2015年5月24日日曜日

7度目の満山荘は家内抜きで(その1)

1.はじめに
 私の家内は昭和 17 年 (1942) 生まれ、もうとっくにリタイアしてよい年齢なのだが、まだ野々市市内の F 医院に事務職員として勤務している。この医院はついこの間までは病院としての位置付けだったが、事情があって有床の医院となった。家内は今この医院で家内の後継者の養成に心血を注いでいる。
 さて、病院だったときには薬局があって、患者には院内で調剤をして渡していたが、今の時代の流れとして、院外処方に踏み切ることになった。そうなると、これまで初代院長の時から勤務していた女性の薬剤師の方は病院を去らねばならないことになった。家内は病院創設時からの就労で特に勤務が長いが、薬剤師の H 嬢もかなり長い。これまで家内と H 嬢とは昵懇なこともあって、私も加わって何度か一緒に旅行をしたことがある。そんなこともあって、彼女が辞めるにあたって、もうきっと最後になるだろうから1泊泊まりで3人で温泉にでも行かないかと提案したところ、すんなりと同意が得られた。日はやりくりして5月 13 日 (水) と 14 日 (木) にした。
 宿は私に任すと言う。私はよく家内と秘湯と称する宿へよく出かける。秘湯の宿と言ってもピンキリで、1泊料金が8千円もあれば4万数千円台もあったり、また果たしてこれが秘湯?といったものまであったりで様々である。当初新穂高温泉のとある広大な露天風呂がある旅館を予約したが、何となく彼女と家内からはクレームがつき、それで彼女も訪れたことがあり受けも良かった満山荘に予約したところ、ようやく GO のサインが出た。
 今年の5月はことのほか沢山の行事があり、私もこの旅行のほかに、小中学校の同窓会や大学の同窓会、親戚の親睦旅行など1〜2泊の旅行が集中していたり、また連休には子供の家族らが家に集まったりで、5月は日程がかなり窮屈だ。ところで家内は4月末から風邪気味で健康が優れなかったが、連休中は子供らがいたこともあって、微熱が続いていたものの、風邪だろうから薬を飲んでいれば何とか納まるだろうと高をくくっていた。6日に長男も横浜へ戻り、家内は7日から勤務に出たが、診察を受けたところ、左肺上葉に肺炎の影があり、即入院となった。37℃ 台の微熱が 10 日以上も続いていて、何となく不安だったが、その不安は的中した。今はとにかく本復することが先決であって、H 嬢の退職慰安の温泉行きに暗雲が立ちこめることに。でも本人は旅行までには本復するだろうとのことで、私もキャンセルはしなかった。しかし家内は酸素吸入の必要もあるとのこと、とても7日の入院での本復は無理とあって、対応をどうするかが問題となった。そこで満山荘に問い合わせたところ、人数の変更は前日でもいいですとのこと、家内にこのことを伝えると、私は行けない代わりに、医院の受付に居る K 嬢にお願いしたとのこと、、それで彼女の費用は全部こちら持ちということにしてあるので、そのようにして下さいと念を押された。こうして H 嬢の退職慰安温泉行きは家内抜きの道中に。年齢は、私は 70代、H 嬢は 50 代、K 嬢は 30 代で、一見父親、娘、孫娘という風に見えなくもない。
〔閑話休題〕
 金沢赤十字病院の内科部長をされていた F 先生が、住まわれていた野々市町に F 内科外科病院を開設されることになった。先生の奥さんはバドミントンを趣味とされていて、家内も大好きだったことから、町でのクラブの創設にも互いに深く関与していた。病院の創設に当たって、何かと開設を手伝うことになり、創設後も事務担当職員として勤務することになった。創設時は長男の先生が院長で内科担当、次男の方が事務長、三男の方が外科担当と、身内でしっかり固めた布陣での開設だった。家内が院長先生や院長夫人と親しかったこともあって、私も親しく付き合わせて頂いていた。ところで院長先生は登山やスキーが大好きで、休日にはよくナースたちを集ってよく山へ出かけられていた。私も誘われてよく便乗させて頂き出かけたものだ。私はスキーはあまり得手ではなかったものの、登山は金沢大学山岳部に籍を置いていたこともあり、先生の意向を受けて常に皆さんのリード役をしていた。私は韋駄天のキーさんと言われていたこともあり、足は随分と達者だった。そしていつの頃だったろうか、薬局に H 嬢が入局し、この山行きにも加わってきた。彼女は華奢な身体ながら、上りも下りも大変達者で、私の後にくっついて歩くほど、これは他の病院のスタッフ達とは雲泥の差だった。聞けば秋田の出身とか、彼女とはそれ以来の長い付き合いである。因みに私の家内はこの病院の山行きやスキー行には全く参加したことがない。バドミントン一途といったところだった。

2015年4月26日日曜日

能登島のそば屋「生そば 槐」(その2)

(承前)
3.「生そば 槐」への探蕎行
 4月 20 日の月曜日、参加会員 11 名で能登島の「生そば 槐」へ向かう。車は前田さんと和泉さんが運転され、前田さんの指示に従う。私は9時に和泉さんに迎えに来てもらい、金沢市広小路近くのコンビニ「ローソン野町」で寺田会長や新田さんと合流する。ここから寺町、小立野を経て山側環状道路に入り、次いで白尾 IC で「のと里山海道」に入る。ここで前田さんから連絡があり、丁度タイミングよく高松 PA でトイレ休憩も兼ねて合流することに。ここで石黒さんがこちらに乗車され、和泉車は6人乗車、そして前田車には、池端、松田、川渕、早川の5名が乗車。
 和泉車の先導で「のと里山海道」を北上し、上棚矢駄 IC で下り、東進して七尾市田鶴浜に出、能越自動車道に入り、和倉 IC で下り、和倉温泉を左に見て、能登島大橋を渡り、県道 47 号線を能登島向田に向かう。向田の交差点を過ぎ、和泉さんにもう近いのでスピードを落とすようにお願いしたけれど、思ったよりスピードが落ちず、左への小道を3本通り過ぎ、それで4本めに入ってもらった。ところが様子がどうも変だ。この前来た時には山手にお寺があり、それが目印になると思っていたが、目の前にある福勝寺なる寺はこの前見た寺ではない。そこで確認のため私が車を下りて右へ進むと、県道に出た。これは明らかに行き過ぎている。それで県道を向田の交差点に向かい戻って車を走らせると、斜めに入る道の脇に小さく「そば」と書かれた標識が。それで此処から入って、前に来たあの立て札標識のある駐車場に辿り着けた。今回もすんなりという訳には行かなかった。
 着いたのは 11 時過ぎ、座敷に上がると、何とそこには輪島塗の朱の御膳が 11 並んでいた。テーブルで良かったのにと思ったところ、前田さんが所望したとの発言があった。大仰なことになったものだ。予約してあったのは3千円のコース料理である。皆が席に着いた頃、初めに奥さんがやはり輪島塗の朱のお椀二つに,前菜の「厚焼き玉子」と「鴨のサラダ」を持っておいでた。後者には山野草や洋野菜が沢山盛られている。お酒やビールも注文したが、前菜が御膳に載っているのにまだ届かない。お酒を飲まない方は箸を取られて食べておいでるが、私は飲み物が来るまで待つことに。待つこと暫し、奥さんがビール4本、お酒のお銚子6本を運んでおいでた。ここで出されるお酒は珠洲の宗玄のはずだが、奥さんの言うには、絵柄の描かれた銚子2本は大吟醸ですとのこと、すると一人1本ではなく、6本を6人で分けることに。随分と勝手が悪い。でもお酌に回られる奇特な御仁もおいでたこともあって、万遍よく行き渡った。
 次いで山野草も入った天ぷらの盛り合わせ、ウドやコゴミのほか、キクイモやエリンギやシシウドなど、輪島塗のお盆に中折を敷いて出される。藻塩?で頂く。
 そして本命の「三色盛りそば」。更科、挽きぐるみ、田舎。お品書きを見ると、これらはすべて生粉打ちで、中能登町瀬戸の「十劫坊の霊水」での水捏ねとある。通常更科は湯捏ねなのだが、ここでは水捏ねに拘っているようで素晴らしい。孟宗竹の半割に盛られて出てきた。別の輪島塗の朱のお椀にはそば汁、浅い朱の小皿には刻み葱と生山葵。そばの量は通常は 1.5 人前とあったが、今日のは若干少なめのようだった。それにしても三色それぞれの味が十分味わえ、それぞれにとても素晴らしく堪能できた。
 終わってご主人が話されるには、信州上田市の「おお西」で3年半、次いで和倉温泉の「加賀屋」で3年半修業され、平成 25 年5月に開業されたとか。ご本人は昭和 46 年亥年生まれの 43 歳、1年生と3年生のお子さんがおいでとか。中々男前の素晴らしい御仁である。近くならばちょくちょく訪ねたくなる店だ。

〔資 料〕
 店主:田中哲也さん  創業:平成 25 年5月
 住所:〒 926-0211 七尾市能登島向田町 118-25 ☎:0767-84-0655
 営業: 11:00 〜 20:00(売り切れ終い) 16:00 以降は要予約  定休日:水曜日
 主なメニュー (単位 100 円)
  〔盛りそば〕更科(15) 挽きぐるみ・田舎 (10) 二色 (15) 三色 (18) 鴨せいろ (24)
     〔かけそば〕かけそば (10) 天ぷらそば (18) 鴨南蛮 (24)
  〔冷やかけそば〕冷やかけそば (10) 冷やかけ天ぷらそば (18)
  〔一 品〕野菜天 (10) 鴨のサラダ (10)  〔コース料理〕3,000 円〜
  〔飲み物〕ビール (6) 日本酒 (4) ノンアルコール (5) ウーロン茶 (3) 

能登島のそば屋「生そば 槐」(その1)

1.はじめに
 昨年暮れに行なわれた世話人会で、平成 27 年前半の行事予定を決めるに当たって、4月は 23 日月曜日に、能登島にある「生そば 槐」へ行こうということになった。発議されたのは寺田会長で、テレビ朝日でこの店が紹介されたのを観られたとか。誰も行ったことがないこともあって、すんなりそこへ行こうということになった。店名の槐は「えんじゅ」と呼ぶとか、何となく興味が持てた。3月の「あい物」の時もそうだったが、取り敢えず一度は行ってみようということに。それで事務局長の前田さんからは4月6日の月曜日に出かけましょうという連絡が入った。メンバーは寺田会長と私も入って3人、前田さんの車で出かける。
2.「生そば 槐」へ初見参
 予定の 9:40 に前田さんの車に同乗し、一路 山側環状道路を経て「のと里山海道」へ。和倉温泉経由ということで、徳田大津 IC まで行き、標識に従って和倉温泉へ。ここから能登島大橋を渡り、能登島向田町へ。ここは合併前は能登島町の役場があったところで、何度か訪れたことがある。目指すそば屋はこの向田にあるのだが、どうも県道沿いではなく、向田の町並みに向かって県道を左へと入らねばならないらしい。前田さんのスマホでは、そば屋の近辺に来ているらしいということは分かるのだが、指示される近辺の小路に入ってもそれらしき店は見当たらず、何回かスマホに表示される場所の辺りをぐるぐる回る羽目に。ところで何度目かの折、看板らしきものがあり、私が見に行くと、そこには「生そば 槐」の看板が。道を左回りに走らせていたので、この字が見えなかったのだった。これは結構分かりづらい。砂利を敷きつめた駐車場に車を停め、指示に従って納屋を通り抜け、店の前へ。着いたのは 11 時過ぎ、ところが今日は 12 時からとある。小雨が間断なく降っている。でも時間があるので近辺をブラつくことに。
 今日は小学校の入学式とかで、両親はそれに出るので時間送りになったとか。入口には白地に朱で槐と書かれた暖簾も出され、時間前だったが中へ招じ入れられる。座敷のテーブルに席を取る。メニューを見て「三色盛り」をもらうことに。この店のそばはすべて生粉打ち、十割蕎麦。玄関には信州上田の「手打百藝 大西」で修業し、大西流蕎麦道を伝承していることを証する表札板が掲げられている。暫くして「三色盛り」が出てきた。器は孟宗竹を半分に割った内側を黒く漆塗りしたもの。それに、更科、挽きぐるみ、田舎の三種盛りが、細打ち、しっかりとした打ちでこしがあり、思わず「これは美味い」と唸った。薬味は葱と山葵、これは会の皆さんにも満足して頂けると確信が持てた。座敷からは手入れの行き届いた小さな庭が見える。食べ終わる頃、珠洲焼の鉢に蕎麦湯が、変わった風情のある趣向だ。
 私たちがいる間に2組の客が。よくぞ辿り着かれたと思う。主人では、ナビで来られる時は、電話番号ではなく、地番を入力した方が着きやすいと仰る。終わって主人の田中さんからお話を伺う。蕎麦は信州産、挽きぐるみと田舎は玄蕎麦を少し小さめの石臼で自家製粉しているが、更科は自家製粉できないので、更科粉を仕入れているとかだった。帰りに2週間後に十名ばかりで来ると予約する。一人3千円位にして、三色盛りを入れて欲しいというと、3千円では二色盛りになるとか、そこを無理に三色にとお願いしたところ、私たちの熱意も汲まれて、じゃ量を調整して要望に応じましょうということになった。感謝々々。
 帰りに、七尾市府中にある能登食祭市場へ。寺田会長と前田局長のお目当ては「はちめの味醂干し?」とか、でもこの日私はパスした。ところで後日、会長からは大変美味かったと吹聴され、それではと買うことに。ところが家内がこれは大変美味いとのご託宣、今度寄ったらぜひ買うようにと約束させられる羽目に。
 金沢へ帰る途中、七尾市国分にある欅庵に立ち寄った。主人の岡崎さんとは古い付き合いだが、開業して 10 年、遠いこともあって、私は年に1回か2回しか寄っていないが、ここの「辛味おろし蕎麦」は、吟味された辛味大根を使っていて、私は大好きだ。もっともあまりにも辛くて敬遠される方もおいでるが。ここも自家製粉、生粉打ち、十割蕎麦に拘っている。注文は「辛味おろし蕎麦」と「天ぷらもり蕎麦」、器は羽咋の気多大社近くで焼かれる大社焼とか、素朴な白を基調とした器である。そばは丸抜きの挽きぐるみ、細打ちで量は多め、古民家の一角で暫し寛いだ。さすが満腹となった。またの再訪を約して辞した。

2015年4月1日水曜日

シンリョウのツブヤキ (14)12〜3月の花

12月〜3月に庭 (露地) で咲いた木々と草花
 植物名は50音順とし、種名・別名(科名 属名)の順に記した。
 種名の後の( )内数字は、その月に開花が確認できたことを示す。
 植物名の後の〔外〕は、外国原産で安土桃山時代 (1570年) 以降に日本に渡来した帰化植物。
 また〔栽〕は、外国原産で明治以降に観賞用などで日本に移入された園芸栽培種。

1.木 本
 アオキ(3〜4) アンズ・カラモモ(3〜4) ウメ(3〜4) シナレンギョウ(3〜4)
 トサミズキ(3〜4) ヒイラギナンテン(3〜4) ヒサカキ(3〜4) ヤブツバキ(12〜4)

 以上  12月  1種(1科 1属)
      1月  1種(1科 1属)
      2月  1種(1科 1属)
      3月  8種(6科 7属)

2.草 本
 カンアオイ(3) カンスゲ(3〜4) キバナクロッカス〔栽〕(アヤメ科 サフラン属)
 クリスマスローズ〔栽〕(キンポウゲ科 クリスマスローズ属) スイセン(1〜4)
 スズメノカタビラ(3〜6) ダッチアイリス〔栽〕(1〜4) タネツケバナ(3〜4)
 ハコベ(3〜4) ヒメツルソバ・カンイタドリ〔栽〕(4〜12)
 ヒメリュウキンカ〔外〕(3〜4) ミスミソウ・ユキワリソウ(3〜5)
 ミミナグサ(3〜4) ラッパズイセン(ヒガンバナ科 スイセン属)


 以上  12月  1種(1科  1属)
      1月  3種(3科  3属)
      2月  3種(3科  3属)
      3月 14種(8科 13属)

2015年3月28日土曜日

金沢駅を彩る伝統工芸品の短冊プレート

 平成27年3月14日に北陸新幹線が開通し、金沢と東京が2時間半で結ばれることになった。3月20日に探蕎会の行事で押水今浜のそば屋へ行った帰り、午後7時からのアンサンブル金沢の定期演奏会まで空き時間があるので、新装なった金沢駅と新幹線を眺めることにした。開通前は金沢駅のコンコースにある大きな門型柱には覆いがしてあって、何か柱に地元作家の伝統的工芸品プレートが嵌め込まれるとの報道がされていたが、どんな作品が展示されるのか興味が持てた。開業された後、当然除幕されたのだろうが、あまり話題になっていないようで、訪れた時もこれらの柱に見入っている人はほとんどなく、私が回っていて一緒に見て話し合ったのは東京から来られたという御婦人一人だけだった。
 2列12対24本の柱は、1辺が1m ばかりあり、柱の上部に縦長の短冊形のプレートが嵌め込まれていて、その下部には秀作工芸の種類と作家、そして日本語、英語、中国語、台湾語、朝鮮 (韓国) 語で解説がなされている。以下に兼六園口 (旧東口) から入って左側 (南寄り) の12本の柱 (奇数番号) と、右側 (北寄り) の12本の柱 (偶数番号) について、順に工芸の種類と地元作家の氏名を紹介する。ただし短冊プレートには作品の名称は付けられていない。ただ駅の中心を飾る陶壁にはテーマが付いている。 

1.九谷焼 ( Kutani  Porcelain ) 日本芸術院会員 武腰 敏昭
2.木工芸 ( Wood  Work ) 重要無形文化財「木工芸」保持者 (人間国宝)灰外 達夫
3.輪島塗 ( Wajima  Urushi  Lacquer  Ware ) 重要無形文化財「沈金」保持者 (人間国宝)前 史雄
4.輪島塗 ( Wajima  Urushi  Lacquer  Ware ) 重要無形文化財「休漆」保持者 (人間国宝)小森 邦衛
5.九谷焼 ( Kutani  Porcelain ) 重要無形文化財「釉裏金彩」保持者 (人間国宝) 吉田 美統
6.金沢漆器 ( Kanazawa  Urushi  Laquer  Ware )「加賀蒔絵」
    重要無形文化財「蒔絵」保持者 (人間国宝)中野 孝一 
7.山中漆器 ( Yamanaka  Urushi  Lacquer  Ware )
    重要無形文化財「木工芸」保持者 (人間国宝)川北 良造
8.輪島塗 ( Wajima  Urushi  Lacquer  Ware )日本芸術院会員 三谷 吾一
9.九谷焼 ( Kutani  Porcelain )日展会員 山岸 大成
10.山中漆器 (Yamanaka  Urushi  Lacquer  Ware )日本工芸会正会員 中嶋 虎男
11.九谷焼 ( Kutani  Porcelain )日展会員 武腰 一憲
12.   珠洲焼 ( Suzu  Pottery )陶芸家 中山 達麿
13.輪島塗 (Wajima  Urushi  Lacquer  Ware )蒔絵作家 田崎 昭一郎
14.九谷焼 ( Kutani  Porcelain )「九谷赤絵細密画」 日本工芸会正会員 福島 武山
15.九谷焼 ( Kutani  Porcelain )「釉裏銀彩」日本工芸会正会員 中田 一於
16.金沢漆器 ( Kanazawa  Urushi  Lacquer  Ware )加賀蒔絵作家 清瀬 一光
17.九谷焼 ( Kutani  Porcelain )「彩磁彩」日展会員 三代  浅蔵 五十吉
18.九谷焼 ( Kutani  Porcelain )日本工芸会正会員 武腰 潤
19.山中漆器 ( Yamanaka  Urushi  Lacquer  Ware )日本工芸会正会員 水上 隆志
20.九谷焼 ( Kutani  Porcelain )日本工芸会正会員 四代 徳田 八十吉
21.茶の湯釜 ( Kanazawa  Tea  Ceremony  Kettle )茶の湯釜鋳物師 十四代 宮崎 寒雉
22.加賀象嵌 ( Kaga  Inlay )白銀師 加澤 美照
23.加賀象嵌 ( Kaga  Inlay )「平象嵌」 重要無形文化財「彫金」保持者 (人間国宝)中川 衛
24.銅鑼  ( Kanazawa  Bronze  Gong )重要無形文化財「銅鑼」保持者 (人間国宝)三代 魚住 為楽

 陶壁 「日月の煌き」( Glow  of  the  Sun  and  the  Moon )
    文化勲章受章者・文化功労者・日本芸術院会員 十代 大樋 長左衛門 (年朗)

2015年3月26日木曜日

平成27年3月の探蕎は「あい物」(その2)

(承前)
3.「あい物」探蕎本番
 3月16日の事務局からのメールでは、3月20日の「あい物」への参加者は13名で、次の方々 (敬称略) だった。池端、石黒、和泉 (2)、太田 (2)、奥平、木村、寺田、新田 (当日欠)、松川、松田、前田。会費は2500円 + お酒代。集合は午前11時現地集合との指示。ただ事務局からは3月19日にメールがあり、申込みは探蕎会ではなく、前田で予約してある旨の連絡があった。これからは会での予約はしない方が良いのではと思わされた連絡だった。
 探蕎の当日、私は和泉さんの車に便乗させていただくことにし、9時50分に家を出た。野々市から山側環状道路、次いで「のと里山海道」に入る。今浜インター近くまで来ると、自動車道からも「そば」と書かれた幟が何本も見え、これだと見落とさないが、この前はこれが見えなかったものだから、つい行き過ぎてしまった。時間は丁度1時間を要した。今日は天気も良く、蕎麦日和という言葉はないにしても、実に温かく過ごしよい日だ。
 11時近くになり店へ入る。私たちは奥の畳の間へ通される。2連の座卓に10人座れるようにセットしてあった。今日の参加者は12人、少々窮屈だが、全員入られるようにセットし直してもらう。今回はおまかせで2500円のコース、どんな品が出て来るのかの楽しみがある。飲物のお酒は久保田の千寿を冷やで頂くことに。
 テーブルには「そばのかりんとう」が出ていて、お茶が運ばれてきた。そして暫くして付き出しの胡瓜と人参の浅漬けが小皿に、そして1合が入る珠洲焼の黒い湯呑み型の片口に冷えた千寿と黒釉の盃が。このお酒は実に癖がなく飲みやすい酒だ。そして程なく珠洲焼の小鉢に山葵和えが、紐状の本体は一見イカと思いきや、これはホタテだとか、私には初めての見参だった。次いで角皿に大葉を敷き、その上に小分け包装の絹豆腐、包丁で斜に十字に切り、おろし生姜と葱のあしらい、この豆腐にはうま味が感じられた。そして焼き味噌、これはそば屋の定番、小振りなしゃもじにそば味噌、程よい味加減でお酒との相性は好い。そして脇役の天ぷら、南瓜の輪切り、海老、甘藷と大葉、州浜をかたどった皿に盛られ、抹茶塩が添えられている。先に訪れた時には蕗の薹が盛られていたが、今回はなかった。
 そして本命の「高遠そば」、角盆に珠洲焼と思しき黒縁の中皿に簀の子が敷かれ、その上にそばがやや多めに盛られている。そしてコップには辛味大根のおろし汁、それにそば汁とそば猪口と薬味。辛味大根のおろし汁はかなり辛いようで、中には残された方もおいでた。でもこの辛さが高遠そばの真骨頂なのだが。私はせっかくなので残りを頂戴した。そばも程よく美味しかった。
 一段落したところで、州浜をかたどった別の皿に「そば団子」が、1串3連の平たい団子に酢みそが付いていて、そばがきとは一風変わった趣きがある。このとき何故か女性限定としてピスタチオが出された。その意図は不明だ。終わりに近く、おカミさんから、宝達葛の「くず切り」はどうですかとの下問、2人で1つ頂くことにする。あちらでは気配りされ、朱の塗り鉢に半人前ずつ入ったのを供された。これが本物の宝達葛か、何とも淡く曇った透明感がなかなか上品で、見ていてもほれぼれする。微かな甘味が感じられる。
 こうして「あい物」への探蕎は幕を閉じた。帰りに玄関で集合写真を撮った。

〔閑話休題〕
1.参加した12人のうち、太田さん夫妻と奥平さんの3人が北陸新幹線に乗車されていた。その印象を伺うと、とにかく静かで、停まる時以外は全く振動を身体に感じないとのこと。したがって、発車の時もいつ動き出したかは分からず、これは走行中も同じだったという。それでコーヒーカップをテーブルに置いても、列車の振動やなにかで動くことは全くなくて、実に快適とのことだった。またトイレでも、横揺れが全く無いので、安心して用を足せたという。従来線では全く考えられないことだ。
2.会話のなかで、蕎麦「やまぎし」の話題が出て、津幡在住の太田さんから、山岸さん夫婦は実は恋愛結婚でしたとのこと、旦那さんが津幡に赴任された折に下宿した家の娘さんが奥さんとのこと。帰りに和泉さんを誘って「やまぎし」に寄ってお話を伺ったところ、正にそうであった。そして奥さんが言うには、実家と四十物さんとは親戚筋とのこと、正に赤い糸のつながりを感じた1日であった。

〔資 料〕
 店主:四十物 (あいもの) 一雄さん  創業:平成17年7月
 住所:〒 929ー1344 羽咋郡宝達志水町今浜北 15  ☎:0767ー28ー3653
 営業:平日 11:00〜16:00 頃  土・日・祝 11:00〜20:00  定休日:木曜日
 おしながき(抜粋) 単位:円
  冷たいそば:ざる(800)  高遠おろし(900)  天ざる(1000)  天ざるおろし(1500)  大盛 (400)
  ごはん・甘味:そばごはん(200)  くず切り(700)  そばがき(700)  そばだんご(250)
  酒肴:焼みそ(450)  天ぷら(600)  たこわさ(300)  にしんの甘露煮 (450)
  お酒:千寿 (800)  百寿 (500)  そば焼酎 (500)  ビール中 (600)
  ほかに、温かいそば、冷たいうどん、温かいうどん がある。そば・うどんは自家製。   

2015年3月25日水曜日

平成27年3月の探蕎は「あい物」(その1)

1.はじめに
 昨年暮れに行なわれた世話人会での行事予定では、3月は20日金曜日に能登押水にあるそば屋へということになっていた。ところで、1週間後に平成27年の探蕎会総会を控えた2月16日の事務局からのメールでのプログラムの案内原稿では、場所はまだ「未定」とあって少々心配だった。するとその日、事務局長の前田さんから電話があり、件のそば屋について世話人の塚野さんに尋ねたところ、のと里山海道の今浜インター近くにある「あい物」というそば屋とのこと、そこで予め訪れてみたいがどうかとの打診があった。訪ねるのは2月17日の火曜日、私はこの日午前10時以降ならフリーなので OK した。他の方にも打診されたらしいが、結果としては前田さんと私の二人だけで訪ねることになった。前田さんの車で出かける。

2.「あい物」偵察行
 場所は今浜インターのすぐ近くとのこと、しかも幟が出ているのですぐ分かるとのことであったが、あまりにもインターに近くて見落としたものだから、着くまでに随分あちこちうろつく羽目になり、「上杉」の前も通ったりした。でも昼近くにはどうやら着くことができた。
 店は大きな自宅の1階を改装した小綺麗な瀟酒な佇まいの構え、店に入る。中の三和土には、4人掛けの机が2脚、カウンターに椅子が5脚、都合13人が入れる。私たちが着いた後にも次々と客が訪れる。この店を知っている人は知っているのだなあと感心する。厨房には3人が、前田さんはご主人を見て、以前金沢市末町にあった「末野倉」においでた方ではないかと、訊ねたところ正にその通りだった。そこには10年おいでたとか。私が店名の「あい物」の由来を訊くと、前田さんは苗字だと、「四十物」と書いて「あいもの」と読むとか、そう言えばそのような苗字を聞いたことがある。ここで開店して10年になるという。
 注文は、前田さんは「高遠おろし」、私も追随する。お酒の欄を見ると、久保田の千寿と百寿が、千寿を注文、摘みには「天ぷら」と「そばみそ」を注文する。程なくお酒が、久しぶりの千寿、付き出しには胡瓜と人参の浅漬け。前田さんには申し訳なかった。天ぷらは海老と蕗の薹が各2、あと南瓜、甘藷と大葉。蕗の薹は近くで摘んできたものとか、菊の花弁状に開いて揚げてあったのは新鮮だった。抹茶塩で頂いた。そして「高遠おろし」、お盆に縁が黒っぽい中皿にやや多めに盛られた中細の二八のそば、コップには辛味大根のおろし汁、それにそば汁とそば猪口と薬味 (刻み葱と生山葵) 。そばは丸抜き、コシもあって、喉越しも上々、これだと皆さんにも十分喜んでもらえそうだ。前田さんの言だと器はみな珠洲焼なのではとのこと、なかなかシックでよくマッチしている。そうこうするうちにまた客が、するとご主人、「少し待って下さい、今すぐそばを打ちますから」と。そしてそばを打ち出したではないか。数人分なら15分もあれば、打って、切って、茹でて、冷水で締めて供せるのではと思う。正にそば職人の自負が伺える姿を見た。その後も客が、すると奥の部屋へどうぞとのこと。奥さんに訊くと、奥には10人入れる畳敷きの部屋があるとか、探蕎会でもし10人入ったら貸切りになるのではと危惧していたが、これだと安心だ。