(1)高校の同窓会
「泉丘第7期 仲良し会」
私は昭和30年 (1955) 3月に石川県立金沢泉丘高等学校を卒業した。第7期になる。この同窓会は卒業後いつ頃から始まったのかは定かではないが、おそらくは40歳 (不惑)か50歳(知命)とかの区切りの年に始まったのではなかったろうかと思っている。特に同窓会の異名はなく、単に「泉丘第7期同窓会」と称し、当初から加茂君が旗ふりをして代表世話人として世話をし、毎年開催してきた。しかしこの会は、会員の総意により、80歳になったのを機に、一昨年に行った「傘寿の宴」を最後にして、全員を対象にした同窓会はなくそうということになった。この会は多い時には百名前後の参加があったが、全員が70歳台になってからは半数程度になった。そして参加するのは、地元よりはむしろ金沢を離れている同窓生が多い傾向にあった。それかあらぬか、最後の同窓会で、元気なうちは有志で同窓会を続けようとの案が出て、世話人は引き続き加茂君が、場所もこれまでと同じく地元石川の粟津温泉の能登屋で、時期は5月下旬か6月上旬に設定し、その名も「泉丘第7期仲良し会」として続けることになった。今年は6月1日 ( 金 ) 2日 ( 土 ) の開催、30名ばかりが集まった。そして会は遠来勢が半数を占めていた。女性も10名ばかり、遠来勢はこれを機に故郷金沢を楽しんでいる風情だった。新しい会は今年で2度目で、また来年もやりましょうということになった。
「湧泉会」
平成14年 (2002) に、同期の村田君が「台湾村田」の社長を辞して日本 ( 金沢 ) に帰ってくるのを機に、諸 ( もろ ) 君の提唱で「耳順会」が発足した。同調したのは14名、幹事は持ち回りが原則だったが、北陸交通の社長だった山田君の世話で、随分と格安で料亭や温泉旅館を世話して貰えた。会は四季に合わせて年に4回、15年間続いた。一方で年に4回は少な過ぎるとの意見もあり、金沢信用金庫の理事長だった廣部君が叙勲されたのを機に、晩の耳順会に加えて、村田君の肝いりで、毎月1回、昼に金沢ニューグランドホテルで月替わりに和食・中華・洋食を食べながら談笑する会「湧泉会」を発足させた。平成24年 (2012) のことである。そして平成29年 (2017) 、耳順会60回、湧泉会60回を迎えたのを機に会名を「湧泉会」に統合し、月1回の会のほか、年に1回温泉へ出かけることにした。人数は発足当時は12名、その後2名入会したが、現在まで3名が他界、3名が病気療養中、2名は多忙とかで不参加、現在ほぼ毎回参加できるのは6名である。それでも会では談論風発、実に楽しい実りのある会だ。いつも「もう時間です」と言われて散会する始末だ。
「一泉同窓会」
旧制金沢一中と新制泉丘高との合同の同窓会で、毎年創立記念日の10月15日の夕に金沢駅前のホテルで開催される。今年はホテル金沢日航で開催された。毎年参加者は1200人前後、今年は創立125年、泉丘70周年にあたり、テーマは「一泉の絆を未来へ」だった。一昨年までは7期の同窓生は3卓を占めていたが、昨年からは2卓、今年の参加者は17名だった。しかし年に一度だが、久しく会っていない先輩後輩に会うのは楽しい限りだ。
また例年創立記念日の前日祭として、旧一中校舎のあった金沢歌劇座から泉丘高校までの4 km ばかりを歩く一泉行列が毎年行われていて、今年は8月29日に行われることになっていたが、生憎の悪天候で、今年は残念ながら中止になった。
2018年12月12日水曜日
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