4月のとある日、家内から7月14日(日)と15日(海の日・7月の第3月曜日)の連休にもう1日年休をとって3日間、信州の温泉にでも行かないかと提案があった。私は毎日サンデーなので問題はなく、早速手配した。私が選んだ候補は、上田市の奥の真田地区角間渓谷にある角間温泉の岩屋館と、かたや高山村の松川渓谷にある七味温泉渓山亭である。2軒とも「日本秘湯を守る会」の会員宿で、申込みは3ヵ月前ということもあって、すんなり予約ができた。宿泊料金はいずれの宿も16〜24千円である。それで初日は角間温泉に、2日目は七味温泉に投宿することにした。
7月14日(日)朝、突然の客人があり、家を出たのは午前10時近くになった。森本ICで高速道に入り、有磯海、名立谷浜、妙高、坂城の各SAやPAで休憩しながら、上田菅平ICで高速道を下りた。時間は午後2時半近く、昼食に上田の刀屋でそばでもと思ったが、生憎と休み、宿のチェックインタイムは午後3時なので、そのまま宿へ向かうことに。国道144号線を北上し、真田交差点を右折し角間渓谷に入り、山道を6kmばかり進むと、真田家の隠し湯と言われる角間温泉岩屋館に着く。先着が1組、宿の前の駐車場には8台停められるスペースがある。周りは岩盤に囲まれた渓谷の猫の額ほどの土地に建つ一軒家、入り口は古ぼけた隠れ家風、でも奥には鉄筋の建物も見える。
案内されたのは、鉄筋の建物を通り抜け、斜面に沿って付けられた屋根のある階段を上って行き着いた最上部の帰鳥庵という離れ、案内してくれた女将によると、ここはこの宿では最もとびきりの部屋とか、玄関から部屋へ上がると、内装も調度も素晴らしいが古めかしい趣きの部屋、でもあまり使われていないような印象を受ける。離れは階段の途中にもう一つあり、渓勝庵という。案内では全体で18室あるとのことだ。
階段を更に10段ばかり上がると、暖簾の向こうに瀟洒な露天風呂がある。お湯は2槽あり、大きな石で組まれた透明で湯温がやや高い湯槽とやや小さく木枠で組まれた茶褐色で温めの湯槽とがある。泉質は前者がナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉、後者は含鉄・炭酸水素塩泉で、後者の源泉は透明なのだが、空気に触れると酸化されて鉄錆色になるとかで、前者よりは温度が低いとかだった。早速入りにいったが、すでに2組の夫婦が入浴していた。ここは原則として混浴だが、女性のみの入浴も1時間ずつ2回設けられている。ところで入浴できるのは日中のみ、夜間は覆いがかけられ、入浴はできない。周りは鬱蒼とした樹々に囲まれ、渓谷や岩峰が眺められる素晴らしいスポットになっている。
2組の夫婦は温い茶色の湯に入っているが、のぼせることもなく、長い間浸かっておいでである。一方私の方は温度が高く、10分も浸かっているとのぼせそうになる。それでそこそこに退散する。離れは鍵がかかったまま、家内は内湯からまだ上がって来ていないので、階段を下り、新館を抜け、本館のフロントまで行き、スペアキーをもらう。この頃にはお客はぞくぞく、案内は女将のみなので、てんてこ舞い。ビールの追加をお願いしたが、とうとう夕食まで届かなかった。漸く家内も戻って、2本しかないビールを分け合って飲む。私は仕方なく持参の神の河で喉を潤す。客への気配りが今一である。
夕食は本館1階の個室、座机にはもう既に八品が並べられている。お品書きは付いていないので、献立の詳細は記すことはできないが、中々豪華である。飲み物は家内はアサヒビール、私は地の冷酒「本泉菊」を貰う。先付け、前菜5品目、瓜の漬物、煮物、蒸し物、ジュンサイの酢の物、鮎の塩焼き、鯉の唐揚げに続いて、順に茄子の田楽、岩魚の造り、蓼科牛と菅平の野菜のすき焼き、海老と地元野菜の天ぷら、もり蕎麦、五穀米とお汁、デザートに甘柑と桃、中でも牛肉と岩魚は絶品だった。
満腹になり、部屋へ戻って寛ぐ。ここは山奥とかで、テレビはBSしか見られない。早々に就寝する。夜は寒く、足袋を履かねばならなかった。家内はいつも朝までに2回は小用に起きるのに、この日は朝までグッスリ、温泉の効能の素晴らしさに驚嘆した。朝5時に、私は内湯へ行く。まだ誰もいない。やはり湯槽は二つあって、茶色の湯は温く、透明な方は熱い。湯冷ましに外を散歩する。渓谷の右岸には豪壮な岸壁が連なっている。谷沿いに歩き、ぐるっと回って駐車場へ、都合8台の車は、東京、横浜、名古屋、大阪、石川からの車、地元の車はいなかった。
離れへ戻り、午前7時半の露天風呂の開湯時間を見計らって、すぐ上にある風呂へ行くと、何と8人ばかりの若い女の子が既に入っているではないか。いくら混浴可とはいっても、これには暖簾から顔を出しただけで、一旦離れへ戻った。食事は朝8時半、8時まで待ち、上へ行くと、まだ2人が入っていたが、入ることに。私が湯に入ろうとすると、彼女らは湯槽から上がった。すれ違ったときに元気な朝の挨拶、清々しかった。彼女らが浴衣を着てカメラを構えて、私の入浴シーンを写したいと、どうぞと言った。今朝の女の内湯からは岩場が間近に見えるので入られたらと話したが、後で入られたようだった。
翌15日朝の朝食は二階とか、皆さんも二階なので彼女たちに会えるのではと楽しみにしていたが、私たち離れの二組はダイニングルーム隣りの特別ルームだった。今朝も15品目、これはとても平らげられない。ご飯は軽く一杯、なます、紅白、きんぴら、海苔佃煮、長芋おろし、イクラ大根おろし和え、紅葉子、梅干し、紅鱒甘露煮、卵巻き、豆腐、サラダ、牛乳、果物ジュース、西瓜と林檎、そしてお汁。本当に満腹になった。
午前10時少し前に清算をして宿を後にする。今日の予定は真田の里を巡り、上田城と記念館を見てから七味温泉へ入ることに。始めに真田家の菩提寺でもある長谷寺へ。ここは真田幸村(信繁)の父の昌幸や祖父母の幸隆夫妻の墓がある。境内には沢山のシダレザクラが植わっていて、春の満開時にはさぞや見事だろうと思われる。お参りを済ませて、次に真田氏歴史館へ向かう。長谷寺からは遠くはないものの、一旦国道144号線まで出たので、大回りになった。駐車場には十数台の車、人気があるようだ。建物はそんなに大きくはないが、ここには真田三代の資料がぎっしりと詰まっている。中でも天正13年(1585)に豊臣秀吉が真田昌幸に宛てた書状や大阪夏の陣之屏風(複製)、NHK時代劇「真田太平記」で着用された真田親子の鎧・兜などはさすがに圧巻である。そしてこの日は休日、真田の赤い甲冑を着けた兄さんが、真田父子の二度にわたる上田城での攻防を、自製の絵巻物を使って講談風に語っていたが、中々堂に入っていて、つい終わりまで聞いてしまった。
2013年7月29日月曜日
2013年7月19日金曜日
植物由来の紋所を探る(その2)
(承前)
● ささ 笹:イネ科の多年生植物で、一般に丈の低いタケ類をいう
〔1〕笹の葉や枝などを図案化したもので、種類が多い。
〔2〕丸に篠笹、三枚熊笹、五枚笹、六枚笹、九枚笹、雪待ち笹、仙台笹、上杉笹など。
● しだ 羊歯 歯朶:シダ植物の総称
〔1〕シダの葉を図案化したもので、少ない。〔2〕歯朶の丸など。
● しゅろ 棕櫚:ヤシ科の常緑高木 雌雄異株
〔1〕シュロの葉の開いた形を図案化したもので、少ない。〔2〕棕櫚など。
● すいせん 水仙:ヒガンバナ科の多年草
〔1〕水仙の花と葉を図案化したもの。〔2〕水仙の丸など。
● すぎ 杉:スギ科の常緑大高木
〔1〕杉の木をかたどったもの。〔2〕一本杉、丸に二本杉、三本杉、杉巴など。
● すすき 薄 芒:イネ科の多年草 秋の七草の一(おばな)
〔1〕ススキの穂と葉を図案化したもので、少ない。〔2〕薄に露、雪輪に薄など。
● すみれ 菫:スミレ科スミレ属の総称
〔1〕菫の花と葉を図案化したもの。少ない。〔2〕菫車など。
● せり 芹:セリ科の多年草 春の七草の一
〔1」芹の葉と根を図案化したもの。〔2〕三つ芹など。
● だいこん 大根:アブラナ科の越年草または一年草 春の七草の一(すずしろ)
〔1〕葉付き大根を図案化したもの。〔2〕違い大根、大根の丸など。
● たけ 竹:イネ科タケ亜科の総称
〔1〕竹を図案化したもの。〔2〕一本竹、竹丸紋、竹に雀など。
● たちばな 橘:ミカン科の常緑小高木
〔1〕橘の葉と実を組み合わせて描いたもの。〔2〕橘、葉敷き橘、彦根橘など。
● たんぽぽ 蒲公英:キク科タンポポ属の多年草の総称
〔1〕タンポポの花と葉を図案化したもの。少ない。〔2〕蒲公英など。
● ちゃ 茶:ツバキ科の常緑低木
〔1〕茶の実を図案化したもの。少ない。〔2〕茶の実、違い茶の実など。
● ちょうじ 丁子 丁字:フトモモ科の常緑高木
〔1〕丁子の実をかたどったもの。〔2〕丸に一つ丁子、六つ丁子など。
● つた 蔦:ブドウ科の落葉性の蔓植物
〔1〕蔦の葉をかたどったもの。〔2〕鬼蔦、中陰蔦、結び蔦など。
● つばき 椿:ツバキ科の常緑高木
〔1〕椿の花を図案化したもの。花がポトリと落ちるので数は少ない。〔2〕三つ椿など。
● でんじそう 田字草:デンジソウ科の多年生のシダ
〔1〕デンジソウの葉を図案化したもの。少ない。〔2〕田字草など。
● なぎ 梛:マメ科の常緑高木 雌雄異株
〔1〕ナギの葉を図案化したもの。〔2〕一梛葉、二梛葉、違い梛葉など。
● なずな 薺:アブラナ科の越年草 春の七草の一
〔1〕ナズナの葉を図案化したもの。少ない。〔2〕八つ薺など。
● なでしこ 撫子 矍麦:ナデシコ科の多年草 秋の七草の一
〔1〕ナデシコの花を図案化したもの。〔2〕矍麦、石竹、三つ割り矍麦など。
● はぎ 萩:マメ科ハギ属の落葉低木の総称 秋の七草の一
〔1〕萩の花、葉、枝を図案化したもの。〔2〕萩の丸など。
● はす 蓮:スイレン科の水生の多年草
〔1〕蓮の花、葉、茎を図案化したもの。〔2〕丸に一つ蓮の花、立ち蓮の花など。
● ひいらぎ 柊:モクセイ科の常緑小高木
〔1〕柊の葉を図案化したもの。〔2〕丸に一つ柊、違い柊、抱き柊など。
● びわ 枇杷:バラ科の常緑高木
〔1〕枇杷の葉を図案化したもの。少ない。〔2〕三つ枇杷の葉など。
● ふじ 藤:マメ科の蔓性の落葉低木
〔1〕藤の花房や葉を図案化したもの。〔2〕上がり藤、下がり藤、九条藤など。
● ぶどう 葡萄:ブドウ科の蔓性の落葉低木
〔1〕葡萄の葉や実を図案化したもの。〔2〕葡萄、三つ葡萄の葉など。
● ぼたん 牡丹:ボタン科の落葉低木
〔1〕牡丹の花、葉、枝を図案化したもの。種類が多い。
〔2〕大割り牡丹、乱れ牡丹、蟹牡丹、利休牡丹、薩摩(島津)牡丹、仙台(伊達)牡丹など。
● まつ 松:マツ科マツ属の常緑高木
〔1〕松の幹、枝、葉、松毬を図案化したもの。種類が多い。
〔2〕櫛松、二蓋松、丸に三蓋松、四つ若松、永井(松葉)松毬、松葉菱など。
● みょうが 茗荷:ショウガ科の多年草
〔1〕茗荷の芽や花を図案化したもの。〔2〕丸に抱き茗荷、入れ違い茗荷など。
● もも 桃:バラ科の落葉小高木
〔1〕桃の実や葉を図案化したもの。少ない。〔2〕丸に葉付き桃、糸輪に三つ桃など。
● やまぶき 山吹:バラ科の落葉低木
〔1〕山吹の花や葉を図案化したもの。少ない。〔2〕山吹に水など。
● ゆうがお 夕顔:ウリ科の蔓性の一年草
〔1〕夕顔の花を図案化したもの。少ない。〔2〕夕顔の花、夕顔に月など。
● りんどう 竜胆:リンドウ科の多年草
〔1〕リンドウの花や葉を図案化したもの。〔2〕丸に竜胆、竜胆車、二つ竜胆など。
● わらび 蕨:イノモトソウ科のシダ
〔1〕ワラビの若芽を図案化したもの。〔2〕蕨、三本蕨、五つ蕨、子持ち蕨など。
● ささ 笹:イネ科の多年生植物で、一般に丈の低いタケ類をいう
〔1〕笹の葉や枝などを図案化したもので、種類が多い。
〔2〕丸に篠笹、三枚熊笹、五枚笹、六枚笹、九枚笹、雪待ち笹、仙台笹、上杉笹など。
● しだ 羊歯 歯朶:シダ植物の総称
〔1〕シダの葉を図案化したもので、少ない。〔2〕歯朶の丸など。
● しゅろ 棕櫚:ヤシ科の常緑高木 雌雄異株
〔1〕シュロの葉の開いた形を図案化したもので、少ない。〔2〕棕櫚など。
● すいせん 水仙:ヒガンバナ科の多年草
〔1〕水仙の花と葉を図案化したもの。〔2〕水仙の丸など。
● すぎ 杉:スギ科の常緑大高木
〔1〕杉の木をかたどったもの。〔2〕一本杉、丸に二本杉、三本杉、杉巴など。
● すすき 薄 芒:イネ科の多年草 秋の七草の一(おばな)
〔1〕ススキの穂と葉を図案化したもので、少ない。〔2〕薄に露、雪輪に薄など。
● すみれ 菫:スミレ科スミレ属の総称
〔1〕菫の花と葉を図案化したもの。少ない。〔2〕菫車など。
● せり 芹:セリ科の多年草 春の七草の一
〔1」芹の葉と根を図案化したもの。〔2〕三つ芹など。
● だいこん 大根:アブラナ科の越年草または一年草 春の七草の一(すずしろ)
〔1〕葉付き大根を図案化したもの。〔2〕違い大根、大根の丸など。
● たけ 竹:イネ科タケ亜科の総称
〔1〕竹を図案化したもの。〔2〕一本竹、竹丸紋、竹に雀など。
● たちばな 橘:ミカン科の常緑小高木
〔1〕橘の葉と実を組み合わせて描いたもの。〔2〕橘、葉敷き橘、彦根橘など。
● たんぽぽ 蒲公英:キク科タンポポ属の多年草の総称
〔1〕タンポポの花と葉を図案化したもの。少ない。〔2〕蒲公英など。
● ちゃ 茶:ツバキ科の常緑低木
〔1〕茶の実を図案化したもの。少ない。〔2〕茶の実、違い茶の実など。
● ちょうじ 丁子 丁字:フトモモ科の常緑高木
〔1〕丁子の実をかたどったもの。〔2〕丸に一つ丁子、六つ丁子など。
● つた 蔦:ブドウ科の落葉性の蔓植物
〔1〕蔦の葉をかたどったもの。〔2〕鬼蔦、中陰蔦、結び蔦など。
● つばき 椿:ツバキ科の常緑高木
〔1〕椿の花を図案化したもの。花がポトリと落ちるので数は少ない。〔2〕三つ椿など。
● でんじそう 田字草:デンジソウ科の多年生のシダ
〔1〕デンジソウの葉を図案化したもの。少ない。〔2〕田字草など。
● なぎ 梛:マメ科の常緑高木 雌雄異株
〔1〕ナギの葉を図案化したもの。〔2〕一梛葉、二梛葉、違い梛葉など。
● なずな 薺:アブラナ科の越年草 春の七草の一
〔1〕ナズナの葉を図案化したもの。少ない。〔2〕八つ薺など。
● なでしこ 撫子 矍麦:ナデシコ科の多年草 秋の七草の一
〔1〕ナデシコの花を図案化したもの。〔2〕矍麦、石竹、三つ割り矍麦など。
● はぎ 萩:マメ科ハギ属の落葉低木の総称 秋の七草の一
〔1〕萩の花、葉、枝を図案化したもの。〔2〕萩の丸など。
● はす 蓮:スイレン科の水生の多年草
〔1〕蓮の花、葉、茎を図案化したもの。〔2〕丸に一つ蓮の花、立ち蓮の花など。
● ひいらぎ 柊:モクセイ科の常緑小高木
〔1〕柊の葉を図案化したもの。〔2〕丸に一つ柊、違い柊、抱き柊など。
● びわ 枇杷:バラ科の常緑高木
〔1〕枇杷の葉を図案化したもの。少ない。〔2〕三つ枇杷の葉など。
● ふじ 藤:マメ科の蔓性の落葉低木
〔1〕藤の花房や葉を図案化したもの。〔2〕上がり藤、下がり藤、九条藤など。
● ぶどう 葡萄:ブドウ科の蔓性の落葉低木
〔1〕葡萄の葉や実を図案化したもの。〔2〕葡萄、三つ葡萄の葉など。
● ぼたん 牡丹:ボタン科の落葉低木
〔1〕牡丹の花、葉、枝を図案化したもの。種類が多い。
〔2〕大割り牡丹、乱れ牡丹、蟹牡丹、利休牡丹、薩摩(島津)牡丹、仙台(伊達)牡丹など。
● まつ 松:マツ科マツ属の常緑高木
〔1〕松の幹、枝、葉、松毬を図案化したもの。種類が多い。
〔2〕櫛松、二蓋松、丸に三蓋松、四つ若松、永井(松葉)松毬、松葉菱など。
● みょうが 茗荷:ショウガ科の多年草
〔1〕茗荷の芽や花を図案化したもの。〔2〕丸に抱き茗荷、入れ違い茗荷など。
● もも 桃:バラ科の落葉小高木
〔1〕桃の実や葉を図案化したもの。少ない。〔2〕丸に葉付き桃、糸輪に三つ桃など。
● やまぶき 山吹:バラ科の落葉低木
〔1〕山吹の花や葉を図案化したもの。少ない。〔2〕山吹に水など。
● ゆうがお 夕顔:ウリ科の蔓性の一年草
〔1〕夕顔の花を図案化したもの。少ない。〔2〕夕顔の花、夕顔に月など。
● りんどう 竜胆:リンドウ科の多年草
〔1〕リンドウの花や葉を図案化したもの。〔2〕丸に竜胆、竜胆車、二つ竜胆など。
● わらび 蕨:イノモトソウ科のシダ
〔1〕ワラビの若芽を図案化したもの。〔2〕蕨、三本蕨、五つ蕨、子持ち蕨など。
2013年7月18日木曜日
植物由来の紋所を探る(その1)
「巨樹いしかわ」の15周年記念誌に、田中さんご夫妻が「植物紋様雑記」というA4で28頁という長文を寄せられていて、植物と紋様の関わりについて記述されている。その当時田中さんご夫妻は石川巨樹の会の事務局を担当されていて、この役目は旦那さんが亡くなるまで20年間続いた。その後は奥さんも事務局を辞退され、それ以降は、それまで蒐集された膨大な、主として紋様に関わる諸々の事柄の集大成に時間を費やされ、「不思議を訪ねる」というA4で300頁を越す本にまとめられ、自費出版された。その副題には「無用の用・用の用を楽しむ」とあり、これはこれまでご夫妻が興味を持った事象についての備忘録のまとめでもある。ここには、植物、動物、架空動物、鳥、魚、昆虫、紋様、民具・その他の8ジャンルにわたり、256項目について、名称のいわれ、説明、民族文化・伝承・風習・行事との関わり、故事来歴や縁起、紋様との関わり、用途等々、それも古今東西にわたって記されていて、それを読むと、さながら大事な玉手箱から、何が入っているのかと、興味津々な気持ちで、一つ一つ取り出すような感じがあって、実に楽しい。
私はこの中で最も項目数も多く、身近に興味を持てた植物の紋所について、田中さんの本を参考にしながら、小学館の松村朗監修の「大辞泉」から紋所の名と記載のある植物を抽出し、その植物の和名と簡単な説明、〔1〕紋所の由来、〔2〕代表的な紋所の名称 を列記してみた。植物名は50音順とした。
● あおい 葵:アオイ科アオイ属・フヨウ属に含まれる植物の総称
〔1〕フタバアオイ(カモアオイ)を図案化したもので、種類が多い。〔2〕葵巴(葵三枚を巴形にかた どったもので、徳川氏の紋.三つ葉葵、徳川葵)、本田立ち葵など。
● あさ 麻:クワ科の一年草 雌雄異株
〔1〕麻の葉を図案化したもの。〔2〕麻の葉など。
● あさがお 朝顔:ヒルガオ科の蔓性の一年草
〔1〕朝顔の花を図案化したもので、数は少ない。〔2〕朝顔の花など。
● あし 葦 蘆:イネ科の多年草
〔1〕細い葦の葉を図案化したもの。〔2〕二つ葦の葉、違い葦の葉など。
● いちょう 銀杏 公孫樹:イチョウ科の落葉高木 雌雄異株
〔1〕銀杏の葉を図案化したもので、多くの種類がある。
〔2〕丸に立ち銀杏、一つ巴銀杏、三つ銀杏、剣銀杏、五つ銀杏、六つ銀杏など。
● いね 稲:イネ科の一年草
〔1〕稲穂を図案化したもので、数は少ない。〔2〕丸に一本稲、二つ稲、違い稲など。
● うめ 梅:バラ科の落葉高木
〔1〕一重の梅の花を正面や裏から見たものを図案化した「梅花紋」と幾何学構成で花弁が必ず円形の 「梅鉢紋」とがある。
〔2〕梅花紋:梅の花、捻梅、裏梅、横見梅、八重梅、三つ割向こう梅など。
梅鉢紋:剣梅鉢、星梅鉢、加賀梅鉢など。
● うり 瓜:ウリ科の植物のうち、実を食用にするものの総称
〔1〕瓜の花と実を図案化したもの。〔2〕瓜の花、捻り瓜、陰の瓜など。
● おおばこ 車前草 大葉子:オオバコ科の多年草
〔1〕全草を図案化したもの。〔2〕抱き車前草など。
● おもだか 沢潟 面高:オモダカ科の多年草
〔1〕オモダカの葉と花を組み合わせて紋様化したもの。
〔2〕立て沢潟、丸に沢潟、子持ち抱き沢潟、沢潟に水など。
● かえで 楓:カエデ科カエデ属の落葉高木の総称
〔1〕楓の葉を図案化したもの。〔2〕中輪に楓、糸輪に三つ楓など。
● かきつばた 杜若 燕子花:アヤメ科の多年草
〔1〕カキツバタの葉と花を図案化したもの。〔2〕立ち杜若、石山(三花)杜若など。
● かじのき 梶:クワ科の落葉高木 雌雄異株
〔1〕梶の葉をかたどったもので、種類が多い。〔2〕立ち梶の葉、諏訪梶の葉など。
● かしわ 柏 槲:ブナ科の落葉高木
〔1〕柏の葉をかたどったもので、種類が多い。〔2〕三つ柏、抱き柏、結び柏など。
● かたばみ 酢漿草:カタバミ科の多年草
〔1〕カタバミの葉を図案化したもの。〔2〕酢漿草、剣酢漿草、石持ち酢漿草など。
● かぶ 蕪:アブラナ科の越年草 春の七草の一(すずな)
〔1〕葉付き蕪を図案化したもの。〔2〕抱き蕪など。
● ききょう 桔梗:キキョウ科の多年草 秋の七草の一
〔1〕桔梗の花をかたどったもので、種類が多い。
〔2〕丸に桔梗、抱き桔梗、蔓桔梗、三つ割り桔梗、八重桔梗、土岐桔梗、光琳桔梗、剣桔梗など。
● きく 菊:キク科キク属の総称
〔1〕菊の花や葉などを図案化したもの。皇室の十六葉八重表菊のほか種類が多い。
〔2〕十六葉裏菊、十四葉一重表菊、丸に八葉菊、三つ割り菊など。
● きり 桐:ゴマノハグサ科の落葉高木
〔1〕桐の花と葉をかたどったもので、種類が多い。
〔2〕五七の桐、太閤桐、五三の桐、花桐など。
● くず 葛:マメ科の蔓性の多年草 秋の七草の一
〔1〕葛の花や葉を図案化したもの。〔2〕三つ葛葉、葛花、横見葛花、葛花車など。
● くり 栗:ブナ科の落葉高木
〔1〕栗の実と葉を図案化したもの。〔2〕栗など。
● こうほね 河骨 川骨:スイレン科の多年草
〔1〕河骨の葉を図案化したもの。〔2〕三つ河骨など。
● さくら 桜:バラ科サクラ属の落葉高木
〔1〕桜の花を図案化したもの。〔2〕八重桜、一重桜、山桜など。
私はこの中で最も項目数も多く、身近に興味を持てた植物の紋所について、田中さんの本を参考にしながら、小学館の松村朗監修の「大辞泉」から紋所の名と記載のある植物を抽出し、その植物の和名と簡単な説明、〔1〕紋所の由来、〔2〕代表的な紋所の名称 を列記してみた。植物名は50音順とした。
● あおい 葵:アオイ科アオイ属・フヨウ属に含まれる植物の総称
〔1〕フタバアオイ(カモアオイ)を図案化したもので、種類が多い。〔2〕葵巴(葵三枚を巴形にかた どったもので、徳川氏の紋.三つ葉葵、徳川葵)、本田立ち葵など。
● あさ 麻:クワ科の一年草 雌雄異株
〔1〕麻の葉を図案化したもの。〔2〕麻の葉など。
● あさがお 朝顔:ヒルガオ科の蔓性の一年草
〔1〕朝顔の花を図案化したもので、数は少ない。〔2〕朝顔の花など。
● あし 葦 蘆:イネ科の多年草
〔1〕細い葦の葉を図案化したもの。〔2〕二つ葦の葉、違い葦の葉など。
● いちょう 銀杏 公孫樹:イチョウ科の落葉高木 雌雄異株
〔1〕銀杏の葉を図案化したもので、多くの種類がある。
〔2〕丸に立ち銀杏、一つ巴銀杏、三つ銀杏、剣銀杏、五つ銀杏、六つ銀杏など。
● いね 稲:イネ科の一年草
〔1〕稲穂を図案化したもので、数は少ない。〔2〕丸に一本稲、二つ稲、違い稲など。
● うめ 梅:バラ科の落葉高木
〔1〕一重の梅の花を正面や裏から見たものを図案化した「梅花紋」と幾何学構成で花弁が必ず円形の 「梅鉢紋」とがある。
〔2〕梅花紋:梅の花、捻梅、裏梅、横見梅、八重梅、三つ割向こう梅など。
梅鉢紋:剣梅鉢、星梅鉢、加賀梅鉢など。
● うり 瓜:ウリ科の植物のうち、実を食用にするものの総称
〔1〕瓜の花と実を図案化したもの。〔2〕瓜の花、捻り瓜、陰の瓜など。
● おおばこ 車前草 大葉子:オオバコ科の多年草
〔1〕全草を図案化したもの。〔2〕抱き車前草など。
● おもだか 沢潟 面高:オモダカ科の多年草
〔1〕オモダカの葉と花を組み合わせて紋様化したもの。
〔2〕立て沢潟、丸に沢潟、子持ち抱き沢潟、沢潟に水など。
● かえで 楓:カエデ科カエデ属の落葉高木の総称
〔1〕楓の葉を図案化したもの。〔2〕中輪に楓、糸輪に三つ楓など。
● かきつばた 杜若 燕子花:アヤメ科の多年草
〔1〕カキツバタの葉と花を図案化したもの。〔2〕立ち杜若、石山(三花)杜若など。
● かじのき 梶:クワ科の落葉高木 雌雄異株
〔1〕梶の葉をかたどったもので、種類が多い。〔2〕立ち梶の葉、諏訪梶の葉など。
● かしわ 柏 槲:ブナ科の落葉高木
〔1〕柏の葉をかたどったもので、種類が多い。〔2〕三つ柏、抱き柏、結び柏など。
● かたばみ 酢漿草:カタバミ科の多年草
〔1〕カタバミの葉を図案化したもの。〔2〕酢漿草、剣酢漿草、石持ち酢漿草など。
● かぶ 蕪:アブラナ科の越年草 春の七草の一(すずな)
〔1〕葉付き蕪を図案化したもの。〔2〕抱き蕪など。
● ききょう 桔梗:キキョウ科の多年草 秋の七草の一
〔1〕桔梗の花をかたどったもので、種類が多い。
〔2〕丸に桔梗、抱き桔梗、蔓桔梗、三つ割り桔梗、八重桔梗、土岐桔梗、光琳桔梗、剣桔梗など。
● きく 菊:キク科キク属の総称
〔1〕菊の花や葉などを図案化したもの。皇室の十六葉八重表菊のほか種類が多い。
〔2〕十六葉裏菊、十四葉一重表菊、丸に八葉菊、三つ割り菊など。
● きり 桐:ゴマノハグサ科の落葉高木
〔1〕桐の花と葉をかたどったもので、種類が多い。
〔2〕五七の桐、太閤桐、五三の桐、花桐など。
● くず 葛:マメ科の蔓性の多年草 秋の七草の一
〔1〕葛の花や葉を図案化したもの。〔2〕三つ葛葉、葛花、横見葛花、葛花車など。
● くり 栗:ブナ科の落葉高木
〔1〕栗の実と葉を図案化したもの。〔2〕栗など。
● こうほね 河骨 川骨:スイレン科の多年草
〔1〕河骨の葉を図案化したもの。〔2〕三つ河骨など。
● さくら 桜:バラ科サクラ属の落葉高木
〔1〕桜の花を図案化したもの。〔2〕八重桜、一重桜、山桜など。
2013年7月2日火曜日
アニメ映画「王舎城の悲劇」
6月半ばのある日、表題の上映会が野々市市役所の一室であるというチラシが舞い込んでいた。私の家は旧宅と新宅があるが、その両方に舞い込んでいたから、配付した人はそのことには疎い人だったに違いない。ところで上映されるのは6月27日の木曜日の午後1時半から3時半まで、何となく興味がひかれ、出かけることにした。副題には「現代と変わらぬ『家庭悲劇』をハッピーエンドに転回させたお釈迦さまの物語」とあった。
なぜ私が興味を持ったのか、それは浄土宗や浄土真宗の聖典である浄土三部経の中の中経といわれる観無量寿経(観経)で、善導大師が序説とした部分が実は「王舎城の悲劇」の一節であって、このお経には概略のみで詳しい顛末は書かれていないが、これのみでは1時間もの筋を立てるには余程想像をたくましくしなければ無理である。ところで手元にある岩波文庫の「浄土三部経」の下巻の註を見ると、この物語は「涅槃経」にはかなり詳しくその経過が書かれているようだし、日本では親鸞上人が著した「教行信証」には長々と引用されていると書かれている。
チラシに書かれた概略では、「インドで最強を誇ったマガダ国の王舎城に住むビンバシャラ王とその妃イダイケ夫人は、一人息子のアジャセによって虐待され、ついには獄中の人となる。この2600年前にインドで起きた仏教史上最大の悲劇を救ったお釈迦さまの物語」とある。それで私なりに筋を辿ってみた。お経の中に出てくる地名や人名は、原語(岩波文庫の浄土三部経の註から引用)の音訳を漢字で表してあるが、その漢字読みと原語のカナ読みをその後に付した。漢字がない場合は、その部分は仮名書きとした。
ブッダ(釈迦・釈尊)在世時、中部インドでは大国であったマガダ国の首都王舎城(おうしゃじょう・ラージャグリハ)の王宮には、国王の頻婆沙羅(びんばしゃら・ビンビサーラ)と王妃の韋提希(いだいけ・ヴァイデーヒー)が住んでいた。ところで二人の間には子供がなく、心配した王は占い師にそのことを尋ねたところ、ある山で修行している仙人がやがて死ぬが、死後、王子として生まれ変わるであろうと予言した。それにはもう5年待たねばならないと。これを聞いた王妃は、もう5年もしたら私は子供を産めなくなる体になるので、それまで待てないと王に懇願した。すると王は王妃の言を聞き入れ、王は仙人のいる山へ三百の兵を引き連れ、王と王妃は象に乗り出向く。そして端座瞑想している仙人を殺害した。仙人は死ぬ間際に王と王妃を罵り、必ず復讐すると言ってこと切れる。
すると予言通り、王妃は懐妊する。しかし復讐のことが頭から離れず悶々とした日々を送っていた。そこで再び占い師に尋ねたところ、お腹の赤ちゃんは仙人の身代わり、この王子は生まれたら必ず両親へ仇を報ずるであろうと言った.怖くなった王と王妃は一計を巡らし、出産の折に、剣を逆に沢山林立させた剣の林に子を産み落として殺そうとした。ところが運良く赤子は剣と剣の間に落ち、小指を半分切断しただけで助かった。王と王妃は罪もない赤子を不憫に思い、大事に育てることにした。しかしこの事実を知っている者達には厳重な箝口令を敷いた。
王位を継承する王子の阿闍世(あじゃせ・アジャータシャトル)太子は、手厚く育てられ、聡明な子に育った。しかし弓矢を与えたところ、生きるものを平気で殺すという気性があることが分かってきた。弓の腕は大したもので、狙った獲物は確実に仕留めた。この頃釈尊の従兄弟の提婆達多(でいばだった・デーヴァダッタ)は、釈尊の布教には大変大勢の人が集まるのを妬み、何とか釈尊を亡き者にしようと企んでいた。釈尊の一行が旅の途中、山道にさしかかった折、崖の上から大きな岩を落としたり、原では獰猛な象の群れで襲わせたりしたが、岩は外れ、象はおとなしく跪き、計はことごとく徒労に終わった。この頃には、王も王妃も釈尊に帰依していた。
そこで提婆は一計を企んだ。それは太子を味方につけ、太子を新王にし、釈尊の地位に自らがなろうという悪計であった。ある時、太子は家来を連れずに一人で狩りに出た。提婆はこの機会を逃さず、太子に獰猛な虎を差し向かわせた。矢で射殺するには余りにも大きく、太子は観念した。その時提婆が象に乗って現れ、太子を救った。太子は大いに喜び、提婆を王宮に招き入れ、諸事全てを提婆に相談して事を運んだ。太子の信頼を得たのを見計らい、提婆は出生の秘密を太子に吹き込んだ。太子の小指の経緯である。凶暴な太子は大いに怒り、王を周りを堀で巡らした塔の一室に幽閉し、家臣には「食わすな、飲ますな」と厳命した。王は叫んで我が身を嘆くが、どうにもならなかった。王は釈尊に助けを求め、親友の目連尊者を遣わしてほしいと懇願した。当時釈尊は王都を取り巻く峰々の一つの耆闍崛山(ぎしゃくつせん・グリドウフラクータ)(又の名を霊鷲山りょうじゅせん、鷲の峰とも言い、釈尊はこの山を説法の会座としていた)にいた。王が幽閉されている室には高いところに小さな窓があり、光が射し込んでいた。釈尊は十大弟子で神通第一の大目鍵連(だいもくけんれん・マハーマウドガリヤーヤナ)と、やはり十大弟子で説法第一の富楼那(ふるな・プールナ)を遣わして王に八戒を授け、法を説いた。善因善果、悪因悪果、自因自果、因果応報。王は己が修行の仙人を殺し、我が子を剣の林立した所へ産み落とさせたことを懺悔し、悔いた。
王が幽閉されてから、王妃は毎日王に会いに行った。王妃は毎朝沐浴して身を清め、精製したバターに乾飯の粉末を混ぜ合わせたものをその身に塗り、胸飾の中に葡萄酒を入れ、秘かに王に与えていた。王には他の誰も面会できず、王妃のみが会えたが、物を持ち込むことは禁じられていた。こうして王は乾飯の粉末を食べ、葡萄酒を飲み、口を漱ぎ、その後鷲の峰に向かい合掌し、長老の説法を聞いた。この時の王は幽閉の身でありながら、顔の色は穏やかで、喜びに満ちていた。このようにして37日が過ぎた。
幽閉して37日も過ぎたのだから、父王はもう死んでいるだろうと思い、門を守る者に「父王はどうしているか」と問うたところ、王妃が毎日食物と葡萄酒を与えておられること、沙門の長老のお二方が空からやって来て説法されていること、そしてこれらを禁制することは私たちにはできないと。これを聞いた太子は激怒し母に向かい、「私の母は賊であり、沙門は悪人である」と言い、剣を取り母を殺そうとした。その時太子の側には二人の大臣がいた。一人は月光(がっこう・チャンドラプラディーバ)といい聡明で智慧者、もう一人は耆婆(ぎば・ジーヴァカ)という名医で、二人は太子に説いた。「太子よ、はるかな昔より、多くの悪王がいて王位に即こうと父を殺した者は1万8千人にも上る。しかし未だかって母を殺したというためしは聞いたことがない。殺害すればそれは賤民の所行、王宮に住まわせることはできない」と言い、剣の柄に手をかけ、後ずさりした。これを見て太子は剣を捨て、代わりに母である王妃を内務の役人に命じて奥深い部屋に幽閉した。王妃は王に会えなくなり、王は衰弱し亡くなった。この時代は異母の王子が何人もいて、王位に即きたい王子は、時にこういう強行手段に訴えたという。そして太子は王となった。
王毋は愁いに閉ざされ憔悴し、尊者を殺し、我が子をも殺そうとしたことを悔い、この所行は地獄へ行くしかないと悟る。そして五体投地し、哀れみを求めて懺悔した。そして願わくは木蓮尊者と阿難(あなん・アーナンダ)尊者にお目にかかりたいと願い、悲しみの涙を流して、釈尊のおいでる鷲の峰に向かって礼拝した。すると釈尊は王毋の思念を知り、目連を左に阿難を右に侍して王毋の前に姿を現された。釈尊の体は紫を帯びた金色に輝き、天人たちは天花を降らして供養しているのが見えた。王毋は釈尊のお姿を見て、五体を地に投じて礼をし、釈尊の愛おしみを求めて懺悔した。そして私に清らかな行いのある世界を観せて下さいと願った。
こうして王毋は、憎しみ、怒り、呪いのない、ひたすら苦悩のない清らかな世界に生まれたいと願い、釈尊はこれに応えて、諸仏の世界を光明を放って見せしめた。その「幸あるところ」とは極楽浄土であり、その西方浄土を観想するには、心を一筋にし、思いを一処に集中して思い浮かべねばならないと説いた。〔正説〕(一、心統一して浄土を観想する十三の方法、定善十三観)
一方で心統一することが出来ない散乱心の凡夫に対しても、王毋の請いにより、悪を廃め善を修めて浄土往生を得しめる散善を説いた。〔正説〕(二、散心の凡夫、往生を得る九種の方法)
その後、王は父王を殺したことを悔い、王毋を牢より出した。その後、王は重い病気になり、名医の耆婆に導かれて釈尊の教えを仰ぎ、病が癒えて後は菩提心を発して改心し、そして釈尊に帰依することになる。
なぜ私が興味を持ったのか、それは浄土宗や浄土真宗の聖典である浄土三部経の中の中経といわれる観無量寿経(観経)で、善導大師が序説とした部分が実は「王舎城の悲劇」の一節であって、このお経には概略のみで詳しい顛末は書かれていないが、これのみでは1時間もの筋を立てるには余程想像をたくましくしなければ無理である。ところで手元にある岩波文庫の「浄土三部経」の下巻の註を見ると、この物語は「涅槃経」にはかなり詳しくその経過が書かれているようだし、日本では親鸞上人が著した「教行信証」には長々と引用されていると書かれている。
チラシに書かれた概略では、「インドで最強を誇ったマガダ国の王舎城に住むビンバシャラ王とその妃イダイケ夫人は、一人息子のアジャセによって虐待され、ついには獄中の人となる。この2600年前にインドで起きた仏教史上最大の悲劇を救ったお釈迦さまの物語」とある。それで私なりに筋を辿ってみた。お経の中に出てくる地名や人名は、原語(岩波文庫の浄土三部経の註から引用)の音訳を漢字で表してあるが、その漢字読みと原語のカナ読みをその後に付した。漢字がない場合は、その部分は仮名書きとした。
ブッダ(釈迦・釈尊)在世時、中部インドでは大国であったマガダ国の首都王舎城(おうしゃじょう・ラージャグリハ)の王宮には、国王の頻婆沙羅(びんばしゃら・ビンビサーラ)と王妃の韋提希(いだいけ・ヴァイデーヒー)が住んでいた。ところで二人の間には子供がなく、心配した王は占い師にそのことを尋ねたところ、ある山で修行している仙人がやがて死ぬが、死後、王子として生まれ変わるであろうと予言した。それにはもう5年待たねばならないと。これを聞いた王妃は、もう5年もしたら私は子供を産めなくなる体になるので、それまで待てないと王に懇願した。すると王は王妃の言を聞き入れ、王は仙人のいる山へ三百の兵を引き連れ、王と王妃は象に乗り出向く。そして端座瞑想している仙人を殺害した。仙人は死ぬ間際に王と王妃を罵り、必ず復讐すると言ってこと切れる。
すると予言通り、王妃は懐妊する。しかし復讐のことが頭から離れず悶々とした日々を送っていた。そこで再び占い師に尋ねたところ、お腹の赤ちゃんは仙人の身代わり、この王子は生まれたら必ず両親へ仇を報ずるであろうと言った.怖くなった王と王妃は一計を巡らし、出産の折に、剣を逆に沢山林立させた剣の林に子を産み落として殺そうとした。ところが運良く赤子は剣と剣の間に落ち、小指を半分切断しただけで助かった。王と王妃は罪もない赤子を不憫に思い、大事に育てることにした。しかしこの事実を知っている者達には厳重な箝口令を敷いた。
王位を継承する王子の阿闍世(あじゃせ・アジャータシャトル)太子は、手厚く育てられ、聡明な子に育った。しかし弓矢を与えたところ、生きるものを平気で殺すという気性があることが分かってきた。弓の腕は大したもので、狙った獲物は確実に仕留めた。この頃釈尊の従兄弟の提婆達多(でいばだった・デーヴァダッタ)は、釈尊の布教には大変大勢の人が集まるのを妬み、何とか釈尊を亡き者にしようと企んでいた。釈尊の一行が旅の途中、山道にさしかかった折、崖の上から大きな岩を落としたり、原では獰猛な象の群れで襲わせたりしたが、岩は外れ、象はおとなしく跪き、計はことごとく徒労に終わった。この頃には、王も王妃も釈尊に帰依していた。
そこで提婆は一計を企んだ。それは太子を味方につけ、太子を新王にし、釈尊の地位に自らがなろうという悪計であった。ある時、太子は家来を連れずに一人で狩りに出た。提婆はこの機会を逃さず、太子に獰猛な虎を差し向かわせた。矢で射殺するには余りにも大きく、太子は観念した。その時提婆が象に乗って現れ、太子を救った。太子は大いに喜び、提婆を王宮に招き入れ、諸事全てを提婆に相談して事を運んだ。太子の信頼を得たのを見計らい、提婆は出生の秘密を太子に吹き込んだ。太子の小指の経緯である。凶暴な太子は大いに怒り、王を周りを堀で巡らした塔の一室に幽閉し、家臣には「食わすな、飲ますな」と厳命した。王は叫んで我が身を嘆くが、どうにもならなかった。王は釈尊に助けを求め、親友の目連尊者を遣わしてほしいと懇願した。当時釈尊は王都を取り巻く峰々の一つの耆闍崛山(ぎしゃくつせん・グリドウフラクータ)(又の名を霊鷲山りょうじゅせん、鷲の峰とも言い、釈尊はこの山を説法の会座としていた)にいた。王が幽閉されている室には高いところに小さな窓があり、光が射し込んでいた。釈尊は十大弟子で神通第一の大目鍵連(だいもくけんれん・マハーマウドガリヤーヤナ)と、やはり十大弟子で説法第一の富楼那(ふるな・プールナ)を遣わして王に八戒を授け、法を説いた。善因善果、悪因悪果、自因自果、因果応報。王は己が修行の仙人を殺し、我が子を剣の林立した所へ産み落とさせたことを懺悔し、悔いた。
王が幽閉されてから、王妃は毎日王に会いに行った。王妃は毎朝沐浴して身を清め、精製したバターに乾飯の粉末を混ぜ合わせたものをその身に塗り、胸飾の中に葡萄酒を入れ、秘かに王に与えていた。王には他の誰も面会できず、王妃のみが会えたが、物を持ち込むことは禁じられていた。こうして王は乾飯の粉末を食べ、葡萄酒を飲み、口を漱ぎ、その後鷲の峰に向かい合掌し、長老の説法を聞いた。この時の王は幽閉の身でありながら、顔の色は穏やかで、喜びに満ちていた。このようにして37日が過ぎた。
幽閉して37日も過ぎたのだから、父王はもう死んでいるだろうと思い、門を守る者に「父王はどうしているか」と問うたところ、王妃が毎日食物と葡萄酒を与えておられること、沙門の長老のお二方が空からやって来て説法されていること、そしてこれらを禁制することは私たちにはできないと。これを聞いた太子は激怒し母に向かい、「私の母は賊であり、沙門は悪人である」と言い、剣を取り母を殺そうとした。その時太子の側には二人の大臣がいた。一人は月光(がっこう・チャンドラプラディーバ)といい聡明で智慧者、もう一人は耆婆(ぎば・ジーヴァカ)という名医で、二人は太子に説いた。「太子よ、はるかな昔より、多くの悪王がいて王位に即こうと父を殺した者は1万8千人にも上る。しかし未だかって母を殺したというためしは聞いたことがない。殺害すればそれは賤民の所行、王宮に住まわせることはできない」と言い、剣の柄に手をかけ、後ずさりした。これを見て太子は剣を捨て、代わりに母である王妃を内務の役人に命じて奥深い部屋に幽閉した。王妃は王に会えなくなり、王は衰弱し亡くなった。この時代は異母の王子が何人もいて、王位に即きたい王子は、時にこういう強行手段に訴えたという。そして太子は王となった。
王毋は愁いに閉ざされ憔悴し、尊者を殺し、我が子をも殺そうとしたことを悔い、この所行は地獄へ行くしかないと悟る。そして五体投地し、哀れみを求めて懺悔した。そして願わくは木蓮尊者と阿難(あなん・アーナンダ)尊者にお目にかかりたいと願い、悲しみの涙を流して、釈尊のおいでる鷲の峰に向かって礼拝した。すると釈尊は王毋の思念を知り、目連を左に阿難を右に侍して王毋の前に姿を現された。釈尊の体は紫を帯びた金色に輝き、天人たちは天花を降らして供養しているのが見えた。王毋は釈尊のお姿を見て、五体を地に投じて礼をし、釈尊の愛おしみを求めて懺悔した。そして私に清らかな行いのある世界を観せて下さいと願った。
こうして王毋は、憎しみ、怒り、呪いのない、ひたすら苦悩のない清らかな世界に生まれたいと願い、釈尊はこれに応えて、諸仏の世界を光明を放って見せしめた。その「幸あるところ」とは極楽浄土であり、その西方浄土を観想するには、心を一筋にし、思いを一処に集中して思い浮かべねばならないと説いた。〔正説〕(一、心統一して浄土を観想する十三の方法、定善十三観)
一方で心統一することが出来ない散乱心の凡夫に対しても、王毋の請いにより、悪を廃め善を修めて浄土往生を得しめる散善を説いた。〔正説〕(二、散心の凡夫、往生を得る九種の方法)
その後、王は父王を殺したことを悔い、王毋を牢より出した。その後、王は重い病気になり、名医の耆婆に導かれて釈尊の教えを仰ぎ、病が癒えて後は菩提心を発して改心し、そして釈尊に帰依することになる。
2013年6月22日土曜日
改装なった川金・鮎の庄へ香魚を求めて
昨年10月8日に子持ち鮎を食べに川金・鮎の庄へ行った折、改築のため11月1日から翌年4月まで休業するとのことだった。改築前の席数は50ばかり、営業は午前11時からなのだが、土日は11時に行ったのでは既に満席で、最初にありつこうとすれば、10時には着いて事前登録しなければならなかった。土日祝日以外の平日ならば予約はできるが、これまで平日に出向いたことはない。庄川畔には今も数軒の鮎を食べさせる店があるが、この店ほど混み合っている店は他にはない。古くは石川県知事だった中西陽一さんが、よく車を飛ばして食べに行かれたことでも知られている。
今年になって、そろそろ鮎も解禁(犀川は6月15日、庄川は6月22日)になるのにどうなっているのかなと思っていたところ、地元紙に6月1日に新装開店とあった。家内が6月12日(水)に休みがとれるとのことで、早速予約した。当日は天気もよく、家を9時に出て、額菩提樹苑にある三男の墓へ寄った後、山側環状道路、森本IC、北陸高速道、砺波ICを経て、富山県砺波市上中野の庄川畔にある川金・鮎の庄に向かった。10時半に着いた。11時からなので、川金のロビーで暫く寛いだ。改築された鮎の庄は改築前の倍くらいの大きさの平屋建て、以前と比べモダンな感じになった。時間になって促されて鮎の庄に向かう。以前は旅館に垂直に建物が延びていたが、新しい建物は平行になっている。
案内されたのは窓側の6人テーブル、テーブルの真ん中に角形の灰床、以前のは囲炉裏部分が大きくて、皿を置くスペースが狭かったが、新しいのはテーブルも広く、椅子にも余裕がありゆったりしている。以前に比べて角形の灰床の面積は小さいが、でも6人が10本ずつ食べても、十分串を並べるスペースがあり、合理的な設計になっている。とにかくゆったりなのが良い。6人での相席でも十分余裕がある。前は10人席でも10人だと窮屈だったし、小上がりの6人卓も狭かった。職員の服装も、和装から洋装になった。
注文は、取りあえず、鮎の塩焼き10本、鮎の造り1皿、うるか三種盛り1皿、飲み物は銀嶺立山の300mlとノンアルコールビールを1本お願いした。つまみには「ちょろぎ」が出た。〔注:チョロギというのは、中国原産のシソ科の多年草で、栽培されている。秋には淡紅色の唇形の花を穂状につける。この植物の根の先端には、連珠状の白い塊茎が付くので、これを掘り取り、梅酢で赤く染めて食用に供する。地方によっては、正月料理には黒豆との取り合わせにかかせないという〕。
さて鮎だが、川金のパンフレットには次のように書かれている。「庄川で育まれた鮎は、天下一との誉れをいただいており、遠方からも多くのみなさまがお越しになります。釣りたてを炭火で焼き上げた味を、川金「鮎の庄」でご堪能ください」と。しかし私たちが寄ったのは6月12日、解禁は22日であるからして、鮎は天然ではなく養殖である。これは解禁後も同じで、鮎の庄では天然の鮎が出ることはなく、もし天然の鮎を食べたいのならば、川金で鮎料理を食べねばならない。改築後は見られなくなったが、以前は生け簀に沢山の鮎をストックしていて、しょっちゅう補給されていた。そして一度に何十尾もタモですくい、目にも止まらない速さで串に刺していた。今はそれが見られなくなった。ただ入り口近くで鮎を焼いていて、強火の遠火で円形に串を立て、焼いているのを見ることができる。1カ所でざっと30尾、これが3カ所あり、圧巻である。
程なくして鮎の塩焼きが来た。大きさは15〜17cm位、養殖なので月を経てもそんなに大きくはならないが、もう少しは大きくなろうか。でも、小さくとも焼きたてを蓼酢で頂くのは至福の時である。もう一尾二口である。鮎の造りの鮎は塩焼きのよりは大きい。洗いにしてはなく、下ろしたまま、清々しい味がした。鮎のうるかは私の大好物、でも近頃は家内も味をしめて、三種盛りでも特に「子うるか」を独り占めにしてしまう。ただ「黒うるか」や「わたうるか」には手を出さないから救われる。ちなみに「うるか」というのは、鮎のはらわたや卵を塩漬けにした塩辛で、酒の肴としては中々珍味である。
その後さらにもう10本所望、そして野菜の天ぷらと漬物盛り合わせ、それに飲み物、最後に家内はざるうどんを頼んでいた。これで十分に堪能した。でも見てると、大部分のお客さんは「鮎の膳」を注文のようで、後で清算したときに、20本も食べられたのですかとあきられたというから、私たちの方が変わっていたのかも知れない。でも満足した。
以下に余分だが、新装なった「鮎の庄」を若干紹介しておく。
● 営業の案内
旬彩いろり茶屋「鮎の庄」 〒939-1323 富山県砺波市上中野70 川金 庭園内
電話 フリーダイヤル 0120-01-0257 代表 0763-82-0257
営業時間 昼の部 11:00〜14:30 夜の部 17:00〜20:00
定休日 4月〜10月は無休 11月〜3月は火曜日が定休日
予 約 平日の昼・夜ともに可 土・日・祝日は夜のみ可 個室4室あり予約可
● 鮎御膳 2,000~3,000円 鮎料理 500-900円 鮎の塩焼き 380-650円 鮎の造り 800-1,000円
● 一品料理 500-700円 珍味うるか 100-600円 鮎雑炊 800円 麺類 750-800円 甘味物 300-700円
● 日本酒(4合)2,000-7,800円 ビール ノンアルコールビール ワイン 焼酎 チューハイ ほか
今年になって、そろそろ鮎も解禁(犀川は6月15日、庄川は6月22日)になるのにどうなっているのかなと思っていたところ、地元紙に6月1日に新装開店とあった。家内が6月12日(水)に休みがとれるとのことで、早速予約した。当日は天気もよく、家を9時に出て、額菩提樹苑にある三男の墓へ寄った後、山側環状道路、森本IC、北陸高速道、砺波ICを経て、富山県砺波市上中野の庄川畔にある川金・鮎の庄に向かった。10時半に着いた。11時からなので、川金のロビーで暫く寛いだ。改築された鮎の庄は改築前の倍くらいの大きさの平屋建て、以前と比べモダンな感じになった。時間になって促されて鮎の庄に向かう。以前は旅館に垂直に建物が延びていたが、新しい建物は平行になっている。
案内されたのは窓側の6人テーブル、テーブルの真ん中に角形の灰床、以前のは囲炉裏部分が大きくて、皿を置くスペースが狭かったが、新しいのはテーブルも広く、椅子にも余裕がありゆったりしている。以前に比べて角形の灰床の面積は小さいが、でも6人が10本ずつ食べても、十分串を並べるスペースがあり、合理的な設計になっている。とにかくゆったりなのが良い。6人での相席でも十分余裕がある。前は10人席でも10人だと窮屈だったし、小上がりの6人卓も狭かった。職員の服装も、和装から洋装になった。
注文は、取りあえず、鮎の塩焼き10本、鮎の造り1皿、うるか三種盛り1皿、飲み物は銀嶺立山の300mlとノンアルコールビールを1本お願いした。つまみには「ちょろぎ」が出た。〔注:チョロギというのは、中国原産のシソ科の多年草で、栽培されている。秋には淡紅色の唇形の花を穂状につける。この植物の根の先端には、連珠状の白い塊茎が付くので、これを掘り取り、梅酢で赤く染めて食用に供する。地方によっては、正月料理には黒豆との取り合わせにかかせないという〕。
さて鮎だが、川金のパンフレットには次のように書かれている。「庄川で育まれた鮎は、天下一との誉れをいただいており、遠方からも多くのみなさまがお越しになります。釣りたてを炭火で焼き上げた味を、川金「鮎の庄」でご堪能ください」と。しかし私たちが寄ったのは6月12日、解禁は22日であるからして、鮎は天然ではなく養殖である。これは解禁後も同じで、鮎の庄では天然の鮎が出ることはなく、もし天然の鮎を食べたいのならば、川金で鮎料理を食べねばならない。改築後は見られなくなったが、以前は生け簀に沢山の鮎をストックしていて、しょっちゅう補給されていた。そして一度に何十尾もタモですくい、目にも止まらない速さで串に刺していた。今はそれが見られなくなった。ただ入り口近くで鮎を焼いていて、強火の遠火で円形に串を立て、焼いているのを見ることができる。1カ所でざっと30尾、これが3カ所あり、圧巻である。
程なくして鮎の塩焼きが来た。大きさは15〜17cm位、養殖なので月を経てもそんなに大きくはならないが、もう少しは大きくなろうか。でも、小さくとも焼きたてを蓼酢で頂くのは至福の時である。もう一尾二口である。鮎の造りの鮎は塩焼きのよりは大きい。洗いにしてはなく、下ろしたまま、清々しい味がした。鮎のうるかは私の大好物、でも近頃は家内も味をしめて、三種盛りでも特に「子うるか」を独り占めにしてしまう。ただ「黒うるか」や「わたうるか」には手を出さないから救われる。ちなみに「うるか」というのは、鮎のはらわたや卵を塩漬けにした塩辛で、酒の肴としては中々珍味である。
その後さらにもう10本所望、そして野菜の天ぷらと漬物盛り合わせ、それに飲み物、最後に家内はざるうどんを頼んでいた。これで十分に堪能した。でも見てると、大部分のお客さんは「鮎の膳」を注文のようで、後で清算したときに、20本も食べられたのですかとあきられたというから、私たちの方が変わっていたのかも知れない。でも満足した。
以下に余分だが、新装なった「鮎の庄」を若干紹介しておく。
● 営業の案内
旬彩いろり茶屋「鮎の庄」 〒939-1323 富山県砺波市上中野70 川金 庭園内
電話 フリーダイヤル 0120-01-0257 代表 0763-82-0257
営業時間 昼の部 11:00〜14:30 夜の部 17:00〜20:00
定休日 4月〜10月は無休 11月〜3月は火曜日が定休日
予 約 平日の昼・夜ともに可 土・日・祝日は夜のみ可 個室4室あり予約可
● 鮎御膳 2,000~3,000円 鮎料理 500-900円 鮎の塩焼き 380-650円 鮎の造り 800-1,000円
● 一品料理 500-700円 珍味うるか 100-600円 鮎雑炊 800円 麺類 750-800円 甘味物 300-700円
● 日本酒(4合)2,000-7,800円 ビール ノンアルコールビール ワイン 焼酎 チューハイ ほか
2013年6月17日月曜日
会員そば打ちの集いで出されたサプリメント
今では恒例となっている探蕎会の湯涌みどりの里でのそば打ちの集いは、平成15年に始まったのだから、もう数えて11回目になる。それまでは毎回場所を転々としていたから、世話は先ず場所選びから、世話する方々は大変だったろうと思う。それが現在の場所に定着したのは、世話人の塚野さんの尽力に負うところが多い。それに一昨年からはクイズまがいで、生粉打ち、九一、二八で打たれた「そば」を当てるという趣向も加わった。また当日のおしながきを見ると、そば以外に「つきだし」や「でざーと」と称して、会員の方々が腕を振るった品々が提供され、それが格好のお酒の友やお土産となっている。ところでこの趣向の傾向も年々内容が充実、いやエスカレートしているのではと思われ、これは素晴らしいことである。これが会員一人一品とまで義務化されると大変だが、そうでなくて任意でボランティア的であるのが素晴らしい。それにしても今年は昨年よりも品数が多くなったように感じた。それで厚かましくも遠慮しないで、一部の品を除いてはしっかり食し、堪能させて頂いた。以下に今年の会で出されたサプリメントについて、感謝をこめて列記してみたい。順不同である。
一、つきだし類
1.新田さん提供の品々
● 「かたはのお浸し」:「かたは」というのはご当地名で、和名はウワバミソウ、イラクサ科の植物である。やや湿気た山地に群生していて、茎は瑞々しい。東北では「みず」といい、茎が赤みがかっているものを「あかみず」、そうでないものを「あおみず」と呼んでいる。我が家の庭にも群生してはいるが、丈も低くこわそうで、食したことはない。本品のお浸しの作り方は不明だが、榎茸も入っていて、生姜と茗荷のトッピングで、仄かなうまみがお酒の友にはぴったりだった。
● 「ワラビの煮浸し」:言わずと知れた「わらび」、和名もワラビで、古くはウラボシ科だったが、現在はコバノイシカグマ科に分類されている。春に未だ丸まって開いていない拳状の若葉のついた葉柄を湯がいて食する。匍匐茎があるので、何度か収穫できる。この品は醤油に浸したものとか。色は黒紫色、姿はというと精悍な風貌、程よい歯触り、素人ではこうは作れまい。逸品だった。
● 「ゼンマイの煮物」:ゼンマイはゼンマイ科の多年生の羊歯で、春の山菜の代表でもある。春先、先ず胞子葉が、次いで栄養葉が出る。どちらも芽生えは綿毛で被われ、ゼンマイ状に巻いている。食用にするのは後者で、生食することはなく、一旦乾燥して揉んで保存できるようにしたものを煮たりして食する。出された「ぜんまい」は能登産とか、油揚げと竹輪、それと茸?とが入った煮物、おふくろの味というべきか。私の家の庭にも数十株のゼンマイが葉誇りしているが、ついぞ食べたことはない。
● 「コールラビの塩麹漬け、酢麹漬け」:コールラビとは何か。出品の新田さんに訊くと「のと野菜」だとのこと。後日、南栃市福光の道の駅で、この品の表示を見たが、残念ながらその品は売り切れていた。ただ説明の表示があり、それを書き写した。「コールラビとはドイツ語でキャベツカブという意味で、キャベツに似たやさしい甘味があります。茹でてサラダにしたり、スープや味噌汁などの汁物、煮込みなどにも合います」とあった。現物は見ていないが、アブラナ科の植物であることは間違いない。一見小蕪のようで、調理には皮を剥いてとある。出た品もそうして輪切りにしたものを漬け込んだもの、初めて口にしたが、新来の味だった。
● 「モミジガサの白和え」:モミジガサは山地の林下に生えるキク科の多年草である。食用にするのはその若芽で、キク科の植物の大半は若芽であれば食することができる。最も安直なのは天ぷらである。でもこの品はモミジガサを湯がいて、よく摺った白味噌と白胡麻とで和えてあった。見た目には、濃い緑と白のコントラストが素晴らしかった。
出品された新田さんは岩手県遠野市の出身、何と言ったって東北は山菜の宝庫、しかもスナック遠野を経営されていて、料理の腕前も一流、毎回素晴らしい一品を提供して下さっている。
2.早川さん提供の品
● 「山椒の未熟実の入った縮緬雑魚」:縮緬雑魚はカタクチイワシなど、鰯の雑魚を煮干しにしたもので、しらす干しともいう。これに薄味を付け、灰汁抜きした山椒の緑色未熟実を混ぜてある。市販の山椒粉は、赤く熟した実の黒い種子を粉末にしたもの、未熟な実の方がミカン科特有の芳香を出す。昨年は実の数が多くて舌が麻痺する程だったが、今年は少なかった。因みにこのサンショウは雌雄異株、先生宅のは雌株で、小生の庭のは雄株の老木、でも庭のあちこちに幼木が育っているのはどうしてなのだろう。
3.松田さん姉上提供の品
● 「花豆の煮豆」:花豆とは、マメ科インゲン属のベニバナインゲンの成熟した種子のことで、大型の豆、大福豆や虎豆と共に高級煮豆の材料になるという。これら大型の豆類を上手に煮るのは難しく、その炊き方にはコツが要るという。提供された煮豆は煮崩れもなくて上等な出来だった。でも何故か私は口にしていない。
4.久保さん提供の品
● 「沢庵と大根の浅漬け」:沢庵も自家製なのだと思う。私の家でも母が存命中は家で沢庵を仕込んでいたが、今は大根の浅漬けでさえ漬け込むことは少ない。どちらもお酒の格好の友と言える。
5.池端さん提供の品
● 「帆立の貝柱の干物」:小粒なのがよく、じっくりお酒を頂く時には格好のつまみになる。
二、でざーと
1.久保さん提供の品
● 「そば掻きぜんざい」:小豆(あずき)の中では最も粒が大きい大納言小豆、それも毎年こだわって福井県大野市から引かれるとか。久保さんは探蕎の折りには、もしぜんざいがあれば必ずといっていいほど所望される善哉通である。この作品は奥様の作であろうが、作り方にも甘味にもきっとこだわりをもっておいでだと思う。事務局長の前田さんが終了までに間に合い、このそば掻きぜんざいを食されたと「日めくり日記」に記されていたが、絶賛されていた。私はこれを見て、ぜんざいはともかく、粗挽きの蕎麦掻きは食べたかったと思ったものだ。
2.石野さん提供の品
● 「そばクッキー」:石野さんは今回は欠席だった。いつもは「シフォンケーキ」を提供されるのだが、今回はお休み。代わりに「そばクッキー」が配られた。すでにパッケージされていて、乾燥剤も入れられていた。私は家に持って帰り、翌日にウィスキーの水割りと共に頂いたが、最高だった。甘味が程よく調和され、格好の摘まみとなった。
3.松田さん提供の品
● 「水無月(蕎麦粉入り)」:裏千家の宗匠さんである松田さんお手製のお菓子、これは6月に頂く定番の和菓子とか、知らなかった。横から見ると、下の方5分の4ばかりが白っぽい生地で、ここに蕎麦粉が入っているようだ。その上に甘く煮た小豆が乗っかっている。白い部分は氷室の氷を表し、小豆は悪魔祓いを意味するという。またこのお菓子は三角の形状をしているが、これも魔除けを意味し、このお菓子を頂くと、その年の後半の厄払いと夏の健康祈願となるという。有難く頂いた。それにしてもよくぞ作られたものだ。
一、つきだし類
1.新田さん提供の品々
● 「かたはのお浸し」:「かたは」というのはご当地名で、和名はウワバミソウ、イラクサ科の植物である。やや湿気た山地に群生していて、茎は瑞々しい。東北では「みず」といい、茎が赤みがかっているものを「あかみず」、そうでないものを「あおみず」と呼んでいる。我が家の庭にも群生してはいるが、丈も低くこわそうで、食したことはない。本品のお浸しの作り方は不明だが、榎茸も入っていて、生姜と茗荷のトッピングで、仄かなうまみがお酒の友にはぴったりだった。
● 「ワラビの煮浸し」:言わずと知れた「わらび」、和名もワラビで、古くはウラボシ科だったが、現在はコバノイシカグマ科に分類されている。春に未だ丸まって開いていない拳状の若葉のついた葉柄を湯がいて食する。匍匐茎があるので、何度か収穫できる。この品は醤油に浸したものとか。色は黒紫色、姿はというと精悍な風貌、程よい歯触り、素人ではこうは作れまい。逸品だった。
● 「ゼンマイの煮物」:ゼンマイはゼンマイ科の多年生の羊歯で、春の山菜の代表でもある。春先、先ず胞子葉が、次いで栄養葉が出る。どちらも芽生えは綿毛で被われ、ゼンマイ状に巻いている。食用にするのは後者で、生食することはなく、一旦乾燥して揉んで保存できるようにしたものを煮たりして食する。出された「ぜんまい」は能登産とか、油揚げと竹輪、それと茸?とが入った煮物、おふくろの味というべきか。私の家の庭にも数十株のゼンマイが葉誇りしているが、ついぞ食べたことはない。
● 「コールラビの塩麹漬け、酢麹漬け」:コールラビとは何か。出品の新田さんに訊くと「のと野菜」だとのこと。後日、南栃市福光の道の駅で、この品の表示を見たが、残念ながらその品は売り切れていた。ただ説明の表示があり、それを書き写した。「コールラビとはドイツ語でキャベツカブという意味で、キャベツに似たやさしい甘味があります。茹でてサラダにしたり、スープや味噌汁などの汁物、煮込みなどにも合います」とあった。現物は見ていないが、アブラナ科の植物であることは間違いない。一見小蕪のようで、調理には皮を剥いてとある。出た品もそうして輪切りにしたものを漬け込んだもの、初めて口にしたが、新来の味だった。
● 「モミジガサの白和え」:モミジガサは山地の林下に生えるキク科の多年草である。食用にするのはその若芽で、キク科の植物の大半は若芽であれば食することができる。最も安直なのは天ぷらである。でもこの品はモミジガサを湯がいて、よく摺った白味噌と白胡麻とで和えてあった。見た目には、濃い緑と白のコントラストが素晴らしかった。
出品された新田さんは岩手県遠野市の出身、何と言ったって東北は山菜の宝庫、しかもスナック遠野を経営されていて、料理の腕前も一流、毎回素晴らしい一品を提供して下さっている。
2.早川さん提供の品
● 「山椒の未熟実の入った縮緬雑魚」:縮緬雑魚はカタクチイワシなど、鰯の雑魚を煮干しにしたもので、しらす干しともいう。これに薄味を付け、灰汁抜きした山椒の緑色未熟実を混ぜてある。市販の山椒粉は、赤く熟した実の黒い種子を粉末にしたもの、未熟な実の方がミカン科特有の芳香を出す。昨年は実の数が多くて舌が麻痺する程だったが、今年は少なかった。因みにこのサンショウは雌雄異株、先生宅のは雌株で、小生の庭のは雄株の老木、でも庭のあちこちに幼木が育っているのはどうしてなのだろう。
3.松田さん姉上提供の品
● 「花豆の煮豆」:花豆とは、マメ科インゲン属のベニバナインゲンの成熟した種子のことで、大型の豆、大福豆や虎豆と共に高級煮豆の材料になるという。これら大型の豆類を上手に煮るのは難しく、その炊き方にはコツが要るという。提供された煮豆は煮崩れもなくて上等な出来だった。でも何故か私は口にしていない。
4.久保さん提供の品
● 「沢庵と大根の浅漬け」:沢庵も自家製なのだと思う。私の家でも母が存命中は家で沢庵を仕込んでいたが、今は大根の浅漬けでさえ漬け込むことは少ない。どちらもお酒の格好の友と言える。
5.池端さん提供の品
● 「帆立の貝柱の干物」:小粒なのがよく、じっくりお酒を頂く時には格好のつまみになる。
二、でざーと
1.久保さん提供の品
● 「そば掻きぜんざい」:小豆(あずき)の中では最も粒が大きい大納言小豆、それも毎年こだわって福井県大野市から引かれるとか。久保さんは探蕎の折りには、もしぜんざいがあれば必ずといっていいほど所望される善哉通である。この作品は奥様の作であろうが、作り方にも甘味にもきっとこだわりをもっておいでだと思う。事務局長の前田さんが終了までに間に合い、このそば掻きぜんざいを食されたと「日めくり日記」に記されていたが、絶賛されていた。私はこれを見て、ぜんざいはともかく、粗挽きの蕎麦掻きは食べたかったと思ったものだ。
2.石野さん提供の品
● 「そばクッキー」:石野さんは今回は欠席だった。いつもは「シフォンケーキ」を提供されるのだが、今回はお休み。代わりに「そばクッキー」が配られた。すでにパッケージされていて、乾燥剤も入れられていた。私は家に持って帰り、翌日にウィスキーの水割りと共に頂いたが、最高だった。甘味が程よく調和され、格好の摘まみとなった。
3.松田さん提供の品
● 「水無月(蕎麦粉入り)」:裏千家の宗匠さんである松田さんお手製のお菓子、これは6月に頂く定番の和菓子とか、知らなかった。横から見ると、下の方5分の4ばかりが白っぽい生地で、ここに蕎麦粉が入っているようだ。その上に甘く煮た小豆が乗っかっている。白い部分は氷室の氷を表し、小豆は悪魔祓いを意味するという。またこのお菓子は三角の形状をしているが、これも魔除けを意味し、このお菓子を頂くと、その年の後半の厄払いと夏の健康祈願となるという。有難く頂いた。それにしてもよくぞ作られたものだ。
2013年6月13日木曜日
二つの同窓会(高校と小・中校)
昭和12年生まれの私たちは今年が数え77歳、いわゆる喜寿の祝いをする歳である。学年ではいわゆる遅生まれの昭和11年生まれの人(但し4月2日以降に生まれた人)と早生まれの人(但し4月1日までに生まれた人)とが混在しているが、近頃は満年齢で祝うこともあるというから、同一学年で祝いをしても特にクレームをつける人は少ない。しかし中には「喜寿祝」と銘打つことに異論を唱えて参加しない人もいる。でも高校の同期同窓会でも小学校・中学校の同期同窓会でも、参加した人は特にこだわってはいない。
(1)泉丘高校七期同窓会 平成25年5月30日(木)ー31日(金) 粟津温泉 のとや
七期の同窓会は1年おき(2年に一度)に実施される。それはそうとして、何時も実施時期が決まるのが遅いきらいがある。実は小・中学校の同窓会の実施時期は前年にもう6月4日5日と決まっていたのに、高校の方が決まらずにヤキモキした。というのも野々市中学校から13名が泉丘高校に進学しているからで、現在地元に住んでいない人は、一旦帰るのか残るのか、若しくは片方のみに出るのかの選択を迫られることになる。高校の卒業生は当時11クラスあったから、卒業生はざっと440人、だから割合からすれば極少であるのだが。同窓会の世話をしている人に参加人数について訊いてみると、最も多かったのは還暦のときで約100名、後は大体70名前後で推移していたが、近頃は60名前後とのこと、今回は58名だった。会の冒頭でこの2年間で物故された人が読み上げられたが、何と20人もが亡くなっていたのには驚いた。参加者が少なくなった原因の一つには本人の体調不良も大きな原因となっていることが伺われた。でも参加した人達は皆さん意気軒昂で、宝生流の謡にも張りがあったし、校歌斉唱も迫力があった。その後は三次会までこなし、大いに盛り上がった。
(2)野々市小・中学校同窓会(子うし会) 平成25年6月4日(火)ー5日(水) 粟津温泉 法師
子うし会は毎年集まっている。中学卒業時には53名いたが、これまで11名が亡くなり、3名が消息不明である。したがって同窓会の案内対象者は39名である。それで毎年少なくとも1泊はするが、すぐ解散というのは名残惜しいということもあって、大概物見遊山をオプションとして付けている。しかしそうなると、足腰の不自由な人、乗り物酔いをする人は参加しづらくなる。そこで今年は喜寿祝ということもあり、旅館1泊のみとした。その結果、いつもは多くて18名の参加なのだが、今年は22名と、56%の参加率だった。高校の同窓会はいつもこのスタイルなのだが、子うし会には元気な女子会員がいるので、このスタイルを続けるのは困難なようである、だから数え80歳の傘寿の祝には、またこのスタイルを継承するとしても、その間は旅行も取り入れた会にしなければならないと思う。ここ数年、宴会のスタイルはテーブルと椅子の形式、それだけ身体が不自由な人が多くなったということだ。いつもそうだが、この会では宴会が退けた後、皆さんが一部屋に集まって鴕弁るのが常であるが、これがまたお互いの親睦を深めるのに重要で欠かせない潤滑油となっている。これは出席した人達の9年間の絆の一層の強化ではないのか。お互いを呼び合うのに姓でなく名で言えるのも小学校や中学校に在学していた頃のノスタルジアか。でもそうだと、姓が結婚して変わっていようと、姓のことで頭を悩ますことはない。
(1)泉丘高校七期同窓会 平成25年5月30日(木)ー31日(金) 粟津温泉 のとや
七期の同窓会は1年おき(2年に一度)に実施される。それはそうとして、何時も実施時期が決まるのが遅いきらいがある。実は小・中学校の同窓会の実施時期は前年にもう6月4日5日と決まっていたのに、高校の方が決まらずにヤキモキした。というのも野々市中学校から13名が泉丘高校に進学しているからで、現在地元に住んでいない人は、一旦帰るのか残るのか、若しくは片方のみに出るのかの選択を迫られることになる。高校の卒業生は当時11クラスあったから、卒業生はざっと440人、だから割合からすれば極少であるのだが。同窓会の世話をしている人に参加人数について訊いてみると、最も多かったのは還暦のときで約100名、後は大体70名前後で推移していたが、近頃は60名前後とのこと、今回は58名だった。会の冒頭でこの2年間で物故された人が読み上げられたが、何と20人もが亡くなっていたのには驚いた。参加者が少なくなった原因の一つには本人の体調不良も大きな原因となっていることが伺われた。でも参加した人達は皆さん意気軒昂で、宝生流の謡にも張りがあったし、校歌斉唱も迫力があった。その後は三次会までこなし、大いに盛り上がった。
(2)野々市小・中学校同窓会(子うし会) 平成25年6月4日(火)ー5日(水) 粟津温泉 法師
子うし会は毎年集まっている。中学卒業時には53名いたが、これまで11名が亡くなり、3名が消息不明である。したがって同窓会の案内対象者は39名である。それで毎年少なくとも1泊はするが、すぐ解散というのは名残惜しいということもあって、大概物見遊山をオプションとして付けている。しかしそうなると、足腰の不自由な人、乗り物酔いをする人は参加しづらくなる。そこで今年は喜寿祝ということもあり、旅館1泊のみとした。その結果、いつもは多くて18名の参加なのだが、今年は22名と、56%の参加率だった。高校の同窓会はいつもこのスタイルなのだが、子うし会には元気な女子会員がいるので、このスタイルを続けるのは困難なようである、だから数え80歳の傘寿の祝には、またこのスタイルを継承するとしても、その間は旅行も取り入れた会にしなければならないと思う。ここ数年、宴会のスタイルはテーブルと椅子の形式、それだけ身体が不自由な人が多くなったということだ。いつもそうだが、この会では宴会が退けた後、皆さんが一部屋に集まって鴕弁るのが常であるが、これがまたお互いの親睦を深めるのに重要で欠かせない潤滑油となっている。これは出席した人達の9年間の絆の一層の強化ではないのか。お互いを呼び合うのに姓でなく名で言えるのも小学校や中学校に在学していた頃のノスタルジアか。でもそうだと、姓が結婚して変わっていようと、姓のことで頭を悩ますことはない。
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