今私たちは日本秘湯を守る会に加盟する温泉を訪ねている。今回夕日が見られる宿ということで、福井県若狭町の宿を選んだ。朝に野々市を発ち、昼は武生辺りで「そば」を食い、三方五湖を巡り、湖畔の宿に泊まり、翌日は小浜の古寺を訪ね、帰りに敦賀の昆布館や小牧の蒲鉾にでも寄って帰ろうという段取りである。ところで宿から家内に確約の電話があった折、お勧めの場所はありますかと訊いたところ、鯖街道の熊川宿を勧められたとか。そこは私の手元の案内書にはなく、漸く国道303号線に道の駅「若狭熊川宿」を見つけた。家内と連れの女性は訊いた手前乗り気で、そうならば行かずばなるまい。
● 〔そば〕 当初は武生の「谷川」を予定していたが、調べると第3日曜と月曜は定休日、出かけたのが9月の第3日曜日、ならばとずっと以前に寄ったことがある「かめや」へ寄ることにした。以前は町中にあったが、今は郊外へ出たとか、パンフレットを見ると、総檜造りで高級料亭の雰囲気、しかも座席も80席とか、とにかく寄ってみることにする。場所はナビで簡単に見つかった。しかし早く着き過ぎたので、すぐ近くにある紫式部公園をブラつくことにする。陽射しが強い。池があり、東屋があり、太鼓橋があり、紫式部の像があり、でも東屋で寝転がっている人以外は誰もいない。公園を横切ったところには資料館を兼ねた売店があり、そこでヒマラヤの岩塩を求める。人気の商品とか。ステンのおろし金付き、重さ400グラム、死ぬまでには消費できまい。11時近くになり「かめや」へ戻る。駐車場は優に20台は止められる。玄関には龜の古字が三和土に、凝っている。案内された一階は小上がりとカウンター、30人は入られよう。彼女らは天ぷらとざるとビール、飲めない私は天おろしとノンアルコールビール、天ぷらはまずまずだが、二八の太めのそばは今一、そば好きが来る店ではない。でも客は多く満席、駐車場も満杯、でもそばを別にすれば雰囲気は最高だ。
● 〔ドライブと秘湯の宿〕 武生から南下して8号線に出た後、山越えせずに旧有料道路の海沿いの「しおかぜライン」に出、敦賀湾沿いに走る。再び8号線と合し、敦賀半島を対岸に見ながら海岸線を南下する。その後27号線に入り、小浜方面へ向かう。敦賀から美浜まで30分弱、美浜から久々子湖(くぐしこ)の北端を回り、三方五湖レインボウラインに入る。ラインは日向湖(ひるがこ)と久々子湖の背を南下し、日向湖と水月湖(すいげつこ)を結ぶ嵯峨隧道を越え、梅丈岳駐車場へと上がる。500台収容できるというが、ほぼ満車、大型バスも来ている。有料リフトで山頂へ、風は荒いが眺望はよい。若狭湾(日本海)や三方五湖を一望でき、今宵の宿も見えている。山頂公園から常神半島の根を水月湖の西岸へと下る。更に南下し三方湖(みかたこ)をぐるりと回り、菅湖(すがこ)を左に見て、水月湖の東岸にある湖畔の紅岳島(こがしま)温泉の紅岳島荘に入る。茅葺きの重厚な門が印象的だ。ロビーからは水月湖がすぐ間近、湖面をクルーザーがひっきりなしに往来する。対岸には梅丈岳が聳える。早速にラドン温泉へ行く。源泉は気温より低く、加温されている。小さいが源泉そのものの露天風呂もある。湯上がりの「神の河」が美味い。夕食は部屋で、足を下ろせる座卓で、若狭牛と若狭湾の海の幸を若狭の地酒で頂く。十品はあったろう。充分堪能した。
● 〔小浜の古寺〕 翌朝、宿を発つ時にこれから熊川宿へ行くと話すと、宿の姐さんはあまり推奨できないと言う。家内は宿の人から是非と勧められたのに変だと言う。でも車から降りてかなり歩く必要があるとのこと、でも乗りかかった船、とりあえずは道の駅「若狭熊川宿」まで行くことに。概略は国道27号線から国道303号線、通称鯖街道を南下すればよいのだが、ナビに従う。途中ひどい雨に遭う。宿から小一時間、9時近くに道の駅に着いた。広くて閑散としている。ここから宿場へはどうして行くのか、どうも歩かねばならない様子、しかも案内は10時からとか、なので宿場はパスして次へ急ぐ。
一旦27号線へ出てナビに従って明通寺(みょうつうじ)へ、道は松永川を遡行する。やがて明通寺に、奥の駐車場に車を止める。かなり広い。川にかかる橋を渡り寺へ、右手に割烹旅館、左へ進み寺へ。境内は広く、老杉が鬱蒼と繁る。参道を進み山門を潜り、高みにある本堂へ、すると本堂から若い僧が声をかけてくれ、お上がり下さいと、本堂へ上がる。縁起を語られる。この寺は大同元年(806)に征夷大将軍・坂上田村麻呂によって創建されたという。本堂の一段高みには三重塔があり、共に国宝、他に木造の仏像4体が国指定の重要文化財になっている。心洗われる名刹である。宗派は真言宗御室派である。
次に妙楽寺(みょうらくじ)へ向かう。これもナビに従う。一旦国道27号線へ戻るように北上し、途中から若狭西街道へ入る。トンネルを3つ抜けて国道162号線に出ると妙楽寺は近い。この寺は養老3年(719)に僧行基が開創し、延暦16年(797)に弘法大師により再興されたとある。本堂は若狭では最古の建造物とか、そしてここに安置されている檜一木刻みの二十四面千手観音菩薩立像は、本堂と共に国指定の重要文化財になっている。帰りに連れが梵鐘を撞いた。澄んだ心に染みる音だった。宗派は真言宗高野山派である。
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