2013年9月20日金曜日

白川義員の「永遠の日本」に見る日本の原風景〔10〕

 この第7章のタイトルは「湿原」で、ここには23点の写真が収録されている。この章の序を書いた辻井達一によれば、太古の日本は湿原の国だったという。それは最古の歴史書である「古事記」には、この国を「豊葦原瑞穂国」、すなわち葦が一面に生い茂っている国と称していることからも伺い知れるという。またもう一つの名称の「秋津島」もトンボが沢山飛んでいる島、これも湿原を思わせる名称である。ところで現在は湿原と呼べる箇所は限られていて、ここでは釧路、尾瀬、日光、立山と月山の弥陀ヶ原臥紹介されているのみだ。ここでは掲載順に、国立公園名を入れて記した。

第7章 湿 原  Wetlands
7−1 釧路湿原国立公園/釧路湿原
 (1)  湿原曙光:日本最大の大湿原の最も代表的なビューポイントである北斗展望台から、日の出直後に撮った写真である。湿原の全体は葦で覆われ、その中にハンノキが散在している。その葦原に太陽の曙光が走る。その色彩がピンク色から黄金色に変化していく風景を見ていると、心身爽快で幸せな気持ちになる。(2)シラルトロエトロ川:屈斜路湖に端を発した釧路川が釧路港に流れ込む中間地点が標茶町で、そのすぐ南から釧路湿原が始まる。つまりシラルトロエトロ川はこの湿原の北端に位置している。この湿原で最も紅葉が美しい場所がこの川の周辺で、ここの紅葉は実に見事というほかない。
 (3)釧路川:これ程曲がりくねった一級河川は釧路川以外にはないのではないか。この湿原の2番目に有名な湿原の東端にある細岡展望台の上空からヘリで空撮した。湿原は一面黄葉している。(4)釧路湿原逆光:湿原の真ん中部分を冬季に空撮した。湿原に伸び出した宮島岬の少し南方、ツルワシナイ川と雪裡川との合流点である。湿原を縦横に流れる中小の河川が、まるで網の目のようになって流れている。(5)雪裡川下流:湿原の南端近くを流れ、このすぐ南で人工的に掘削された新釧路川に合流する。冬の上空から見ても、この辺りが自然との境界である。(6)釧路湿原夜明け前:湿原の南西に北斗展望台がある。夜が白み始めてハンノキが肉眼でも漸く見えるようになった頃、葦の原に東の赤い空が映えた。(7)釧路湿原黎明:北斗展望台から撮った日の出数分後の写真。湿原とハンノキ林が黄金色に輝く歓喜の一瞬である。(8)湿原茫々:釧路湿原は湿原の広さだけで 22,070ha ある ( 国立公園はさらに広い ) 。そしてこの北斗展望台から眺められる広さはその 10 分の 1もない。でもこのような原初の風景が残っていることは嬉しい。(9)細岡展望台直下:早朝に筋状の雲が出て、見渡す限りの葦原が筋状の縞模様になった。実に珍しい光景に出くわした。
                    
7−2 中部山岳国立公園/立山弥陀ヶ原
  (10)  立山弥陀ヶ原ガキ田:弥陀ヶ原というと、立山、白山、月山が有名である。立山の弥陀ヶ原は標高 1600 - 2100m の高原で、そのほぼ中央に大小合わせて約 3000 個の沼があり、その沼・池のことをガキ田 (餓鬼田) という。これは立山餓鬼道地獄に落ちた亡者たちが耕した田圃の伝説からそう名付けられたもので、栄養状態が極めて悪い湿地で、とても人が耕したり水田にすることは出来ない。それで今日まで景観が保たれたのである。秋たけなわのガキ田は、地表の草が黄葉に燃え、無数に点在する池が青空を映して青く見え、低い常緑樹の緑色と相まって、見事な色彩絵巻を見せていた。
        
7−3  磐梯朝日国立公園/月山弥陀ヶ原
 (11)  月山弥陀ヶ原と鳥海山:朝日山地の北端にある出羽三山の一つの月山の山腹にある高層湿原が弥陀ヶ原で、そこには数百の池塘がある。写真は緑の湿原と青い池塘と、ほぼ 60km 離れている鳥海山 (2236m) を撮ったものである。(12)弥陀ヶ原と月山:画面の上方に月山 (1984m) 、その手前に標高1450m の弥陀ヶ原。高所に池塘ができたのは、地表の植物が秋に枯れても、冬の低温で腐らずに泥炭となり、その凹地に水が溜まったからである。

7−4  尾瀬国立公園/尾瀬ヶ原
  (13)  尾瀬ヶ原全景:至仏山の上空から見た尾瀬ヶ原全景である。正面の山が燧ヶ岳で、その右に尾瀬沼が見えている。尾瀬ヶ原は福島、新潟、群馬の三県にまたがっていて、至仏山、燧ヶ岳、袴腰山、中原山など 2000m 級の山々に囲まれた、東西 6km 南北 3km の高所盆地である。(14)尾瀬ヶ原遠望:6月中旬に撮影した尾瀬は至る所にミズバショウが咲き、長閑な風景だった。それが秋になったらどうなるのかという興味が湧き、10月下旬にヘリを飛ばした。写っているのは晩秋の上田代だが、正に赤く劇的に変貌していた。(15)尾瀬ヶ原鳥瞰:今度は高度をうんと下げて湿原を大写しにした。すると地表の至る所に獣道が縦横に走っているのが見えて、昼間はほとんど見ることがない動物が相当数生息していることが伺われた。尾瀬で木々が集まる林が細長いのは川に沿っているからで、広葉樹は既に落葉して白い枝だけが残っている。左には池塘が黒く克明に写っている。(16)尾瀬ヶ原中田代:尾瀬ヶ原は大きく3地域に分けられ、至仏山側を上田代、燧ヶ岳側を下田代、その中間がこの中田代で、上空から空撮した。湿原は赤く、池塘は黒く写っていて、池塘には可愛い木々が生えている。(17)田代山山頂湿原:燧ヶ岳の東方約 18km の福島と栃木の県境にこの田代山 1971m がある。田代とは山頂が湿原のことで、この山の山頂が湿原であることで有名である。10月下旬の空撮だが、周辺の山々は今が盛りの紅葉だった。(18)燧ヶ岳と尾瀬ヶ原:燧ヶ岳上空から南望した写真。左のピークが俎嵒 (まないたぐら)
2346m 、すぐ右の一番高いのが柴安嵒 (しばやすぐら) 2356m 、尾瀬ヶ原はこの燧ヶ岳の火山活動で造られた。尾瀬ヶ原の突き当たりが至仏山である。(19)尾瀬釜ッ堀:早朝に北側の沼山峠から尾瀬に入った。ミズバショウは途中の大江湿原にも尾瀬沼ビジターセンター周辺のほかあちこちにあるが、これは
釜ッ堀のミズバショウである。バックは尾瀬沼と燧ヶ岳である。6月中旬に撮った。(20)尾瀬下の大堀川:尾瀬で最も有名なミズバショウの群落はこの大堀川である。この日は群馬県側の鳩待峠から入った。ここから眺める至仏山は堂々としていて雄大である。6月中旬の撮影だが、人が多いのには閉口した。

7−5 日光国立公園/日光戦場ヶ原
  (21)  小田代原 (おだしろがはら) と戦場ヶ原:左下方が小田代原、その上に横長に広がるのが戦場ヶ原、紅葉真っ盛りの10月中旬に空撮した。山は中央が太郎山、左が山王帽子山、右端が大真名子山、右画面外に男体山が続く。(22)カラマツ林:戦場ヶ原の一画にカラマツの群生地がある。ヨーロッパアルプスの山麓に生育するアローラ松は茶系の黄葉だが、日本のカラマツは場所によってはオレンジ色になる。その見事なオレンジ色の黄葉を10月中旬に空撮した。(23)日光湯川:奥日光湯ノ湖から落ちた湯滝の水が、中禅寺湖まで 12,4km をゆったりと流れるのが湯川で、この湯川が西の小田代原と東の戦場ヶ原とを分けている。上空から見ると川の流れに沿って林があり、黄葉した落葉樹と緑の常緑樹が入り乱れて多彩な風景を醸し出している。それに草原の草紅葉が加わって、自然が何か賑やかなお祭りでも始めそうな華やかな雰囲気に見えた。

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