2012年2月14日火曜日

「白山登山記 自8月15日ー至8月17日」(3)

中学1年生のとき(昭和24年)、私は叔父に誘われて初めて白山へ登った。そのときの印象を綴った標記の作文が出てきたので、ここに採録する。この作文には誤字脱字のミスがあるが、敢えてなるべくそのまま記した。原文は縦書き、数字は漢数字。表示できない漢字はカナで表記した。

「八月十七日」
 今日はいよいよ家え帰る日である。今朝もやはり御来光を拝みに頂上まで行かなければならない。上衣や毛糸のシャツ等三四枚着て頂上へ向い進んだ。進んでいく間頂上の方を見ると下の方から上の頂上附近まであかりの行列だった。ぼくらも一生県命登り数十人の人達をおいこして二十分後には頂上についた。今朝の頂上は昨日にもまして一ぱいだったので先にいった僕はちょうどよい所に座った。やがて日の出時刻である。
 雲は京都方面に少しあったがあとは全然雲がないといった位だ。午前五時三十四分太陽は薬師岳の右肩からのぼり始め一緒に来ていた室堂の人達も「こんな雲のない日は一ヶ月に一、二回のもんだよ」と云われたので僕はちょうどこんなよい日に会えたのがうれしくてたまらない。やがて太陽は全部顔を出し僕等は朝の太陽を体一ぱいにあびたのである。
 それから白山比メ神社奥ノ院で朝のおまいりがあるので僕もそれに参加した。おまいりもすんで僕も一休みしている頃一人の登山者が此頂上から見える山の説明をしますといってから説明をし始めた。もちろん説明しなくとも頂上には方位ばんと云うものがある。北アルプス連峰では左から剣岳(2998)立山(3010)そして薬師岳(2926)双六岳(2860)槍が岳(3180)穂高岳(3190)焼岳(2458)乗鞍岳(3026)それから一番大きく見えた木曽の御岳山(3068)等がある。それから白馬岳(2933)が立山の左肩位に見えていた。中央アルプスではあまり高い山がなく木曽駒ヶ岳(2956)が見えるにすぎなかった。赤石山脈(南アルプス)では富士山に次ぐ白峯の北岳(3192)その次の赤石岳(3120)それからカイ駒ヶ岳(2966)八ヶ岳(2899)が見えた。
 近景としては三方崩れ山(2059)白山別山(2380)等がある。西の方には日本海が見え東じん坊の岬のつきでているのや松任あたりまでははっきりと見え汽車などはマッチ箱よりも小さく見えるのである。北の方には大汝と剣ヶ峰がはっきりと見える。
 頂上での朝は大変気持ちがよかった。加賀平野は朝もやに包まれぼんやりと見える。
 僕等は御前峰の裏側へおりようというので早速おりた。そこには珍しい植物が岩の間にはさまって生えていたり雪渓の側まで一ぱいに咲きみだれていたりした。
 やがて帰る時間もせまって来た。それで僕等は室堂え帰る事にした。室堂に帰り朝食をとってから帰る準備をし十一時のバスに間に合うように室堂を出たのである。市ノ瀬まで下るにようする時間は約四時間(観光新道)旧道から下りたとして約六時間かかるのである。
 旧道から行けばまだ珍しい植物があるが時間がかかるので新道から行く事にした。室堂を出てから一時間あまりして五色ヶ浜のある途中で「ツリガネニンジン」それから「バイケイソウ」を採集した。砂防新道から行った皆からは声が聞えて来る。おじさんは大学で薬学部助教授をしていられる。その前は東京にいられ東京の昭和女子薬科大学教授であり東京にいられたため高山植物の採集許可証を持っているのである。それから二時間あまり下り別当の出合すなわち観光新道と砂防新道と一緒になる所まで来た。皆はそこで待っていた。それから一緒に歩いたが途中「オシダ」を採った。やがて市ノ瀬についたがちょうどバスが来ていて大変つごうがよかった。それから三時間程で自分の家についた。面白かった事が次から次へとゆめの様に描きだされる。

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