昭和12年生まれの私たちは今年が数え77歳、いわゆる喜寿の祝いをする歳である。学年ではいわゆる遅生まれの昭和11年生まれの人(但し4月2日以降に生まれた人)と早生まれの人(但し4月1日までに生まれた人)とが混在しているが、近頃は満年齢で祝うこともあるというから、同一学年で祝いをしても特にクレームをつける人は少ない。しかし中には「喜寿祝」と銘打つことに異論を唱えて参加しない人もいる。でも高校の同期同窓会でも小学校・中学校の同期同窓会でも、参加した人は特にこだわってはいない。
(1)泉丘高校七期同窓会 平成25年5月30日(木)ー31日(金) 粟津温泉 のとや
七期の同窓会は1年おき(2年に一度)に実施される。それはそうとして、何時も実施時期が決まるのが遅いきらいがある。実は小・中学校の同窓会の実施時期は前年にもう6月4日5日と決まっていたのに、高校の方が決まらずにヤキモキした。というのも野々市中学校から13名が泉丘高校に進学しているからで、現在地元に住んでいない人は、一旦帰るのか残るのか、若しくは片方のみに出るのかの選択を迫られることになる。高校の卒業生は当時11クラスあったから、卒業生はざっと440人、だから割合からすれば極少であるのだが。同窓会の世話をしている人に参加人数について訊いてみると、最も多かったのは還暦のときで約100名、後は大体70名前後で推移していたが、近頃は60名前後とのこと、今回は58名だった。会の冒頭でこの2年間で物故された人が読み上げられたが、何と20人もが亡くなっていたのには驚いた。参加者が少なくなった原因の一つには本人の体調不良も大きな原因となっていることが伺われた。でも参加した人達は皆さん意気軒昂で、宝生流の謡にも張りがあったし、校歌斉唱も迫力があった。その後は三次会までこなし、大いに盛り上がった。
(2)野々市小・中学校同窓会(子うし会) 平成25年6月4日(火)ー5日(水) 粟津温泉 法師
子うし会は毎年集まっている。中学卒業時には53名いたが、これまで11名が亡くなり、3名が消息不明である。したがって同窓会の案内対象者は39名である。それで毎年少なくとも1泊はするが、すぐ解散というのは名残惜しいということもあって、大概物見遊山をオプションとして付けている。しかしそうなると、足腰の不自由な人、乗り物酔いをする人は参加しづらくなる。そこで今年は喜寿祝ということもあり、旅館1泊のみとした。その結果、いつもは多くて18名の参加なのだが、今年は22名と、56%の参加率だった。高校の同窓会はいつもこのスタイルなのだが、子うし会には元気な女子会員がいるので、このスタイルを続けるのは困難なようである、だから数え80歳の傘寿の祝には、またこのスタイルを継承するとしても、その間は旅行も取り入れた会にしなければならないと思う。ここ数年、宴会のスタイルはテーブルと椅子の形式、それだけ身体が不自由な人が多くなったということだ。いつもそうだが、この会では宴会が退けた後、皆さんが一部屋に集まって鴕弁るのが常であるが、これがまたお互いの親睦を深めるのに重要で欠かせない潤滑油となっている。これは出席した人達の9年間の絆の一層の強化ではないのか。お互いを呼び合うのに姓でなく名で言えるのも小学校や中学校に在学していた頃のノスタルジアか。でもそうだと、姓が結婚して変わっていようと、姓のことで頭を悩ますことはない。
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