3.初めてのみちのく蕎麦ツアー 平成12年 (2000) 5月12〜14日
このツアー名は私が勝手に書いたもので、もちろん正式なものではない。ところで当時の会の機関誌「探蕎」には、波田野会長は「山形蕎麦街道ツアー」と書いておいでだ。この企画がどうして立ち上がったのかは、会長や発起人の方々がお骨折り頂いたことに間違いはないのだろうけれど、やはり既に何度か山形方面へ出かけられていた久保さんの尽力があったからこそ、実現したのではないかと思う。この辺りの経緯は発起人である前田事務局長ならご存じと思う。このツアーには、波田野会長以下、発起人の北島、前田、松原副会長のほか、50音順に、太田、木村、久保夫妻、越浦、小塩、砂川夫妻、松原夫人、松田の14人が参加した。
またこのツアーが行われるに当たっては、企画立案が大事で、2泊3日のツアーをスムースに行なうには、寄るべき蕎麦屋は久保さんに一任するとして、宿の確保と行事は北島さんが担当された。この方は NTT に勤務されていた方で、当時はまだ普及していなかったインターネットを駆使して情報を収集され、宿の確保もさることながら、山形の地での「蕎麦道楽衆」なる同好の士との交流までも企画して頂き、実に実り多いツアーになった。そしてもう一つは足のこと、これも大変重要な要素の一つである。これに呼応して参加されたのが砂川の旦那だった。この方は日本通運の長距離大型トラックの運転の経験があり、東北までの往復など朝飯前、私たちはこの朗報に欣喜雀躍したものだ。素晴らしい頼もしい助っ人が現れたものだ。お陰で楽しいマイクロバスでの探蕎の旅が約束されたも同然だった。
・初日 5月12日(金)
朝6時に久保さんの先導車とマイクロバスで金沢を発ち、昼には山形県南陽市の「荻の源蔵そば」に着いた。ここは茅葺きの百姓家、明治24年の創業とか、現在は4代目、自家製粉、生粉打ち、メニューは「生そば」のみ、その評価は「これはそばだ」という感じだった。次いで大石田町の「七兵衛そば」を予定していたが、北島さんの尽力で、今宵の宿、天童市の「滝の湯ホテル」で、蕎麦道楽衆との懇談と道楽衆の打つそばを賞味できるとかで、ホテルへ直行することに。ホテルでは直営の広重美術館で作品を鑑賞し、会議室では天童道楽衆代表から「そばは人と人とのつなぎ役」というテーマでの講演と交談、実に有意義な素晴らしい企画だった。そして道楽衆手打ちの「そば」は夕食時に出されたが、なかなか格調の高いそばだった。それに美人女将にお酌までして頂き、感激してしまった。
・二日目 5月13日(土)
先ず久保さんの提案で、寒河江市にある慈恩宗本山の瑞宝山慈恩寺を訪れた。その後村山市にある「あらきそば」へ直行。北島さんの話では、予約の開店11時前には着かないといけないとのこと、丁度予定の時間に筑後150年という茅葺きの百姓家に入れた。板張りに白木の座卓、正に田舎家そのもの、今は三代目と四代目が打ち手、出し物は「板そば」オンリー、「うす毛利」は「昔毛利」の半分とは言え、普通の量の倍はあろうかという盛り、秋田杉の柾目の板箱に、箱一杯に広げられていて、何とも圧巻である。流石名にし負う絶品だ。波田野会長は折よく二代目と談笑されたが、その中で何故「あらき」なのかの問いには、先代が荒木又右衛門の大ファンで、名の又三にもその一字が入っていて、代々襲名とかだった。
その後松原副会長の提唱で、山形市の庄司屋へ入る前に、山形市の菓子処佐藤屋へ寄り銘菓「乃し梅」を求め、また重要文化財となっている旧山形県庁舎と議事堂の「文翔館」を見学した。次いで山形では最も古い江戸末期の創業の「庄司屋」へ。現当主は21代目で、出されたのは十一 (といち) の更科そば、ここの変わりそばも素晴らしかろうと思う。そして今宵の宿「ホテルサンルート米沢」へ。そして荷物を置く間もなく近くの「粉名屋小太郎」に出かけた。現当主は12代目、直に店の来歴を聴かせて頂いた。そばは更科系の白くて細めのそば、老舗の味をとくと味わった。翌朝聞いた話では、夕食後、米沢牛を求めて「吉亭」なる店まで出かけたという豪の者が5名いたという話を耳に挿んだ。
・三日目 5月14日(日)
ホテルを出て市内にある米沢城址へ、そして園内にある上杉神社に参拝した。それから南下し、大峠を越えて福島県へ、そして喜多方市では「大和川酒蔵北方風土館」を見学し、次いで山都町宮古地区にある「なかじま」に向かう。山深い処で13軒の農家が蕎麦を提供している。ここでは朱塗りのお椀に水が入っていて、それに蕎麦を浸して食べる「水蕎麦」が名物、初めての貴重な体験だった。こうして初回の素晴らしいみちのくへの旅は終わった。
2016年2月29日月曜日
2016年2月27日土曜日
久保さん夫妻とのみちのくへの蕎麦屋巡り(その1)
1.久保健一さんのこと
探蕎会の副会長をされていた久保健一さんが、平成27年 (2015) 年11月17日に急逝された。9日前の11月8日には探蕎会の11月の例会を、久保さん縁のそば屋でもある金沢市泉丘の「やまの葉」で行なったというのにである。この店は出来立ての頃に久保さんから初めて紹介され、私も家内と何度か出かけたことがある店である。この日もお酒がすすんで、心地よい酔いのあと、久保さんと談笑しながら、終わっては家内の車でご自宅までお送りした。その日も御当人はお元気そのもので、車の中でもいろんなお話を伺い、実に愉快だった。それなのに十日を待たずして幽界に赴かれるとは、今でもとても信じられない。久保健一さんのご冥福を心からお祈りしたい。
久保さんは探蕎会が発足した平成10年 (1998) に入会なさっている。しかし蕎麦に関する知識や巡られた蕎麦屋の数は、当時発起人でもあり、全国を巡って「蕎麦屋無責任番付」を出された波田野会長にも勝るとも劣らない程、あちこちの蕎麦屋を行脚されていた。後年探蕎会で蕎麦屋巡りをするに当たっては、会員の面々は正に久保さんには「おんぶにだっこ」の状態だったと言えよう。石川、富山、福井の北陸三県は言うに及ばず、遠く東北、信州、東海、秩父、伊豆、関西、山陰の各地へ遠征できたのも、久保さんのアドバイスに負っていたと言っても過言ではない。しかも久保さんは正に俗にいう「人間ナビゲーター」だった。今でこそ車にカーナビは標準装備だが、当時は地図が頼り、でも久保さんは正に人間ナビであって、的確に私たちを目的地に案内してくれる能力を持ち合わせておいでた。
一方で、久保さんの奥さんは斎藤茂吉に心酔されていた歌人なこともあって、度々お二人でみちのくへ出かけられていたようだった。特に奥さんは茂吉の故郷である山形には格別な想いを持っておいでたようである。そして会の機関誌の「探蕎」にも、時折詠まれた短歌を寄稿されていたが、格調の高い素晴らしい歌で、とても私たちには及びがつかないレベルなのに驚かされたものだ。
思うに会員の諸氏は、私も含めて、こんな素晴らしい先達がおいでたからこそ、みちのくはもとより、全国津々浦々にある多くの旨い蕎麦屋へ立ち寄ることができ、かつその土地々々の名勝旧跡にも接することができたと思う。これは会の発起人の波田野会長の理念にも合致するものであって、それを久保さんは巧みに調和されて私たち会員を導いて下さった。久保さんの他界による損失は真に計り知れないと言える。まだまだ私たちを導いてほしかった。
久保さんはまた音楽にも造詣が深かった。自宅にはグランドピアノがあり、LP や CD を沢山所蔵されており、立派なオーディオを持たれ、そして時には合唱団の指導・指揮をもなされていた。また奥さん共々オーケストラアンサンブル金沢 (OED) の定期会員にもなっておいでて、私もよく定期演奏会ではご一緒になった。そして時には東京や大阪までも演奏会に出かけられていたという。しかしもうお会いすることは叶わない。本当に、惜しい方を亡くしてしまった。
2.久保さんとのみちのくへの旅のはじめに
久保さんには、ずいぶん多くの地域の蕎麦屋へ連れていって頂いた。久保さんという先達がおいででなかったら、地元はともかく、全国津々浦々のこれだけ多くの蕎麦屋へは、とても私一人では行けなかったろうにと思う。ここに久保さんとのその足跡の全てを網羅することは困難であるが、その概況は現寺田会長がまとめられた「探蕎会の足取り」を見れば、その足跡をほぼ辿ることができよう。ここでは、私が久保さん夫妻が特に思い入れが深かったのではないかと推察する、山形・福島への5回の探蕎行を振り返って、そのみちのくへの旅の一端を思い浮かべてみようと思う。
ところでこの5回のみちのくへの探蕎行には、会員は久保さん夫妻をも含めて、延べ 27 人が参加している。参加人数は、1回目14人、2回目14人、3回目13人、4回目12人、5回目8人である。勿論久保さん夫妻は全回に参加されておいでるが、ほかに共々5回全部に参加したのは、小塩、松田と私の3人、3回参加されたのが、砂川、前田、石黒、和泉の4人、そして2回参加された方が6人、1回のみの参加が12人であった。もっともこの中には、今は既に退会されている方も含まれている。正に人間ナビと称された久保さんあっての「みちのく蕎麦屋巡り」であったと述懐している。
探蕎会の副会長をされていた久保健一さんが、平成27年 (2015) 年11月17日に急逝された。9日前の11月8日には探蕎会の11月の例会を、久保さん縁のそば屋でもある金沢市泉丘の「やまの葉」で行なったというのにである。この店は出来立ての頃に久保さんから初めて紹介され、私も家内と何度か出かけたことがある店である。この日もお酒がすすんで、心地よい酔いのあと、久保さんと談笑しながら、終わっては家内の車でご自宅までお送りした。その日も御当人はお元気そのもので、車の中でもいろんなお話を伺い、実に愉快だった。それなのに十日を待たずして幽界に赴かれるとは、今でもとても信じられない。久保健一さんのご冥福を心からお祈りしたい。
久保さんは探蕎会が発足した平成10年 (1998) に入会なさっている。しかし蕎麦に関する知識や巡られた蕎麦屋の数は、当時発起人でもあり、全国を巡って「蕎麦屋無責任番付」を出された波田野会長にも勝るとも劣らない程、あちこちの蕎麦屋を行脚されていた。後年探蕎会で蕎麦屋巡りをするに当たっては、会員の面々は正に久保さんには「おんぶにだっこ」の状態だったと言えよう。石川、富山、福井の北陸三県は言うに及ばず、遠く東北、信州、東海、秩父、伊豆、関西、山陰の各地へ遠征できたのも、久保さんのアドバイスに負っていたと言っても過言ではない。しかも久保さんは正に俗にいう「人間ナビゲーター」だった。今でこそ車にカーナビは標準装備だが、当時は地図が頼り、でも久保さんは正に人間ナビであって、的確に私たちを目的地に案内してくれる能力を持ち合わせておいでた。
一方で、久保さんの奥さんは斎藤茂吉に心酔されていた歌人なこともあって、度々お二人でみちのくへ出かけられていたようだった。特に奥さんは茂吉の故郷である山形には格別な想いを持っておいでたようである。そして会の機関誌の「探蕎」にも、時折詠まれた短歌を寄稿されていたが、格調の高い素晴らしい歌で、とても私たちには及びがつかないレベルなのに驚かされたものだ。
思うに会員の諸氏は、私も含めて、こんな素晴らしい先達がおいでたからこそ、みちのくはもとより、全国津々浦々にある多くの旨い蕎麦屋へ立ち寄ることができ、かつその土地々々の名勝旧跡にも接することができたと思う。これは会の発起人の波田野会長の理念にも合致するものであって、それを久保さんは巧みに調和されて私たち会員を導いて下さった。久保さんの他界による損失は真に計り知れないと言える。まだまだ私たちを導いてほしかった。
久保さんはまた音楽にも造詣が深かった。自宅にはグランドピアノがあり、LP や CD を沢山所蔵されており、立派なオーディオを持たれ、そして時には合唱団の指導・指揮をもなされていた。また奥さん共々オーケストラアンサンブル金沢 (OED) の定期会員にもなっておいでて、私もよく定期演奏会ではご一緒になった。そして時には東京や大阪までも演奏会に出かけられていたという。しかしもうお会いすることは叶わない。本当に、惜しい方を亡くしてしまった。
2.久保さんとのみちのくへの旅のはじめに
久保さんには、ずいぶん多くの地域の蕎麦屋へ連れていって頂いた。久保さんという先達がおいででなかったら、地元はともかく、全国津々浦々のこれだけ多くの蕎麦屋へは、とても私一人では行けなかったろうにと思う。ここに久保さんとのその足跡の全てを網羅することは困難であるが、その概況は現寺田会長がまとめられた「探蕎会の足取り」を見れば、その足跡をほぼ辿ることができよう。ここでは、私が久保さん夫妻が特に思い入れが深かったのではないかと推察する、山形・福島への5回の探蕎行を振り返って、そのみちのくへの旅の一端を思い浮かべてみようと思う。
ところでこの5回のみちのくへの探蕎行には、会員は久保さん夫妻をも含めて、延べ 27 人が参加している。参加人数は、1回目14人、2回目14人、3回目13人、4回目12人、5回目8人である。勿論久保さん夫妻は全回に参加されておいでるが、ほかに共々5回全部に参加したのは、小塩、松田と私の3人、3回参加されたのが、砂川、前田、石黒、和泉の4人、そして2回参加された方が6人、1回のみの参加が12人であった。もっともこの中には、今は既に退会されている方も含まれている。正に人間ナビと称された久保さんあっての「みちのく蕎麦屋巡り」であったと述懐している。
2016年1月29日金曜日
世界と日本の「白い山」考(その2)
日本の「白い山」 日本山名事典(三省堂)から引用
標高順に山名 (呼び名) 標高・所在地・「2.5万分1地形図名」・「20万分1地勢図名 」を記した。
(1)白 山
1.白山(はくさん) 2,702m・石川県白山市、福井県大野市、岐阜県郡上市/高山市/白川村の境・
「越前勝山」(5万分1名)・「金沢」
2.白山(はくさん)1,910m・栃木県足尾町・「皇海山」・「日光」
3.白山(はくさん)1,387m・長野県波田町・「波田」・「高山」
4.白山(はくさん)1,073m・熊本県中央町/砥用町と泉村の境・「柿迫」・「八代」
5.白山(はくさん)1,012m・新潟県加茂市と村松町の境・「越後白山」・「新潟」
6.白山(はくさん) 862m・岐阜県白川町・「金山」・「飯田」
7.白山(はくさん、はっさん)793m・鹿児島県垂水市・「上祓川」・「鹿児島」
8.白山(はくさん) 658m・静岡県森町と春野町の境・「犬居」・「豊橋」
9.白山(はくさん) 547m・兵庫県氷上町・「柏原」・「京都及大阪」
10.白山(はくさん) 510m・兵庫県黒田庄町・「谷川」・「京都及大阪」
11. 白山(はくさん) 400m・大分県大分市・「坂ノ市」・「大分」
12. 白山(はくさん) 319m・福岡県宗像市・「吉木」・「福岡」
13.白山(はくさん) 289m・秋田県湯沢市と羽後町の境・「湯沢」・「新庄」
14.白山(はくさん) 284m・神奈川県厚木市と清川村の境・「厚木」・「東京」
15.白山(はくさん) 274m・岐阜県加茂市と八百津町の境・「美濃加茂」・「飯田」
16.白山(しらやま、はくさん、はくざん) 274m・長崎県対馬市・「小茂田」・「厳原」
17.白山(しらやま、はくさん) 251m・山口県菊川町・「田部」・「山口」
18.白山(はくさん) 218m・熊本県宇土市・「熊本」
19.白山(はくさん) 213m・茨城県桂村・「野口」・「水戸」
20.白山(しらやま、しろやま) 203m(東讃富士)・香川県三木町・「志度」・「徳島」
21.白山(はくさん、しろやま) 184m・岩手県紫波町・「日詰」・「盛岡」
22.白山(はくさん) 171m・福岡県北九州市若松区・「折尾」・「福岡」
付.白山岳(はくさんだけ) 3,756m(富士山頂の一峰)・山梨県富士吉田市/鳴沢村と静岡県小山町の 境・「富士山」・「甲府」
(2)接頭語が「し」で始まる「白」が付いた山々と数 (日本山名事典による)
白猪山・白石岳・白石峰・白石山 (9)・白井岳 (2)・白板山・白井山・白岩山 (8)・白岩岳 (3)・白老岳・白尾山 (6)・白皇山・白鹿岳・白鹿山・白髪岳 (3)・白髪山 (7)・白銀峰・白金山・白樺山・白神岳 (2)・白亀山・白毛門山・白木山 (6)・白木谷山・白木峰・白草山 (2)・白口岳・白口峰・白雲岳・白倉岳 (2)・白倉山 (10)・白倉又山・白倉峰・白坂山 (2)・白鷺山・白笹山・白沢岳・白沢山 (4)・白沢天狗山・白菅山・白砂山・白須山・白鷹山・白滝山 (9)・白岳 (13)・白岳山・白谷山・白田山・白地畑山・白茶内山・
白手山・白戸山 (2)・白鳥山 (7)・白抜山・白根山 (4)・白根隠山・白野山・白剥山・白萩山・白兀山・白旗山 (4)・白浜山 (3)・白髭岳・白髭山 (2)・白ビソ山・白布山 (2)・白馬山・白馬石山・白水山 (2)・白峰山・白見山・白屋岳・白屋山・白山 (3)・白山堂山・白石岳 (2)・白石山・白岩山 (2)・白馬岳・白馬鑓ヶ岳・白ヶ谷山・白金山・白銀山・白口山・白六山・白倉山・白河内岳・白地畝山・白地山・白砂山・白岳・白太郎山・白津山・白土山・白椿山 (2)・白檜岳・白水岳・白水山・白見山・白身山・白目山・白森山 (2)・白羽山・白蕨山
(3)接頭語が「は」で始まる「白」が付いた山々と数 (日本山名事典による)
白雲山 (3)・白雲岳・白岩寺山・白山 (19)・白山釈迦岳・白山岳・白石山 (2)・白泰山・白雉山・白湯山・白頭山・白土山・白馬山 (2)・白鹿山
標高順に山名 (呼び名) 標高・所在地・「2.5万分1地形図名」・「20万分1地勢図名 」を記した。
(1)白 山
1.白山(はくさん) 2,702m・石川県白山市、福井県大野市、岐阜県郡上市/高山市/白川村の境・
「越前勝山」(5万分1名)・「金沢」
2.白山(はくさん)1,910m・栃木県足尾町・「皇海山」・「日光」
3.白山(はくさん)1,387m・長野県波田町・「波田」・「高山」
4.白山(はくさん)1,073m・熊本県中央町/砥用町と泉村の境・「柿迫」・「八代」
5.白山(はくさん)1,012m・新潟県加茂市と村松町の境・「越後白山」・「新潟」
6.白山(はくさん) 862m・岐阜県白川町・「金山」・「飯田」
7.白山(はくさん、はっさん)793m・鹿児島県垂水市・「上祓川」・「鹿児島」
8.白山(はくさん) 658m・静岡県森町と春野町の境・「犬居」・「豊橋」
9.白山(はくさん) 547m・兵庫県氷上町・「柏原」・「京都及大阪」
10.白山(はくさん) 510m・兵庫県黒田庄町・「谷川」・「京都及大阪」
11. 白山(はくさん) 400m・大分県大分市・「坂ノ市」・「大分」
12. 白山(はくさん) 319m・福岡県宗像市・「吉木」・「福岡」
13.白山(はくさん) 289m・秋田県湯沢市と羽後町の境・「湯沢」・「新庄」
14.白山(はくさん) 284m・神奈川県厚木市と清川村の境・「厚木」・「東京」
15.白山(はくさん) 274m・岐阜県加茂市と八百津町の境・「美濃加茂」・「飯田」
16.白山(しらやま、はくさん、はくざん) 274m・長崎県対馬市・「小茂田」・「厳原」
17.白山(しらやま、はくさん) 251m・山口県菊川町・「田部」・「山口」
18.白山(はくさん) 218m・熊本県宇土市・「熊本」
19.白山(はくさん) 213m・茨城県桂村・「野口」・「水戸」
20.白山(しらやま、しろやま) 203m(東讃富士)・香川県三木町・「志度」・「徳島」
21.白山(はくさん、しろやま) 184m・岩手県紫波町・「日詰」・「盛岡」
22.白山(はくさん) 171m・福岡県北九州市若松区・「折尾」・「福岡」
付.白山岳(はくさんだけ) 3,756m(富士山頂の一峰)・山梨県富士吉田市/鳴沢村と静岡県小山町の 境・「富士山」・「甲府」
(2)接頭語が「し」で始まる「白」が付いた山々と数 (日本山名事典による)
白猪山・白石岳・白石峰・白石山 (9)・白井岳 (2)・白板山・白井山・白岩山 (8)・白岩岳 (3)・白老岳・白尾山 (6)・白皇山・白鹿岳・白鹿山・白髪岳 (3)・白髪山 (7)・白銀峰・白金山・白樺山・白神岳 (2)・白亀山・白毛門山・白木山 (6)・白木谷山・白木峰・白草山 (2)・白口岳・白口峰・白雲岳・白倉岳 (2)・白倉山 (10)・白倉又山・白倉峰・白坂山 (2)・白鷺山・白笹山・白沢岳・白沢山 (4)・白沢天狗山・白菅山・白砂山・白須山・白鷹山・白滝山 (9)・白岳 (13)・白岳山・白谷山・白田山・白地畑山・白茶内山・
白手山・白戸山 (2)・白鳥山 (7)・白抜山・白根山 (4)・白根隠山・白野山・白剥山・白萩山・白兀山・白旗山 (4)・白浜山 (3)・白髭岳・白髭山 (2)・白ビソ山・白布山 (2)・白馬山・白馬石山・白水山 (2)・白峰山・白見山・白屋岳・白屋山・白山 (3)・白山堂山・白石岳 (2)・白石山・白岩山 (2)・白馬岳・白馬鑓ヶ岳・白ヶ谷山・白金山・白銀山・白口山・白六山・白倉山・白河内岳・白地畝山・白地山・白砂山・白岳・白太郎山・白津山・白土山・白椿山 (2)・白檜岳・白水岳・白水山・白見山・白身山・白目山・白森山 (2)・白羽山・白蕨山
(3)接頭語が「は」で始まる「白」が付いた山々と数 (日本山名事典による)
白雲山 (3)・白雲岳・白岩寺山・白山 (19)・白山釈迦岳・白山岳・白石山 (2)・白泰山・白雉山・白湯山・白頭山・白土山・白馬山 (2)・白鹿山
2016年1月28日木曜日
世界と日本の「白い山」考(その1)
永坂先生から頂いた寒中見舞いの葉書には、先生が撮影されたモンブランの写真が印刷されていた。それには「中央はフランスアルプスのモンブラン (永坂撮影)」とあって、添え書きには「数年前の Mt Blanc 山塊です。今はもっと雪が少ないのではと存じます」とあった。写真には中央に真っ白なピラミッドのモンブランがあり、左右には針峰群を擁している。私は常々「白い山」に憧れみたいな感情を
持っていて、世界にどんな「白い山」があるのかという興味を持っていた。以下に私が知っているその一端を紹介したい。そしてその山々が、広辞苑 (岩波書店) や大辞泉 (小学館) ではどう記載されているかを記してみた。
世界の「白い山」 50音順
1.ヴァイスホルン Weisshorn 4505m
両書に記載なし。
〔私のメモ〕地図を見ると、スイスのツェルマットの北西にあり、南西にはマッターホルン、南東にはモンテ・ローザがある。
2.キリマンジャロ Kilimannjaro 5895m
〔広辞苑〕アフリカ東部、タンザニア北東部にある火山。最高峰キボは海抜 5895m、アフリカ第一の高山。
〔大辞泉〕タンザニア北東部にある火山。アフリカ大陸の最高峰。標高 5895m。赤道付近に位置するが、氷河・万年雪がある。
〔私のメモ〕スワヒリ語では「輝ける山」、マサイ語では「白い山」を意味する。
3.ダウラギリ Dhaulagiri 8167m
〔広辞苑〕記載なし
〔大辞泉〕ネパール中部、ヒマラヤ山脈中の高峰群。第一峰は標高 8167mで、1960 年にスイス隊が初登頂に成功。サンスクリット語で「白い山」の意。
4.マウナ・ケア Mauna Kea 4205m
〔広辞苑〕記載なし
〔大辞泉〕ハワイ島北部にある楯状火山。ハワイ諸島の最高峰。標高 4205m。
〔私のメモ〕ハワイ語で「白い山」を意味する。
5.モン・ブラン Mont Blanc 4807m
〔広辞苑〕アルプス山脈中の最高峰。海抜 4807m。仏・伊両国の国境に聳え、山頂は花崗岩から成る。万年雪に覆われて多くの氷河が流下。山麓に登山基地シャモニーの町がある。
〔大辞泉〕フランス・イタリア国境にある、アルプス山脈の最高峰。標高 4807m。1786年にパッカールとパルマが初登頂。北麓のシャモニーが登山基地。モンテビアンコ。
付.白 山 2702m
〔広辞苑〕石川・岐阜両県にまたがる休火山。主峰の御前峰は海抜 2702m、富士山・立山と共に日本三名山の一。信仰や伝説で知られる。
〔大辞泉〕岐阜・石川両県にまたがる火山。最高峰は御前峰の標高 2702m。古くから信仰の対象とされ、富士山・立山とともに日本三名山の一。しらやま。
付.長白山 Channgbai Shan 2744m
〔広辞苑〕中国東北部と朝鮮との境に聳える火山。松花江・豆満江と鴨緑江との中間にある長白山脈の主峰をなす。海抜 2744m。朝鮮では白頭山と呼ぶ。
〔大辞泉〕白頭山の異称。
付.白頭山
〔広辞苑〕休火山で白色の軽石石灰岩で覆われているからいう。長白山の朝鮮名。
〔大辞泉〕朝鮮民主主義人民共和国と中国との国境にある山。長白山脈の主峰。標高は 2744m。頂上に火口湖の天池がある。長白山。ペクトサン。
持っていて、世界にどんな「白い山」があるのかという興味を持っていた。以下に私が知っているその一端を紹介したい。そしてその山々が、広辞苑 (岩波書店) や大辞泉 (小学館) ではどう記載されているかを記してみた。
世界の「白い山」 50音順
1.ヴァイスホルン Weisshorn 4505m
両書に記載なし。
〔私のメモ〕地図を見ると、スイスのツェルマットの北西にあり、南西にはマッターホルン、南東にはモンテ・ローザがある。
2.キリマンジャロ Kilimannjaro 5895m
〔広辞苑〕アフリカ東部、タンザニア北東部にある火山。最高峰キボは海抜 5895m、アフリカ第一の高山。
〔大辞泉〕タンザニア北東部にある火山。アフリカ大陸の最高峰。標高 5895m。赤道付近に位置するが、氷河・万年雪がある。
〔私のメモ〕スワヒリ語では「輝ける山」、マサイ語では「白い山」を意味する。
3.ダウラギリ Dhaulagiri 8167m
〔広辞苑〕記載なし
〔大辞泉〕ネパール中部、ヒマラヤ山脈中の高峰群。第一峰は標高 8167mで、1960 年にスイス隊が初登頂に成功。サンスクリット語で「白い山」の意。
4.マウナ・ケア Mauna Kea 4205m
〔広辞苑〕記載なし
〔大辞泉〕ハワイ島北部にある楯状火山。ハワイ諸島の最高峰。標高 4205m。
〔私のメモ〕ハワイ語で「白い山」を意味する。
5.モン・ブラン Mont Blanc 4807m
〔広辞苑〕アルプス山脈中の最高峰。海抜 4807m。仏・伊両国の国境に聳え、山頂は花崗岩から成る。万年雪に覆われて多くの氷河が流下。山麓に登山基地シャモニーの町がある。
〔大辞泉〕フランス・イタリア国境にある、アルプス山脈の最高峰。標高 4807m。1786年にパッカールとパルマが初登頂。北麓のシャモニーが登山基地。モンテビアンコ。
付.白 山 2702m
〔広辞苑〕石川・岐阜両県にまたがる休火山。主峰の御前峰は海抜 2702m、富士山・立山と共に日本三名山の一。信仰や伝説で知られる。
〔大辞泉〕岐阜・石川両県にまたがる火山。最高峰は御前峰の標高 2702m。古くから信仰の対象とされ、富士山・立山とともに日本三名山の一。しらやま。
付.長白山 Channgbai Shan 2744m
〔広辞苑〕中国東北部と朝鮮との境に聳える火山。松花江・豆満江と鴨緑江との中間にある長白山脈の主峰をなす。海抜 2744m。朝鮮では白頭山と呼ぶ。
〔大辞泉〕白頭山の異称。
付.白頭山
〔広辞苑〕休火山で白色の軽石石灰岩で覆われているからいう。長白山の朝鮮名。
〔大辞泉〕朝鮮民主主義人民共和国と中国との国境にある山。長白山脈の主峰。標高は 2744m。頂上に火口湖の天池がある。長白山。ペクトサン。
2016年1月26日火曜日
1年ぶりの「敬蔵」(続き)
(承前)
さて、自動車免許更新のための高齢者講習を受けた翌日の1月 22 日の金曜日、白山警察署鶴来庁舎へ免許更新の手続きに出かけた。それで昼は草庵でそばをとも思ったが、お酒を飲めないのなら、あの敬蔵の素晴らしいそばをもう一度食したいと思った。天気が良ければ敬蔵まで歩いて行ってお酒とそばだが、生憎の雪模様とて車で出かけた。先客が2組あったが、独りなのでカウンター席に座った。注文したのは「塩つゆおろしそば」で、そばは太打ちである。暫く待って件の品が届いた。三つ具足の鉢に太打ちのそば、片口に透明な汁、小皿にピンク色の辛味大根おろしと刻み葱、汁をそばにかけて食べて下さいとの主人の言、具を載せ、塩汁をかけて食べた。でもこの太打ち、敬蔵ではそばはすべて十割だが、5日前に頂いたそばとは違っていた。香りを大事にしたかったので、求めて塩味にしたのだが、色もいわゆる蕎麦色、正しくは正真正銘の蕎麦なのだが、あの日のあの萌葱色の香り高いそばとは異なる十割そばだった。ここでは細打ちと太打ちの二種類あるが、仕込みの蕎麦に違いがあるのだろうか。そこは質さなかった。でも美味しく頂けたことには変わりはない。
お客さんが居なくなって少しお喋りをした。初めにアルバイトの人達の話があった。お盆や年暮れはもとより日曜日もかなり忙しく、二人ではてんてこ舞いなので、忙しい時はアルバイト、主に学生さんを雇うのだが、以前は十人雇ってみて間に合う子が 7,8人いたものだが、近頃は 2, 3 人しか使い物にならないとか。しかも特に忙しい年末やお盆には予め念を押し、親御さんにも了解を得て来てもらっているのに、簡単に反古にして帰省してしまい、しかも本人も親御さんんも全く悪びれることがないのには驚いてしまうと嘆いておいでた。それが当世風なのだろうか。
次いで探蕎会の話になった。会で敬蔵を利用したのは、寺田会長が作られた「探蕎会の歩み」を見ると、近々では一昨年の3月である。今度は4月に寄るとかで、そうすると2年ぶりということになる。志鷹さんも去年はおいでていないと話されていた。でも永坂先生は時々おいでになるようで、今年の年賀状は先生がご自身で持参なさったとか。そして志鷹さんは、先生がフランス語もスペイン語も堪能で、しかも金城大学の副学長もされているので、きっと名のある文学の先生なのでしょうと。でもこれは彼の素晴らしい推測なのである。でも実は先生はお医者さんで、金沢大学の医学部で生理学の教授をなさっていて、今は退官されたこと、著書も多いこと、また金城大学は既に退任されてしまっていることなどを話した。もっとも先生の含蓄のあるお話から、先生が文学に傾倒されていると彼が感じても全く不思議ではない。次いで寺田先生、彼は先生こそお医者さんでしょうと言う。彼が何故そう思ったのかは不明だが、実は先生は金沢大学で理学部長もされていた化学 (ばけがく)のオーソリティーなのですよと話した。彼は目を丸くしてびっくりしていた。
次は私が驚かされてしまった話である。それは、志鷹さんが米田さんと高校同期だと言われたからである。じゃ泉丘 (いずみ) 33 期ですかと訊いたら、そうだという。今の朝ドラじゃないけれど、正にビックリポンであった。彼女が初めて店に来られた時に分かったという。敬蔵が出来て 13 年は経っていようから、ずいぶん前のことなのだろうけれど、それでもそれ以降何度か米田さんとも一緒に敬蔵を利用したことがあるのに、彼女はそんなことを話されたこともないし、またそんな素振りをされたこともない。それだけに、これには大変驚いた。
そうこうしていると、明菜さんのお母さんが店においでた。以前は週に一度は必ず夫婦揃って来ておいでだったが、今はあまりお出でではないようだ。明菜さんのご両親は以前は吉田タイヤ商会を経営されていて、特に大型車のタイヤの販売や交換をされていて、長距離トラックや大型バス、ダンプカーなどが出入りしていた。私が以前勤めていた石川県予防医学協会の 50 台近くある大型の検診車も、近くにあったこともあって全部を管理してもらっていた。でもこの職業、季節の変わり目には凄く忙しいが、その他の季節は割と暇で、歳と採算を考えてやめられたとかだった。
さて、亡くなった吉田のおばあちゃんと家内の亡くなった父とは兄妹で、そんな関係もあって家内はお盆には野田山にある吉田家のお墓には毎年お参りしている。私も一度行ったことがある。それで吉田のお母さんとはいろいろ話した中でそのことも話され、いつも有難うと言われた。それでももう今年からはお気にされないようにと家内に伝えて下さいと言われた。私はそう伝えますと言って別れた。
この日はいろんな驚きと出会いがあった。
さて、自動車免許更新のための高齢者講習を受けた翌日の1月 22 日の金曜日、白山警察署鶴来庁舎へ免許更新の手続きに出かけた。それで昼は草庵でそばをとも思ったが、お酒を飲めないのなら、あの敬蔵の素晴らしいそばをもう一度食したいと思った。天気が良ければ敬蔵まで歩いて行ってお酒とそばだが、生憎の雪模様とて車で出かけた。先客が2組あったが、独りなのでカウンター席に座った。注文したのは「塩つゆおろしそば」で、そばは太打ちである。暫く待って件の品が届いた。三つ具足の鉢に太打ちのそば、片口に透明な汁、小皿にピンク色の辛味大根おろしと刻み葱、汁をそばにかけて食べて下さいとの主人の言、具を載せ、塩汁をかけて食べた。でもこの太打ち、敬蔵ではそばはすべて十割だが、5日前に頂いたそばとは違っていた。香りを大事にしたかったので、求めて塩味にしたのだが、色もいわゆる蕎麦色、正しくは正真正銘の蕎麦なのだが、あの日のあの萌葱色の香り高いそばとは異なる十割そばだった。ここでは細打ちと太打ちの二種類あるが、仕込みの蕎麦に違いがあるのだろうか。そこは質さなかった。でも美味しく頂けたことには変わりはない。
お客さんが居なくなって少しお喋りをした。初めにアルバイトの人達の話があった。お盆や年暮れはもとより日曜日もかなり忙しく、二人ではてんてこ舞いなので、忙しい時はアルバイト、主に学生さんを雇うのだが、以前は十人雇ってみて間に合う子が 7,8人いたものだが、近頃は 2, 3 人しか使い物にならないとか。しかも特に忙しい年末やお盆には予め念を押し、親御さんにも了解を得て来てもらっているのに、簡単に反古にして帰省してしまい、しかも本人も親御さんんも全く悪びれることがないのには驚いてしまうと嘆いておいでた。それが当世風なのだろうか。
次いで探蕎会の話になった。会で敬蔵を利用したのは、寺田会長が作られた「探蕎会の歩み」を見ると、近々では一昨年の3月である。今度は4月に寄るとかで、そうすると2年ぶりということになる。志鷹さんも去年はおいでていないと話されていた。でも永坂先生は時々おいでになるようで、今年の年賀状は先生がご自身で持参なさったとか。そして志鷹さんは、先生がフランス語もスペイン語も堪能で、しかも金城大学の副学長もされているので、きっと名のある文学の先生なのでしょうと。でもこれは彼の素晴らしい推測なのである。でも実は先生はお医者さんで、金沢大学の医学部で生理学の教授をなさっていて、今は退官されたこと、著書も多いこと、また金城大学は既に退任されてしまっていることなどを話した。もっとも先生の含蓄のあるお話から、先生が文学に傾倒されていると彼が感じても全く不思議ではない。次いで寺田先生、彼は先生こそお医者さんでしょうと言う。彼が何故そう思ったのかは不明だが、実は先生は金沢大学で理学部長もされていた化学 (ばけがく)のオーソリティーなのですよと話した。彼は目を丸くしてびっくりしていた。
次は私が驚かされてしまった話である。それは、志鷹さんが米田さんと高校同期だと言われたからである。じゃ泉丘 (いずみ) 33 期ですかと訊いたら、そうだという。今の朝ドラじゃないけれど、正にビックリポンであった。彼女が初めて店に来られた時に分かったという。敬蔵が出来て 13 年は経っていようから、ずいぶん前のことなのだろうけれど、それでもそれ以降何度か米田さんとも一緒に敬蔵を利用したことがあるのに、彼女はそんなことを話されたこともないし、またそんな素振りをされたこともない。それだけに、これには大変驚いた。
そうこうしていると、明菜さんのお母さんが店においでた。以前は週に一度は必ず夫婦揃って来ておいでだったが、今はあまりお出でではないようだ。明菜さんのご両親は以前は吉田タイヤ商会を経営されていて、特に大型車のタイヤの販売や交換をされていて、長距離トラックや大型バス、ダンプカーなどが出入りしていた。私が以前勤めていた石川県予防医学協会の 50 台近くある大型の検診車も、近くにあったこともあって全部を管理してもらっていた。でもこの職業、季節の変わり目には凄く忙しいが、その他の季節は割と暇で、歳と採算を考えてやめられたとかだった。
さて、亡くなった吉田のおばあちゃんと家内の亡くなった父とは兄妹で、そんな関係もあって家内はお盆には野田山にある吉田家のお墓には毎年お参りしている。私も一度行ったことがある。それで吉田のお母さんとはいろいろ話した中でそのことも話され、いつも有難うと言われた。それでももう今年からはお気にされないようにと家内に伝えて下さいと言われた。私はそう伝えますと言って別れた。
この日はいろんな驚きと出会いがあった。
1年ぶりの「敬蔵」
家内と十年ぶりに草庵へ寄っての帰り、敬蔵にも長い間寄っていないので、一度寄らないとねということになった。私は一昨年の 12 月に友人二人を誘って寄って以来、ずっとご無沙汰している。それで一度は行かないと悪いわねえと家内が言ったのは、一つには同じ本町での隣の丁目で近くにあること、でもそれにも増して、亭主の志鷹敬三さんの奥さんの明菜さんの父と家内とは従兄妹同士だということだからである。十数年前に開店した当初は、そんな関係だったこともあって、随分と足繁く通ったものだ。でも名が知れて繁盛するようになってからは、何故かあまり出かけることは少なくなった。
それで1月 17 日の日曜日の昼に敬蔵に久々に寄ることにした。11 時半開店なので、それに合わせて家内の車で家を出た。歩いても7分の距離、車だからすぐに着いた。まだお客は入っておらず、私たちが一番乗りだった。入って長い間ご無沙汰したことを詫びた。そして入った途端、主人から久保さんが亡くなったんですねと。新聞の死亡広告で久保さんという名前があったけれど、まさかとカミさんと話していたんですとのこと。というのは3日ばかり前に一人で来られたけれどお元気で、ただ何時もは大変饒舌で次から次へと話題が出て話に花が咲くのだけれど、その日はわりとお静かで、少しお元気がないような雰囲気だったとのことだった。私は久保さんの奥さんから、久保さんが亡くなった当日も仕事に行かれ、いつもは会長さんなので午後4時頃には自宅に戻られるのに、何時もより遅いので奥さんが息子の社長さんに電話したら、いつも通りの時間に帰られたとのこと、それで奥さんが車庫へ行かれたところ、倒れられていて、すぐに救急車で病院へ行かれたけれど、蘇生されなかったとお聞きしたとお話しした。私たちも久保さんが亡くなる9日前に、久保さんも交えて「やまの葉」で例会を開いていて、その時もお酒を召されていたし、いたってお元気、帰りは家内の車で自宅までお送りしたことも、家内と共々志鷹さん夫婦にお話しした。本当に驚いておいでた。
さて、お昼時とて次々にお客さんが見えられ、ほぼ満席になった。私たちは以前定席にしていた窓側の席に座った。この日は寒かったので、取りあえず燗酒を貰うことに。でも暫く来ていなかったこともあり、お酒の銘柄が代わっていた。宇出津の数馬酒造の「竹葉」が目にとまった。ある店ではいつも竹葉の冷やを貰うのだが、温かいのは飲んだことがなく、興味本位で頼んだ。でも私だけでは悪いので、家内にはノンアルコールを勧めた。摘みには、私は「蕗の薹味噌焼」、家内は「鰊煮」、そばは私が「鴨汁そば」、家内は細打ちの「もりそば」を注文した。初めは付き出しの煮昆布で飲んだが、でもこの酒はやはり冷やが良さそうだ。それで次に焼酎の蕎麦湯割りにする。初めての挑戦である。出て来たのはガラスの器に入った無色透明な焼酎と片口に入った蕎麦湯、信楽焼の茶碗に焼酎を入れ、蕎麦湯を足して味わう。これはなかなか乙な味だった。蕗の薹味噌も旬の一品である。家内の鰊を少し頂戴する。これは少し味が浅いような気がする。そしてもう一杯、今度は加賀の鹿野酒造の「常きげん」を、これは燗したのを何度か飲んだことがあり、これは中々美味しい。家内にもりそばが届いた。少し酒の摘みにと分けてもらう。すると大変びっくりした。そばは細打ちというが、いわゆる中細、淡い薄緑の色をしていて、その香りといい、そばの味といい、近頃こんなに素晴らしいそばに出くわしたことはなく、此処でも初めてで、本当に感動してしまった。この新そばは福井の大野の産の早刈りとか、今年は出来が良かったとのことで、蕎麦は味も香りも素晴らしいという。次いで出てきた鴨汁そばも実に良かった。敬蔵で出す鴨は地元産ではなく、フランスからの輸入と聞いたことがあるが、ここの鴨肉は正に逸品で、こんな鴨肉を出すそば屋は極めて少ない。この日は素晴らしいそばに出くわして、大満足だった。 (続く)
それで1月 17 日の日曜日の昼に敬蔵に久々に寄ることにした。11 時半開店なので、それに合わせて家内の車で家を出た。歩いても7分の距離、車だからすぐに着いた。まだお客は入っておらず、私たちが一番乗りだった。入って長い間ご無沙汰したことを詫びた。そして入った途端、主人から久保さんが亡くなったんですねと。新聞の死亡広告で久保さんという名前があったけれど、まさかとカミさんと話していたんですとのこと。というのは3日ばかり前に一人で来られたけれどお元気で、ただ何時もは大変饒舌で次から次へと話題が出て話に花が咲くのだけれど、その日はわりとお静かで、少しお元気がないような雰囲気だったとのことだった。私は久保さんの奥さんから、久保さんが亡くなった当日も仕事に行かれ、いつもは会長さんなので午後4時頃には自宅に戻られるのに、何時もより遅いので奥さんが息子の社長さんに電話したら、いつも通りの時間に帰られたとのこと、それで奥さんが車庫へ行かれたところ、倒れられていて、すぐに救急車で病院へ行かれたけれど、蘇生されなかったとお聞きしたとお話しした。私たちも久保さんが亡くなる9日前に、久保さんも交えて「やまの葉」で例会を開いていて、その時もお酒を召されていたし、いたってお元気、帰りは家内の車で自宅までお送りしたことも、家内と共々志鷹さん夫婦にお話しした。本当に驚いておいでた。
さて、お昼時とて次々にお客さんが見えられ、ほぼ満席になった。私たちは以前定席にしていた窓側の席に座った。この日は寒かったので、取りあえず燗酒を貰うことに。でも暫く来ていなかったこともあり、お酒の銘柄が代わっていた。宇出津の数馬酒造の「竹葉」が目にとまった。ある店ではいつも竹葉の冷やを貰うのだが、温かいのは飲んだことがなく、興味本位で頼んだ。でも私だけでは悪いので、家内にはノンアルコールを勧めた。摘みには、私は「蕗の薹味噌焼」、家内は「鰊煮」、そばは私が「鴨汁そば」、家内は細打ちの「もりそば」を注文した。初めは付き出しの煮昆布で飲んだが、でもこの酒はやはり冷やが良さそうだ。それで次に焼酎の蕎麦湯割りにする。初めての挑戦である。出て来たのはガラスの器に入った無色透明な焼酎と片口に入った蕎麦湯、信楽焼の茶碗に焼酎を入れ、蕎麦湯を足して味わう。これはなかなか乙な味だった。蕗の薹味噌も旬の一品である。家内の鰊を少し頂戴する。これは少し味が浅いような気がする。そしてもう一杯、今度は加賀の鹿野酒造の「常きげん」を、これは燗したのを何度か飲んだことがあり、これは中々美味しい。家内にもりそばが届いた。少し酒の摘みにと分けてもらう。すると大変びっくりした。そばは細打ちというが、いわゆる中細、淡い薄緑の色をしていて、その香りといい、そばの味といい、近頃こんなに素晴らしいそばに出くわしたことはなく、此処でも初めてで、本当に感動してしまった。この新そばは福井の大野の産の早刈りとか、今年は出来が良かったとのことで、蕎麦は味も香りも素晴らしいという。次いで出てきた鴨汁そばも実に良かった。敬蔵で出す鴨は地元産ではなく、フランスからの輸入と聞いたことがあるが、ここの鴨肉は正に逸品で、こんな鴨肉を出すそば屋は極めて少ない。この日は素晴らしいそばに出くわして、大満足だった。 (続く)
2016年1月20日水曜日
年末・年始 アラカルト(その4)
(承前)
・1月10日 日曜日の午後に野々市市の成人式
これまで私は私自身の成人式以外に出席したことはないが、孫が式の司会をすると聞いて出かけることにした。午後2時に行くと、家族が入る2階席はもう沢山の人々が来ていて、座席は埋まっていた。丁度始まったばかりで、「20年のあゆみ」というビデオがスクリーンに映し出されていた。主に市に2つある中学校の3年担任の先生が順にお祝いの言葉を述べる趣向になっていて、その度に歓声が上がっていた。成人になったのは野々市の中学校出身者ばかりではないだろうけれど、こんな趣向は意気が上がろうというものだ。開式の後に国歌斉唱があったが、起立を促されているのに座ったままの人が見受けられるのには驚いた。その後「愛と和の市民憲章」の唱和があったが、私はこんなものは全く知らないが、でも成人の子等は元気に唱和していたのには感心した。市長の式辞、県会議員らの祝辞、そして謝辞があり、式典は30分ばかりで終了した。司会は男女のペアであったが、しっかりとした態度と声はさすがだった。それにしても、国の祝日の「成人の日」は今は1月の第2月曜日、したがって今年は明日の1月11日なのに、自治体によっては事情もあろうが、国の祝日に祝わないというのは如何なものか。また出席者は対象の半数程度とのこと、私たちの頃は、対象者はずっと少なかったが、9割以上が参加したものだ。
・1月11日 成人の日に草庵へ
この日の休日に去年のお札を白山さんへもって行こうと思い立った。それで家内に、おそるおそるその帰りに、十年来行っていない草庵へ寄ってはとお伺いを立てたところ、寄っても可とのご託宣が出た。10時に家を出て、途中で給油し、通称天ちゃん道路の国道157号線を南下する。白山町交差点を左折し、白山さんへ向かう。神社の駐車場は思いの外混んでいた。今日は特別な日とも思えないが、随分と沢山な人出なのには驚かされた。古いお札を収容する場所へ行くと、沢山の飾り物がゴミ袋に詰め込まれていて、その袋が山積みにされている。何処かへ持って行って処分するのだろうか。それとも境内で小正月に燃やすのだろうか。とにかくその量は半端ではない。正門へ回ると、お参りに長蛇の列、元旦には横からもどんどんお参りできたのに、どうも解せないが、何となく列に付いてお参りを済ませた。
11時になり草庵へ向かう。開店は11時半なので、前回のことを思えば開店時間には十分間に合うわけだが、草庵に着くと近くの駐車場は満タン、それで足早に店の前に行くと、順番を記入する順番待ちの紙が置かれていて、私は8番目だった。まだ開店前なのに、往時の草庵を思い浮かべた。休日だとこの混雑になるのだろうか。開店近くになると、その数は一度には入りきれない程に膨らんでいた。開店時間になり、草庵のカミさんに順次呼び込まれる。私たちは2人、以前は囲炉裏があった場所に設えたテーブル席に席を取ってもらった。家内は十年ぶりだが、カミさんからは「ようこそ」と言われた。大部分の人は「そば」のみを召し上がっているが、私は八海山を2合、家内はノンアルコール、摘みには蕎麦味噌と鰊を頼んだ。出し巻き玉子は忙しいからか付箋がしてあった。初めは付き出しの乾き物を肴に、次いで蕎麦味噌で、その次に煮付けた鰊で、これはなかなか大型で秀逸である。そばは家内が天せいろ、私は鴨せいろ、そばが届いた時にもう1合お願いした。家内は十年前にこの店のそばに幻滅して、以来十年も遠ざかっていたが、どうやらそのそばアレルギーはとれたようで安心した。誘った甲斐があったというものだ。
・付 言 それにしても、近くにある「敬蔵」と白尾にある「龜屋」には1年近く行っていない。一度寄らねば。
・1月10日 日曜日の午後に野々市市の成人式
これまで私は私自身の成人式以外に出席したことはないが、孫が式の司会をすると聞いて出かけることにした。午後2時に行くと、家族が入る2階席はもう沢山の人々が来ていて、座席は埋まっていた。丁度始まったばかりで、「20年のあゆみ」というビデオがスクリーンに映し出されていた。主に市に2つある中学校の3年担任の先生が順にお祝いの言葉を述べる趣向になっていて、その度に歓声が上がっていた。成人になったのは野々市の中学校出身者ばかりではないだろうけれど、こんな趣向は意気が上がろうというものだ。開式の後に国歌斉唱があったが、起立を促されているのに座ったままの人が見受けられるのには驚いた。その後「愛と和の市民憲章」の唱和があったが、私はこんなものは全く知らないが、でも成人の子等は元気に唱和していたのには感心した。市長の式辞、県会議員らの祝辞、そして謝辞があり、式典は30分ばかりで終了した。司会は男女のペアであったが、しっかりとした態度と声はさすがだった。それにしても、国の祝日の「成人の日」は今は1月の第2月曜日、したがって今年は明日の1月11日なのに、自治体によっては事情もあろうが、国の祝日に祝わないというのは如何なものか。また出席者は対象の半数程度とのこと、私たちの頃は、対象者はずっと少なかったが、9割以上が参加したものだ。
・1月11日 成人の日に草庵へ
この日の休日に去年のお札を白山さんへもって行こうと思い立った。それで家内に、おそるおそるその帰りに、十年来行っていない草庵へ寄ってはとお伺いを立てたところ、寄っても可とのご託宣が出た。10時に家を出て、途中で給油し、通称天ちゃん道路の国道157号線を南下する。白山町交差点を左折し、白山さんへ向かう。神社の駐車場は思いの外混んでいた。今日は特別な日とも思えないが、随分と沢山な人出なのには驚かされた。古いお札を収容する場所へ行くと、沢山の飾り物がゴミ袋に詰め込まれていて、その袋が山積みにされている。何処かへ持って行って処分するのだろうか。それとも境内で小正月に燃やすのだろうか。とにかくその量は半端ではない。正門へ回ると、お参りに長蛇の列、元旦には横からもどんどんお参りできたのに、どうも解せないが、何となく列に付いてお参りを済ませた。
11時になり草庵へ向かう。開店は11時半なので、前回のことを思えば開店時間には十分間に合うわけだが、草庵に着くと近くの駐車場は満タン、それで足早に店の前に行くと、順番を記入する順番待ちの紙が置かれていて、私は8番目だった。まだ開店前なのに、往時の草庵を思い浮かべた。休日だとこの混雑になるのだろうか。開店近くになると、その数は一度には入りきれない程に膨らんでいた。開店時間になり、草庵のカミさんに順次呼び込まれる。私たちは2人、以前は囲炉裏があった場所に設えたテーブル席に席を取ってもらった。家内は十年ぶりだが、カミさんからは「ようこそ」と言われた。大部分の人は「そば」のみを召し上がっているが、私は八海山を2合、家内はノンアルコール、摘みには蕎麦味噌と鰊を頼んだ。出し巻き玉子は忙しいからか付箋がしてあった。初めは付き出しの乾き物を肴に、次いで蕎麦味噌で、その次に煮付けた鰊で、これはなかなか大型で秀逸である。そばは家内が天せいろ、私は鴨せいろ、そばが届いた時にもう1合お願いした。家内は十年前にこの店のそばに幻滅して、以来十年も遠ざかっていたが、どうやらそのそばアレルギーはとれたようで安心した。誘った甲斐があったというものだ。
・付 言 それにしても、近くにある「敬蔵」と白尾にある「龜屋」には1年近く行っていない。一度寄らねば。
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