2015年11月13日金曜日

シンリョウのツブヤキ( 14 )ふだんのおつとめ

 父が昭和 55 年 (1980) に他界 (享年 73 ) してから、母が唱えていたお経に興味を持ち、父の一周忌に母と浄土宗の総本山知恩院にお骨を納めに行った折に、私が用いる日常信徒が勤行に行なう折に唱える「浄土日用勤行式 全」を求めた。その母も平成 15 年 (2003) に他界し、それ以降は私が普段のお勤めをし、先祖の命日には供養のお経を唱えている。
 毎年師走になると、私の家では十夜法要 (浄土真宗でいう報恩講 ) を行なう。旧野々市町では浄土宗の門徒は私の家と、今は絶えた分家のみで、他の家は皆さん浄土真宗の門徒である。それも圧倒的に大谷派 (お東) が多く、本願寺派 (お西) は少ない。私の家の檀那寺は金沢市中央通町 (宝舩寺町) にある浄土宗の佛海山法舩寺である。家のお十夜にはお寺のお住職にお出でを願って法要を行ってもらう。
 それとは別に、月経というのがあって、母が存命中は、野々市町の真宗大谷派のお寺の方にそれをお願いしていたが、母が他界してからは、法舩寺さんにお願いしている。と言って本来ならば来宅してお経をあげて頂くのが筋なのだろうが、私も家内も勤務していたこともあり、代わってお寺さんでお経をあげて頂いている。またこれとは別に、門徒全体の御十夜法要が檀那寺で執り行われ、その時は大概出席するのが常だが、今年はどうしても外せない用事で出席できなかった。
 ところで私は家では先祖の命日には必ずお経をあげ、勤行を行なっている。現在私は木村家の5代目、それで、初代の曾祖父の父母、曾祖父母、祖父母、父母のほか、夭折した祖父の弟、子がいなくて家が絶えた叔父、そして私の三男の計 11 人の命日には、次の順序で勤行を行なっている。これは正式に坊さんがあげるお経を若干端折って短くしているが、それでもかれこれ 25 分位はかかる。読経をする前には、燭台にお灯明を上げ、香炉に線香とお香を焼べ、経本の指示にしたがって、おりんと木魚とかねを打ち分けて読経する。次にその順序を記す。
 ( 1 ) 「三宝礼」、 ( 2 ) 「懺悔偈」、 (3)「十念」十遍唱える、(4)「開経偈」、(5)「仏説無量寿経四誓偈」、(6)「仏説観無量寿経第九身心観文」、(7)「仏説阿弥陀経」、(8)「発願文」、(9)「回向文」本誓偈と聞名得益偈、(3)「十念」、( 10 )「摂益文」、( 11 )「念仏一会」百八遍唱える、( 12 )「総回向文と十念」、( 13 )「別回向文と十念」命日や祥月命日の先祖の回向、( 14 )「別回向文と十念」木村家先祖代々の回向。
 また月々の1日と 15 日には、次のような順序で読経を行なう。(1) 〜 ( 5 )、( 15 ) 元祖大師御法語「一紙小消息」、( 16 ) 元祖大師御遺訓「一枚起請文」、( 10 ) 〜 ( 12 ) 。そしてこの日には、庭に置かれている 阿弥陀座像 と 観音様立像 にもお参りする。
 そのほかの普通の日には、次のように行なう。(1) 〜 (4) 、( 17 )「摩訶般若波羅密大明咒経」、次いで ( 10 ) 〜 ( 12 ) 。この 摩訶般若波羅密大明咒経 は、西暦 403 年に 鳩摩羅汁 が訳したもので旧訳と呼ばれていて、これに対して 玄奘 が西暦 649 年に訳したものは 摩訶般若波羅密多心経 ( 般若心経 ) で新訳と言われている。このお経を日本に持ち帰ったのは僧空海であるが、その当時のシナでは新訳がよく読誦されていたという。したがって現在日本で読誦されているのは新訳の般若心経である。本文の字数は、旧訳が300字、新訳が262字で、類似性は90%で、今風に言えば、新訳は旧訳のコピペであると思う。私は旧訳の鳩摩羅汁訳を知ってからは、新訳の般若心経ではなく、天の邪鬼にも旧訳の 摩訶般若波羅密大明咒経 を唱えている。
 また私が求めた 観世音菩薩坐像を仏間に安置してあるが、この前でも毎朝読している。その順序は、(2) 〜 (4)、( 17 )、( 10 )、(3)、( 14 ) である。
 なお、昨年 11 月に金沢市野町にある浄土宗大連寺で五重相伝を受けて以降は、その折に授かった「新版 浄土日用勤行式 完」に則って、命日の勤行を行なっている。
 そして本来ならば、これらを朝と夕に勤行すべきなのだが、こちらの方は怠けて、夕は十念だけで済ませているのが現状である。ただ五重相伝を済ませた折に、導師から1日に南無阿弥陀仏の念仏を3百
回以上唱えなさいとのことで、これは在宅の折には実行している。ところで旅行などで家にいない時など、声を出さずに念ずるだけでは駄目ですかと訊いたら、それは駄目で、必ず声を出して唱えなさいとのこと、でないと阿弥陀様には声が届かないからとの答えだった。私にはまだそこまで出来ないということは、修行がたりないということか。

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