2012年2月20日月曜日

作文 山を想う (その2)

(承前)
 頂上では二三十人の人がいて、寒い秋風に身をさらしている。わずか千米足らずの山だが、ここからの眺めは実によい。立山の峰々、富山平野、能登半島、加賀平野、日本海が見えるが、雲が低くなってきたので、かすんできている。じっとしていると寒いので、辺りをかけめぐった。その後ここで残りの弁当を食べ、下へ下りることにした。目ざすは鳶ヶ峰、そこまで競争することにした。私も急な坂を一生懸命に走った。途中で休む人もいたが、かまわず前の人を見失わないようにと追いかけた。でもこの間はかなり長いので、皆ちりちりばらばらになってしまい、一体どの辺りにいるのか見当がつかなくなってしまった。私達は心配や淋しさで心細くなってきた。また見通しはきかないし、いくら声の限り呼んでも全然無駄であった。それで私達二人は待っていれば来るだろうと、倒れた木に腰をかけて待つことにした。でも待っても待っても彼等は来なかった。不安になり、逆もどりすることにした。すると立ち上って二三十米位歩いたろうか、向こうから息をはずませて走って来る皆なに出会うことができた。その時の喜びは大変なものであった。
 皆な揃った私達は細々とした道を進んだ。二十分程歩き続けた頃、突然明るみに出た。そこは見るも恐ろしい断崖絶壁で、万丈の山、千ジンの谷という言葉が思い浮かんだ。ここを称して鳶ヶ峰と云うそうだ。祖母は峰の上には朱を頂き、岩には苔が生えていて、人は近よれぬ所だと話していたが、来て見るとそんなものはなかった。岩は板状で、それがきちんとはめこまれているようになっていた。私達は早速素足になって登ってみた。登って驚いた。まるで片足しか乗らない頂が百八十米とかいう高さで池の上につき出ている。絶壁の下には大沼が小さく見え、浮島も見えている。下の人は豆粒のようだ。
 この峰の周りには知らない山々がごろごろに見え、その間には盆地とも云えるものがあり、密林のふところに抱かれているようだ。実に壮大、ここは槍ヶ岳の模型のようにも思える。そんな事を思いながら、秋の日の下で一緒に記念写真を撮って貰った。別に私は登高記念として、岩の一片をポケットに忍ばせた。然し楽しみも束の間、もう日は大分西に傾いて、天候もくずれてきそうなので帰ることにした。鳶ヶ峰の下は断崖絶壁で、上から見ると恐ろしい形相をしている。私が真先に下りだしたが、昨日からの雨でつるつる、傾斜は六十度や七十度はあろうか。辺りには小さな灌木が生えていて、その灌木にしっかりつかまりながら一歩一歩ふみしめて下へ下へと下りた。およそ二十分前後で下りることができた。
 下りて瀧が落ちている所へ出た。この瀧は「三蛇ヶ瀧」と呼ばれ、二段になって流れ落ちている。そして瀧の裏側には大きな洞穴があり入って見たが、五米位で行きづまりになっていた。又此処はキャンプをする場所としても適当なので、沢山の天幕が辺りをうめて並び、夕飯の煙がどこからも出ていた。小さな盆地のようになっているこの場所の渓流にはサンショウウオが住んでいると云う。私達と一緒に行った大学の研究生の人が、ここでそのサンショウウオを貴重な研究資料にするとかで、持って来たビンに入れていた。私はこの時初めて天然記念物のサンショウウオを見た。色はこげ茶色で、山間部のきれいな水が豊富にある所にしか生息しないと云う。
 その後、大沼え立ちより、浮島の上えも乗ってみたが、どうも安定感がなくふわふわしていた。大沼の直ぐ上に見える鳶ヶ峰は空に向かって立つ魔の塔のようで、物すごい奇観だ。写真機を持っている人達は一斉にレンズを鳶ヶ峰に向けてシャッターを切っていた。
 大沼を過ぎると道もよくなり、松や杉の林の中の道になる。時々林の下に生えている珍しい草花を採集しながら帰りを急いだ。然し空もようはこの頃になってくずれ出し、やがて雨になった。そしてもやが立ちこめてきた。そんな時、私達は山から下りて来た村の人に出会った。早速道程を聞いてみたら「まだ下の村までは一里位はあるね」という返事、私達はがっかりしてしまった。お互いに見失わないよう連絡しながら道を急いだ。やがて畑地も見えて来て、小屋もあったので、一まず中へ入って休むことにした。
 小屋の中で休んでいる間に雨も小降りになり、発つことにした。道は広いが雨でぬかるんでいる。そして時々材木を満載した自動車が通る。そしてやっと私達は二俣の部落に着いた。でも運悪くバスは出発してしまった後だった。誰かが「今日は失敗ばかりですね」と云った。私もその通りだと思った。
 次のバスが来るまでまだ一時間余りあるということなので、近くの製紙工場を見学することにした。ここは山から伐り出したミツマタ等のすじを採って、和紙を作る所で、私には大変参考になった。小規模ではあるが、なかなかととのった工場だと誰もが感心していた。ここで一時間ばかり世話になり、一日の思い出を胸におさめて、バスで一路金沢へ向かった。もう外は暗く、時々電灯の明かりがぼうーっとかすんで見えた。
 今日は大変疲れた。電車に乗っていても、目を開けていられない位ねむたかった。家に帰るとすぐに寝床に入ってしまい、あとは朝がいつ来たのかも知らず、又夢さえも見なかった。

 四季を通じて、東に見える端正な医王山を見ていると、何か尊いものに見えてくる。夏の一日、弟と妹を連れて一緒に倉ヶ岳に登った時、登る途中で一緒になった人が、頂上へ着いた時に「山は面白いね」と私に話しかけてきた。その時は別に私は何も話さなかったが、私も山は面白いし、又大変楽しいものと考えている。
 然し山では吹雪や濃霧といった厳しい姿も見せ、時には人の命をもうばってしまうことだってある。然しながらその反対に楽しいことも多い。春の「ぜんまい」や「わらび」採り、秋の茸狩りや紅葉狩り、ハイキングやスキー等々、数えることが出来ない位沢山ある。そんな時は大変楽しい楽園ともなり得る。
 私達は雄大な山のように大きな心を持ち、自然にとけこんで楽しめる健康な体格、そして雨にも風にも負けない強い意志を持って、社会の荒波を押し切って進んでいける強じんな力を養って行くよう努力しようと思う。

[附] 「前車の轍を踏んだもう一つの医王山行」
 私が金沢大学薬学部2年の初夏、クラスで医王山へ花を訪ねる企画が持ち上がり、私が引率することになった。コースは湯涌手前の芝原でバスを降り、栃尾部落から奥医王山へ登り、白ハゲ山へ縦走し、時間に余裕があれば鳶ヶ峰、三蛇ヶ滝、大沼を回り二俣へ下るという計画で、全コースを踏破するには健脚が必要である。ところが花を愛でるという企画が前面に出たこともあって、応募13名の中には、歩くのは得手でないと思われるやや肥満気味の仲良し二人組の女性がいた。この奥医王コース自体かなりハードで、このメンバー構成だと、当然この二人の女性に合わせた行動を取らねばならないこともあって、この8時間コースの後半はカットしなければならなくなるだろうと予想した。
 歩き出したのは午前7時、この中の男性の何名かは一緒に山へ行ったことがあり、歩くことについては心配なかった。案の定、奥医王山までに1時間超の5時間を要した。稜線へ出ると眺望が開けて、天候が良いこともあり、しかもイワウチワやイワカガミなどの花を愛でながらの、正にテーマに相応しいハイキングとなった。でもここでも花を観賞するのに時間が取られ、それに昼食もあって、白ハゲ山へ着いたのは午後2時を過ぎていた。
 ここから二俣までは4時間余り、私としては日没が7時過ぎなこともあり、後半は割愛して見上峠へ下ろうと提案した。しかし、女性の二人組はどうしても鳶ヶ峰と三蛇ヶ滝と大沼へは行きたいとの希望、二人は大変な自信家でもあったので、私は折れて当初の計画通り二俣へ下ることにした。
 先ずのつまづきは鳶ヶ峰の下りである。女性二人は下りに足が出なくて、男性がサポートしなければ下りられず、通常は20分の下りなのに1時間を要した。時間は午後4時、その後さらに三蛇ヶ滝と大沼を回り、二俣へ向かったのは午後5時少し前、まだ2時間半は要しようから、ぎりぎり日没までは着けるかなあと思いながら帰りを急いだ。
 ところが森の中の道は思ったより暗く、ここで異変が起きた。女性の一人が暗くて歩けないというのである。鳥目だという。仕方なく手を引いて歩かざるを得なくなった。まだ先は長い。そして午後7時近くなって、私は目が見えないと言うではないか。それで彼女を背負って歩くことになった。重い人なので、交代しておんぶしての下山となった。そして漸く二俣へ着いたのは午後8時半近く、暗い中山から下りてきたので村の人達は驚き、事情を話すと、農協婦人部では炊き出しをしてくれた。幸い天気が良くて事故にはつながらなかったが、初めての医王山行の時のように雨に降られていたら、悲惨なことになっていたかも知れない。そしてその後金沢まで農協の車で送って戴いた。山の人達に助けて戴いたほろ苦い思い出である。

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