2012年11月20日火曜日

白山麓の秘湯を巡る

 家内とは年に何回かは温泉へ出かける.親戚や子供たちと一緒のこともあるが、できれば夫婦でというのがベターである。一昨年11月14日に長野県の中の湯温泉旅館に立ち寄った折りに、宿の主人から、明日は上高地の閉山祭なので出かけませんかと誘われたほかに、温泉がお好きならこのスタンプ帳を上げますから利用して下さいと言われた。これは3年間のうちに「日本秘湯を守る会」の宿を10軒巡ると、そのうちの1軒に1泊招待されるというもので、勧進元は(株)朝日旅行である。押印を見ると、平成22年には2軒、23年には2軒、24年には6軒巡り、これで10軒クリアしたことになる。このうち近場の白山麓の秘湯では、今年の5月に中宮温泉、6月には白山温泉、10月には新岩間温泉へ寄った。

1.中宮温泉にしやま旅館(石川県白山市中宮温泉)
 もうかなり古くから湯治場として知られている。でも山奥にあるため、昔は歩くか駕篭でしか行けなかったが、今はスーパー林道も開通して、車で行くことができる。以前は旅館が4軒あったが、現在は2軒のみ、でも公営の施設が新たにできている。ここは標高 700m、白山中宮道の登山口でもあるが、主人の話では、ここから登るのは年に1組位とか。私も学生の頃に友達と二人でここから白山へ登ったことがあるが、随分難儀した。中宮温泉は古くから胃腸の名湯として親しまれてきたが、里からは遠く、私の大叔母がよく湯治に訪れたと聞いたことがあるが、どうして訪ねていたのだろうか。
 私たちが訪れたのは5月4日、冬季は閉じていて、営業の再開は4月27日、辺りは新緑が萌え始めた季節、まだ白山スーパー林道は開通していない。林道に入る手前の急な坂道を上がると、にしやま旅館の看板が見える。駐車場は狭く、着くと車のキーは宿の人に託す。玄関に日本秘湯を守る会と墨書した提灯が吊るされている。古い佇まいの宿で、山の湯治場という雰囲気である。入ると囲炉裏のあるロビー、熊とか羚羊などが置いてある。部屋へ案内される。昔ながらの湯宿という感じ、早速風呂へ。男湯は1階の御前の湯、女湯は2階の大汝の湯、男湯は古い木造りの湯槽、湯は飲用できる。夕食は部屋で、岩魚や山菜は地元だが、刺身は海のもの、もっとも金沢からは1時間半もあれば着くので、新鮮な海産物も手に入ろうというものだ。翌朝4階の露天風呂に入った.丸い総桧の湯槽、新緑の林を眺めて浸かっていると、心が洗われる。ここは立ち寄り入浴もできる。帰りにここの「胃腸の湯」を求めた。1年間は保存可能という。水割りに使おう。
● ナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉、源泉65℃、35ℓ/分、加水加温なし、源泉かけ流し。
2.白山温泉永井旅館(石川県白山市白峰市ノ瀬)
 ずっと昔の白山温泉は湯の谷の方にあったが、あの百万貫の岩が流れてきた大洪水で温泉は埋没した。その後新しい源泉が見つかり、ここ標高830mの市ノ瀬に湯宿ができた。昭和10年のことである。別当出合までの林道が開通するまでは、市ノ瀬が正に白山登山の基地で、皆ここから歩き出したものだ。最近になって永井旅館に別館が造られ、湯槽も新しくなり、きれいになった。本館は襖で仕切られた部屋だったが、別館は個室になっている。私たちが寄ったのは6月23日、白山の開山祭は7月1日、電話した時には白山へ行くのですかと問われた。家からは車で約1時間、本館には何度か泊まったが、別館は初めてだった。湯へ入って寛ぐ。夕食は大広間で、5組ばかり、白山へ登る人も2組いた。岩魚や山菜のほかも山の物ばかりなのが嬉しい。翌朝は私たちが殿だった。
● ナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉、源泉47℃、24ℓ/分、加温あり、源泉かけ流し。
3.新岩間温泉山崎旅館(石川県白山市尾添岩間温泉)
 この新岩間温泉(標高790m)や、6km下にある一里野温泉(標高550m)の源泉は、さらに3km奥の岩間温泉元湯(標高1000m)で、ここから引かれている。尾添の土建業者山崎組の組長の信一さんが、その元湯に温泉宿を造ったのは昭和30年代、二度ばかり白山からの下山時に泊まったことがある。しかしその後雪崩で倒壊し、今は往時の浴槽が残っているのみである。その後下流の現在地に新しく新岩間温泉を造った。しかし当時ここへ来るには、中宮温泉へ行く途中にある三又第一発電所の導水管に沿ってつけられた急な坂を200mばかり上らないと行けなかった。その後信一さんは私費を投じて林道を建設、大部分は一車線ながら、現在は車で行くことができる。私たちが訪れたのは10月28日、この日はもみじウォークがあって、私は一里野からここまで往復した。宿泊予約の電話をすると、寒いですから温かい格好で来て下さいとのこと、面食らった。私たちは本館ではなく、新しい別館に案内され、暖房なしと覚悟していたが、ガスストーブは置いてあった。午前中は小雨だったが、午後は本降り、ここの露天風呂は実に素晴らしいのに、雨で入れなかったのは残念だった.夕食は広間で、6組ばかり、家族連れも団体もいる。結構信奉者もいるのだなあと感心する。食事は山一色、孫の太一朗さんがよく世話をしてくれた。
● ナトリウムー塩化物泉、源泉93℃、60ℓ/分、加水・加温なし、源泉かけ流し。

2012年11月12日月曜日

第8回白山・手取川もみじウォーク(平成24年)

 私はこの行事に第1回から参加してきた。ただ昨年の第7回はコースが大日川上流の大日湖を巡るコースが主であったので、参加しなかった。ところで今年は文字通りの紅葉の時期を狙ってのウォークとあって、10月28日は標高800m辺りを、11月11日は標高600m辺りを歩く計画が立てられた。これまでは2日続けての実施だったが、今年は2週も離れていることから、県外からの参加者は激減した。この運営の仕方がベターなのかどうかは意見の分かれるところだが、2日にわたってハードな歩きをするのはかなりきつく、私にとっては時期をずらしての開催はベターだと思う。

1.10月28日(日)Bコース(新岩間温泉コース)12km
 この日は午前9時までに一里野ふれあい交流センターに集合とのこと、出発が同じのCコースの手取渓谷(20km)と同じ時刻であった。大会本部の発表では、Bコース450人、Cコース400人の参加とか。偶然に私が在職していた石川県予防医学協会でよく市民マラソン等に参加するM嬢と出会った。女友達3人での参加だった。出発には最前列に来て、私と一緒に出発した。一里野から白山峠までは国道360号線、かなり勾配のあるある舗装路、彼女らも頑張って歩いている。峠からは林道に入る。この頃から小雨が降り出してきた。でも雨具をつける程でもなく、何とか午前中は持つらしいとのことで、そのまま歩き続ける。しばらく歩くと対岸の下方に中宮温泉への国道360号線が見え、山毛欅尾山(1365m)はきれいに紅黄葉している。私の前には2人歩いていたが、中程の小谷を過ぎる頃、M嬢は連れの2人は遅いので置いてきましたと私を抜き去っていった。必死に追うが差は増すばかり、そのうち男性4人にも越された。丸石谷を大きく迂回する時点では3分弱の差、さすが市民マラソン常連だけのことはある。彼女は中間点の新岩間温泉で待っていた。彼女は相棒を待つという。それで私は先に折り返した。私の前には5人、M嬢の相棒とは折り返して1kmの地点で会った。丸石谷の上流も綺麗に紅黄葉していた。この谷の奥には百四丈ノ滝がある。折り返して30分も歩いた頃、最後尾の役員の方に出会った。その後には歩く人はなく、何人かはシートを広げて景色を愛でながら食事をしていた。途中2人に追い越されて一里野へ戻った。所要時間は2時間10分。昼食は道の駅「瀬女」にある蕎麦屋「山猫」にする。久しぶりに山猫のそばを食べた。「白山天おろし」は実に美味かった。店を出る頃、雨は本降りになってきた。

2.11月11日(日)Eコース(獅子吼・犀鶴コース)17km
 第2日目の受付・ゴールは白山市鶴来支所、鶴来駅前なので電車で行くことに、この電車に乗るのは何十年振りだろう。以前は加賀一の宮まで行っていたが、現在は鶴来駅が終点である。出発は9時30分ということなので、1時間前に会場に着いた。私が参加するEコースは定員500人とか、これは獅子吼高原までゴンドラで上がるための制約だとか。他の2コースは当日受付もしていた。9時に主催者の挨拶があり、北國新聞社の事業部長が平生歩いていない私がEコースの2kmの山道に挑戦したところ、50分もかかりましたとの言、どうも本当の山道らしい。挨拶の後、25kmのGコース、8kmのFコース、そして17kmのEコースの順に出発する。出発の間隔は2分程度、各コースは先頭と殿がコースの目印の旗を持ってはいるが、信号待ちなどがあり、各コース入り混じって混乱する。FとEは白山比め神社の表参道を上がる。その後神社から一旦下り、パーク獅子吼へ向かう。ここまで3km、もう列はかなり長くなっている。ゴンドラに乗らねばならないので、私はトップ集団に、折よく2台目に乗れた。1台に4人乗車、1時間で500人運べるとかだった。凡そ600m上昇しスカイ獅子吼に着く。ここから南沢斜面を下り、山道へ入る。道には紅葉が散り積もっている。急な下りには神経を使う。月惜小屋は中間点、時々手取川を見下ろすスポットがある。山道に30分ばかり要したろうか、突然舗装された犀鶴林道に飛び出た。内川を挟んで犀奥の山々が見える。近くの山は今が紅黄葉の真っ盛り、曇ってはいるが満喫できる。ここから林道を標高差で600m下ることに。途中年寄りの爺さんがいて、あなたで8人目だと言われる。舗装された林道を淡々と下りる。中程と思われる頃から雨がパラついてきた。雨具はつけずに歩く。終点の白山町まで下りてきた頃には、雨足は本格的に、でもそのままゴールした。所要時間は3時間10分、熱いナメコ汁が美味かった。今日はこのコースに580人が参加したとか、このコース、ゴンドラ乗りが隘路だった。

2012年11月10日土曜日

中の湯温泉と上高地(その2)

 「蕎文」を出て向かいの「坊ちゃんとうふ」に寄り、豆乳を頂き、湯葉は冷蔵保存でないと無理とのことで、おからの焼き菓子を求めて高岡を後にする。時間は午後1時、小杉ICへの道を教わり、北陸道を富山ICで下りる。国道41号線をひたすら南下、八尾町への分岐まで来ると、漸く車の流れがよくなる。神岡から平湯へ、安房トンネルを抜け、安房峠へ上る道の7号カーブを曲がると中の湯温泉だ。雨は止んだが空には雲が去来していて、穂高は見えない。ここは標高1500m、木々の黄葉は盛りを過ぎ、散りつつある。山毛欅はもう葉が散って白い梢ばかり、地には雪がある。急な階段を上って宿へ入る。玄関には日本秘湯を守る会と墨書された提灯が掛かっている。着いたのは午後3時10分過ぎだった。
 この日は団体さんも入っていて、ほぼ満室のようだ。収容人員は120名とか。ロビーからは小鳥の餌台が間近に見え、入れ替わり立ち替わりカラ類(コガラ、ヒガラ、シジュウカラ、ヤマガラ、ゴジュウカラなど)の小鳥が出入りしているのが見える。またロビーの北側の一枚ガラスの向こうには真っ白な奥穂高岳から前穂高岳の山並みと明神岳が見え隠れしている。宿の主人では、夏だと雲が夕方には下がるのだが、寒くなると中々下がらないとか、でも時々垣間見ることができた。
 部屋へ入り、早速風呂へ。ここの湯は単純硫黄泉で掛け流し、下の川原の源泉から300mばかりポンプアップしている。穂高の峰々が眺められる露天風呂に入る.目の前に小鳥の餌台があり、小鳥は恐れずに順に次々とヒマワリの種子をついばみに来る。程よい湯温、30分も居たろうか。部屋へ戻り、持参した神の河で喉を潤す。夕食は午後6時からという。
 夕食は広い食堂で、びっしり。どうしてこんなに人気があるのか不思議である。霜月三日の献立を記そう。〔先付〕なめ茸白酢和え。〔焚き合せ〕南瓜葛寄せ、海老酒蒸し、いんげん、里芋、胡麻スープ。〔温物〕飛騨牛しゃぶしゃぶ鍋。〔刺身〕信州サーモン、大根サラダ。〔焼き物〕岩魚塩焼き、なつめ、茗荷。〔しのぎ〕ぶっかけ蕎麦。〔香の物〕野沢菜、赤蕪、胡瓜。〔汁物〕しじみ汁。〔蒸し物〕湯葉かに豆乳蒸し。〔八寸〕鯖押し寿司、茄子しぎ焼き、とろ鮭絹多巻き、小岩魚南蛮、岩魚筋子。〔水物〕ゼリーチーズ、キュウイ。この中では霜降り肉のシャブシャブは質も量も圧巻だった。全部を平らげて満腹、実に大満足だった。後でこの献立は特別感謝プランだと知った。隣の女性チームは羨ましそうだった。
 翌朝早く、男女チェンジした露天風呂に入った.空は冴え渡っていて、穂高がシルエットになって見えている。そして空には星が瞬き、月齢20日の月が中天にかかっている。今日は快晴だ。朝食は7時、ロビーで穂高の朝焼けを愛でる。皆さんカメラの砲列、昨晩は今日のこの天気を全く予想できなかった。宿へ着いた折、朝8時半に宿の車で上高地まで送って頂けるというので、予約しておいたが、これは正解だった。今日は実に素晴らしい一日になりそうだ。散り落ちる葉が陽を受けて輝き、幻想的なシーンを醸し出している。
 バスは満席、大方の人は大正池で下りた。上高地まで約1時間の散策とか、私たちは上高地のバスターミナルで下りた。帰りは12時20分に出て、松本駅まで客を送るとか、中の湯までお願いすることにする。空は抜けるような青、これ以上の天気はない。河童橋まで5分、梓川沿いの道を歩く。水は清冽、河童橋の向こうには岳沢を挟んで、左から雪を頂いた西穂高岳、間ノ岳、天狗ノ頭、天狗ノコル、畳岩ノ頭、ジャンダルム、ロバの耳、そして奥穂高岳、さらに右へ吊尾根を経て前穂高岳の峰々が、そして手前には明神岳、くっきりと見えている。雲一つない正真正銘の快晴である。飛行機が通ると、後に飛行機雲が尾を引く。もう黄葉は過ぎているが、まだ黄色の細い葉をつけた落葉松が残っている。河童橋は人でごった返していた。
 明神池まで梓川左岸を歩くことにする。ざっと50分ばかり。ここまで来るとさっきの雑踏は嘘のように静かだ。山歩きの格好をしている人もいるが、何処まで行くのだろうか。徳沢や横尾までならハイキングの装いで十分なのに、涸沢まで行くのだろうか。道は落葉松の林の中を辿る。途中開けた場所からは明神岳の鋭峰を仰ぎ見ることができる。正に圧巻である。明神館で小憩して明神池へ、ここは穂高神社奥宮の境内、拝観料を払って池へ。一之池、二之池と巡る。池に投影された明神岳が実に鮮やかだ。嘉門次小屋で岩魚の塩焼きを食べる。此処へ来るとこれが定番。帰りは右岸の道を辿る。木道には凍った雪が残っていて歩きづらい。右岸を上流へ向かう人もかなり、外国人もいる。猿にもよく出くわした。
 中の湯温泉旅館まで送ってもらい、往路を引き返す。家内から飲酒を勧められ、道の駅「上宝」で細麺の奥飛騨ラーメンと岩魚の刺身と生ビール、岩魚の生の筋子は生まれて初めてだった。帰路の神通の峡谷を囲む山々は紅黄葉で燃えていた。素晴らしい一日だった。

2012年11月7日水曜日

中の湯温泉と上高地(その1)

 日本秘湯を守る会というのがあって、1都1道29県の194軒がこの会に加盟している。加盟にどんな制約があるのかは知らないが、一昨年の11月に長野県の中の湯温泉旅館へ行ったとき、帰りにこの会のスタンプ帳を頂いた。これまでも秘湯と呼ばれる湯宿に何軒か投宿しているが、そんな恩典があるとの話は全く聞いたことがなかった。それによると、3年間の間に、会員の宿10軒に泊まってその証明を貰えば、朝日旅行の斡旋により、泊まった宿の中の希望する1軒に宿泊招待されるという仕組みである。ところで今年は中の湯温泉旅館から感謝サービスと称する割引案内が舞い込み、それではと勇んで家内と出かけることにした。11月3日と4日の連休にお願いしたところ、折よく空いていて、メンバーは家内が勤務する病院の薬剤師のH嬢との3人連れである。11月3日は旧明治節、今は文化の日、晴れの確率がかなり高いというのが例年の予想である。
 当日は朝9時に家を発つ。天候は曇り、予報では曇時々晴の予想、若干外れている。H嬢を小立野で乗せ、先ずは森本ICから北陸道へ。中の湯へは高速道を富山ICで下り、国道41号線を南下し、神岡で国道471号線(旧県道神岡上宝線)へ入り、平湯温泉で国道158号線に出て左折し、安房トンネルを抜け、すぐ左折して安房峠へ向かうと中の湯温泉に達する。このルートで、金沢からは3時間位だろうか。時間は十分あるので、私の発案で、高岡市にある瑞龍寺に参拝し、蕎文でそばを食べてから中の湯へ向かうことにする。彼女らもこの提案に興味を示した。ただ寺の方は以前に寄ったことがあるとのことだったが。という私も9月の探蕎会例会で来たばかりだが、あの気を落ち着かせる素晴らしい雰囲気は、何度でも味わいたくなる魔力を秘めている。

「高岡山瑞龍寺」
 高岡の町並みは高速道とは離れていて不便だ。勝手が分からないのでナビに頼ることにする。するとナビは能越自動車道へ入れという。指示に従い高岡北ICで下りる。後はナビの指示に従い、一カ所通行できない箇所に遭遇したものの、無事寺の駐車場に着けた。小雨が降ってきた。総門(重文)を通ると正面に二層の山門(国宝)、歩みと両側にある回廊との間の空間には白い玉砂利が敷き詰められていて、茫洋とした海原を彷彿とさせる、心に穏やかさをもたらす時空である。静けさが辺りを支配する。山門を潜ると、正面に仏殿(国宝)が見え、この内陣の平面は芝の緑で覆い尽くされている。雨に濡れた芝生は安らぎをもたらしてくれる。仏殿には、釈迦・文殊・普賢の三尊が御本尊として祀られている。仏殿を抜けると、回廊を擁する法堂(はっと)(国宝)、境内では最も大きな建物とか、中央奥の内陣には、前田利長公の特大の御位牌が安置されている。法堂から北回廊へ回る。この前来た時は南回廊を通った。大茶堂(重文)、鐘楼の脇を通り、大庫裏(重文)へ、調理配膳する場所、結露に配慮して、天井を漆喰で曲線にしてある。山門へ戻り、総門で辞する。
 少々時間があったので、利長公の墓所へ向かうことに。墓所へは寺から真東に八丁道を14分とある。1km強なのだろう。今は新しい道路が出来て、八丁道は所々で分断されているが、昔は寺から墓所まで一本道だったのだろう。墓所前には鳥居があり、辺りは小さな杜をなしていて、鳥が啼いている。そして高さ12mもの墓が奥に聳えている。歴代のどの武将よりも大きな墓だとか。ここへは車でも来られることが分かった。
「蕎 文」
 11時半近くになったので、佐野にある蕎文へ、方向音痴とあってナビの世話になる。とは言っても、入力した電話番号は大正13年創業の「坊ちゃんとうふ」、蕎文はその向かいだからだ。車がおとぎの国公園の横を通るに及び、もう間近だと実感する。蕎文の駐車場にはもう数台の車が、次々と車が入って来る。看板は全く出ていないのに、口コミなのだろうか。中へ入るとそれほど混んでなく、取材があったようだった。小上がりの唯一明かりを取り入れている座卓に陣取る。彼女らは「もり」とエビスビール、私は「辛味大根ぶっかけ」を所望する。そばは「もり」と「田舎」があり、この前の時は両方食べられる「あいもり」を頂いたが、お品書きにはこの相盛りは載っていない。結構蕎麦にはうるさい家内も、このそばには満足したようだった。私の辛味大根ぶっかけも上品で辛く、洗練された辛味が印象的だった。蕎麦湯は釜の湯、私にはこの方が向いている。入り口右手の展示即売している空間は小ギャラリーでアートワークススタディオ・アンといい、これがこの建物の名称ともなっている。案内文には「黒っぽい建物です」と紹介されていたが、「そば」もやっていますとは書いてなかった。まことに不思議な店だ。

2012年10月25日木曜日

白山周回(谷峠ー桧峠ー白山スーパー林道)

 8月に念願の美濃禅定道を石徹白へ下り、一夜の宿の「民宿おしたに」の鴛谷さんに、石徹白大杉の下の登山口へ車で迎えに来てもらった。歩けば在所まで2時間はかかろうという林道歩きは、10時間の歩きの後では負担である。そして翌朝帰るときに、秋になったらまた一緒においでませんか、秋には茸も出ますからと言われた。家内とは前の年に2回も美濃禅定道下りをすっぽかしたので、お詫びを兼ねて訪れたので、そう言われたのであろう。それで10月の13日の土曜日に、家内は午後休暇を貰い、一緒に石徹白へ出かけることにした。
 鴛谷さんは白山室堂に33年間勤めておいでたこともあって、金沢のことはかなりよくご存じである。金沢から石徹白までは2時間40分だと言われる。私は前夜、午後4時にお伺いしますと連絡したこともあって、家を午後1時には出ようと思っていた。家内は仕事で少し遅れるので、食事は車の中でと言うから、朝炊いた松茸ご飯を細巻きにして昼食弁当にした。家内が帰り、慌ただしく家を出た。
 天気は良く、それだけに車も多い。制限速度でゆっくりドライブを楽しんでいる御仁もあり、しかも追い越し禁止とあっては、こればかりは法に従うほかない。でも、道の駅「瀬女」近くの瀬戸野の交差点を過ぎると、車の数がうんと減ってきた。ここで目の前を名古屋ナンバーの車が左折していった。きっとスーパー林道を下りてきて、名古屋へ帰るに違いないと話し合う。案の定、谷峠(700m)を越え、暮見トンネルを越えるまでは一緒で、かの車はここで福井の方へ右折していった。勝山から大野へ、いつもの157号線と158号線の交差するところでもたもたする。しかしここでは越前富士といわれる荒島岳(1523m)が目印、158号線はその麓を通っているのでその方角へ。あとは一本道、九頭竜川沿いを道の駅
「九頭竜」へ、ここは車で溢れかえっていた。
 ここからは石徹白川に沿って上流へ、途中和泉スキー場までは二車線だが、過ぎると道は狭くなる。県境近くで道路工事があり、工事が済むまで30分ばかり通行禁止とか、待つしかない。開通後、数台の対向車と会うが、何とかしのいで石徹白へ。民宿に着くと既に1台、もう1台来るとか、聞けば銚子ヶ峰(1810m)へ登る方達だそうだ。山は紅黄葉が綺麗だという。この日は温かく、炬燵やストーブを用意してくれてたが、内も外もポカポカしていた。神の河でホロ酔いになる。川魚と茸がメインの夕食後、ストーブを囲んで同い年の親父さんと話し合う。先日の永井旅館での白山会以降はお酒を控えておいでるとかだったが、野々市の体協会長の直さんや急逝した山ちゃんの話で持ちきった。私達とも親しい間柄の人達だ。
 翌朝、2組が山へ向かった後、ゆっくり9時頃に宿を出た。天気は良く、今日は白山スーパー林道を経由して帰ることに。山中の県道を桧峠(960m)まで上る。ここは北にある大日ヶ岳(1709m)、南にある毘沙門岳(1386m)の鞍部にあたり、その登山口でもある。ここには天然温泉の「満天の湯」もあり、賑わっている。まだ紅黄葉には少し早い。冬は有数のスキー場となる。ここから曲がりくねった急な道を白鳥町前坂へと下り、国道156号線(白川街道)へ。街道を長良川に沿って北上し、庄川との分水嶺のひるがの高原に至る。ここではその分水を目の当たりにすることができる。小憩の後、街道を更に北へ、御母衣ダムを過ぎ、道の駅「飛騨白山」へ寄る。ここにはBMWの大型自動二輪のグループがいた。彼らは先に発ったが、あとで街道筋にある深山豆腐店でまた出会った。豆腐の好きな若い衆らしい。
 鳩ヶ谷から林道に入る。すると車数が急に多くなる。皆さん白山スーパー林道へ向かわれるようだ。でもまだ車間隔は開いている。しかしゲートが近くなると車は数珠つなぎに、時間は11時近く、今日は天気も良く混みそうだ。地元ナンバー以外の車の方が多い。ゲートでの対応は一人、ここでの対応時間の間合いのおかげで、ゲート通過後の林道はかなりスイスイと進める。しかし蓮如茶屋(1200m)まで来ると駐車場は満タン、目ざとく出る車の後を狙って停めなければならない始末。人でごった返している。少し高みへ上がると白川郷展望台があるが、ススキの穂が視界を遮っている。この辺りはブナ林、黄葉にはまだ間がある。ここからは三方岩岳(1736m)へ登山道がついている。林道へ戻り更に高みへ、標高も1300m辺りになると、山肌が紅黄葉で埋め尽くされていて、実に壮観だ。真上には黒々と飛騨・越中・加賀の三方岩、そして北西に笈ヶ岳(1841m)、大笠山(1622m)、奈良岳(1644m)、大門山(1572m)の山々、この辺りの路肩は車でびっしり、そして更に上がって三方岩駐車場(1450m)まで来ると混み様は極致、早々に下りることに。しかし石川県へ入ると上ってくる車は数珠つなぎ、でもこの辺りの山肌は燃えるような紅黄葉、正に今が見頃、今年は実に色づきが良いようだ。しかしこの車の列は実に凄い。この紅黄葉前線は今1200m辺りまで下がってきているが、これより下はまだ緑だ。でもその辺りをノロノロと動いている車、はたして上まで辿り着けるのだろうか。岐阜側から上り、石川側へ下りた私たちは正解だったようだ。それにしても平日にゆっくり錦繍を鑑賞したいものだ。
 
 4日後の10月25日に県庁職員退職者協議会の研修会が、かんぽの郷白山尾口であった。内容は地方公務員共済年金の今後で、深刻な内容であった。その晩に懇親会が持たれ、席上宿泊者には白山スーパー林道の片道無料券が発行されるとか、割引でなく無料ということで申しこんだ。証明書をもらい、中宮レストハウスで利用券と交換し、いざ林道へ。ゲートでは10台位のバスや自家用車がいるが、日曜日に比べれば空いている。でもどこの駐車場も一杯である。紅黄葉前線は日曜よりは100mは下がっている。停まらずに三方岩隧道を抜けて駐車場へ、もうここまで来ると葉はもう散っている。そのまま蓮如茶屋まで下りる。ここはまだ真っ盛りだ。ここで引き返す。ゆっくり車を走らせながら、林道の秋を満喫した。帰りに見えた白山は白く雪化粧をしていた。

2012年10月14日日曜日

川金と鮎

 「川金」とは何か。それは富山県の庄川河畔にある温泉郷の、古くは雄神温泉と言われた温泉の一軒宿の名前である。私は庄川温泉郷にはこれまで3回宿泊したことがあるが、そのうちの2回は川金での宿泊であった。
 私は金沢大学薬学部を卒業後、石川県衛生研究所に奉職した。研究所ではウイルスを扱うことになり、基礎的なことは国立公衆衛生院や国立予防衛生研究所で研鑽を積んだが、研究的な面は当時の三根所長の勧めもあって、まだ赴任されて間もない医学部細菌学教室の波田野助教授に師事することになった。こうして私は勤務が終わってからは細菌学教室へ通うことになる。しかし、2年後にはがん研究施設が開設され、2番目に設けられたウイルス部門の教授に波田野先生が就任されたので、私も籍を医学部からがん研へ移した。こうして細菌学教室にはほぼ2年間在籍した。
 ところで細菌学教室は初代の谷先生の後、私がお邪魔した時は二代目の西田先生が主宰されていて、主に耳鼻咽喉科や歯科の開業医の先生方が沢山在籍されていた。そして年に一回は同門会が開催されていた。当初私は波田野先生に師事していたこともあって、呼ばれたことはなかったが、学位をもらってからは、短い期間ながら在籍していたということで、西田先生のお許しも出て末席を汚すことになった。
 この同門会は年に一度は一泊して語り合うということで、富山、石川、福井に在住する同門の先生方が、持ち回りでお世話し開催することになっていて、ある年の開催は富山の先生が幹事で、その泊まり先が「川金」だった。ここでのメインは川魚で、その時は立派な天然の夫婦鮎の姿焼きが出た。西田先生は殊の外お喜びで、次の年は石川の担当で、私が幹事を仰せつかっていたが、西田先生は私に来年もここで同門会を開いてほしいと仰った。ほかならぬ教授先生の一言で、その会の〆の挨拶で、私は来年は石川の当番だけど、西田先生の希望で、富山のこの地で開催しますので宜しくと話した。
 翌年の秋、宿は前年と同じ川金だったが、三十数名の先生方が参加され、鮎をメインにした料理を楽しんでもらった。先生にも大変満足してもらい、面目を果たした。でもこの時も、ここは川魚をメインとした料理宿であることは分かったものの、ここで昼食する以外に、川金で経営している鮎小屋があり、そこでは部屋に上がらずに鮎を食べられるというのは、その時はまだ知らなかった。
 当時、石川県の知事は中西陽一さんで、この知事さんは鮎が大好きで、その鮎を食べにはるばる庄川河畔の川金へ遠征されるとかと聞いた。当然勤務が終わってからのお出かけなので、夕方の6時や7時なのだろうが、それを聞いて一度私も寄ってみたいと思ったものだ。あの庄川河畔には、鮎の塩焼きを食べさせる店は数軒あり、私はこの地区にある全ての店へ寄って食べ比べたが、鮎の塩焼きに限れば、焼きも雰囲気も川金の鮎小屋の「鮎の庄」が最高だった。故中西知事もこのことを知っておいでたに相違ない。当時は高速道路もなく、どんなルートを辿って行かれたのだろうか。ところでここで大量にさばかれる鮎は、姿造りの鮎の刺し身など大型の鮎以外は、すべて養殖の鮎である。
 家内も私もここ川金の鮎が大好きである。特に10月に入ると子持ちになり、これが何とも美味しい。養殖なのであまり大きくはならないが、しっかり真子を孕んでいる。以前は雄(白子)も混じっていたが、この前に出たのはすべて真子だった。家内は当初は頭を食べず、私がフォローしていたが、今は食べてくれている。しかし大型となるとそうはゆかない。でも、家内はもともと魚は嫌い、中でも川魚は大嫌いだったから仕様がない。先月も乞われて5人で来たが、まだ子持ちでなく、喜んではくれたが、やはり子持ちに優るものはない.私は塩焼きのほかに、鮎の造りと「うるか」の三種盛りと清流豆腐、それにすぐ近くに醸造元がある立山を頂いた。
 囲炉裏の方を見ると、真っ赤に熾きた炭火の周りにざっと百尾の竹串を打たれた鮎が円形に並べられ、強火の遠火で焼かれていて、凡そ50人いる客に次々と提供されている。こんな焼き場が2カ所あり、二人で焼いている。また竹串を打つ人は一人で、ピチピチ跳ねる鮎をあっという間に竹串に打っている。正に名人芸だ。この日は鮎を二人で15尾頂いた。この前は一人10尾だった。対価は1尾300〜450円、この日は400円、この前は350円だった。何と言っても此処での目玉は塩焼きで、ほかに唐揚げ、フライ、みぞれ合え等があるが、注文は少ない。ほかにはあゆ雑炊が人気がある。甘露煮、南蛮漬け、粕漬け等はお持ち帰り用である。
 こんな川金へ一度は行ってみられい、寄ってみられい。

2012年9月29日土曜日

三方の秘湯と小浜の古寺

 今私たちは日本秘湯を守る会に加盟する温泉を訪ねている。今回夕日が見られる宿ということで、福井県若狭町の宿を選んだ。朝に野々市を発ち、昼は武生辺りで「そば」を食い、三方五湖を巡り、湖畔の宿に泊まり、翌日は小浜の古寺を訪ね、帰りに敦賀の昆布館や小牧の蒲鉾にでも寄って帰ろうという段取りである。ところで宿から家内に確約の電話があった折、お勧めの場所はありますかと訊いたところ、鯖街道の熊川宿を勧められたとか。そこは私の手元の案内書にはなく、漸く国道303号線に道の駅「若狭熊川宿」を見つけた。家内と連れの女性は訊いた手前乗り気で、そうならば行かずばなるまい。
● 〔そば〕 当初は武生の「谷川」を予定していたが、調べると第3日曜と月曜は定休日、出かけたのが9月の第3日曜日、ならばとずっと以前に寄ったことがある「かめや」へ寄ることにした。以前は町中にあったが、今は郊外へ出たとか、パンフレットを見ると、総檜造りで高級料亭の雰囲気、しかも座席も80席とか、とにかく寄ってみることにする。場所はナビで簡単に見つかった。しかし早く着き過ぎたので、すぐ近くにある紫式部公園をブラつくことにする。陽射しが強い。池があり、東屋があり、太鼓橋があり、紫式部の像があり、でも東屋で寝転がっている人以外は誰もいない。公園を横切ったところには資料館を兼ねた売店があり、そこでヒマラヤの岩塩を求める。人気の商品とか。ステンのおろし金付き、重さ400グラム、死ぬまでには消費できまい。11時近くになり「かめや」へ戻る。駐車場は優に20台は止められる。玄関には龜の古字が三和土に、凝っている。案内された一階は小上がりとカウンター、30人は入られよう。彼女らは天ぷらとざるとビール、飲めない私は天おろしとノンアルコールビール、天ぷらはまずまずだが、二八の太めのそばは今一、そば好きが来る店ではない。でも客は多く満席、駐車場も満杯、でもそばを別にすれば雰囲気は最高だ。
● 〔ドライブと秘湯の宿〕 武生から南下して8号線に出た後、山越えせずに旧有料道路の海沿いの「しおかぜライン」に出、敦賀湾沿いに走る。再び8号線と合し、敦賀半島を対岸に見ながら海岸線を南下する。その後27号線に入り、小浜方面へ向かう。敦賀から美浜まで30分弱、美浜から久々子湖(くぐしこ)の北端を回り、三方五湖レインボウラインに入る。ラインは日向湖(ひるがこ)と久々子湖の背を南下し、日向湖と水月湖(すいげつこ)を結ぶ嵯峨隧道を越え、梅丈岳駐車場へと上がる。500台収容できるというが、ほぼ満車、大型バスも来ている。有料リフトで山頂へ、風は荒いが眺望はよい。若狭湾(日本海)や三方五湖を一望でき、今宵の宿も見えている。山頂公園から常神半島の根を水月湖の西岸へと下る。更に南下し三方湖(みかたこ)をぐるりと回り、菅湖(すがこ)を左に見て、水月湖の東岸にある湖畔の紅岳島(こがしま)温泉の紅岳島荘に入る。茅葺きの重厚な門が印象的だ。ロビーからは水月湖がすぐ間近、湖面をクルーザーがひっきりなしに往来する。対岸には梅丈岳が聳える。早速にラドン温泉へ行く。源泉は気温より低く、加温されている。小さいが源泉そのものの露天風呂もある。湯上がりの「神の河」が美味い。夕食は部屋で、足を下ろせる座卓で、若狭牛と若狭湾の海の幸を若狭の地酒で頂く。十品はあったろう。充分堪能した。
● 〔小浜の古寺〕 翌朝、宿を発つ時にこれから熊川宿へ行くと話すと、宿の姐さんはあまり推奨できないと言う。家内は宿の人から是非と勧められたのに変だと言う。でも車から降りてかなり歩く必要があるとのこと、でも乗りかかった船、とりあえずは道の駅「若狭熊川宿」まで行くことに。概略は国道27号線から国道303号線、通称鯖街道を南下すればよいのだが、ナビに従う。途中ひどい雨に遭う。宿から小一時間、9時近くに道の駅に着いた。広くて閑散としている。ここから宿場へはどうして行くのか、どうも歩かねばならない様子、しかも案内は10時からとか、なので宿場はパスして次へ急ぐ。
 一旦27号線へ出てナビに従って明通寺(みょうつうじ)へ、道は松永川を遡行する。やがて明通寺に、奥の駐車場に車を止める。かなり広い。川にかかる橋を渡り寺へ、右手に割烹旅館、左へ進み寺へ。境内は広く、老杉が鬱蒼と繁る。参道を進み山門を潜り、高みにある本堂へ、すると本堂から若い僧が声をかけてくれ、お上がり下さいと、本堂へ上がる。縁起を語られる。この寺は大同元年(806)に征夷大将軍・坂上田村麻呂によって創建されたという。本堂の一段高みには三重塔があり、共に国宝、他に木造の仏像4体が国指定の重要文化財になっている。心洗われる名刹である。宗派は真言宗御室派である。
 次に妙楽寺(みょうらくじ)へ向かう。これもナビに従う。一旦国道27号線へ戻るように北上し、途中から若狭西街道へ入る。トンネルを3つ抜けて国道162号線に出ると妙楽寺は近い。この寺は養老3年(719)に僧行基が開創し、延暦16年(797)に弘法大師により再興されたとある。本堂は若狭では最古の建造物とか、そしてここに安置されている檜一木刻みの二十四面千手観音菩薩立像は、本堂と共に国指定の重要文化財になっている。帰りに連れが梵鐘を撞いた。澄んだ心に染みる音だった。宗派は真言宗高野山派である。