毎年恒例になっている石川県庁のくろゆりスキーくらぶ主催の正月の志賀高原スキー行に、今年は体力の衰えを感じて参加しないことにした。それで代わりといっては何だが、家内とどこか温泉へ行こうかということになった。ところで私は土日は休みなのだが、彼女はかなり日程が混んでいて、やりくりが付かなかったが、日、月となるが、1月29日と30日ならどうやら工面できて出かけられることになった。ところでここ暫らくは日本の秘湯の宿巡りをしていることもあって、近在の湯宿を当たると、石川に4軒、福井に1軒、岐阜に1軒あったが、この時期は積雪があり、営業しているのは、石川の1軒と岐阜の1軒のみだった。石川の方は1月中は満室とかで、岐阜へ出かけることにする。
湯宿は岐阜県大野郡白川村平瀬にある「藤助の湯 ふじや」である。平瀬というと白山の東の登山口であって、私は50年来通った道でもある。以前はアプローチはもっぱら金沢と名古屋間を往復していたバスを利用して行ったものだが、今この便はない。当時は今のように五箇山トンネルは開通していなくて、1000m近くある細尾峠を越えて五箇山へ入っていた。当時聞いた話では、村人は月に一度はこの峠を越えて富山へ出る必要があり、冬は難儀して歩いて越えたという。この道には人喰谷という難所もある。
さて当日は二日ばかり雪が降り続いた後の中休みのような天気、宿の方へ雪の状況を聞くと、車でのお出でには何ら差し支えはありませんとのこと、10時過ぎに出かける。山側環状道路を経由して北陸道へ、小矢部SAで早めの昼食を済ませ、東海北陸道を白川郷ICで下りる。でもここからは15分ばかりのはず、ちと早過ぎた。宿のチェックインは14:30、仕方なく一般道の平瀬バイパス(国道156号線)の道の駅:飛騨白川で時間を稼ごうと思って立ち寄ったが、12月から3月は冬季閉鎖、でも駐車場はきれいに除雪されていた。時間は午後1時、宿へ電話すると、じゃもう30分位したら用意できますから来てくださいとのこと、1時半に道の駅を出る。近くにある「しらみずの湯」の前を通って、街中を通っている旧道の白川街道を北へ向かって辿る。以前はこの道しかなかったので懐かしい。宿はすぐに見つかった。
宿の隣に駐車場があり、除雪されていて、そこに数台の車が停めてある。今日は気温が若干上っていて、途中の道路にも雪がほとんどなく、心配した雪道の走行はなかった。お天気は今日明日は比較的穏やかであるらしい。積雪140cmとかで心配したが杞憂に終わった。記帳をして、大きな薪ストーブの側でお茶を頂く。おえの広間には繭玉をつけた柳の木が飾られている。この別館は、旧宮川村にあった飛騨造りの築後百余年の古民家を平成14年(2002)に移築したものだという。
部屋への案内は若い女性、荷物三つを全部担いでくれての案内、恐れ入る。同じ棟の左手の障子の間が食事の間とか、参の間とあった。上り気味の通路を行くと左手に浴室棟があり、入り口に下足箱が置いてあり、11室の部屋名が付けてある。私たちは「野葡萄」。さらに進むと右手に貸切の露天風呂が二つあり、下足がなければ入って頂けますとのことだった。ここからは緩やかな段差のある吹きさらしの通路、突き当りが宿泊棟、戸を開けて中に入る。左に折れ、二つ目の和室が「野葡萄の間」だった。
部屋は大きく、初めてお目にかかる鹿の子編みの畳敷きの部屋、炬燵が設えてある。続く広い板張りの縁には、炭火を熾せる囲炉裏風の大きな火鉢が置いてある。そしてお風呂グッズは小さな背負い籠の中に入れられている。お茶を飲んで、浴衣に着替える。中と小を用意してありますという。着ると浴衣は丁度だったが、その上は羽織でなく丹前、二枚重ねると少し重い。こんな経験は初めてだ。ところで家内の丹前は丈がすこぶる短く、そのまま着るとチンドンだ。でもフロントには言わず、いざというときは羽織ることに。
まだ時間も早く客も居ないので、貸切り露天風呂へ入る。岩風呂で外へも通じているが、脱衣場と岩風呂、岩風呂と外との間には厚手のビニール製のカーテンが掛かっている。外には屋根から落ちた雪のブロックが間近にまで転がっている。お湯はまずまずだが、雪塊がすぐ傍にあるので寒々しい。早々に此処を出ることに。そして婦人風呂と殿方風呂へ。こちらの方は広くて内湯は檜風呂、ゆっくり6人は入れよう。外湯の露天風呂は石組みで、10人は優に入れる大きさ、所々に半身浴ができるように石が配され、また寄りかかれるような身置き場所も設えてある。屋根には1mばかりの雪が積もっているが、下ろさなくても大丈夫なのだろうか、心配になる。お湯の温度は何度に調節されているのだろうか。どれだけでも浸かっておれる温度、湯口から落ちている湯の温度はやや熱いが、絶妙で実に気持ちが良い。近くに菅笠が置いてあり、雪や雨が降ったら被るのだろう。小雪が舞っている。
そこへ若者が、明日は流葉でスキーとか、冬の白川郷の里を見たくて寄った後、平瀬の湯でも「しらみずの湯」でなくて、鄙びた湯へ入りたくて探していたら此処が見つかったとか、すごく気に入ったと喜んでいた。もし聞き間違えでなければ、流葉スキー場は岐阜県北部の飛騨市、ここからはかなりの距離だ。
部屋へ戻るが食事までにまだかなり時間がある。テレビを見、酒を飲み、駄弁りながら時を過ごす。見るともなく宿の案内を見る。こちらの別館は和室8室和洋室2室で、それぞれに草や木の名前が付されていて興味がある。曰く、風車、笹百合、蕗のとう、花梨、金鳳花、山法師、野紺菊、南天萩、山葵、野葡萄。またこの温泉のお湯は、大白川の源泉(96℃)から15km引いて65℃になったものを平瀬温泉として分配しており、ここへは毎分60ℓ引き込んでいるとか。その後井戸水で熱交換して平均50℃にした後、温水タンクに貯えてから各浴槽に供給されている由。従って加水、加温、循環はなく、源泉かけ流しである。泉質は含硫黄・ナトリウム・塩化物泉で、pHは8.5の弱アルカリ性低張性高温泉である。
6時になり食事処へ行く。床の間付きの部屋、中央に炭火を2ヵ所で熾せる囲炉裏風の横長の大きな台が置かれていて、これがテーブル代わりとなる。そしてざっくり竹で編んだ笊には大きな朴葉が敷かれ、その上に山のいろいろな産物が所狭しと並んでいる。蕗、胡桃、銀杏、蓮根、山葵の葉、占地、芋、薇、こも豆腐など。ほかにも、山の草木の煮物、和え物、酢の物、漬物、天ぷら、茶碗蒸し、雑煮、それに鰊の大根寿しなどが。魚は天魚の塩焼き、そして逸品はきれいな霜降りの飛騨牛の陶板焼き、多彩である。食前酒はぶなの木の酵母で作ったとかいう濁り酒、爽やかで飲みやすい。食事には、野葡萄のワイン、生ビール、地酒を貰う。素朴な山の里の品々は心を癒す。粟ご飯を頂き、冷菓で終える。これほど徹底した地産地消は珍しい。都会の匂いが一切しない野趣溢れる山里料理だった。
翌朝早く露天風呂へ行く。雪が舞っている。菅笠を被って風呂に入る。時々風が吹いて木の枝に積もった雪が落ちて来る。何とも風情ある素晴らしい湯だ。そこへ大阪の方で毎年訪れるという方がご入来、雪下ろしをしなくてもよいのは、飛騨造りという屋根の構造にあるのだと教わる。また私がここの積雪が140cmと聞いて来るのが心配だったと話すと、その心配は全くないと。それは大型トラックは高速道の東海北陸道の飛騨トンネル(11km)を通ることができないので、荘川ICと白川郷ICとを結ぶ国道156号線は完璧に除雪されるとか。私は心配で二度も宿へ電話したが、大丈夫ですと太鼓判を押されたのはそんな背景があったのだと納得した。
昨夜と同じ場所での朝食、朴葉味噌が出た。ご飯は真っ白な小粒、飛騨のコシヒカリとのことだったが、実に美味しく驚きだった。焼き魚は虹鱒、温泉卵も地卵、朝食には定番の焼海苔も出ず、根っからの素朴な徹底した山の里のもてなしだった。こんな宿があったとは。
辞して、世界文化遺産の白川郷の里、荻町合掌造り集落へ向かう。今朝は冷え込んだのか道路は白く凍結している。でもカーブの部分が凍結していないのは、消雪剤を散布してあるからだろう。車には雪や水が飛び跳ねた跡が白くなって残る。集落中央にある駐車場に車を停める。冬の白川郷はテレビや写真で見たことはあるが、実物を見たのは初めて、夜にはライトアップされるのだろうか。メインロードの土産物店にも入ってみる。外国人の団体ツアーも来ている。雪は珍しいだろう。
町外れ近くから西通りに入る。すると合掌造りのあの急な屋根の雪を下ろしているのに出くわした。急な勾配で雪は自然に落ちるのかと思っていたが、そうでもないらしい。聞くと下ろさねばならないと言われる。それにしてもあの勾配での雪下ろしは、何ともアクロバティックである。しかし屋根に雪が載っていてこそ風情があるのに、いくら保全とはいえ何とか調和できないものか。秋葉神社の鳥居をくぐり、であい橋へ、こうして庄川を渡ると、対岸に荻町集落をほぼ一望できる。
昼近く白川郷を後にする。道の駅白川郷へ寄った後、高速へ入ろうとICへ行くと、事故があったとかで金沢方面へは下道を利用して下さいとのこと、国道へ回る。途中道の駅五箇山にも寄った。事故は白川郷ICと五箇山ICの間であったらしく、五箇山ICからは順調に帰ることができた。車はまるで消雪剤まみれ、洗車を余儀なくされた。
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