2015年11月7日土曜日

珠洲に恩師を訪ねる(続き)

(承前)
3.翌日は暫し恩師と能登を周遊
 翌朝は男女入れ替えで、大浴場「見附の湯」へ行った。丁度海から朝日が上がってきた。風はあるが晴れている。暫し日の出を湯に浸りながら拝んだ。朝食は午前8時に予約しておいた。今日の行程は先生に一任することに。朝食後、ロビーで寛いでいると、先生からお返しの品といわれて、珠洲焼のビアカップを頂いた。近頃珠洲焼はなかなかの人気である。あの黒い渋い色が特徴で、近年復活した焼物、遠慮せずに頂くことにした。それで先生では、私たちが持参した土産を一旦家に置いてから、外浦を回って輪島に出て、その後能登空港まで送って欲しいとか。空港からは金沢からの珠洲行き特急バスが 12:20 に出るので、それに間に合うようにお願いしたいとかだった。先生は珠洲の方なので、途中の案内役をお願いした。
 宿から一旦珠洲道路まで戻り、飯田にある珠洲市役所近くにある先生宅へ。以前は入り組んで分かりにくい場所だったそうだが、今は前に広い道ができて、すこぶる分かりやすい場所だ。さて正午まで2時間ばかり、珠洲の突端へ行くのは止めて、国道 249 号線を通り、大谷峠 (トンネル) を越えて大谷へ出ることにする。途中山の稜線には、風力発電のタワーが林立していた。トンネルを抜け、ループ橋を渡る手前に、平時忠卿とその一族の墳 (県指定史跡) がある。大谷へ下りて国道を海岸線に沿って走ると、程なく道の駅「すず塩田村」に着く。ここは連続テレビドラマ「まれ」での塩田のロケ地である。今は時節は秋で揚げ浜塩田は休止しているが、それでも観光客は次から次へと訪れている。この辺り一帯には塩田が多いが、でも最盛期よりは少ないようだ。塩は 50g単位で販売されていて、品薄からお一人様1個に限ると書かれていた。塩田の周りには観覧席が設けられていて、観光目当ての商魂が伺われた。
 更に西へ向かう。曽々木を過ぎて少し行くと、右の浜手に「奥能登揚げ浜塩田輪島塩」の看板が、ロケは珠洲で行なったものの、ドラマでの場所は輪島、それで急遽輪島にも揚げ浜塩田を設えたもののようだ。ここにも観光客が立ち寄っていた。御陣乗太鼓発祥の地の名舟を過ぎると、白米の千枚田は近い。道の駅「千枚田」の駐車場には大型バスが数台、それもひっきりなしに次から次へと発着している。バスが着く度に記念写真の撮影、天気も良く、千枚田をバックにした写真は絵になる。県外の乗用車も多い。早々に引き揚げる。
 輪島の町に入り、希望で朝市に寄ることに。ブラブラと朝市の通りを歩く。もう 11 時近くとあって、終う店も、先生ではこの時間帯が最も値切ることができて安く買えるという。村田君がいないので先生に訊くと、彼は骨董に興味を持っているから、多分その店に行っているはずと言われる。案の定彼は其処にいた。彼の言では、この前寄ったときと値段がどうなっているかを見たかったとかだった。少々買い物をした。次に新しく出来たキリコ会館へ行く。すごく立派な出来だ。今日は時間がないので、中へは入らなかった。この場所は海を埋め立てて造成したとか。海との際にある岸壁に、次々と高い波がぶつかって、飛沫が高く舞い上がる。その時そこに陽が射すと、一瞬虹がかかり、この虹は次から次へと押し寄せる波が岸壁に当たって砕け散る度に具現する。飽かず眺める。この岸壁には1万トン級の舩も接岸できるとかである。
 朝市と港でずいぶん時間を費やした。急いで県道を南下し空港へ向かう。輪島市内でもたもたしたのと、途中で穴水へとあった交差点を反対に曲がったものだから枝道に入り込み若干時間をロスしたのと、空港手前の交差点での渋滞があったりで、空港のバス停に着いた時には目の前でバスは出て行ってしまった。時間の遅れはほんの 30 秒ばかりだった。先生ではこの後珠洲への特急バスは夕方までなく、それで穴水駅から出ている路線バスで帰ると仰る。その発時間は 12:50、それではとのと鉄道の穴水駅へと向かった。お陰で先生と駄弁る時間が増えたというものだ。空港から駅までは 10 分ばかり、今度は十分間に合った。先生とは又の再会を願って、固い握手をして別れた。一度金沢での耳順会に参加したいと申されていた。乞うご期待である。
 先生と別れて、穴水駅から一旦県道を北上し、穴水 IC からのと里山海道に入り、白尾 IC から津幡バイパス、次いで山側環状道路を通り、金沢まで一気に戻った。天候にも恵まれた、思い出深い2日間だった。

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