変口当たりが良く、さながら美味しいお水という感じ。ラベルを見ると、山廃純米無濾過原酒とある。どうも冷酒用に設えたもので、度数は13度と控えめ、道理ですいすい飲めるわけだ。凌ぎの水も添えられていて嬉しい。
 はじめにモダンな中鉢にすり下ろした「とろろ」に「いくら」、それに下ろし山葵。一口ですすれそうな分量、でもそうはゆくまい。お酒がなくなって、次いで宮城の「伯楽星」、これは純米吟醸酒、少し重いが美味しいお酒だ。度数は16度とある。
 次いでお刺身、素朴な素焼き風の中皿に三種盛り、鰺、あら、ばい貝の刺身に、下ろし生姜と山葵、あしらいにツルムラサキ、これは私の家の庭にも生えている。同行の新田さんはスナックを経営されていることもあって、食材には詳しく、「あら」は正式にはクエという大型の魚だと話されていた。食べながらこんな知識を得られるのも楽しい。
 次にお椀もの、鴨のつみれとそばがきに原木ナメコ、汁が張られ、あしらいに苺と若芽が添えられている。お酒の凌ぎにはもってこいだ。そして3本目のお酒は石川・輪島、奥能登の白菊の純米酒の「寧音」、度数は13度、穏やかなスッキリしたお酒だ。
 次いで天ぷら、金襴手の円い中皿に紙を敷き、海老、唐辛子、甘藷、蓮根、椎茸の天ぷらが形よく並べられて出された。でも今一盛り付けに工夫があれば最高なのにと思った。       (続く)

2016年10月4日火曜日

中の湯温泉と上高地(その2)

(3)中の湯温泉旅館 長野県松本市安曇中の湯 4467
 この旅館は以前は梓川沿いにあったが、安房トンネル工事のため閉鎖し、完成後現在の海抜 1500 m のこの地で平成10年に再開した経緯がある。昨日着いた時には少々駐車場に余裕もあったが、夕方近くには満車の状態、ここに泊まって焼岳 (2455 m) へ登る客が多いからだ。部屋は穂高 205 号室で、家内では前の時と同じ部屋とか、窓からは北に前穂高岳 (3090 m) と明神岳 (2931 m)、近くには霞沢岳 (2646 m) が見えている。でもやがて雲に覆われて見えなくなった。寛いだ後、露天風呂で身体を休める。好きな宿だ。
 翌日の朝は、入替えになった露天風呂に入る。上がって午前7時に食事。。山へ行く人達はもうとっくに食事を済ませ、宿から出て行ったようだ。私たちの予定は、食事後、8時30分発の宿のマイクロバスで上高地へ行くことに。もっと早くに出た人達もいる。以前来た時は、何度も河童橋近くの上高地バスターミナルまで送って頂いたが、今日は手前の大正池までしか送れませんとのこと、そんなふうになったのだと思っていたが、後で判ったことだが、2016 年の観光バス乗入れ規制で年に7回、土日のマイクロバスと観光バスの上高地への乗入れが出来ない日があり、9月24日 (土) と25日 (日) がその日に該当していたのだった。年間を通じて、自家用車 (自動二輪を含む) は釜トンネルを通行できないので、平湯か沢渡の駐車場に車を停めて、シャトルバスもしくはタクシーで入山することになる。私たちが行った日は、たまたまその乗入れ規制の日だった。
(4)上高地 長野県松本市上高地
 中の湯温泉旅館を8時30分に出発するマイクロバスには2組5人のみ、申し訳ない感じだ。車は九十九折れになった国道 158 号線を1号カーブまで 250 m 下り、中の湯の釜トンネルゲートへ、そこでチェックの後トンネルへ、隧道の内壁はずっと以前には岩でゴツゴツしていたが、今はきれいに仕上げられている。ただきつい勾配はそのまま、かなり急である。2km 近いトンネルを抜けると、今度は真新しいトンネルが、訊くと今年7月に竣工開通したとか、名称は「上高地トンネル」、長さは1km ばかりだろうか。この公園内では、道路は中々拡幅できないこともあって、車両数を減らさないと渋滞は解消できないが、トンネル開通で少なくともこの区間の通行がスムースになったことは歓迎すべきだろう。
 そして太兵衛平のバス停を過ぎると、次が大正池のバス停、送迎の車はここまでだ。下りて大正池へ向かう。私は何度も上高地へ入ってはいるが、大正池の辺りに佇むのは初めてだ。この池は大正4年 (1915) の焼岳の大噴火で梓川が堰止められて出来た池、以前は林立していた枯れ木はもう数える位になっている。曇り空が次第に明るくなり、焼岳もくっきりとその姿を見せてくれるようになった。池にもその姿を写している。沢山の人が来ている。今日はここから河童橋までそぞろ歩くことにする。陽が射してきて、上着を着ていると汗ばんでくる。20 分ばかり歩くと田代池への分岐に出た。
 すぐ近くにある田代池へ、ここは以前は池だったらしいが、今は大部分が土砂の堆積で湿原化している。暫し佇んだ後、元の分岐まで戻り、梓川コースへ。川辺へ出る小径があるが、家内ではこの径はどん詰まりで川縁沿いには歩けないとか、それでそのまま上流へと歩を進めることにする。すると程なく田代橋に出た。ここで梓川を渡る。中州を挟んで穂高橋があり、川の右岸へ渡る。5分ばかり上流へ歩を進めると、左手に上高地温泉ホテルがある。以前ここで大学の同窓会をしたことを思い出した。さらに5分ばかり歩くと、ウェストン園地に出た。この園地の山手の崖には、明治時代に日本アルプスを世界に紹介した、あのイギリス人のウォルター・ウェストン卿のレリーフが嵌まっている。実物を拝見するのはこれが初めてで、とても感激した。毎年6月初旬にはここでウェストン祭が開催されている。そしてさらに歩を進めていると、数頭の日本猿に出くわした。全く人を恐れない様子、餌を絶対やらないで下さいとのことだったが、餌をやると人に危害を加えるようになる恐れがあるという。何とも大胆不敵で、もし増えるとすると問題が起きそうだ。15 分ばかり歩くと、左手にホテルや山荘やロッジが連なる所となり、やがて河童橋の袂に着いた。手前の河原には沢山の人がいる。私たちも下りてみた。流れる水は澄んでいて透明、底までくっきり見える。空も青く澄んでいて、正面の岳沢の奥には奥穂高岳、吊り尾根、前穂高岳が、あの上高地での一級の穂高連峰の風景が展開している。秋も深まると、上高地には多いカラマツ (落葉松) が一斉に黄色く色づき、また別の素晴らしい景観を醸し出してくれる。そんな秋の上高地にも家内を案内したいと思った。
 10 時を過ぎ、バスターミナルへ戻る。旅館の指示では、ここからは沢渡へ行く路線バスに乗り、中の湯で下り、すぐ近くにある中の湯温泉の連絡所へ行き、そこから旅館へ連絡して貰えば迎えに行きますという。暫くして迎えのマイクロバスが来て、駐車場へ戻った。歩くとすると1時間以上かかるという。サービスとはいえ大変助かる。
 帰りは国道 158 号線を1号カーブまで下りて右折し、有料の安房トンネルへ、ほぼ3 km はあろうか、抜けると平湯、帰りはここから新平湯、神岡を通る国道 471 号線を北上して国道41号線へ。途中富山県へ入っての最初の道の駅「細入」で小休止、魅せられて立派な子持ち鮎を食べ、そしてビールで喉を潤した。充実した2日間だった。

2016年10月3日月曜日

中の湯温泉と上高地(その1)

9月24日(土)
 中の湯温泉から来訪の案内があったのは6月中旬、これまで数回訪れており、それで9月24日宿泊で返事を出しておいた。来館された折には、飛騨牛のステーキを用意しますという。またそこへ泊まると、翌朝に上高地まで送って貰えるという恩典もある。
 この日は9時過ぎに家を出た。白山 IC から北陸道へ、さらに東海北陸道を辿り、飛騨清見 IC で下り、中部自動車縦貫道を高山で下り、国道41号線を南下し、取り敢えずは市の南端にある高山陣屋を目指す。家内のお目当ては、陣屋の真ん前にあったユニークな小間物屋?、でもその店は名の聞こえた人の名を冠したラーメン屋に変身していた。高山は何度も来ているのでパスし、私は高山から東へ延びる国道158号線の途中に記載のある「森の水族館」というのに興味が魅かれ行くことに。早速ナビで検索するが、岐阜県にある水族館は1カ所のみ、それは飛騨ではなかった。でも地図には載っているのだからと、注意して車を走らせると、「森の水族館」という小さな看板が左手に出ていた。小八賀川に架かる橋を渡り、県道を西へ、そして2km ばかり走ると、お目当ての施設が見えた。
(1)民芸ミュージアム匠の館・森の水族館  高山市丹生川町根方 532
 丹生川町は町村合併前は、岐阜県大野郡丹生川村で、以前にはこの村にある朴の木平スキー場へ何度も通ったし、乗鞍スカイラインのバスターミナルもこの地内にある。スキー場は秋にはコスモス園になる。また飛騨大鍾乳洞も標高 900 m の国道沿いにある。
 さて目指すは森の水族館だったが、着いたのは「匠の館」、よく見ると、小さく「森の水族館」の文字、どうも水族館の方は付属施設のようだった。でも来たのだからと入館料を払って館の中に入る。どっしりとした名工が建てたという田上家の農家住宅、玄関の右手には馬小屋、入り口の一番良い場所に馬を飼っておくとか、今いるのは小柄な木曽馬、いろんな芸もし、その度に褒美の餌を貰っている。観光客にも慣れていて可愛い。館はかなり大きい。座敷も幾間もある。庄屋だったのだろうか。二階は以前は蚕を飼っていたというスペース、今はそこにいろんなものが展示されている。中でもこの家からは日展会友の画家を輩出していて、その方の絵画も多く飾られていた。1階に戻って、受付をしている老婆と暫し話し込む。その折に、玄関に置いてある新鮮な野菜に話が及び、家内は興味を示して、一通り全部を買った。新鮮で安く、実にツヤツヤとしていて、こんなきれいな野菜はなかなか巷では見られない。
 次いで「森の水族館」へ。館右手の潜り戸を抜けて露地に入る。戸は必ず閉めて下さいと。でもその意味はすぐに分かった。中に一羽のアヒルが居て、私たちが中へ入った時は池に居たが、入ると池から上がって来て、猛然と私のズボンに噛み付いてきた。どうしてよいか分からず、家内に母屋へ聞きに行ってもらうと、エサの催促とのことだった。一瓶百円とかという餌、中はトウモロコシ、蓋を空けるや否や跳びかかってきた。驚いて瓶を落とすと、瓶の中も、溢れた実もきれいに食べた。そしてその後お目当ての水族館へ。とはいっても、水槽は4つのみ、谷川のきれいな水が絶えず供給されている。入り口にドクターフィッシュ、次いでチョウザメ、そして圧巻はイトウ、1 m はあろうか、そしてイワナの群れ、老婆は日本で一番小さな水族館だという。尤もだ。母屋に戻り、野菜を頂いて辞する。帰りに老婆と家内との記念写真を撮った。後日送ることに。帰りには進行方向に行きなさいと。あの細い道をまた戻らねばならないのかと心配していたが、助かった。
(2)平湯大滝(日本の滝100選) 高山市奥飛騨温泉郷平湯768−47
 森の水族館を出たのは午後1時半、国道158号線を東へ、飛騨大鍾乳洞への分岐を過ぎて更に高度を上げ、朴の木平を過ぎる。以前にこのスキー場へ来るには平湯峠 (1684 m) を越えて来たものだが、その後平湯トンネルが出来て便利になった。トンネルを抜けてループ橋を降下すると平湯に出る。まだ時刻は午後2時、ここには平湯大滝という名爆があり、私はここへは何度も来ているのに、その全貌は見たことがなく、見に行くことにした。
 平湯スキー場の脇を車で行くと、平湯大滝公園の駐車場に着く。ここでの駐車料金は環境整備協力費という名目で500円。ここから滝までは歩いて15分ばかりとか、かなり沢山の車が停まっている。10分程歩くと滝が見えてきた。さらに歩くとその全貌が、日本の滝百選にも選ばれているだけあって、高さといい、水量といい、それだけの価値はある。この滝は乗鞍岳中腹の標高 1500 m の大滝川にかかる落差64m の直瀑で、大水量が巨大な断崖を一気に落ちていて、谷全体にその水音が轟いている。何とも豪快な滝だ。日本アルプスを世界に紹介した W. ウェストン卿もこの滝を絶賛したとある。
 午後2時半近くになり、一旦平湯に戻り、中の湯温泉へは安房峠越えの国道158号線を辿ることにする。安房峠道路入り口を通り過ぎて、温泉街の途中から山へ向かう。新トンネルが開通するまでは、この山越えが松本と高山を結ぶ唯一のルートだった。その頃に通ったことがあるが、特に大型トラックや大型バスの通行があると、大変渋滞したものだ。でも今は静かな峠越え、安房平を過ぎ、安房峠 (1790 m) を越え、下から数えて7番目の7号カーブを過ぎると、右手に今宵の宿の中の湯温泉旅館が見えて来る。

2016年9月22日木曜日

9月の探蕎会行事は「やまぎし」で

 9月16日 (金) には探蕎会の行事で「やまぎし」に行くことに。総勢11名、前田事務局長の指示で、野々市市役所駐車場に10時半に集合することに。私は和泉さん夫妻の車に迎えに来て頂き出かけた。この日のメンバーは、ほかに太田夫妻、大滝、奥平、西田、松田、竹内の面々、車4台に分乗して出発する。鶴来山手バイパスを経由し、白山町南交差点で国道157号線を横切り、手取川に架かる鳥越大橋を渡り、後はひたすら県道44号線を手取川、次いで大日川に沿って南下する。2車線の県道が1車線になり、山間を進むようになると左礫町の標識、道路左手に「蕎麦やまぎし」と書かれた家が見えてくる。出発してここまで40分ばかり、山岸さんによると、金沢からは34km ばかりとかだった。ここは今では無くなった大日スキー場への途中にある。来る道の所々に大日スキー場まであと何 km という目印がガイドになる。この旧鳥越村左礫は、昭和初期には55軒もあったというが、今は11軒とか、正に限界集落である。山岸さんは何とか「村おこし」をしたいとの熱意で生まれ故郷に帰ってきたという。
 着いた時に、玄関前には大型バイクが2台、先客があった。ここでの注文は、欲しい品を予め券売機で買う仕組み、高速道路のサービスエリアの食堂などで見られるあのシステムである。でも初めての人はかなり戸惑うし、ましてや探蕎会の11人という大勢?では、一人一人順番ということもあって、少々混雑する。でも初めてとあれば、これは致し方がないというものだ。さて中へ入って、11人の皆さん椅子席希望ということで、板の間の2連のテーブルに7人、もう1つのテーブルに4人が座ることに。私たちが着いた時、店には山岸さん御夫婦2人のみ、これまで一団体で11人のことがなかったのか、注文を受ける段になって少々もたつきが生じたようだった。奥さんは、皆さん何を注文したか覚えておいて下さいと言われたが、頼んだ人の方も戸惑いがちな様子だった。後で山岸さんの妹さんが遅れて来られてようやくスタッフが揃い、どうにか軌道に乗ったものの、一度に大勢というのはやはり大変なようで、少々混乱が続いた。大人数の場合、何か段取りに工夫が必要なような気がした。その後も3組ものお客があり、金曜という平日なのにこれだけの方が来店するとは驚きだった。やはり「やまぎし」には何か人を引きつける魅力があるのだろう。
 注文を受けている時に、山岸さんの奥さんが太田さん夫妻と旧知のような親しげな話をされていたのでお訊きしたところ、山岸さんの奥さんの実家が津幡で、太田さんの住まいとは近いとのことだった。奇遇なことだ。
 さて今日出されたそばは、十割の「白」「田舎」「田舎粗挽き」の普通盛りと大盛り、それに「天ぷら」に「そばがき」、飲み物はビールと焼酎、私は田舎粗挽きの普通と天ぷらと財宝2杯の定番コースにプラスして「そばがき」を注文した。ここでの普通盛りは 170 g で8百円、大盛りは 270 g で1千円である。そばは何人かは普通盛り2杯、他の方は大盛りか普通盛りを一杯だった。皆さん食べ終わった頃に、私が頼んだ「そばがき」が運ばれてきた。材料は「白」、私もそこそこ満腹、皆さんにも試食してもらった。
 かれこれ1時間半ばかり居たろうか。この日は集合写真は撮らなかったが、大滝画伯が食事している様子をスケッチされていた。さすが画壇の大御所だと感心した。「やまぎし」を出て、ここでさみだれ解散、私は再び和泉さんの車に乗せて頂いた。往路は旦那さん、復路は奥さんの運転だった。晴れた秋の1日を満喫した。

〔メ モ〕 「蕎麦 やまぎし」 (4室 24人)
 住 所:石川県白山市左礫町ニ55番地
 連 絡:電話 076−254−2322  携帯 080−8997−7714
 品 書:白、白太切り、田舎、田舎太切り、田舎粗挽き。 普通盛り 800円、大盛り 1000円。
     天ぷら 400円。そばがき 250円、ほかに 礫 (つぶて)焼き? など。
 飲 物:お酒 (130ml) 上 450円、並 350円。 焼酎 (100ml) 200円。 ビール 中 450円、小 350円。
     ノンアルコール 250円。 ジュース 200円。
   定休日:毎週 水曜と木曜。

2016年9月21日水曜日

9月12日 (月) に「やまぎし」と「草庵」へ

 友人の N さんは、体格も大柄、車もランクルの4.5L と大型、本業が不動産取引とあってか交友も広く、しかも旅行好きでよく出かけるようだ。そして折々にふれ、その土地の土産と称して、お酒やお菓子を持参してくれる。いつも貰いっぱなしなので、家内とは何かお返しをしなければと話していた。9月初め、彼は京都の土産と称して、赤唐辛子の十倍もの辛さという黄金唐辛子一味柿の種というものを持参してくれた。そこでその時思いついたのは、「そば」が好きだという彼にそばを食べに行かないかと誘ってみた。すると行きましょうという返事。そこで鳥越の山奥に「やまぎし」という蕎麦屋があるというと、ぜひ行ってみたいという。それで行くのは9月12日の月曜日とし、小生宅へ10時20分に来てもらうことにした。というのも彼はお酒を飲まないので、それにあやかったのである。でも「やまぎし」のみではお礼に不足があるので、帰りに「草庵」へ寄ることにした。
 当日の朝、何時もは時間励行の彼が約束の時間に来ないので、ひょっとして忘れたのではと心配したが、5分延で来てくれた。こうして私が便乗したのは、彼は体格は立派なのだが、お酒が飲めないという特技があるからである。しかもお彼は仕事がら旧鳥越村をよくご存じで地理にも明るい。「やまぎし」のある左礫 (ひだりつぶて) の一つ手前の渡津 (わたづ) を通っているとき、ここは「蛍の里」といって、農薬を使わない山田 (水田) で蛍を育てていて、夏には大変賑わうという。何せ蛍の幼虫が食するカワニナが、ここでは川ではなく、水田で生育しているとかだった。この貝は清澄な水環境でないと住まないというから、環境がよっぽど良好なのだろう。説明を聞きながら、車は程なく「やまぎし」に着いた。
 この家は山岸さんの生家で、築75年、ここ20年ばかりは無住で、ここで開店するにあたり、正月から3ヵ月かけて、自前の大工仕事で、内装も外装もこなし、かつ飲食店営業に不可欠な設備も備えた。本当に器用でかつ超人的な人だ。開業したのは3月26日、私も駆けつけた。山岸さんでは、当面は10年を目標にしています(果たして ?) とも。
 この日はまだ先客がなく、車を停めて下りると山岸さんから声がかかった。この日予約はしてなかった。玄関に入るとご夫妻に迎えられた。玄関にある券売機で注文の品を求める。N さんは「白」と「田舎」の普通盛りと「天ぷら」、私はいつもと同じく「田舎粗挽き」の普通盛りと「天ぷら」と焼酎「財宝」を2杯。今日のスタッフは山岸さんの妹さんも加わっての3人体制である。奥の座敷の老樹の座机に陣取る。雨戸は開け放たれていて、県道に面している。野菜の天ぷらと焼酎がそれぞれ2つずつ届く。2人分と思ってましたとは奥さんの言だった。暫くすると、2家族と1女性団体が、この山奥に月曜日なのに訪れる人があるのは驚きだ。ややあって白と田舎粗挽き、付き出しに沢庵と煮物、薬味には辛味大根と刻み葱と山葵、粗挽きには岩塩が似合う。N さんの白が食べ終わる頃、田舎が届いた。普通盛りは 170 g  とか、そばは中太で、少々噛んだ方が味わい深い。また粗挽きは噛まないと食べられない。因みに「白」は丸ヌキを40メッシュで、「田舎」は玄そばを18メッシュで、「田舎粗挽き」は同じく13メッシュで篩っているとか、すべて自家製粉である。
 今週の金曜日には10人ばかりで来ますと予約して「やまぎし」を辞した。
 来た道を引き返して白山市鶴来日吉町の「草庵」へ。入ると店には数組がいた。座敷を希望し案内されて一卓に座る。N さんは熱いそばをということで「鴨なんばん」を、私は「鴨せいろ」を、つまみには「出し巻き玉子」と「焼みそ」を貰う。ここでは粗挽きの十割そばは1日10食限定とかで、基本の「せいろ」は外一の中細である。お酒は「八海山」を頂く。つまみとお酒がなくなる頃、そばが届いた。鴨はフランス原産種の合鴨を国内で飼育したものとか、柔らかいがプリプリした食感と歯応えが素晴らしい。終わって奥さんと暫しの懇談、今年ある全国誌の特集で、全国厳選そば店80に選ばれたと喜んでおいでた。開業してもう16年になるとか、以前ほど混んではいないが、やはり繁盛している。満腹になり、満足して草庵を後にした。帰り際、奥さんから、「また奥さんともども来て下さい」と言われた。

2016年9月14日水曜日

岩城宏之没後10年メモリアルコンサート

1.はじめに
 オーケストラ・アンサンブル金沢 (OEK) の創始者である岩城宏之さんが亡くなったのは2006年9月6日、あれから10年、標記のコンサートが9月10日に石川県立音楽堂で開催された。毎年この時期には、故人の遺志と故人の夫人の木村かをりさん (ピアニスト) の計らいで、北陸3県に関わりのある優秀な演奏者を表彰している。選考にはほかに井上道義 OEK 音楽監督と池辺晋一郎 音楽堂洋楽監督が審査にあたる。第10回の今年は、OEK の第1コンサートマスターのアビゲイル・ヤングさんが受賞した。OEK からは過去に首席チェロ奏者のルドヴィード・カンタさんが受賞している。彼女はスコットランドのグラスゴー出身とか、スピーチの通訳は第2ヴァイオリン首席奏者の江原千絵さんがされた。ヤングさんが使われているヴァイオリンは、OEK がレンゴー(株)から貸与されている 1714 年製のストラディヴァリウス「ラング」だそうである。
 この公演は金沢と東京で行なわれる。指揮は山田和樹、彼は現在モンテカルロ・フィル芸術監督兼音楽監督、スイスロマンド管弦楽団首席客演指揮者、OEK ミュージック・パートナー、また故岩城宏之氏が務めていた東京混声合唱団音楽監督・理事長を引き継いでいる。彼が OEK を振ったのは16ヵ月ぶりである。私はこの日を待ちわびていた。この日私の胸は躍った。彼は現在37歳である。将来が頼もしい。

2.リゲティ:ルクス・エテルナ (永遠の光) 無伴奏合唱 (アカペラ)
 正面のパイプオルガンが置かれている中2階のバルコニーに、東京混声合唱団のソプラノ、アルト、テノール、バスの各4人が上がり、各声域がさらに4部に分かれ、計16声部が微妙にずれて歌うという複雑な歌い方、総譜には「音を保って非常に静寂に 遥かに届くように」と書かれているとか。指揮者は1階の指揮台に立ち、端正な指揮をした。何とも荘厳な祈りの歌であった。「永遠の光が彼らに輝きますように」と。岩城宏之氏への鎮魂か。

3.バーバー:ヴァイオリン協奏曲  Op. 14
 故岩城宏之氏は、中西陽一石川県知事が亡くなった時に、鎮魂のためにバーバー作曲の「弦楽のためのアダージョ」を演奏されたことを思い出す。解説によると、この曲はアメリカの富豪の依頼によって作曲されたが、余りにも技巧的で演奏不可能とまで言われたという。そこで依頼者は改訂を申し出たが彼はこれを拒否、結果として別の人が非公式にピアノ伴奏のみで初演、その後アメリカの著名な指揮者であるユーディン・オーマンディやフリッツ・ライナーにより取り上げられ、新たな形式の協奏曲の傑作として演奏されるようになったという。聴いていると正に常動の曲、演奏者には実に難曲だ。しかしアビゲイル・ヤングさんは実に見事に弾き切った。あまり馴染みのない曲だが、しかし素晴らしい技巧での弾き振りの彼女に、惜しみない拍手が送られたのは当然の帰結であった。山田和樹の指揮ぶりもお世辞なしに秀逸で、実に聴き応えがあった。演奏が終わっても拍手が鳴り止まず、ヤングさんはこれに応えて、スコットランドの唄をヴァイオリンで奏でてくれた。

4.フォーレ:レクイエム ニ短調 Op. 48
 作曲家でクリスチャンであれば、大概教会音楽を作曲している。これは必然といってよいと言える。今手元にある三省堂のクラシック音楽作品名辞典を見ると、42名の作曲家がレクイエムを作曲している。この中で最もよく演奏されるのはモーツアルト作曲のレクイエムであろう。この曲は未完に終わり、没後弟子のジュスマイアーにより完成されたことで知られ、私も過去2回演奏会で聴いたことがある。またブラームスのドイツレクイエムも往々に演奏されるが、それよりもっと演奏の頻度が多いのがフォーレ作曲のレクイエムである。この曲を私は生で初めて耳にした。
 合唱は東京混声合唱団、東京芸術大学声楽科の卒業生で構成される日本を代表するプロの合唱団、本年は創立60周年とか、音楽監督・理事長は山田和樹である。この日はソロがソプラノとバリトンの2人、合唱はソプラノ11人、アルト11人、テノール9人、バス9人の構成だった。伴奏はパイプオルガンと OEK、ソロはソプラノの方はパイプオルガンのある中2階、バリトンの方はステージの最前列、コーラスは OEK の最後列に2列で、これには木村かをりさんがピアノのパートを担当された。曲は第1曲の「入祭唱とキリエ」から第7曲の「楽園へ」まで、指揮者は合唱団の音楽監督でもあり、見事な指揮ぶりだった。曲が終わって数秒の静寂、実に荘厳だった。ステージには大きな岩城宏之永久名誉音楽監督の微笑むパネルが飾られていて、指揮者の山田さんが曲が終わった後、遺影に拝礼されたのが印象的だった。彼と OEK との初の出会いは、岩城さんの代役での共演だった。

2016年9月9日金曜日

石川県立音楽堂開館15周年記念コンサート(2)

(承前)
3.モーツアルト:交響曲第35番ニ長調「ハフナー」K.385
 20分間の休憩で、前の舞台はすっかり片付けられ、次いで OEK の常任メンバーによって、お馴染みのモーツアルトの交響曲第35番「ハフナー」が演奏された。両大作の合間の一服の清涼剤の役目を果たしてくれた。演奏時間は約20分間。そして次の演目に備えての30分間の休憩。この間にカフェコンチェルトのフロアではドリンクサービスがあり、あるスポットでは、石川県酒造組合連合会の協賛で、県内34の酒蔵から出品された日本酒が振る舞われた。お代わりも可で、大変盛況だった。

4.ラヴェル:舞踊音楽「ボレロ」 舞/野村萬斎(狂言師)
 ラヴェルの「ボレロ」に合わせて野村萬斎氏に舞を希望したのは井上道義 OEK 音楽監督だとか。5年前に東京で試演したこともあるとかだったが、今回の舞をするに当たっては、萬斎氏は、振り付けでは、不動の静から始まり、復活、再生を描くとし、そしてそれには、夜明けから始まる一日や一年、一生を、この16分間ばかりの曲に凝縮させるつもりと意気込みを表明されていた。萬斎氏は、狂言師で人間国宝であった野村万作氏の長男、祖父の故六世野村万蔵氏と父に師事し、現在重要無形文化財総合指定保持者として活躍している。
 さて、ラヴェルの「ボレロ」を演奏するにあたっては、40人規模の室内オーケストラでは演奏できず、80人規模の演奏者を必要とする。OEK では過去に一度演奏したことがあるが、その時はどこか他のオーケストラとの合同演奏だったような気がする。この日のメンバーを拝見すると、OEK のメンバーが35人、客演奏者が39人の総勢74人だった。
 この曲は、イダ・ルビンシテインが自ら踊るためにラヴェルに作曲を依頼した作品である。この曲の特徴は、始めから終いまで延々と続くあの2小節の「タンタタタタンタタタタンタン/タンタタタタンタタタタタタタタタ」という小太鼓のボレロリズムで、それが延々と規則正しく、なんと169回も反復され、そして次第次第に強くなり、最後には大音響で叩きつけられて終わる。この間、18の管楽器が単独若しくは複数で、18のパートで、あの18小節のボレロのメロディーを反復する。一見単調単純なようだが、あのボレロのリズムとメロディーは聴衆を虜にする不思議な心理効果を醸し出す。そして曲が進むにつれ気持ちは次第に高揚し感動し、そして最後には大音響で瓦解し現実に戻る。
 バレー音楽ながら、曲のみでも素晴らしいが、今回は野村萬斎氏が精魂を傾けた振り付けを行なって披瀝した。氏の言によると、「ボレロ」は狂言の「三番叟」という舞踊に似ていて、同じリズムを繰り返しながら盛り上がっていくところに通ずるものがあり、それを振り付けに取り入れたとのことであった。
 ステージには3m四方ほどの緋毛氈が敷かれ、それを凹状に囲んで演奏者が陣取り、その凹状の要に当たる部分の左側に指揮者、そして緋毛氈の通り道を挟んだ右側に、この曲の重要な主役である小太鼓の奏者、そしてこの緋毛氈の通路は真ん中奥の扉に通じている。
 暫しの静寂の後、弱く小太鼓があのリズムを刻み出した。そして始めにフルートがソロで pp でメロディーを奏でる。次いで p でクラリネット、この時奥の扉が開いて野村萬斎氏が現れた。乳白色の長袖長袴の素袍?の出で立ち、そして背には緋色の背当て、ボレロのリズムに合わせて、長い袖と長い袴をいろんな形容に変化させながら、緋毛氈の舞台を縦横に使っての幽玄な仕舞い、単純だが一つ一つの仕舞いに微細な差があり、16分はアッと言う間に過ぎた。そして最後の大団円には、氏は舞台から客席前に仕組まれた穴に高くジャンプして飛び下りた。正に和と洋が渾然と融合した仕舞いだった。
 今回の石川県立音楽堂開館15周年記念コンサートは、パンフレットには「ディスカバリー・クリエーション〜過去・現在・未来〜」という副題が添えてあった。そして今回の記念公演は、次の十五年、さらには五十年、百年先を見据えての企画だとあった。そして金沢素囃子・混声合唱・オーケストラによる「勧進帳」と OEK による「ハフナー」は過去の音楽堂の集大成、野村萬斎氏を招いての OEK
との「ボレロ」の響宴は、ホールの特性を生かした新たな演出によるパフォーマンスだとした。