1.はじめに
平成 14 年 (2002) に村田君が台湾から 30 年ぶりに帰沢したのを機に、12 名が集まって「耳順会」が発足した。その後2名の入会と3名の他界があり、現在の会員は 11 名である。それで3月、6月、9月の第1月曜日には、金沢市内の割烹屋で懇親の会を開き、また 12 月にはやはり第1月曜日に加賀温泉で忘年会を行っている。一方これとは別に、毎月第3土曜日には、金沢市内のホテルで「湧泉会」と称して昼食会を催している。これまで耳順会は、会員の持ち回りで会を運営してきたが、平成 25 年 (2013) 正月に湧泉会が発足してからは、両会とも村田君が仕切っている。ところでお酒が入る耳順会はともかく、湧泉会は昼食会なのでお酒なしなのだが、午前 11 時半に始まって、いつも終了が午後4時という長談義になってしまう。女の井戸端会議ならいざ知らずと言いたいのだが、話題は身近なことから世界情勢まで延々と話が続くのだから、もう閉めますと言われて漸く終わりになるのが常だ。
さて彼は日本に帰ってきてから、泉丘高校1年の時の担任だった珠洲市在住の橋本秀一郎先生とはよく会っていて、彼は先生とよく能登の社寺や遺跡を巡ったという。先生は社会の先生で、その方のことは大変お詳しく、彼も興味を持っていたようで、意気投合したというのが本当のところだろう。このことは彼も会でよく話していた。ところで先生を一度耳順会にお誘いしようということになった。それで先生に打診したところ、金沢へ出て来られるとか、珠洲からは特急バスで3時間ばかりとか、それで9月にお誘いした。ところが生憎体調をこわされて、実現しなかった。先生は私たちが高校へ入学した時には、京都大学を出られたばかり、だとすると私たちより7〜8歳上、現在 84 歳である。
私たちが高校に在籍していた時においでた先生方のうち、現在も存命なのは5名のみとか。私が授業を受けた先生の中では唯一の先生である。それで村田君から珠洲へ先生に会いに行こうと提案があった時には、即賛同した。彼と先生との交渉で、日は 10 月 25 日の日曜日ということになった。当初は5名参加の予定だったが、ご不幸や他の同窓会との鉢合わせもあって、行くのは村田君と村上君と私の3名、車の運転は私がすることに。3人とも1年の時は同じ組で、橋本先生が担任だった。また村上君は母校でも教鞭をとっていたこともあり、また先生も彼も退職時には高校の校長先生であったこともあり、昵懇の間柄でもある。
2.珠洲で60年ぶりに恩師と再会
金沢からの出発は午後1時、村田君宅の近くにある大きな書店の駐車場で待ち合わせた。山側環状道路から津幡バイパスへ、さらにのと里山海道、珠洲道路 (のとスターライン) を経由して珠洲市へ、村田君の予想では午後3時半には宿泊場所の珠洲市宝立町鵜飼にある「のとじ荘」に着けるという。この予想は見事に的中して、途中一度別所岳 SA でトイレ休憩したものの、予想通りの時間に着けた。途中で村田君は道路を車で走ると朝ドラ「まれ」のテーマ曲が流れるというので、それをぜひ聴きたいとのことだったが、別所岳 SA を過ぎた辺りで、約2分間ばかり聴くことができた。
珠洲温泉「のとじ荘」に着いてチェックインする。部屋は4室とも海側に面した個室、この宿は今年3月に金沢までの新幹線開業に合わせてのリニューアルオープン、以前に泊まったことがあるが、雰囲気は全く違い、近代的な佇まいになっている。個室志望は村田君の意向によるものだが、複数で泊まってそれぞれ個室というのは、何となく居心地がよくない。でも彼は何時でも個室に拘るようだ。時間もあるので見附海岸を散歩する。
先生はバスで来られるとか、すると到着は午後5時半頃、先に風呂に入ることに。この時間帯、男性は展望風呂がある「弘法の湯」、新しく設えられた露天風呂は実に快適、すぐ近くに絶景見附島を望める好位置にあり、海を眺めながら時の経つのも忘れる。そして夕闇が迫る頃に、先生が着かれた。村田君や村上君はともかく、私と先生とは 60 年ぶりの対面、村田君からキムラシンリョウが同行すると告げられていたこともあってか、先生の記憶の中に私が残っていたのには感動した。初めての担任だったこともあるのだろうか。先生の湯浴みが終わるのを待って、夕食となる。
夕食は2階にある「レストラン漁火」の個室、お酒は先生の希望で熱燗にする。会食の折、村田君が持参した高校1年の時に、構内やハイキングで写した白黒写真のコピーを見ながら話に花が咲いた。私たちはともかく、先生が生徒の名前を覚えておいでたのには驚いた。40 年近く教職にあったのに、最初の担任であったにせよ、正に驚異だった。すごく懐かしがっておいでたのには本当に感動した。時間になってレストランを出て、1階ラウンジにあるカウンター席へ移った。先生はここではスコッチウイスキーのストレート、私も追随したが、旺盛な元気には感服した。先生は奥さんを亡くされていて、現在独り身だが、夕食は近くに住んでおいでる長男夫婦の所で召し上がるとかだった。それにしてもタフだ。午後9時過ぎ、海の方を見ると、十三夜の月が海上を照らしていた。幻想的でもあった。
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