2012年11月7日水曜日

中の湯温泉と上高地(その1)

 日本秘湯を守る会というのがあって、1都1道29県の194軒がこの会に加盟している。加盟にどんな制約があるのかは知らないが、一昨年の11月に長野県の中の湯温泉旅館へ行ったとき、帰りにこの会のスタンプ帳を頂いた。これまでも秘湯と呼ばれる湯宿に何軒か投宿しているが、そんな恩典があるとの話は全く聞いたことがなかった。それによると、3年間の間に、会員の宿10軒に泊まってその証明を貰えば、朝日旅行の斡旋により、泊まった宿の中の希望する1軒に宿泊招待されるという仕組みである。ところで今年は中の湯温泉旅館から感謝サービスと称する割引案内が舞い込み、それではと勇んで家内と出かけることにした。11月3日と4日の連休にお願いしたところ、折よく空いていて、メンバーは家内が勤務する病院の薬剤師のH嬢との3人連れである。11月3日は旧明治節、今は文化の日、晴れの確率がかなり高いというのが例年の予想である。
 当日は朝9時に家を発つ。天候は曇り、予報では曇時々晴の予想、若干外れている。H嬢を小立野で乗せ、先ずは森本ICから北陸道へ。中の湯へは高速道を富山ICで下り、国道41号線を南下し、神岡で国道471号線(旧県道神岡上宝線)へ入り、平湯温泉で国道158号線に出て左折し、安房トンネルを抜け、すぐ左折して安房峠へ向かうと中の湯温泉に達する。このルートで、金沢からは3時間位だろうか。時間は十分あるので、私の発案で、高岡市にある瑞龍寺に参拝し、蕎文でそばを食べてから中の湯へ向かうことにする。彼女らもこの提案に興味を示した。ただ寺の方は以前に寄ったことがあるとのことだったが。という私も9月の探蕎会例会で来たばかりだが、あの気を落ち着かせる素晴らしい雰囲気は、何度でも味わいたくなる魔力を秘めている。

「高岡山瑞龍寺」
 高岡の町並みは高速道とは離れていて不便だ。勝手が分からないのでナビに頼ることにする。するとナビは能越自動車道へ入れという。指示に従い高岡北ICで下りる。後はナビの指示に従い、一カ所通行できない箇所に遭遇したものの、無事寺の駐車場に着けた。小雨が降ってきた。総門(重文)を通ると正面に二層の山門(国宝)、歩みと両側にある回廊との間の空間には白い玉砂利が敷き詰められていて、茫洋とした海原を彷彿とさせる、心に穏やかさをもたらす時空である。静けさが辺りを支配する。山門を潜ると、正面に仏殿(国宝)が見え、この内陣の平面は芝の緑で覆い尽くされている。雨に濡れた芝生は安らぎをもたらしてくれる。仏殿には、釈迦・文殊・普賢の三尊が御本尊として祀られている。仏殿を抜けると、回廊を擁する法堂(はっと)(国宝)、境内では最も大きな建物とか、中央奥の内陣には、前田利長公の特大の御位牌が安置されている。法堂から北回廊へ回る。この前来た時は南回廊を通った。大茶堂(重文)、鐘楼の脇を通り、大庫裏(重文)へ、調理配膳する場所、結露に配慮して、天井を漆喰で曲線にしてある。山門へ戻り、総門で辞する。
 少々時間があったので、利長公の墓所へ向かうことに。墓所へは寺から真東に八丁道を14分とある。1km強なのだろう。今は新しい道路が出来て、八丁道は所々で分断されているが、昔は寺から墓所まで一本道だったのだろう。墓所前には鳥居があり、辺りは小さな杜をなしていて、鳥が啼いている。そして高さ12mもの墓が奥に聳えている。歴代のどの武将よりも大きな墓だとか。ここへは車でも来られることが分かった。
「蕎 文」
 11時半近くになったので、佐野にある蕎文へ、方向音痴とあってナビの世話になる。とは言っても、入力した電話番号は大正13年創業の「坊ちゃんとうふ」、蕎文はその向かいだからだ。車がおとぎの国公園の横を通るに及び、もう間近だと実感する。蕎文の駐車場にはもう数台の車が、次々と車が入って来る。看板は全く出ていないのに、口コミなのだろうか。中へ入るとそれほど混んでなく、取材があったようだった。小上がりの唯一明かりを取り入れている座卓に陣取る。彼女らは「もり」とエビスビール、私は「辛味大根ぶっかけ」を所望する。そばは「もり」と「田舎」があり、この前の時は両方食べられる「あいもり」を頂いたが、お品書きにはこの相盛りは載っていない。結構蕎麦にはうるさい家内も、このそばには満足したようだった。私の辛味大根ぶっかけも上品で辛く、洗練された辛味が印象的だった。蕎麦湯は釜の湯、私にはこの方が向いている。入り口右手の展示即売している空間は小ギャラリーでアートワークススタディオ・アンといい、これがこの建物の名称ともなっている。案内文には「黒っぽい建物です」と紹介されていたが、「そば」もやっていますとは書いてなかった。まことに不思議な店だ。

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