2016年1月26日火曜日

1年ぶりの「敬蔵」(続き)

(承前)
 さて、自動車免許更新のための高齢者講習を受けた翌日の1月 22 日の金曜日、白山警察署鶴来庁舎へ免許更新の手続きに出かけた。それで昼は草庵でそばをとも思ったが、お酒を飲めないのなら、あの敬蔵の素晴らしいそばをもう一度食したいと思った。天気が良ければ敬蔵まで歩いて行ってお酒とそばだが、生憎の雪模様とて車で出かけた。先客が2組あったが、独りなのでカウンター席に座った。注文したのは「塩つゆおろしそば」で、そばは太打ちである。暫く待って件の品が届いた。三つ具足の鉢に太打ちのそば、片口に透明な汁、小皿にピンク色の辛味大根おろしと刻み葱、汁をそばにかけて食べて下さいとの主人の言、具を載せ、塩汁をかけて食べた。でもこの太打ち、敬蔵ではそばはすべて十割だが、5日前に頂いたそばとは違っていた。香りを大事にしたかったので、求めて塩味にしたのだが、色もいわゆる蕎麦色、正しくは正真正銘の蕎麦なのだが、あの日のあの萌葱色の香り高いそばとは異なる十割そばだった。ここでは細打ちと太打ちの二種類あるが、仕込みの蕎麦に違いがあるのだろうか。そこは質さなかった。でも美味しく頂けたことには変わりはない。
 お客さんが居なくなって少しお喋りをした。初めにアルバイトの人達の話があった。お盆や年暮れはもとより日曜日もかなり忙しく、二人ではてんてこ舞いなので、忙しい時はアルバイト、主に学生さんを雇うのだが、以前は十人雇ってみて間に合う子が 7,8人いたものだが、近頃は 2, 3 人しか使い物にならないとか。しかも特に忙しい年末やお盆には予め念を押し、親御さんにも了解を得て来てもらっているのに、簡単に反古にして帰省してしまい、しかも本人も親御さんんも全く悪びれることがないのには驚いてしまうと嘆いておいでた。それが当世風なのだろうか。
 次いで探蕎会の話になった。会で敬蔵を利用したのは、寺田会長が作られた「探蕎会の歩み」を見ると、近々では一昨年の3月である。今度は4月に寄るとかで、そうすると2年ぶりということになる。志鷹さんも去年はおいでていないと話されていた。でも永坂先生は時々おいでになるようで、今年の年賀状は先生がご自身で持参なさったとか。そして志鷹さんは、先生がフランス語もスペイン語も堪能で、しかも金城大学の副学長もされているので、きっと名のある文学の先生なのでしょうと。でもこれは彼の素晴らしい推測なのである。でも実は先生はお医者さんで、金沢大学の医学部で生理学の教授をなさっていて、今は退官されたこと、著書も多いこと、また金城大学は既に退任されてしまっていることなどを話した。もっとも先生の含蓄のあるお話から、先生が文学に傾倒されていると彼が感じても全く不思議ではない。次いで寺田先生、彼は先生こそお医者さんでしょうと言う。彼が何故そう思ったのかは不明だが、実は先生は金沢大学で理学部長もされていた化学 (ばけがく)のオーソリティーなのですよと話した。彼は目を丸くしてびっくりしていた。
 次は私が驚かされてしまった話である。それは、志鷹さんが米田さんと高校同期だと言われたからである。じゃ泉丘 (いずみ) 33 期ですかと訊いたら、そうだという。今の朝ドラじゃないけれど、正にビックリポンであった。彼女が初めて店に来られた時に分かったという。敬蔵が出来て 13 年は経っていようから、ずいぶん前のことなのだろうけれど、それでもそれ以降何度か米田さんとも一緒に敬蔵を利用したことがあるのに、彼女はそんなことを話されたこともないし、またそんな素振りをされたこともない。それだけに、これには大変驚いた。
 そうこうしていると、明菜さんのお母さんが店においでた。以前は週に一度は必ず夫婦揃って来ておいでだったが、今はあまりお出でではないようだ。明菜さんのご両親は以前は吉田タイヤ商会を経営されていて、特に大型車のタイヤの販売や交換をされていて、長距離トラックや大型バス、ダンプカーなどが出入りしていた。私が以前勤めていた石川県予防医学協会の 50 台近くある大型の検診車も、近くにあったこともあって全部を管理してもらっていた。でもこの職業、季節の変わり目には凄く忙しいが、その他の季節は割と暇で、歳と採算を考えてやめられたとかだった。
 さて、亡くなった吉田のおばあちゃんと家内の亡くなった父とは兄妹で、そんな関係もあって家内はお盆には野田山にある吉田家のお墓には毎年お参りしている。私も一度行ったことがある。それで吉田のお母さんとはいろいろ話した中でそのことも話され、いつも有難うと言われた。それでももう今年からはお気にされないようにと家内に伝えて下さいと言われた。私はそう伝えますと言って別れた。
 この日はいろんな驚きと出会いがあった。

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