2012年10月14日日曜日

川金と鮎

 「川金」とは何か。それは富山県の庄川河畔にある温泉郷の、古くは雄神温泉と言われた温泉の一軒宿の名前である。私は庄川温泉郷にはこれまで3回宿泊したことがあるが、そのうちの2回は川金での宿泊であった。
 私は金沢大学薬学部を卒業後、石川県衛生研究所に奉職した。研究所ではウイルスを扱うことになり、基礎的なことは国立公衆衛生院や国立予防衛生研究所で研鑽を積んだが、研究的な面は当時の三根所長の勧めもあって、まだ赴任されて間もない医学部細菌学教室の波田野助教授に師事することになった。こうして私は勤務が終わってからは細菌学教室へ通うことになる。しかし、2年後にはがん研究施設が開設され、2番目に設けられたウイルス部門の教授に波田野先生が就任されたので、私も籍を医学部からがん研へ移した。こうして細菌学教室にはほぼ2年間在籍した。
 ところで細菌学教室は初代の谷先生の後、私がお邪魔した時は二代目の西田先生が主宰されていて、主に耳鼻咽喉科や歯科の開業医の先生方が沢山在籍されていた。そして年に一回は同門会が開催されていた。当初私は波田野先生に師事していたこともあって、呼ばれたことはなかったが、学位をもらってからは、短い期間ながら在籍していたということで、西田先生のお許しも出て末席を汚すことになった。
 この同門会は年に一度は一泊して語り合うということで、富山、石川、福井に在住する同門の先生方が、持ち回りでお世話し開催することになっていて、ある年の開催は富山の先生が幹事で、その泊まり先が「川金」だった。ここでのメインは川魚で、その時は立派な天然の夫婦鮎の姿焼きが出た。西田先生は殊の外お喜びで、次の年は石川の担当で、私が幹事を仰せつかっていたが、西田先生は私に来年もここで同門会を開いてほしいと仰った。ほかならぬ教授先生の一言で、その会の〆の挨拶で、私は来年は石川の当番だけど、西田先生の希望で、富山のこの地で開催しますので宜しくと話した。
 翌年の秋、宿は前年と同じ川金だったが、三十数名の先生方が参加され、鮎をメインにした料理を楽しんでもらった。先生にも大変満足してもらい、面目を果たした。でもこの時も、ここは川魚をメインとした料理宿であることは分かったものの、ここで昼食する以外に、川金で経営している鮎小屋があり、そこでは部屋に上がらずに鮎を食べられるというのは、その時はまだ知らなかった。
 当時、石川県の知事は中西陽一さんで、この知事さんは鮎が大好きで、その鮎を食べにはるばる庄川河畔の川金へ遠征されるとかと聞いた。当然勤務が終わってからのお出かけなので、夕方の6時や7時なのだろうが、それを聞いて一度私も寄ってみたいと思ったものだ。あの庄川河畔には、鮎の塩焼きを食べさせる店は数軒あり、私はこの地区にある全ての店へ寄って食べ比べたが、鮎の塩焼きに限れば、焼きも雰囲気も川金の鮎小屋の「鮎の庄」が最高だった。故中西知事もこのことを知っておいでたに相違ない。当時は高速道路もなく、どんなルートを辿って行かれたのだろうか。ところでここで大量にさばかれる鮎は、姿造りの鮎の刺し身など大型の鮎以外は、すべて養殖の鮎である。
 家内も私もここ川金の鮎が大好きである。特に10月に入ると子持ちになり、これが何とも美味しい。養殖なのであまり大きくはならないが、しっかり真子を孕んでいる。以前は雄(白子)も混じっていたが、この前に出たのはすべて真子だった。家内は当初は頭を食べず、私がフォローしていたが、今は食べてくれている。しかし大型となるとそうはゆかない。でも、家内はもともと魚は嫌い、中でも川魚は大嫌いだったから仕様がない。先月も乞われて5人で来たが、まだ子持ちでなく、喜んではくれたが、やはり子持ちに優るものはない.私は塩焼きのほかに、鮎の造りと「うるか」の三種盛りと清流豆腐、それにすぐ近くに醸造元がある立山を頂いた。
 囲炉裏の方を見ると、真っ赤に熾きた炭火の周りにざっと百尾の竹串を打たれた鮎が円形に並べられ、強火の遠火で焼かれていて、凡そ50人いる客に次々と提供されている。こんな焼き場が2カ所あり、二人で焼いている。また竹串を打つ人は一人で、ピチピチ跳ねる鮎をあっという間に竹串に打っている。正に名人芸だ。この日は鮎を二人で15尾頂いた。この前は一人10尾だった。対価は1尾300〜450円、この日は400円、この前は350円だった。何と言っても此処での目玉は塩焼きで、ほかに唐揚げ、フライ、みぞれ合え等があるが、注文は少ない。ほかにはあゆ雑炊が人気がある。甘露煮、南蛮漬け、粕漬け等はお持ち帰り用である。
 こんな川金へ一度は行ってみられい、寄ってみられい。

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