今年の野々市本町の秋祭には、久しぶりに神輿 (二丁目 )と獅子舞が3町 (一丁目、三丁目、四丁目)から出た。旧野々市町の頃は、春祭はともかく、秋祭りには必ずそろい踏みしたものだが、このところ4つが揃って出ることはなかった。それだけに今年は賑わいを見せた。とはいっても地味な祭であって、この祭を見にわざわざ訪ねる人は稀で、むしろお盆の「野々市じょんから」の方が皆さんに知られている。ところで旧野々市町には6町あったが、何故か当時神輿や獅子舞を出すのは4町のみだった。神輿でも獅子舞でも、法被には旧町名が染め抜きされていた。神輿は一日市町、獅子舞は荒町、中町、西町の3町である。
野々市は古くは野市 (読みはノノイチ)、野の市、布市 (神社にこの名が残る) と称したようだが、近年は野々市の表記になっている。旧町は北國街道に沿っていて、金沢 (尾山) から来ると、街道は町の真ん中辺りで直角に折れて、松任に向かっている。古くは金沢寄りから、荒横通、北横通、一日市 (ひといち) 通、中通、六日 (むいか) 通、西通と称していたが、大正 13 年に野々市村から野々市町になって、荒町、新町、一日市町、中町、六日町、西町となった。でもこれは通称であって、公称ではない。これら旧の呼称は現在石碑に刻まれ、保存されている。旧野々市町は戸数四百戸、人口二千人ばかりで、ほとんど増減がなかったが、昭和 32 年に町村合併があり、さらに平成 11 年に野々市市になって以降は人口が増加し、現在は5万2千人程になっている。
旧6町はその後、荒町は一丁目、新町と一日市町は二丁目、中町は三丁目、六日町は四丁目、西町は五丁目となった。なので、神輿は二丁目、獅子舞は一、三、五丁目からということになる。そして四基とも氏神の布市神社の秋季例大祭に合わせて奉納する。これは旧通にはそれぞれに八幡様やお稲荷様があったのだが、これらの神様は通から町になった折、一日市町にある村社の布市神社に合祀されたからである。ところで私の住む新町には白山神社と辻の宮 (北横宮) があったが、白山神社も村社格であったため合祀されずに今も残っている。ただ祭祀は布市神社の宮司が仕切っている。また北横宮はその後白山神社に合祀された。
3町から出された獅子舞は、数年ぶりだった町もあったのに、棒振りの子供達は皆さん随分はつらつと上手に振る舞っていた。以前に振ったことがある方達が指導したのだと思われるが、中々見事だった。通りの家々の前では悪魔除けの棒振りをしてくれるが、それには祝儀をはずむのがしきたりである。私の家は旧街道に面しているので、3基とも寄ってくれた。ところで獅子の胴は大きな幌で覆われていて、その幌の足は若衆が持ち、昔はその胴の中に、三味線、笛、太鼓の衆が入っていて、特に三味線は芸者衆が受け持っていたものだ。でも世は世知辛くなり、昨今はテープを流して凌いでいる。また幌も車付きになって簡単に移動できる。それでも幌の修理はままならないようで、色は落ち、薄破れも目立ち、今一見栄えがしない。またそれかあらぬか、舞が終わって凱旋する時には、以前なら、オッピキダイサンノーエ、オッピキダイサンノーエで始まる勇壮な歌を高らかに歌って引き揚げたものだが、昨今いま少し威勢がない。やるなら幌も新調して威勢よくやって欲しいものだ。
一方神輿の方は、近隣では今じゃ名物になっている「豊年野菜神輿」で、起源は明治時代に凶作に見舞われた折に、農家が五穀豊穣を願って農作物で神輿を作ったのが始まりとされている。戦後は一時途絶えていたが、その後一日市町若衆が復活させ、町制施行後は本町二丁目に野菜神輿保存会が発足し、今日に至っている。この神輿は土台以外はすべて野菜や穀物や秋の草木を使って製作するもので、製作には2ヵ月を要するという。重量は約 500 kg、出来上がりは中々壮観である。神輿の屋根は稲穂で葺き上げてあり、黄金色で重厚で美しい。欄干には玉葱、鳥居には蓮根、御紋には茄子、柿、栗、唐辛子、生姜、果物等を用いて飾り付けされる。また特に壮観なのは神輿の頂上に乗っかる羽を広げた大きな鳳凰で、秋の草木や人参を用いての重厚な造りになっている。全てが生ものなので重たく、特に繰り出す日が雨だと、雨で重量が増し、担ぎ手の負担は相当なものになる。幸い今年は比較的天気が良くて、雨は落ちたものの、短時間で上がり、一安心だった。
今年は3町全てから獅子舞が出て、久方ぶりに神輿と競演する「4町合わせ」が旧野々市町役場前の広場で行なわれ、賑わった。それにしても、神輿や獅子舞の母体となっている旧町は、町全体の人口が増加している割には、むしろ減少の傾向にある。というのは、私の家でもそうだが、子供達は皆外へ出てしまっているとか、同じ野々市にいても、実家の町内ではなく、別の町内に所帯を持っていたりしている。そういうこともあって、旧町内にいたことがある人ならば、積極的に参加することが出来るようにした方が如何かと思う。そうしないと、存続が段々難しくなるのではと思ったりする。毎年出すようにするには、人数をある程度確保する一工夫が必要な気がしている。
2015年11月3日火曜日
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